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赤胴鈴之助

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:藤島信人、作曲:金子三雄
唄:岩瀬 寛・上高田少年合唱団

  (セリフ)
  「エイ!」「ヤーッ!」「ターッ!」
  「ちょこざいな小僧め
  名を、名を名のれ」
  「赤胴!鈴之助だ!!」

1 剣をとっては日本一に
  夢は大きな少年剣士
  親はいないが元気な笑顔
  弱い人には味方する オー
  がんばれ たのむぞ
  ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

2 父の形見の赤胴つけて
  かける気合も真空斬(しんくうぎ)りよ
  なんの負けるか 稲妻斬(いなづまぎ)りに
  散らす火花の一騎打(いっきう)ち オー
  がんばれ すごいぞ
  ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

3 山は夕やけ 一番星は
  母によく似たきれいな瞳
  つらいときにも勇気を出して
  正しい事をやり通す オー
  がんばれ 強いぞ
  ぼくらの仲間 赤胴鈴之助


《蛇足》
昭和32年
(1957)1月~同34年(1959)2月までラジオ東京(現TBSラジオ)で放送されたラジオドラマ『赤胴鈴之助』の主題歌。
 ドラマには、放送開始時小学6年生だった吉永小百合が千葉周作の娘・さゆり役で出演していました。

 北辰一刀流千葉周作門下の少年剣士・金野鈴之助の活躍を描く物語で、鈴之助は父の形見の赤い防具をつけることから、「赤胴鈴之助」と呼ばれるようになります。

 原作は昭和29年(1954)8月号から同35年(1960)12月号まで『少年画報』(少年画報社)に連載された同名の漫画。作者は当時手塚治虫と人気を二分していた福井英一でしたが、第1回分を描いたところで急逝してしまい、第2回からは、まだ新人だった武内つなよしが引き継ぎました。

 連載開始時小学6年生だった私は、「9月号から作者が変わる」という告知を見て、どんな絵になるのだろうと思っていましたが、福井英一の絵とまったく変わらなかったのを見てびっくりした記憶があります。

 大変な人気漫画で、ラジオドラマのほか、映画にもなり、昭和32年から33年にかけて、大映京都で9本制作されました。

 歌の冒頭にあるセリフのうち、「ちょこざいな」は漢字では「猪口才な」と書き、「小生意気な」とか「こざかしい」といった意味です。「小癪(こしゃく)な」も似たような意味。
 両方とも、今ではほとんど死語ですが、明治末から大正時代に少年向け講談本シリーズとして人気を博した立川文庫や、昭和20年代以前の少年誌の時代小説・漫画にはよく出てきました。それらのなかで「ちょこざいな……」とか「こしゃくな……」といったセリフを吐くのは、主人公にやっつけられる悪役と決まっていました。

 上の絵は、鈴之助が秘技・真空斬りを行っている場面。
 

(二木紘三)

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コメント

57年ってまだ5才。
テレビもマンガ本もなかったのにカラーで憶えているのは当たり付きの風船ガムの包み紙ですか・・。

投稿: konimo | 2007年10月 9日 (火) 00時20分

『赤胴鈴之助』は懐かしいですね。
後年TVアニメになった折、歌詞の「親はいないが」
の部分が違う言葉に差し替えられていました。
私も片親でしたが「親はいないが」がどうしていけないのだろうと
ずっと疑問でした。

投稿: tatsu | 2007年10月26日 (金) 23時09分

 通常「ヒーロー像」「ヒロイン像」は、何度か変わるもののようです。子供の頃は特に、その成長の過程で目まぐるしく変わります。
 例えば、私にとって物心ついて最初のヒーローは赤胴鈴之助でした。昭和32年私が小学校1、2年の頃、夕方になると決まって寮内の廊下のスピーカーから、この『赤胴鈴之助』の歌と、同ラジオドラマが流れてきましたし。それに、月1回各家庭に回ってくる『少年画報』の、竹内つなよしの同漫画の続きが待ちどおしくて。
 あの頃は、チャンバラごっこが大ハヤリでした。その辺で棒切れを見つけてきては、近所の同じ年頃の子供たち同士で、チャンチャンバラバラやり合っていました。私がそうだったように、誰もが赤胴鈴之助になり切ったつもりだったのでしょう。
 ちなみに。私の場合、小学校中学年では月光仮面、怪傑ハリマオ。高学年ではシャーロック・ホームズ。中学2年からは諸葛孔明というように、ヒーロー像が変わっていきました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月17日 (金) 23時28分

