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夏は来ぬ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助

1 卯(う)の花の匂う 垣根(かきね)
  時鳥(ほととぎす) 早(はや)も来(き)鳴きて
  忍(しの)び音(ね)もらす 夏は来ぬ

2 五月雨(さみだれ)の 注(そそ)ぐ山田に
  早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)(ぬ)らして
  玉苗(たまなえ)(う)うる 夏は来ぬ

3 橘(たちばな)の薫(かお)る 軒端(のきば)
  窓近く 蛍(ほたる)飛び交(か)
  おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

4 楝(おうち)散る 川辺(かわべ)の宿の
  門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
  夕月すずしき 夏は来ぬ

5 五月闇(さつきやみ) 蛍飛び交い
  水鶏鳴き 卯の花咲きて
  早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ

《蛇足》 明治33年(1900)に『新撰国民唱歌二』に掲載されました。

 明治時代の唱歌の作詞者には、子どもにわかりやすい言葉を使うというおもんぱかりは、ほとんどなかったようです。 佐佐木信綱は、三重県鈴鹿市出身の著名な歌人・国文学者で、息子の治綱、孫の幸綱も、歌人・国文学者として多くの業績を上げています。

 1番~4番には初夏のさまざまな風景が描写されていますが、5番はその総集編といったところで、少々手抜きの感じがします。たぶん、曲が先にできていて、それに当てはめるように作詞していったものの、5番に至ってよいアイデアが浮かばなくなったのでしょう。

 各聯の歌詞は、「五月雨に裳裾濡らして植うる田を君が千歳のみまくさにせむ」
(栄華物語)、「橘のにほへる香かもほととぎす鳴く夜の雨に移ろひぬらむ」(万葉集)などの古歌や、「蛍雪の功」といった中国の故事が発想源になっているようです。

 1番=「卯の花」はウツギの花。「匂う」は、この言葉の古い用法で「鮮やかに映えている」という意味。
 「時鳥」はカッコウ科の鳥の1つ、ホトトギスのこと。カッコウより小形ですが、カッコウと同じく托卵
(ほかの鳥の巣に産卵して雛を育てさせること)します。漢字では、時鳥のほか、杜鵑・霍公鳥・子規・杜宇・不如帰・沓手鳥・蜀魂などいろいろな書き方があります。 
 「忍び音」は、旧暦四月頃の渡来初期に聞こえるホトトギスの鳴き声。鳥の鳴き声には地鳴きとさえずりがあります。地鳴きは平常の鳴き声で個体間の信号であり、さえずりは繁殖期における雄の縄張り宣言や求愛の鳴き声
(したがって雌は常に地鳴き)。渡来初期には、個体数が少ないため、古人は密やかに鳴いていると感じたのでしょう。

 2番=「五月雨」は陰暦の5月、今の6月頃に降る長雨、すなわち梅雨のこと。昔は水の豊かな6月に田植えをするのが普通でしたが、現在では、栽培技術が進歩したためか、温暖化のためかはわかりませんが、5月に田植えをするところが多くなっています。
 「早乙女」は田植えをする女という意味で、若い女性とはかぎりません。最初は賤の女
(しずのめ)(身分の低い女)となっていましたが、のちに早乙女に改められました。
 「裳裾」は着物の裾。
 「玉苗」は早苗と同じで、稲の苗を美しく表現する言葉。

 3番=「橘」は古代日本の柑橘類
(かんきつるい)の総称で、その名前は「立ち花」から来たとも、田道間守(たじまもり)の名に由来するともいわれます。田道間守は、橘とされる非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を常世(とこよ)の国(新羅〈しらぎ〉とも)からとってきたという伝説で有名です。
 「軒端」は屋根が建物の外部に差し出た部分の端。屋根の下端。
 「おこたり諫むる」は、怠けてはいけませんよと忠告すること。

