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オールド・ブラック・ジョー

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:Stephen C. Foster、日本語詞1:緒園凉子

1. Gone are the days
   When my heart was young and gay,
   Gone are my friends
   From the cotton fields away,
   Gone from the earth
   To a better land I know.
   I hear their gentle voices calling:
   "Old Black Joe"
       (Chorus:)
       I'm coming, I'm coming,
       For my head is bending low,
       I hear those gentle voices calling:
       "Old Black Joe"

2. Why do I weep
   When my heart should feel no pain?
   Why do I sigh
   That my friends come not again
   Grieving for forms
   Now departed long ago?
   I hear their gentle voices calling:
   "Old Black Joe"
       (Chorus:)

3. Where are the hearts
   Once so happy and so free?
   The children so dear,
   That I held upon my knee
   Gone to the shore
   Where my soul has longed to go.
   I hear their gentle voices calling:
   "Old Black Joe"
       (Chorus:)

1 若き日はや夢と過ぎ
  わが友みな世を去りて
  あの世に楽しく眠り
  かすかに我を呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー
  われもゆかん はや老いたれば
  かすかに我を呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー
  われもゆかん はや老いたれば
  かすかに我を呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー

2 などてか涙ぞ出(い)ずる
  などてか心は痛む
  わが友はるかに去りて
  かすかに我を呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー
  われもゆかん はや老いたれば
  かすかに我を呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー
  われもゆかん
  はや老いたれば
  かすかに我を呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー

《蛇足》 フォスターは南部の黒人の生活に題材を採った曲を何曲も作っていますが、これもその1つ。生涯を南部のプランテーションで働き続けた黒人奴隷が、この世を去ろうとする際の諦観の思いを歌ったものです。
 南北戦争開始の前年、奴隷解放宣言の3年前の1860年に、ニューヨークで楽譜が発売されました。

 上の絵は、同年に作られたジオラマで、先に逝った仲間が「オールド・ブラック・ジョー」と呼ぶ声のイメージを描いたもの。
 ジオラマとは、箱の中に風景画と展示物を置き、その箱の1つの面に設けられた窓から覗くと、照明などの効果でほんとうに風景が広がっているかのように錯覚させる見せ物で、フランスで発明されました。

 この曲は最初、ミンストレル・ショー(Minstrel Show)で歌われましたが、やがて広く歌われるようになりました。
 ミンストレルは、白人が黒人の扮装をして歌やジョークを聞かせる喜劇芸人団です。白人が顔を黒くし、唇を白で厚ぼったく塗って、黒人英語をまねたしゃべり方をするわけですが、ミンストレル以外にも、町の祝祭日などに住民によってよく演じられました。

 公民権運動が進むにつれて、このようなショーは黒人を蔑視するものとして批判され、現在ではほとんど演じられません。
 日本ではときどき、テレビタレントがこのような扮装で歌ったり、コントをしたりしますが、アメリカ人が見たら、不快に感じる人が多いはずです

 昭和20年代~30年代には、フォスターの作品は中学音楽教科書の定番でした。私も、この歌は中学の音楽の時間に覚えました。

 日本語詞としては、上記のほかに次の2つがあります。

(久野静夫)
1 楽しき若き日は過ぎ わが友はや去りゆきて
  み神のみ手にぞ憩う やさしくも呼ぶ声
  オールド・ブラック・ジョー
  我も行かん 老いたる我を
  やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー
  我も行かん 老いたる我を
  やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー

2 涙はほほに伝いて わが胸痛みにたえず
  こころはこの世を去りて やさしくも呼ぶ声
  オールド・ブラック・ジョー
  我もゆかん 老いたる我を
  やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー
  我もゆかん 老いたる我を
  やさしくも呼ぶ声 オールド・ブラック・ジョー

(津川主一)
1 いずこぞ若き日の夢 いずこぞ過ぎし日の友
  世を去り天国(みくに)へのぼり やさしくわれを呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー
  われも行かん 力は失せぬ
  静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー
  われも行かん 力は失せぬ
  静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

