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喫茶店の片隅で

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:矢野亮、作曲:中野忠晴、唄:松島詩子

1 アカシヤ並木の黄昏は
  淡い灯がつく喫茶店
  いつもあなたと逢った日の
  小さな赤い椅子二つ
  モカの香りがにじんでた

2 ふたり黙って向きあって
  聞いたショパンのノクターン
  もれるピアノの音につれて
  つんでは崩しまたつんだ
  夢はいずこに消えたやら

3 遠いあの日が忘られず
  ひとり来てみた喫茶店
  散った窓辺の紅バラが
  はるかにすぎた想い出を
  胸にしみじみ呼ぶこよい

《蛇足》 松島詩子が歌うシャンソン調歌謡の1つで、昭和30年(1955)にレコードが発売され、ヒットしました。昭和35年(1960)に再発売。

 昭和20年代から40年代末あたりまで、デートというと、だいたいがこんな感じでしたね。名曲喫茶にいくか、普通の喫茶店で、ろくにわかりもしないフランス文学だの実存主義だの、人によってはコミュニズムだのを論じたりしました。

 東京では「風月堂コミュニスト」なんて言葉もありました。風月堂は、新宿中央通りに面したところにあった喫茶店で、ここに集まって、生かじりの知識でコミュニズムを論じた左翼かぶれの若者たちを、軽侮のニュアンスを込めて表現したのがこの言葉です。
 理論的なレベルは違いますが、講壇派
(アカデミズム内の社会主義者)の若者版といったところでしょうか。

 10数年前、知り合いの女子大生に「学生のデートというと、今でもロマン・ローランやフロイトあたりから始めるの?」と訊いたら、「それって、何ですか?」と訊き返されてしまいました。

 最近の学生たちが背伸びして、つまり少々無理して読む本というと、どのあたりになるのでしょうか。それとも、無理しないで読める等身大の本しか読まないのでしょうか。

(二木紘三)

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コメント

 二木さんの文章に惚れました。
 昭和35年、私は早大の1年生(文学部フランス文学科)で、毎日のように喫茶店に行っていました。安保闘争の真っ最中で「ブントがどうの、革共同がどうの」と言っては、革命論議に明け暮れていました。“見果てぬ夢”を追いかけていたのでしょうね。
 憧れの女子大生もいましたが、奥手と言うか意気地なしと言うか、そちらの方はからきし駄目で、ついに一度も彼女らを誘うことが出来ませんでした。そういう意味では、この歌は羨ましいですね。彼女をきちんと喫茶店に誘っているのですから。
 革命論議の他にも「ロマン・ロランがどうの、サルトルがどうの」と言っては、夜遅くまで学友達と店にたむろしていたようです。そう見ると「風月堂コミュニスト」と何ら変わりありませんが、「喫茶店アナーキスト」と言った感じでした。
 この歌を聞くたびに、安保闘争や全学連に明け暮れた当時の思い出が蘇ってきます。 そして、憧れの女子大生を喫茶店に誘い出せなかったのが悔やまれます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2007年11月11日 (日) 17時24分

私は、昭和35年は浪人の身でありながら、大毎対大洋の日本シリーズを観に行っておりました。帰途、浅沼稲次郎殺傷事件を聞いたことが思い出されます。

映画「青春の門」(田中健出演)に、「ふう月堂」が出てきて懐かしく思いました。

中国の大蓮でアカシア並木を見ましたが、日本にもあるのでしょうか。

投稿: 景山 俊太郎 | 2008年5月 2日 (金) 23時14分

景山俊太郎様
 松島詩子の出身地・柳井市にある松島詩子記念館の資料に「昭和30年発売」とありましたので、それが正しいと思います。訂正しておきました。歌の雰囲気、というより、歌詞に歌われているデートの雰囲気は、確かに昭和30年前後のものですね。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年5月 3日 (土) 18時55分

私の年齢や育った環境からして、この歌を聴いたはずはないのですが、何故か懐かしい歌です。こんな歌はもう生まれないのでしょうか。「黄昏のビギン」「或る雨の午後」「いつもの小径で」等々、夜一杯やりながら歌います。

投稿: 中村恵寿 | 2008年6月20日 (金) 22時24分

松島詩子さんの歌では、戦前の「マロニエの木陰」と並ぶ名曲だと思います。
前者はタンゴのリズムが新鮮で、こちらは長調にしているのが、しみじみ感をよく伝えていると思われます。
賠償千恵子さんがカバーして、美しい声で歌っていますがオリジナルの歌詞を一部変えています。
 ♪聞いたショパンのノクターン
のところろ、語呂が悪いのか
 ♪聞いたショパンのセレナーデ
と。
ショパンの曲には、確か「セレナーデ」と呼ばれるものは無い、と思うのですが・・・。

