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アメリカ橋

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃、唄:山川 豊

1 風が足もとを 通りすぎてゆく
  久しぶりだねと 照れてわらいあって
  アメリカ橋のたもと ふと通うぬくもり
  やるせない恋埋めた街
  角部屋の灯り
  石だたみ石だたみ 想い出続く
  いつかいつか 熱かった青春

2 君は変わらない 月日は過ぎても
  髪を切ったので 少し若くなった
  アメリカ橋のたもと 黄昏が間近い
  煙草やめたのいつからと
  それとなくきいて
  眼をそらす眼をそらす ガラスのむこう
  遠い遠い かえらない青春

  アメリカ橋のたもと
  それじゃと手をあげる
  そっとコートの衿たてた
  さり気なさおいて
  人の群れ人の群れ 誰もが他人
  はるかはるか あの頃が青春

《蛇足》 平成10年(1998)2月発売。歌っているのは演歌歌手の山川豊ですが、メロディも歌詞もフォークかニューミュージックに類する曲だといっていいと思います。

 60年代までのフォークは、その多くがマイナーレーベルの扱いで、概して素朴な味わいが魅力でした。その人気に着目したメジャーレーベルが、70年代の半ば頃から積極的にフォークを扱うようになり、それとともに洗練された曲調の作品が多くなってきました。
 そうしたフォークまたはフォーク調の曲がニューミュージックと呼ばれます。

 兄弟デュオの狩人が同タイトルのフォークを歌っています。こちらも、過ぎ去った青春を感じさせる、きれいな曲です。

 アメリカ橋は、東京・山手線の恵比寿駅と目黒駅の間にある跨線橋(こせんきょう)の通称で、正式名は恵比寿南橋です。
 明治39年
(1906年)、鉄道院(鉄道省→国鉄→JR)が、アメリカで開催された万国博覧会の展示品であった橋を買い取ってここに架設したことから、アメリカ橋と呼ばれるようになりました。
 恵比寿ガーデンプレイス側に「アメリカ橋公園」という細長い公園があります。

 この歌を『ルビーの指環』から数年後の出来事と考えると、1つの物語が紡ぎ出されそうです。
 こんなふうに、別れたひとと偶然再会し、少し話してから淡々と別れることを夢見た人は、けっこういるかもしれませんね。たいていは、果たされることなく終わる夢ですが。

 2番の「眼をそらす眼をそらすガラスのむこう」は、2人の仲が元に戻るには時間が経ちすぎたとお互いに感じていることを暗示しています。この束の間の再会は、結果として、それを確認するためだけの邂逅(めぐりあい)だったかもしれません。

 『ルビーの指環』で、コートの襟を合わせて去っていく彼女を見送った私は、奇しくも別れたときと同じ季節に再会したあと、さりげなくコートの襟を立てて去ってゆくのです。
 温暖化の影響なのか、ファッションの変化なのかはわかりませんが、人びとがあまりロングコートを着なくなった昨今、コートにまつわるこのイメージは、もうあまり理解されないかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

ただいま感動しました。これからも頑張って
下さい。長生きしますように。

投稿: 堀池勇気 | 2006年12月19日 (火) 18時29分

はじめまして。ブログははじめてです。山口洋子さんのザ・ラスト・ワルツを読み、あまり好きでなかった山口さんが一気に身近になった気がしました。このアメリカ橋の歌詞は大学時代を呼び起こしてくれます。ちょうど高橋治の風の盆恋歌を読んだ時と同じ気持ちになります。若かった自分ををちょっと恨んだりして。このアメリカ橋、山川豊さんが悪いとは言わないけれど、だれか違う人がカバーしてくれないかな、と思います。できたらユーミンの声で聞いて見たいですね。

投稿: 斉藤 博 | 2007年8月 9日 (木) 22時35分

この歌は妻が毎日観ていたTVドラマの主題歌でした。その妻も3年の闘病の末、今春、永眠しました。素敵な演奏ありがとうございます。その妻に聴かせるため、ブックマークさせていただきました。
ブックマーク先は、
http://blog.goo.ne.jp/foo-0214
ご迷惑でしたら、削除しますので。

