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君の名は

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、唄:織井茂子

1 君の名はと たずねし人あり
  その人の 名も知らず
  今日砂山に ただひとりきて
  浜昼顔に きいてみる

2 夜霧の街 思い出の橋よ
  過ぎた日の あの夜が
  ただ何となく 胸にしみじみ
  東京恋しや 忘られぬ

3 海の涯に 満月が出たよ
  浜木綿(はまゆう)の 花の香に
  海女(あま)は真珠の 涙ほろほろ
  夜の汽笛が かなしいか

《蛇足》 戦前の『愛染かつら』と並ぶメロドラマの傑作『君の名は』のテーマ曲。

 『君の名は』は、昭和27年(1952)4月10日にNHKラジオで放送が始まり、29年(1954)4月10日まで続きました。毎回、ドラマの冒頭に入った来宮(きのみや)良子のナレーション「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓(ちこ)う心の悲しさよ」が忘れられません。

 太平洋戦争末期の東京大空襲の夜、焼夷弾が降り注ぐなか、見知らぬ同士の氏家真知子と後宮春樹は、助け合って逃げ回るうちに、銀座・数寄屋橋にたどり着きます。そこで2人は「生きていたら半年後、それがだめならさらに半年後にこの橋で会おう」と約束します。
 春樹は「君の名は?」と尋ねますが、真知子は答えないまま立ち去ります。さまざまなメロドラマのなかでも屈指の名場面です。
 ここから、九州から北海道まで全国を舞台とした真知子と春樹のすれ違いが延々と続くことになります。

 最終回のとき、私は小学校6年生でしたが、重病で激しくあえぐ真知子の枕元に春樹が駆けつけられるかどうか、手に汗を握って聴いていました。
 小学生でしたから、真知子は春樹が好きなのに、なぜ意志をはっきりさせないのか、各地を旅する費用はどこから出たのか、といったことは少しも疑問に思いませんでした。

 昭和28年(1953)~29年に松竹が岸恵子と佐田啓二の主演で映画化し、大ヒットしました。上の写真はその1場面。
 テレビ時代が始まると、何度かテレビドラマ化されましたが、時代が下るほどヒットしなくなりました。

 とりわけ、平成3年(1991)にNHKが鳴り物入りで始めた朝のテレビ小説は、回を重ねるにつれて視聴率が下がりました。人気を挽回するために次々と方針を変えた結果、世紀のすれ違いメロドラマが、終わりのほうでは、「奥さん、今晩のおかず何になさる?」「うちはコロッケよ」風のホームドラマになってしまいました。
 メロドラマは、2人が結ばれた段階で終わらなくっちゃね。

 『君の名は』は『鐘の鳴る丘』とともに、劇作家・菊田一夫(明治41年~昭和47年〈1908~72〉)の代表作です。昭和20年代に少年少女期や青春期を送った人たちにとって、菊田一夫は忘れられない名前のはずです。
 そこで、彼の思い出を少々。

 雑誌記者をしていたころ、私は、評論家・扇谷正造をホストとする対談シリーズを企画・担当したことがありました。そのゲストのなかでとりわけ強い印象を受けたのが菊田一夫でした。彼がした話のうちで、よく覚えているのが次のエピソードです。

 菊田一夫は実の親の顔も知らないまま、数組の養父母の間をたらい回しにされ、小学校を卒業しないうちに、大阪で丁稚(でっち)に出されました。神戸の古物商に奉公していたころ、文学を志し、17歳のとき、古物商を辞めて、東京を目指しました。

 東京では、文学仲間のつてをたよって、サトウハチローの内弟子になりました。
 そのころ、サトウハチローに子どもが生まれました。赤ん坊が夜泣きを始めると、サトウハチローに、眠れないからと赤ん坊を背負わされて、外に出されました。
 「木枯らしの吹いている夜などは、辛くて、赤ん坊といっしょに泣きたい気持ちだった」と彼は語っていました。

 私に子どもができたとき、赤ん坊が夜泣きを始めると、たまには妻を眠らせなくてはと思い、抱いて深夜の街を2、30分歩き回ったことが何度かありました。そのつど思い出したのが、この話でした。
 私の場合は、自分の子どもだったうえに、夏だったので、べつに辛くはありませんでしたが。

 その後、彼は文芸をあきらめ、中国に渡って肉体労働に従事しました。そのうち、また文芸への志が復活し、もう1度東京でやり直そうと決意、わずかばかりの金をもって本土に戻ります。

