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大利根無情

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:猪俣良、作曲:長津義司、唄:三波春夫

1 利根の 利根の川風よしきりの
  声が冷たく身をせめる
  これが浮世か
  見てはいけない西空見れば
  江戸へ 江戸へひと刷毛(はけ)
  あかね雲

    (セリフ)
    「佐原囃子(さわらばやし)が聴えてくらァ、
    想い出すなァ……御玉ヶ池の千葉道場か。
    うふ……平手(ひらて)造酒(みき)も
    今じゃやくざの用心棒、
    人生裏街道の枯落葉か」

2 義理の 義理の夜風にさらされて
  月よお前も泣きたかろ
  こころみだれて
  抜いたすすきを奥歯で噛んだ
  男 男泪(なみだ)
  落とし差し

    (セリフ)
    「止めて下さるな妙心殿。
    落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、
    男の散りぎわだけは知って居り申す。
    行かねばならぬ。そこをどいて下され、
    行かねばならぬのだ」

3 瞼 瞼ぬらして大利根の
  水に流した夢いくつ
  息をころして
  地獄まいりの冷酒のめば
  鐘が 鐘が鳴る鳴る
  妙円寺


《蛇足》
昭和34年
(1959)のヒット曲。

 天保15年(1844)8月6日、下総(しもうさ)(千葉県北部・茨城県南部)の大利根河原で笹川の繁蔵一家と飯岡の助五郎一家の大喧嘩(おおでいり)がありました。このとき、笹川方の助っ人として戦い、命を落とした平手造酒を主人公とした歌です。

 2人の親分の名前は一般に笹川繁蔵、飯岡助五郎と呼ばれていますが、笹川・飯岡は地名で苗字ではないので、間に「の」をはさむのが正しい呼び方です。国定の忠治、清水の次郎長、吉良の仁吉なども同じ。表記は「の」なしでもかまいません。

 平手造酒と聞くと、私はいつも「OK牧場の決闘」のドク・ホリディを思い出します。
 ドク・ホリディことジョン・ヘンリー・ホリディは、ジョージア州の名家に生まれ、ペンシルバニア歯科大学を出たエリートでしたが、カッとなりやすい性格や、肺結核にかかったことが原因となって身を持ち崩します。
 南西部一帯をさすらいながら、ギャンブルと酒で日を送るうちに、アリゾナ州のトゥームストーンで保安官のワイアット・アープと友誼を結びます。その義理で、アープ兄弟がクラントン一家と決闘をすることになったとき、アープの味方をして戦いました。
 西部劇『荒野の決闘』
(My Darling Clementine)では、ホリディはこの決闘で命を落としたことになっていますが、実際には、決闘から6年後に肺結核が悪化して亡くなっています。

 いっぽう、平手造酒(本名平田三亀)は、エリートというほどではありませんが、江戸・千葉周作道場で俊秀と呼ばれ、剣客として将来を嘱望されていました。しかし、性格上の欠点から失行多く、酒におぼれて破門されてしまいます。
 やがて肺結核を発症し、北関東を流浪するうちに、笹川の繁蔵一家の食客となるわけです。

 時代はOK牧場の決闘のほうがあとで、1881年10月26日でしたが、まあほぼ同時代といってよいでしょう。

 二足のわらじを履く親分が登場する点も似ています。笹川の繁蔵はヤクザ専業でしたが、飯岡の助五郎はヤクザ稼業のかたわら、十手を預かっていました。
 ワイアット・アープは、映画では正義の人のように扱われていますが、保安官をしながら、ばくち場や酒場を経営しており、賄賂やみかじめ料も取っていたといわれています。

 もっともこの時代、日米とも、治安取り締まりの末端には、このように善悪両面をもった者が少なくなかったようです。江戸時代の目明かし・御用聞きにはごろつきまがいの者が多かったというし、西部開拓時代の保安官には、銀行強盗や列車強盗の前歴者とか、何人も殺した者がよくいたといいます。
 平手造酒がついたのがヤクザ専業の親分だったという点で、両者の構図はいくぶん違っていますが。

 また、両方とも芝居や映画の格好のテーマとなっています。江戸後期に講談師・初代東流斎馬琴(三代目から宝井馬琴)が『天保水滸伝』という題名でこの抗争話の原型を作りました。
 また、昭和初期には浪曲師・二代目玉川勝太郎が「利根の川風たもとに入れて、月に棹さす高瀬舟……」の名調子で事件を歌い上げました。
 映画は戦前から今日まで20本以上作られていますが、その半分以上が平手造酒を主人公に据えています。
 OK牧場の決闘のほうも、『墓石と決闘』『荒野の決闘』『OK牧場の決闘』『トゥームストーン』など、何度も映画化されています。

 同じテーマを歌った歌謡曲に、田端義夫が大ヒットさせた『大利根月夜』(藤田まさと作詞、昭和14年)があります。同じ長津義司の作曲ですが、『大利根無情』に比べると、かなり軽やかな仕上がりになっています。 歌詞もメロディも悲哀感が強い『大利根無情』のほうが、人生の落伍者・平手造酒の悲劇性がよく出ているように思われます。

