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コサックの悲歌(エレジー)

 (mp3制作:二木紘三)

ロシア民謡、作詞:不詳、日本語詞:津川主一

1 ゆうぐれのうらさびしい
  草原(くさはら)の果てに
  疲れ切った馬に乗って
  コサック兵が嘆く

2 この強い私の馬
  さあ しっかりせよ
  行く先も遠くはないよ
  もう少しのがまん

3 今夜のうちに行き着かぬと
  命にかかわる
  おまえだけが頼みだぞよ
  これを聞いておくれ

《蛇足》 ロシアの古い民謡ということ以外はわかりません。

 広大なロシアの野やシベリアでは、行き倒れになる者が少なくなかったようです。『郵便馬車の馭者だった頃』や『果てもなき荒野原』など、野で果てる者を歌った民謡がいくつもあることがそれを物語っています。

(二木紘三)

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心騒ぐ青春の歌

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:L. I. オシャーニン、作曲:A. N. パフムートワ、日本語詞:関忠亮

1 ぼくらにゃ一つの 仕事があるだけ
  自由の国拓(ひら)く 仕事が一つ
  (*)雪や風 星の飛ぶ夜も
     心いつも 彼方を目指す

2 きみとぼく二人 励ましあいながら
  結んだ友情 いつまでも続く
  (* 繰り返す)

         (間奏)

3 歩けるかぎりを 見とおすかぎりを
  力あるかぎり ぼくらは行こう
   (* 繰り返す)

4 ときにはきみも 恋をするだろう
  恋人もいっしょに きみは進むだろう
   (* 繰り返す)

5 静かな夜にも 心許すなよ
  仕事成しとげた 栄(は)えある日まで
   (* 繰り返す)


《蛇足》
ソ連映画『はるか彼方へ』の主題歌。10月革命当時、極東地方にソビエト政権を樹立するためにソ連政府が派遣した2人の青年の活躍と友情がテーマ。

 敗戦前、わが国で数多く作られた戦意高揚映画と同じで、共産主義宣伝のための国策映画です。
 歌詞にもそれが如実に表れていますが、メロディがすばらしいので、昭和20年代~30年代、労働者の集会や歌声喫茶でよく歌われました。

(二木紘三)

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黒い目(黒い瞳)

 (mp3制作:二木紘三)

ロシア民謡、日本語詞:堀内敬三

1 美しき黒い目よ
  燃えたてる君が目よ
  こがれては忘れえぬ
  わが君の黒い目

2 その瞳見ざりせば
  のどかにも暮らせしを
  なやましき黒い目よ
  わが幸をうばいぬ

3 いつまでも燃えさかり
  消え去りぬ黒い目よ
  わが生命(いのち)絶ゆるごと
  くるおしき黒い目

《蛇足》 わが国では、『黒い瞳』というタイトルでも知られています。同じロシア民謡の『黒い瞳の』とよくまちがわれます。

 ロシアのロマニー(ジプシー)の間で古くから歌われていたメロディに、ウクライナ出身の詩人・グレビョンカが1843年に詞をつけたもの。ロマニー音楽の基調であるやや哀調を帯びた官能性が、この曲からも感じられます。

 この個性的なメロディが世界に知られるようになったのは、アルフレッド・ハウゼが自作のコンチネンタルタンゴ『黒い瞳』のなかにこのメロディを取り入れて演奏してからだと思われます。

 また、ルイ・アームストロングは、映画『グレン・ミラー物語』のなかで『オチ・チョー・ニ・ヤ(黒い瞳)』というタイトルで、トランペットを吹き、かつ歌っています。
 スペインの歌手、フリオ・イグレシアスは『黒い瞳のナタリー』というタイトルで情熱的に歌い、70年代から80年代にかけて世界的な大ヒットを飛ばしました。

(二木紘三)

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黒い瞳の

 (mp3制作:二木紘三)

ロシア民謡、日本語詞:矢沢保

1 黒い瞳の若者が
  私の心をとりこにした

2 もろ手をさしのべ若者を
  私はやさしく胸にいだく

3 愛のささやきを告げながら
  やさしい言葉を私は待つ

4 みどりの牧場で踊ろうよ
   私の愛する黒い瞳

5 私の秘めごと父さまに
  告げ口する人だれもいない

《蛇足》 戦後の歌声運動のなかで日本に紹介され、歌声喫茶や若者たちの集まりでよく歌われました。
 タイトルが似ているため、ロマニー
(ジプシー)音楽の色彩の濃い『黒い目(黒い瞳)』とよくごっちゃにされます。

 日本人を含め、アジア人は青い目に憧れますが、青い目の多い国々では、黒い目に魅力を感じる人が多いようです。
 とりわけロシアでは、黒い目・黒い瞳への熱い思いを語った小説や詩、歌がいくつも存在します。この歌や「黒い目
(黒い瞳)」も、そうした歌の1つです。

 青い目への憧れも黒い瞳への憧憬も、異なるDNAを取り入れておのれの遺伝子を強化しようとする生物学的本能なせるわざなのかもしれません。

(二木紘三)

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川岸のベンチで

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:シャーモフ、作曲:モクロウソフ、日本語詞:楽団カチューシャ

1 灯(ともしび)またたき 月は水にゆれ
  川岸で語る若者と乙女
  川岸で語る若者と乙女

2 若者のひとみ 明るく輝き
  乙女の黒髪 そよ風にゆれる
  乙女の黒髪 そよ風にゆれる

3 真夏の夜空に きらめく星影
  若きの日の幸を静かにささやく
  若きの日の幸を静かにささやく

4 白樺の木かげ 川岸のベンチで
  別れの言葉をいえない二人よ
  別れの言葉をいえない二人よ

5 灯は消えて 月は森のかげ
  別れを惜しむか 愛する二人よ
  別れを惜しむか 愛する二人よ

Bench《蛇足》 旧ソ連で代表的な歌曲作曲家の一人モクロウソフが1950年に作曲したもの。原題は『ボートの上で』。

 モクロウソフは、第二次大戦中から頭角を現し、『うるわしの春の花よ』『淋しいアコーディオン』など、ロシア民謡の伝統的なスタイルを受け継ぎながら、明るい現代的な曲を数多く書いています。

(二木紘三)

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エルベ河

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:ドルマトゥスキー、作曲:ショスタコーヴィッチ、日本語詞:楽団カチューシャ