 しかし、名古屋まできたとき、手持ちの金が尽きて、にっちもさっちもいかなくなりました。絶望して名古屋港に飛び込んで自殺する決心をしましたが、どうせ死ぬなら大好きな映画を見てから死のうと思い、なけなしの金をはたいてある映画館に入りました。
 そのときやっていたのがフランク・ボーゼイギ監督の『第七天国』でした。この映画は、
1927年にサイレントで作られ、10年後の1937年にトーキーでリメイクされました。菊田一夫が見たのは、年齢から見て、オリジナルのサイレント版だったと思われます。これは、次のような粗筋です。

 パリの貧しい掃除人シコは、姉に虐待されていた少女ディアーヌを助けます。それがきっかけで、2人はいっしょに暮らすようになり、やがて結婚します。まもなく戦争が起こり、シコは出征。2人は、毎日午前11時にそれぞれの場所から相手に語りかけようと約束します。
 激戦のなかでシコは撃たれ、彼は戦死したとディアーヌに伝えられました。しかし、それは誤報で、シコは失明したものの生きて帰ってきたのです。シコが2人の住まいの屋根裏部屋へ駆け込んできたのは、戦争が終わった日のちょうど午前11時のことでした。2人はひしと抱き合い、ディアーヌは、これからは私があなたの目になる、と誓いました。

 彼はこれを見ながら、周りの人たちがびっくりするほど、身も世もなく泣き続けたそうです。泣きに泣いて映画館を出たら、死ぬ気持ちがさっぱりなくなっていました。
 その後、何とか旅費を工面し、東京に向かいました。

 その後、菊田一夫はサトウハチローの紹介で浅草国際劇場の文芸部に入りました。以後、順調に劇作家の道を歩むのですから、いくぶん身勝手なところがあったにしろ、サトウハチローが菊田一夫の大恩人だったことはまちがいありません。

 『君の名は』のmp3を作りながら、こんなことを思い出しました。

(二木紘三)

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コメント

「君の名は」とっても素敵です!イントロが鳴り出すとゾクゾクしてきます。スチール写真やテレビで映画も見ましたが、佐田啓二、岸恵子が若くて匂うような美しさでした。昔のスターは品が良くて透きとおるように綺麗な人ばかりで、平凡や明星等の雑誌で見とれていたものです。菊田一夫のエピソードも興味深く拝読致しました。また「君いとしき人よ」は「MIDI歌声喫茶」で見つけた時、懐かしさもひとしおでしたが、作曲家の古関裕而の多才な感性にも改めて感銘致しております。


投稿: | 2007年7月18日 (水) 22時03分

”追伸”
前のコメントを送信ミスしまい大変失礼致しました。
「mp3」を聴いているとステレオでCDを聴いているようなダイナミックな音響がしてとてもご機嫌です。これから曲、蛇足?ともに益々楽しみになってきました。ありがとうございました。

投稿: 大原女 | 2007年7月19日 (木) 08時46分

ラジオでドラマが始まると女湯がカラになると言われた『君の名は』の映画化が昭和28年ですか・・。当時五歳の私が住んでいた島根県奥石見の小さな町にはこの映画が掛からなかったのか、近所の奥様連中に手を引かれて、山口県萩の映画館まで見に行ったことがあります。もちろん五歳の私にとっては映画などよりもルンルンの旅行気分。クルマ社会ではない当時のこととて、山口線で石見益田、山陰本線下りに乗換えて萩(おそらく東萩駅)まで。ところが奥様連中は映画に熱中した挙句、終発に乗り損ねてしまい、仕方なく東萩駅の待合室のベンチでオーバーを掛け布団代わりの私を含め五、六人が始発までの夜を明かしたことがあります。・・遠い思い出です。

投稿: 乙女座男 | 2007年10月 3日 (水) 03時41分

 昭和29年高校生の時、クラス全員で「君の名は」第1部の映画を見に行きました。
 私は、子供の頃から文弱に流れる(その当時そう思っておりました。)のは好きではありませんでしたが、軍人が戦後落ちぶれてもく拾いでパンパンと暮らしているのに興味を持ちました。
 軍人の家に生まれ私の家も戦後貧しくなりましたので、その場面に共鳴致しました。
 第2部・第3部は、その後見ませんでしたが、歳をとりその当時を想い出し、このビデオテープを見ています。
 純情な高校生時代に帰り、春樹や真知子のような恋に憧れを抱いて、今は青春時代を懐かしく振り返っております。