投稿: | 2008年8月 7日 (木) 11時58分

A面かb面か判りませんがSP盤大事に採ってあります。
裏面は林 伊佐緒さんの高原の宿 松島詩子さんの喫茶店の片隅で には当時昭和30年戦後10年の思い出が沢山ありました。小学校5年生でした。良いものは何度聞いても良いですネ

投稿: 稲葉 武 | 2008年8月11日 (月) 16時07分

このうた大好きです。

私は30代ですが、生まれる時代を間違えてしまったのでは?
と思うほど小さな頃から祖母や母の歌う戦前戦後の頃の歌に惹かれていました。

この「喫茶店の片隅で」は灰田勝彦さんの「新雪」と並んで私のカラオケでは欠かせない1曲です。

こんな素敵なサイトに出会えるなんて。
今日はなにかいいことありそう・・・

投稿: nekonikiss | 2009年2月25日 (水) 10時43分

「マロニエの木陰」はなかなか覚えられないのですが、この「喫茶店の…」はメロディラインの美しさもあってか、とても
すんなりと入っていけますね。 あの「おーい中村君」の中野忠晴さんの才能の幅の広さを感じさせる名曲かと思います。
このような雰囲気の名曲喫茶で想いを寄せる人と語らいの時間が持てたら、どんなに素敵でしょうね。名曲喫茶もとんと少なくなってしまいました。淋しい限りです。

投稿: かせい | 2010年1月23日 (土) 11時37分

昭和30(1955)年頃,近所の女性が,当時の「NHKのど自慢全国コンクール」において,この歌で歌謡曲部門の全国優勝を果たしたことがありました。私はまだ中学生でしたが,そのときの印象が強くこの歌をすぐ覚えてしまいました。その後10年以上たち社会人になって駆け出しの頃,今のJR御茶ノ水駅近くの名曲喫茶でクラシックに耳を傾けながら,仕事の疲れを癒していたことがたびたびありました。このシャンソン風の叙情歌を聴くと,若かりし当時の様々な思いが彷彿と湧き上がってきて,込み上げてくるものがあります。

投稿: nobuchan | 2010年2月13日 (土) 21時15分

 本欄最後のコメントから丁度一年の今日、朝刊に「学生街の喫茶店」の記事を見かけました。松島詩子の喫茶店から20年後、歌に用いられる言葉も随分と変わって、まるでケータイでのお喋りを音符に乗せたような言葉遣いと感じました。松島詩子の「マロニエの木陰」から「喫茶店の片隅で」までが約20年、言葉(文体)は余り変わっていないと思います。同じ20年間でも、単に後の時代ほど変遷の加速度が急増していると云うだけでなく、質の転換のようなものを感じます、即ち、詩から散文への。

投稿: 槃特の呟き | 2011年2月12日 (土) 23時54分

歌を料理に例えると素材は曲と詞、調味料は編曲・演奏者、料理人は歌手といえるのかとも思っています。
美味しく戴くにはそれに加えて、店の雰囲気と食する本人の料理に合った年代もあるかと・・・。
次のステップに夢中の20代には関心のなかったこの曲、定年を迎えて今聞くと、なんと心に触れるメロディー・歌詞なのかとつくづく感じます。
ネット社会の有難さにも感謝です。

投稿: 山ちゃん | 2012年6月 7日 (木) 19時19分

何かの拍子にメロディーと「アカシア並木」と「たそがれ」という歌詞を思い出して検索したら、このサイトに着きました。以前から時々訪問して、二木様のアレンジに聞きほれてはいたのですが、題名を知らない歌が多く、この曲が入っているとは知りませんでした。私にとっては宝の山のようなサイトです。ありがとうございます。

投稿: solong | 2012年6月14日 (木) 18時33分

吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」と同レベルの寒村で生まれ育ったので、高校は下宿でした。ある日オバチャンが姪を呼んでくれキッチャテンにでも一緒に行って来いと言うので喫茶店の片隅で何かを話しました。男子校だったので美人とは吉永小百合か松原智恵子とかたくなまでに信じていました。可愛い娘でしたが美人の先入観には勝てませんでした。自分が高望みをしていたと気付くまでにそう時間を要しませんでした。

投稿: 海道 | 2012年7月13日 (金) 20時42分

nobuchan さんの投稿に、のど自慢全国コンクール優勝のコメントがありますが、この放送は私が小学生の確かな記憶としてあります。近所の方とは驚きました。

こ歌は学生時代からサラリーマン時代に通った喫茶店の情景が想い出されます。
時代が変わり、当時の名曲喫茶や純粋においしいコーヒー・お茶を楽しむお店が少なくなったのは寂しい思いがあります。

