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ふるさとの

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:三木露風、作曲:斎藤佳三

ふるさとの 小野の木立に
笛の音(ね)の うるむ月夜や

少女子(おとめご)は あつき心に
そをば聞き 涙ながしき

十年(ととせ)経ぬ 同じ心に
君泣くや 母となりても

《蛇足》 郷愁にも似た淡い初恋の記憶を、これほどみごとに短詩型で表現した詩がかつてあったでしょうか。後年、斎藤佳三がつけたメロディと相まって、「哀しいまでに美しい曲」と評されています。

 詩は明治40年
(1907)12月露風19歳のとき、雑誌『文庫』35巻第6に発表されました。作ったのは18歳のときで、その早熟な才能に驚かされます。
 明治42年
(1909)9月に出版された露風の第二詩集『廃園』では、「二十歳までの抒情詩」の部に収録されています。
 なお、露風はこの年の2月、早稲田大学から除籍されましたが、のちに推薦校友になっています。

 『廃園』は、半年先に刊行された北原白秋の絢爛たる処女詩集『邪宗門』とともに、詩壇に大きな衝撃を与えました。以後、2人は「白露時代」と呼ばれる一時代を抒情詩の歴史に刻むことになります。

 斎藤佳三は秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市)出身で、明治38年(1905)、東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)に入学しました。オペラに関心をもつうちに演劇や舞台美術に惹かれるようになり、ついに東京音楽学校を中退して、東京美術学校(現・東京芸大美術学部)に入学し直しました。

 大正元年(1912)にドイツに留学、一足先に渡独していた東京音楽学校時代の友人・山田耕筰と共同生活を送りました。
 帰国後は、空間芸術家として帝展などにオブジェを出品するかたわら、作曲でも活躍しました。

 『ふるさとの』は、大正3年(1914)に発行された斎藤佳三作品集『新しき民謡』のなかで発表されたものです。
 昭和3年
(1928)2月、藤原義江の歌でビクターからレコードが発売されました。
 さらに、昭和11年
(1936)から始まった国民歌謡(戦後のラジオ歌謡の前身)の1つとしてNHKで放送され、多くの人たちに愛唱されるようになりました。三木露風の詩では、『赤とんぼ』に次いで長く、広く愛唱されている歌です。

(二木紘三)

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コメント

三木露風の作品の、この「ふるさとの」と「白月」とは1つの曲と錯覚してしまうほど、いつも同じ機会に耳にしていました。 露風が10台のときの作品と知り、なるほど、と思います。
 日本の歌曲の中の、何物にも換え難い清流の1つだと思っていますが、叶うことであれば、二木さんの編曲されたMP3で聴くことができれば などと都合のよい希望を述べさせていただきます。 

投稿: 成瀬吉明 | 2007年7月18日 (水) 10時25分

思いがけなくこの美しい旋律を聞かせていただき、50年近く前の十代後半の頃の自分にバッタリと再会したような気持ちです。その頃の自分は劣等感のカタマリのくせに、いつもいつも異性の「観念」に恋をしていました。

その「観念」のシンボルがこの「ふるさとの」の甘く哀しい詞と旋律でした。そして、いつもその「観念」に裏切られては、心臓に出来たミミズばれがヒリヒリと痛む感覚でこの歌を口づさんでいたものです。

そして何とか人並みの人生をくぐりぬけてきた60代半ばの今、改めてこの歌の最後の連、

  十年経ぬ 同じ心に
  君泣くや 母となりても

にたいして、「いいや、母となった女性は絶対に泣くはずがない」と断言する自分を発見します。やや寂しさを感じつつ・・・。

投稿: Snowman | 2007年11月 1日 (木) 22時49分

この詩とメロデーは初恋その古稀になる身の初恋そのものです。

投稿: なつメロ愛子 | 2008年9月12日 (金) 23時48分

メロディが元に戻ってほっとしました。露風はなぜ女の気持ちがこんなにわかるのか何十年も不思議に思っています。恋と愛とは違うのですね。子供への愛は限りなく深いのですが、ほのかに恋した人は永遠に懐かしい人なのです。母になっても涙があふれてくるほど懐かしく、恋しくなる時があるのです。少女の自分に戻って涙するのです。
ちなみに私はこの歌は大好きですが、赤とんぼのメロディは好きになれません。音楽に疎いので、理由が自分でもわかりません。

