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影を慕いて

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:古賀政男、唄:藤山一郎

1 まぼろしの 影を慕いて雨に日に
  月にやるせぬ 我が思い
  つつめば燃ゆる 胸の火に
  身は焦れつつ 忍び泣く

2 わびしさよ せめて傷心(いたみ)のなぐさめに
  ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
  どこまで時雨(しぐれ) ゆく秋ぞ
  振音(トレモロ)寂し 身は悲し

3 君故に 永き人生(ひとよ)を霜枯れて
  永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
  ながろうべきか 空蝉(うつせみ)
  儚(はかな)き影よ 我が恋よ

《蛇足》 昭和初期の深刻な不況のなか、将来への不安や苦学の疲れなど困難な状況にあった明治大学生・古賀政男は、手痛い失恋を被ってしまいます。

 昭和3年(1928)年夏、友人と宮城県の青根温泉を訪れた政男は、絶望のうちに自殺しようとその地の山中をさまよいましたが、彼を捜し求める友人の呼び声で我に返り、自殺を思いとどまります。
 その夜、友人とともに泥酔するまで飲んだ政男は、音楽一筋で生きてゆく決心を固めました。帰京後は、その創設に参画した明大マンドリン倶楽部の定期演奏会を通じて、音楽活動を続けて行くことになります。

 昭和3年(1928)11月25日に催された明大マンドリン倶楽部の第13回定期演奏会では、プロ歌手の佐藤千夜子が出演して、『波浮の港』など4曲を歌いました。
 佐藤千夜子は、
当時すでにスター歌手であり、学生のコンサートに出演するとは考えられませんでしたが、政男の熱意に打たれて、出演を承知したのです。

 彼女は、翌年6月の第14回定期演奏会にも出演し、『野薔薇』など4曲を歌いました。
 このとき、古賀政男作曲の『影を慕いて』が、ギターの合奏で演奏されました。
それを聴いて、政男の作曲の才能を見抜いた佐藤千夜子は、それを歌謡曲にすることを勧めました。

 歌謡曲となれば、歌詞を作らなければなりませんし、歌詞が生きるようにメロディを編曲することも必要になります。なかなか思うような作品に仕上がらず、彼は悩みました。
 そんな折、スペインの世界的ギター奏者アンドレアス・セゴビアが来日、政男は同年10月26日の演奏会を聴きに行きました。自伝によると、セゴビアの名演に酔いしれ、
「その興奮が収まらないうちに、私は一気に『影を慕いて』の詞と曲を作り上げた」とあります。
 歌詞は、失恋して自殺しようと青根温泉の山中をさまよったときの心情がモチーフになったようです。 

 できあがった曲は、昭和5年(1930)10月20日、佐藤千夜子の唄で録音され、日本ビクターから発売されました。ところが、このレコードは期待されたほど売れず、評判にもなりませんでした。B面だったことも影響していたかもしれません。

 古賀政男は気落ちしましたが、この曲を聴いた日本コロムビアの営業マンが彼の才能に気づき、専属作曲家として引き抜きました。
 そして、『影を慕いて』を、当時
まだ東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)の学生だった藤山一郎に歌わせました。昭和7年(1932)3月にレコードが発売されると、空前の大ヒットとなり、以後、古賀政男は順調に花形作曲家の道を歩むことになります。

(二木紘三)

追記:槃特の呟きさんが十数年前、佐藤千夜子の生家にある天童民俗資料館で入手したしおりには、2番として下記の歌詞が印刷されていたそうです。したがって、歌詞は当初4聯あったことになります。
 佐藤千夜子が昭和5年(1930)と同6年(1931)に、明治大学マンドリン倶楽部の伴奏で吹き込んだspレコードにはこの聯はないので、吹き込み前に何らかの事情で削除されたのでしょう。

まぼろしの 影を慕えばともしびの
光にきゆる 悲しさに
熱き泪は 枯れ果てゝ
幾夜寝覚の 夢寂し

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コメント

私は古賀メロデイーの大ファンです。二木さんのこのサイトにも古賀作品が掲載されていますが、楽しく拝聴しております。私はギター演奏の古賀メロデイーをLPレコードやCDで鑑賞しますが、コンピユーターの音源も別の趣があって新鮮です。今後も是非いい音楽を聴かせて下さい。

