« 夜のプラットホーム | トップページ | 北帰行 »

浜辺の歌

(C) Sequenced by 二木紘三
・サウンドの停止・再開は、スピーカー型アイコンをクリックしてください。
・サウンドが再生されない場合は、Flash Playerをインストールしてください。

作詞:林古渓、作曲:成田為三

1 あした浜辺をさまよえば
  昔のことぞ しのばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  寄する波も 貝の色も

2 ゆうべ浜辺をもとおれば
  昔の人ぞ しのばるる
  寄する波よ 返す波よ
  月の色も 星のかげも

3 疾風(はやち)たちまち波を吹き
  赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし
  病みし我はすでにいえて
  浜辺の真砂(まさご) まなごいまは

《蛇足》

初出は東京音楽学校の校友会誌

 まず、この歌の成立過程を見てみましょう。
 林古渓の詩は、大正2年
(1913)、東京音楽学校(東京芸大音楽学部の前身)の校友会誌『音楽』の8月号(第4巻第8号)に発表されました。タイトルは『浜辺の歌』ではなく、『はまべ』となっており、末尾に「作曲用試作」という註がついています。

 また、曲は大正5年(1916)、東京音楽学校の生徒だった成田為三(22歳)によって作られました。前記校友会誌を主宰していた牛山充に古渓の詩を勧められたといいます。

 大正5年(1916)ごろ、成田為三は、自作の手書き楽譜に「いとしの正子にささぐ」と付記して、東京音楽学校の後輩・矢田部(旧姓は倉辻)正子に贈ったという話が伝わっています。
 しかし、この恋は実らず、楽譜は、「私には決まった人がいます」という手紙とともに送り返されてきたそうです
(『読売新聞』2006年7月16日朝刊)。

 成田為三の曲は、流麗かつ叙情的で、現在も多くの日本人に愛唱され、日本を代表する歌の1つとして外国で演奏されることも多い名曲です。
 その名曲を生んだ古渓の詩が名作であることはいうまでもありません。ただ、古渓の詩は、発表当時からある不運にとりつかれていました。古渓にとっては、残念なことだと思われます。

 初出の歌詞を見てみましょう。

あした はまべを さまよへば、
むかしの ことぞ しのばるる。
かぜの おとよ、くもの さまよ。
よするなみも、かひの いろも。

ゆふべ はまべを もとほれば、
むかしの ひとぞ しのばるる。
よする なみよ、かへす なみよ。
つきのいろも ほしの かげも。

はやち たちまち なみを ふき、
赤裳の すそぞ ぬれもひぢし。
やみし われは すでに いえて、
はまべの真砂(マナゴ) まなご いまは。

 通常は、初出が原詩として扱われるのですが、この歌については、そうはなりません。3番の歌詞が古渓の原稿とは違っているのです。

 鮎川哲也編『唱歌のふるさと 旅愁』(音楽之友社 平成5年〈1993〉)に古渓の子息・林大へのインタビュー記事が載っています。そこで彼はこう語っています。

「(初出雑誌に発表されたとき)歌詞の三番の前半と四番がくっつけられていまして、これでは意味がとおらん、とおやじは言っていました。後にセノオ楽譜から出版されたのですが、版権なんかは無視された時代ですから、おやじのもとには連絡もきません。いつだったかおやじに、思い出したらどうかと言いましたら、忘れちゃったよ、という返事でしたがね」

 実際、3番を見ると、前2行と後2行の内容には飛躍があり、不自然な感じがします。
 もう1つの問題は、最後の行で「真砂
(マナゴ) まなご」と同語を繰り返していることです。ここでトートロジー(同語反復)を使う必然性はまったくないし、それを使うことによって、1番・2番との修辞上の整合性がくずれています。明らかに編集者の誤記です。

 このように、作者に断りもなく詩や文章を改編してしまうことは、現代ではほとんど考えられません。当時の著作権意識の希薄さがうかがい知れます。
 また、学友会誌というアマチュア雑誌だったこともあって、校閲作業もほとんど行われなかったと思われます。

 ここで、歌詞の意味について、少し見ておきましょう。

 2番の「もとほる(もとおる)」は、回る、めぐる、歩き回るという意味、同じく「星のかげ」の「かげ(影)」は光という意味。
 3番の「はやち」は疾風(はやて)で、「ち」は東風(こち)の「ち」と同様、古い日本語で風を意味します。
「赤裳」は赤い着物。
「ぬれもひじし」は「濡れ漬つ」という複合動詞の間に、意味を強める係助詞「も」を挟んだもの。「漬つ
(ひつ)」は、「沾つ」とも書き、水につかる、濡れるという意味。
 末尾の「し」は、過去を示す助動詞「き「の連体形。「すそぞ ぬれもひぢし」で、裾がすっかり濡れてしまったという意味の係り結び。
「真砂」は、一般にはマサゴと読み、細かい砂を示します。次の「まなご」も同じ意味。
「まなご」には愛子という意味もあります。4番が消失してしまったのでわかりませんが、古渓は「まなご」に真砂と愛子の2つの意味を掛けていた可能性があります。

