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池上線

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐藤順英、作曲・唄:西島三重子

1 古い電車のドアのそば
  二人は黙って立っていた
  話す言葉を捜しながら
  すきま風に震えて
  いくつ駅を過ぎたのか
  忘れてあなたに聞いたのに
  じっと私を見つめながら
  ごめんねなんて言ったわ
  泣いてはダメだと胸にきかせて
  白いハンカチを握りしめたの
  池上線が走る町に
  あなたは二度と来ないのね
  池上線に揺られながら
  今日も帰る私なの

2 終電時刻を確かめて
  あなたは私と駅を出た
  角のフルーツショップだけが
  灯りともす夜更けに
  商店街を通り抜け
  踏切り渡ったときだわね
  待っていますとつぶやいたら
  突然抱いてくれたわ
  あとからあとから涙あふれて
  うしろ姿さえ見えなかったの
  池上線が走る町に
  あなたは二度と来ないのね
  池上線に揺られながら
  今日も帰る私なの

《蛇足》 昭和51年(1976)にリリースされ、70万枚売ったヒット曲。西島三重子の素朴な歌唱が心に沁みました。昭和54年(1979)に高山巌がカバーしています。

 池上線は、東京のJR五反田駅と同蒲田駅を結ぶ私鉄。五反田から雪谷大塚までは中原街道と、そこから先は環状八号線とほぼ並行して走ってます。
 出口が線路の東側にある駅では、中原街道側に出るには、この歌の2番にあるように、一度踏切を渡ることになります。最近は立体交差化が進んで、踏切は少なくなったようですが。

 私は昭和40年(1965)に大学を卒業して、池上線の長原を最寄り駅とする出版社に就職しました。出版界では、不便な場所にあることと、原稿料が安いことで有名な出版社でした(現在は五反田に移転)
 私は3年弱、月刊誌の編集に携わったあと、フリーになりました。しかし、その後も仕事でその出版社をたびたび訪れていたので、当時の池上線の古くさい車体や長原駅付近の深夜の光景が記憶に刻み込まれています。

 私がまだ社員だった昭和42年(1967)2月初めごろのことです。極寒の深夜、編集室では私と先輩のHさんだけが仕事をしていました。
 Hさんは長崎出身で、神経がむき出しになったような気むずかしい人でした。言葉の使い方をめぐって何度か論争をしましたが、私のどこが気に入ったのか、たびたび飲み屋に誘ってくれました。

 午前2時ぐらいに2人はいっしょに会社を出ました。Hさんは、石川台だったか雪谷大塚だったか、とにかく池上線沿線のアパートへ、私は西武新宿線沿線のアパートへタクシーで帰りました。

 その日の午前10時ごろ出社すると、Hさんはすでに出ていて、私を見るなり、こういいました。
 「いやあ、実はきのうアパートでこんなことがあってね……」

 Hさんがアパートに帰ると、隣室の前に、1人の若い女性が正座していました。コンクリートの通路の端に、かたわらにハンドバッグを置き、部屋のドアをまっすぐ見つめて、身じろぎもしないで座っていたそうです。

 「照明が薄暗かったせいかもしれないけど、それはもう凄艶といっていいような美女でさ……」
 とHさんはいいましたが、インパクトを増すために、幾分かの誇張はあったかもしれません。

 部屋に入ったものの、Hさんは冷たいたたきの上にじかに座っている女性が気になってしかたありません。とうとう彼はドアを開けてこういいました。
 「そこでは寒いでしょう。隣の人をお待ちなら、私の部屋で待ちませんか。私は近くの友人のアパートに行って寝ますから」
 近くに友人などはいませんでしたが、どうせすぐ
出社しなければならないから、会社に戻って椅子を並べて仮眠すればいい、とHさんは考えたそうです。

 女性は、Hさんの顔も見ないで、「けっこうです。かまわないでください」とつっけんどんに答えました。
 Hさんは、(ひとが親切でいっているのに、なんだ、この女は)と向かっ腹を立てて部屋に引っ込みました。

 しかし、こたつに入っていても震えがくるような極寒の夜です。やはりその女性が気になります。そこで彼は、座布団を出して「じゃあ、せめてこれを敷いていなさい」といって、返事も聞かずに部屋に引っ込みました。
「綿がはみ出したような汚い座布団だったけど、たたきの上にじかに座るよりはましだと思ってね」

