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忘れな草をあなたに

(C) Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:木下龍太郎、作曲:江口浩司、唄:梓みちよ/菅原洋一

1 別れても別れても 心の奥に
  いつまでも いつまでも
  憶(おぼ)えておいて ほしいから
  幸せ祈る 言葉にかえて
  忘れな草を あなたに あなたに

2 いつの世もいつの世も 別れる人と
  会う人の 会う人の
  運命(さだめ)は 常にあるものを
  ただ泣きぬれて 浜辺に摘んだ
  忘れな草を あなたに あなたに

3 喜びの喜びの 涙にくれて
  抱(いだ)き合う 抱き合う
  その日がいつか 来るように
  二人の愛の 思い出そえて
  忘れな草を あなたに あなたに

《蛇足》 昭和39年(1964)リリース。『さくら貝の歌』などと並ぶ抒情歌の不朽の名作といってよいでしょう。歌詞・メロディとも流麗で、今なお愛唱する人が数多くいます。

 忘れな草は、初夏に紺碧色の花を咲かせるムラサキ科の一・二年草で、川辺や湿地でよく見られます(右の写真)。英語ではforget‐me-not、ドイツ語ではVergissmeinnichtといいますが、いずれも「私を忘れないで」という意味です。 
 この由来を説明する伝説がいくつもありますが、有名なのは次の伝説です。

 ある若者が、ドナウの川辺で恋人のために珍しい青い花を摘み取ろうとしますが、崖から身を乗り出したとたん、足をすべらせて川に落ちてしまいました。最期の瞬間に、彼は少女に向かって、「僕のことを忘れないで」と叫び、急流に飲み込まれました。
 残された少女は、若者の墓にその花を植え、彼の最期のことばを花の名にしたといいます。

 下の短歌は、私の母の遺作の1つです。

コンクリートのしろき川辺に降る雨よ
  勿忘草を探してをらむ

 かつてサラサラ流れていた清流は、三面をコンクリートで塗り固められ、ただの用水路に変えられてしまいました。それでも、虐殺をまぬがれた川の縁では、今も野草がそれぞれの季節に可憐な花をつけています。

(二木紘三)

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コメント

37年生まれの者です。
最近の曲は早過ぎて歌いにくい曲が多く有ります。
嫌いではないのですが聞き役にまわってます。
なつかしの曲は、歌いやすく
そして優しいメロディーが多く、
二木さんのサイトは私のお気に入りです。
長く海外にいるので、なつかしの曲は
私に、日本の情景を見せてくれます
ありがとうございます。

蛇足の方が好きだったりもしますが・・(^-^)

投稿: ゆみ | 2006年9月10日 (日) 23時14分

ありがとう。
長い海外生活で日本の歌が大変恋しくなっている時にサイトで見つけました。
もうほとんど毎日のように唱ってみています。

最近は時間も出来たので私の住んでいる市の運営する歌のレッスンにも参加するようになりました。12月22日は発表会で私は「里の秋」と「囚人の歌」を唱うことにしました。

年が年なので発声がちょっと乱雑ですが気持ちを込めて唱おうと思っています。
ありがとう。

投稿: 川端喜美子 | 2007年12月18日 (火) 09時08分

二木様のうた物語、いつも懐かしく拝聴しております。中でもこの歌は特別な想い出のある歌です。

私がこの歌を初めて聴いたのは1969年に高校の修学旅行で九州へ行ったときでした。4日間付き合ってくださったバスガイドさんは歌が苦手とか言ってあまり歌われなかったのですが、我々がバスを降りる小倉港に着く直前に最後の想い出になるようにと「忘れな草をあなたに」を歌ってくださいました。初めて聴く、短調のとてもよい歌でその後しばらく頭を離れませんでした。後にこの歌が1965年の日活映画「悲しき別れの歌」のテーマ曲であったことを知りました。「忘れな草をあなたに」はバスガイドさんの想い出とともに自分の青春の一頁に残る名曲になりました。