 4番=「楝」はセンダンの古名。センダンはセンダン科の落葉高木で、その実は漢方薬に使われます。香木のビャクダンをセンダンということもありますが、これは別の種類です。
 「宿」はここでは家の意味。
 「水鶏」はツル目クイナ科に属する夏鳥の総称。多くは夜行性で、戸をたたくような声で鳴きます。

 5番=「五月闇」は、梅雨時の夜がとりわけ暗いことを表現した言葉。ついでにいうと、「五月晴れ」は本来は梅雨の晴れ間のことですが、今では気候のよい5月の晴天を指すようになっています。

(二木紘三)

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コメント

おはようございます。いつも[蛇足]からたくさんの知識を頂いています。我が家の庭には今年も卯の花がたくさん咲き乱れました。いつも「夏は来ぬ」の唱歌を口ずさみながら春から夏へ移り行く爽やかな季節を楽しんでいます。美しい日本語の宝庫のようなこの詩に、今はもう失ってしまった「美しい国日本の故郷」を重ね懐かしんでおります。事後承諾になりますがmyblogにフォーク&叙情歌をリンクさせて頂いています。お許し頂ければ幸いです。好みの曲が多くいつもBCMとして楽しんでいます。中でも「池上線」を知りCDまで買ってしまいました。曲もさながら心に沁みるいい詩でした。ありがとうございました。

投稿: 大原女 | 2007年5月23日 (水) 08時56分

介護の仕事をしています。
こちらの音楽「夏は来ぬ」の音楽をダウンロードして、CDに焼き、お年寄りと一緒に歌ってもらいたいと思うのですが、mp3でダウンロードできないですか?

投稿: まつ | 2008年8月 7日 (木) 19時10分

ウノハナは今が盛りですが、香りがありませんね。この歌のせいで香りがあるとばかり思っていましたがほとんど無いことを知りました。「匂う」の意味を教えられる先生が小中学校にはいないんです。

投稿: 清水俊夫 | 2011年6月 2日 (木) 20時38分

 「朝日に匂う山桜花」ーー昔は桜に香りが無い事を知っている小学生でも教わった宣長の歌の結びでした。「しきしまの大和心」が世の中から敬遠され、今では大方の知らぬところとなりました。
 因みに、「卯の花腐し」の頃に良く匂うのは贋アカシアでしょうか。

投稿: 槃特の呟き | 2011年6月 2日 (木) 23時55分

香りがあるのは梅花ウツギです。花も真っ白で木の香りがする清楚であでやかで素晴らしい花です。アブラムシがつくのが欠点です。初夏らしい香りの花です。早乙女が裳裾ぬらしての風景はありませんが水田の小さな苗が風に揺らいでいるのをみると、この歌が日本の原風景を歌っているのがわかりますね。

投稿: ハコベの花 | 2011年6月 3日 (金) 13時45分

この歌を聴くと次のような事が浮かびます。
子供の頃、母方の祖母から白い洋服を着て、田植えをしたと聞いた事があります。
当時はこの話に興味はまったく無く、聞き流していたのですが最近、この種類かと思われる古い写真を見ました。
それは、すでに市町村合併で消滅した、鹿児島・旧 喜入町のホームページが国会図書館 インターネット資料収集保存事業に、保存されているのを昨年知りました、見たら昭和初期 女学生の田植え姿が有りました。
今となっては、なぜ白いワンピース姿なのか判りませんが、田植え(泥作業)と白い服(早乙女)の落差に興味が残ります。
旧喜入町のホームページの”写真館 ”に掲載してあります。
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/259937/www.satsuma.ne.jp/kiire/index.html

投稿: Satoru | 2011年6月 6日 (月) 22時13分

初めまして、シレンと申します。
「夏は来ぬ」の2番の歌詞について質問が御座います。「早乙女が裳裾濡らして玉苗植うる」というところの解釈なのですが、
1.裾を濡らしながら田植えしている
2.裾が濡れているのに気が付かないぐらい夢中で田植えをしている
3.田んぼの水が裾を濡らすぐらいの水位になったことを表してる
4.その他の解釈
のどれかなのでしょうか?