福井英一さんの漫画は他に「イガグリくん」もあったと思います。福井さんが亡くなって、少年か少年画報かで特集号が出たのを見た記憶があります。
大学時代中野区上高田に学生寮があり、そこに住んでいて、先輩が小学校の日曜学校開放のバイトをしていて、ついていったことがあります。そこが上高田小学校でした。「ここの合唱団はけっこうすごいらしいよ」と教えてくれました。この歌をはじめ多くの子供向けの番組主題歌を歌っているようですね。

投稿: 江尻陽一 | 2008年12月17日 (水) 00時35分

”何者だ、名を名乗れ”と聞いてぴんとくる人は,赤胴鈴之助をラジオで喜んで聞いている人だと受験雑誌のある講座に書いてあったことを思い出します。昭和34-5年頃だったと思います。後で好きになる吉永小百合が出ているとも知らずに。その後、我が家にもTVが入り、年の離れた弟たとハリマオ、少年探偵団や、乙羽信子、千秋実の”ママちょっと来て”など歌を歌いながら、楽しく見ました。このころのドラマは夢のある娯楽だったし、よい時代だったと思います。

投稿: Jinseikorekara | 2009年5月 1日 (金) 15時38分

 映画「泥の河」の始めあたりの場面で、大阪安治川のほとりに立つ食堂がでてきます。その食堂のラジオから「赤胴鈴之助」が流れてきます。ああ昭和32,3年頃か。なつかしいなあと思うと同時に小栗康平監督のうまい演出におどろきました。監督も食堂の主人役の田村高広も亡くなってしまいましたが、お二人の訃報を聞いた時この映画とこの曲を思い出しました。

投稿: 久保 稔 | 2012年9月26日 (水) 07時48分

中学校の帰り道、夕方4時ごろだったでしょうか、開け放した家々から「赤胴鈴の助」の歌が流れていました。母の言いつけで当時、食パンを買って帰ったものですが、この歌を聴くと、焼きたてのパンの良い匂いと手触りを思い出します。武内つなよしの漫画も、貸本屋で借り、弟と取り合ってよく読んでいました。

投稿: Bianca | 2012年9月26日 (水) 16時19分

剣道の達人からメイル賀状が届いた。藤圭子の自死した翌日、知らせえてくれたのも彼。伝統ある美術大学に滅多にいない剣道有段者だった。あの剽軽ものが、竹刀を握るや、眼光するどい剣士になる。そして愛妻を亡くし、号泣した。

としつきを経て、今や酒場のあるじである。客人をもてなす達人だと聞く。藤圭子と共に、赤胴鈴之助が彼の中に生きているような気がする。さような友を持つ仕合わせはそこらに転がっていないと思う。

投稿: minatoya | 2013年12月31日 (火) 08時35分

私も小学生の頃、ラジオから流れて来る「赤胴鈴之助」の歌を聞いて育ちました。親は漫画本を買っては呉れませんでしたが・・。長じて、18歳から剣道を始め、段は低いままですが、定年の頃までやっていました。この歌の影響があったのだと思われます。
放送された当時、まだGHQによる剣道禁止の影響が残っていた様な気がします。
しばらくして、あの赤胴鈴之助の声が吉永小百合さんだったと知り、更に彼女(2年位人生の先輩ですが)へのファン度(サユリスト度)が上がり、今に至っています。
今は、竹刀を鍬に持ち替えています。