投稿: ハコベの花 | 2008年9月13日 (土) 00時16分

 哀しいまでに美しい・・・ほんとうに、この曲を形容するのにこれ以上の表現はありませんね。
詩がおのずとこの美しい旋律を呼び、旋律は詩の化身となりました。そしてその1聯・2聯・3聯が、静かな序・破・急となって、胸の奥深くしみてきます。
 わたしは3聯をくちずさみながら、アンドレ・ジイドの「狭き門」の最後の場面を思い出しています。今は幸せな主婦となり母となったジュリエットが、十数年ぶりで嘗ての恋人ジェロームと再会し、ひとしきり自分の家族の近況などを話したあと、しばしの沈黙が訪れます。やがて気を取り直したように、「さあ、目を覚まさなければ!」と言いつつ泣き崩れるシーンです。

投稿: くまさん | 2008年9月13日 (土) 20時13分

この美しい曲を今まで知らなくて、すご~く損をした感じです。
二木先生のおっしゃるように、ほんとうに「哀しいまでに美しい曲」ですね。でも、この哀しさは悲哀とか悲嘆といったものではなく、甘酸っぱい切なさですね。

私が子供のころ、夏祭りの前になると、毎晩、村の若い衆が笛や太鼓のけいこをする音が遠くから聞こえてきて、それを聞きながら寝入ったものでした。小学生のころですから、初恋の思い出ではありませんが、どこかでそれを聞きながら、切ない思いに涙を流していた女性がいたかもしれません。

投稿: 団塊思春期 | 2009年3月12日 (木) 12時08分

私には人に言えない秘密がいくつかあり、「『ふるさとの』と『平城山』が好き」と言うのもそのうちの一つなのです。この二曲は高校生の頃初めて聴いて、深く心に刻まれたのでした。
「平城山」は、美しいのですが、なぜ言いようの無い苦しさを覚えるのか…その時は解りませんでした。長年、その理由を知ろうとしてはいけないと思っていたのですが、ご解説により霧が晴れたような思いです。
「ふるさとの」は詩を先に知っていました。古い詩集を今も大切にしているのですが、その中に矢野峰人氏の「三木露風・人と作品」があり、『……彼の詩碑に刻まれている「をとめ」は、竜野時代の姐やと想われる。』としるされています。(龍野と書くのでしょうが、手元の新潮社の古い本では年表もすべて竜野になっています)
諸説あるのでしょうが、七歳で母が去ったのちに姐やとして露風を可愛がってくれた少女、十五歳でお嫁に行った少女、その面影を重ねてみると、なんとも言えない哀切な思いがこみ上げてきます。先入観なしに聴いても、この上なく美しく哀しく気高い初恋の歌なのは言うまでも無いのですが…。
二木先生の素晴らしい演奏に心から感謝しながら、この二曲を聴いています。

投稿: 眠り草 | 2010年10月30日 (土) 11時15分

笛の音は、この旋律のように愁いをおびていたのではないでしょうか…。
そして、うるむのは笛の音ばかりではなく、月夜の木陰にたたずむ年若い二人の心、瞳、声。
一、二聯は、別れの場面なのではないでしょうか……。
ねえやとして露風の世話をした少女には、慈しむ心があったのでしょう。露風も恋というよりは母を慕うような想いを寄せていたのでしょう。十五でお嫁に行くことになり、この別れは二人にとってどれほど辛かったことでしょうか…。
…もし私がとんでもない憶測を書いているのでしたら、二木先生どうぞお許しください。
なお昨日のコメントに書いた詩集は昭和四十三年頃に買い求めたもので、高校時代に読んだ本とは別のものです。