投稿: 西山 利寿 | 2007年12月 8日 (土) 12時51分

 「君の名は」のラジオ放送は、1952年から54年にかけてされたそうですから、生意気にも11歳から13歳にかけて私もラジオにかじりついていました。そんな小学生の男の子の私でさえ聴いていたのですから、「この時間は女湯が空っぽ」伝説も嘘ではないと思います。すごいですよね。
 でも、このストーリーはどこかで見たことがあるけど、何だっかかなあと思って考えたら、「哀愁」(1940年)というアメリカ映画によく似ていることに気付きました。冒頭の、戦時下での橋の上での出会いなどはそっくりですものね。ここはアイデアを拝借したのでしょうね。
 しかし、こんなことはあちこちのドラマによくあることで、菊田一夫さんのストーリーテラーとしての才能にいささかのけちをつけるわけではありません。ただ、たくさんの大衆小説や脚本を書く作家は、やはり、世界各国の本の中からアイデアを頂いているものが多いんだろうなと思いました。
 この曲はやっぱりなつかしいです。

投稿: 吟二 | 2009年6月27日 (土) 23時34分

 私が子供だった昭和30年代、『君の名は』は既に半ば伝説化している番組でした。お二人の橋の上でのすれ違いの場面だけは、子供ながらに知っていましたし、たまにこの歌がラジオから流れていたように記憶しています。
 吟二様ご指摘の、映画『哀愁』との類似。なるほどと思いますね。『哀愁』はなかなか秀逸な日本語タイトルですが、原題は『WATERLOO BRIGE』ですからね。そのとおり、冒頭とラストがウォーターロー橋での場面でしたね。
 第二次世界大戦の戦地に赴く前、夜霧が立ちこめる橋上に佇む英国将校クローニン(ロバート・クーパー)。彼が手に握りしめているのは、妻だった元バレエダンサーのマイラ(ヴィヴィアン・リー)の形見の品。そこから第一次世界大戦時の二人の出会いから別離までの回想シーンが…。
 橋上で初めて出会ったその夜、二人がとあるダンスホールで踊るシーンがありました。生バンド演奏に合わせて、つかの間の至福のダンス。そのラストの曲が『蛍の光』。二人のその後の運命が暗示されているようで、あれほど印象的で切ない『蛍の光』はありませんでした。
 一般的にヴィヴィアン・リーの代表作といえば、この映画とほぼ同時期制作の『風と共に去りぬ』です。太平洋戦争中これを観た日本軍将校が、「こんな映画を作れる国と戦争しても勝てっこない」と密かに舌を巻いたというカラー巨編でした。でも私の中でヴィヴィアン・リーの代表作は、白黒映画の『哀愁』を置いて他にありません。(マイラ役の彼女の何と美しかったこと ! )
 のみならずこの映画は、史上最高の恋愛映画の一つだとも思います。(何やら『哀愁』コメントになってしまい、申し訳ございません。)

投稿: Lemuria | 2009年6月30日 (火) 01時51分

〔君の名は〕をラジオで放送中だった頃私は10才頃だたと思います。大家族でも女の多い我が家はし~んと静まり返ってラジオに耳を傾けていた覚えがあります。
上記の吟二様、lemuria様のおっしゃられる通りいわれて見ればあの純愛メロドラマ〔哀愁〕によく似ていますね!私も〔哀愁〕のヴィヴィアン・りーが最も美しかったと思います。ロバート・テーラーも私の中では、アランドロンが出現するまで最も美しい男性に思えました。ただし〔哀愁〕という映画の中だけです。。。

私も脱線してしまいました"^_^"

投稿: おキヨ | 2009年7月 3日 (金) 12時14分

前からお邪魔しては、懐かしい曲を聴かせて頂き、時には大きな声で唄わせて頂き、楽しませて頂き有難うございます。当時の事を思い出しながら懐かしさを満喫しております。

そして、コメントも書かせて頂いていましたが、どうしても此の「君の名は」につきましては書く事ができないで今日まで来ました。
この「君の名は」のラジオ放送がありました頃は、1歳に満たない長男をおいて結核療養所に入院していました。
この放送が始りますと同室の患者さんと聞いていましたが、物語よりも長男を思って泣いていました。
ですから「君の名は」の思い出は今も当時を思い出す唄になっています。
その長男も孫に恵まれておじいさんになっていますが、私にとっては、あの当時の一歳の子供が甦ります。