この時以来、江口浩司さんの曲が好きになり、三橋美智也さんの「石狩川悲歌」や芹洋子さんの「椎の木日記」が愛聴曲になりました。後者の歌はあまり知られていないかも知れませんが、江口浩司さんの曲の中では大好きな曲の一つです。

投稿: JUN | 2008年9月 7日 (日) 22時41分

昭和39年高校の修学旅行で関東へ行きました。愛媛の最南端の町から東京までどんな交通手段で行ったのか全く思い出せませんが、この時代に飛行機を使うことはなかったし・・・船は時間がかかりすぎますから、汽車で行ったのでしょう。日光東照宮や華厳の滝を見て水道橋の宿舎までの道中、バスガイドさんが、「今、こんな歌が流行しているのですよ」と言って、「忘れな草をあなたに」を歌ってくれました。
 この歌を聴いてクラス全員が虜になり、ガイドさんに是非教えてほしいとせがみ、結局宿に帰り着くまでの二時間以上を、全員でこの歌だけを繰り返し歌いました。宿舎に着き、バスを降りる我々に頭を下げながら泣いているガイドさんに気付きました。
 若いガイドさんで、年齢は聞きませんでしたが、多分我々より一つか二つ上だったでしょう。バスまるごと一つになった、この修学旅行で唯一忘れられないひと時でした。帰校して、ガイドさんに手紙を書こうという話になり、先生にお願いして宛先を調べてもらったように思いますが、果たして出したかどうかは残念ながら記憶にないのです。 
 今年定年で教職を退きました。何回も小・中学生を修学旅行に引率しましたが、あのバスの雰囲気を二度と味わうことはありませんでした。
 あのガイドさんは今でもご健在でしょうか。多くの高校生にこの歌を歌って聞かせたのでしょうか。リリースされたばかりの歌だったのですね。

投稿: 吉田 晃 | 2008年9月19日 (金) 16時54分

メロディを聴きながら「蛇足」を読むのが楽しみです。
今日は、お母様の佳い短歌も鑑賞させていただきました。

 昔よく見かけた忘れな草がひょっとして咲いてはいないかしらと、暖かい春雨に誘われるように川辺まで来てみたけどコンクリートで固められた川岸にその姿を見つけることはかなわぬ夢だった。
 春雨よ、おまえもきっとあの忘れな草を懐かしんで降っているのでしょうね。

投稿: 周坊 | 2008年9月20日 (土) 15時59分

先頃、作詞家の木下龍太郎先生の訃報を聞き、とても残念でなりません。わたしが、「忘れな草をあなたに」を、最初に聴いたのは、まだ、歌声喫茶が華やかりし頃、昭和40年だったでしょうか。九州からでてきて、まだ2年目位だったと思います。休みの日に、同じ田舎から出てきていた友達とふたり、大阪の梅田をぶらぶらしていて、みかけた歌声喫茶「田園」でのことでした。若い人でぎっしり埋まったホールで、小さな歌詞集を見ながら、リーダーの声に合わせて、唄いました。コーヒーが100円ほどだったと思います。
翌年の正月、帰省したときに、市内のデパートの一室で、一回目の同窓会が行われたその席上で、この歌を歌いました。
いつまでも忘れない思い出です。プロの歌手の皆さんの歌が広まったのはその後からだったでしょう。
作詞の木下龍太郎さんを知ったのは、ずっと後になってからでした。50を過ぎてから始めた作詞で、ある雑誌に投稿して、最優秀賞をいただいたときの、審査の先生が木下龍太郎先生でした。人生で、めぐりあった歌で、心に一番残る歌です。改めて、木下龍太郎先生のご冥福をお祈り致します。

こちらのサイトを知ったのは、つい最近、詞つながりで知った作曲をされる女性を通してですが、こんな素晴らしいホームページがあったのかと、この出会いに、感謝しております。時々に歌を口ずさみつつ、日常生活をがんばろうと思いますので、よろしくお願いします。


