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山小舎の灯

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:米山正夫、唄:近江俊郎

1 たそがれの灯(ともしび)
  ほのかに点(とも)りて
  懐かしき山小舎は ふもとの小径よ
  思い出の窓に寄り 君をしのべば
  風は過ぎし日の 歌をばささやくよ

2 暮れ行くは白馬(しろうま)
  穂高(ほたか)は茜(あかね)
  樺(かば)の木のほの白き 影も薄れ行く
  寂しさに君呼べど わが声むなしく
  はるか谷間より こだまはかえり来る

3 山小舎の灯は 今宵も点りて
  独り聞くせせらぎも 静かに更けゆく
  憧れは若き日の 夢をのせて
  夕べ星のごと み空に群れとぶよ


《蛇足》
昭和22年
(1947)にNHKのラジオ歌謡として発表され、米山正夫の代表作の1つとなりました。

 長野県の北安曇(きたあずみ)地方には、古くから「白馬岳(標高2933メートル)の残雪の形(雪形)が馬の形になったら、代掻(しろか)きをする」ということわざがあります。
 代掻きとは、田植えに備えて、水を張った水田の土を砕きかきならす作業です。「代掻き馬」が「代馬
(しろうま)」→「白馬」と変化し、やがて山そのものの名も「白馬」になったといいます(二木迪子著『日本語腕試し』〈講談社〉より)

 穂高(ほたか)岳は、奥穂高岳・西穂高岳・北穂高岳・涸沢(からさわ)岳・前穂高岳から成る連山の総称。最高峰は奥穂高岳で、3190メートル。飛騨山脈の南部、長野県と岐阜県との県境にそびえ立っています。穂高は「ほだか」でなく、「ほたか」と呼んでください。それが地元の呼び方であり、かつ正式名称です。

 写真は奥穂高岳の裾の涸沢(からさわ)にある涸沢小屋。

(二木紘三)

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コメント

久しぶりに思い出の詩に接し感慨深く聞いております。
中学高校時代をこの詩ですごしました。
白馬岳の残雪が水田の代掻きを促すそうです。
早期米産地では考えられませんが、昭和のこの頃はこうでした。思い出の深い懐かしい名曲を有難う御座いました。波路。

投稿: 波路 | 2008年6月19日 (木) 20時49分

今日、団地の集会所に20人強の高齢者の歌好き仲間が集まり、スクリーンに歌詞を映して皆で歌いました。日頃歌う機会などないものですから、皆さん、大満足でした。二木先生のサイトも利用させて頂き、この歌などは大好評でした。会を企画したリーダーの女性は、今は亡きご主人との山歩きの想い出に浸っておいででした。私と云えば、現役時代に渋谷宮益坂にあったその名も「山小舎」なるバーに同僚とアフターファイヴに出かけては、一杯やりながら、この歌を歌ったことを思い出しながら歌いました。

投稿: 大門坊 | 2009年8月 7日 (金) 00時42分

山は白馬(しろうま)ですが上村愛子の高校は白馬(はくば)ですね。駅名も。子供の頃から不思議でした。山
は「しろうま」と呼んだ方が情緒がありますね。穂高にはこんなに山があるとは、アルピニストか地元の人しか
ご存知無いのではと思われます。

投稿: 海道 | 2009年8月 8日 (土) 07時11分

中学、高校時代、(昭和30年前後)キャンプやハイキングに行けば必ずこの歌を歌ったものです。山道を走る普通のバスの中でも私たちが歌うと、一緒に乗っている他のお客さんたちも声を合わせて歌ってくれました。皆が同じ歌を歌っている時代でした。「やかましい」「うるさい」などと言う人はいなかったですね。
ちなみに私はこの歌を爽やかに歌える人が本当に歌が上手い人だと思っています。上手い、下手の私の判断基準の歌です。

投稿: ハコベの花 | 2009年9月28日 (月) 23時06分

二木先生;