投稿: タケオ | 2013年1月25日 (金) 22時12分

2008年風さんの投稿に賠償千恵子がカバーした際、ショパンのノクターンを語呂が悪いのかセレナーデにかえている。ショパンにセレナーデがあるのか、と疑問を呈していらっしゃた。私も最近歌声喫茶の歌本でセレナーデとありました。
そこで、わたしのCDのショパン特集をノクターンを除いて16曲ありましたがセレナーデはありませんでした。それではとセレナーデの曲からショパンを探すと所有のCD三枚にセレナーデが11曲ありそこにもショパンはありませんでした。知人のピアノの先生もショパンでは見かけないと言ってました。
賠償はなんで勝手にに矢野亮の作詞を変えるのか彼は多分この歌の発表から今59年月日がたちもう鬼籍の人と思えますが、かれに失礼も甚だしく、歌手としてマナー悪いと思います。(賠償のフアンですが)
森進一の”おふくろさん”でも直して作詞家川内康範に同曲を歌うのを一時止められています(後同氏が鬼籍で復活)。また最近民放で吉幾三が同じ事をしたようで五木ひろしに諌められていました。
歌手は私が思うに作詞家/作曲家から預かりまたは委ねられて歌っていると思います。やたら直す事はマナ-違反であり、作詞、作曲家に大変失礼です。最近その風潮が強いですね。

投稿: 高橋 良完 | 2014年2月20日 (木) 14時51分

私見ですが“ショパンのノクターン”は1830年頃に「夜想曲(ノクターン)第2番」としてF.ショパンが作曲、この曲をテーマに1955~6年(?)E.デューチンの半生をJ.シドニー監督がタイロン・パワー主演の「愛情物語」の中で、ノクターンを『To Love Agein』としてT.パワーの代理演奏をカーメン・キャバレロに依頼、抜群のテクニックとフィーリングで映画と共に圧倒的な人気を得たことを覚えています。
この曲がソチオリンピックでも浅田真央君の演技を盛り上げましたが、もしC.キャバレロの演奏のものだったらもしかして?メダルを・・・。 ショパンの思いをキャバレロがさらにグレード・アップした『ツウ ラブ アゲイン』は必聴です。

「喫茶店の片隅で」・・・遠い日の思い出が胸にしみじみとよみがえるいい歌ですね。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年2月22日 (土) 23時01分

 「セレナーデ」(小夜曲)・「「ノクターン」(夜想曲)。
 ショパンの作品には「セレナーデ」」はありません
従って倍賞千恵子はレコーデングのときにウッカリミスをしてしまったのでしょう。確かに、「セレナーデ」の語感が良かった事もあったかもしれません。たざ悪意は無かったと思います。
 倍賞さんは他のカバー作品においても歌詞の唄い間違いは意外と多いのです。あれほどお上手な方ですから大変な数のカバーをしておられますのでね。菊池章子が唄った「星の流れに」でも
(ひと〜は見返る、)を(ひと〜は見送る))等々‥‥。
 
「愛情物語」カーメン・キャバレロのピアノ素晴しかったですねー。タイロン・パワーのお相手はキム・ノバクでしたかね。悲しい別れでした。

投稿: かせい | 2014年2月23日 (日) 01時00分

ノクターンをセレナーデと賠償千恵子さんが唄っていることについて、「一杯のコーヒーから」の二番の歌詩の中に、
“歌は南のセレナーデ”という文句がありますが、
若しかして同じコーヒーの歌なので、無意識に(混同して)唄われたのでは、、

投稿: 春の里 | 2014年9月 2日 (火) 17時35分

いい歌ですね~。
学生時代からサラリーマン定年退職まで、喫茶店には数えきれないほど通いました。朝、出社する前に、そして会社を退けてから。もちろん土日も・・・。僕は酒も煙草もゴルフもしないのだからこのくらい贅沢しても良いだろう、と言い訳して入り浸ってました。だけど女性と一緒だったことは一度もありません。勇気もないし自信もなかったですしね。”どうせ僕なんか・・・”って自虐評価してました。あの娘を誘うことができてたらなぁ、と今思い出したりもするのですが、もう、人生、後の祭りですね。最近、喫茶店は少なくなりましたね。

投稿: yoko | 2014年9月 2日 (火) 21時03分

スタバで、ひとりぼんやり、最近は、ファミマやセブンイレブンのコーヒーも「なかなかいける」と思っている私は どうなるんでしょう? コーヒーの香りと音楽のペアリング、いろいろですね。cafenote

投稿: taka-shiz | 2014年9月 3日 (水) 22時16分

しみじみと胸に沁みる名曲です。
歌詞を謎っては涙が込み上げてきます。
よいサイトに出合えて幸せです。

投稿: りんごちゃん | 2015年1月22日 (木) 19時39分

喫茶店にはいろいろな思い出があります。高校までは喫茶店は出入り禁止だったので、卒業すると同時にわっと友人たちと喫茶店めぐり、憧れがあったのですね。何と言ってもあんみつ、コーヒーは女ばかりでしたから飲みませんでした。卒業の時学校から5千円の寄付がきました。いつまでも払わなかったら半分でもいいから払えと言われ、2千5百円を払い、あとの2千5百円は全部喫茶店に消えました。今のお金で言えば5万円、2万5千円はアンみつに消えたわけです。当時は1杯50円でした。家には内緒にしていました。楽しかったですねぇ。あれこそ青春でした。毎日あんみつを食べながらおしゃべりしていました。夢一杯の春でした。人生で苦労のないひとときは本当に貴重な時間でした。57年が経ちました。でも思い出せば今でも青春です。

