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月よりの使者

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一、
唄:竹山逸郎・藤原亮子

(男)
  白樺ゆれる 高原に
  りんどう咲いて 恋を知る
  男の胸の 切なさを
  啼け啼け山鳩 幾声も

(女)
  夜霧の駅に 待つ君の
  おもかげ強く ふり捨てて
  はかなや月に 泣き濡れし
  白衣の袖よ いつ乾く

(男)
  人目も草も 枯れ柳
  恨みも恋も 散る宵に
  ふとまた逢えば 増す想い
  未練か夜も 眠られず

(男女)
  幾春秋(いくはるあき)を さまよえど
  まことのえにし 結ぶ日は
  月よりの使者 想い出の
  りんどう抱いて 来るという

《蛇足》 昭和24年(1949)の大映映画『月よりの使者』の主題歌。

 映画は加戸敏監督で、主演は上原謙と花柳小菊。原作は、久米正雄が昭和8年(1933)に『婦人倶楽部』に連載した同名の小説。

 この小説は、3回映画化されています。
 最初は昭和9年
(1934)の入江たか子・高田稔主演による入江プロ・新興キネマ作品で、モノクロの無声映画でした。
 2回目がこの加戸敏作品
(モノクロ)で、3回目は同じく大映が昭和29年(1954)に作ったカラー映画です。主演は山本富士子と菅原謙二で、ほかに若尾文子、根上淳、船越英二などが出演しました。

 話は、信州・富士見高原療養所で働く美貌の看護婦・野々宮道子と患者の弘田進との恋愛物語です。さまざまな波乱を経て、二人は結ばれることになります。
 同じ療養所の患者・橋田という哲学者も、道子に恋していますが、受け入れられないのに絶望し、次のような詩を残して自殺してしまいます。

我は蔭の国へ行く
(とこし)への月の光を求めて
君は月よりの使者
地上にては余りに麗しく
余りに又冷たかりしも
今は仄(ほの)かながら、遂にわがもの
我その微(かす)かなる光を抱きて行く

Sanatorium なお、富士見高原療養所は、堀辰雄の小説『風立ちぬ』や『菜穂子』の舞台となったところです。
 右の写真は旧富士見高原療養所。モデルになった矢野綾子はここで没しました。

(二木紘三)

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コメント

「二木紘三のWebサイト」はmidiを検索して知りました。
お気に入りに入れて懐メロを歌って楽しんでおります。
ありがとうです。
今回「月よりの使者」をクリックしたらこっちだと言うので飛んで参りました。
こっちではmpgなんですね。
相当容量が必要じゃ無いでしょうか。
大変でしょうが有り難いです。
早速このページのTOPをお気に入りに入れさせていただきました。
これからも頑張ってください。
ありがとうございました。

投稿: セツ | 2007年7月18日 (水) 23時34分

二木紘三様こんばんわ。
この曲の背景のドラマは3回も映画になったのですね。
ちょうど高校生のころでしたね。兄や姉らが歌っていましたので、メロディーが自然に出てきます。有難う御座いました。波路拝。

投稿: 波路 | 2007年9月 5日 (水) 19時54分

初めてお便り致します。58才の団塊オヤジです。
2005年から約一年半タイはバンコクに単身赴任しましたが、仕事の関係で行ったカラオケバーでこの「月よりの使者」を、いやがるホステスとデュエットしましたが、初めて歌ったこの曲に対して当のタイ人ホステスはいたく気に入ったと見えその後意気投合して、帰国するまで私の当地における良き通訳として、休日毎にタイ各地を案内してくれました。私の印象は高校一年生の時の昼メロで多分、吉田輝男、長内美那子主演のフジテレビが一番印象に残って居ます。

投稿: relokun | 2008年3月15日 (土) 20時28分

昭和30年代、私はこの高原療養所の近くの中学校を卒業しました。その頃の高原はまだ石ころのだらけの道でした。牛車も馬車も荷物を運んでいました。丘を越えたその療養所の中を友達と道草しながら帰ることもありました。白樺林の印象の強かった病院も、今は舗装道路でつながり、白樺も道脇に並木を残すのみとなりました。母親の口ずさんでいた「月よりの使者」の歌詞はいまでもひとりでに流れでてきます。療養所を下ったところには中央線最高点の富士見駅があります。高校に通うようになった私にとって駅までの道は白い煙を上げて坂を上ってくる蒸気機関車との競争でした。走馬灯のように思い出は浮かんできます。ほろ苦い初恋の淡き思いと重なってこのメロディが流れてきます。二木先生、思い出をありがとうございます。