 いつもありがとうございます。朝晩はかなり冷え込む季節になってまいりましたが、日々このサイトを楽しませて頂きながら過ごしております。

 この歌は不思議な歌です。
年に数回、現役時代の先輩や同僚十数人が集まる懇親会に出席しております。カラオケができる居酒屋の掘りごたつ式中広間で、飲み喰いしながら時計回りに各々持ち歌を披露し、日ごろのストレスを発散して旧交を温めるのが会の趣旨です。メンバーはいずれも古希前後の同世代なので、選曲はおのずから戦前および戦後第一期の歌謡曲が中心になりますが、中にはサザンや陽水などを多少無理して歌う輩もいます。
 現役の頃は人間関係に齟齬をきたさぬよう、先輩が歌うときは神妙に聴いていた(聴くふりをしていた?)面々も、今や人が歌っているのも構わずに、隣同士雑談したり、“次はどの歌にしようか”と曲集をめくったりと、まともに聴いている者はいません。それでも毎回同じ顔触れで集まるのは“皆で集まって歌うのが楽い”からでしょう。
 ところで毎回決まってこの「山小舎の灯」をリクエストする先輩がいます。そしてこの歌がかかると誰もが雑談や曲探しをやめ、一人二人と唱和をはじめます。やがて全員による大合唱に変わり、歌い終わった後はみな何となくおとなしくなって、場の雰囲気も浄化されたような気分になるのです。
 歌詞の温かさや穏やかさ、優しいメロディーがそうさせるのでしょうが、この歌の持つ不思議な力を感じさせられます。
 もうすぐ師走、忘年会シーズン。また楽しい懇親会の季節がやってきます。


投稿: 中嶋 毅 | 2010年11月15日 (月) 02時34分

二木先生:中嶋 毅様

 二木先生 毎日のように当コーナーを開き楽しませていただいております。ありがとうございます。

 中嶋 毅様
 2010年11月15日のコメントを拝見いたしました。
 今から55年前中学2年の数学の授業で、生徒の私語が多く
先生は対応に苦慮していました。その時先生が急に「山小舎の
灯」を歌い始めました。生徒たちは真面目に聴きました。すごく印象に残り、いろいろのチャンスを得て歌詞をおぼえました。それ以来自分の持ち歌となり、職場の歓送迎会などで唄っていました。カラオケは30年ほど前は経験もなく、初めてマイクを持ちエコウの聞いた部屋でこの歌の記憶が今も心に残ります。機会ある毎に口ずさんでいます。ありがとうございます。

投稿: 河嶋 忠雄 | 2010年12月18日 (土) 20時58分

河嶋忠雄様;

 私の書き込みへのコメント、ありがとうございました。
 年の瀬も押し迫る中、今年も例の親睦会が先週12月16日(木)に開催され、楽しいひとときを過ごしました。件の先輩は今回はどういうわけか「山小舎の灯」ではなく「早春賦」をリクエストしていましたが、これもやはり最後は全員合唱でした。
 「山小舎の灯」を持ち歌にされているとのこと。私も大好きな歌で、歌うたびに心のなかに温かいものがこみ上げてきます。この歌のように、何年たっても人々に愛され歌い継がれていくのが本当の名曲だと思います。
 これからもお互いに二木先生の「うた物語」のファンとして、この歌を大事にしていきましょう。
 向寒のおり、河嶋様のご健勝を祈念しております。

投稿: 中嶋 毅 | 2010年12月20日 (月) 11時02分

高校時代の仲間十数名と年に数回会う機会があります。
一杯飲んだあとはカラオケが定番です。
 各自持ち前の曲を歌ったあとに表示される点数を一点
でも上げようと燃える仲間もおり、内心ひとにはいえず
小さな争い?が始まります。         小生も
持ち歌の「山小舎の灯」を歌いましたが、仲間がたまには
他の曲をとうながしました。
 以前「当うた物語」に投稿なされている、中嶋 毅様
のコメントに「早春賦」をリクエストしたとのことを想
い出しました。
 早速メロデイーが流れた瞬間、他人の曲など聞いている
ふりしていた仲間も全員がうたいはじめました。
 古稀を目前にした仲間が、小学校低学年に習った曲に
酔いしれました。
 二木先生・中嶋 毅様ありがとうございます。
今後とも当コーナーのご発展をお祈りします。

 

投稿: 河嶋 忠雄 | 2011年2月17日 (木) 14時53分

二木先生へ
いつも楽しく、懐かしく利用させていただきありがとうございます。「山小舎の灯」の山小屋は前に雑誌で
「栂池ヒュッテ」で米山正夫さんがこの歌をお作りになったという記事を読みましたのでそう思っていました。
2番の「暮れ行くは白馬か 穂高は茜よ」で納得していましたが、栂池ヒュッテからは穂高は見えない筈だからおかしいと友人は言います。穂高方面と解釈すればいいのではとも思いますが、私は未だ行ったことはありませんからわかりません。「栂池ヒュッテ」でしょうか。