投稿: 竹永尚義 | 2013年12月31日 (火) 15時44分

 高校の時、剣道部に入っていました。私も入部の動機に「赤胴鈴之助」の影響があったような気がします。
 部員の中で、副キャプテンのTさんが一番強かった。寡黙で学業も優秀で、有名大学の医学部に進んで、1年後輩である私の同級生と結婚しました。
 それから30年ほど経ち、始めて開かれた同窓会の席で、Tさんがガンにかかり、40代で亡くなったと聞きました。ショックでした。彼の人柄からして立派なお医者だったでしょうに、ああ優秀な人が先に逝ってしまうのか!どうでもいいのが残るのか(自分のことです、あくまでも)!と、正直思いました。また奥さんの号泣が聞こえてくるような気もしました。その時、道場の床に立つ彼の白い剣道着姿、得意の上段の構えが目に浮かびました。
 上のお二方のコメントで、思い出したことです。

投稿: 紅孔雀 | 2013年12月31日 (火) 17時24分

私も少年画報に連載された竹内つなよしの漫画は友達の間で回し読みをして毎号楽しみにしていた記憶がありますが、ラジオ放送の「赤胴鈴之助」はあまり聴いていた記憶はありません。映画になった「赤胴鈴之助」は一本だけ見た記憶があります。主演は梅若正二、相手役の千葉周作の娘「さゆり」は中村玉緒、鈴之助のライバルで後に親友になる竜巻雷之進は林成年(長谷川一夫の息子)が演じていたと思います。鈴之助の武器はなんといっても自分が考案した「真空切り」で、物語の発展とともに、この「真空切り」もだんだん進化・エスカレートしていって、私の見た上の映画では、真空切りによって建物も倒してしまいます。師匠の娘である「さゆり」と恋仲になるところなど、坂本龍馬と師匠(ただし龍馬の師匠は千葉周作の弟の定吉)の娘「さなえ」との関係に似ていなくもありませんが、当時は司馬遼太郎「竜馬が行く」が発表される以前でしたから、坂本龍馬の存在などほとんど誰も知らない時代でした。

投稿: KeiichiKoda | 2014年1月 7日 (火) 07時59分

愉しく、気楽に生きれる事に感謝しながら、現在の社会情勢を見ていると、心は重い。老人のゴルフ、将棋、旅行、カラオケなどもいいが、高齢者の勤めを、果たさなければとの思いが、付きまとう。ささやかな明治建築研、戦争遺構研究会などの活動も、自己満足ではあるが社会貢献の真似事であるのかも!?昭和の庶民史を語る会、14・01・08

忘年会、新年会、ボケ防止と安上がりのカラオケ三昧で、盛り上がる。元気で唄える事に感謝、感激。続けてないと声も出ない歌を忘れたカナリヤに。人生の荒波をなんとか乗り越えられて脇役ばかりが、マイクを握り好きな歌を歌うときは、わづかに主役になれるような最高のひと時。今年も、元気で唄いたい。昭和の庶民史を語る会、14・01・08

カラオケグループの新年会。10年らいの仲間が集い、好きな歌を唄う。上手い人も、そうでない人も、愉しく歌う。先輩達は、新曲が多いが、小生は、軍歌、ナツメロを。古きよき時代の歌を忘れられたら困るのと、平和ボケして、気楽に過ごしている高齢者さん達への、いやみも込めて、歓迎されぬが唄う。昭和の庶民史を語る会、14・01・07。

正月明けの老人会のカラオケの集い、息子,孫達の帰宅での賑わいの話で持ちきり。寝不足、お年玉が大変など、孫は来てよし、帰ってよしで、どの人も、嬉しい悲鳴で、愉しそう。上海からのチビッコギャング帰国で、賑やかだった我家も、静寂に。五月蝿いが、孫たちは、ジジ、ババの、元気の源のよう?近現代史研、14・01。04