投稿: 眠り草 | 2010年10月31日 (日) 13時44分

時々、この歌を無性に聴きたくなる事があります。夫が前後不覚になるほど酔った時です。「哀しいまでに絶望した時」と言うべきなのかもしれません。この歌を聴くと絶望が遠のいて行きます。夫が嫌いなのか、酔っ払いが嫌いなのかわかりませんが、50年近くこの歌に救われています。

投稿: ハコベの花 | 2010年11月 3日 (水) 19時37分

音楽には不思議な力がありますね。ハコベの花さんのお気持ちはよく解ります。
私も家族の病気や介護、死別を経験し、その後も含めて長い間、クラシックのそれも古い時代のCDばかりを聴いていました。
人により、曲は違うのでしょうが、救ってくれる曲はあると思います。

投稿: 眠り草 | 2010年11月 9日 (火) 00時49分

青春多感な時代の自らの哀しい想い出と共に忘れられない詩の一つがこの露風の「ふるさとの」です。
人生の晩秋を迎えた私の拙い経験からして、三連目の歌詞は女性には到底届かない男の一方的な心情にしか過ぎないと言えましょう。男女の「こころ」には大きな差がある事を理解しています。
それでも尚、これからも折りに触れこの歌を口ずさみ続けると思います。

どなたか「をとめ」を「ねえや」と同一の女性と言われていましたが、過去NHKで放送された「三木露風の生涯」によりますと違うようです。

投稿: 晩秋の男 | 2010年12月30日 (木) 01時14分

晩秋の男さま

>どなたか「をとめ」を「ねえや」と同一の女性と言われていましたが、過去NHKで放送された「三木露風の生涯」によりますと違うようです。

NHKでは、どのように放送されたのでしょうか…見ておりませんので、差し支えなければ教えて頂けましたら幸いに存じます。
露風は岡山時代にも、看護婦をしていた少女と恋に陥った事があるそうですが、「をとめ」が「ねえや」であって欲しいと願うのは、私の、人にはあまり理解してもらえない心情からです。

投稿: 眠り草 | 2010年12月31日 (金) 00時22分

眠り草さま

5~6前(年代不覚)、NHKラジオ ラジオドラマ「大いなる黄昏~三木露風の生涯」(90分)が放送されてカセットテープに収録しました。この中で、露風の中学時代に知り合った4歳年上の恋人「もえこ」として紹介されています。眠り草さんの「看護婦」とはこのもえこを指すものと記憶しています。露風が中学を中退して上京した後、もえことの結婚を父親に反対されて結局もえこは別の男性と結婚してしまいます。この間、お互いに交換したラブレターが複数朗読されています。

「赤トンボ」の「ねえや」との関連付けは一切ありません。
NHKが論拠とした出展元は明らかになっていません。
探せば当該カセットテープも見つかると思いますが、NHKアーカイブに連絡して視聴の可否をお問い合わせされる方法も御座います。
カセットテープが見つかれば書き込ませて戴きます。 

投稿: 晩秋の男 | 2010年12月31日 (金) 21時27分

眠り草さま

過去、当該カセットテープをWAV変換してパソコンに取り込んでいたのを見つけ出しました。
前回の書き込みの間違いと追加を致します。

NHKラジオ→NHK FMラジオ
「もえこ」→「太田もよこ」
放送は10年位前だったかも知れません。
記憶が曖昧で大変失礼致しました。

「赤とんぼ」の15歳で嫁に行った「ねえや」は山間の田舎から来たねえや。「ふるさとの」の「少女子」である「をとめ」とは年齢が合いません。

「太田もよこ」は露風が渋谷校に転校して知り合った母親ひとりの酒屋の娘。高女を中退した琴と舞が得意な美人。渋谷の店をたたみ、母と二人で岡山に移り住み岡山大学病院で看護婦をして生活を支えていました。
渋谷で知り合ったもよこに対する情熱的な恋を謳った「春の夜」という詩があります。