投稿: マチ トシアキ | 2011年10月15日 (土) 10時05分

☆この白馬:穂高の2つの山頂が、同じ山小屋から見えるや否やは、よく取り上げられる問題です。白馬岳と穂高岳の距離は50km程あり、ヒュッテから両嶺を見る事はまず不可能でしょう。 『あぁ白馬は暮れ行こうとしている、あの穂高あたりは茜色に染まっていることだろうなぁ…。』と、多分に推量を含んでの事じゃないかしら。もしかしたら、我が想いを寄せるあの娘は、奥穂山荘に一人居て、ちょっと淋しい思いをしてるんじゃ…。なんてネ。

投稿: かせい | 2011年10月18日 (火) 00時34分

栂池(つがいけ)ヒュッテはこの歌のモデルとなった山小屋で建て替えられましたが、モデルとなった小屋は保存運動の末、解体されずに残っているそうです。栂池ヒュッテは海抜1860mですので穂高は見えないと思います。白馬岳山頂からは50km先の穂高連峰は見えると思います。(ネット上に写真があります。)米山正夫がシベリヤで学生時代に登った山を思い出しながら書いた歌
だと近江に話しています。
函館のシト的徒然日記によれば
この歌のヒットで作者も思っていなかった注文が飛んだ。この歌の歌詞2番に出てくる 暮れ行くは白馬(しろうま)か穂高(ほたか)は茜(あかね)よ
穂高はおろか白馬はどこだ・・60余年愛唱されているのだから。歌は心である。

投稿: 海道 | 2011年10月23日 (日) 16時00分

☆残念なことに、この「山小舎の灯」の中の「穂高」は「ほだか」と唄われているようです。おそらく全国数百は存在する〈歌声サークル〉の9割位は「ほだか」で通していることでしょう。近江敏郎さんがそのように唄ったからでしょうか。ほかのプロの歌手、コーラスの方々も皆追随です。
 「ほだか」のほうが円みがあって唄いやすい、ほたかだとトンガっちゃう
。というらしいです。私も山の話の時には「ホタカ」と読みますが、唄う時には、浮くのをきらって「ホダカ」で唄ってしまいます。 燕岳→大天井→西→槍が岳→南岳→大キレット→奥穂高岳のルートを二泊三日で縦走という、無茶をやってしまった事が有ります。奥穂高の山荘の見晴らしの良いテラスでは、飲める同僚二人は生のジョッキビール、飲めない私はスプライトでした。 因に白馬岳は二度登頂、一度目は三山縦走、二度目は蓮華温泉ルートへ。 白馬岳と穂高岳を登頂した私としては、機会あるごとに「ほたか」が正式名称だとがんばっていくつもりでずが…。世の趨勢かなぁ。

投稿: かせい | 2011年10月29日 (土) 23時50分

「山小舎の灯」の2番 「暮れ行くは白馬か 穂高は茜よ」の件、栂池ヒュッテからはもちろん二つの山は同時には見えません。しかし、少なくとも美ヶ原や霧ケ峰などからは、同時に二つの山を観たことが有ります。その証として「美ヶ原からの穂高岳」でネット検索するとある方の写真があります。また、山と渓谷社刊「アルプス大展望」の87p「奥穂高岳からの八ヶ岳連峰遠望」の中に、霧に覆われた松本平野の向こうに美ヶ原の全貌が映っています。一方、白馬岳は里からよく見え、その残雪が代馬「しろうま」に似ていることから代馬岳、これが白馬岳になったと言われています。

投稿: 大山中山小山 | 2012年1月 9日 (月) 18時23分

あまりの暑さ続きでダウン寸前です。せめてこの爽やかな歌で生気を取り戻そうと聴いております。無性に懐かしく
なって口ずさんでおりましたら、息子も覚えたようで一緒に歌ってくれました。気持ちだけは清々しくなったのですが、暑さは逃げていきません。皆様、熱中症にお気を付け下さい。