投稿: トシ1210 | 2007年8月23日 (木) 15時33分

曲もいいのですが、歌詞が切々と青春時代のあったことを思い出させます。好きになったあの人と、好きになってはいけないと思ったよく似た人と。遠く離れていたのに、あり得ない偶然からそのよく似た人に出会いました。当時から30年以上が経ったのに変わらない目と姿は、歌詞のように少し短く髪を切ったからなのでしょうか。出会って一瞬のうちに当時のことが浮かび上がってきて引き寄せられるようでした。好きになってはいけないと思い込んでいたことを伝えたかったけれど、話ができませんでしたね。幸せそうだったのが暖かい思い出として残っています。

投稿: 静御前堂 | 2008年2月10日 (日) 11時12分

この歌も良いですが、狩人のアメリカ橋もまた名曲だと思います。この歌は熟した青春。狩人はそうなる前の青春。人に
よって見方が逆転するかも知れませんが。

投稿: M.U | 2008年6月15日 (日) 14時10分

雰囲気のある良い曲ですね。
山川さんの歌が入ると山川さんを
抜きにイメ-ジを膨らますと言う事が
出来ないので
このように曲だけになってみると
良さが際立つ時がありますねぇ。。。heart04
恋多き山口さんの恋心が歌詞になっていると
思ってもよいのでしょうか?

投稿: sunday | 2008年6月17日 (火) 06時36分

久しぶりに「アメリカ橋」を聞きました。私がアメリカ橋を渡ったのはもう40年以上も前のことです。当時、恵比寿には進駐軍の基地があり(現在は自衛隊技術研究所)、恵比寿駅周辺にはアメリカ兵がいつも闊歩していました。数日前、何年かぶりにアメリカ橋を渡ったのですが、40年前はもっともっと狭い橋だったように記憶しています。メロディを耳にする時、頭に浮かべるのは架け替えるまえの跨線橋です。

投稿: クロちゃん | 2008年7月 4日 (金) 21時42分

解説やコメントを読む前は、メロディーも詞もつまらない歌だと思っていました。
街角部屋に入るには入ったのでしょうね。でも片や髪を短くし、片やあんなに好きだったタバコを吸おうともしない。結局、手を握ることもなく別れていく。
ひょっとすると、人を愛する情熱を取り戻せるかもしれないという淡い期待をもっった意図的な邂逅であったのかもしれません。

投稿: 周坊 | 2008年7月 5日 (土) 17時46分

図書館で借りたCDに、この『アメリカ橋』が入っていました。私が最初に聞いたのは『石狩挽歌』を歌っている北原ミレイさんの歌でしたが、気に入っていろいろ調べると山川豊さんの曲と分かりました。
初めて聞いた時、短編小説を読んだ後の物語を想像する感覚で、バラード風?の歌い方の魅力にトリコとなってしまいました。以前投稿された斉藤博さん、ユーミンではありませんが是非聞いてみてください。CDは『北原ミレイ スペシャルコレクション』です。私は、高橋真梨子さんの歌で聞いてみたいと思っています。

投稿: IQ | 2008年11月17日 (月) 15時09分

IQさんありがとうございます。なるほど北原ミレイさんですか。余裕のある歌い方の人だから、きっといい解釈の歌い方をするのでしょう。図書館やレンタル店を探してみましたが、残念ながら見つかりません。ネットでも扱いをしていませんでした。若い人向けの消えゆく歌はあふれているのですが。何とか聞いてみたいと心しています。高橋真梨子、なるほどです。白鳥恵美子さんや山本純子さんも別の切り口で歌ってくれそうです。

