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ロンドンデリーの歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


アイルランド民謡 日本語詞1:近藤玲二

1 北国の港の町は リンゴの花咲く町
  したわしの君が面影 胸に抱きさまよいぬ
  くれないに燃ゆる愛を 葉かげに秘めて咲ける
  けがれなき花こそ君の かおりゆかしき姿

2 さぎり降る港の町は リンゴの花咲く町
  いつの日も匂いやさしく 夢はぬれてただよいぬ
  たそがれにほほすりよせて リンゴはなにを語る
  誓いせしあの夜の君の かおりゆかしき姿


            Irish Love Song
                                             原詞1:Katharine Tynan

1. Would God I were the tender apple blossom
  That floats and falls from off the twisted bough
  To lie and faint within your silken bosom
  Within your silken bosom as that does now.
  Or would I were a little burnish'd apple
  For you to pluck me, gliding by so cold
  While sun and shade you robe of lawn will dapple
  Your robe of lawn, and you hair's spun gold.

2. Yea, would to God I were among the roses
  That lean to kiss you as you float between
  While on the lowest branch a bud uncloses
  A bud uncloses, to touch you, queen.
  Nay, since you will not love, would I were growing
  A happy daisy, in the garden path
  That so your silver foot might press me going
  Might press me going even unto death.

《蛇足》 ロンドンデリーは、イギリス・北アイルランド第二の都市で、単にデリー(Derry)とも呼ばれます。フォイル川河口に位置する美しい港町です。

 10世紀ころから、アイルランドの守護聖人の名を採ってデリー・コルムキルと呼ばれていましたが、イギリスによる占領後、ジェームズ1世がロンドン商人の組合にこの地への植民を許した(1613年)ことから、ロンドンデリーと呼ばれるようになりました。
 アイルランド人は、デリーにロンドンをつけて呼ばれることに、民族的感情をいたく傷つけられるようです。長年イギリスに抑圧されてきた歴史を見れば、当然といえます。

 アイルランド文化・アイルランド語研究家の森博史さんから、この曲の解題について詳細なご教示をいただきました。

 それによると、この歌の原曲とされているのは、1796年にE・バンティングが編んだ曲集に載っている『Aislean an Oigfear(アッシュリン・アン・オール)(英訳タイトルはThe Young Man's Dream)だそうです。
 1990年代に入ってから、これを遡る説が出てきました。ローリー・ダール・オカハン
(1570~1657年)が作曲した曲名不詳の哀歌が原曲だというのです。
 ただ、この説にははっきりした証拠がなく、まだ認められるに至っていません。

 『Aislean an Oigfear』は、その後曲名が忘れられ、単に「ロンドンデリー地方で歌われている曲」、または「ロンドンデリー地方で採集された曲」を意味する『ロンドンデリー・エア』として伝えられてきました。
 それがこの曲の固有名として定着したのは、19世紀後半になってからのようです。

 また、この歌にさまざまな歌詞が当てはめられるようになったのは、アイルランドの詩人A・P・グレーヴズが同郷の作曲家C・V・スタンフォードと組んで編纂した曲集『Songs of Old Ireland』を1882年に公刊してからだとされています。
 これまで100以上のさまざまな歌詞がつけられています。上に示したキャサリン・タイナンの『Irish Love Song』は、そうした歌詞のなかでもとくによく知られているものです。

 近藤玲二の歌詞は、この詩をベースにしたものと思われます。人によって好みは違うでしょうが、私には、原詩より近藤玲二の日本語詞のほうが心に響いてきます。
 原詩は文字どおりラブソングで、恋する女性にひたすら自分の胸の内を伝えようとする内容ですが、近藤玲二の歌詞にはストーリー性があり、その分、より想像が刺激されます。

 とくに第2聯の最後の行。りんごの木の下で愛を誓う若い女性のシルエットが浮かび上がってくるようではありませんか。
 現実には「誓い」は全うされない、あるいは全うできないことのほうが多いようですが。
 数百年後のアメリカのポピュラーソング『砂に書いたラブレター』にも、「You made a vow that you would ever be true, But somehow that vow meant nothing to you.」とあります。

 ほかに有名な歌詞としては、旅立ったわが子に対する母親の思いを歌ったものがあります。津川主一が日本語詞をつけています(下記)。わが国では、こちらのほうがよく歌われるようです。

日本語詞2:津川主一

1 わが子よ いとしの汝(なれ)
  父君の形見とし
  こころして愛(いつく)しみつ
  きょうまで育て上げぬ
  古き家を巣立ちして
  今はた汝は何処(いずこ)
  よわき母の影さえも
  雄々しき汝には見えず

2 はてしもなきかの路の
  あなたに汝はゆきぬ
  むなしき我が家見れば
  亡き父君おもわる
  足もとの草むらより
  立つはさえずる雲雀(ひばり)
  ああ われも強く立ちて
  我が家の栄誉(ほまれ)を守らん

原詞2 作詞者不詳

1. My son I reared as might the brooding partridge
  Rear up an eaglet fall'n from storm-struck nest;
  My son, ah no ! one captained for high conflict,
  My chieftain husband's heir and his bequest !
  No, mother's part in him did my heart treasure,
  And he would go, and I could stand alone;
  Ah, so I thought, but now my heart-strings measure
  The love, the loss my son, my little son thou'rt gone !

