« 逢いたいなァあの人に | トップページ | ダンシング・オールナイト »

学生街の喫茶店

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山上路夫、作曲:すぎやまこういち、唄:ガロ

1 君とよくこの店に来たものさ
  訳もなくお茶を飲み 話したよ
  学生でにぎやかなこの店の
  片隅で聞いていたボブ・ディラン
  あの時の歌は聞こえない
  人の姿も変わったよ 時は流れた

  あの頃は愛だとは知らないで
  サヨナラも言わないで別れたよ 君と

2 君とよくこの店に来たものさ
  訳もなくお茶を飲み 話したよ
  窓の外 街路樹が美しい
  ドアを開け 君が来る気がするよ
  あの時は道に枯葉が
  音もたてずに舞っていた 時は流れた

  あの頃は愛だとは知らないで
  サヨナラも言わないで別れたよ 君と

《蛇足》 1970年代キャンパスフォークの代表曲の1つ。

 昭和40年代以前に早稲田で学生生活を送った者にとって、「学生街の喫茶店」といえば、まず、旧第一学生会館横の筋向かいにあった「茶房早稲田文庫」でしょう。
 部室のないサークルがここに連絡ノートを置き、部室代わりに使っていたし、ここでゼミを行った文学部や教育学部の教授も少なくありませんでした。

 私が大学1年のとき、1つ年上の先輩に誘われて半年間だけ所属した文芸サークルの連絡ノートも、ここに置かれていました。
 そのサークルが第二文学部
(夜間学部)の学生たちが作ったサークルで、私の所属学部と違ったことや、私の興味が違う方向に向き出したことで、まもなく私は自然脱退した感じになりました。

 大学3年のとき、前述の先輩が心中未遂事件を起こし、郷里に連れ戻されたという話を、キャンパスで偶然出会った元の仲間から聞きました。

 昭和59年(1984)秋、経営者が高齢になったため、茶房早稲田文庫が閉店したというニュースを新聞で読んだとき、私の中に残っていた青春の小さなかけらが1つ、胸の奥でコトンと音を立てて落ちました。卒業からほぼ20年経っていました。写真は在りし日の「茶房早稲田文庫」です。

 前述の先輩が泥酔して用水路に落ちて死んだという噂が田舎から伝わってきたのは、それからさらに数年後のことでした。

 それはさておき、この歌のモデルになった喫茶店は、御茶ノ水駅から明治大学のほうに数分歩いたところにあった「丘」だそうです。

 日本エスペラント学会が本郷にあったころ(現在は早稲田町)、そこで会合を開いた学生エスペランティストたちは、もっとおしゃべりしたくて、「Je la 8-a, ĉe la Oka(イェ・ラ・オーカ、チェ・ラ・オーカ)」を合い言葉に、「丘」で落ち合って話し続けたものでした。「8時に丘で」という意味ですが、オーカが韻を踏んでいるのが気に入って使っていたのです。この歌がはやるよりかなり前のことです。

 「丘」でおしゃべりしたあの顔、この顔が浮かんできます。浮かんでこない顔もかなりありますが。

(二木紘三)

|

« 逢いたいなァあの人に | トップページ | ダンシング・オールナイト »

コメント

はじめまして 草木と申します
以前からずっと「MIDI歌声喫茶」のFANです
偶然このブログを見つけました
「学生街の喫茶店」は私の青春時代に流行っていたものですから思わず胸キュンになりました
色々な歌とそれにまつわるお話がとても楽しみです

投稿: 草木 | 2006年8月20日 (日) 06時46分

「丘」には私も何度かお世話になりました。72年1月だったかと思います。沿線の大学だったのですが、ロックアウトになり「学費値上げ」に反対する「共闘」が場所をお茶の水に移してあれこれ策を練ったのです。そうですか「学生街の~」のモデルがあの店だったとは… 2月には「連合赤軍」事件が勃発! だからというわけではないですが、そのあたりから「闘争心」にも翳りがでてきたような気がします。髪は切りませんでしたが、75年には就職。その会社もあと7年弱で定年となります。別のサークル活動で早稲田を訪ねたときは「茶房」で打合せでした。いかにも早稲田らしい雰囲気を憶えています。

投稿: K島 | 2007年6月21日 (木) 17時05分

高校3年の正月明けに、友人と3人で京都の大学見学に行きました。あまりの雪に、D大近くの喫茶店に入りました。1人の学生さんがお店の人に、「大学生活ももう終わりだなあ」と言っていました。浪人しましたが、3人とも京都の大学に入学しました。この曲を聞くと、あの頃の夢多き青年時代を想い出し、何故かしらすがすがしい気持ちになれます。