1 ふるさとの声が聞こえる
  自由の大地から
  何よりもわれら慕う
  なつかしふるさとの地
  (*)世界にたぐいなき国
     うるわし明るき国
     われらの母なるロシア
     子どもらは育ちゆく

2 遠くふるさと離れても
  いつも夢に描く
  あかき星の下に眠る
  わが山河広き野辺
  (* 繰り返す)

3 エルベのほとりで歌わん
  広きロシアの心
  大いなる祖国の前に
  ファシストは影もなし
  (* 繰り返す)

《蛇足》 ナチス・ドイツの制圧を目指して東西から進撃してきたソ連軍とアメリカ軍は、1945年4月25日、エルベ河畔の町トルガウで出会いました。
 エルベ川は、チェコ・ポーランド国境のリーゼン山地に源を発し、ドイツを貫流して北海に注ぐドイツ第2の大河です。

 両軍の兵士たちは、夜更けまでアコーディオンを鳴らし、ウイスキーやウオッカで祝杯をあげ、「青年は二度と戦場で相まみえない」と誓いあったといいます。下の映像は、両軍兵士の交歓、握手、記念撮影などを記録したものです。

  動画「エルベの邂逅(出典:IPA「教育用画像素材集サイト」

 1949年、エルベの誓いをテーマとしたソ連映画『エルベ河の邂逅』が作られました。その主題歌がこの『エルベ河』です。作曲者は著名な作曲家のドミトリ・ショスタコーヴィッチ。

 上記の日本語詞は昭和39年(1964)6月発行の矢沢保編『世界歌謡集』(社会思想社)に基づいています。
 このバージョンでは、1番の4行目は「なつかしふるさとの地」となっていますが、当初は「なつかしソヴェートの地」と歌われていました。

 これが上記のように変えられたのは、共産主義国ソ連を賛美するような歌詞はけしからんという圧力があったためか、あるいは、多くの労働者・学生が理想の国と信じていたソ連が馬脚を露わし始めたことに対応したものかはわかりません。

(二木紘三)

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ウラルのぐみの木

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:ミカイル・ピリペンコ、作曲:エフゲニー・ロディギン、日本語詞:関鑑子

1 川面静かに歌流れ
  夕べの道をひとり行けば
  遠く走る汽車の窓光る
  若者の待つぐみはゆれる
  (*)おい 巻き毛のぐみよ 白い花よ
     おい ぐみよなぜに うなだれる
     おい 巻き毛のぐみよ 白い花よ
     おい ぐみよなぜに うなだれる

2 川面に夕霧立ちそめて
  家路を急ぐ工場(こうば)の人
  風にゆらぐぐみの葉かげ
  若者ふたり われを待つ
  (* 繰り返す)

3 鶴の歌に秋は去り
  霜は大地を白く包む
  ふたりの若者 今日もまた
  ぐみの葉かげをわれと行く
  (* 繰り返す)

《蛇足》 工場労働者と思われる2人の若者に思いを寄せられる女性の話で、いかにもソ連時代の青春歌という感じです。

Gumi ロシア民謡には樹木がよく出てきますが、その代表格が白樺とぐみです。
 ぐみは、常緑または落葉の灌木で、とげを持つものが多く、その実は赤く熟し、多くの種では食べられます。幹はねばりがあり、農具の柄など用いられます。
 ぐみはグイ実の略で、グイはとげを指します。その外見と、ぐみがロシア語では女性名詞だということから、詩歌ではよく女性の象徴として使われます。『小さいぐみの木』でも、ぐみは女性を象徴しています。

(二木紘三)

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赤いサラファン

 (mp3制作:二木紘三)

ロシア民謡、作曲:A.ワルラーモフ、日本語詞:津川主一

赤いサラファン縫うてみても
楽しいあの日は帰りゃせぬ
たとえ若い娘じゃとて
何でその日が長かろう
燃えるようなその頬も
今にごらん 色あせる
その時きっと思い当たる
(わろ)たりしないで母さんの
言っとく言葉をよくお聞き
とは言え サラファン縫うていると
お前といっしょに若返る

Sarafan《蛇足》 アレクサンドル・E・ワルラーモフ(1801~48)の作曲ですが、すっかりロシア民謡として定着しています。ウィニアフスキーのバイオリン曲『モスクワの想い出』のテーマにも使われています。

 サラファンは、帝政ロシア時代の農婦が着た上着の一種(右の写真、黄色いサラファンですが)。日本でいえば、絣(かすり)の野良着(のらぎ)に当たりましょうか。

(二木紘三)

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小さな木の実

 (mp3制作:二木紘三)

作曲:ビゼー、日本語詞:海野洋司

1 小さな手のひらに一つ
  古ぼけた木の実握りしめ
  小さな足跡が一つ
  草原の中を駆けてゆく
  パパと二人で拾った
  たいせつな木の実握りしめ
  今年また秋の丘を
  少年は一人駆けてゆく

2 小さな心にいつでも
  幸せな秋はあふれてる
  風とよく晴れた空と
  温かいパパの思い出と
  坊や 強く生きるんだ
  広いこの世界おまえのもの
  今年また秋がくると
  木の実はささやく パパの言葉

《蛇足》 原曲はビゼーのオペラ『美しいパースの娘』で歌われるアリア。このオペラは、同じビゼーの『カルメン』や『アルルの女』に比べて、上演される機会はあまりありませんが、この曲だけはよく演奏されます。

 この曲に海野洋司(うんのひろし)が日本語の詞をつけ、昭和46年(1971)、NHKの「みんなのうた」として発表されました。

 海野の詞は、初めからこの曲とセットで作られたのではないかと思われるほどメロディにマッチしており、歌っているうちに、胸の奥から温かさがじわじわ湧きあがってくる傑作です。子どもの歌に出てくる親は、たいてい母親ですが、この歌では父親になっているのもうれしいですね。

 曲はホ短調ですが、サビの頭の3小節だけト長調になっています。ここがパッと明るい感じになるのはそのためです。

(二木紘三)

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ちいさい秋みつけた

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直

1 だれかさんが だれかさんが
  だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた
  目かくしおにさん 手のなるほうへ
  すましたお耳に かすかにしみた
  呼んでる口笛 もずの声
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた

2 だれかさんが だれかさんが
  だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた
  お部屋は北向き 曇りのガラス
  うつろな目の色 溶かしたミルク
  わずかなすきから 秋の風
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた

3 だれかさんが だれかさんが
  だれかさんがみつけた
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた
  むかしむかしの 風見の鶏 (とり)
  ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
  はぜの葉赤くて 入り日色
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋みつけた

《蛇足》 サトウハチローは、明治36年(1903)、作家・佐藤紅緑の長男として東京で生まれました。作家・佐藤愛子は異母妹。

 少年時代は手のつけられない不良で、落第3回、転校8回、勘当を言い渡されること17回で、山手線内のほとんどの留置場に入れられたという伝説が残ってます。感化院という少年矯正施設に入れられたこともありました。

 17歳のとき、西條八十の門をたたき、20歳ごろから作品を発表し始めました。『うれしいひなまつり』『かわいいかくれんぼ』など数多くの童謡のほか、歌謡曲でも『リンゴの歌』や『長崎の鐘』など、日本人の心に深く刻み込まれた名作を数多く残しています。
 昭和48年(1973)没。

 『ちいさい秋みつけた』は、昭和30年(1955)のNHK放送記念祭で発表されました。昭和37年(1962)にボニージャックスの歌でレコーディングされ、同年、日本レコード大賞童謡賞を受賞しました。

 東京文京区弥生にあった旧宅の庭には、秋になるとみごとに紅葉するはぜの老木があり、これが『ちいさい秋みつけた』の発想源になったといわれています。
 記念館になっていた旧居は、平成8年
(1996)岩手県北上市に移転、はぜの木は地下鉄後楽園駅前の礫川公園に移植されました。

(二木紘三)

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ありがとう・さようなら

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:井出隆夫、作曲:福田和禾子

1 ありがとう・さようなら ともだち
  ひとつずつの笑顔 はずむ声
  夏の日ざしにも 冬の空の下でも
  みんなまぶしく 輝いていた
  ありがとう・さようなら ともだち

2 ありがとう・さようなら 教室
  走るように過ぎた 楽しい日
  思い出の傷が 残るあの机に
  だれが今度は すわるんだろう
  ありがとう・さようなら 教室

3 ありがとう・さようなら 先生
  しかられたことさえ あたたかい
  新しい風に 夢の翼ひろげて
  ひとりひとりが 飛びたつ時
  ありがとう・さようなら 先生

  ありがとう・さようなら みんな みんな
  ありがとう・さようなら みんな


《蛇足》
昭和60年
(1985)、NHK「みんなの歌」として発表され、以後、多くの小学校で卒業式の歌として歌われるようになりました。

 福田和禾子にはほかに『北風小僧の寒太郎』『赤鬼と青鬼のタンゴ』などの傑作童謡があります。東京芸大出身で、父親は『サーカスの唄』『花言葉の唄』などのヒット曲をもつ戦前のスター歌手・松平晃。

(二木紘三)

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 (mp3制作:二木紘三)

作詞:北原白秋、作曲:弘田龍太郎

1 雨がふります 雨がふる
  遊びに行きたし 傘はなし
  紅緒(べにお)の木履(かっこ)も 緒が切れた

2 雨がふります 雨がふる
  いやでもお家で遊びましょう
  千代紙折りましょう 疊みましょう

3 雨がふります 雨がふる
  けんけん小雉子(こきじ)が今啼いた
  小雉子も寒かろ 寂しかろ

4 雨がふります 雨がふる
  お人形寢かせど まだ止まぬ
  お線香花火も みな焚(た)いた

5 雨がふります 雨がふる
  昼もふるふる 夜もふる
  雨がふります 雨がふる


《蛇足》
詩は大正7年
(1918)9月、『赤い鳥』に発表されました。曲の発表は大正10年(1921)8月。弘田龍太郎のほか、成田為三も曲をつけています。

 1番の「かっこ」は下駄の幼児語。木履(きぐつ)は古代~中世に履かれていた木製の淺靴ですが、のちにポクリという発音で下駄の類も指すようになりました。
 ポックリという場合は、前後を丸くし、前の底部を斜めにした女の子用の下駄を指すのが一般的です。

(二木紘三)

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朝はどこから

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:森まさる、作曲:橋本国彦

1 朝はどこから来るかしら
  あの空越えて 雲越えて
  光の国から来るかしら
  いえいえ そうではありませぬ
  それは希望の家庭から
  朝が来る来る 朝が来る
  「お早う」「お早う」

2 昼はどこから来るかしら
  あの山越えて 野を越えて
  ねんねの里から来るかしら
  いえいえ そうではありませぬ
  それは働く家庭から
  昼が来る来る 昼が来る
  「今日は」「今日は」

3 夜はどこから来るかしら
  あの星越えて 月越えて
  おとぎの国から来るかしら
  いえいえ そうではありませぬ
  それは楽しい家庭から
  夜が来る来る 夜が来る
  「今晩は」「今晩は」

《蛇足》 昭和21年(1946)リリース。翌年、NHKラジオ歌謡の1曲として放送されました。歌詞は文部省かどこかの「健全な家庭を築こう運動」のキャンペーンソングのようですが、その説教臭を闊達なメロディが和らげている感じです。

(二木紘三)

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赤とんぼ

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:三木露風、作曲:山田耕筰

1 夕焼小焼の赤とんぼ
  負われて見たのは いつの日か

2 山の畑の桑の実を
  小かごに摘んだは まぼろしか

3 十五でねえやは嫁にゆき
  お里のたよりも 絶えはてた

4 夕焼小焼の赤とんぼ
  とまっているよ 竿の先

《蛇足》 三木露風(明治22年~昭和39年)は兵庫県龍野町(現在は市)生まれ。戦前を代表する抒情派詩人の一人で、相馬御風、野口雨情らと早稲田詩社を結成。
 詩集『廃園』は北原白秋の『邪宗門』と並び称され、文学史上「白露時代」と呼ばれる一時代を築きました。

 『赤とんぼ』は、大正10年(1921)、露風32歳のとき、北海道のトラピスト修道院で作られました。

 数多くの歌曲、童謡・唱歌を作曲した山田耕筰は、ことばのアクセントやニュアンスをたいせつにした曲作りをしていたといわれます。この歌でも「あかとんぼ」と、「あ」を高く、「かとんぼ」を低くしています。当時はそのように発音されていたからです。
 ところが皮肉なことに、今では「あかとんぼ」と、アクセントが「かと」に移ってしまいました。
 そういうことを考えると、現代の若いミュージシャンたちのように、ことばのアクセントなど無視した作曲法のほうが、あるいはいいのかもしれません。