視聴を希望される場合は仰って下さい。

投稿: 晩秋の男 | 2011年1月 1日 (土) 00時23分

晩秋の男さま

とても詳しく丁寧なご説明に、心からお礼申し上げます。
また、忙しい時期に、お手を煩わせて申し訳なく思っております。

「もよこ」の名は、以前何かで読んで記憶しています。
しかし『渋谷で』「もよこ」と知り合ったと言うところが、私にはいまひとつ解りません。
岡山で15歳の時に知り合ったとばかり思っていました。
放送を聴けば、このあたりもう少し良く解るのでしょうか。
私の持っている本には、「春の夜」は載っていません。
「ふるさとの」を大切に思うほど、「春の夜」を読むのをどこかためらってしまいます。

手元の新潮社の古い詩集の年譜から少し抜書きします。

明治36年(1903)14歳 竜野中学に入学
明治37年(1904)15歳 岡山県和気郡の私立閑谷コウ(しずたにこう…こうの漢字が見つけられません)に転校
明治38年(1905)16歳 上京、麹町一番町に下宿
明治39年(1906)17歳 「最後に編入した水道橋際の商業学校を四度めに出され時、親から厳しい勘気を受け、哀れな私は忽ち悲惨な境遇に墜落した」(淡い夢)。下宿を転々とする。

そして、「ふるさとの」の初出は明治40年12月15日。露風17歳。

「ねえや」は露風の母が去った後に三木家に来て、露風の世話をした少女。
露風とねえやの年齢の差はそれほど大きくは無かったのではないでしょうか。
10歳くらいで「ねえや」…子守として他家に雇われる事は、その時代よくあったのではないかと思います。
そして15歳位になると、周囲の決めた所へ嫁ぐ事もあったのではないでしょうか。
「ねえや」は露風より4歳くらい年上だったのではないかと、私は想像しています。

番組を聴く事が出来るようでしたら、そのうちにNHKに問い合わせてみたいと思います。


投稿: 眠り草 | 2011年1月 2日 (日) 10時52分

舟木一夫さんの「夕笛」を聴いてみてください。
歌詞は「ふるさとの」がモチーフのようです。
http://www.youtube.com/watch?v=gM4Bqhb1v34

投稿: なち | 2011年1月 2日 (日) 13時01分

晩秋の男さま

ご紹介の「大いなる黄昏~三木露風の生涯」はラジオドラマなのですね。
ドラマならば、いくらかの脚色があっても不思議ではありません。
閑谷黌(しずたにこう)と渋谷校(しぶやこう)の違いは、その辺に原因があるかも知れませんね。
ご親切に教えて下さいましたのに、先ほどは強い書き方をして失礼いたしました。

なちさま

ご紹介のページの歌は、のちほどゆっくり聴かせていただきます。

投稿: 眠り草 | 2011年1月 2日 (日) 21時23分

眠り草さま

ラジオ放送を流し聞きして「しずたに」を「しぶたに」と聞き違えていました。
正しくは「閑谷」でした。お詫びします。

NHK FMラジオに依りますと
明治36年、15歳(年齢は当時のしきたりで数え年)の露風は主席で龍野中学に入学。文学に熱中して成績が落ち、一年半後の16歳の時、落第のおそれがある為に備前市の私立閑谷中学校(旧岡山藩々校)に転校する。
露風が16歳で付き合っていたもよこは既に数えで二十歳の娘ということになります。
又、もよこは岡山の高等女学校に2年通っています。明治の学制はめまぐるしく変わっていますが、旧制高女は男性の旧制中学と同じですから15~16歳のもよこは女学生だったということになります。
明治期、高女に通える女性は社会の中で極めて少数です(上流階級か特別な能力を持った女性)。インテリ階級といってもよいでしょう。これらの状況から、15歳で嫁に行った子守の「姐や」のイメージにそぐいません。

