青葉城恋唄
(mp3制作:二木紘三)
1 広瀬川流れる岸辺 2 七夕の飾りは揺れて |
3 青葉通り薫る葉緑 季節はめぐり また夏が来て |
《蛇足》 昭和53年(1978)リリース。仙台を中心に活躍していたシンガーソングライターのさとう宗幸は、この1曲によって全国区になりました。
広瀬川、杜の都、青葉通りを自分の思い出の場所に変えて歌うと、一段と思いが深くなります。
ちなみに、長野県の松本でアドレッセンス前期の大部分を過ごした私は、広瀬川を女鳥羽川(めとばがわ)、杜の都を山の都、青葉通りを縄手(なわて)通りと置き換えて心の中で歌いながら、いろいろなことを思い出しています。
女鳥羽川に架かる千歳橋のたもとですれ違ったとき、膝だけ軽く曲げて会釈し、過ぎていったピアノ少女のことなど……。
縄手通り沿いの女鳥羽川は、広瀬川と比べると川幅も狭く、昭和30年代にはどぶ川同然でしたが、最近は、人びとの努力でずいぶんきれいになりました。もっとも、当時も、市街地の上流のほうは清流でした。
(二木紘三)
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訪問者の感想等

コメント
今日は 最近ご無沙汰をしている間にHPがあかなくなり、Googleで見つけてさっそく青葉城恋歌を聞きながらメールを打っております。私は1944年生まれで戦争を知らない世代です。離乳食は、いものつるであったと母から聞いております。砂糖るいがなくサッカリン世代意外に歯が30本健在、栄養失調で悪いことばかりかと思えばよいこともあるようです。最近少しご無沙汰でしたが、またとんがり帽子の時計台など4歳ぐらいのときラジオから流れる曲をその時住んでいた家とともに懐かしく思いだされます。歌、音楽というものを、通して忘れかけていた思い出その時代にもどれる事、ほんとうに有難いことと思っております。どうぞご健康に気をつけられてお続け下さいますようお祈りし、お願いいたします。
投稿: 新宮 紀子 | 2007年9月23日 (日) 13時17分
学生時代を仙台の街で過ごした者にとって、この歌は絶対忘れることのできないものです。カラオケのレパートリーには当然リストアップし、私のハンドルネームもここに由来しています。
最近では昨年3月に、恩師の最終講義(定年退官に伴う行事)に出席するために仙台に行き、久しぶりに研究室の同窓の方々と旧交を温めてきました。その後、同じ研究室の友人と頻繁にE-mailで連絡を取り合うようになりましたが、仙台に実家があるこの友人から気になる話を聞きました。
というのも、この歌にもうたわれている青葉通りのけやき並木が地下鉄
東西線建設のために伐られてしまうとのこと。
町の発展も大切ですが、無くしてはいけないものもあるはず…。
投稿: あおば | 2007年9月30日 (日) 23時36分
二木さんの演奏も素晴らしいのですが、この曲はまことに抒情性豊かなメロディーと歌詞ですね。
以前、仕事などの関係でずいぶん仙台に行きましたが、実に落ち着いた雰囲気の街で「杜の都」の名にふさわしい所だと思いました。
この唄は初恋の人を偲んで歌っているのでしょうか。久方ぶりに故郷に戻ると、七夕の飾りや街並みは昔と変わらないのに、ただあの人だけが「杜の都」にもういないといった感じです。
その街の風景も、地下鉄の工事で変わっていくのでしょうか。季節(とき)の流れにものみな姿を変えても、この『青葉城恋唄』の歌は変わらずに、とこしえに続いていくのでしょう。
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年6月10日 (火) 14時01分