投稿: 稲葉哲一 | 2007年8月 2日 (木) 21時53分

 古賀政男の失恋の相手は、中島梅子という、年上でバツイチの、芸術的センスに溢れた八頭身美人だったようです。彼女は古賀の音楽上の教え子で、いつしか恋仲になったようです。
 中島梅子は、古賀が再生を果たした翌年に病死してしまいました。 そんないきさつを知るとなおのこと、心の琴線に触れてくる、情感溢れる昭和の名曲だと思います。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月24日 (木) 18時34分

1945年8月15日の夜敗戦を知って 茫然自失な中でどこで知ったのか父は並四ラジオのダイヤルを廻して1000KHのサイパン米軍の日本向け放送を聴き始めました昨日までジャミング(日本側の妨害電波)で聴取不能だったのが今夜ははっきりと聞けその時 流れてきたメロディが「影を慕いて」だったのです それまで流行歌は禁止され 偶に聞くのは「いざこいニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄へ逆落とし」と空元気の歌ばかりでした流行歌に飢えていた我々は感慨ひとしおで甘美なメロディを聞き入りました この曲を聴く度に敗戦の日の明日からの不安を抱えながらも戦争も終わって安堵した事を思い出します 
      78歳の後期高齢者

投稿: 松島 琢也 | 2009年8月14日 (金) 23時20分

後期高齢者と悪いですが皮肉に聞こえますが、
昔の生活を振り返れば、現在は非常に豊かで恵まれているという認識があります。世界から見れば、日本は
もったいない生活をしているわけでありますから、
あまり後期高齢者の制度に対する批判は、どうかと考えております。良く調べれば、高額な費用は返ってきますし。そう呼び名が悪いかもしれませんが
わたしはこれくらいの負担は世界情勢からしても
甘えてはいけないと思います。

投稿: なな | 2009年9月 4日 (金) 22時53分

古賀メロディーの代表作です・・・

レコードがかかるとしんみりとした雰囲気に包まれ
なぜか心穏やかになれる名曲です。
古賀メロディーは永遠です。

投稿: はるちゃん | 2009年10月24日 (土) 15時56分

 多くの人が、自身の恋愛経験に重ねてこの歌を歌う、と聞いていますが私もその一人です。
「まぼろしの影をしたい」つつ、いつのまにか「霜枯れて」しまいました。甘美な愛の接吻を経験したかったとゆう思いがないではありませんが、これも運命(さだめ)。「儚き影」に「焦がれつつ」今宵も一人苦い酒を飲み干しましょう。嗚呼。

投稿: 前田 | 2010年1月29日 (金) 02時44分

二木さま 今日は 影を慕いてに合せて お隣の奥様と楽しく大声で歌いました いい気持ちです 有り難うごじました ではまた

投稿: 寅  君 | 2010年5月16日 (日) 12時31分

「古賀政男音楽博物館」のウェブサイトに掲載されている履歴を見ると、「影を慕いて」の発売が昭和5年ビクターと記載されています。
また、昭和二万日の全記録第2巻では、同じ本でありながら、佐藤千夜子で発売が昭和6年1月(1頁)と昭和4年12月(298頁)、と二通りあります。「昭和4年」は誤植のように思えるのですが、確証はありません。で、5年暮れに完成して出荷直前か出荷が始まったばかりで、店先に並んだのが翌年1月だったのかな、と推測しています。
 藤山一郎が吹き込んだコロンビア盤の発売は、手元の資料を見た限りでは、昭和7年とあります。