投稿: ちづる | 2010年4月19日 (月) 23時49分

私は5歳ころ でした
「 これをつけると ひろしが
  「こわい 消して」
 と 泣き出すので さっぱりだった」
と 伯母や 母から 言われます。
 臆病でした。

投稿: 二宮 博 | 2010年4月20日 (火) 02時22分

「君の名」は自分が確か5.6歳頃にラジオで放送しているのを記憶しています。真空管ラジオの「君の名」の放送に、今は亡き母が熱心に聞き耳を立てているのを今でも昨日のように覚えており、歌を聴くたび母親を思い出します。当時ラジオは子供心にも大きな影響を与えており、その頃耳にした歌は心の糧としていつまでも記憶に残っています。二木先生の編集には感謝しています、このサイトの発展を願っています。

投稿: 中村憲明(64歳) | 2010年4月30日 (金) 20時30分

二木先生

君の名はの一連の歌は今でも全部歌えます。
織井茂子の生で聞いています。
ラジオドラマが始まった頃、付き合っていた人と少しぎくしゃくし始めていて、このドラマにはまりました。昭和28年に別れて北海道へ移り、最終回は函館の保安隊の宿舎で聞きました。初恋の甘酸っぱい思い出です。

投稿: 遠藤雅夫 | 2010年5月21日 (金) 10時44分

君の名の始まりの部分、あの空襲は多分昭和20年5月26日の麹町、銀座、東京駅がやられたB29・464機によるものだったと思っています。違っていたら教えてください。
5月24日B29・520機、25日470機と連日の空襲で25日には皇居も焼かれ東京がほとんど全滅したときでした。
その頃は学徒動員で、一週おきに昼勤と夜勤で、焼かれた親戚を捜しに歩いたり、その間にも空襲があり、今考えてもいつ寝たのか分かりません。

投稿: 遠藤雅夫 | 2010年5月30日 (日) 14時42分

君の名の放送を72才で亡くなった母といまブラジル在住の80数才の姉がラジオに噛り付いていたのを想いだします。
あの阿理道子演じる姑がドスの効いた声で真知子をいじめる恐ろしさが、当時姉が姑のいる青年(先生)との見合 結婚を断ったと記憶しております。一方私は別の番組での黒徒爾という怖い女の声が、ああこの姑と同じだなと子供心にも怖い女やなと想ったものです。もうあれから60年です、我が人生はあっという間に過ぎて母親の亡くなった 年令に近づきました。人生は懐かしくもあるが虚しく悲しいですね。

投稿: 黒原大雲 | 2011年10月17日 (月) 22時03分

君の名はの続きはないですか?教えてください。

投稿: けんし | 2011年12月18日 (日) 22時39分

けんしさんの言われる「君の名はのつづき」がないかと言うご質問の意味と違うかもしれませんが、
1.「君の名は」の歌詞は二木先生が書かれたように3番までです。昭和28年発売です。
2.これのアンサーソングとして、春樹の立場で書かれたのが「君いとしき人よ」です。昭和29年発売です。作詞作曲は同じく、菊田一夫詞、古関裕而曲ですが、唄は伊藤久男です。(株)全音楽譜出版社「日本の詩情」(昭和48年までの歌を収録)より。
3.この物語りの後日談ストーリーの歌は、私は知りません。NHKの朝ドラは1,2回しか見なかったので、これ用のどんな歌が有ったのか無かったのか記憶にありません。

投稿: 吟二 | 2011年12月23日 (金) 11時29分

はじめましてKと申します。
先日、NHKBSプレミアムで放送した「君の名は(第1部)」を観ました。映画が始まってから110分位のシーンですが真知子が夫の元から逃げるようにして佐渡に帰る船の中でバックに歌が流れるのですが、それは君の名はのメロディで歌詞には正式に載ってないものです。当時はこのようなこともいろいろあったのではないでしょうか。