投稿: 本田雅生 | 2008年1月 5日 (土) 23時20分

米子育ちの母が好きな歌です。
最近は米子も変わってしまいましたが、30年位前はまだこういう感じの喫茶店があったような気がします。

投稿: sunday | 2008年4月16日 (水) 06時25分

学生街の喫茶店のモデルが「丘」だったと知ったのはつい最近です。私は長い間、「レモン」だったとおもっていました。でもいいのです、私の学生街の喫茶店は大学近くの想い出の喫茶店である「レモン」であり、「ボルガ」であり「さぼーる」あるいは「子弟食堂」でいいのです。
岩手の片田舎から明治大学に入学し板橋区常盤台の四畳半一間の生活を始めた時東京の全てが眩しくて大学前には騒動が起きるたびに機動隊の車列が並び田舎では決して目にすることができない光景を目の当たりにした事を今でも鮮明に思い出します。
今では懐かしい想い出ですが、とにかく貧しくて田舎の母親が自分の畑で耕作して送ってくれた野菜と米で命をつなぎました。アルバイト料が入ると、ちょっと気取って喫茶店で飲みなれないコーヒーを口にしました、その味の何と苦かったことか。
冬以外は全て下駄、服装は高校時代のシャツと学生服。そんな野暮ったい田舎者の私でも、同じ大学の女性に恋することができました。彼女の自宅は千駄木でしたからよくお茶の水から自宅まで歩いていったものです。そして、彼女の自宅に招かれしばしば食事をご馳走になったものでした。
政経学部入口の道を上ると山上ホテルがり、そこからお茶の水駅方向に数分歩くと「レモン」がありました。道路方向にガラス張りの壁面を配した喫茶店で当時でも格段にお洒落な店だと記憶していま
す。何度かその店で彼女と就職のことや勉強のことを語り合ったものでした。
結局、大学卒業と同時に別々の人生を歩むことになりそれぞれの子供達もすでに自分の家庭を持つまでに成長いてしまいました。もう遠い「学生街の喫茶店」の想い出ですが、曲を聞く度にあの楽しかった時代が蘇ります。

投稿: 小澤 | 2010年11月12日 (金) 21時52分

どなたにも思い出の中の学生街の喫茶店がおありでしょう。私にとっては、京大生の勉強会の場を兼ねた今出川通りの進々堂ですが、ガロの歌の雰囲気とは全く異なります。しかし、「あの時の歌は聞こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた」という部分は、多くの人にとって共感できる歌詞でしょう。自分にとって絶対の価値を持つ青春とその時代背景も、相対的な歴史観の中でしか語られないのは当然のことではあります。
学生街の喫茶店をテーマにした曲では、私は『コーヒーショップにて』が好きです。この曲を聴くと、何故か金沢大学がまだ金沢城跡にあった頃の金沢の町を連想します。

投稿: Yoshi | 2011年5月10日 (火) 21時23分

 進々堂京大北門前店のことが書かれているので、楽しくなって久しぶりにコメントさせていただきます。立地からすると、京大校舎の道路隔てた北側ーーということになります。道路は広い車道ですので、Yoshiさんがいわれるように学生街の喫茶店というイメージはありません。しかし一歩なかにはいると、ほとんどが学生か先生とおぼしき方たちでうまっています。大半がテーブルには辞書・教科書を置き勉強中。学校の図書館風ともいえるようです。その間に、僕のような京都めぐりの憩いのスポットでお茶をという連中も一人二人。  何故か心ひきつけられる場所です。小さな中庭も好しですね。ちなみに有名な京都の喫茶店は庭を配したところが多いです。

 まだ夢のままですが、早朝(まだ薄明かりのころ)に法然院を散策し、清水のイノダコーヒーでモーニングをたべる  まだ果せていないーー贅沢な夢です。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2011年5月11日 (水) 23時29分

進々堂、本当に懐かしいです。ケーキとコーヒーで粘りながら、法律の本を読んでいた(読んでいるふりをしていた)頃、青春の真っ只中でした。1回生のときに、1度だけ、早朝の法然院に行ったことがあります。33年前のことです。時間の経過は何かの間違いかもしれません。

