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岬めぐり

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山上路夫、作曲:山本コータロー
唄:山本コータローとウィークエンド

1 あなたがいつか 話してくれた
  岬を僕は 訪ねて来た
  二人で行くと 約束したが
  今ではそれも かなわないこと
  岬めぐりの バスは走る
  窓に広がる 青い海よ
  悲しみ深く 胸に沈めたら
  この旅終えて 街に帰ろう

2 幸せそうな 人々たちと
  岬をまわる 一人で僕は
  くだける波の あの激しさで
  あなたをもっと 愛したかった
  岬めぐりの バスは走る
  僕はどうして 生きていこう
  悲しみ深く 胸に沈めたら
  この旅終えて 街に帰ろう

  岬めぐりの バスは走る
  窓に広がる 青い海よ
  悲しみ深く 胸に沈めたら
  この旅終えて 街に帰ろう

《蛇足》 昭和49年(1974)発売。山本コータローは、ソルティシュガー時代に『走れコータロー』を大ヒットさせました。ソルティシュガー解散後、「山本コータローと少年探偵団」「山本コータローとウィークエンド」を結成、この歌はウィークエンド時代のヒット曲です。

 狩人の『あずさ2号』では、「あなたと行くはずだった信濃路」へ「あなたの知らない人と二人で」行くのですが、ほかの人の面影を抱いて行くのでは、同行の彼氏だか彼女だかに失礼でしょう。
 心の傷を癒しに行くのなら、この歌のように、1人で行きましょう――と書いたところ、ある方から「岬めぐりに1人で出かけたのは、失恋のためとはかぎらず、恋人と死別した傷心を癒すため、という解釈もできるのではないか」というご指摘がありました。
 なるほど、ありですね、確かに。

(二木紘三)

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コメント

 二木先生。ご同好の皆様。またこうして、無事『うた物語』が再開されましたこと、まことにお慶び申し上げます。再開に向けた二木先生のなみなみならぬご尽力、心より感謝申し上げます。大変ありがとうございました。

 ところでこの歌は、私の懐かしい「青春の歌」の一曲です。山本コータローには、同じ「コータロー同士」なもので、当時から何となくシンパシーを感じておりました。
 そしてこの歌は、(最近では滅多に歌いませんが)カラオケの私の十八番の歌でもあります。軽快なメロディで、とにかく歌いやすいのです。無難で先ず失敗がありません。皆様に私の美声(?)でのこの歌、お聞かせしたいものです(笑)。
 ただ、2番の
    くだける波のあの激しさで
    あなたをもっと愛したかった
この箇所では、歌いながら切ない感情がこみ上げてくることがあります。
  
 

投稿: 大場光太郎 | 2008年7月 2日 (水) 23時47分

happy01あまりにもヒットしたので好きな曲とは言えなかったのですが。。。
山本さんの爽やかさとアカデミックな印象がこの曲を作られた頃の年代の青少年の心を捉えているようです。

投稿: sunday | 2009年11月23日 (月) 11時53分

この曲は、恋人と二人で岬めぐりをしたかったのに、なんらかの理由で行けなかったというなんともやるせない感じですが、曲調は、意に反して明るいですね。そこが不思議ですね。
私も、よく口ずさんでいます。山本コータローさんは、最近少し年をめされているような感じ
ですが、憎めない優しそうな人柄で、いまだにファンです。これからも、落ち込んだりした時は、この歌を歌って元気をいただきまして頑張りたいです。

投稿: 中山 寿美 | 2010年5月 5日 (水) 23時00分

penguin
初めてコメント書きます。二木先生を始め、この中の意見の応酬が面白いです。私は岬めぐりは、失恋した人が、一緒に行くはずだった人を思いながら乗っていると解釈していました。叶わなかったことが心に深く滓のようにあって、その人を苦しめることもあるようです。
 つい先だってTV番組でコータローさんが語ったていましたが、この三崎は、三浦岬だそうです。