 たとえば「見てはいけない西空見れば、江戸へ、江戸へひと刷毛あかね雲」の一句には、帰りたくても帰れない江戸への歯がみするような望郷の思いが鮮烈に表れてます。パリへの望郷の念に身をさいなまれながら死んだぺぺ・ル・モコ(ジャン・ギャバン主演の映画『望郷―ペペ・ル・モコ』)の心情と同じですね。

 大利根河原の決闘についてもう少し書いておきましょう。

 下総一帯に勢力を張っていた飯岡の助五郎は、急速に力をつけてきた笹川の繁蔵に警戒感を強め、いつか潰そうと考えていました。そして、天保15年(1844)8月6日の早朝、舟を連ねて繁蔵の縄張りに押し寄せました。事前にこれを察知していた笹川方は地の利に通じた場所に飯岡方を誘い込み、これをさんざんに打ち破りました。

 双方、多数のけが人を出しましたが、死者は飯岡方3人に対して、笹岡方は平手造酒1人でした。平手は功を焦って深追いし、体勢を立て直した飯岡方にめった斬りにされたと伝えられます。
 当時の検死記録では、下腹部から小腸が飛び出すほどの深傷を含め、全身に11カ所の切り傷を受けたにもかかわらず、ひと晩生き延び、7日の早朝に絶命した、とあります。

 笹川方は勝ったものの、助五郎が十手持ちだったため、繁蔵はお尋ね者になり、やむなく一家を解散して「長のわらじ」を履きました。3年後、繁蔵が戻ってくると、元の子分たちが続々と集まってきて、以前にも増す勢いとなりました。
 しかし、弘化4年
(1847)7月4日、賭場から帰る途中、飯岡側の闇討ちに遭い、殺害されました。

 平手造酒、笹川の繁蔵とも、墓は千葉県香取郡東庄(とうのしょう)町の延命寺にありますが、平田造酒の墓は、さらに同郡神崎(こうざき)町の心光寺にもあります。どうして2カ所にあるのかはわかりません。

(二木紘三)

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コメント

 大利根無情の検索で、貴兄に出会い御礼申しあげます。
 更に、≪利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟≫のある全詩をさがしております。
 もう、思うに、浪曲の文句かと存じますが。
 もしご存知でしたら、この、≪利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟≫の全件(くだり)を教えてください。

投稿: 中根 太藏 | 2007年11月25日 (日) 17時46分

中根太藏様
出だしの部分しか知りませんが、下記の通りです。

利根の川風袂に入れて
月に棹さす高瀬舟
人目関の戸叩くは川の
水にせかるる水鶏鳥(くいなどり)
恋の八月大利根月夜
潮来あやめの懐かしさ
佐原囃子の音冴え渡り
葦(よし)の葉末に露置く頃は
飛ぶや蛍のそこかしこ

投稿: 管理人 | 2007年11月25日 (日) 19時52分

大利根無情と平手造酒

日本人の好きなマイナーキャラクターですね。
平手造酒ファン?にぜひお勧めしたい古い映画があります。
「座頭市物語」三隅研次監督
後に大ヒットシリーズとなった映画の第1作です。
座頭市は飯岡側の助っ人になります。
この映画は数ある時代劇映画の名作中の名作です。
座頭市と平手造酒は互いに敵同士の客分です。
ロミオとジュリエットですね。
座頭市と平手造酒の友情を描いた池の釣りシーンが深い余韻を残します。後に大ヒットシリーズとなってからは愛すべきキャラクターとなった座頭市ですが、この第1作では暗く鬱屈を抱えたヒーローです。健常者のあざけりにあからさまな敵意を示します。そして天知茂の平手造酒が絶品です。

投稿: 桂風 | 2009年1月12日 (月) 13時10分

昭和34年の曲とありますね。昭和44年のNHK
紅白で歌われている映像を見ました。10年間、
歌に命があることに驚きます。
セリフの後のほう。
「・・ゆかねばならぬ。そこをどいて下され。
 ゆかねばならんのだぁ」  は、
私の記憶では、「そこを・・」の部分がありません。
別の動画の中にも「そこを・・」を入れないバー
ジョンがあります。三波春夫さんは、両方を使い
分けたのかと思います。
歌詞だけでは、平手造酒が肺結核だったかどうか
触れられていないので分かりません。三波氏が
遠くまで響きわたる声で「・・だぁ」とやるのはサービス
精神もあったと思います。、、、。が、結核だと
聞かされ育った者としては、「、、そこをどいて
下され。ゆかねば、、」のところは、ひとり妙心
さんだけに語るようにしたいと思います。尼さん
を突き飛ばすような勢いではなく、弱よわしく
懇願するように語るのです。カラオケでは、、。

「座頭一物語」たいへん興味がわきます。

投稿: リンゴ海 | 2009年3月 6日 (金) 23時07分

映画「座頭市物語」原作:子母沢 寛 モノクロ
公開:1962年4月
ビデオ屋さんで見つけて、観ました。
笹川の繁造親分に、平手造酒が言う、、
「鉄砲を使うのはやめてくれ。俺が斬る、コホン
コホン」
映画を紹介していただきありがとうございました。

投稿: リンゴ海 | 2009年4月29日 (水) 21時13分

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