 たまに、他のカラオケグループの中で、歌わせてもらうのも愉しい。知人に歌いこんでいますね、と言われると嬉しくなる。大変な時に、カラオケを愉しんでいいのかと思いながら、気分転換だと言い訳をしながら、マイクを握る。特定秘密法案廃棄を叫びながら、好きな歌を歌うのは、許されていいと思うが?昭和の庶民史を語る会、13・11・23


先日、他のカラオケグループに、お邪魔して、愉しいひと時を過ごす。帰りしな、堺東で、特定秘密法案反対のグループに加わり、話し込む。我々のtw、インターネットでの反対運動もアピールする。諦め、文句だけで、何もしない仲間も多いが、何時も、行動する仲間がいるのは、元気づけられる。廃案に!昭和の庶民史を語る会、13・11・23

投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2014年1月 8日 (水) 12時50分

 軍歌をカラオケで歌い、かつ特定秘密保護法案に反対する、そんなことがありうるのか?
実際あるようですから、おどろきました。
人間いろいろ、考え方いろいろ、ということでしょうか。
そこのところ、ご教示ねがいたいです。まじめな問いです・・
 古きよき時代、いいものはいい、わるいものはわるいと、意味不明なくくり方をすれば、もはや言論の及ぶところではありませんが・・

投稿: 屋形船 | 2014年1月 8日 (水) 22時31分

 自分が剣道をはじめたのは高校2年、昭和36年でした。随分遅かったのです。後輩の方がうまくて、いわゆる練習台のような存在でした。
 学校に赤い色の竹胴があり、それを使っていました。今の様な立派な軽いものでなく竹が並べてあって何かで固定してあったようです。
 自分では「赤胴鈴の助」のつもりでした。

投稿: 今でも青春 | 2015年9月15日 (火) 19時50分

この歌は、昭和33年か34年か夕暮れ頃どこのラジオからも歌声が流れていて大声で其々に一緒に唄いました。
それと大阪に川口町という市電の分岐点でちょっと何分間か停車しているので、その所に大きな倉庫会社にショーウインドウに赤胴鈴之助の半身の大きな銅像が斜め前向きに
なっていて、日水の缶詰も富士山のように並べられていた。そして子供達は市電の中で一斉にそこで、誰もが大声で♪「剣をとっては日本一の・・・・・」と歌うのでした
懐かしい懐かしい歌です。

投稿: 大阪の人 | 2015年9月18日 (金) 17時50分

懐かしい少年期のヒーローです  小学校高学年から中学生にかけての昭和20年代後半の思い出です  少年画報の月刊漫画が欲しくても貧しくて親に言えなく、友達から見せてもらっていました   同時期のいがぐりくんは柔道少年で冒険王に連載  ライバル関係でしたが、私は画報・赤胴派  この月刊誌は付録が二つ三つあり、本誌よりも子供心をそそるようなものが多かった記憶があります
   60年前にタイムスリップさせて頂いて感謝します
 

投稿: くろかつ | 2016年4月15日 (金) 22時16分

私が幼少のころ、我が家のラジオは「NHK」しか流れず(有線放送?)、従って「赤胴鈴之助」は近所のラジオから流れてくるテーマソングで覚えたわけですが、「まぼろし探偵」も同様でした。竹内つなよしの「赤胴鈴之助」は町内に『貸本屋さん』があって、『少年画報』で毎月読んでましたね。一泊10円でした。
 当時は少年物の月刊雑誌は、多数の出版車が力を入れていて、
《ぼくら・少年・少年ブック・少年クラブ・まんが王・冒険王・
日の丸⦆などなど、沢山刊行されてたんすねぇ。漢字は結構マンガ雑誌で覚えたようなものですね。 梅若正二主演の映画版は1本だけ見た記憶があります。
 民間放送が聴けるラジオが我が家に有れば、また違った世界に接する事ができたのかなぁと、いまになって思う事が有ります。サユリ役の吉永小百合の声、聴いてみたかったなぁ––。

投稿: かせい | 2016年8月23日 (火) 01時11分

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