投稿: ハコベの花 | 2015年1月23日 (金) 21時06分

最近、久し振りで私の住んでいる中心市街地を約1時間ほどウオーキングしました。
ビックリしたことに、喫茶店と思われる店は2軒ほどでした。
今から半世紀ほど前の独身時代、外回りの仕事の合間を縫って時折、油を売りに喫茶店でコーヒータイムを過ごしたことを・・・
今、思い出すだけでも20軒近くの喫茶店があったように記憶しています。
特に音楽専門喫茶店では、高級音響設備により、客層に合わせたレコードによる演奏。
また、珍しい喫茶店では、クラシックレコード専門店で、常に、お客様のリクエスト曲を中心に聴かせてくれるお店で、今想えばほんとに懐かしい限りです。

投稿: 一章 | 2016年6月26日 (日) 22時59分

一章様のコメントにもあるように喫茶店は少なくなりましたね。
この歌は時折聴くレパートリーに入っています。
少し切なくなります。
数年前のことです。
再会した高校のクラスメィトと入った高校前の喫茶店。
喫茶店とは言い難い、高校生相手の菓子パンや飲み物を売る店なのに場違いのように「キーコーヒー」の旗が掲げられているだけ。
「高校生の入る店よ」「いいじゃないか高校生の頃に還って話をすれば」
彼は密かに憧れていた委員長でした。舞い上りました。やがて、昔からあった喫茶店で珈琲タイムを供にする仲となりました。夢かとも思える日々でした。
辛い日々に一筋の光を見る思いでした。しかし向こうの事情でつかの間の疑似恋愛は終わりました。
その程度は亡夫も許してくれていると思っています。
最初に入った喫茶店最寄りに月二回ほど行く、ボランティアの施設がありその都度胸が痛みます。

カフェや喫茶店は旅情を濃く彩ってくれます。
京都のイノダ珈琲や神戸の喫茶店、
3年前は近江八幡の氷室ヴィレッジの倶楽部ハリエまで足を延ばしました。一人で旅情に浸るのもいいものです。

投稿: りんご | 2016年6月27日 (月) 23時29分

最近は喫茶店に行く回数もめっきり少なくなりました。昨日、久しぶりにマクドナルドでコーヒーを一杯飲んでいた時、隣に小さな女の子を連れた若いご夫婦がいらして、女の子はお父さんにまとわりついて、「お姫様抱っこして、お姫様抱っこして、」と甘えていました。私は可愛いなぁと思い頬も緩んで見ていたのですが、そんな私に気がついてご夫婦もにこにこされていました。しかしそんな日ばかりではないですね。先日エレベータの中で乳母車に出会いました。側には背の高いイケメンのお父さんが。私は、赤ちゃん可愛いな、と思い乳母車に近付き覗き込んだのですが、その時頭上から、「触るな!」と一喝の声。頭の毛も薄く、しばらく床屋へも行ってなかった私なので虫けらのような汚い老人に見えたのかもしれません。一瞬、教室の隅で小さくなっていた学生時代の自分がフラッシュバックしました。高校同期会の季節が近づいてきました。”惜別の歌”の余韻も覚め止まぬ中、例年にもまして、級友に会うのが楽しみです。

投稿: yoko | 2016年11月 5日 (土) 10時24分

はるか昔、チョンガーの頃は会社の同僚とたまに喫茶店でグータラグータラしてましたが、今は家でインスタントコーヒー飲むのが関の山です。
これまた昔、デパートのエスカレーターで、若い母親が連れた小さい男の子の足がもつれて危ないように見えたので“大丈夫かい”と声をかけたら、その女性は(余計なことをするなという顔つきで)さっさと子供の手を引いて降りて行ったので、傍らのカミさんと“近頃の若い母親は…”という愚痴になったものです。他人の子供への“声かけ”や“乳母車の覗き込み”はなかなか難しいものです。

投稿: 焼酎百代 | 2016年11月 5日 (土) 12時54分

心とは裏腹に体は年齢を如実に物語るのもですね。
軽度の脊柱管狭窄に目を瞑っている間に古希を迎えました。古希の誕生日を期に、これからは体を労わって生きるほかないと悟りました。隣接の市まで毎日整体通いです。
ミスドのモーニングタイムに(11時)に間に合えば得をしたような気持ちになれます。スマホや文庫本を手に一杯の珈琲をお代わりするのが至福のひとときです。
広い店内には3名ほどしか見当たりません。
十分に贅沢な気分になれます。

yok0様 焼酎百代様
お気の毒ですね。
少数の不心得者の為に心優しい紳士までが不審者扱いにされる世相は悲しいですね。
その点、女性(婆さんといえど女)は得ですね。
大抵は好意的に受け取られます。
のみならず
「まあ、可愛い」に「ありがとうございます」の言葉が返ってきます。
先日の学校読み聞かせで一年生担当になりました。
教室が飛ぶほど元気な声が返ってきました。
「ありがとうございます」
担任もいたので思わず「まあ。可愛い」と言ってしましました。これも男性ならNGかもしれませんね。