投稿: サイトウ | 2010年3月 1日 (月) 22時52分

「先生の解説が綺麗で見事。こんな恋には無縁な初老の爺やですが、何となく心浮き浮きになります。アメリカ橋と言うタイトルと素晴らしい詞、青春を返して下さい神様。」

投稿: 海道 | 2012年10月 7日 (日) 11時46分

60歳も過ぎたある日スナックで他の人が歌って居るのを聞きはまってしまいました。ある時期あんたはこれしか知らないのかと言われた位アメリカ橋ばかり歌っていました。
メロディよし、歌詞よし、リズミカルで且つ極端な高音、低音もない非常に歌いやすい最高の曲です。末期高齢者になった今もカラオケスナックでよく歌います。帰らない青春を偲んで。

投稿: オイロッパスキー | 2012年10月18日 (木) 22時07分

 再会の場所は、長い長い動く歩道を降りたあたりでしょうか、それとも石畳の坂道を登りきったアメリカ橋公園の入口あたりでしょうか。恵比寿駅を中心に線対称の位置あたりには、書道の文房四宝を商う老舗がひっそりと佇んでいると云った新旧の混在したのが恵比寿の街。無機質な鉄骨の橋のたもとでの今様の再会と別れを唄うには、少し軽快に、所どころスタッカートを織り交ぜるのが適当なように思えます。七十年ほど前の「十三夜」の調子ではいけませんね。

投稿: 槃特の呟き | 2012年11月15日 (木) 23時33分

「アメリカ橋」と「思案橋ブルース」(東京と田舎)

 地方で育った私には、アメリカ橋が何のことか、二木先生の解説を読むまでさっぱりわかりませんでした。読んだ後も特に感慨もありません。東京に土地カンのない田舎者は蚊帳の外ですね。愚弄されたような気すらします。(笑)。
 思うに、レコード会社の連中が東京周辺在住者、もしくは東京在住経験者をターゲットにしてレコード売り上げの採算が取れると読んだのでしょう。私の場合、「アメリカ橋」と聞いた時点で、興味がおこらず、歌詞のすべてはスルーしました。
 一方「思案橋ブルース」は歌詞の終わりはいつも「ああ、長崎いぃ~思案橋ブルース」で〆ています。「この橋は長崎にありますよ、全国の皆さん」と説明しています。(こんな説明は作詞者としては悲しいでしょう) 橋の認知者の総人数とレコードの採算ペースはおおいに関係ありますから、地方側は説明に力を入れます。

 平安の昔、都が京都にあった頃から深草、伏見、あるいは嵯峨野、清滝など和歌によみました。実際にいってみたら、すぐそこの至近距離。局地的なあまりに局地的な、日本の箱庭文化ぶりにうんざりしましたが、歌謡曲もまた同じことですね。一方、ご当地ソングという言い方も東京の音楽関係者の傲慢さを感じます。もし、それが通るなら、銀座、赤坂、上野、そしてアメリカ橋、ご町内ソングとよばせてもらいたい。

投稿: 紅孔雀 | 2012年11月18日 (日) 14時20分

紅孔雀さん、お名前から中村錦之助や東千代助を思い出しました。笛吹童子の主演は忘れましたが。

現在東京人のおおかたの曽々から曽祖父は地方の人です。徳川の引っ越しで明治初年落ち込み60万に満たなかったようです。それ以降、首都で増加、倍増に倍増を重ねこんにちの千三百万余になった。この水膨れは地方人ド田舎人の集積。移民寄せ集めUSに似ています。

それ故に、主催ふたつぎさんを始め、こちらの賢人諸氏が故郷を偲ばれる。東京の音楽関係者の放漫さがあるならば、それはド田舎人心情のDNA的発露…と思んですよ。

歌手の大多数は故郷を出て東京人になっています。平安期の6倍程度の人口・京都のおひと曰く;東京は綺麗な歌手がおそろいで賑やかなミヤコでよろしおすな~。

私は千駄ヶ谷や目白に住まい、恵比寿や目黒は行ったこともなく全く知りませんでした。和やかなフォーク調メロディーを聞き、チョット残念な気分が致します。

投稿: TangoMinato | 2012年11月19日 (月) 05時01分

 TangoMinato様
 笛吹童子は主役萩丸、菊丸それぞれ東千代之助、中村錦之助でしたね。あの頃、伏見扇太郎という役者がいました。売れなくなって廃業して、ラーメンの屋台を引いたりして、とうとう高知県で刃傷沙汰で逮捕されたりもして、今は生死不明です。(一説には1991年死去。自殺説もあり)私はあの役者が好きで、HNも彼が主役だった「風雲黒潮丸」にしようかと思ったほどです。結核に悩まされたことや幸せではなかった人生の晩年も、なんとなくビビアン リーに似ていて銀幕のスターらしいですね。