投稿: 茨一径 | 2008年10月 8日 (水) 16時01分

ある夏の終わり頃、病気の妻が大きな鉢にスミレや菊、わすれな草などを寄せ植えにしました。その時、この歌を小さな声で唄っていました。
それから3ヶ月ぐらいして妻は星になりました。
私は今でもこの歌は涙で歌えません。いつも聞くだけにしてます。本当に良い歌だと思います。
鉢のわすれな草は今年も咲きました。
皆さん、暗い話でごめんなさい。

投稿: 連太郎 | 2008年12月 7日 (日) 00時49分

二木先生の母堂は詩人だったんですね。だからご子息も血を受け継いでいらっしゃるのだなと思いました。

JUNさんのコメントに青春の多感な頃を思い出しました。吉田晃さんのコメントに涙がこぼれました。ともにバスガイド冥利に尽きるでしょうね。

バスの思い出としては私もあります。以前フランス・ドイツなどに観光旅行に行ったとき、フランス人の粋な運転手さんの明るさと誠実な人柄に、別れの日、この旅で仲良くなった客一同で、前日相談して買っておいたプレゼントを上げて感謝の意を表しました。運転手さんはびっくりしていましたが、運転手冥利に尽きた事でしょう。あとで女性のバスガイドさんがポツリと「私、日本の方を見直しました…」と洩らした言葉が印象的でした。

近年「添えぬ恋、宿、別れ」など、不倫モノのド演歌作詞家という印象が私には強かった大ヒット作詞家の木下龍太郎さんが、この曲を作詞されていたのだとは知りませんでした。きれいで清澄な詞ですね。埼玉県の「いきがい大学」校歌になっている「四季の歌」が、神野美加のご主人である荒木とよひさ氏の作詞だと知ったときと同様に驚いています。

投稿: 吟二 | 2008年12月 7日 (日) 10時32分

御ブログに画像入りはめずらしいですね。西洋人の目の色にありそうな、この青い色にはウットリします。

投稿: Bianca | 2008年12月 9日 (火) 16時33分

<12月7日投稿の連太郎様へ>
 この曲を聴きながら、連太郎さんの文章を読んで
涙が止まりませんでした。いつの日か歌えるように
なればよいですね。
「時があなたの悲しみを癒し、亡き奥様とのたくさんの美しい思い出があなたを慰めてくれますように」

投稿: 荻原 敏章 | 2009年1月 3日 (土) 17時28分

荻原 敏幸様
優しいお言葉をいただきありがとうございます。
荻原様のおっしゃるとおり、時が癒してくれるようですね。
最近、その意味がやっと分かる時が来たようです。
また、多くの方々からの励ましと、このサイトも大きな支えです。感謝。 

投稿: 連太郎 | 2009年1月22日 (木) 02時02分

二木様のサイト、時々楽しませていただいております。

この歌の歌詞が一箇所違っておりますのでコメントさせていただきました。
一番の「幸せ祈る言葉にそえて」とありますが、正しくは「言葉にかえて」です。小生はこの歌の歌詞がとても好きなので、気がつきました。


投稿: Utsuki | 2009年2月10日 (火) 00時49分

Utsuki 様
私も「かえて」と覚えていたのですが、midi(その後mp3)を作る際に見た全音の歌集には「そえて」とあったので、それに従いました。歌集のなかには「そえて」としているものもいくつかありますが、倍賞千恵子が「かえて」と歌っているのに敬意を表して、それに変えました。

「……言葉にそえて」だと、「どうぞお幸せに」といった言葉とともに忘れな草を渡す、というイメージになりますが、「……言葉にかえて」だと、何も言わずに万感の思いを込めて忘れな草を渡す、といった感じになります。日本人の心情には、こちらのほうがよりアピールしますね、確かに。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年2月10日 (火) 18時06分