2 何ゆえわれは歎くや 何ゆえこころ沈むや
  天国(みくに)へ友はのぼりて やさしくわれを呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー
  われも行かん 力は失せぬ
  静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー
  われも行かん 力は失せぬ
  静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

3 楽しき日は遠くなり いとしきわが子もゆきぬ
  かの世も今はま近し やさしくわれを呼ぶ
  オールド・ブラック・ジョー
  われも行かん 力は失せぬ
  静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー
  われも行かん 力は失せぬ
  静かに聞こゆるは オールド・ブラック・ジョー

(二木紘三)

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コメント

まあ、アメリカ人が不快に感じるとしても
日本人の悪ふざけというよりも
己の心の奥底にある汚らしい人種差別心を思い起こさせて
不快になるんでしょうね。ww

投稿: すすす | 2007年10月24日 (水) 02時52分

たまたま開けたページに緒園涼子の名前を見つけて、いや待てよと思い出し、昔の教科書を探し出しました。
初等合唱曲集1、佐々木幸徳著、東京音樂書院、1950年11版。
小学校五年の時のものですが、40曲ほどの楽譜の半数近くが緒園涼子作詞でした。
ともにドイツ民謡に氏が詞をつけた次の二つは今も愛誦歌です。

夕べ丘に のぼりきて 小さき花を 手折りつつ…思出の歌
風は光る あしたの空 東雲あかねに…風は光る

東京下町の小学校の1950年。ドレミではなくツェエゲで教わった教科書でした。

投稿: 大坂一義 | 2009年8月 4日 (火) 19時41分

この歌詞は、幼なかった昔はよく分りませんでしたが、親戚や知人の多くが世を去った今、実感できるようになりました。歌詞ですが私の憶えているのは「若き日 はや夢と過ぎ わが友 みな世を去りて あの世に楽しく眠り かすかに我を呼ぶ オールド~」です。

投稿: Bianca | 2009年8月 4日 (火) 22時30分

大正生まれの母が好んで歌い、3~4歳だった私が、おそらく生まれて初めて聴いた外国語の歌です。日本語の歌詞は、少し後に覚えました。
私にとっては「わが母の教えたまいし歌」…久しぶりにとても懐かしく聴きました。

緒園涼子訳詞、ホーソン作曲の「希望のささやき」なども好きです。


投稿: nobara | 2009年8月 5日 (水) 15時54分

この歌も素朴でいいですね。あの世が近いことを知りながら、明るい。このように最後を迎えたいものです。

投稿: 三瓶 | 2009年8月 8日 (土) 20時23分

戦後の21年、中学生になった時に教えて頂いたオールドブラックジョーを懐かしく聞くことが出来ました。76年を経ても口ずさむことが出来て感動しました。有り難うございました。

投稿: 成田惣平 | 2014年7月17日 (木) 11時38分

67年前の21年に初めてこの歌と出会い懐かし。   この曲は戦時中英語が禁止されていた後に初めて出会ったこのオールドブラックジョー・・・今は当時の同窓生を思い浮べ次に会う同窓会が待ち遠しい。老いてゆくからこその郷愁、すぎし日はいい想い出ばかりです。
粟賀中学校バンザイ!!

投稿: 成田惣平 | 2014年7月25日 (金) 09時54分

小津安二郎監督の1936年作品「一人息子」のオープニング、エンディング曲として使われています。ゆるやかなテンポで、余韻が残ります。 飯田蝶子の演技が光ります。

投稿: かせい | 2014年9月 6日 (土) 23時59分

中学で習い、と言うか音楽室でクラス全員について歌ったと思います。繰り返し、叩きつけるようなリズムに感じられ、忘れないで頭に残っている。音楽は苦手、難しいので、文意理解まで届かず、歌詞なぞは謎につつまれ……、恥ずかしながら、オルドブラックジョウは”黒い古城”と長らく思っておりました。

60年代の公民権運動や、こうべを垂れつつ拳を天にむけて上げる五輪表彰台ステイトメントからすると、フォスター作詞この歌詞は’アンクルトムの小屋'と同じ文脈に乗っているのでしょうね。ファーガソン騒動の時、インタビューを受けたデモ参加者いわく”昔と全く変っていないんだよ”と。教科書に採用されたのは、悪夢だったのでしょうか。