投稿: りんご | 2016年11月 7日 (月) 09時22分

 そうです。最近は男性だとNGのことが多いです。りんごさん、読み聞かせに行かれたのですか。一年生はほんとに可愛いものです。
 最近は可愛い場面に出会ってもブスッとしていることがありますが、気をつけたいと思います。一度だけ読み聞かせをしたことがありますが、ほんとにあれでよかったのか後になって気になっています。

投稿: 今でも青春 | 2016年11月 7日 (月) 17時55分

yokoさま「さわるな」の声かけにはさぞおどろかれたことでしょう。子供の数がどこの家庭でも少ないからでしょうか?でも目に入ってくる子供のニュースは【哀しい事件】があふれているようですが・・・・・。
国や地方自治体も、野菜が高騰したからという理由で「給食」のない日が公表されたり、理解出来ません。後進国からの訪問には【大判振る舞い】が目に余るような光景も目立つのに、未来を託す子供たちのために、もっと「手を差し伸べて欲しいです。
私は小さい子供さんに声をかけるときは、まずどこか長所を見つけて褒めることにしています。ベビーカーのなかの赤ちゃんにでも。最近の赤ちゃんや子供さんは、なかなか表情豊かで、社交性があるように見えるのですが・・・・。
大きな団地に地震後、越してきて嬉しかったのは。朝から我が家(八偕)の前にブランコがならんでいるので、子供さんの声とブランコの出す音に、随分「癒されて」おります。訪ねてきた友人は有名な「高級住宅地」にすんでいるかたで「子どもの声がこんなに一度に聞くのは、何年ぶいかしら」とベランダから、弾んだ声が聞こえました。
みなさま、子供さんにはふれずに「声かけ」だけをおねがいします。思いがけない「返事」が帰ってきて、驚くこともあり楽しく暮らしています。

投稿: mitsuko | 2016年11月 7日 (月) 23時51分

倍賞さんの「セレナーデ」問題ですが、倍賞さん自身の主体的な判断によるのか、別の人の考えによるものか、どちらでなのしょう。松島さんの歌は子供の頃に耳にしていたもののうろ覚えでした。歌詞を明確に聴いたのは倍賞さんのほうが先で内容的には「セレナーデ」は極めて自然なので全く違和感はありませんでした。ショパンにセレナーデってあったかなあ?とそこはかとない疑問はありましたが。後から改めて松島さんを聴いて「ノクターン」という言葉を聴いた時かなり違和感がありました。ノクターンでは恋の感情は希薄です。これでは二人は既に安定した恋人関係にあり、ノクターンを聴いた後は心安らかに満たされた思いでで楽しい夜の夢を共有するといったイメージになってしまう、というのは下司のカングリでしょうか。そこで私が考えたのは「セレナーデ」は間違いではなく確信犯的な改変だったのではないか、ということです。それならば3番の「遠いあの日が忘られず」という喪失の悲哀にも素直につながります。「セレナーデ」に変えてしまったのは誰なのか分かりませんが、よほど曲の感情世界を掴んでいた人と言えるのではないでしょうか。事実を無視して歌の真実を大切にしたのでしょう。

投稿: セザールフランク | 2016年12月17日 (土) 23時39分

カラオケで時々歌います。マロニエの木蔭もそうですが、むずかしいですね。気分は、松本市の女鳥羽川沿いにある『まるも喫茶』に座ってるイメージで歌います。

投稿: ザジ | 2016年12月18日 (日) 00時53分

セレナーデ:南欧の風習として男が恋人の家の窓の下で歌い,または奏する叙情的な楽曲

ショパンとは全く無縁のようです。ショパンはもともと病身で、美しい顔立ちなので女性ファンも多く、とても求愛のセレナーデを奏でるような興味もひまもなかったでしょうね。ジョルジュ・サンドの愛におなかいっぱいだったし、祖国の命運こそ彼の第一の関心事だったことでしょう。彼の心臓は今も祖国にあるそうですね。