(番外歌詞)
君と別れ 遥かな潮路に
面影は 忘れられぬ
あわれ人妻 涙ほろほろ
佐渡の 波路に泣いている

投稿: K | 2011年12月26日 (月) 10時34分

いつもありがとうございます。
この歌の美しい曲と詩に感動しました。

投稿: 麻友子 | 2012年10月 9日 (火) 14時07分

古関裕而の名曲ですね。
毎月アコーディオン伴奏をさせてもらっている某歌の会の集まりで、今月はこの曲他数曲を取り上げようと思っています。

ところで、MIDIを聞いて少し気になった点。
リズムに付点音符が使用されていますね。
原曲の織井茂子は付点を付けていなかったように思います。

原曲が頭の中に残っているので、何か違和感を感じます。
最近のフォレスタも付点を付けて歌っています。

楽譜を調べてみると、手持ちの「古関裕而作品集」では織井茂子の歌い方どおり、付点はついていない。 これが原盤かどうかは私にも分りませんが、多分そうだと思います。

その後の「歌謡曲の全て」では、付点のついた楽譜が掲載されています。

違和感を持つのは私だけでしょうか。

投稿: atsuo | 2014年11月12日 (水) 22時46分

このドラマが放送されたのは、私が小学校2年生の時でした。ハモンドオルガンをバックに「忘却とは忘れ去ることなり・・・・」のラジオから流れるナレーションは今でも鮮明に憶えています。あらすじは幼いこともあり、深く理解できませんでしたが、なんとなく男女間の出来事であることは理解していたと記憶しています。
真空管のラジオは、カミナリが近づくとザーという雑音がはいり、夜になると海外放送などが混線し電波状態はあまり良くありませんでした。しかし、テレビ等ない時代、新聞に次ぐ情報源としてのラジオは貴重な存在でした。
あらゆるメディアが存在し、自由に選択できる現代社会、まさに隔世の感があります。
そんな私も今年(2015年)は古稀を迎えます。

投稿: タケオ | 2015年1月 4日 (日) 22時07分

私は昭和27年生まれなので、女風呂がカラになったことは話としてしか知りませんが、十数年前にある温泉施設で夕食をとろうとした時、ちょうど人気テレビドラマ「やまとなでしこ」の最終回で、女子従業員3人が、主人公たちの恋の行方やいかにとテレビに貼り付いたまま、注文を取りに来てくないので困りました。女風呂もカラかもしれないと思い、納得しました。管理人様に質問ですが、映画「第7天国」は見ていないのですが、いくつか見た解説では、主人公は失明はするけれども生きて戦争から帰ってくるように書いてあるのです。それでおかしいなあと思っています。

投稿: 加藤 | 2015年1月17日 (土) 16時24分

加藤様
おっしゃるとおりでした。Movie Walkerの粗筋紹介だけを見て、クロスチェックしなかったのがまちがいのもとでした。英語版のウィキペディアと複数の映画関連サイトをチェック、さらにYouTubeでサイレント版を全編見て、シコが盲目になっただけで戦死していなかったことを確かめました。それに基づき、『蛇足』の関連個所を書き換えました。
 ご指摘ありがとうございました。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年1月17日 (土) 18時56分

今日の朝日「天声人語」に「アニメ・君の名は」が取り上げられています。空前のヒット作のようですがまだみていません。聞いている限りでは「転校生」のようなイメージですが、我々世代ではこの題名はちょっと?ではないでしょうか。最初は「夢と知りせば」だったそうです。「ライオンキング」と「ジャングル大帝レオ」に感じる違和感と同じかも知れません。閑話休題。この歌は生意気盛りの頃ラヂオで確か木曜日の夜に流れていました。時は流れ新婚早々の転勤で東京に出た時ワイフの希望で数寄屋橋に行きました。すでに「数寄屋橋ここにありき」の時代でした。今も一番だけは空で歌えます。レムリアさんの言われる「哀愁」とは大分離れていると思いますが、実はロンドンに旅した時ウオータールー橋に佇んだ思い出があります。昼だったのであの大佐が人形を持つファーストシーンは無縁でした。長いこと勘違いしていましたが「この世の花」がこの歌の続編だと思っていました。

投稿: しょうちゃん | 2016年10月 6日 (木) 08時59分

君の名はで『逢えど結ばぬ縁の糸は、北の風吹く海峡に、君の名を呼べど叫べど、、、』という主題歌または挿入歌があったように記憶しているのですが、曲名、歌手ともに失念してしまいました。ご存知でしたらご教示いただけると幸いです。

投稿: CHU | 2016年12月11日 (日) 01時19分

「花のいのちは」唄 岡本敦郎・岸恵子
 作詞 菊田一夫 : 作曲 古関裕而 

此方のサイトで知りました。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-b3b3.html

投稿: なち | 2016年12月11日 (日) 12時19分

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