眠り草さんは何を求めていらっしゃるのでしょうか。
事実を知ることは大切です。然し、事実を知ったことで不幸になることもあります。
真実を知ることは必ずしも幸福とは限りません。これは人生に於ける知恵かも知れません。
露風の「少女子」は、かりそめにも心を通わせ合った仲であれば、恋人でも姐やでも構わないと思います。
「ふるさとの」の詩情を愛する人達が自らに心当たりのある「女性」を各々に想い描くことで充分ではないでしょうか。

私が最初に書き込みました動機は
>矢野峰人氏の『……彼の詩碑に刻まれている「をとめ」は、竜野時代の姐やと想われる。』との断定記述が些か気になった為です。
日本詩人で社会的に地位の高い同氏の感想としては如何なものであろうかと思いました。社会的に影響を及ぼす方は真実と願望の混同をしてはならないと思ったからです。

歌曲としての「ふるさとの」
http://www.youtube.com/watch?v=oaLkzuA6mjY

をよろしければどうぞ。

投稿: 晩秋の男 | 2011年1月 3日 (月) 02時10分

晩秋の男さま

矢野峰人氏を私は盲信するものではなく、同様に大変影響力のあるNHKのドラマもまた、それぞれ一つの立場と受けとめています。
詩は必ずしも現実を詠っているとは限らないのですし、「をとめ」が誰かは、読む人がそれぞれに思い描けば良いのでしょう。
ただ、私が「ふるさとの」から受けるイメージは淡く清らかな初恋で、あまりに情熱的な恋は想像できないのです。
また、人は幼いときに自分を慈しみ、世話をしてくれた人に、郷愁にも通じるような思いを抱くものではないでしょうか…その人に教養があるかどうかは無関係に。それは恋とは呼べない感情かもしれませんが。

影響力のあるNHKが、どういう立場を採ったかを私は知りたかったのです。
貴重なお時間を割いて詳細なお返事を下さいました事に、心からお礼を申し上げます。

投稿: 眠り草 | 2011年1月 3日 (月) 07時45分

皆様のお蔭で大変有意義なお正月を過ごすことができました。「夕笛」も視聴しました。高校生の頃を思い出して涙ぐみました。いつも黙って5年近くじっと見つめてくれていた秀麗な青年、にっこり笑って「こんにちは」と言ったら結婚していたかもしれません。純情過ぎましたね。
改めて三木露風の詩を読みなおしました。繊細で優美、言葉の美しさ、詩の美しさを堪能しました。「語れよ。無言の君。寂び果てし沼のほとりに」 露風は偉大な詩人です。

投稿: ハコベの花 | 2011年1月 3日 (月) 11時50分

眠り草さま

揚げ足をとることは本望ではありませんが
>その人に教養があるかどうかは無関係に。
私は「姐や」と「をとめ」が別人であろうという論証の一例としてもよこの高女中退を挙げたものでして、教養の有無に思慕や恋愛感情が関係すると等という不遜なことを申し上げた積もりは毛頭ありません。
本意をご理解戴けなかった事を残念に思います。

「矢野峰人氏の見解も一例」とのご理解には首肯できないものが御座います。
私は日本の代表的伝統工芸の一分野に関して何が真実かを10数年研究して参りました。
そこから得られた結論は
肩書きや権威というものが如何に当てにならないかということです。
然し、世の中の大勢は、学者だから、著名人だから、公的機関だからという根拠の無い理由で情報を信じてしまうのが現実です。
疑問に思う、考えるという習慣が希薄になっているように思えます。
矢野峰人氏が無名の個人で且つ私的サイトでつぶやくのなら何を言っても許されるでしょう。
上梓には社会的責任を伴わなければなりません。不確かなことは判らないと言うべきです。
責任感の欠如から、従来どれだけ社会に虚構を撒き散らしたことか。一種の詐欺だと私は捉えています。
これは本題ではありませんので議論は無用に願います。
これで応答は了わりとさせて戴きます。