セノオ楽譜版における誤記

 さて、古渓の詩にはもう1つ不運が重なります。これも、著作権意識の希薄さや校閲の不在、言葉に対する無頓着さが原因となって起こった不運といってよいでしょう。

 大正7年(1918)、『セノオ楽譜』という音楽出版社からこの歌の楽譜が出版されました(発行日は10月1日)。歌のタイトルは『浜辺の歌』となっており、表紙には竹久夢二の装画がついていました。
 この歌が広く歌われるようになったのは、これ以降のことです。

 セノオ楽譜版では、歌詞は次のようになっています。

一、あした浜辺をさまよへば
   昔のことぞしのばるゝ。
   風よ音よ、雲のさまよ、
   よする波もかひの色も。

二、ゆふべ浜辺をもとほれば、
   昔の人ぞ、忍ばるゝ。
   寄する波よ、かへす波よ、
   月の色も、星のかげも。

三、はやちたちまち波を吹き、
   赤裳(あかも)のすそぞぬれもせじ。
   やみし我はすべていえて、
   浜辺の真砂(まさご)まなごいまは。

 初出版と比べると、(1)1番の「風の音よ」が「風よ音よ」に、(2)3番の「ぬれもひぢし」が「ぬれもせじ」に、(3)「すでにいえて」が「すべていえて」に、(4)「真砂(マナゴ) まなご」が「真砂(まさご)まなご」に変わっています。
 この4点について検証してみましょう。

(1)「風よ音よ」では意味が通じません。これは明らかに誤記です。

(2)「疾風が急に波を吹き上げた」といっているのに、「着物の裾がまったく濡れなかった」では、意味が通りません。
 この部分は1番・2番とも5音なのに、3番だけ「ぬれもひぢし」と6音で、音符と合いません。そこで1音削って「ぬれもひぢ」としたところ、意味がよくわからなかったので、「ぬれもせじ」に直したと推測されます。

(3)「すべていえて」の「すべて」には「すっかり」という意味はありません。「全部、残らずみんな」という意味ですから、「すべていえて」では、「いくつもの病気を患っていたが、それらが全部治って」という意味になります。「全快して」という意味なら、初出どおり「すでにいえて」でなくてはなりません。これも誤記でしょう。

(4)「真砂(まさご)まなご」と変えたのは、単に、真砂はマナゴよりマサゴと読むのが一般的だったからでしょう。(1)~(3)のいいかげんさから考えると、修辞について配慮した結果だとは思えません。

ヴァリアント(異本)はこうしてできた

 そこで、だれがこのように誤記したかですが、これを推測するヒントがあります。
 畑中良輔監修・塚田佳男選曲構成・黒沢弘光解説『日本名歌百選 詩の分析と解釈1』
(音楽之友社 平成10年〈1998 〉)に、セノオ楽譜版に古渓が書き込みをした写真が掲載されています。
 このセノオ楽譜版は昭和13年
(1938)11月10日発行の第13版ですが、歌詞は初版と同じです。

 その写真では、欄外に「歌詞ノ誤りハ作曲者の誤也 古渓」とあります。古渓はまた、3番を次のように訂正しています。

三、はやちたちまち波を吹き、
   あかも赤裳のすそ[ぞぬれもせじ。→のぬれもひぢし。]
   やみし我は[すべて→すでに]いえて、
   浜辺の真砂
(まさご)まなごいまは。

 これからも、「すでにいえて」「真砂(まさご)まなご」が正しいとわかります。
 いっぽう、「すそぞ ぬれもひぢし」を「すその ぬれもひぢし」とした古渓の意図はよくわかりません。係助詞「ぞ」を格助詞「の」に変えると、係り結びが解かれるわけですから、末尾の助動詞を終止形にして、「ぬれもひぢき」とすべきだと思うのですが。

 欄外には「四」という書き込みもありますが、それに続く書き込みはありません。おそらく4番を復元しようとしたものの、思い出せずに断念したものでしょう。

 また、古渓は1番の「風よ音よ」は訂正していませんが、それを認めたわけではなく、3番の訂正や4番の復元に気をとられて見落としたものと推測されます。

 こう見てくると、セノオ楽譜版で誤記したのは作曲者ということになりそうですが、必ずしもそうとは言いきれません。
 作曲者は初出版どおりに書いたのに、版元が印刷原稿を作る際に誤記したという可能性もあります。また、両者のミスが重なったということもありえます。