投稿: シレン | 2011年8月19日 (金) 00時48分

シレン様
驚きました。私はそこまで考えたことはありません。1~3のどれでもいいような気がしますが、それでは納得できませんか。

投稿: 管理人 | 2011年8月19日 (金) 03時21分

「忍び音」を辞書で調べると「ほととぎすの初音」と説明されていることが多いのですが、これは正しくありません。古には、ほととぎすは五月(旧暦)の鳥で、五月になってから鳴くはずと理解されていました。しかし実際には卯月4月(旧暦)から鳴き始めてしまいます。そこで古人は、ほととぎすは五月が来るまでは自分の出番ではないとして、こっそり忍んで鳴くものと、人間の都合で勝手に理解していたのです。そのことを示す古歌もたくさん残っています。ですからほととぎすの忍び音とは、旧暦4月に鳴く声を意味しているのです。初声が聞かれるのは旧暦4月ですから、忍び音を初音と説明しても、大きな誤りとは言えませんが、それでは「忍ぶ」ということの説明にはなりません。作詞者は古典和歌をしっかりと理解していた人ですから、それを踏まえないと正しく理解できません。

投稿: あべいずみ | 2013年12月 5日 (木) 20時04分

≪蛇足≫欄の「明治時代の唱歌の作詞者には、子どもにわかりやすい言葉を使うというおもんぱかりは、ほとんどなかったようです」というくだりを見て、私の子どもの頃に学校で習った唱歌は、たしかに意味などわからなくても丸暗記できたなと思いました。そして、大きくなって意味がわかると新しい発見をした驚きと同時に、こんな難しい言葉を歌というリズムで自然に覚えたことに驚きと感謝のような気持ちになります。

先人の子どもに妥協しないやり方は、古典の教養を身につけさせるやり方としても、再評価する価値があると思います。子どもの脳はリズムで覚えれば簡単に丸暗記できますものね。現在の小学校・中学校の音楽の時間には、われわれの子供の時に習った唱歌がほとんどなくなっているようですが、日本の情緒・美風を伝える手段としても、再考すべきでなないでしょうか。

投稿: 吟二 | 2013年12月 6日 (金) 07時28分

 古典文学の大家・佐佐木信綱先生(佐々木と書いてはいけないんですね。なかなかデリケートな先生です)が、唱歌をてがければ、このような歌詞になるのか、という気持ちで、いつもこの歌をきいています。
薀蓄がなければ、この歌を正確に味わうのは難しいです。昭和24年生まれの私は、はじめて唱歌「故郷(ふるさと)」を習った時、「うさぎ おひし かのやま~」を、兎(の肉}はおいしいのかなと思った世代です。
 良い教材は、子どもにまず覚えさせるという方法は、古典文化の習得などに有効ではないかという、吟二さまのご意見に、私も同感です。ただし、今の子どもは文語には縁遠く、教材を精選しなければいけないでしょう。
 江戸時代の教育に「素読」というのがありました。論語の一部などを丸暗記させる。言葉の意味は、後からだんだんわかるという考え方です。子どもの時に記憶された文章や詩歌は、その人の中で何度も反芻され、年齢とともに解釈や感慨も変化していく。すぐれた教育方法だとおもいます。
 ここからは蛇足を承知の上での意見でございます。
戦後の教育は「こどもを主体とした教育」「わかりやすい授業」という風潮で一貫しています。もしこういう唱歌などの復活を提案すると、「大人主体の注入教育」「わかりにくい授業」という非難が十分に予想されます。そこで「教わる時は難しくても、将来、花が開く授業だ」と説明しても、なかなか通じず、少数意見にとどまるでしょう。あの「ゆとり教育」の推進論者、反対論者のやりとりをみてわかるように、「こどもを主体とした教育」云々は、政治的イデオロギーにもとづくスローガンです。それゆえ唱歌を復活させようと言えば、「わかりにくい歌である」からはじまって、「時代錯誤」「戦前の教育に戻るのか」と言い立てる人がでてくるでしょう。底の浅い反対論ですが・・
 いつになったら教育が、政治にふりまわされないで語れる時代がやって来るのかと思います。