投稿: 周山 | 2010年7月 1日 (木) 08時38分

この歌は、遠い昔激しく恋をした人を思い起こさせます。
情けない話ですが今でも忘れられずにいます。
しかし、想い出の中の彼の人はいつまでも若く美しい。

投稿: y.y | 2010年7月 1日 (木) 16時23分

歌の善し悪しはその人の受けた気持ちだと思います。
私は歌うことで、人に感動を与えられる素晴らしい歌だと思います。

投稿: 39jun | 2010年8月16日 (月) 00時01分

歌手、近江俊郎さんが生前、日テレの番組で真実を語っておられたような覚えがあります。古賀政男さんは恋愛中だった中島梅子さんからプロポーズを受けたが、生活苦だった古賀さんは、断ってしまったそうです。
梅子さんは病死ではなく、自殺だったそうです。
大変、悲しい事です。

投稿: 東洋工業 | 2010年9月24日 (金) 19時11分

若い素敵な青年に出会うとああもう恋とは無縁の年になってしまったのだと寂しく思います。それは若い時に身を焦がすような恋をしなかったからだと残念に思います。素敵な青年に出会ってもどこか冷めた目で欠点を探すような生意気な自分があって、上手く素直に相手に添えませんでした。過ぎてみれば相手を傷つけただけで本当に無礼な娘だったと思います。今、会えることが出来たら全身で愛情をぶつけられるのにと思います。この歌を聴くともう一度若くなって身を焦がしてみたくなってきます。青春は楽しいけれど、悲しいものなのですね。

投稿: ハコベの花 | 2015年1月25日 (日) 23時33分

昨夜から  涙の壺に おちこんでしまったようです

 白鳥の歌  籠の鳥  この 影を慕いて

 自然に 泣けてきます   古賀メロディ至極の名曲

 (でも 投稿は少ないのですね  どうしてでしょう)

 過ぎ去っていった 日々 人たち  遣る瀬無いですね

 時間の経過  人々におこる出来事  自分では努力しているつもりでも 
 こんなもんか --- という具合の 過ぎ来し方   つらいですね

 二木先生の綺麗な 演奏をききながら また明日への力としたいと思います   有り難うございます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年8月22日 (火) 20時12分

「月は人を狂わせる」と言いますが、十五夜が(今年は10月4日)近づくと気持ちがざわつきます。調べてみますと十三夜に自分の投稿が多いのです。やっぱり少し頭がおかしくなるのでしょうか。今夜は「影をしたいて」がしきりに私の頭で鳴るののです。やるせない想いは甘美な情感でもあります。贅沢な想いの様です。お金を使わなくても贅沢は出来るのですね。若い日に恋をしておいて良かったと思います。そして今も生き生きと私の心を揺さぶってくれる素敵な青年に有難うと言いたくなりました。

投稿: はこべの花 | 2017年10月 1日 (日) 21時51分

 古賀メロディで中でも、この「影を慕いて」は特に私の中では「大正ロマン」になっています。マント姿の旧制高校生や袴姿の女学生たちの胸に秘めた恋心が彷彿されてきます。悲恋のオンパレード的なメロディになって気持ちの中にしずんでいきます。ミステリアスやサスペンス的悲恋物語ならいいのですが、美しいだけの物語は悲しすぎてどうも頂けません。

 ハコベの花さまの「十三夜」で思い出したことがあります。むかーし昔、東大前の法真寺での「一葉会」に行ったことがあります。幸田弘子さんの「樋口一葉」作品の朗読と、「十三夜」と「おおつごもり」の映写がありました。白黒でフイルムに所々あめがふるほどの見づらいものでしたが、「十三夜」は情感に溢れていました。月明かりの中、人妻(丹阿弥谷津子)と人力車の車夫(芥川比呂志)の道行きの切なさが伝わってきました。記憶に残る映画の一つです。

投稿: konoha | 2017年10月 4日 (水) 11時47分

 追記
 迷える古羊さまの「あずさ2号」に寄せられたコメントを拝読するためクリックして、「あずさ2号」の投稿文を始めから読ませていただきました。私の前コメントの中で「美しいだけの物語は悲しすぎてどうも頂けません。」と書いたのは、2012.10.2 yoshiさまの「30年代、愛と死をみつめて」が記憶の底にあったからだと思いました。

 当時テレビの前に座り込み、妹と二人で毎回泣きながらこのドラマを見ていました。切なく、やりきれなく、悲しく、とても耐えられなくなっても、それでも大粒の涙を流してみていました。(母はふたりで何見て泣いているの?と訊いてきましたが)