 朝9時過ぎ、目が覚めて出社しようとドアを開けると、女性の姿はなく、2つにきちんと折った座布団の上に、「どうもありがとうございました」と書いた紙切れが載せてありました。

 「つまり、おれはたまたま、1つの恋の終焉に立ち会ったわけさ」
 Hさんは、なぜだか嬉しそうにいいました。

 もう40年も前のことですが、西島三重子の『池上線』を聞くと、いつもこの話を思い出します。

 Hさんの話を聞いてから2、3年後のことです。マスコミへの露出度が高かった某女子大の人気教授(故人)が、ある総合雑誌のエッセイ欄に、これとほとんど同じ話を、「自分の最近の経験」として書いていたのには驚きました。仕事でHさんとつきあいのあった人のようでした。

(上の写真は昭和50年代後半〈1980年代〉まで池上線、目蒲線など東急系で使われた車両)。

(二木紘三)

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コメント

二木さんのうたのサイト、すきです。
仕事場でいつも聞きながら、パソコンをたたいているのですが、 その手が止まり 聞き入ってしまう事がたびたびで・・・。
この「池上線」は何故か、”条件反射”の様に涙があふれてしまい 胸がくるしくなってしまいます
・・当時 夜学生だった私は 学校帰りに時々 彼の部屋をたづねてました。
行く予定ではない日でしたが、食材を買って。 驚かそうと思って。
でも・・・なぜか彼はまだ帰ってなかった。
終電には乗って帰ってくると思い 部屋の前で待ちました。ドカドカと階段を上る音がして でも一緒にハイヒールの音も重なってました。
 4時間も待っていたのに 
なのに・・咄嗟に隣室の洗濯機の陰に身を潜めて 二人がドアを閉めるまで息をころして。
問いただそうか、言ってはっきりしようか、迷って。
 しばし立ちすくんでいましたが まもなく部屋の灯りがきえてしまいました。
「下井草」に住んでいた私は 大田区をどこをどう歩いたのか 
真夜中ひたすら歩き
「久が原」という所から 始発の、池上線で帰ったのでした、人目もはばからずに 涙をこぼしながら。
携帯電話がない時代で もうそれきりです 
ひとつの恋を終わらせました。・・でも 未だに 泣いてしまうのは ひきづっているのでしょうか・・いい思い出です。  
今、私は45歳です。 娘達も私がはじめてこの歌を聞いた頃の歳になり、恋に右往左往している事と思います。  

投稿: 奈央 | 2007年6月10日 (日) 13時22分

この歌が流行する前から、私は池上線の長原駅の近くに住んでいました。 大学の二部(夜学)に学んでいたために夜遅く帰ることが日常でした。 その頃はコンビニなどはまだなく、夜更けに腹がすくと夜遅くまで開いていたフルーツショップによく立ち寄りました。「角のフルーツショップだけが灯りともす夜更けに……」といったあたりを聞くと、三十数年前の長原駅付近の深夜の情景が目に浮かんできます。
先年上京したついでに、三十数年ぶりに池上線で長原に行き、その頃行きつけの店にに寄って、店のマスターと昔話に花を咲かせました。 青春まっただ中の頃の思い出です。

投稿: 田中勝三 | 2007年8月29日 (水) 21時58分

朝日新聞の土曜版のbeの「うたの旅人」に『池上線』が取り上げられたのを読み、当時を懐かしく思い出しました。
私は、二木さんと同じ昭和40年4月から41年3月までの1年間池上線の長原で浪人生活を送りました。
都立高校卒業の年に、父親が転勤になりやむを得ず一年間浪人の下宿生活を送りました。
大田区は高校の学区だったせいもあり、長原も含めて、池上線沿線には高校のクラスメートで浪人仲間も数名おり、また雪谷大塚には親戚がいました。
下宿先にはG社(出版社)勤めの社会人、五反田にあった立正大学の学生、夜学生と私の4名居ました。
私と仲の良かった立正大学の学生さんが、裕次郎や高倉健のレコードをよくかけていたのを思い出します。
初めて親と離れての浪人生活は、辛くもありましたが、懐かしい思い出です。
池上線沿線は、こじんまりとした閑静ないい街だと思います。