 この詩は、意味上4番から始まります。
 中年になった私
(露風)が縁側かどこかから庭を見ると、竹垣か物干し竿の先に赤とんぼがとまっていた。それを見た瞬間、幼時の記憶が次々と甦ってきたきた。
 誰か
(たぶんねえや)におんぶされて赤とんぼを見たことがあったが、あれはいつのことだっただろうか。山の畑で桑の実を摘んだことがあったような気がするが、あれは夢だったのだろうか。ねえやはずいぶん若いときに嫁にいってしまい、今では実家とのつながりもとぎれてしまった――といったふうです。

 赤とんぼは、『失われたときを求めて』(プルースト)の紅茶とマドレーヌに当たるわけですね。視覚と味覚の違いはありますが。

 この歌でよく問題にされるのは3番です。おさと(実家)がどこを指しているのかわからないというのです。この解釈をめぐって、これまで、いろいろ意見が交わされてきました。
 たとえば、おさとはねえやの実家だという解釈があります。多くの人がこの意見を支持しています。ねえやは大家(たいけ)に雇われて、その家の幼い子どもたちの面倒を見たり、炊事の手伝いなどをした年若な女中です。

 たしかに、子どもがねえやを慕っていた場合、ねえやの実家と交流があったというのは、そう珍しくないケースでした。
 しかし、中年になって幼時を回想する場合、自分を子守りしてくれたねえやだけでなく、その実家の消息まで気にするだろうか、と疑問を呈する人もいます。

 露風が幼いころ、母親は放蕩三昧の父親を嫌って家を出てしまいます。露風を育てられなくなった父親は、祖父に預けます。そこに雇われていた「ねえや」との思い出がこの詩の重要なモチーフになっているといわれます。
 こうしたことを考えると、おさとはねえやの実家のほかに、祖父の家、あるいは自分の生家
(父の家)と解釈することも可能です。すなわち、ねえやは早くにお嫁に行ってしまい、私の実家も今どうなっているかわからない、とする考えです。
 おさとの接頭辞「お」を尊敬語ととれば、自分の実家につけるのは変ですが、美化語ととれば、そう不自然な解釈ではありません。

(二木紘三)

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赤胴鈴之助

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:藤島信人、作曲:金子三雄、唄:岩瀬寛・上高田少年合唱団

  (セリフ)
  「エイ!」「ヤーッ!」「ターッ!」
  「ちょこざいな小僧め
  名を、名を名のれ」
  「赤胴!鈴之助だ!!」

1 剣をとっては日本一に
  夢は大きな少年剣士
  親はいないが元気な笑顔
  弱い人には味方する オー
  がんばれ たのむぞ
  ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

2 父の形見の赤胴つけて
  かける気合も真空斬(しんくうぎ)りよ
  なんの負けるか 稲妻斬(いなづまぎ)りに
  散らす火花の一騎打(いっきう)ち オー
  がんばれ すごいぞ
  ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

3 山は夕やけ 一番星は
  母によく似たきれいな瞳
  つらいときにも勇気を出して
  正しい事をやり通す オー
  がんばれ 強いぞ
  ぼくらの仲間 赤胴鈴之助


《蛇足》
昭和32年
(1957)1月~同34年(1959)2月までラジオ東京(現TBSラジオ)で放送されたラジオドラマ『赤胴鈴之助』の主題歌。
 ドラマには、放送開始時小学6年生だった吉永小百合が千葉周作の娘・さゆり役で出演していました。

 北辰一刀流千葉周作門下の少年剣士・金野鈴之助の活躍を描く物語で、鈴之助は父の形見の赤い防具をつけることから、「赤胴鈴之助」と呼ばれるようになります。

 原作は昭和29年(1954)8月号から同35年(1960)12月号まで『少年画報』(少年画報社)に連載された同名の漫画。作者は当時手塚治虫と人気を二分していた福井英一でしたが、第1回分を描いたところで急逝してしまい、第2回からは、まだ新人だった武内つなよしが引き継ぎました。

 連載開始時小学6年生だった私は、「9月号から作者が変わる」という告知を見て、どんな絵になるのだろうと思っていましたが、福井英一の絵とまったく変わらなかったのを見てびっくりした記憶があります。

 大変な人気漫画で、ラジオドラマのほか、映画にもなり、昭和32年から33年にかけて、大映京都で9本制作されました。

 歌の冒頭にあるセリフのうち、「ちょこざいな」は漢字では「猪口才な」と書き、「小生意気な」とか「こざかしい」といった意味です。「小癪(こしゃく)な」も似たような意味。
 両方とも、今ではほとんど死語ですが、明治末から大正時代に少年向け講談本シリーズとして人気を博した立川文庫や、昭和20年代以前の少年誌の時代小説・漫画にはよく出てきました。それらのなかで「ちょこざいな……」とか「こしゃくな……」といったセリフを吐くのは、主人公にやっつけられる悪役と決まっていました。

 「IT分野にはびこる猪口才な小僧たち……」などというと、悪役とはいわないまでも、負け組ということになるかも……。

(二木紘三)

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赤い靴

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:野口雨情、作曲:本居長世

1 赤い靴はいてた 女の子
  異人さんにつれられて
  いっちゃった

2 横浜のはとばから 船に乗って
  異人さんにつれられて
  いっちゃった

3 今では青い目に なっちゃって
  異人さんのお国に
  いるんだろ

4 赤い靴見るたび かんがえる
  異人さんにあうたび
  かんがえる

《蛇足》 詞は大正10年(1921)、『小学女生』という雑誌に掲載されました。翌年、本居長世が曲をつけ、その娘・貴美子の歌で発表されAkaikutu_2ました。

 野口雨情の詞には、モデルがいます。静岡県生まれの「岩崎きみ」という女の子で、母親が北海道の開拓地に入植するため、アメリカ人の宣教師に養女として預けられたのです。
 ただし、きみは結核にかかり、9歳で亡くなってしまったため、実際にはアメリカには行っていません。東京の青山墓地に彼女の墓があります。あまりに幸薄く、はかない一生でした。

 この歌が有名になってから、静岡県日本平に「親子の像」、横浜の山下公園に「赤い靴はいてた女の子」の像が建てられました。
 これについての詳しい説明は、「麻布十番商店街」のホームページの中にあります。

(二木紘三)