 でも、この歳になると純愛悲恋物語の悲しみには耐えられません。悲しい話は身体に毒になってしまいました。前コメント「美しいだけ云々」にはこんな気持ちでした。
 

投稿: konoha | 2017年10月 5日 (木) 17時31分

konoha様
前のコメントの「うつくしいだけの・・・」の意味が分からず理解し難かったのですが、説明を書いてくださってやっとわかりました。私は「愛と死を見つめて」の歌が好きになれなくてこの物語は観ませんでした。純愛ってあるのだろうかと疑っていたのかもしれません。美しいだけの愛はあり得ると思っています。それは片思いの恋だと思います。相手を偶像化して理想の人にしてしまうのですね。両想いの純愛は成り立たないような気がします。欠点まで好きになることはあり得ないからです。私がちょっと意地悪な目で人間をみるからかもしれません。あの人のここが好き、この人のここが好きなんて、いい所だけ寄せ集めて理想の人にしてしまっていたような気がします。私がこの投稿欄に書く青年たちは結婚をしなかったから美しい人として残っているのです。でもそれが青春を美しいものにしてくれていると思っています。
ところで今日、病院で素敵な男性に会いました。話をするととてもきちんとされていて、ジーンズの上着とズボンがとても似合っていました、なんと92歳だそうです。まだ車に乗られていました。手を振って別れましたが年を取る事を嘆いてはいけませんね。恋心はありませんが、尊敬の念を抱きました。またお会いしてお話したいと思いました。今日は良い日でした。

投稿: ハコベの花 | 2017年10月 6日 (金) 17時55分

ハコベの花さま
 私は両想いの純愛はあると思っています。例を挙げると、この「うた物語」に登場する「愛のために死す」、また「みじかくも美しく燃え」がそうだと思います。二つとも実話がモデルになっていますが、結果は悲劇になってしまいました。この映画のようにドラマチックではなくても、市井の人々でも二人の間に打算などみじんもなく、ひたすら相手を愛おしく思う気持ち、お互いに好きでたまらない純な気持ちが純愛だと思っています。

 純愛から始まった結婚生活でも長い時間のなかでは、相手の欠点が否応なしに見えてきてしまいます。それは人の常として避けようのないものです。それでも純愛で始まった二人なら長い生活の中で色々あっても、美しく愛おしい(?)時の流れだと思いたいです。

 今、思うことはどんなに年月を経ても、ハコベの花さまのように生き生きとして、人も物事も全て美しいものは美しいと思う感性を大事にしていきたいと、このサイトでハコベの花さまに出会ってそう思いました。

投稿: konoha | 2017年10月 6日 (金) 23時53分

NHKが「日本のうたふるさとのうた」と題し、童謡とか愛唱歌などを主に100曲を選んで発表(1989年11月4日放送)。このなかに「赤い靴」などとともに、「影を慕いて」が同じようにはいってる。「童謡新聞」という童謡を主としたHPでは、「明日に残す心に残る歌」として、「さくら貝の歌」・「影を慕いて」「あざみの歌」など幾つかで、『唱歌童謡の中に「影を慕いて」が含まれる』とあります。

昭和が終わって平成の時代がはじまった1989(平成元)年に、忘れ去られつつある「うた」を日本全国の人々とともに掘り起こし、つぎの世代に伝える文化遺産として集大成して、記録にとどめようという趣旨のもと行なわれた企画で、明治・大正・昭和の歌の中から次代へ残したい歌を一人一曲選び、ハガキなどで投票した結果が、応募総数65万7千通あまり、総曲数は5千曲にものぼったという大調査です。
「日本のうた・ふるさとのうた」実行委員会「NHK日本のうた・ふるさとのうた100曲」(講談社1990/12)
NHKはさらに、「荒城の月」「影を慕いて」を含む10曲を、NHKTVで「日本の名曲10曲」と題して、夕方8時のゴールデンタイムの番組終了後の数分間を使って、1週間に1曲ずつ、1年間にわたり、繰り返し流し続けたのだった。 「影を慕いて」は、今や「古賀メロディ」を超えて、押しも押されもしない「日本の名曲」、日本の財産に並んだのだ。