投稿: 道郎 | 2008年4月25日 (金) 21時20分

最近のコメントと言う所から。。。今日聞く曲をチョイスする事も良くありますが
道郎サンの所からたどり着きました。
聴いた事のない曲でした。
しかしながら。。。やけに哀しい曲ですねぇ。

投稿: sunday | 2008年4月27日 (日) 07時05分

このうたに出会ったのは32年前、昭和51年のときです。当時NHK-FM「昼の歌謡曲」をタイマ-で録音していたなかに、この「池上線」も偶然収録されていました。西島三重子さんのうたは恋人と別れをテーマとするうたが多いのですが、その中の代表的なうたで、そのころは「のんだくれ」とともに私の好きなうたでした。
このうたを聴いてから、一度池上線に乗ってみたいと思っていたのですが、一昨年、西島さんのデビュ-30周年記念コンサ-ト当日、蒲田から五反田まで電車に乗ってきました。古い電車ではなかったのですが歌詞を思い浮かべながら、「池上線」を再認識しました。この日は、「池上線」とおなじように恋人との別れをうたった「千登勢橋」の歌詞の場所にも行ってきました。目白から千歳橋へ、さらにカテドラ聖マリア大聖堂まで歩いたものでした。千歳橋でデジカメで写真を撮り後見たところ、偶然恋人と思われる若い男女が橋の下を指さしているカットがありました。歌詞では女性が恋人と別れ白いハンカチを都電の線路に落すのですが、この2人はその後どうなったのだろうと写真を見るたび思っています。

投稿: たきやん | 2008年4月30日 (水) 16時43分

「池上線」・・いい歌ですね。
自分も昔からNHK-FMの「昼の歌謡曲」をタイマ-で録音しており、それで西島三重子のこの歌と巡りあいました。
この歌もその後、チェウニが歌って蘇りました。情感のこもったチェウニの歌声がこの歌にピッタリ。それに比べて西島三重子の歌は淡々としていますね。
「池上線」も、近くまで通勤しているので、そのうち一度乗ってみようと思っています。この歌詞のモデルは何駅なのでしょう??

投稿: エムズの片割れ | 2008年5月 5日 (月) 17時25分

池上線が走る・・・・・・このフレーズがこの歌を引き締め
ているようなきがします。勿論全体の詞も感性抜群です。

投稿: M.U | 2008年5月26日 (月) 13時41分

「話す言葉を捜しながら」こうなったら恋も終わりとの事
残念ながら、ウンと答えるしかありません。

投稿: M.U | 2008年9月 4日 (木) 12時44分

なぜかしりませんが大変気にいっています。

投稿: 仲村 ヤストシ | 2008年11月23日 (日) 00時35分

わたしも気にいってます。ムードがいいです。
大好きです。

投稿: よしえ | 2008年11月23日 (日) 00時43分

奈央様

貴方の文章には愛情が有り余っています。西島三重子の詞よりもです。恋愛とは結果はどうであれ一生の想い出ですね。
貴方が生まれた時私は成人式でした。神様お願いだから
若くなる方法を教えて下さい。

投稿: 海道 | 2008年11月26日 (水) 12時51分

奈央さんのコメントと二木さんの思い出がダブります。昭和40年頃、ああ、そうでしたね。貧しかったその頃の学生たちの稚拙でありながら真剣な恋に共感します。

投稿: 菅原 主 | 2008年11月30日 (日) 12時15分

「池上線」を検索していて初めてこのサイトに出会ったのはMIDI歌声喫茶の頃でした。二木さんの「蛇足」文に感動し、以来、すっかりファンになってしまいました。
しばらくアクセスできない時間がありましたが、再開されたときに載っていた奈央さんのコメントが感動的で。
「一緒にハイヒールの音も重なって」
「恋に右往左往している」等のフレーズはまるで文学ですね。人柄のあふれる文章に、聴きながら読みながら涙があふれました。
私も、池上線沿線に住んでいる女性と付き合ったことがあります。短い期間でしたが、訳あって別れてしまいました。今はもう「池上線」には行きません。
人それぞれの人生に、歌は思い出となって残るのでしょうね。