2. I see the grey road winding, winding from me,
  And thou upon them exiled, and away;
  I turn unto the empty house that's by me
  Ah, dark this day as on Wolfe Tone's death's day !
  But no, no, no ! Up from the sod beside me,
  Up, up, with glorious singing speeds the lark;
  'Tis Wolfe Tone's spirit, his, reconcile me,
  And in a swordflash, gone the loneliness the dark !

 1913年に『ダニー・ボーイ』が発表されてからは、これが世界中で親しまれるようになりました。

(二木紘三)

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コメント

四年ほど前から、時間ができたときには「MIDI歌声喫茶」のほうにお邪魔しています。年を重ねて顔にシミも出てきましたが、心にもシミが増えました。私の立場で仕事をしていると、どうしても辛い決定をしなければならないこともあります。心のシミはそれが原因で増えてきたものだと思っています。
でもあなたのサイトにいると、心にシミのなかった純な年頃の記憶が戻ってきて、ほんとうにすがすがしい気持ちになれます。このサイトがいつまでも続くように願っています。

投稿: T・K生 | 2006年9月27日 (水) 02時18分

終戦後NHKの夜の放送終了音楽にオルマンディ指揮で流されていました。
当時旧制中学の5年生でしたが、その曲に魅せられて毎夜聴いてておりました。
その後、可愛いお嬢さんと知り合い愛を誓った時、この曲を捧げました。
結婚して50年以上経ちますが、未だに夫婦の愛の歌として、歌ってています。
まだ現役ですが、引退後はすぐロンドンデリーに旅して、現地の海岸で合唱するのが夢です。

投稿: 鹿野源太郎 | 2007年8月27日 (月) 09時59分

約50年前、私は現在の米海兵隊岩国基地内の銀行に勤めていました。基地内の教会の聖歌隊に入っていましたが、あるとき、ロスの音大・声楽科を中退して海兵隊員になっていた、ジョセフ・ア・クインという歌手が、やはり海兵隊員のピアニストの伴奏でこの歌を歌いました。最初の2小節を聴いただけで、体に100万ボルトの電気が流れたショックを受けました。世界には電気うなぎのようなすごい歌手が居ることを思い知らされました。

投稿: 三瓶 | 2007年8月27日 (月) 18時58分

ジョセフ・ア・クイン氏が岩国市内でリサイタルを開きました。彼はハワイ原住民と中国のハーフでした。プログラムは日本歌曲、世界民謡、アメリカ民謡(アロハオエを含む)、オペラのバリトンのアリア等でした。
彼の歌う日本歌曲は私がそれまで聞いていた日本人歌手よりも、心に響く点では数段上でした。

投稿: 三瓶 | 2007年8月27日 (月) 19時07分

フリッツ・クライスラーも吹き込んでいますね。(1929年、ビクター赤盤)
彼はほかに「故郷の人々」も赤盤に入れていますが、
アンコール・ピースとしても好んで民謡を取り上げたようです。

主情的ですすり泣くようなルパートは、
ケルト的な情感とは肌合いを異にし、
今聴けば古めかしいようですが、これもまた佳きものです。

投稿: 金右衛門 | 2008年6月23日 (月) 07時37分

昭和10年生まれの73才男性。’2月で74才)
二木様の曲は自分が初めてパソコンを買った10年前、そしてインターネットを初めて経験したとき知りました。自慢するのも可笑しいのですが何しろ人間が古いので知っている曲も専ら懐メロ専門でコレばかりは他人に退けをとらないと自負しています。何しろメディアが発達していない時代ですのでラジオからの知識で(歌の明星)、又当時の映画、歌の雑誌の”平凡”等からの引用です。
楽器(ウクレレ)を少々嗜みますので、戦前、戦後からの曲が多いです。今回流れの旅路、連絡船の歌等DL出来ました。又男の夜曲(鶴田)赤い椿の咲く町などであります。今後益々のご発展をお祈り致します。有難うございました。

投稿: 高森宗光 | 2009年1月16日 (金) 17時37分

津川主一 さんの歌詞でこの歌を歌うと亡き母を思い出します。
母は父が36歳で下半身不随の倒れた後、家族の生活を支えながら、父の介護もする苦労の毎日でした。私は高校卒業後就職のため家を離れ、時にはつらい事せつない事が有りましたが、そんな時父の介護を一手に負い、私を送り出してくれた母を思い出すと、頑張ることができました、その時口づさんのがこの歌でした。

投稿: 山口 政春 | 2009年8月25日 (火) 23時06分

先日ユー・レイズ・ミー・アップという曲を聴いた時、その旋律にどこか懐かしさを感じ、記憶の遥か彼方にあった歌詞を思い出しました。「。。。港の町は リンゴの花咲く町 。。。さまよいぬ 。。。こそ君の かおりゆかしき姿」たったこれだけしか覚えておらず、また、何故この歌詞を知ったのかも思い出せませんが、こちらのサイトを拝見出来て、心に沁みる良い歌詞を知ることが出来ました。
有難うございました。