投稿: Bianca | 2016年12月18日 (日) 21時48分

二木先生の素敵な演奏を聴きながら目を瞑ればここは素敵な喫茶店。様々な思い出が浮かんでは消え少し涙が込み上げてきます。以前は喫茶店(今どきはカフェというのかな)に1000円以上払うならランチができると出費をためらっていました。この頃は一食抜いても雰囲気の良い喫茶店で過ごすのがささやかな贅沢です。
東京の「椿山珈琲」仙台の「星山珈琲」に行くのが来年の夢です。分を超えた贅沢とは思うが冥途の土産にと思っています。 ミスドやドトール、サンマルクカフェ、ベローチエ、イタリアントマトなどは普段使いで分相応と思っています。スタバも加えて。
旅先のイノダコーヒ( 今秋は余りの混雑に清水店を敬遠)三条店や3年前の近江日牟禮ビレッジ、「クラブハリエ」ガーデンテラス「日牟禮カフェ」での至福の思いを反芻。私同様に一人旅と思しき白髪のご婦人に親近感を覚えながら敢えて距離を置きます。
(一人旅の上級者と自画自賛)

高校最寄りにあった小さな喫茶店がいつの間にか閉店、
そこはかとない侘しさを感じました。

投稿: りんご | 2016年12月19日 (月) 12時13分

Biancaさま ご無沙汰いたしております  しばらく お名前 拝見できなかったので どうされているかと案じておりました  お元気にされていますか  投稿されておられ 少し安心しました

 りんごさま 思い出の 思い入れの喫茶店 いいですね

僕にも懐かしさのこみ上げてくる 小さな喫茶店があります  宝塚に逆瀬川という川があります  下流で武庫川に合流し西宮と尼崎の境をくだり瀬戸内海へつながります
 今から二 三十年も前でしょうか  阪急逆瀬川から上流 六甲山系の東端ーー甲山 の方角にすすむと 川沿い左側に奥ゆかしい住まいがあり そのお庭を一部改造してフランスの農家風の納屋を喫茶店とされている 老夫婦がおられました リタイアされてから趣味のコーヒーとケーキを提供していただいてたのだと 勝手に考えていました ご主人は 少しお足が悪かったと記憶しています    素晴しく ゆっくりできる 空気と時間をあたえていただける空間でした  バイトの女の子は 必ず一人 品のいい 落ち着いた 神戸女学院の子達ばかりでした 小さな いす席はひとつ カウンターで四人ならべれば やっとの大きさ  駐車スペースも一台だけ   駐車できて入れたら 今日は幸せ 有り難う というような気持ちになれる いいところでした  ゆめのような喫茶店は また幻のように消えました  老齢になり 東京の親戚にみてもらうための転居だったようです   もの  こと はいつまでも同じ状態では続かないですね  

 いまの 僕の逃げ場所は 武田尾です これも川沿いなのですね  武庫川の上流です  友人の隠遁所で 週二回は行ってしまいます  アンティーク好きの彼が集めた物物で 異空間ができあがっています  集まるのは 大抵三人 東大数学科入学の彼と 京大法科出の女史と 僕との三人  東京 京都 大阪 神戸 どこからみても三都物語  面白い仲間たちです  彼は 飲食 コーヒーのプロ   軽食と マンデリン100のコーヒーと 主にチェロの曲をききながら 議論したり 愚痴を言い合ったり 至福の場所であり 自分の地獄の時代をささえてくれた 有り難い方たちです

 学生街の喫茶店で書かせていただいた 法然院の朝ぼらけに訪問し その足で産寧坂のいのだコーヒーでモーニングを食べる   未だ はたせていない夢です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年12月19日 (月) 19時45分

続けての投稿をお許しください。

能勢の赤ひげ様の  秘密の隠れ家のような思い出の喫茶店~素敵ですね。あれこれ好みの俳優をちりばめた映画の場面が想像されます。

また三都物語さながらのメンバーが集う小さな喫茶店
夢のような空間ですね。アカデミックなメンバーですね。

草深いみちのくの田舎町では本来の喫茶店は立ち行かず
のみならず  ミスド、スタバ、ドトールもありません。
県都 山形やお隣の仙台に行った折に利用しております。

今秋  神戸のヴォーリズ建築の素敵な喫茶店をスマホ案内を頼りに探したが、地図の見方もわからぬ方向音痴のゆえに一時間も彷徨して 結局ドトールで済ませました。
神戸北のホテル、生田神社付近も彷徨 再度の挑戦を
企んでいます。
小さな喫茶店は  経営上も 昨今は幻化現象ですね。
それに  我が田舎町にも一軒 あるにはあるが
決まったメンバーが集うので敬遠。退職教員、自営業者
と田舎でもゆとりのある爺さんのオアシスになっています。誰一人知る人がいない空間こそが癒しになります。

二木先生はじめ、このサイトに集う皆さま、良いお年をお迎えください。

投稿: りんご | 2016年12月20日 (火) 08時35分

能勢の赤ひげ 様

宝塚~逆瀬川上流~宝塚ゴルフクラブ~西ノ宮カントリー甲山から県道16号~六甲山頂は、私の管理する山荘への登山道ですが、そんなに素敵な喫茶店があったのですか?一度行ってみたかったですね~。
最近は本当に文庫1冊持って素敵な音楽を聴きながら、ゆったりと落ち着けるような喫茶店はなくなりました。