投稿: 健児 | 2009年2月10日 (火) 02時33分

青春の哀しみに溢れた名曲ですね。こんな悲しいけれどロマンチックな経験はむしろ今となっては自分の宝物となることでしょう。

こんな経験をして人は成長していくんだけれど、反面、退歩していくんですよね。

西島三重子の歌に「千歳橋」が出てくる曲がありましたが、私はそのすぐそばに住んでいたものですから、それも大好きです。
         

投稿: 吟二 | 2009年6月20日 (土) 20時41分

このような経験をしたら人は成長しこそすれ、退歩するとは思いたくありません。千登勢橋だと思います。

投稿: 海道 | 2009年6月21日 (日) 11時30分

もうすぐ50半ばになろうとしています。
振り返ってみると、人生の節目節目でその時の思い出となる歌が何曲かあるものですね。
先日、BS朝日 うたの旅人で池上線を懐かしく聴き、当時のことが思い出されました。
学校を卒業した昭和51年の春、東京の会社に就職しました。
会社の寮の裏手にスナックがあり、ジュークボックス(懐かしいですね)が置いてありました。
地方から一人東京に出て来て不安と希望が入り混じったあの頃、コインを入れてよく聞いていたのが池上線でした。
半年前にまだ学生の彼女と別れた自分にとって、歌詞の内容がとても心に響き何度も何度も聞いていました。
その後、その会社もやめ地元に帰り、結婚もし子供も成人し三十数年が経ちました。
昨年、東京出張の帰りにふと思い出し寮とスナックのあった場所へ立ち寄ってみましたが、予想どおりそこには大きなビルとマンションが建っていました。
でも、歌と一緒に当時の風景は自分の心の中で今も輝いています。
池上線 ・・・・・・ 自分の人生にとって大切な宝物のような歌です。

投稿: 文佳 | 2009年8月10日 (月) 20時22分

今日、数人の女性たちと喫茶店で話していて、「池上線」という歌があるけどいいよ」と言ったら、34年前の歌なのに、中の一人が「私も大好き」と言って「古い電車のドアのそば…」と即座に歌ったのには驚きました。昔の歌なのに間髪をいれずすぐ最初の歌詞が出るというのは、本当に好きなんでしょうね。

同じ西島三重子の「千登勢橋」や「目白通り」、あさみちゆきの「鮨屋で…」「井の頭線」「聖橋で」、NSPの「面影橋」などもいいですね。特に「聖橋で」は、阿久 悠があさみちのために書き下ろしたものだそうで、若いころの経験が入っているとのことですが、ほんとにいい歌です。泣けてしまいます。
二木先生のこのサイトで、上記のうち、何か取り上げていただけたら嬉しいです。

投稿: 吟二 | 2010年6月 4日 (金) 22時10分

またまた、うた物語を さまよい歩いていました。
   何時間 ? ? ?

大好きな「池上線」をききながら、コメントを眺めておりましたがーーー、吟二 様が、「聖橋で」という言葉を使われておられました。もちろん、曲がよいということを記されているのです(僕も同感です)が、

この、うた物語を楽しませていただくようになってから、初めて、「聖橋」が東京の東大病院近くにある橋だということを知ったのでした。(関東生まれではなく、有名な橋の名も知らなかったーーということです。)

 それは、「川は流れる」の一番最初にコメントされた篠崎信夫様の、

 「東大病院に通う折、時に聖橋から川を見つめている若い女性に会うことがあります。
そして、この歌が思い起こされ、言い知れない思いが心をよぎります。」

    という文章からでした。

 わくらばが川面に浮かび流れゆく風景と、それを一人佇み 聖橋から見つめている若い女性

 この情景と、 篠崎様ご自身の思い(勝手な推測です、申し訳ありません。)が強くシンクロされてくるのです。

 一人では、背負いきれないほどの不条理をあたえられてしまったらーーー  人は強いものではありません。一人では生きられないのですよね。心からの助けがいるのですよね。

  篠崎様も 不特定の橋の上の若い女性も、どうされているのだろうと居た堪れなくなってしまいます。

  - - - - - - -

 「川は流れる」は、涙 流さずには歌えない曲となってしまいました。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2010年9月19日 (日) 00時39分