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高原列車は行く

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而、唄:岡本敦郎

1 汽車の窓から ハンケチ振れば
  牧場の乙女が 花束投げる
  明るい青空 白樺林
  山越え谷越え はるばると
  ラーラララー ララ ララララーラ
  高原列車は ラララララ 行くよ

2 緑の谷間に 山百合ゆれて
  歌声響くよ 観光バスよ
  君らの泊まりも 温泉(いでゆ)の宿か
  山越え谷越え はるばると
  ラーラララー ララ ララララーラ
  高原列車は ラララララ 行くよ

3 峠を越えれば 夢見るような
  五色の湖 飛び交う小鳥
  汽笛も二人の 幸せ歌う
  山越え谷越え はるばると
  ラーラララー ララ ララララーラ
  高原列車は ラララララ 行くよ

《蛇足》 昭和29年(1954)のヒット曲。福島県の裏磐梯あたりを歌ったものといわれます。

 私が子どものころ、村外れの河原にワラ小屋を建てて、一人で住んでいる女乞食がいました。彼女は中年過ぎでしたが、村人たちは「河原の乙女」と呼んでいました。河原の乙女は、家々を適宜巡回して、食べ物や小銭をもらって暮らしていました。私の母も、握り飯や漬け物などをよく与えていました。

 このころ、ラジオからこの歌が流れてきて「牧場の乙女が……」というところまでくると、頭では違うとわかっていても、いつも河原の乙女の姿が浮かんできて困りました。この歌の爽やかな青春のイメージとほど遠い思い出ですみません。

 昭和30年代後半に高度成長が始まる前まで、少なくとも田舎では、はぐれ者やはずれ者と一般の生活者たちとがうまく共生していたように思います。

(二木紘三)

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高原の駅よさようなら

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:佐伯孝夫、作曲:佐々木俊一、唄:小畑実

1 しばし別れの夜汽車の窓よ
  云わず語らずに心とこころ
  またの逢う日を目と目で誓い
  涙見せずにさようなら

2 旅のおひとと恨までおくれ
  二人抱(いだ)いて眺めた月を
  離れはなれて相呼ぶ夜は
  男涙でくもらせる

3 わかりましたわ わかってくれた
  あとは云うまい 聞かずにおくれ
  想い切なく手に手をとれば
  笛がひびくよ 高原の駅

《蛇足》 昭和26年(1951)リリース。大ヒットしたので、同年、新東宝が中川信夫監督で映画化しました。
 高原の結核療養所を舞台とした、若い植物学者(水島道太郎)と看護婦(香川京子)の悲恋物語です。

 『懐かしのブルース』『月よりの使者』も、高原療養所が舞台になっていました。この時代、結核が人の運命さえ変えかねない重大な病気であったことがうかがえます。最近また、結核の蔓延が問題になっていますが。

 いろいろな病気のなかでも、肺結核はとりわけ文学心を刺激する病気のようで、結核療養所(サナトリウム)を舞台とした小説がいくつも生まれています。文学史には「結核文学」というジャンルがあるほどです。
 日本では『春は馬車に乗って』
(横光利一)、『風立ちぬ』『菜穂子』(堀辰雄)、『草の花』(福永武彦)など、外国では『魔の山』(トーマス・マン)といった傑作があります。

(二木紘三)

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高校三年生

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:丘灯至夫、作曲:遠藤実、唄:舟木一夫

1 赤い夕陽が校舎をそめて
  ニレの木陰に弾む声
  ああ 高校三年生
  ぼくら 離れ離れになろうとも
  クラス仲間はいつまでも

2 泣いた日もある 怨んだことも
  思い出すだろ なつかしく
  ああ 高校三年生
  ぼくら フォークダンスの手をとれば
  甘く匂うよ 黒髪が

3 残り少ない日数(ひかず)を胸に
  夢がはばたく遠い空
  ああ 高校三年生
  ぼくら 道はそれぞれ分かれても
  越えて歌おう この歌を

《蛇足》 昭和38年(1963)にリリースされ、今日も歌われている超ロングヒット。『青い山脈』と並ぶ青春歌謡の代表曲です。

  『青い山脈』が軍国主義から解放された喜びと廃墟からの復活を歌ったマニフェストソングだとすると、『高校三年生』は民主主義教育の喜びと国民的自信の復活を反映したマニフェストソングだといっていいでしょう。
 このころから日本経済は離陸し、世界史上の奇跡とまでいわれた高度経済成長を成し遂げることになります。

 昭和38年は、『鉄腕アトム』のテレビ放映が始まり、坂本九の『スキヤキ』が全米ヒットパレードで1位になり、初の日米間テレビ宇宙中継でケネディ大統領の暗殺が伝えられ、力道山がヤクザに刺された年でした。

 私は、昭和38年8月、大阪から新潟へ向かう夜間急行「日本海」の車中で、同年配の若者のグループが歌っているのを聞いて、この歌がヒットしていることを知りました。

(二木紘三)

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ここに幸あり

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:高橋掬太郎、作曲:飯田三郎、唄:大津美子

1 嵐も吹けば雨も降る
  女の道よ なぜ険し
  君をたよりにわたしは生きる
  ここに幸あり 青い空

2 誰にもいえぬ爪のあと
  心に受けた恋の鳥
  ないてのがれてさまよい行けば
  夜の巷(ちまた)の風哀し

3 いのちの限り呼びかける
  こだまのはてに待つは誰
  君に寄り添い明るく仰ぐ
  ここに幸あり 白い雲

《蛇足》 昭和31年(1956)3月に発表。富田常雄の恋愛小説『ここに幸あり』が松竹で映画化されることになったとき、その主題歌として企画されたものです。

 作詞の高橋掬太郎、作曲の飯田三郎のコンビは、三条町子の歌で『かりそめの恋』『東京悲歌(エレジー)』と続けざまにヒットを出していたので、この曲も三条町子に歌わせる予定でした。
 ところが、三条が妊娠中で出産が近かったために歌えなくなり、18歳の新人・大津美子が急遽起用されることになった、と伝えられています。

 これは大津美子にとって、非常にラッキーなハプニングでした。上品で美しいメロディを生かす彼女の正統的な歌唱が多くの人々の心を打ち、たちまち大ヒットとなりました。
 結婚披露宴でよく歌われ、長いこと祝婚歌の定番でした。2番を除いて歌われることが多かったようですが。