投稿: 古賀メロディ | 2018年3月21日 (水) 20時47分

大正から昭和にかけて、「新民謡運動」が起こり、野口雨情、中山晋平、佐藤千夜子が行っていた「全国歌の旅」で全国行脚していました、

その中から生まれた『波浮の港』が日本最初の商業レコードとなった。

同時に、元号が変わった大正15年(昭和元年、1週間)の翌年昭和2年から3年にかけ、ビクター、コロムビアなどレコード会社が勃興します。

大正14年にはラジオ放送が始まり、昭和2,3年にかけ相次いでレコード会社ができた。

昭和3年にはまた、古賀政男の「影を慕いて」が作られます。

そして3年後、東北大凶作、昭和大恐慌の中、昭和6年(1931)には古賀政男がコロムビアに入社、藤山一郎の「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」
など『古賀メロディ』が大衆の中に圧倒的に浸透してゆくのです。
戦後10年、昭和31年(1961)3月に出た、毎日新聞社「写真 昭和30年史」がある。

ここには、多くの貴重な写真が。昭和6年の扉は、有名な古賀春江の『酒は涙か溜息か』(昭和6年9月新譜)の楽譜の絵と世相、それに「古賀メロデー」登場のことが。 ・・

「9月18日未明、満州事変勃発。」

「東北出身の兵隊が満蒙の戦野で戦っているとき、その留守の東北は冷害が田や畑を、村を荒廃させてしまった。稲作は平年作の三分の一と言われ、人々は蕨の根を掘り、松の甘皮を剥いて飢えをしのぐ惨状だった。
 岩手の詩人・宮沢賢治は『雨にも負けず、風にも負けず、・・寒さの夏はおろおろ歩き・・』とうたったが、 都市の学生たちがその惨状を訴えているとき、巷では「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」
 など青白きインテリ層の中に「古賀メロディ」が氾乱していった。」・・
 毎日新聞社会部編「写真 昭和30年史」(毎日新聞社 1956.3)

投稿: 古賀メロディ | 2018年3月21日 (水) 20時51分


■[NHK日本のうた・ふるさとのうた100曲]1989年(曲目リスト)■
 http://www.geocities.jp/fujiskre/ka96.html

(年代別曲目リスト)
http://www.geocities.jp/fujiskre/ka97.html


「日本のうた・ふるさとのうた」実行委員会「NHK日本のうた・ふるさとのうた100曲」(講談社1990/12)

投稿: 古賀メロディ | 2018年3月21日 (水) 21時05分

寺山修司編「日本童謡集」(光文社1972)という本があって、その前書きには、『優れた「童謡」というものは、長い人生に二度あらわれる、一度目は子供時代の歌として、二度目は大人になってからの歌としてである。』・・と。そして、『映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。』・・として、広い分野の歌を集めてあるのが特徴。『赤い靴』『青い眼の人形』から 、古賀メロデー『影を慕いて』『人生の並木路』・・など優れた童謡としてあげられている。

投稿: 古賀メロディ | 2018年3月21日 (水) 21時10分

■■NHKTV 「日本の名曲10曲」■■ 1990
「荒城の月」   土井晩翠作詞、  滝廉太郎作曲    1901
「波浮の港」   野口雨情作詞、  中山晋平作曲    1928
「叱られて」   清水かつら作詞、 弘田竜太郎作曲   1920
「この道」    北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1927
「浜千鳥」    鹿島鳴秋作詞、  弘田竜太郎作曲   1919
「影を慕いて」  古賀政男作詞、  古賀政男作曲    1931.1932
「出船」     勝田香月作詞,   杉山長谷夫作曲   1928
「宵待草」    竹久夢二作詞、  多 忠亮作曲    1918
「花」      武島羽衣作詞、  滝廉太郎作曲    1900
「からたちの花」 北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1925

投稿: 古賀メロディ | 2018年3月22日 (木) 00時11分

「影を慕いて」この曲はギターを弾く者にとって、また古賀メロディの愛好家にとっても、おそらく最も弾きたくなってしまう魅力ある楽曲ではないかと私は思っています!