 はっきりしていることは、版元が原稿かゲラを作詞者に見せていれば、こうしたミスはほぼ防げたということです。同じことは初出版についても言えます。
 セノオ楽譜版初版の奥付に掲載されている刊行の辞を見ると、成田為三について記述されているだけで、林古渓についてはまったく触れられていません。前述した林大のインタビュー記事からも、版元が林古渓に連絡しなかったことははっきりしています。

 以上見てきたように、初出版とセノオ楽譜版の2つの流れからヴァリアントができてしまったわけです。
 3番についてはさらに、「ぬれもひぢし」から係助詞「も」が削られました。いつ、だれが削ったのかわかりませんが、削った理由はわかります。6音では歌いにくいし、意味の強調は係り結びで行われているので、「も」を削ってもその効果はほとんど変わらないからでしょう。

 いずれにしても、林古渓が3番に不満を感じていたことは明らかです。そこで、作詞者の意向を体すると、1番と2番だけが正本ということになります。
 3番まで入れている曲集も少なくありませんが、3番が入ったとしても、この曲の価値は損なわれません。林古渓ももって瞑すべし、といってよいのではないでしょうか。

(二木紘三)

|

« 夜のプラットホーム | トップページ | 北帰行 »

コメント

 毎日、todo氏の音楽喫茶を拝聴しております。
 小生の年齢と重なりまして、先生制作の
「歌声喫茶」全曲のCDなどおありでしたら、是非入手したいので、よかったら御教示頂ければ幸いです。
 敬具。

投稿: じぃさんです。 | 2007年3月29日 (木) 21時42分

 中学2年の頃、この歌を学校で習いました。その夏だったか、臨海学校で千葉県の岩井海水浴場に行きました。ほとんどが男子生徒でしたが、夕方になって何人かと海岸を散歩した時、この「浜辺の歌」を口ずさんだことを思い出します。
 同じ中学の女子生徒にほのかな憧れを抱いていたので、彼女を思い浮かべながら歌っていました。
 成田為三が「いとしの正子にささぐ」と付記して楽譜を矢田部正子さんに贈ったという話は、読売新聞の記事で知って早速、二木さんに“ご注進”したことを懐かしく思います。
 したがって、この歌は自分にとって「恋歌」のように思えますが、歌詞は叙景的で日本の海辺の美しさを歌っているように感じます。 二木さんの解説にもあるように、この曲は流麗かつ叙情的で、日本を代表する名曲の一つだと思います。


投稿: 矢嶋武弘 | 2008年3月16日 (日) 12時15分

解説にも登場する鮎川哲也は、1969年、この「浜辺の歌」
三番をモチーフにして、長編ミステリー「鍵孔のない扉」を
書き下ろしています。

気位の高いソプラノ歌手と、その夫の伴奏ピアニストが
三番の第一節が「早やたちまち」か「はやちたちまち」
かで口論となり、やがて不倫→別居、それが事件の
発端となるという筋立てでした。

現実に「早やたちまち」と歌っているレコードがあったのか、
それとも完全なフィクションかは分かりませんが、
いかにも、音楽に造詣が深かったこの作家らしい
発想と思います。

投稿: 若輩 | 2008年7月 6日 (日) 02時51分

外国でも評価の高いこの名曲の詞に、いろいろとすっきりしないことがあったのをはじめて知りました。
また、三番は現在でも本によって異なっていることもはじめて知りました。
二木先生の説明は説得力があって納得はしているのですが、ただ標記の歌詞(三番の2行目)を「赤裳のすそぞぬれひじし」とされたのか。
先生の仰言るとおり、「赤裳のすそぞぬれもひぢし」でいいと思うのですが。

投稿: 周坊 | 2008年7月 6日 (日) 17時47分

   秋の浜諸(もろ)貝殻の散らばれり  (拙句)
 この歌に、季節はいつということはないけれど。秋にこそじっくり聴きたくなる歌です。「寄する波 返す波」の波音が聴こえてきそうです。
 「1/f ゆらぎ」の、心地良い自然界の音声(おんじょう)が。
                          *
 思えば、我が国で欧米式の海水浴場が出来たのは、いつ頃からだったのでしょう。気になって調べてみました。何と明治18年には既に、神奈川県大磯の海岸に我が国最初の海水浴場が開設されたのだそうです。以来各地の名勝といわれる浜辺ほど我先にと海水浴場に様変わりし、シーズンには人が大勢押し寄せ…。
 またそれ以外にも。日本列島の海岸線は、海伝いの鉄道や道路、港湾施設、工業地帯、リゾート施設、護岸コンクリートなどでどんどん人工化され…。
 例えば『朧月夜』が失われつつある田園的原風景の歌なら、『浜辺の歌』は失われつつある浜辺の原風景の歌なのでしょう。
 こうして、すっかり変貌を遂げた海辺の風景と、往時を偲ばせるこの叙情歌の名曲のみが、今私たちに残されました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年9月12日 (金) 18時23分

