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朝はどこから

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:森まさる、作曲:橋本国彦

1 朝はどこから来るかしら
  あの空越えて 雲越えて
  光の国から来るかしら
  いえいえ そうではありませぬ
  それは希望の家庭から
  朝が来る来る 朝が来る
  「お早う」「お早う」

2 昼はどこから来るかしら
  あの山越えて 野を越えて
  ねんねの里から来るかしら
  いえいえ そうではありませぬ
  それは働く家庭から
  昼が来る来る 昼が来る
  「今日は」「今日は」

3 夜はどこから来るかしら
  あの星越えて 月越えて
  おとぎの国から来るかしら
  いえいえ そうではありませぬ
  それは楽しい家庭から
  夜が来る来る 夜が来る
  「今晩は」「今晩は」

《蛇足》 朝日新聞社主催のホームソング懸賞公募の当選作品で、昭和21年(1946)5月にNHKラジオ歌謡として放送され、すぐにレコード化されました。

  歌詞は、国とかナントカ団体の「健全な家庭を築こう運動」のキャンペーンソングのようですが、その説教臭を闊達なメロディが和らげている感じです。
 私は
清潔さとか健全性とかを大上段振りかぶって主張する言説や詩文は苦手です。

 だいぶ前のことですが、関東のある市では市内各所に設置したスピーカーから「みなさん6時です。さあ今日も1日元気に仕事や勉強に励みましょう」というアナウンスを大音響で流しているという新聞記事を読んだ記憶があります。
 人間は朝起きて昼間活動し、夜は寝るのがまっとうで健康な生活だということにつゆ疑いをもたない人間が考え出した施策でしょう。夜仕事をして朝眠る人、病気等で明け方にならないと眠れない人のこと
などはまったく考えていなかったわけです。

 人とは違う価値観をもっている人、他とは異なるスタイルで生活している人、ハミダシ者やハグレ者を認めない社会は、いずれ全体主義へとつながります。
 この歌にはそれほどの押しつけがましさはありませんが、こうしたタイプの歌を聴くたび、最大公約数的な物差しで人を測るようなことはするまいと自分にいいきかせてきました。しかし、それを貫くのはなかなか難しいことだと感じています。

(二木紘三)

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コメント

定年還暦を超え、小生昔々の憶えきってなかった、しかも時にはハミングでしか唄えない唄の一つです。最近その歌詞と曲を一致させようとしてます。この貴HRLにより一件落着です。
有難う御座いました。

投稿: 佐志信通 | 2007年11月 1日 (木) 19時21分

こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
「朝はどこから」の歌もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

投稿: kemukemu | 2007年11月16日 (金) 23時37分

ほんの一年前までは、「御国」でなければ夜も日も明けなかった日本に、
個人主義のシンボルである「家庭」が基本であることを訴えたかったのでしょう。
貧しくとも希望があった古き良き時代?の歌ではないでしょうか。
いまやその家庭も崩壊の危機に瀕していますが。

投稿: 周坊 | 2008年1月 8日 (火) 22時16分

すでに廃校になった山の中の複複式の小さな小学校でした 教育大学を出た新任の先生が毎朝オルガンをひいて皆で歌いました(1番だけでした)皆が明るい未来を思える時代でした 今は人も家庭も社会も変ったと思うのは年のせいでしょうか

投稿: hiro | 2008年12月29日 (月) 23時56分

同感現在の世の中希望も無く先が真っ暗闇ですね。

元気の出る言葉も無く、歌も無い。

国民一人ひとりが駆け出している、家庭の破壊親子の関

系も崩れまったく夢も希望も無い

挨拶が申し送れました、この音楽と隣組云々のメロディ

も懐かしがっている昭和生まれです宜しく。

投稿: 松波 | 2009年1月26日 (月) 16時06分

終戦1年前の産まれです。複々式授業に目が留まりました。私も、ど田舎育ちましたので、これでした。個人主義だと言っても子供には親がいるのだから、その親が仕事一筋で子供の躾をしてこなかった、だからその子が親になって自分の子を躾られない。だから爺ちゃんには孫を躾ける責務があると自覚しています。

投稿: 海道 | 2009年4月30日 (木) 07時01分

「朝はどこから・・・」中年以上の人なら誰でも口ずさんだことがあると思います。私は♪・・・南の国から・・・希望の過程から・・・とウロ覚えでやっていました。ほんとの歌詞を知って感嘆しました。歌詞に「家庭」という言葉が入っている歌が他にあるだろうか?