投稿: 浮舟 | 2013年12月 8日 (日) 22時38分

少し早いですが夏が近くなると私はよく「夏はきぬ」を口ずさみます。この歌には忘れられない映像があります。おそらく多くの方もそうではないかと思います。

1998年8月7に放映された「NHK特集 夏服の少女たち」です。私は偶然これを視聴しました。

ビデオがありその裏には次の様に書いてあるそうです。

(引用初め)「昭和20年8月6日、広島の空で炸裂した原爆は20万人もの人々の命を奪いました。そしてなんの罪もない大勢の若者たちも原爆の犠牲となったのです。この朝、旧広島県立第一高等女学校一年生220人は学徒動員で市街の建物取り壊し作業に従事中被曝、全員が亡くなりました。二年生以上の上級生は既に軍需工場に動員されていて不在、一年生は残された最後の労働力として爆心地間近で作業中だったのです。この一年生が入学した昭和20年の日本は敗戦目前で物資が極端に不足していました。せっかくのあこがれの女学校に入学したものの制服も手に入りません。少女たちは母親たちのお古をほどいて夏用の制服を縫うことにしました。そしてようやく完成した夏服を着た喜びもつかの間、少女たちは8月6日を迎えます。この少女たちのアニメ物語と原爆でボロボロに燃えた少女の夏服を今なお形身として守り続けている年老いた母親たちのドキュメンタリーとを合わせて、忘れることのできない原爆の悲劇を感動的に描きます。」
**(引用終わり)

夏服ができあがったとき、彼女たちは「夏は来ぬ」を歌わせてください、と先生にお願いします。

ビデオではアニメの効果も相まって14才少女たちの美しい「夏はきぬ」の合唱を視聴することができます。
この合唱をYOUTUBEで聴くことができました。

http://www.youtube.com/watch?v=rIo3wckfHMg

Girls In Summer Clothes (Dresses) - Hiroshima 3/3で で検索できます。

「夏はきぬ」は原爆の犠牲となった14才少女たちへの鎮魂歌でもありますね。美しくてそして哀しいです。

投稿: yoko | 2014年6月22日 (日) 09時17分

こんばんは。私はこちらにコメントしている皆様よりも大分若輩で、この曲を知ったのも高校生のときでした。テレビで知りましたが、最近は唱歌ふるさとが音楽の授業から削除されたり、蛍の光の歌詞も書き換えられて歌われたりと衝撃でした。
本日開業した北陸新幹線の駅のうち私の地元の上越妙高駅の発車メロディにこちらの曲が使用されることになりました。こうしたことを含めて今後も古くからの唱歌や地元の出身者について知って欲しいと感じました。

投稿: yama | 2015年3月14日 (土) 20時17分

この曲を聴くとつい絹石鹸のCMと亡き夏目雅子さんを思い出します。私のゴルフ場ではホトトギスは4月には大分上手に鳴いています。季節が早くなっているのでしょうか。田植えといえば七人の侍のラストシーンが浮かびますが、元国土交通省の竹村公太郎氏の著書によれば新潟、山形、富山などでは湿地での稲作のため戦後でも胸まで田の泥に浸かって田植えをしていたとのこと、写真も掲載されています。ずぶずぶと潜り込む田圃の表面に植えた稲がお米に成長するのはなにか不思議な感じで先人のご苦労が偲ばれます。

投稿: しょうちゃん | 2015年5月20日 (水) 23時39分

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