 好評は国内にとどまりませんでした。
 昭和33年
(1958)9月に大津美子が三橋三智也とともにハワイ公演したとき、この歌が大好評で、公演後、楽譜を求めるファンが楽屋に殺到しました。そのため、彼女は観光にも出かけず、300部あまりの楽譜を手書きし続けたそうです。

 アジア各地でも大ヒットし、ことにフィリピンでは多くの人々に愛唱され、長くスタンダードナンバーの1つになっていました。

(二木紘三)

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古城

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:高橋掬太郎、作曲:細川潤一、唄:三橋美智也

1 松風さわぐ丘の上
  古城よ独り何偲ぶ
  栄華の夢を胸に追い
  ああ 仰げば侘(わ)びし天守閣

2 崩れしままの石垣に
  哀れをさそう病葉(わくらば)
  矢弾(やだま)のあとのここかしこ
  ああ 往古(むかし)を語る大手門

3 甍(いらか)は青く苔(こけ)むして
  古城よ独り何偲ぶ
  たたずみおれば身にしみて
  ああ 空行く雁(かり)の声悲し

《蛇足》 昭和34年(1959)リリース。

 私にとって「古城」といえば、まず松本城です。人生の玄冬期(げんとうき)に入った今日に至るまで、何度この天守閣に登ったことでしょう。ここに登れば、高校時代よく彷徨(さまよ)い歩いた城山(じょうやま)がよく見えます。

(二木紘三)

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この世の花

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:西條八十、作曲:万城目正、唄:島倉千代子

1 あかく咲く花 青い花
  この世に咲く花数々あれど
  涙にぬれてつぼみのままに
  散るは乙女の初恋の花

2 想う人には嫁がれず
  想わぬ人の言うまま気まま
  悲しさこらえ 笑顔を見せて
  散るもいじらし 初恋の花

3 君のみ胸に黒髪を
  うずめた楽し 想い出月夜
  よろこび去りて涙は残る
  夢は返らぬ初恋の花

《蛇足》 昭和30年(1955)3月に公開された松竹映画『この世の花』(穂積利昌監督)の主題歌で、島倉千代子のデビュー曲。

 原作は、集英社の芸能月刊誌『明星』に連載された北條誠の長編小説。最初にラジオ東京で連続ドラマ化され、大人気を博したので、松竹大船撮影所が映画化しました。

 愛する人の子を宿しながら、偽りの結婚に身を委ねなければならなかった富豪の令嬢・久美子の悲恋物語です。菊田一夫原作『君の名は』と並ぶ戦後メロドラマの傑作と言っていいでしょう。
 第1部=慕情の巻、第2部=悲恋の巻、第3部=開花の巻、第4部=おもいでの花、第5部=浪花の雨、第6部=月の白樺、第7部=別れの夜道、第8部=さすらいの浜辺、第9部=愛の裁き、第10部=熱砂の抱擁――と計10編制作されました。

 好きな女性がほかの男性と結婚した場合、彼女は何らかの事情で「想う人」の私をあきらめ、やむをえず「想わぬ人」と結婚したのだと思いたいものですが、実際には結婚した相手が「想う人」だったというのが、この世のおおかたの真実です。あなたの奥様もそうでしょう、たぶん。……いや、きっと。

(二木紘三)

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小判鮫の唄

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:高橋掬太郎、作曲:大村能章、唄:小畑実

1 かけた情けが偽りならば
  なんで濡れよか 男の胸が
  かつら下地にともしび揺れて
  いつか浮き名のこぼれ紅

2 好きといおうか 嫌いといおうか
  嘘と誠は両花道よ
  仇な夜風にまただまされて
  ほろり落とした舞扇

3 誰の涙か 二片三片(ふたひらみひら)
 
 まわり舞台に散る花びらよ
  恋は一筋 生命(いのち)にかけて
  なんの恐かろ 小判鮫

《蛇足》 昭和23年(1948)に公開された新演技座制作の東宝映画『小判鮫』の主題歌。

 原作は三上於菟吉(みかみ・おときち)のベストセラー小説『雪之丞変化(ゆきのじょうへんげ)』。江戸の人気役者・中村雪之丞が、父母を死に追いやった元長崎奉行や御用商人を、義賊闇太郎らに助けられながら討つ、というストーリーです。
 この話は、戦前戦後に何度も映画化され、テレビでも、似たような筋書きの時代劇が繰り返し放映されています。

 なお、東海林太郎が歌った『むらさき小唄』は昭和10年(1935)公開の松竹映画『雪之丞変化』の主題歌、美空ひばりが歌った『雪之丞変化』は昭和32年(1957)に公開された同名の新東宝映画の主題歌です。

(二木紘三)

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小指の想い出

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:有馬三恵子、作曲:鈴木淳、唄:伊東ゆかり

1 あなたが噛んだ小指が痛い
  きのうの夜の小指が痛い
  そっとくちびる押しあてて
  あなたのことをしのんでみるの
  私をどうぞひとりにしてね
  きのうの夜の小指が痛い

2 あなたが噛んだ小指がもえる
  ひとりでいると小指がもえる
  そんな秘密を知ったのは
  あなたのせいよ いけない人ね
  そのくせすぐに逢いたくなるの
  ひとりでいると小指がもえる

3 あなたが噛んだ小指が好きよ
  かくしていたい小指が好きよ
  誰でもいいの 何もかも
  私の恋をおしえてみたい
  ほんとにだけど言えないものね
  かくしていたい小指が好きよ

《蛇足》 昭和42年(1967)の発売で、この年のレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
 伊東ゆかりは、それまでポップスを歌っていましたが、これを機に歌謡曲を歌うようになり、いくつもヒットを飛ばしました。

(二木紘三)

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森の水車

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:清水みのる、作曲:米山正夫、唄:荒井恵子

1 緑の森の 彼方から
  陽気な唄が 聞こえましょう
  あれは水車の 廻る音
  耳を澄まして お聞きなさい

  (*)コトコトコットン コトコトコットン
     ファミレド シドレミファ
     コトコトコットン コトコトコットン
     仕事に励みましょう
     コトコトコットン コトコトコットン
     いつの日か
     楽しい春がやって来る

2 雨の降る日も 風の夜も
  森の水車は 休みなく
  粉挽(こなひ)き臼(うす)の 拍子取り
  愉快に唄を 続けます
  (* 繰り返し)