投稿: ハコベの花 | 2012年7月31日 (火) 19時52分

 さわやかで健康的な歌です。きっと昭和22年頃の若者の感性に響いたのでしょうね。ある意味うらやましいです。しかし「古いなあ、昔の歌だなあ」とも思います。今の若者の感性はもっと複雑なものではないでしょうか。私のような年をくった者でも、「君をしのぶ」にしろ「あこがれ」や「夢」にしろ、そんなにさらりときれいに言われてもねえーと思います。なんというのか人生に起こる出来事はどれもこれも、なかなかやっかいで、一筋縄ではいかないことばかり、この歌詞はすこしばかりきれいすぎて、さわやかすぎて、歌う時すこし気恥ずかしい、という気持ちですね。「歌は世につれ」といいますから当時の人々の心にかなったものであったんでしょうけれど。
 山好きだった私はこの歌の白馬、穂高は行かず終いですが、五竜、鹿島槍は登りました。山小舎には何度も泊まりましたが、山小舎の灯を感慨深く眺めたことはないですね。夕方、山小舎にたどりつくと簡単な夕食をすませ、明日の予定の確認後、早々と寝るものですから。登山シーズン中はぎゅうぎゅう詰めで隣の人の歯ぎしりや寝言を我慢して寝ることに集中します。明日の早朝の出発に備えて。これが私の見た現実です。この歌は山に登った経験のあまりない人が想像で作ったように思えるんですね。もちろんそのことは一向にかまいません。しかし山小舎は汗臭い無精ひげの男の多く集まる所です。今、歌うとすれば「むさくるしくてきたないものこそ実は美しいのです」という風にでも歌ってほしい。(山男どうしの身びいきがすぎましたかね)小難しいことを書きましたが、「今は悩ましいことや複雑なことが多い時代になってしまった、昔の方がシンプルでよかったかなあ」という感慨です。誤解のないようにもう一度。「山小舎の灯」は名曲です。そう思います。その上での話です。

投稿: 久保 稔 | 2012年9月17日 (月) 10時39分

「国破れて山河あり」の状態を知っていれば、この歌が愛された理由がわかると思います。一面の焼野原のはるか彼方に見える山脈が唯一日本の財産だったのです。どんなに貧しくても人間は美しいものに憧れます。遠くから眺める山の美しさが良いのです。汚いむさくるしい山男はいらないのです。この歌が歌われていた時代は日本中が汚いむさくるしい人であふれていましたから。

投稿: ハコベの花 | 2012年9月17日 (月) 21時55分

私は高校3年間アルプスを見ながら暮らしていました。ある時親友が山で滑落し一人では生活出来ない身になってしまいました。それ以来高い山から遠ざかっています。山は芹洋子の「穂高よさらば」のように夢があっていい場所だと思います。山小屋にもそれぞれの想い出があるように。

投稿: 海道 | 2012年9月18日 (火) 16時18分

 「山小舎の灯」といえば、民俗学者の宮本常一の「高野豆腐小屋」という文章を思い出します。「土佐源氏」ほど有名ではないが文句なしの名文です。宮本は若い頃、泉州(大阪南部)で小学校の代用教員をしていました。すぐ近くに岩湧山という修験道で知られた山があり、寒い冬になると連日山頂に灯がともる。おそらく山伏が護摩を焚いているのだろうと思い、ある日宮本は山へ登ってみた。ところが、それは高野豆腐を作る、いくつもの作業場の小屋からもれる灯であった。ここは和泉と紀伊の国境の山岳地帯であり、冬は厳しい寒さで知られ、本家高野山とともに凍り豆腐の生産所であったのです。(高野豆腐、今は温度管理ができる工場でできますが、昔は自然の気候にたよりました)そこで宮本は豆腐作りの老人から貴重な聞き取り調査をすることになります。私は山伏の修行と勢い込んで山に登った宮本の勘違いがなんとも面白くて、この文章を読んですぐに岩湧山に行きました。私が登った時は小屋は跡形もなかったです。しかし敬愛する宮本常一のかつて通った山道を今自分は辿っているのだと思い、一日中気分はうきうきしました。

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追記: 後になって見直せば9月17日の私のコメントは恥ずかしいです。「山小舎の灯」を気持ちよく楽しんでいる方も大勢いるでしょうに、わざわざイチャモンめいたことを書くとは愚かなことであったと大いに反省しました。そんな私に「あの歌は戦後の復興期の歌です」とやんわりたしなめてくれたハコベの花さん、「山小舎への思いは人それぞれ」とフォローしてくれた海道さんに感謝いたします。変なコメントを書かないようにもうすこし気をつけるとともに、さらに勉強します。(自信はあまりないですけど)

投稿: 久保 稔 | 2012年9月23日 (日) 15時13分

 長野県の松本にお住まいの方から、穂高の発音について次のようなご質問をいただきました。
 地元では確かにホタカと呼んでいるが、近江俊郎はホダカと歌っているし、『NHKヒットソング集2(ラジオ歌謡1)』の楽譜でもホダカとなっているが、どう歌うべきだろうか、というご質問です。
 同様の疑問をお持ちの方は多いと思いますので、私の考えを述べておきたいと思います。
 この問題には2つポイントがあります。1つは何をもって正しい歌詞とするかという点、2つめは地名の表記ないし発音の原則です。