投稿: TOMIZAWA | 2011年3月 7日 (月) 23時19分

「ロンドンデリーの歌」は十代の頃から好きでしたが、近藤怜二の日本語詞は、二木先生のサイトを拝見するようになって初めて知りました。
リンゴの花はどんな香りなのでしょう…。作詞者に申し訳なく思いながら、この詞を読むたび、リンゴの実の良い香りが部屋に満ちるような気がするのです。
叶うことなら、リンゴの花の季節に北国の海辺の町を歩いてみたい…。
二木先生、この清らかな美しい詞を載せてくださって有難うございます。

投稿: nobara | 2012年5月22日 (火) 23時07分

他人から好きな歌ありますか、と聞かれたら、やっぱり、この歌を一番にあげると思います。でも、この歌詞「わが子よ・・」では一度も歌ったことはなく、私がこの歌を知ったのは、聖歌の345番「楽しき学びの園より」からです。本当に素敵な歌だなあと感動しました。でも、この歌は歌詞の内容が卒業式のときのものなので、みんなで歌うことはありません。最近見つけた新しい歌詞は、福音讃美歌の334番「愛する者は主のもとに」です。今は、この歌詞でロンドンデリーエアのメロディで、心から歌うことができます。本当に心から歌える素敵な歌です。

投稿: 上原 | 2014年2月14日 (金) 21時25分

1番の  どこに は 何処  ではないでしょうか?
コーラスグループで練習中ですが、50年前にタイムスリップしたようです。
ジェリー藤尾さんやサミーデイビスJr、が歌ったのを聞いた時の感動を思い出されます。

投稿: こまつ | 2015年6月16日 (火) 22時08分

こまつ様
「ロンドンデリー」ではなく、「ダニー・ボーイ」の……
      ↓
うっかりしました。ご指摘いただいたのは「ロンドンデリー」の津川主一の訳詞でしたね。元のコメントは削除し、その後半部分はこちらに転記しました。すみませんでした。

いちおう直しましたが、歌詞の表記については、はっきりした原則はないようです。同じ歌詞が歌集によって漢字だったり、平仮名だったりします。送り仮名もさまざまです。ですから、私は、言葉が違っていなければ、表記にはあまりこだわらないにしています。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年6月17日 (水) 23時15分

二木先生 こまつさんが述べられているのは、「どこに」の平仮名表記、漢字表記云々ではなく、「何処(いずこ) ということだと思います。

投稿: かせい | 2015年6月18日 (木) 01時08分

こまつ様・かせい様
どうもたびたびボケてしまって、お恥ずかしいことです。そろそろ頭の限界かもしれません。
3つの歌集で津川主一訳をチェックしたところ、いずれも「何処orいずこ)でした。「何処(いずこ)と修正しました。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年6月18日 (木) 03時37分

大好きな外国曲です。何といっても、メロディが美しいです。昭和28年春、普通高校に進学した私は、選択科目として”音楽”を選びました。男女共学ゆえ、混声合唱曲ばかりでしたが、その中にこの曲も入っており、♪あこがれは常夏の国 花は色とりどりに…♪の歌い出しでした(歌名などは失念)。メロディと歌詞がぴったり合っていて、とても心地よく歌えるのでした。
 当時は、外国曲に、それまでになかった新しい歌詞をつけた歌がいろいろあったように思います。例えば、「アンニー・ローリー」での投稿の中にあった「妹に」(深尾須磨子訳詩、♪赤い紅い丸い林檎…♪)も、その部類で、私も習った記憶があります。
 時代は移り、平成10年代後半、サラリーマン生活をリタイア後に、地元のコーラス同好会に入会し、色々なジャンルの歌の練習に取り組みました。2、3年経つと、私のコーラスの原点である、高校音楽の当時を振り返りたい気持ちが膨らんできて、教科書探しをはじめました。残念ながら、実家に保管していた音楽教科書は引っ越しの際に失われていました。近くの図書館、古本屋にも当たりましたが、見つからず、インターネットで手がかり探していたところ、近隣自治体の教育関係機関の図書室で教科書を保管していることが分かりました。早速当地に出向き、閲覧を願い出て探したところ、当時の高校音楽の教科書が見つかりました。大分色褪せていましたが、中身を開くと、正しく当時習った教科書でした。感激!必要部分のコピーを手に、満ち足りた気持ちで帰途についたことは言うまでもありません。
 帰宅して、中身をじっくり眺めたところ、「常夏の国(Londonderry Air)」(アイルランド古謡、水田詩仙作詞)がありました。約50年ぶりの再会でした。水田詩仙作詞の歌は、他にも、「母と子」(原曲:ウイーン古謡)、「春の歌」(メンデルスゾーン作曲)、「聴け聴け雲雀」(シューベルト作曲)が載っていました。優れた詩人だったのですね。いずれも好きな歌で、今でも時々口遊みます。
  このように、私にとって、「ロンドンデリーの歌」は「常夏の国」として心に刻まれているのです。

投稿: yasushi | 2016年1月24日 (日) 15時37分

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