十代の頃の私は、70年代のフォークブームに刺激され、吉田拓郎や井上陽水のヒット曲など、いろんなフォークソングのコード楽譜を覚え、ストローク・アルペジオ・スリフィンガーなどを使い、アコースティックギターを弾きながら数年間にわたり楽しんでいました。

やがて二十代半ばになり、某テレビ番組でアントニオ古賀が演奏する、古賀メロディやフジヤマなど、その抜群のギターテクニックを目の当たりした時、その衝撃が忘れられず、早速手頃なクラッシックギターを買い求め、楽譜本を見ながら独学で古賀メロディを徹底的に猛練習しました。
そして影を慕いて・悲しい酒・湯の町エレジー・新妻鏡・青春日記などをマスターして行きましたが、ある日を境にもっと良い音を出したいという欲望に駆られ、大きな楽器店に行き、少し高価なギターを思い切って購入しました。

私はギターを手にして50年になりますが、もちろん古賀メロディはどの曲も大好きで、現在もよく弾いているのですが、その中に於いても、この「影を慕いて」のメロディ、特にイントロ奏法部分には特別な魅力を感じています。
この曲のメロディを聴いたり、ギターを弾いてりしていると、クラッシク音楽の世界を想像させてくれるような、そんな格調の高を感じます。

<蛇足>に記されいますが、スペインの世界的ギター奏者アンドレアス・セゴビアの名演に酔いしれ、一気に「影を慕いて」の詞と曲を作り上げたという古賀政男の稀な才能は、本当に偉大というほかありません。
作者の古賀政男を始め、アントニョ古賀・木村好夫・斉藤功など錚々たるギタリストが弾く「影を慕いて」の演奏を、今でも動画視聴したりしていますが、このメロディには主人公の切なる胸の想いが、心に深く浸み込んでくるものを感じます。

最近ではもっぱら1996年に発売された木村好夫編曲監修による「演歌の神髄」という、二冊の弾き語り専用本の楽譜で、いろんな懐かしい数々のヒット演歌をギターを弾きながら、カラオケ代わりに楽しんでいます。

投稿: 芳勝 | 2018年8月22日 (水) 20時47分

この歌は4番まであるようですが。
 佐藤千夜子の生家にある天童民俗資料館で数十年前に入手した栞には4番まで載っているのに最近気が付き、吃驚しております。本当のところはどうなのでしょうか、詳しくご存じの方にお伺いする次第です。

投稿: 槃特の呟き | 2018年10月 2日 (火) 22時58分

↑槃特の呟き様
メールアドレスが無効になっていますよ。連絡できません。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2018年10月14日 (日) 15時43分

古賀政男の名曲の中の名曲「影を慕いて」は、私の大好きな曲でもあり、特にハーモニカ演奏では、マイナーハーモニカの持ち味を発揮できる逸品ではないかと思っています。
現職の頃、千葉県幕張での宿泊職員研修でのことを懐かしく想い出しています。
無事三泊四日の研修(勿論、懇親会の折、ハーモニカ演奏を披露しましたが。)、も終わり研修所の玄関を出たところ、出入り口の所で、同じく研修を終えられた三人の女性の方と出会い、何げなく私の方から「研修お疲れさまでした」と声をかけたところ、お互いに研修先のことでもあり世間話で盛り上がり、終局は私の出番となり、私の独断で「影を慕いて」を通常よりテンポを遅めに吹き始めました。
演奏の途中、一人の女性の方が私の方をジ~と見られ涙ぐんでおられる姿が目に留まりました。
私の演奏が終わり、その女性の方とお話をしたところ、その方の母親が生前にこの「影を慕いて」は特に好きな曲でいつも歌っていたとのことでした。その当時を懐かしく想い出され涙されたものと思います。
改めて、二木先生の名演奏を聴きながらあの日の懐かしい日々を想い出している今日この頃です。


投稿: 一章 | 2018年10月14日 (日) 21時25分

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