(1)原詞について
 多くの人はレコードやCDで歌手の歌っているものが正本だと思っていますが、それを裏付ける論理的ないし慣習上の根拠はありません。レコーディングの段階で歌手が歌詞を誤読したり、ディレクターなどによって変えられたりするケースが往々にしてあるからです。
 この件に関しては、『悲しき竹笛』のコメント欄でも触れていますので、そちらもご覧下さい。
 また、地名についていえば、作詞家が書いた歌詞の表記(ルビ付き、またはひらがな書き)が正しいとする根拠もありません。作詞家が現地音を知らずに書いたり、知っていても世間一般の読み方に従って書いている場合があるからです。歌集の編集者がルビをつけている場合も同じです。
 『山小舎の灯』の穂高についていえば、近江俊郎やNHKの楽譜制作者がまちがえているのですから、そのミスを踏襲するのはどうかと思います。

(2)地名の表記や発音について
 地名については、できるだけ現地音に近い表記・発音にするのが、近年の地理学の原則になっています。
 たとえば、地元外の人の多くは北上川をキタガミガワ、熊本県の五木村をイツギムラ、滝廉太郎が一時住んだ大分県の竹田市をタケダシと呼んでいますが、それぞれキタカミガワ、イツキムラ、タケタシが現地音であり、正音とされます。
 ですから、『北上夜曲』は「キタカミ夜曲」、『五木の子守唄』は「イツキの子守唄」と読むべきです。『竹田の子守唄』の竹田は京都府の地名で、タケダが現地音です。

 外国の例でいえば、韓国の慶州かつてはケイシュウ、釜山はフサンと呼ばれていましたが、現在では現地音に近いキョンジュ、プサンと呼ばれていますし、インドネシアのセレベス島は今ではスラウェシ島と呼ばれ、地図にもそう表記されています(ただし、古い地図では昔の表記のままのものもあります)。
 言語によって表記・音韻体系は異なるので、現地音をそのまま表記するのは不可能ですが、極力現地音に近い表記・発音にするというのが世界的な潮流です。

 国内の地名については、地元では清音で発音されているものが、地元外の人たちには濁音で発音されているという興味深い傾向があります。こうした濁音化は現地から遠くなるほど強くなるようです。
 ホタカ―ホダカ、キタカミ―キタガミ、イツキ―イツギ、タケタ―タケダ、イバラキ―イバラギなどがその端的な例ですが、軽井沢、佐世保も、地元では戦前まではカルイサワ、サセホと呼ばれていました。今でもそれぞれの地の古老にはカルイサワ、サセホという人が多いようです。
 それがカルイザワ、サセボになった経緯については諸説ありますが、私は次のように考えています。

 信州の寒村だった軽井沢が開けてきたのは、明治時代から欧米人が別荘を設けたことによるとされています。カルイサワをローマ字表記するとKaruisawaですが、欧米語、とくにフランス語やイタリア語などのロマンス語では、母音に挟まれたsはズと発音される傾向があります。そこで、外国人の別荘族たちはカルイザワと発音し、それがのちのち日本人の別荘族やレジャー族にも伝染し、やがて地元でも定着してしまったのではないかと思います。

 佐世保については、地元外の人たちによる濁音化、とくにマスコミの影響が主因だと思いますが、ひょっとしたら日本の敗戦に伴って佐世保に進駐してきた米軍将兵による影響もあるかもしれません。
 サセホのローマ字表記はSasehoですが、英語国民には語中のhは発音しにくいようで、意識しないで話している場合は、かすかにしか発音しない、あるいは飛ばしてしまう人が多いようです。そこで、発音しやすいようにb音を挟んだことからサセボに転訛し、それが地元住民に影響したかもしれないと考えました。
 当時の進駐軍将兵が佐世保をどう発音していたかがわかれば、この考えにも幾分かの可能性が出てくるのですが……。

 軽井沢と佐世保については私の推測、というより想像の域を出ていません。地名や地元の歴史に詳しい方が正確な情報をお知らせ下さればうれしいです。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年4月17日 (水) 17時43分