二木先生のお母様はもしかしたら、若いころ心に秘めた方がいらっしゃったのかもしれない、などと想像しながら楽しんでいます。

投稿: たか子 | 2009年9月27日 (日) 17時00分

二木先生のこのサイトにはよく訪れて、懐かしい曲を聴かせていただいております。「忘れな草をあなたに」は私の好きな曲のひとつです。

人事異動や退職などで職場を去るときには、いつも「忘れな草」の画像をメールに添付して職場の皆さんに送ってきました。お別れのメッセージを贈るのよりも、「忘れな草」を贈る方が何となくすがすがしい気持ちがするからです。

投稿: cosmosfish | 2009年12月 5日 (土) 22時23分

歌と踊りが好きで、時々口ずさんでいます。「わすれな草」は私たちの小さな踊りの会の名前にもなっています。

皆さんのコメントを見ながら聞いています。
有難うございました。

投稿: 瑛之祐 | 2010年1月14日 (木) 12時39分

昭和39年頃、蒲田にあった通信機の会社にいたころ職場の仲間と、川崎駅前にあった歌声喫茶『エルサルバドル』によく行った。会社の昼休みは喫茶で覚えたての歌を芝生に寝っ転がり、男女含めいつも十人位でガヤガヤやってました。その頃この『忘れ・・・』毎日ように歌ってました。私も古希を迎えましたが、この歌を聴くと東北から来てた18前後の女の子たち、今幸せかなーと思い出します。若い寮生でしたから楽しい職場にと、皆を連れて毎月の様に海山と出かけてました。その時いつも携行するのは歌声喫茶のミニ歌集でした。今でもその頃の悪童?連中とは文通してますが、その子達とは・・
今では皆の健康と多幸を祈るばかりです。

投稿: 郷野保房 | 2010年3月23日 (火) 09時36分

倍賞千恵子の「忘れな草をあなたに」が私の今の気持ちです………深く愛しあった初恋の彼女とふとしたきっかけで連絡が取れました  Mailをやり取りする中での言葉です  すっかり忘れていた歌詞を見ながら曲を聞いています ○十年前にタイムスリップして感激  歌は妙を得て心を代弁してくれますね  彼女が以前にも増して好きになりました

投稿: くろかつ | 2010年4月 7日 (水) 07時47分

いい歌ですね・・・私にもほろ苦い想い出の歌です
詳しくは書きたくありません・胸にしまっておきます
いつもしんみり唄っています

投稿: 田中喬ニ | 2011年4月 7日 (木) 12時22分

昨日、ご近所の三崎千恵子さんの葬儀に出席、一昨日の通夜には山田洋次監督がご挨拶されたそうですが、昨日の葬儀では倍賞千恵子さんが送別の辞を述べられたことは報道された通りです。倍賞さんの惜別の辞は、おばちゃんへの想いが込められ、私も深い感動を覚えましたが、そのなかで、「忘れな草をあなたに」をアカペラで、涙を堪えながら歌われたのでした。最後の「あなたに」を「おばちゃんに」に代えて歌われていたようでした。この歌、昭和三十年代後半の雰囲気を象徴する叙情性溢れる歌詞で、八十歳近い馬齢を重ねた我が身も、まさに身につまされる想いで、聞き入った次第です。倍賞さん、ありがとうございました。

投稿: 紀の国 縞次郎 | 2012年2月21日 (火) 00時19分

今我が家の庭に、青い可憐な忘れな草の花が咲いています。春の空よりもきりっとした青い色です。50数年前、始めて憧れの彼が我が家の玄関に立ったのはこんな春の日でした。青みがかった美しい目をした19歳の彼、16歳の私は彼を見た瞬間固まってしまいました。幼すぎて見つめるだけの数年でしたが、今、会いたいのは彼ではなくあの時の自分ではないかと気がつきました。美しい物にひたすら憧れていた10代の自分に会ってみたいと思います。忘れな草の様な青い心になれるかも。