長原、懐かしい駅名が挙げられているのを拝見し、投稿させて頂くことにしました。
私も、昭和37年から42年まで約5年間を、長原駅近くで過ごしました。小学2年から6年まで、商店街をとおり、三菱銀行(当時)のところから坂を下った途中のところに自宅がありました。二木先生をはじめ、長原にお住まいだった皆様とは当時どこかですれ違っていたかも知れませんね。
今の長原駅は地下になってしまいましたが、当時の駅は地上にあり、駅を出たところに踏切がありました。
西島さんの池上線は、私が大学生の時に聞きすぐに大好きになった曲ですが、この曲を初めて聞いたときに私の頭に受かんだのが、(洗足池でも雪が谷大塚でもなく)長原駅、そして長原の商店街のフルーツショップに明かりが灯っている光景だったんです。長原に住んでいた当時、私はまだ小学生だったので、夜更けにフルーツショップだけに明かりが灯っているところを見たことがあるとは思えないのですが。
実際に池上線の舞台となった駅は何処なんでしょうね。
余談ですが、池上線の五反田駅は目黒川を見下ろす非常に高い位置に作られています。ですから、北風が強いときにはドアから隙間風が入ってきて非常に寒いのではないかと思います。
そんな訳で、私の中のイメージの中では、「二人」は五反田から池上線に乗り、いくつもの駅を過ぎた後、長原駅で「終電時刻を確かめて」下車したということになります(笑)

因みに、野口五郎の名曲「私鉄沿線」を聞いたときには、長原は私の頭には浮かびませんでした。これもモデルは何処なんですかね。
くだらないことを長々と書いてしまいました。雑文お許しください。

投稿: 塞翁が馬 | 2012年6月 3日 (日) 00時41分

最近テレビで「あさみ ちゆき」を見かけますが、残念なことに自分の持ち歌は歌わせてもらえていません。「聖橋で」「鮨屋で・・・」「井の頭線」先生がアップして下さるのを待つかテレビで歌われるのを待つか・・・・・。

投稿: 海道 | 2012年6月 4日 (月) 07時42分

私の地元長野には、この曲のイメージにピッタリな上田電鉄別所線という私鉄線があるのですが、電車はみんな東急池上線のお下がりで東急の系列会社でもあるので「東急」別所線と呼んでいます(ちなみに近くのバスにも東急のお下がりがいますが、偶然にも池上営業所のがいます)

別所線も池上線同様に、銀色の電車がゆっくりとしたスピードで住宅地を縫って走る区間があったり、風情のある駅があったりとなかなか魅力的な路線です。
なので別所線に乗る際はいつも、この曲を思い出しながら乗っています。

投稿: 貴ちゃん | 2013年2月23日 (土) 15時57分

先日ある会合で食事した後、数人でカラオケに行きました。中にちょっと私好みの女性がいました。私は「雨のミッドナイトステイション」(レーモンド松屋)、「「弟よ」(内藤やす子)、「池上線」などを歌いました。彼女は「みんな私は好き」と言いました。

私が71歳だというとびっくりして、「私と同じくらいと思った。だって感覚が私と同じだと思ったから」と言いました。帰り道、彼女は私に「実は私、『池上線』には強い思い入れがあるの。実際に同じ体験をしたことがあるから」とささやき、遠い目をしました。彼女は61歳くらいと推察します。たくさんの人に良き昭和の青春を思いださせる歌だと思います

投稿: 吟二 | 2013年9月15日 (日) 12時56分

敬老の日のカラオケ大会で、「暁に祈る」を唄う。新しい演歌が、多い中での、場違いな戦時歌謡は、余り歓迎されないようだが、こんな時代だからこそ、唄いたい。軍国主義復活かと心配する人もいるが、そんなのではなく、勇ましい軍歌の中に潜んでいる戦いを悲しむ心を、感じ、歴史から平和を学びたい!昭和の庶民史を語る会、13・09・16

投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2013年9月16日 (月) 11時14分

↑『池上線』は演歌ではなく、フォークですが……。

投稿: コマツ | 2013年9月16日 (月) 11時52分

40年以上も前のこと。Mが池上線の荏原中延で暮らしていた。ある日「母親の面倒をみないといけないから今日、諏訪に帰ります」と電話があった。会社を早退し、五反田から池上線に乗った。荏原中延駅は乗ってきた車両がホームを出発してから踏切を通って改札に行くようになっていた。改札を出ると数歩前を彼女が歩いていた。うしろから「一緒の電車だった?」と声をかけた。振り向いて、黙ったままみつめた。それから1年ほどして結婚した。結婚するまでどのくらい池上線を利用したことだろう。
その後30年、別の地区で暮らしたため池上線に乗車したことはなかった。Mは49歳で病没した。一人娘に「お母さんと池上線に乗ってね、洗足池でよくボートをこいだことがある」と当時の写真を眺めながら話すこともある。わたしたちにとって荏原周辺は聖地に思える。いまも思い出してはときどき荏原中延に下車する。「池上線」の歌を聴くたびに当時のすべてが蘇る。