3 もしもあなたが 怠けたり
  遊んでいたく なった時
  森の水車の 歌声を
  独り静かに お聞きなさい
  (* 繰り返し)


《蛇足》
昭和17年
(1942)9月に映画女優・高峰秀子の歌でレコードが発売されましたが、戦時ということもあって、あまりヒットしませんでした。

 戦後、昭和26年(1951)4月9日から荒井恵子の歌で「ラジオ歌謡」として放送されると、一躍多くの人たちから愛唱されるようになりました。
 荒井恵子は、NHKラジオ「素人のど自慢」のチャンピオンからプロの歌手になりました。

 私の子どもの頃、田舎では何カ所にも水車がありました。その響きは、勤勉さを刺激するよりも、「のんびり行こうよ、マイペースでいいじゃない」といっているように私には聞こえました。

(二木紘三)

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桃色吐息

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:康珍化、作曲:佐藤隆、唄:高橋真梨子

咲かせて 咲かせて 桃色吐息
あなたに抱かれて こぼれる華になる

海の色にそまるギリシャのワイン
抱かれるたび素肌 夕焼けになる
ふたりして夜にこぎ出すけれど
だれも愛の国を見たことがない
さびしいものはあなたの言葉
異国のひびきに似て不思議
金色 銀色 桃色吐息
きれいと言われる時は短すぎて

      (間奏)

明かり採りの窓に月は欠けてく
女たちはそっと呪文をかける
愛が遠くへと行かないように
きらびやかな夢で縛りつけたい
さよならよりもせつないものは
あなたのやさしさなぜ?不思議
金色 銀色 桃色吐息
きれいと言われる時は短すぎて

咲かせて 咲かせて 桃色吐息
あなたに 抱かれて こぼれる華になる


《蛇足》
昭和59年
(1984)、高橋真梨子があの艶な声で歌いました。この歌の官能性は、フォークの『夢一夜』と相通ずるものがあります。ポップス版の『夢一夜』といったところでしょうか。

(二木紘三)

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緑の牧場

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:松坂直美、作曲:江口夜詩、唄:近江俊郎

1 朝だ 霧が晴れたよ 緑の牧場
  可愛い山羊の背(せな)から 陽が昇る
  ああ 夢が燃えたつ 歌も朗らかな朝だ
  青い小径たどれば さえずる小鳥
  誰かどこかで呼んでる 楽しい牧場

2 朝だ まねく角笛 緑の牧場
  そよぐポプラ並木に 陽が昇る
  ああ 晴れて明るい 風も爽やかな朝だ
  露を散らし駈けくる 子山羊の首の
  鈴ものどかに響くよ 楽しい牧場

3 朝だ 雲が流れる 緑の牧場
  仰ぐ森の彼方に 陽が昇る
  ああ やさし瞳に 光うららかな朝だ
  遠く呼べば答える 山彦こだま
  胸の泉に花咲く 楽しい牧場


《蛇足》
昭和23年
(1948)1月、NHKからラジオ歌謡として放送されました。童謡『牧場の朝』にも似た、さわやかな歌です。

 昭和30年代の前半ぐらいまで、子どもは歌謡曲を歌ってはいけないとされていました。この歌のような健康的な歌も、例外ではありませんでした。歌謡曲はおとなの歌であり、子どもは音楽の教科書に載っているような童謡や唱歌、外国民謡だけを歌うべきだとされていたのです。
 もっとも、それに従っている子どもは、あまりいませんでした。

(二木紘三)

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三日月娘

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:藪田義雄、作曲:古関裕而、唄:藤山一郎

1 幾夜重ねて 砂漠を越えて
  あすはあの娘(こ)の いる町へ
  鈴が鳴る鳴る 駱駝(らくだ)の鈴が
  思い出させて 風に鳴る

2 恋は一目で 火花を散らし
  やがて真っ赤に 燃えるもの
  あの娘可愛いや 三日月娘
  宵の窓辺に チラと見た

3 急げキャラバン 夜道を駆けて
  町へひとすじ 遠灯(とおあか)
  鈴が鳴る鳴る 駱駝の鈴が
  はずむ心に 触れて鳴る

《蛇足》 昭和22年(1947)2月、コロムビアよりレコード発売。その前年に、NHK・ラジオ歌謡の1曲として放送されました。

 ラジオ歌謡は、「家族みんなで歌えるホームソングを」という戦前の国民歌謡の精神を受け継いで、昭和21年(1946)5月から37年(1962)3月にかけて放送された歌のシリーズです。

 太平洋戦争が激化すると、藤山一郎は南方慰問団に参加、2度南方に赴き、戦地で音楽活動を続けました。昭和20年(1945)、インドネシアで敗戦を迎え、インドネシア解放軍・イギリス軍の捕虜となりました。国内では死亡説が流れましたが、それは誤報で、昭和21年(1946年)、航空母艦「葛城」に乗船して復員しました。生還後の初ヒットとなったのが、この歌です。

 このオリエンタルムードは、久保田早紀『異邦人』の遠い先駆けと言っていいでしょう。

(二木紘三)

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マロニエの木蔭

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:坂口淳、作曲:細川潤一、唄:松島詩子

1 空はくれて丘の涯(はて)
  輝くは星の瞳よ
  なつかしのマロニエの木蔭に
  風は想い出の夢をゆすりて
  今日も返らぬ歌を歌うよ

2 彼方遠く君は去りて
  わが胸に残る瞳よ
  想い出のマロニエの木蔭に
  一人たたずめば尽きぬ想いに
  今日もあふるる熱き涙よ

3 空はくれて丘の涯に
  またたくは星の瞳よ
  なつかしのマロニエの木蔭に
  あわれ若き日の夢の面影
  今日もはかなく偲(しの)ぶ心よ

《蛇足》 昭和12年(1937)リリース。

 萩原朔太郎の詩「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し……」(『旅上』)に見られるように、戦前の日本のインテリの間には、フランス、とくにパリへの強い憧れがありました。この歌は、そのシャンソンぽい雰囲気が受けて、戦前のインテリたちにとくに好まれたようです。

 松島詩子は、ほかにも『喫茶店の片隅で』などシャンソン風の歌をいくつか歌っています。

(二木紘三)