投稿: aki | 2008年3月17日 (月) 20時28分

昨年退職して、懐古の念ますます高じています。青春の日々に焦がれた片思いの女学生が女優長内美那子さん似、当時の彼女が出演する昼ドラマに夢中でした。「古都」、「愛染かつら」そしてこの「月よりの使者」、いずれもそれらの主題歌が愛唱歌としてサラリーマン生活を支えたといっても過言でない思いです。
 二木先生のブログ、本当に感謝しています。

投稿: 榊 信乃 | 2008年5月 9日 (金) 17時33分

この歌は三百六十五夜と出だしのワンフレーズが同じですね。当時ビクターが三百六十五夜のような歌をと依頼したところできてきたのがこのメロディ。会社の心配をよそに作曲者は“なにカマイッコナイヨ”とおっしゃったとか。古賀先生の所に“あんたの曲かりたよ”と1本持って挨拶に来られたと古賀先生が本に書かれておられた。古賀先生曰く“憎めない人ですね!佐々木君は”だそうです。いい歌です月よりの使者は!
二木先生の解説にあるようにまさしく高原のロマンスにピッタリノメロディです。名曲です。

投稿: ON | 2008年6月15日 (日) 20時35分

学生時代、映画ト、挿入歌が懐かしくもう一度視聴したくお願いします。

投稿: 林祐輔 | 2008年11月30日 (日) 16時49分

昭和30年まで、田舎の小さな小さな村で生活し、唯一の楽しみは、学校の講堂で年に何回か上映される映画でした。袋に、そら豆の炒ったのや少しのおやつを持って、村の友達と見に行った中に「月よりの使者」が有りました。私の見た映画は、美貌の看護婦に山本富士子さん、若尾文子さんがなっていました。彼女のいない私は、あんな恋がしたいなと映画と共に主題歌が今も心に残り当時を想い出しております。

投稿: 西山 利寿 | 2009年2月10日 (火) 14時24分

私は友人3人とボランティアで年4回歌唱の会をやっています。私の担当コーナーは「懐かしい歌」です。今回、「月よりの使者」をあげ検索しましたら、この二木さんのコーナーにたどりつきました。
私は65歳ですが、40年前、信州茅野の駅で彼女を見送った思い出が浮び、はからずも落涙してしまいました。その彼女の消息は今だ解かりません。看護婦野々宮道子さんにダブらせてしまう楚々として美しい人でした。

投稿: たかねまい | 2009年11月22日 (日) 08時40分

太平洋戦争が始まった時期『この戦争は負ける』と言って憲兵に引っ張られそうになったと言う父は、全財産を物品に変えて四国の田舎に荷物と共に疎開していました。その父も応召した留守中に、その疎開先に1トン爆弾が直撃しました。その瞬間から一家の赤貧の生活が始まりました。昭和27年当時、私は小学3年生でしたが、まだまだ敗戦の影が色濃く残っているころでした。我が家では新聞も配達されていなかったと思います。勿論、書籍など購入する余裕もなくラジオすらもなく、知識や情報吸収は人からの口伝や、学校でしかえられない時代でした。向こうに見える山をひとつ越えるとどんな世界があるのかも分からない時代でした。今から考えると当時私は知識欲に餓えていたように思います。そんなある日、物置の中で、当時では目にしたことのない上質紙を使った表紙のないボロボロの本を見つけました。巻頭、巻末の何ページかはなくなっていて残っているページから読み始めましたが、何がなんだかよくわからないが、非常に心惹かれるものがあり、読めない漢字が出てくるたびに、母親や姉に聞いてむさぼり読みました。毎日のように、『これはなんと読む?』と聞いているうちに『何を読んでいるのか?子供の読む本ではない』と、取り上げられてしまいましたが、わからないまま読み進んだその内容は強烈な感動と疑問(未知)を残しました。