東京はおっしゃる通り田舎者の集まるところ。司馬遼太郎のいう田舎者が活躍するための桟敷を貸すところですね。しかし都であるというだけで一種のオーラが出ていますね。
例えば
 東京流れ者
 東京ブルース
 東京だよおっ母さん (歌になりますね)。
これを地方におきかえると
 埼玉流れ者  あるいは 山形流れ者
 徳島ブルース あるいは 三重ブルース 
 米子だよおっ母さん あるいは 久留米だよおっ母さん
うまくいきませんね。しかし遷都計画が実現したとたんに東京はダサい街になるでしょうね。

投稿: 紅孔雀 | 2012年11月19日 (月) 22時10分

紅孔雀 様
 11月18日付投稿拝読しました。田舎者といじけておいでのようですが、その必要はありません。わたしも都内や近郊に長年住んでいますが、「アメリカ橋」については知りませんでした。おそらく現在でも、『アメリカ橋』の歌をご存じの方以外は、東京人にも、あまり知られていないのではないでしょうか。わたしが、この橋の所在とその来歴を知ったのは、この歌の約20年前にリリースされた、狩人の、やはり『アメリカ橋』(作詞奥山侊伸 作曲信楽順三)という歌からです。その出だしは、「アメリカ橋」の所在と特徴をしっかり詠み込んでいます。
 
 
 アメリカ橋って知ってますか
 目黒と恵比寿の間にある
 下を山手線轟轟走る
 鉄でできた青い橋

 そして、上記の歌(狩人がカバーする前の、湖東美歌版も入れると、かなりのヒットになっています)を下敷きにして、この歌(作詞山口洋子 作曲平尾昌晃)がつくられたように思います。
 この橋が架けられた当時は、東京の名所として有名だったのでしょうが、その後は鉄製の架橋が普通になったので、その界隈以外の人には知られなくなったのでしょう。
 忘れ去られた歴史的文化財が、ヒット曲によって、また日の目を見るのは悪いことではありませんが、現在の橋は当時のものではありません。正式には、恵比寿南橋というようです。
 わたしは、この歌もいいと思いますが、狩人版の方が好きです。さらに言えば、湖東美歌版がもっと好きです。別れた人(多分男性でしょう)の面影を山手線の最終電車にダブらせる歌詞は、秋という季節感とともに、歌う人のこころに哀しく迫ってきます。一度YouTubeなどでご視聴ください。

 

投稿: ひろし | 2012年11月20日 (火) 11時46分

 ひろし様
ご親切なコメントをありがとうございました。私は湖東美歌、狩人の歌った古い『アメリカ橋』を全く知らなかったので、今日じっくり聞いてみました。
 その結果、古い『アメリカ橋』(狩人版)のほうが、断然良いと思いました。川にかかる橋を歌った歌は数ありますが、跨線橋を歌ったのは知りません。作詞者のオリジナリティーをそこに感じます。
 山口洋子、平尾昌晃はベテランですからアメリカ橋を使って、二匹目のどじょうをうまく手に入れたという感じです。昔の恋人が再会し、クールにまた別れていくからこの無機質な跨線橋は小道具にふさわしいのでしょうが、とくにアメリカ橋である必然性も感じません。しょせんは、古い『アメリカ橋』が作りあげたイメージのパクリではないでしょうか。ひろし様も「前の歌を下敷きにしてつくられたのではないか」と類推しておられるように、私も山口洋子の『アメリカ橋』は古い『アメリカ橋』の恩恵を 十分すぎるほど受けていると思います。