投稿: ハコベの花 | 2012年4月13日 (金) 00時20分

ある投稿者の指摘を受けた後、管理人氏は、一番の歌詞中、「そえて」を「かえて」に改められた、とのこと。
 表現の分かり易さ、語感、更に歌い易さなどから、「かえて」が主流のようですが、わたしは、「そえて」の方が好きです。
 「あなたが幸せでありますように。でも、私のことも忘れないでくださいね」。その、でも以下は、言葉にしないで、そっと、「忘れな草」を手渡す、そこに、日本人的なゆかしさを覚えるからです。
 「幸せ祈る言葉にかえて」では、「幸せ祈る」が浮いてしまいます。何も言わずに渡す、となると、「私のことを忘れないで」という思いだけが強くアピールされる形になる気がします。「相手の幸せは祈らんのかい」と突っ込みを入れたくなります。
 これは、どちらが正しいかの詮索ではなく、個人的な感想に過ぎません。管理人氏の判断にいちゃもん付ける
気は毛頭ありません。(倍賞千恵子が「そえて」と歌ってる映像もありました)

*忘れな草の花言葉にもしも「相手の幸せを祈る」という意味も含まれているとすれば、わたしのコメントは的外れになりますので、その場合は削除お願いします。
 長くなって、すみません。

投稿: MAEDA | 2013年1月23日 (水) 06時15分

私がこの歌に投稿したのは3年前でした。美しい青年に恋をした話でした。ずっと心の片隅に彼は青年のまま棲んでいました。会えなくなってから55年が経ちました。それが1週間前パソコンの中に彼がいたのです。多分79歳になっていると思います。きりっとした美しい目がとても優しくなっています。すらりとした姿勢はそのままでした。昔は彼に会うと固まってしまってロクに話も出来なかったので、しみじみと昔話が出来たら本当に嬉しいのにと思います。住所も電話番号もわかってしまったのですが、気持ちに負担が掛かることはやめて置いたほうが無難ですね。
3番の歌詞のようにはいきません。来年の春には勿忘草を咲かせたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2015年9月 2日 (水) 22時30分

木下龍太郎氏は多くのご当地ソングも作詞されているようですね。弦哲也曲で川野夏美が歌う「室戸岬」を聞くと、3番までのフルバージョンの2番目には見慣れた夫婦岩が歌われています。聴きやすい歌で、若い日の失恋の思い出がよみがえります。辛い恋の舞台になるのは北の岬だけではありません!? 遥かなり 室戸の海よ 今日は凪いでか(愚作) 

投稿: 樹美 | 2015年9月 3日 (木) 17時05分

ハコベの花さま、
連絡を取ってお会いになってみたらいかがですか、なんてお勧めします。きっと楽しい思い出話ができるでしょうね。お相手の方も喜ばれることでしょう。私は昔住んでいたことのある街が懐かしくなって訪ねてみることがあります。目指す建物は無くなっていて寂しく感じたりもするのですが、それでも通りをぶらぶらと歩きながら若かりし自分がまだ自分の中にいることに気付いて嬉しくなります。

投稿: yoko | 2015年9月 4日 (金) 19時54分

yokoさま 有難うございます。それが出来ればどんなに幸せな事かと思います。彼に出会った時は、彼が防衛大学に入学する前でした。防大にはいったのを知った時、私は愕然としました。あまりのショックに高校3年の時、『徽章』(鳩と桜)という題で小説を書きました。安保反対運動が起こり始めていた時です。高校の文芸誌に発表したものを彼に読ませてしまいました。彼は不愉快だったと思います。大学の休暇には我が家に遊びにはきましたが、私と個人的には話をしませんでした。いつも、じっと見つめるだけでした。他に私を愛してくれた人も出来、そのままの別れとなってしまいました。あと何年の命かと考えた時、彼に会っておきたいと思ったのです。こちらの一方的な思いですから彼にとっては迷惑かも知れません。現在の彼がまだ美しいのが分かっただけでも嬉しい事でした。私は軍隊の行進が大嫌いですから上手くいく訳はないのです。私も汚いお婆さんにならないように頑張って生きたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2015年9月 4日 (金) 22時43分

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