先日公民館のハーモニカサークル(中高年25人)で「朝はどこからくるかしら、という歌はご存じでしょう。さてどこから来るんでしょう」と尋ねた。勇敢な女性がパッと手を挙げ「光の国から」と答えた。他の人からは回答の気配なし。一瞬のポーズのあと私が「いえいえそうではありません」と始めると一同唱和。問題の個所へ来てワイワイガヤガヤ。

皆さん知らないんですね~歌詞を!この歌を口笛ふいて散歩するこの頃です。

投稿: 豊田 錫 | 2009年6月 6日 (土) 11時57分

 子供心に明るくていい歌だなあと思いました。いろいろご意見もあるでしょうが、やはり前向きで元気な歌は朝日を拝むように気持ちいいです。学校の音楽の時間に子どもたちに教えてあげたい歌です。ちなみに私は紙芝居ボランティアをしているおじいさんです。 

投稿: こぎつね | 2010年4月18日 (日) 22時34分

朝はどこから来るかしら♪
あの山越えて野を越えて♪
蓮華の里から来るかしら♪
いえいえ、そうではありません♪
それは楽しい家庭から朝が来る来る朝が来る♪
お早う お早う♪
と、僕は憶えていました。小学校の時、登校時間になると学校でこの歌を拡声器で放送し、これを合図に登校していました。
今は、我が家で僕は、朝、
♪お早う ♪お早う
と、節をつけて言っています。

投稿: 高橋昌勝 | 2011年3月22日 (火) 21時30分

外国暮らしです。南アルゼンチン、チリの自然公園をハイキングしていている時に、口すざんていました。とにかく、騒音もなく自然しかないから、昔の日本の歌が脳裏に浮かぶだけです。
2番も3番も思いだせずに、今日、此方でお世話になるわけですが、はじめに私の記憶はこんなにいい加減なものかと思いましたら、投稿者、高橋さんの歌詞と最後の一行を除いて一緒です。
...明るい希望から朝はくるくる、朝はくる♪ でした。
:家庭と言う文字がなかったのは、終戦後、父の帰らぬ家庭が多かったからではないでしょうか。元は、北海道出身です。

投稿: ミンガ | 2011年10月29日 (土) 14時52分

昔うたごえ運動、今、「老婦人のうたごえ」を主宰しています 今朝方ラジオ深夜便で流れてきて、飛び起きて、題名を書き留め、ネットで検索しました うろ覚えだった歌詞を歌集に載せることができました 「ひなまつりのうたごえ」で、みんなで歌います ありがとうございました

投稿: 桂女 | 2012年2月 4日 (土) 08時58分

オルガンの伴奏に合わせて歌いました~~~
なつかしいうたです。
明治生まれの母がよくうたってました。
昭和になってからもレコードかラジオで聞きました。
うら覚えの歌詞がはっきりしてうれしい限りです。
ありがとうございました。

投稿: H・KEIKO | 2012年11月29日 (木) 17時25分

「ミスターラジオ歌謡」岡本敦郎さんが逝去されました。
12月28日、88歳。かくしゃくとしておらようにお見受けしてましたが…。ご冥福をお祈りいたします。  この「朝はどこから」は幼稚園の頃に習いましたね。先生の歌に合わせて覚えたのでしょうか。まだ文字は読めなかった筈ですから…。
「憧れの郵便馬車」「高原列車は行く」、どちらも丘灯至夫・古関裕而の両氏に依る作品でした。明るく、伸びのある美声が思い出されて来ます。殊の外好きな二曲でした。  合掌

投稿: かせい | 2013年1月 8日 (火) 01時31分

定年退職をし、現在で友人が経営する「ディサービス」で送迎のアルバイト不定期でしています。
その利用者でチョッと痴呆になり足の不自由な女性がいます。その方の両手引いてサポートしながらご本人は『朝はどこから来るかしら~~・・・♪』と歌いながらソロソロと歩きます。
そして私も幼いころラジオより流れていたこの詩を一緒に歌ってサポートをします。
その時の彼女の顔たしかに楽しそうです。
私が覚えていたのは「一番の歌詞」でしたが、今回三番まで確認が出来、次回彼女のサポートのときは三番まで一緒に歌いたいと思っています。
その時の彼女はどんな顔をするかな??

投稿: M.masa | 2014年4月26日 (土) 12時04分

 この歌は、亡くなった父が好きで、時々口にしていた。
ほのぼのとした歌だなあと子どもながらに思った。
気むずかしい父がこの歌を愛していたことが、なんとなくうれしかった。

「朝はどこから来るかしら」
(聞きようによっては、じつに世間離れした問いかけです)
「それは地球が自転しているから」
(無粋な答です)
「知らない、知りたくもない。忙しいんだ」
(忙しいという字は、心を亡くすと書きます)

 司馬遼太郎のエッセイに、長州藩の大村益次郎は、あいさつをされても返事をしなかったと書いてある。
「こんにちは」や「いいお天気ですね」や「どちらへおでかけ?」には、黙殺したといことです。
 緒方洪庵の「適塾」には秀才が集まったが、益次郎はとびぬけての秀才だった。
 大秀才益次郎に「朝はどこから来るかしら」と聞いたらどうだろう。
「ばか者」と叱られるか、無視されるでしょう。
 秀才の世界とはそういうものかもしれない。
 しかし会話の中からあいさつの部分を完全にのぞいたら、味気ないものになるだろう。身もふたもない話に・・。
 「朝はどこから来るかしら」を受け入れ、流行らせた昭和21年頃の人々の純朴な心根を思います。

投稿: 音乃 | 2014年7月31日 (木) 14時47分

娘の Face bookより
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My father sang this song mostly every morning when i was in Primary and Secondary school in Hawaii to wake us all up in the morning and to start each morning with a smile,and i didn't appreciate it so much then but actually miss it so much now that i am going to start singing this to my kids !! I love you daddy!!