投稿: 本田雅生 | 2011年6月23日 (木) 23時15分

進々堂と法然院、学生時代の思い出を含め、思い入れの強い場所です。この場で双方とも話題になるのは意外なことであり、嬉しくもあります。
6月に京都に出張した折に、京大周辺を散策しました。進々堂は健在でしたが、時間の都合もあり、入らずに通り過ごしました。
法然院は山門の茅葺屋根と玉砂利の上に楓の葉が散る秋の季節が一番好きでした。早朝に尋ねたことはありません。山門は閉まっていないのでしょうか。
5月11日のコメントで、『コーヒーショップにて』としたのは『コーヒーショップで』の誤りでした。この歌を唄ったあべ静江さんは大変な美人でしたが、それとは無関係に曲・詞が好きです。
ガロの歌からかけ離れた話題で申し訳ありません。

投稿: Yoshi | 2011年9月14日 (水) 22時28分

喫茶店で、緑色のクリームソーダを飲んでいた頃、コーヒーは、苦くて、、、若かった。喫茶店がテーマ?の曲も時代と共に変化して行く。スタバのBGM とても歌えそうにない。ng

投稿: taka-shiz | 2014年9月 3日 (水) 23時25分

ボブ・ディランさんがノーベル文学賞をもらわれてーー

そうだ 歌詞に歌われていたなぁ となつかしく この
  学生街の喫茶店  をきかせていただいております

 ここ何年か ハルキストの勝手連が 発表日に集まり 祈っている人もおられます 今年は発表時間に合わせてカウントダウンまでしているのが ニュースでながれていました  どうでしょう  もっと我々やらなければいけないこと 考えなければいけないことが あるのでは と感じています  マスコミ 報道が自由なものでなく偏向報道で意識誘導されているような昨今 生きる という基本的な問題で 考える必要があるのではないでしょうか  憲法 放射能災害 天変地異 高齢化 など

 東北 熊本 沖縄  どうしようもなく遣る瀬無き状態に追い込まれている方々に 気持ちだけでも寄り添っていきたいものだと考えています

 コメントする場所がちがいますが りんごさま
磯田氏の本は 丁度一週間前に買った本にはいっていました 姿勢を正して読ませていただきます 有り難うございました
 清貧 清廉 きれいな言葉てす  人間清濁あわせ飲まねば とか 清水に魚すまず とか申します

 しかし 濁った真っ黒な政治屋が差配するような国からは 逃げ出したくなりますね 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年10月16日 (日) 19時13分

ボブディランのノーベル文学受賞を嬉しく思っています。私はアンチ春樹ストです。
村上、ポルノ、オカルト色には???の連続です。

私は高卒であるがゆえにこの歌に惹かれます。
娘が関西にいるので上洛の折は京大キャンパス、同志社の赤レンガ群を彷徨ては仮想に浸ります。
大阪の関西学院では在阪の幼馴染と社会人のゼミに参加したり、果たせなかった夢を追体験致しました。

一昨年、地元で聴いたボニージャックスの「学生街の喫茶店」に涙が止まりませんでした。ボニーの抒情的な歌唱に酔いました。

能勢の赤ひげ様

「無私の日本人」
3人めの「太田垣蓮月」の最終章で不覚にも泣きました。

投稿: りんご | 2016年10月17日 (月) 08時43分

りんごさま  京都をもの想いながら 彷徨されたり、関学で講座をうけられたりと 能動的行動は うらやましいものがあります 
 
 僕は 関学の丘陵を東に下った地で長く過ごしましたし 京都はとても好きなところですーーあなたが 宮本氏 磯田氏のことを書かれたとき 流転の海 を読んでいる最中であったり 買いだめしている本に磯田氏のもあったりで
 波長が合いすぎているな と感じたりしております 

 本読み もいいものですね  この二木先生のサイトで曲をながしながら 好きな題材の本に遭遇し 読みふけれるのは 至極の時間といえます

 この年齢になっても 読んだことのなかった作家さんの素晴しい一冊にであえる楽しみ ワクワクします
 感動すると 必ず友人にすすめてしまう厚かましさ これもかわらないです  また これはいいよといわれると 今はすぐその気になりますが 昔は 頑固でつっぱりで 話題作は読まなかったです へそまがりの典型です 何十年もたってから 自然に呪縛から開放されよんでしまったりーー
 その代表は 樅の木はのこった でした  三度も読みました  
 春樹氏の件に関しては 僕は一冊も読んでいません   小生の高校の一年下の方です  後輩の書いたものなど読めるかい などの つっぱりが尾をひいているのでしょうか   
 あくまでも 速読 濫読の範疇にはいり 恥ずかしいかぎりですが 作家さんを気に入ると その方のは10冊は溜め込みます

 今は 辻邦生氏の 生きる美しさ と
   吉村昭氏の 正確な緻密な真実 とに時間をとられています
 本読みから 新しい気づき を得られることは何物にも代えがたいです
 