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毬藻の歌

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:いわせひろし、作曲:八洲秀章、唄:安藤まり子

1 水面(みずも)をわたる風さみし
  阿寒(あかん)の山の湖に
  浮かぶマリモよ なに思う
  マリモよマリモ 緑のマリモ

2 晴れれば浮かぶ水の上
  曇れば沈む水の底
  恋は悲しと嘆きあう
  マリモよマリモ 涙のマリモ

3 アイヌの村に今もなお
  悲しくのこるロマンスを
  歌うマリモの影さみし
  マリモよマリモ 緑のマリモ

《蛇足》 昭和28年(1953)に、コロムビア全国歌謡コンクールの課題曲として発表されました。阿寒湖観光の歌として今も愛唱されています。

(二木紘三)

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聖母(マドンナ)たちのララバイ

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:山川啓介、作曲:木森敏之・J.スコット、唄:岩崎宏美

さあ 眠りなさい
疲れきった体を投げ出して
青いそのまぶたを
唇でそっとふさぎましょう

ああ できるのなら生まれ変わり
あなたの母になって
私のいのちさえ差し出して
あなたを守りたいのです
この都会(まち)は戦場だから
男はみんな傷を負った戦士
どうぞ心の痛みをぬぐって
小さな子供の昔に帰って
熱い胸に甘えて

そう 私にだけ見せてくれた
あなたのその涙
あの日から決めたの
その夢を支えて生きてゆこうと
恋ならばいつかは消える
けれどももっと深い愛があるの
ある日あなたが背中を向けても
いつも私はあなたを
遠くで見つめている聖母(マドンナ)

今は心の痛みをぬぐって
小さな子供の昔に帰って
熱い胸に甘えて


《蛇足》
日本TV系「火曜サスペンス劇場」のテーマ曲として、昭和56年
(1981)9月29日~昭和58年(1983)4月26日の間放送されました。
 当初はCD化の予定はなかったそうですが、ファンからの希望が殺到したため、昭和58年5月にCD化されました。

(二木紘三)

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岬めぐり

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:山上路夫、作曲:山本コータロー、唄:山本コータローとウィークエンド

1 あなたがいつか話してくれた
  岬を僕は訪ねて来た
  二人で行くと約束したが
  今ではそれもかなわないこと
  岬めぐりのバスは走る
  窓に広がる青い海よ
  悲しみ深く胸に沈めたら
  この旅終えて街に帰ろう

2 幸せそうな人々たちと
  岬をまわる 一人で僕は
  くだける波のあの激しさで
  あなたをもっと愛したかった
  岬めぐりのバスは走る
  僕はどうして生きて行こう
  悲しみ深く胸に沈めたら
  この旅終えて街に帰ろう

  岬めぐりのバスは走る
  窓に広がる青い海よ
  悲しみ深く胸に沈めたら
  この旅終えて街に帰ろう

《蛇足》 昭和49年(1974)発売。山本コータローは、ソルティシュガー時代に『走れコータロー』を大ヒットさせました。ソルティシュガー解散後、「山本コータローと少年探偵団」「山本コータローとウィークエンド」を結成、この歌はウィークエンド時代のヒット曲です。

 狩人の『あずさ2号』では、「あなたと行くはずだった信濃路」へ「あなたの知らない人と二人で」行くのですが、ほかの人の面影を抱いて行くのでは、同行の彼氏だか彼女だかに失礼でしょう。
 心の傷を癒しに行くのなら、この歌のように、1人で行きましょう――と書いたところ、ある方から「岬めぐりに1人で出かけたのは、失恋のためとはかぎらず、恋人と死別した傷心を癒すため、という解釈もできるのではないか」というご指摘がありました。
 なるほど、ありですね、確かに。

 きれいな詞ですが、2番の「人々たち」がどうにも気になります。

 「人々たち」は誰でも変に感じるだろうと思っていたら、「なぜ気になるのかわからない」という人が何人かいて、びっくりしました。

 人々・人びとの「々・びと」という繰り返し文字や、人達・人たちの「達・たち」は、いずれも複数を示す標識です。これを重ねるのは、たとえば英語でbookの複数形booksにさらに複数語尾を付けて、booksesとするようなものです。
 「達」は、友達のように、複数標示の意味を失っている場合がありますが、人達・人たちというときは、クリスタルクリアーに複数形です。

 作詞者は、音数を合わせるために「人々たち」を使ったのでしょうが、たとえば「乗客たち」とすれば、音数は合わせられます。

 「人々たち」については、次のようなご意見も寄せられました。
 バスには家族連れやカップル、友人同士が乗っていて、そのなかにあって自分は1人だという寂しさを「人びとたち」という言葉で表現したのではないか、というのです。
 そう説明されれば、作詞者がそういう意図を込めたのかもしれない、という推測はできます。しかし、理解はできません。

 この説明によれば、「人々たち」は「〈人々=カップルやグループ〉の複数形」、ということになります。
 しかし、「人々」はあくまでも「個々の人が複数いる」という意味であり、グループもしくは仲間連れという意味はありません。
 私たちが会話や文章のなかで「人々」を使うとき、それをグループや仲間連れという意味で使うケースがあるでしょうか。皆無でしょう。

 仮に、作詞者が「仲間連れの乗客のなかにあって自分は1人だ」という意図を込めたとしても、ほとんどの人がそれを読み取れなければ、結果として言葉の不適切さだけが残ることになります。

 さらに現実的な面としても、たまたま乗り合わせたバスで、自分以外はすべてカップルやグループだとわかるには、相当熱心に車内を観察していなければなりません。それでは、寂しさ・悲しさに身を浸している時間はないと思いますが、いかがでしょうか。

 この歌詞のポイントは、幸せそうに見える乗客たちのなかにあって、自分1人は悲しさにとらわれているということであり、ほかの乗客たちが仲間連れだということに固執する必然性はないと思います。まして、それに固執した結果、奇妙な日本語になってしまうということになれば、ほかの表現を探すべきだったのではないでしょうか。

 「人びとたち」を除けば、この歌詞の美しさには特筆すべきものがあります。傷心の旅を続ける青年の心の痛みが、ひたひたと伝わってくるようです。

(二木紘三)

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おもいでのアルバム

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:増子とし、作曲:本多鉄麿

1 いつのことだか おもいだしてごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  うれしかったこと おもしろかったこと
  いつになっても わすれない

2 春のことです おもいだしてごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  ポカポカお庭で なかよくあそんだ
  きれいな花も さいていた

3 夏のことです おもいだしてごらん
  あんなこと こんなこと あったでしょう
  麦わらぼうしで みんなはだ