失恋の痛手に耐え切かねて二人で過ごした思い出の喫茶店を訪れ、ひょっとして会えるかも…と、淡い望みを抱きながら一人淋しく苦いコーヒーを飲んだ広小路通りの「パーラー小林」一晩中煙草のけむりのなかで身体を揺すりながら聞いた、錦通りからちょっと路地に入ったジャズ喫茶「コンボ」(いずれも名古屋)今はもうないでしょうが…青春時代の思い出の詰まった喫茶店です。
京都に行くと、時々ぶら~っと平安神宮から西へ疎水沿いに歩いてすぐのジャズ喫茶「YAMATOYA」にいきます。
五木寛之の馴染みで年配のご夫婦の顔を見るだけで癒されます。(勿論、私は昵懇ではありませんが…)
五木寛之の「燃える秋」の背景をなぞりながらのモカの香りを~と、いったところですかね。
イノダコーヒー清水店には、とてもミステリアスな怖い思い出があります。7~8年前の春、妻と二人で醍醐寺からの帰路、一度山村美沙のお墓を見てみたいと泉涌寺の塔頭 雲龍院を訪ね、本堂裏手の竹やぶのちょっとした小高い所に1mX80cm位の御影石に「美」と一文字だけ、フアン専用ポストには1通だけ手紙がありました。
その夜は、東山のホテルりょうぜんに泊まり、夕食後二人で歩いて清水寺の夜桜見物をする予定が、妻が疲れたのであなた一人で行ってきて…となり、私一人で出かけることにしましたが、ホテルの仲居さんに聞いて近道を教えて頂きいざ!っと言う時、この時間にあの道を一人で歩いてですか? 私は怖くてだめです…。えーっ、なんで? でもしゃーないわ!行きます。と、腕まくりしてホテルを出たのが、8時過ぎ、向かいが霊山歴史館、右隣りが霊明神社、霊山護国神社山手には坂本竜馬や勤皇志士の墓、左手は急な坂道で勿論真っ暗闇、暗闇を下ると覆いかぶさるような大きな雑木林、風にゆられてざわざわ~と気持ちの悪い音!その道沿いは興正寺霊山本廟上がり口坂のところに荒縄に白い紙 注連縄がぶら下げてあり、気色の悪いことこのうえなし~。走りました!
やっと三年坂の灯りが見えてきた時は、ほっと! 見ると、そこはイノダコーヒーの清水店! なんだ、ここか! 帰りも走りましたが、気がつくとホテルの坂を下りきった所の一軒家の玄関口にあかあかと灯りが…、えー
こんなところに灯り? 近ずいて表札見たら、「山村美沙」隣の一軒家の表札は「西村京太郎」…!!!

イノダコーヒーの庭側から、清龍苑を眺めながらのモーニングは正に至福のひと時でしょうね。私もまだ未経験です。
長々とすみません。

投稿: あこがれ | 2016年12月20日 (火) 16時39分

昨日久しぶりに私用で大手町ビルに出かけました。時間待ちで地下のコーヒーショップでいつものようにモーニングセットを注文しました。若い店員さんや出入りする若いサラリーマン諸君を眺めながら僕もずっとこのようにサラリーマンだったんだと懐かしく思いました。いまでも気分はまったく変わりません。「さあ、これから出勤だ」、と腰を上げたい気分でした。

投稿: yoko | 2016年12月21日 (水) 11時30分

今宵はクリスマスイブですね。
珈琲の香りと二木先生の演奏。
目を瞑って小さな喫茶店の気分に酔いしれております。

さて現実の喫茶店~カフェのひとときyoko様同様に人生模様に思いを巡らすのも至福です。
現役(とは言え。身分はパート)時代は時間調整でよく会社最寄りのミスドを利用。これから仕事という時のあの若かりし頃の気分が甦りますね。

あこがれ様
十数年前  私もあの妖気漂うような 「山村美紗~西村京太郎邸」をわざわざ見に行きました。
途中誰とも会わず 昼なお深閑とした場所でした。

投稿: りんご | 2016年12月24日 (土) 10時21分

あこがれさま

 逆瀬川 川沿いの喫茶店 ほんとうに 素晴しかったです  なくなって 心から残念に思い 跡地を訪れてみたくなる場所の一つです
 
 青春近くの残影を求めてーー ということでしょうか

 あこがれさまの 霊霊霊の 霊の三乗の恐怖 身に迫りました  人を惹きつける文章の巧みさ 頭を下げて ひれ伏しております 

 りんごさま

 ヴォーリズ建築の素敵な喫茶店を 神戸で探索されたとかーー

 どこのことをいっておられるのでしょう  フロインドリーブもヴォーリズ建築ですが これは教会を 改築されたものですし 有名すぎるので 他の 北野のあたりの喫茶店でしょうか  北野生まれの僕でも 知らないお店でしょうか   つい 少しまえに話題にさせていただいた神戸女学院も ヴォーリズ建築で 何ともいえず穏やかな趣のある建物です