 現在習っている、ある習字の手本に「浜辺の歌」が使われたのですが、「あした浜辺をさまよえば、昔のことぞ忍ばるる」となっていました。そこで、ほとんどの辞書が「忍ぶ」と「偲ぶ」は明確に区別しており、この場合、「忍ばるる」は間違いではないかと質問したところ、編集部の方から、原作者は「忍」を使っており、市販の図書も「忍ばるる」か「しのばるる」となっているので、「忍ばるる」としました、との回答でした。
 本当に林古渓さんは「忍」を使ったのでしょうか?編集部の回答に納得がいかなかったのでお教えくだされば幸甚です。
 また、なぜ「忍ばるる」という間違いと思われる歌詞が使われている歌集があるのでしょうか。

投稿: 高木建二 | 2008年10月 9日 (木) 19時33分

高木建二様
 「原作者が『忍ばるる』と書いている」という編集部の答えは正確ではありません。上の「蛇足」をもう一度お読みください。簡単に言えば、大正7年にセノオ楽譜という出版社がこの楽譜を出版した際に、「誰か」が「忍ばるる」と誤記し、以後それが定着してしまったのです。
 なお、戦前は当て字に対して一般にかなり寛容でした。夏目漱石の作品(原稿)などは、当て字・誤字の宝庫といわれています。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年10月10日 (金) 00時33分

この歌を教わったのは50年ほど昔の話ですが、何故か国語の授業でのことだったようなあいまいな記憶があります。
 借景とか本歌どりとかいう雑談脱線話の思い出です。
 先日掲載されたグリーングラスへ寄せられた多くのコメントにも感じたことですが、ちょっと世代が違うだけで歌の意味がまるで伝わらないことがあると知り、一種、驚きに似た感慨を持ちました。
 メロディラインの美しさが世代を超えた共感を錯覚させるのでしょうか。

投稿: 成瀬 | 2008年10月11日 (土) 22時38分

ずーと以前外国の音楽関連の方々からの、「荒城の月」と「浜辺の歌」の特にメロディラインがすばらしいと絶賛された記事を見た記憶があり、そして毎年3~4月のドイツ<ハイデルベルクの春>に於ける『ハイデルベルク音楽祭』では、必ず「浜辺の歌」を演奏するそうですが、それらの経緯等ご存知の方は教えて下さい。

 2曲共スイングのメディアムテンポで、特にブラシ(ドラム)とベースを効かしての演奏は、ウットリするのは私だけでしょうか?

投稿: 尾谷 光紀 | 2008年12月26日 (金) 10時52分

浜辺の歌に3番があったことに驚き、またその3番の歌詞が私の経験したことと重ねあって感動しています。入院中にふと海岸に出て朝の浜辺を散歩してたときにこの歌が自然にでて、いっそうこの歌が好きになって、でもそれから色々あって、わが娘とはあまり会えない状況にあります。

投稿: 小林 純一 | 2009年6月13日 (土) 19時36分

’浜辺の歌’は海外でも人気のあるメロディーで、'Song of the Seashore ' という題名でよく知られているようですね。
Youtube にも、(1)Julian Lloyd Webber のチェロ、(2)James Galway のフルートで素晴らしい演奏が聴くことが出来ます。 
興味のある方は 検索して聴いてください。
日本の美しいメロディが外国のアーティストも魅了したということは大変嬉しいことです。

投稿: 白いサンゴ礁 | 2009年6月17日 (水) 23時04分

浜辺の歌の歌詞の成立過程には色々なことがあったんですね! 
ボクも浜辺の歌をハワイでよく聴きます。
やっぱりメロディーがいいから、外国人にも受けいられるんですね!

YouTube で、浜辺の歌のチェロとフルートの演奏も聴いてみました。 外国の人達が日本の素晴らしい歌や音楽を演奏してくれるということは、聴いていてとっても嬉しいですね!!! 
こういったことが、音楽を通して更なる国際親善に発展していったら、本当に素晴らしいと思いました!!!

台湾出身のアジアの歌姫、テレサ・テン(鄧麗君)が、存命中に日本の歌謡曲や叙情曲を、北京語、台湾語、広東語、東南アジアのインドネシアなどの華人の言葉で歌ってくれたおかげで、日本の歌が現地の歌詞で大ヒットし、今でも歌われ続けています。
ハワイで中国人やシンガポール人、東南アジアの華人達と日本に起源がある歌を通して友好が深められるなんて本当に素晴らしいです。 音楽や芸術に国境はないということを実感します!!!!

投稿: Micky | 2009年6月18日 (木) 20時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 夜のプラットホーム | トップページ | 北帰行 »