投稿: minatoya | 2015年1月27日 (火) 12時35分

「オールドブラックジョー」、たしか中学2年のときに習いました。そして英語の歌詞もそのとき聞いた覚えがあります。先ほどからなんの歌だったかいろいろ探していました。当時、音楽の先生が「サイレントナイト、ホーリイナイト」とか「フォスター」の曲などを英語の詞で教えてくださいました。覚えるのが楽しい時期でした。
 懐かしく聞きました。

投稿: 今でも青春 | 2015年2月14日 (土) 19時38分

 私は『折紙随想』(http://blog.livedoor.jp/miyataatsushi-origami/)というブログを開設しており、そこで私の好きな歌に寄せて作った折紙を紹介しております。この『オールド・ブラック・ジョー』も私が好きな歌の一つであり、いつかとりあげたいと思っておりました。
 今回、この歌をとりあげるに当たって、貴ブログの内容を引用させて戴きました。誠にありがとうございます。
 この歌の日本語詞は幾つもありますが、どれも文語調であるため、聞いただけでは意味が咄嗟にわかりづらい嫌いがあると感じます。そこで、今回の『オールド・ブラック・ジョー』に関する記事では、身の程も顧みず、私なりの訳詞を試みております。二木先生のご評価を戴ければ幸甚に存じます。

投稿: 宮田 篤志 | 2015年10月16日 (金) 08時34分

恐らく人類の歴史の基調音楽ともいうべき曲、この曲をきくたび涙がこぼれる。しかし80歳近くになってやっとわかるなんて、凡人の悲しさがさらに涙をさそう。(*゚ー゚*)

投稿: 高久二郎 | 2016年1月 9日 (土) 23時59分

遠方の、93歳の叔母(母の妹)からの電話で、最近はよく「オールド・ブラック・ジョー」を歌っている、との事でしたので、おぼろげだった歌詞を調べていてここに辿り着きました。歌詞を見て叔母の心情が伝わってきて、胸が痛みました。
でも、「叔母ちゃん!若き日は過ぎたけれど、弟妹は先に逝ったけれど、色々あったけれど、姉妹弟妹(きょうだい)4人で仲良く過ごした時を、日々思い出して欲しい」
と、今度電話しようと思います。
母は98歳。認知症で入院中です。

投稿: mint | 2017年1月17日 (火) 21時31分

一昨日、級友の息子さんから、両親が昨年の12月に相次いで亡くなったと便りが届きました。他の友人たちに電話で知らせたら、亡くなった人や認知症になった人たちの情報が入ってきました。ふっとこの歌が口をついで出てきました。いよいよオールド・ブラック・ジョーに近づいたと思いました。私は16歳だと言い張っていたのですが、あの人も、この人も黄泉の人だと亡くなった人が何だか近しい人のように感じてきました。我もゆかんという心境です。あの世は良い所だから誰も帰ってこないんだ、そうです。いつの日かジョーさんお会いしましょうね。

投稿: ハコベの花 | 2017年1月17日 (火) 22時16分

この曲のメロディはは中学校に上がる前から知っていました。好きな曲ではありませんでした。題名のブラックジョーからも黒人の凶悪犯が連想されました。おそらく小学生のとき読んだトムソーヤの冒険での悪漢ジョーの刷り込みがあったのだと思います。中学校でその歌詞を知ったとき目から鱗が落ちました。

中学校で習う曲は総じて退屈でつまらないと思っていました。小学校の音楽は良かったなぁ、と懐かしんでいました。中学校では言葉も難しくなり理解できなかったのです。生徒は騒々しい小僧ばかりで音楽の先生も大変だっただろうと思います。今でもそうなのでしょうか。私も音楽への感性はなく音楽の時間は退屈してました。

しかし年齢がかさむにつれて味わいが深くなる曲を習いましたね。オールドブラックジョー、浜辺の歌、ローレライ、その他どんな曲を習ったのでしょう。思い出せません。できれば中学校の音楽の教科書を取り寄せて目をつむって歌ってみたい気分です。

投稿: yoko | 2017年1月23日 (月) 08時49分

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