 そろそろ 今年のクリスマスも 終了に近くなっています  今日は京都におりました 哲学の道の 叶 から ようじやまで 暖かい冬空のもと 歩いていました  何度歩いても 新しい発見はあるもので  直下の豪邸のお庭に 曲水の宴のできそうな 水の流れをみつけました
 若いころ どういう家に住みたいか と考えたこともありますが 夢と現実は大きく異なります  これが人生でしょうね  ついで 白河経由で 帰ってきましたが 五条を西進するのに 大変でした  ロームのクリスマスイルミネーションの大渋滞に巻き込まれたのです   ロームは頭にははいっていたのですが これほど人が集まるのかと 唖然 呆然    朝は この道を東進していたのですが 今日は 都大路を走る 全国高校駅伝の日 交通規制もあり 丁度 女子最終ランナーたちが 西京極競技場に 向かっている姿が見られました  薫英 西脇工の
 一位 二位だったのですね   イルミネーションの渋滞を含め 今日は とても印象深い一日でした

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年12月25日 (日) 22時16分

ミスタードーナツは良いですね。
もう30年以上にもなりますが、藤沢で毎日のように通いました。いつも注文するのはコーヒーとハニーディップでした。

ドーナツ(ハニーディップ)ののほんのりした甘さとふかふかとした柔らかさ、コーヒーの酸っぱさがぴったりと合いました。大きな分厚いカップも口に当てると唇が温かく寒い日に手にくるむと手が温かくなりました。

残念なことにわが街にミスタードーナツはないのです。
ミスタードーナツ! 来てください!

投稿: yoko | 2016年12月26日 (月) 14時44分

皆様今年も残りわずかですね。
ここにおじゃまして二木先生の演奏を聴きながら蛇足に感銘、また皆様のコメントに共感しております。
ここにコメントを寄せる方は皆様心清らか、とりわけ紳士諸君の純情とハコベの花様の一途な思いには心打たれます。

能勢の赤ひげ様
正に フロインドリーブです。
旅先のスマホ頼りが仇となりました。
帰宅してパソコン検索したら三の宮からの簡単な道順が出て苦笑しております。しかも 元教会ということもあり
かなりのスペース。今では北野坂の「にしむらコーヒー」の方が魅力です。ロームイルミネーションは10数年前行きました。一企業でよく続けておられますね。
yoko様
我が町にもミスタードーナツはなく隣町の大型ショッピングセンター内の店を利用しております。
10年ほど前に建築途上の「マグドナルド」の看板の{M}に反応、娘に「ミスタードーナッツがついに来た」と勇み足のメール。失望の経緯があります。
「ミスタードーナツ!来てください!」

投稿: りんご | 2016年12月27日 (火) 12時03分

昨日のコメントに表現の誤りが有りました。マグドナルドをミスタードーナッツ待望の余りに早合点と書くべきところを、勇み足とは、お恥ずかしい限りです。訂正させて下さい。

投稿: りんご | 2016年12月28日 (水) 04時31分

りんご様

そうですか。”早合点”が正しいのですか。僕は”勇み足”が良いと思うのですがねぇ~。

高校時代は劣等生でした。母は先生から私はクラスのビリだと聞いてきました。特に国語は苦手でした。試験のたびに「やったぜ、今度こそ80点」と思うのですが、答案が返されてみるといつも50点以下です。特に、作者の考えを選びなさい、とか、正しい語句を選びなさい、という選択問題は軒並みバツでした。あるとき先生が壇上から生徒一人一人に採点された答案用紙を戻されました。生徒一人一人に何かをつぶやかれていました。私の番になりました。壇上から私を見下ろし、一言、「だめね。」のお言葉でした。

蔑むような憐れむような先生の目が思い出されます。当時はおばあさん先生だと思っていましたが、今の私より10才以上もお若い方だったのですね。そしてもしご存命であるなら、もう100歳を超えてらっしゃる。懐かしいです。

ところで、やっぱり、”勇み足”って間違っているのかなぁ~。

曲の題から外れてしまいましたが、こんなことを喫茶店の片隅で思い出していた、ということでご容赦ください。

投稿: yoko | 2016年12月29日 (木) 08時05分

能勢の赤ひげさま
(この場を借りて個人的に挨拶を交すのもネ~と躊躇しており遅くなりました)思いがけず自分の名前を見てびっくりしましたが、気にかけて頂きどうもありがとうございます。
所でこの歌のページにいつまでもコメントが絶えないのは、「喫茶店」という単語そのものに魅力があるのでしょうかね。今は消えた過去のある時代の文化ということで。

投稿: Bianca | 2016年12月30日 (金) 11時27分

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