投稿: 晩秋の男 | 2011年1月 3日 (月) 16時01分

露風の「少女子」にご関心のある方へ

今回の応答を契機にWeb上で三木露風の記述を調べてみました。実に論拠のしっかりしたサイトを発見しました。憶測や推測ではなく、証拠に基づく露風の初恋に至るまでの足跡です。
要点
1.露風の龍野中学校入学~閑谷中学校への転校の経緯。
2.閑谷村の露風の下宿先ともよこの家は近所であったこと。
3.もよこは明治18年生まれ。露風より4歳年上の女性。戸籍上の本名は太田小茂与(こもよ又はおもよ)。
同窓の先輩歌人で露風が上京した当時に親密な間柄であった汪洋の手元に露風から取り上げた露風宛の書簡が残されていた。
家森長治郎氏の研究によれば、残された手紙の差出人は『岡山市内山下68番地 三浦長治方 太田茂代子』となっている。
(NHKのラジオ放送は本名ではなく、封筒記載の名前「茂代子」を採用した)
4.茂代子の家はタバコも販売。某高女を中退して店番をしていた茂代子は中学生の間で「マドンナ」的存在だったと推定。この閑谷時代に茂代子と露風が知り合った可能性大。
5.二人は男女の関係に進展していた可能性大。根拠は露風の「春の夜」他の詩歌、露風に宛てた茂代子の手紙の内容。二人は共に夫婦になることを望んでいた。
6.露風の父親の反対で二人の結婚の望みが断たれる。
7.二人の関係を窺わせる論拠

「春の夜」第三連
  寄り添えばばああ自ら
  双の腕頸を捲きて
  渇きては熱き唇
  接吻の甘まきに堪えむ
  (NHK FM放送では山本学が全連朗読)

明治38年10月『新声』に発表された茂代子と露風の初旅の二人が京屋という旅館に宿った時の初いういしさを主題にした詩
 『長岡は青葉の鐘に別れむの二人が泣きし夕雨の里(「夢野」)』

露風への茂代子の手紙の一節
 『何に付けても思ひ出しますね今年の春の楽しさをほんとに短い短い夢の間で御座いましたよ四月卅日から五月廿三日までうれしかったはたった一月たらずで御座いましたわね』

NHK FM放送のラジオドラマ「大いなる黄昏~三木露風の生涯」は茂代子の本名を除き、ノンフィクションで構成されていたことが改めて確認されました。

詳しくはこちらをどうぞ
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=NKGRgP7e9xcJ&p=%E4%B8%89%E6%9C%A8%E9%9C%B2%E9%A2%A8+%E6%98%A5%E3%81%AE%E5%A4%9C&u=www3.nns.ne.jp%2Fpri%2Fkizansou%2Fhyouden.html

例え二人の関係が生々しいものであったとしても「ふるさとの」の叙情詩としての格調が些かも揺らぐものではありません。
私の中の「少女子」は高校時代の仄かな初恋の人でしかありません。露風の詩情に対する共鳴は何等変わるものではありません。
長文の失礼はお許し下さい。

投稿: 晩秋の男 | 2011年1月 3日 (月) 16時08分

久しぶりに「ふるさとの」を聴きました。心が洗われるような清々しい気持ちになれました。この歌を最初に聴いたのも16歳、憧れの人と出会ったのも16歳。夢のような時代でした。二人が結ばれていたらこんな美しい気持ちに帰ることはなかったでしょうね。この歌は美しいままの私の心のふるさとです。

投稿: ハコベの花 | 2017年11月 7日 (火) 16時53分

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