 岩尾別 進々堂 法然院  Yoshiさまとも ゆかしきものがあるような気がします

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年10月18日 (火) 21時45分

リンゴさま、「無私の日本人」、以前本屋の店頭でそのタイトルに魅かれつつも通り過ごしました。今、アマゾンのカスタマーレビューで感激しています。ご紹介ありがとうございました。

投稿: yoko | 2016年10月19日 (水) 00時56分

二木先生に導かれて皆様のコメントを拝読しては
様々な感慨に打たれます。
この場をお借りしての交流をご容赦ください。
能勢の赤ひげ様
宮本輝氏の「流転の海」は完結編を待つばかりですね。
辻邦生氏はイケメンぶりもさることながら
相当昔、朝日新聞での「水村美苗さんとの往復書簡」~手紙しおりを添えてが記憶に残っています。以来、水村美苗さんとともに目を離せない作家となりました。特に水村美苗「日本語が亡びるる時」など若い人に読ませたい作品です。

YOKO様
母さんの歌の貴方のコメントに涙が込み上げました。
「無私の日本人」も必ずや琴線に触れると思います。


投稿: りんご | 2016年10月20日 (木) 16時27分

 ノーベル賞に「ボブ・ディラン」が出て、すぐこの歌を思い出しました。それまでは「ボブ・ディラン」どういう人かも知りませんでしたが、九州の片田舎にいました。学生時代も九州でした。仕事も田舎回りで退職まで過ごし、東京は2,3度しか行きませんでした。そういう暮らしが周りには多いでした。
この歌にはいろいろなことを思い出させてくれます。

投稿: 今でも青春 | 2016年10月23日 (日) 19時29分

社会人となってから数限りない喫茶店に通いましたが、”学生街の喫茶店”らしき店に入った記憶はありません。京都での一年間の予備校生時代に喫茶店には一度も入りませんでした。お金がなかったし、田舎から出てきたばかりて、喫茶店に入る習慣もありませんでした。

予備校で国語の先生が、「君たちは人生で最高のチャンスに恵まれているのです。今は、大学受験のことしか考えていないでしょうけど、出来るだけ京都をたくさん見て欲しい。お寺、お祭り、町並みをできるだけ歩いて見て欲しい、きっと将来の君たちの宝になります。」とおっしゃいました。

私は母に、「一か月一万円でやっていく。一万円より多くは送るな!と意固地に言い張って田舎の家を飛び出し京都に行きました。下宿の家賃が6畳一間で6千円、一日の食費が100円、銭湯の料金が30円の目安で、下宿と予備校を徒歩で往復するだけで精いっぱいの生活費でした。

夏に近くなり、下宿のおばさんが、可哀そうに思ったのか、「yokoさん、この自転車、古いけど使ってください」と言って、自転車を貸してくださいました。それで土、日は、市内を走り周って楽しむことができました。ある日、京都の街らしからぬ荘重な建物が大きな木々に囲まれて林立している通りに出くわしました。「すごいなぁ~、何だろう」、と思い、下宿に帰って地図で調べてみると京都大学でした。かすかな畏敬の念を抱きました。しかしその後京都大学の近くに立ち寄ることはありませんでした。

暮れも押し迫ると寒くて炬燵に入り、丸くなって、勉強できません。「そうだ、資料館に行って勉強しよう」と思い立ち、府立総合資料館の自習室(無料)に行きました。しかし今度は受験参考書を広げても、暖房がここちよ過ぎて眠ってしまいます。「あ~、今日も勉強できなかった、明日はしっかり勉強しよう。」、と思う毎日の繰り返しでした。

団塊世代の平々凡々な僕にとって、京都で獲得した思い出の宝ってなんだろう、と思ってみました。”学生街の喫茶店”ならぬ、”左京区府立総合資料館”かな~、と思います。

先日、グーグルのストリートビューで賀茂川を超え、北山通りを東に向かいました。資料館にぶつかりました。京都を去って以来、実に50年ぶりの再会です。懐かしいです。

夢から醒めたスクルージ(クリスマスキャロル)が窓に駆けより外を眺め、「オー、グローリアス!、オー、グローリアス!」と感激して叫んだ瞬間を思い出しました。

少年スクルージ君は、今でもあの資料館の自習室で受験参考書とにらめっこしているのだろうか・・・
そんな幻影にとらわれました。

投稿: yoko | 2016年11月 8日 (火) 16時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 逢いたいなァあの人に | トップページ | ダンシング・オールナイト »