左右スピーカーヴォリュームいっぱいにして、週末金曜の午後。つい涙っぽくなるのは、山小屋の灯の旋律が染みついているからかも。

> 地名については、できるだけ現地音に近い表記・発音にする…

ヘボン式なんて言う固有名詞カナは歴史的遺物です。これからHepbunnを一寸思いつきません。でもわずか15年ほど前、Inge de Bruijnをインヘ・デブルーインと仮名化して普及させた御仁(恐らく欧州出向記者)がいる。名前は良いのですが、苗字デ・`ブルーイン`は誠に`傑作`。 当時の水泳女子スプリント第一人者は、日本遠征の際このカナで呼ばれ、はじめ分らず、やがて爆笑ふきだしたそうです。しかし日本の方々は親切で礼儀正し く、訂正するのも大人げないと、そのままそっとしておいた(と思います)。

固有名詞の`土地`仮名化は左様に難しい例もある。領土争奪合戦による二つ異言語並立もあったり、方言違いも重なります。でも21世紀はやはり普段の呼び名に出来るだけ近い仮名にするのが`優しい心使い`だと、名解説二木さん`蛇足`にこっくりうなずき賛成申し上げます。
因みにインフェ・Bruijnはブラバント地方出身、只の茶色姓ブラウン仮名になります。

投稿: minatoya | 2013年4月20日 (土) 01時16分

7月中旬、霧ケ峰高原にトレッキングに行ってきました。
車山山頂から蝶々深山(ちょうちょうみやま)を通り、物見岩から20分ほど下ると「八島ヶ原湿原」に出ますが、そこに「奥霧の小屋」という所があり、山小屋の前に「山小舎の灯」の詩が刻まれた立派な歌碑が建てられていました。(昭和63年10月建之)
「山小舎の灯」は65年以上前に作られた曲ですが、北アルプスの穂高連峰や白馬岳への山びとの憧れを誘う素晴らしい曲であり、現在においても決して古めかしさがなく、思わず口ずさんでしまいました。
歌碑の写真を添付できないのが残念ですが、「奥霧の小屋」は作詞・作曲した米山正夫さんが逗留し、構想を練った場所だそうです。
歌詞にある「暮れ行くは白馬か穂高は茜よ」は、この地から眺望できる穂高連峰や白馬三山の夕景でしょうか?。
「山小舎の灯」が永く歌い継がれていく事を願っています。

投稿: Maruko | 2013年9月 1日 (日) 19時23分

セレベス島を離陸したアジアン・エアー最新鋭機の墜落事故。犠牲者多くはインドネシアの方々だとか。またもMH関連? 「マレーシア」の運悪さを思います。ニュースではセレベスと言ったようです。しかしその島の正しい読みはスラウェシ島。この頁「蛇足」の記述を思い出したんです。

雪日和、当地では珍しい。一日早ければ‘ホワイトクリスマス`でした。白い雪は白馬あるいは八方へと繋がっていく。金曜夜の新宿発にのり、月曜早朝に帰ると言うメチャな二日スキーに凝った時代。師走の忘年会を終えると、事務所仲間と八方リフト終点、その上の山小屋へ。暮れゆく白馬、太陽が出てくる寸前の朝焼け、、、この歌を歌ってくれた仲間たちはどうしているのだろう。

フランスの車スキーヴァカンス族は昨日、大雪のため身動きできず、近くの小学校などに避難収容される始末。車ヴァカンスならば、この程度だ。東ウクライナ分離派のミサイル誤射による悲劇はMH17のフライトだった…。オランダからマレーシアやオーストラリアへのヴァカンスの人々、その298名中293名のDNA鑑定終了、機体最終調査レポまで数年を要する。

<思い出の窓に寄り 君をしのべば 風は過ぎし日の 歌をばささやくよ> <寂しさに君呼べど わが声むなしく はるか谷間より こだまはかえり来る> 浪漫的な詩句を演奏に重ねてゆくと、鎮魂歌であるかのような錯覚に襲われてきます。

投稿: minatoya | 2014年12月29日 (月) 11時43分

小学校の6年生の夏休みと記憶しています。
同級生の父親と3人で穂高・白馬ではありませんが、奥秩父の雲取山に登山しました。
秩父線からバスを乗り継いで、ケーブルカーで三峰山頂、そこから雲取山の山頂へ向かいます。昭和30年代で登山靴もなく運動靴に遠足のリュック姿でした。初めての山小屋のランプの下で食べた飯盒の飯は、持参のクジラの缶詰の味とともに今でもハッキリ覚えています。

投稿: タケオ | 2016年7月10日 (日) 21時54分

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