私が読み進んだ部分はサナトリュウムでの一大恋愛絵巻の部分です。男女間の恋愛感情と言うものがまったく理解できず、別世界のことなのか、大人になったら分かることなのか、あるいは、世の中にはこう言う人種がいるのか・・・。ともかく、強烈な男女間の心の動き=好きという感情、一方で一緒に居たいはずなのに自ら離れていこうとする不思議さ、揺れ動く心・・・。はたまた、恋敵の登場・・・。到底、小学校3年生の私には理解できない世界でしたが、『大人になれば分かる男女間の感情か?』と言う疑問を残したまま、強烈な印象を幼心に残したことは確かです。
その本のタイトルが『月よりの使者』であったことは、映画の宣伝文句で後に知りました。
男の病がよくなり、実家に帰るその日、駅で待ち合わせて男に同行する約束だった女が、男の乗った列車をサナトリュウムの丘から一人静かに見送る・・・、その情景は、今となっては本の内容で自ら描いた情景か、あるいは映画の宣伝ポスターなどで知らされた情景かは定かでありませんが私の心の中に一枚の絵として、今でも残っています。丘の上の白樺の幹に手を添えて立つ女・・・、はるかその眼下を煙を残して、去っていく男を乗せた小さな列車・・・。
(「男・女」の表現は今ではちょっと抵抗感がありますが、当時の私の感情では男と女しかありませんでした)

映画は見ていません(お金もなかったし、たぶん小学生が一人では映画館に入れなかったと思う)。

今となっては、曲すらも聴かれなくなりました。又、67歳と言う老人の部類に入り、惚れた腫れたの世界は遠の昔に卒業済ですが、二木先生のこの歌物語で、当時の戸惑いと困惑、衝撃の強烈な印象が、一服の絵と共に今でも鮮明に蘇ります。

投稿: はとちゃん | 2009年11月22日 (日) 18時00分

高原の旅愁、
私たちの頃よりもう少し上の方の時代の歌になりますが、
清純で、心洗われる哀愁に満ちた歌で、目に留まれば、
いつも聞いております。
もう何年も前、NHKでした、元従軍看護婦のリクエストで
伊藤久雄が歌っていました。そのいきさつを聞き、心打たれ、戦争の最中にも歌が心を癒し、人の心と心を繋げてくれる、これは忘れることの出来ない歌になりました。
戦時中は、彼も戦意高揚の歌を歌っていたということで、戦後はその批判を受けることになったと聞いておりますが、ステージを立ち去る時、会場に来ていたリクエストの看護婦に目線を合わせ、一礼をして立ち去りました。戦争は人の心を奪います。今は良い時代になりました。
良い歌の数々をご紹介頂き、どうもありがとうございました。

投稿: 伊藤長寿 | 2010年4月16日 (金) 22時25分

伊藤様 私もあの時のテレビ見ておりました。歌う伊藤久男も聴いている人たちも涙で一杯でしたね。外地に居られた従軍看護婦さんが、帰国する道中の困難に負けそうになると、この歌を歌って励ましながら帰ったとか、歌は命を救う力にもなるようです。歌は高原の旅愁でしたね。

投稿: ハコベの花 | 2010年4月17日 (土) 11時32分

ハコベの花さま、そうでしたか。みなの涙を誘う良いお話でした。コメントを頂き親近感を覚えます。

投稿: 伊藤長寿 | 2010年4月17日 (土) 15時31分

月よりの使者を小さい声で、控えめに歌っていた母も昨年旅立ちました。療養所の傍にたっている老人保養施設に時々お世話になりながら、私は三年あまり母と一緒にくらしていました。そして母はついに永久の旅立ちをしました。母はこの八ヶ岳の裾野で精一杯生きてきました。リンドウの花よ、白樺の幹の白さよ、高原を流れいく風にのって、ささやくように、しらかばゆれるこうげんに・・・。わたしもずっとこの歌を歌い続けていきます。

投稿: aki | 2011年1月24日 (月) 21時24分

当時不治の病とされていた結核と言う名前を誤診でつけられて17年青春時代を療養所の”地獄の第八病棟”で寝たきりになって今夜の生命も危ぶまれ、数えきれない臨終を告げられて奇跡的に生き延びました。
窓から眺めた白樺林と白衣の姿が手の届かない距離にあったのを記憶しています。

投稿: 西浦 朋盛 | 2011年3月 8日 (火) 22時33分

40数年前、郷里北九州門司にあった結核病院で草取りのアルバイトをしました。それから茨城県に就職のため出て来ましたが、入った独身寮の隣に塀を挟んで結核病棟がありました。そのころにはもう本来の目的のためには使われていなかったようですが。「結核」という恐い病気は、まだ身近に感じられました。
歌のメロディは何となく知っていましたが、「月よりの使者」という題名は最近懐メロを探すようになってから知りました。最初は、「月光仮面」のことかなあなどととんでもないことを想像しましたが、二木先生の「蛇足」、皆様のコメントを読ませていただいて、恥じ入っております。メロディそのままのロマンティックな曲なのですね。