 東京は広いから案内人がいるといわれますが、アメリカ橋の良き案内人のひろし様を得て、田舎者の私はたいへん助かりました。重ねて感謝申しあげます。


投稿: 紅孔雀 | 2012年11月20日 (火) 22時29分

紅孔雀 様
過分なおことばをいただき、面映い感じです。少しお役に立ったようで、わたしもうれしいです。
 狩人版の『アメリカ橋』を気に入っていただき、わが意を得た気分です。原曲の湖東美歌版と若干歌詞や歌唱の仕方が異なっています。歌唱力では、狩人が数段上手いと思いますが、湖東の素人っぽい歌い方に味があって、わたしはこちらの方が気に入っています。
 歌詞やメロディを比較すれば、この『アメリカ橋』の方が優れているのでしょうが、先発の『アメリカ橋』はフォークの本道である素人ぽさが、逆に若い二人の、未熟な恋を印象づけているように思われます。メロディもきれいです。人それぞれ好き嫌いはありますが、わたしが先発組をおすすめする理由です。
 

投稿: ひろし | 2012年11月21日 (水) 13時16分

昔のアメリカ橋は鉄のトラス構造でした。色は深緑(狩人では青い橋と表現されてます)に塗られてました。(狭い片側1車線)
恵比寿方面の下り坂が石のブロック(都電の側道で使われたとの同様の)で凸凹に全面敷き詰められていました。そして当時ではめずらしくきちっと歩道とアオギリの街路樹が整備された趣きのある道となってました。(歌では石畳となってます)

そんな風景を思い浮かべるとこの歌の味わいがもっと深まります。

投稿: 井上晶子 | 2013年12月11日 (水) 05時15分

明治39年にさかのぼる命名の橋… 蛇足から教えていただき、あらためて、日露戦争の勝ち戦と関わる何かが背後にあるかも…と思ったりします。

アメリカ(USA)には、欧州の地名のなぞりが万とありますね。我が村名もテキサスの北にあり、お返しに我が村の小高い丘のうねる区域をクライン・アメリカと呼んでいます。

どれほどの来歴があるのか?不明ながらAmericaの綴りを含む場所は何十何百と欧州にあるような気がします。彼等の身内が十七世紀以来アメリカに移住、アメリカ開拓者である従兄弟姉妹や叔父叔母を忍んで故郷の欧州にアメリカ名を付けたんですね。

航海時代のAmerigo Vespucci(アメリゴ・ベスプッチ)が良く知られるように語彙アメリカの語源。イタリアの新大陸発見冒険者ですから、カポネと共にイタリアのアメリカへの貢献度は大きいと感心します。

歌の題名から、あれこれ想像できるのも、綺麗なメロディーと共にこちらサイトの楽しみ。ところでAmerigoの語源はさて?

投稿: minatoya | 2013年12月13日 (金) 09時51分

移設されて約110年経ってますので、架け替えられたのかなと思ってググって見ると、昭和45年に改築されたとのこと、でもどの程度元は残っているのかな
パナマ運河に本家「Bridge of the Americas」があるとのことですが、昭和37年竣工ですから、通称名での歴史から言えば、こっちが本家のような。

投稿: mesato | 2014年3月16日 (日) 17時35分

生まれも育ちも恵比寿です。進駐軍の基地があり、アメリカ兵相手の首にナイロン(?)のスカーフを巻いて真っ赤な口紅を塗っていた女の人が沢山いましたね。そして子供たちはアメリカ兵のジープに向かって”Give me chocolate!"と言うとアメリカ兵は胸のポケットからチョコ、ガムなどを出して投げてくれたものです。その当時はアメリカ橋とは言われていませんでしたね。。呼ばれていた名前は忘れてしまいましたが南橋とも言われていませんね。。。ご記憶の方お出でですか?

投稿: sakura | 2015年8月23日 (日) 12時03分

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