「朝はど~こから来るかしら~。あの山超えて野を越えて~光の国から来るかしら~。いえいえ、そ~ではありません。そ~れは楽しい家庭から。朝~はくるくる朝はくる。おっは~よ~。おっは~よ~」

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投稿: 副田篤樹 | 2014年8月30日 (土) 11時21分

♪♪ 朝は どこからくるかしら ♪♪

首都圏の老人ホームをボランティアで訪問し入居者やディーサービスのお年寄りの方々と懐かしい歌や童謡を楽しんでいます。

私は約1年前から草笛演奏で主に「故郷、赤とんぼ、紅葉」などやや郷愁を帯びた童謡などを演奏しています。

或るホームで80歳代と思われるお年寄りから「明るく 元気になる歌・・」のリクエストがありましたので、私は「朝は どこから」を草笛で吹いてみました。

それまで歌わなかった方たちが 大きな声で「朝は どこから~ ♪、昼はどこから~♪ 夜はどこから~♪」と元気良く明るい声を出されたので ビックリしました。

「歌の持つ力」を感じ感動しました。私はこの歌の選考過程や歌詞の狙いなどを考える能力もありませんし考えたこともありません。
しかし厳しい戦後を乗り越えられてきた方々を励まし元気づけてきた歌詞、メロディーであり、お年寄りの心や体に染み込んでいる歌だという現実を知りました。

歌の間に「ウンタカ タッタ ウンタカ タッタ・・」と間奏を入れる方もいらっしゃいました。

 管理人にこの歌を掲載していただき感謝しています。 

投稿: けん | 2016年9月19日 (月) 15時52分

この歌は国家が大事で家庭が犠牲になっていた戦争中より、家庭の幸せが何より大事だと作られた歌だと聞いたことがあります。
私が農家が多い田舎に越してきたとき、周りの人たちが早起きで、夜寝るのが早いのに驚きました。朝ご飯を食べている時に遊びに来られたり、夜8時頃に電話をすると、もう寝るからと言われたりで、驚きました。街中なら夕方からが人生みたいに映画や音楽会に行ったり、街ブラをしたり、10時過ぎに夜泣き蕎麦屋がきたりで、ずいぶん夜を楽しく過ごしていました。田舎で育った人に言ったら「貴女は不良だったのか」と言われました。ごく普通の生活だったのですが、育った環境によって考え方も違うものだと知りました。私は今でも夜になると頭が冴えてきます。夜型は働き者でないことは確かなようです。

投稿: ハコベの花 | 2016年9月19日 (月) 21時06分

一点の曇りもない穢れのないこの歌は私も大好きでした。
小学校の3~4年頃と記憶しています。
そろそろ朝霧のなかを栗拾いに裏山へと出かける時節。
時報の5時のサイレントともに薄暗い戸外へと飛び出したものです。母はかまどに火を焚いてました。
運不運を幼心にも知りました。
他人の通った後はわずかの収穫
思いがけない収穫に胸弾ませることもありました。
拾った栗は 栗ご飯にしたり
遠足まで貯めて物々交換をしたものです。
その頃は栗は拾うもので栽培はありませんでした。
貧しさのゆえに遠足のリュックには蒸かし芋、紅玉りんご、ザクロ
そして貴重な栗はお菓子と物々交換。
何しろ,行よりも帰りのリュックが膨らんでいたもの。
幼い弟が私の帰りを待ちわびていたものです。
その割に貯蓄も下手で無駄使いのまま古希を迎えようとしています。

投稿: りんご | 2016年9月20日 (火) 10時16分

2009年4月投稿された海道様
 私も終戦1年前に東京で生まれ育った者です。小学校では複々式授業だったとのこと。3部の授業だったのですか。東京では2部学級と言っていました。午後の部の授業の時はとても厭だったのをおもいだします。午前中ひと遊びしてお昼ご飯を食べてから行くのが億劫だった記憶があります。2年生になると2部授業はなくなりました。

投稿: konoha | 2017年2月 1日 (水) 21時11分

継続しての  投稿 お許しください

 りんご さまの

  運不運を幼心にも知りました 
   他人の通った後はわずかの収穫   の言葉

 深いですね   そのとおりですね

 皆が その意味を考え 公平に平等に過ごせる社会

  惻隠の情 を常にもてる心  

   そう なりたいですよね

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年2月 1日 (水) 21時56分

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