投稿: sin | 2014年6月 1日 (日) 11時03分

sinさん

悲しくもロマンチックな思い出ですね。涙がこぼれそうになりました。この「池上線」はたくさんの方の甘酸っぱい青春、あの頃を思い出させてくれるようです。私の知人の女性も「あの歌とそっくりな経験をしたの」と言って遠い眼をしました。

投稿: 吟二 | 2014年6月 7日 (土) 21時28分

大好きな歌です。西島さんの哀愁のある声が心に染みいるようで、最近は毎日聞きいっています。

人生も青春も短いですね。私はロマンチックに女性と触れ合う機会もなく時はむなしく過ぎ去ってしまいました。

才も芸も度胸もなく背も低く吹けば飛ぶような会社に勤めていた私には女性に声をかける勇気もありませんでした。

大手の都銀に出向し、事務のお手伝いをしていたある日、結婚退職される女性が職場で最後の挨拶廻りをされていました。
もちろん挨拶は職場の全員にではありません。私は銀行の正社員ではありませんでしたし、普段彼女と仕事をご一緒することもなかった間柄でしたから、私に挨拶に来られることはないと思い、目も合わせず、顔も向けないようにしていました。

しかし、その彼女が私に挨拶に来られたのです。そしてなにかを言いたそうにされ、なかなか去ろうとされないのです。

そして発されました。
「あなたが好きって言ってる娘、いるわよ。」

「えっー!」驚きました。こんなこと突然言われても返せる言葉はありません。

彼女はさらに追及してきました。
「今、付き合っている娘、いるの?・・・」、
「えっ、ま、まぁ・・」と私はしどろもどろです。

彼女はしばらくの間、私の表情を窺っていたようでしたが・・・、あきらめたようでした。
そして、「さようなら」と言いました。

私は、「お幸せに、さようなら・・・」と返しました。

以来、40年、時々思い出します。
僕のことを好きって思っていてくれた娘さんって誰だったのだろう、と・・・。

当時銀行の事務センターに勤めていた可愛らしい二十歳前後のたくさんの娘さんたちの顔が脳裏に浮かびます。

あの時は動転してしまいましたが、今だったら、彼女を抱きしめたい、と思います。彼女は、自分の思いを私に伝えるために、そして、職場にその痕跡を残さないために、結婚して退職され、いなくなる方にそれを託されたのですね。

今となっては全てが謎に埋もれてしまいました。時間よ戻れ!と言いたいです。

つまらない私の青春です。
池上線のロマンとは比べるべくもありません。

投稿: yoko | 2014年6月12日 (木) 23時11分

yoko様 ほのぼのとするお話ですね。貴方を好きだったのは間違いなく結婚退職したその娘さんだったと思います。淡い恋心を抱いておられたのでしょうね。告白する機会もなく別れ、モテたことがないとおっしゃる方は沢山居られます。通学途中、毎朝同じ時間にすれ違っていた素敵な人、彼は私の憧れだったなんて知りません。その人ではない人が58年ぶりに我が家に用事があってこられ、高校生の頃、毎朝私を見つめてくれていたと告白してくださいました。残念ながら私は全くその人を覚えていませんでした。人生は面白いものですね。会った時がっかりされないようにあまり汚い老人にならないよう頑張りましょうね。