投稿: 入山靖子 | 2010年6月10日 (木) 02時14分

私が今行っているハーモ二カのクラブでこの
「岬めぐり」を練習しています
いい曲ですね・・若かった頃を思い出します
頑張ります・・

投稿: 田中喬ニ | 2010年6月12日 (土) 09時07分

2ヶ月前の出来事です。次のような内容でした。

会社の懇親会があった。社長の特別参加もあり総勢10名である。
二次会で、神戸三宮の北野坂の飲み屋街のビルを見渡すと懐かしいスナックの名前が目に入った。10年以上前まで通っていたスナックである。
 重厚なドアを開けると、目の大きなママさんがそれ以上に目を丸くして「わ~、何年振り?大歓迎!!」と迎えてもらった。
 ママさんは元宝塚出身で、素晴らしい声を披露してもらって他のメンバーも感激していた。
 順番にそれぞれの持ち歌を唄った。
 小生は「岬めぐり」を唄った。ふと小生の隣に座っている50歳前後の独身女性部長さんをみると、目から涙をぼろぼろ流してハンカチでしきりに涙を拭いている。
 唄い終わってから彼女に聞いた。
「この歌、唄ってよかったのですかね?」
「うん」
「この岬は、潮岬と思うけど・・・。思い出はその岬ですか?」
「うん」
「凄い思い出があるのですか?」
「うん」
と、泣き笑いしながら、
「ありがとうございました」
と言って頭を下げられた。
それにしても、声さえ上げなかったものの号泣に近い泣きっぷりだった。
いいことをしたのか、悪いことをしたのか判断がつかなかったが、彼女の思い出に火をつけてしまったようだった。
 店を出るとき、エキゾチックなこの独身部長さんの思い出を次の機会に聞いてみたいと思った。
別れ際、「また、行きましょう」と言われたので、次回はぜひ思い出話を聞かせて欲しいと思った。

投稿: 田中 均 | 2012年5月30日 (水) 20時41分

 「岬めぐり」。学生時代の終わりに同期の6,7人で宮崎県「都井の岬」に行きました。午後の太陽に海が反射してバスの窓からまるで歩けるように光っていたのが今でも忘れられません。
 三浦岬は行ったことがなく、何となくロマンチックな風景が浮かびます。
 カラオケで歌ったら「若いなあ」と同席の方から評されました。40代半ばのころです。古希を過ぎましたがもちろん青春時代のそのままです。いい歌ですね。

投稿: 今でも青春 | 2014年7月28日 (月) 09時03分

 日本で一番細長い岬(半島)は愛媛県の佐田岬で、約40キロの長さを持ちます。
 定年退職を1か月後にひかえた3月、友人二人と退職記念旅行をしようということになり、行き先は佐田岬に決まった。
 私には、職場に0さんという親友がいて、同じ年齢で、同じ時期の退職であった。二人とも60歳を過ぎたら仕事をする気は一切無しの人間だ。離れ離れになる前に旧交を温めておこうという思いが強かった。
 彼の車で四国最西端である佐田岬に行った。北に瀬戸内海、南に宇和海、前(西)に豊後水道を望む所で、たえず風が吹き、まさに地の果てを思わせる風景であった。
 夜釣りをする人々のテントと並んで我々もテントを張って寝たが、風はひっきりなしに吹いて、何度も目がさめた。

 佐田岬に行こうと提案したのは私でした。若い頃読んだ『日本往生極楽記』の一部に登場するこの岬が記憶の底にあったからです。
 極楽往生の臨終の様子を記したこの本に、大坂の天王寺から船出して、西方浄土を目指す僧が出てくる。四国に上陸した後、阿波、讃岐、伊予とひたすら西へ西へと進み、ついに佐田岬の断崖でこときれる。
 僧の口からは、一茎の蓮が生え出て、花が咲いていたそうです。その蓮の花こそが、極楽往生の証とみるわけだが、あまりに官能的というか、グロテスクな場面描写と、佐田岬の地の果てのイメージとが頭に残り、退職記念旅行の候補地になった次第です。実際に訪れた早春の佐田岬は、私のイメージをまったく裏切らないもので、今も時々思い出します。
 
 その岬をめぐる旅行は、もう4年半も前の出来事になってしまった。0さんは定年後、道楽の有機農業を岡山で続け、私もベトナムでの生活を気ままに送っている。二人とも極楽往生にはまだまだ間があると思っている。ま、極楽に行く資格があるかどうかは、深く考えないことにしているんですが・・。

投稿: 越村 南 | 2014年7月31日 (木) 01時57分

久し振りでこの曲と巡り合いました。
軽快なメロディー・・・二木オーケストラの見事な演奏にもさることながら、自然と曲の中へ吸い込まれそうな何事にも深く考えずに前に前に進むようにと後押ししてくれているようにさえ思えます。
ところで、私の住む佐賀県の北西部の玄界灘に広がり、特に夕日が沈む海の様子が格別な「波戸岬」(はとみさき)という通称「恋人の聖地」といわれ、特に若者に人気のある観光スポットがあります。
日本海では唯一の海中展望塔は、岬の陸地から86mの桟橋でつながれ、海中展望室では水深7mの自然のままの海の中が見られます。
また、波戸岬近海では良質な魚介の漁場となっていて、なかでも「さざえのつぼ焼き」は名物となっています。
機会があれば「うた物語」フアンの皆さんも来られてみては如何でしょうか。

投稿: 一章 | 2017年2月10日 (金) 23時28分

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