投稿: 竹永尚義 | 2011年3月 9日 (水) 05時38分

私は二木先生より若干年下の者です、解りやすい解説を見ていると心が和むのは私だけではないでしょうね。菅原謙二や若尾文子・根上淳と言った懐かしい名前、でも私はテレビで見た長内美那子ですかこの記憶しかありません。メロディーを聞きながら読ませてもらうのが私の日課です、何時までも続けてください。

投稿: トクラテス | 2011年3月27日 (日) 14時15分

「りんどう咲いて」と唄われたので信州の高原だと思ったら富士見高原診療所だと言う(りんどうは長野県花)。私達年代では三浦洸一、香山美子のリバイバルの方が馴染み深い歌です。

投稿: 海道 | 2013年3月 6日 (水) 15時17分

海道様
結核療養所のあった富士見高原は信州ですよ。『蛇足』に書いてありますが……。長野県諏訪郡富士見町で、最寄り駅は中央本線の冨士見です。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年3月 6日 (水) 22時26分

私の文章の不明確さから、お手数をおかけしました。それにつけても「りんどう」とは花にしても歌にしても実に綺麗ですね。「りんどう峠」「りんどうの花咲けば」「月よりの使者」良い歌ですね。長寿日本一も「りんどう」からきているのでしょうか。

投稿: 海道 | 2013年3月 7日 (木) 14時10分

 過日3月13日の「長野日報」に旧富士見高原療養所資料館々長の荒川さんが結核予防全国大会で特別講演をなさるという記事がありました。大会はホテル椿山荘で18,19の両日開かれ、演題は「高原のサナトリウムと文学者たちの足跡」。
 記事には経営難に奮闘した所長の正木不如丘をはじめ、つねに支援を続けた文芸春秋の菊池寛、小説「月よりの使者」の作者・久米正雄、作家・藤沢恒夫などが出てくる。この小説によって富士見高原療養所が広く世間に知られることになり、映画化、主題歌によってその名は更に高まったと云われる。
 現在はJA長野厚生連・富士見高原医療センター・富士見高原病院として総合病院になっている。

投稿: sonehara | 2013年3月19日 (火) 17時59分

 月よりの使者・・・どなたかもおっしゃっていましたが、頭に思い浮かぶのは月光仮面か、かぐや姫です。往年のファンの方から叱られそうですが、団塊の最後の世代としてはそういうほかないです。曲は父母が聞いていましたから覚えがありました。
 白樺の美しい信州の高原、陽光の明るい鎌倉の海、やさしい看護婦、二枚目の患者、犠牲になる自殺者、こんなお膳立てが当時の人々の涙を絞ったのか~と考えます。今の人間はこの筋立てには、あまりリアリティを感じないでしょうね。昔の人の方が映画を見て、素直に泣いた、泣くことができたという意味でうらやましい。

 はとちゃんさまの、むさぼるようにこの小説を読んだ体験、おもしろいです。まだ大人の読み物よと、まわりからたしなめながらも、漢字の意味をききながら読み進める。後で、その小説の全体像がなんとなくわかってくる。本を読むという幼い頃の体験で、似たような記憶があります。
 

投稿: 浮舟 | 2013年3月19日 (火) 20時22分

「月よりの使者」の歌はよく聴いていてカラオケでも18番(我田引水)にしておりますが、映画は観たことはありませんでした。少し設定は異なりますが「高原の駅よさようなら」と似ている気がしています。こちらは水島道太郎と香川京子さんの純愛映画です。恋愛等には全く無関係の無粋・醜男の我には縁のない世界ですが月を愛でるような気持で遠くからあこがれています。寄稿されている皆様の青春時代の思い出は素晴らしいと思います。もう70歳も半ばになりせめて歌で慰めております。

投稿: 林 滋 | 2017年5月 7日 (日) 10時08分

1955年生まれ郡馬の富岡市在住の男性です。倍賞千恵子さんのファンで、彼女のこの歌が大好きです。
素敵なサイトですね。寄せられているコメントにも思い出が沢山語られていて。偶然見つけたサイトですが感激しています。

投稿: 岩下 | 2017年8月 5日 (土) 11時07分

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