投稿: ハコベの花 | 2014年6月13日 (金) 12時54分

 わたしが、初めて池上線の電車に乗ったのは、大学を卒業して上京した昭和35年のことです。都内北区の、さる出版社の編集部に勤めたのですが、そこでの最初の出張(外出)が原稿を受け取りに行くことでした。受取先は池上線沿線にお住まいの、当時心理学では高名なM教授のお宅でした。教授のお住まいは、池上線の久ケ原駅からさほど遠くない高台にあったように記憶しています。無事教授宅に着き、原稿をいただいたのですが、そのとき教授の発したことばが、今でも耳に残っています。「わたしの今の稼ぎは、1時間〇〇円になるんです」。その額を聞いて、わたしは驚愕し、同時にその教授の品性を疑いました。〇〇円に入る数字は、わたしが月々もらう初任給の半分を超える額だったのです。教授はなぜこのようなことを言われたのか。二木様の《蛇足》にもありますが、わたしの出版社も原稿料は安かったので、思わず出た教授の愚痴だったのかも知れません。また、人間誰しも偉くなると自慢したがるものです。心理学者と言えども例外ではなく、一介の新入部員にまで自分を誇示したかったのでしょう。人間の品性は、その人の有名度とは無関係である。これが、わたしが社会人になって、初めに得た人生訓です。
 この歌のように、池上線について、甘美な、ロマンチックな出来事を期待して、このコメントを読んだ方はがっかりされたことでしょう。期待を裏切るような、つまらないコメントになったことをお詫び申し上げます。

投稿: ひろし | 2014年6月13日 (金) 14時38分

yokoさま
 じつに興味深い話です。だれにも似たような思いがあるからでしょう。
「えっ、僕のこと好きだったの」と最後の場面でわかったりすると、なやましい気持ちが、いつまでも尾を引く。
女は割り切るのが早いけど、男はその点、だらしがない。
好意を持っていたのは、職場のどの娘だったのかと、私も、感情移入してしました。
 
 ハコベの花さまのご意見は意外でした。
「好きな娘とは、問いかけた本人」
いやあ、よく考えるとそうだと思えてくる。
「しばらく(yokoさまの)表情を窺っていた」ですから・・。
 少なくとも、そう考える方が、ストーリーとしては、ひねりがあるというか、おちがあります。
 しかし、結婚のきまった女性でしょ。怖いな~。
私に言わせれば、そのまま「知らぬが仏」にしておいてほしかった。「あんたは人騒がせな女」・・です。

投稿: 紅孔雀 | 2014年6月13日 (金) 17時00分

紅孔雀様 女は割り切るのが早いと仰いますが、実は女のほうが割り切れないでいます。私はあと十年の命としたら、何をやっておきたいか考えました。その時私が一番好きだった人に思い切り強く抱きしめて貰ってからこの世を去りたいと思いました。ただ見つめるだけで終わってしまった美しい人です。周りの人に話したら男性は「わかる!」と言いますね。まあ、ありえない事なのですが私の夢でもあります。yokoさんその女性もそう思っておられるかも知れません。女は怖いですか。いいえ、男性より純粋なのですよ。

投稿: ハコベの花 | 2014年6月13日 (金) 22時15分

ハコベの花様、ありがとうございます。
そうだと嬉しいですね。その可能性もある、と思います。

私も彼女に仄かな好意を感じていたのは確かです。ですから彼女が結婚すると聞いた時はショックでした。退職の挨拶で彼女が席を廻っている時、私は彼女の挨拶を避けるため、席を離れていました。義理のついでの挨拶なんてしてもらいたくなかったのです。しかし、彼女は離れていた私を見つけてわざわざ挨拶しに来ました。驚きました。でも少し嬉しかった。おかげで周りに人のいる席ではできない内密な話もできました。

彼女と話したのはその時が最初で最後です。

何を話したかって?

「お相手は銀行員ですか?」と僕は彼女に訊ねました。

* 銀行員は給料も良いからやはり銀行員でしょうね?と言うのが口には出さない僕のひねくれた気持ちでした。

彼女は、違う、違う、と首を振って否定しました。

「ここの女の子たちは皆、銀行員とは結婚したくないっ、て言ってるわよ」、と彼女は応えました。

そして、「あなたが好きって言っている娘がいるわよ」、
と彼女は言って、沈黙しました。

* その娘の名前を知りたい?、というのがおそらく彼女の催促だったのでしょう。

* 僕は動揺しました。しかし、”聞くものか、好きなのはあなたですよ”、というのが僕の気持ちでした。

もっと話したと思うのですがもう思い出せません。もう40年も経ってしまいましたから・・・。

昭和47年、大阪はかっての某大手都市銀行事務センターでした。
池上線ならぬ地下鉄御堂筋線で通勤してました。

当時の皆さんお元気にしてらっしゃるでしょうか?
お会いしたいなぁ、と思います。
脳裏に浮かぶ女性の皆さん、美しいです。

ハコベの花様のお言葉、ありがたいです。
汚い老人にならないように頑張ります。

投稿: yoko | 2014年6月13日 (金) 23時36分

 映画『秋刀魚の味』(1962.小津安二郎監督)に池上線の石川台駅がでてきます。
 岩下志摩が、父の用事を仰せつかって兄の佐田啓二(妻 岡田茉莉子)の住む団地を訪ねます。
その帰り、兄の会社の同僚と二人で、石川台駅のホームに立つ。若き日の岩下志摩の和服姿がすらりと美しい。
しばらくすると五反田方面行きの電車がゆっくり入ってくる。じつにのどかなシーンです。
50年以上昔のホームの風景ですから、今はすっかり変わっているでしょう。
一度も乗ったことのない池上線ですが、今度上京した時、寄ってみたいとおもいます。
 小津監督は、ホームに男と女が立って、電車が入ってくるのを待つというシーンがよほど好きみたいです。
 『晩春』(1949)では笠智衆、原節子、『お早う』(1959)では佐田啓二、久我美子を駅のホームに立たせてます。たしかに構図的に美しいなあと素人ながらおもいます。

投稿: 越村 南 | 2014年8月19日 (火) 12時34分

1976年リリースと言うと、長原駅を最寄りとする出版社を管理人さんが退職されてからずいぶんあとになるわけですね。おそらくその同じ会社の編集局に私はそのころまだ勤めていました。70万枚売ったヒット曲とのことですが私は知りませんでした。演歌が耳に届かない時期というのが人の生涯にあるとすれば、私の1970年代はそういう時代だったようです。「昔は1年に一つや二つはいいなあ、と耳をそばだてる歌があったものだが、近頃は少しもないな」などと周囲に述懐したのもそのころでした。わずかに<耳に入った>のは野坂昭如『黒の舟歌』とあがた森魚『赤色エレジー』で、それだけがコンパでは私の持ち歌でしたが、実は歌がないのではなかった。近頃、素敵な歌の多くが70年代に出ていたと知りました。ラジオ深夜便で『学生街の喫茶店』を聴いて、こんな歌があったかと目を回したのも、つい数年前のことです。『神田川』も同じく。『学生街〜』は探し回ったけれどガロの盤は見つからないままです。歌は子供の頃から好き、少年時代は軍国歌謡を片っ端から覚え、青年時代は山の歌やロシア民謡ソビエト歌曲も大方は口ずさみ、そうして今になっても寮歌祭に隣県まで出かけたりしているのに。・・・この『池上線』で改めて私のエアポケットを振り返っている次第です。

投稿: dorule | 2014年8月21日 (木) 14時28分

昭和51年というと、仕事がもっとも忙しい年だったので、この歌はよく知りませんでした。いま、しびれるような気持ちで聞いています。昭和を代表する名曲です。私は昭和30年代後半の東京郊外の情景が浮かんできます。

投稿: yamachan | 2016年10月11日 (火) 21時57分

二木先生のコメントから一編の小説ができそうですね。
~Hさんの話を聞いてから2、3年後のことです。マスコミへの露出度が高かった某女子大の人気教授(故人)が、ある総合雑誌のエッセイ欄に、これとほとんど同じ話を、「自分の最近の経験」として書いていたのには驚きました。仕事でHさんとつきあいのあった人のようでした」


私はこの歌をリアルタイムでは聞いたことがありませんでした。5歳と4歳の子供に姑を加えた5人家族で流れるように過ぎていました。後年、朝日新聞の「歌の旅人」を読んでも何も感じませんでした。「取り上げる程の歌なの」という感想でした。今しがた ユーチューブで聴いて涙が溢れました。きっとあるはずと~二木先生のところにすぐ参りました。名曲にして泣ける歌なのですね。すぐに感情移入して主人公になれました。

投稿: りんご | 2017年7月18日 (火) 08時51分

追記
私も前コメントの補足です。
 二木先生の蛇足から一編の小説は~歌に描かれた男女間のことではなく。逸話を寸借した人間を主人公にした物語です。「解体新書」の杉田玄白を連想するのは飛躍しすぎでしょうか。

投稿: りんご | 2017年7月18日 (火) 21時32分

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