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高原列車は行く

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而、唄:岡本敦郎

1 汽車の窓から ハンケチ振れば
  牧場の乙女が 花束投げる
  明るい青空 白樺林
  山越え谷越え はるばると
  ララ…… 高原列車は
  ララ…… 行くよ

2 緑の谷間に 山百合ゆれて
  歌声響くよ 観光バスよ
  君らの泊まりも 温泉(いでゆ)の宿か
  山越え谷越え はるばると
  ララ…… 高原列車は
  ララ…… 行くよ

3 峠を越えれば 夢見るような
  五色の湖 飛び交う小鳥
  汽笛も二人の 幸せ歌う
  山越え谷越え はるばると
  ララ…… 高原列車は
  ララ…… 行くよ

《蛇足》 昭和29年(1954)のヒット曲。福島県の裏磐梯あたりを歌ったものといわれます。

 私が子どものころ、村外れの河原にワラ小屋を建てて、一人で住んでいる女乞食がいました。彼女は中年過ぎでしたが、村人たちは「河原の乙女」と呼んでいました。河原の乙女は、家々を適宜巡回して、食べ物や小銭をもらって暮らしていました。私の母も、握り飯や漬け物などをよく与えていました。

 このころ、ラジオからこの歌が流れてきて「牧場の乙女が……」というところまでくると、頭では違うとわかっていても、いつも河原の乙女の姿が浮かんできて困りました。この歌の爽やかな青春のイメージとほど遠い思い出ですみません。

 昭和30年代後半に高度成長が始まる前まで、少なくとも田舎では、はぐれ者やはずれ者と一般の生活者たちとがうまく共生していたように思います。

(二木紘三)

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コメント

この歌は中学校の教科書で覚えました。歌謡曲だったんですね。
。特に昭和20年代が好きです。気持ちのいいメロディーが多く飽きません。これからもよろしくお願いします。

投稿: masako | 2007年10月28日 (日) 19時31分

このサイトの選曲、音源、解説、コメントみんな良い。
はまってしまうと底なし沼だ。You Tubeにはない魅力
が一杯ありますね。

投稿: 海道 | 2009年5月 3日 (日) 13時27分

この曲は岡本敦郎が伸びのある美声で昔よく歌っていました。詩:丘灯至夫 曲:古関裕而 歌:岡本敦郎のトリオでこの他「憧れの郵便馬車」「自転車旅行」「緑の馬車」「登山電車で」等、乗り物の曲を10曲位発表しています。

ここに記載されている歌詞の中のララララ・・・はラン、ラン、ララーン、ララ、ラン、ラン、ラン、ラン、ラーン、ランではないでしょうか?最後のラララララも全てランです。古関裕而全集にはそう記載されていますし、岡本敦郎もそのように歌っております。

投稿: 歌好 | 2009年9月15日 (火) 17時20分

歌好様
 おっしゃるとおりです。私も岡本敦郎がそのように歌っていたのを思い出しました。

 ただ、ラララとかランラン、ルルル、ダバダバといったスキャットの部分は、歌集では省略して書かれるのが一般的なようです。
 この歌についても、『日本歌謡集』(時雨音羽編、社会思想社)、『新版日本流行歌史(中)』(古茂田信男・島田芳文他編、社会思想社)、『全音歌謡曲大全集(2)』浅野純編、全音楽譜出版社)では、いずれも「ララ……」と省略して表記されています。それに倣って、当ブログでも上記のように変えました。

 この歌に限らず、『四季の歌』『白いギター』『結婚するって本当ですか』など、外国曲では『雪が降る』『悲しき天使』なども、スキャット部分は省略した表記になっています。
 これは、その部分は歌手または歌い手がそれぞれの感覚で表現してくれ、と作詞家が考えていることを示しています。
 『悲しき天使』の原曲『Those were the Days』のスキャット部分は、歌集では「La la la……」としか書かれていませんが、メアリー・ホプキンは「Lai lai la lai la la」とか「La la la lai la la」とか歌うたびに変えています。

 『高原列車……』ですが、「ララ……」の部分は「ランランララーン……」と歌ったほうがよいと岡本敦郎が自身が考えたか、作曲者か編曲者、あるいはレコードプロデューサーがそう歌うように指示したかのどちらかだろうと推測されます。確かに、そう歌ったほうがこの歌の弾むような楽しさが伝わってきますね。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年9月15日 (火) 23時20分

曲もさることながら今日は〔蛇足〕に反応させていただきました。〔牧場の乙女〕で〔河原の乙女〕を連想されたとは!思わずクスクス笑いました。

あの時代は日本の何処の町、村にも〔乞食〕さんが普通に横行していて誰も警戒することもなく小さい施しをしていました。
私の町にも〔合羽〕というあだ名の、顔つきが聖徳太子に似た乞食さんがいて、夏冬同じ合羽を着て仕事のように町を歩いていたのを思い出しました。
この人はある病院に飼われているという噂を聞いて嫌な感じをおぼえたものです。

爽やかな歌から乞食の話題になってしまい申し訳ありません。

投稿: おキヨ | 2009年9月16日 (水) 12時19分

織井茂子の黒百合の歌の中でも「あああ」が「ははは」
あるいは「かかか」と歌っているように聞こえるのですが一流の正統派歌手なら許されたのでしょうか。

投稿: 海道 | 2009年9月24日 (木) 18時06分

実にハッピーな、不朽の名作ですね!
「牧場の乙女」「五色の湖」「幸せはこぶ汽笛」.....と日本人の原風景がちりばめられており、旅行の楽しさがただただ横溢している感じです。なんといってもこの素朴さが良い!
それはそうと、「五色の湖で至福の時」、「汽笛はふたりの幸せ歌う」というフレーズは小生自身当初は小馬鹿にしてみており「少女趣味丸出し」「単純すぎて幼稚っぽい」と考えていた時期もありました。ただよく考えると、小生自身がはまっている、「愛車ヴィッツ1300Uで時速140-150まで続く二次曲線的加速とエンジンの鼓動に快楽の媚薬を覚え、吸い込まれていく感じ」というのももう一台の所有車=2009年式レクサスIS350のリミッターを解除し、シャシダイ上で時速280-300km/hを記録したいという目論みも全て、「湖の美しさに我を忘れる」少女心理の男の子バージョンと言われれば反論できないのも確かです。そしてネット上のドイツからのお宝?映像として、オペル社の2800cc大型セダン「オペル・インシグニア」で当地サーキットにて時速256km/h平均を記録し、♪シュコーン!フォーン♪~という音と共に閃光のように駆け抜けていく場面に恍惚の境地という自分がいるわけです。
この通り、人間は男子・女子共に根は少年・少女であるということを思い知らせてくれる「高原列車は行く」の歌詞とメロディだと思います。それにしても岡本敦夫さんは今も活動されているというのは心強いですね。やはり日本人の心の故郷を朴訥に歌い上げると心の波長も落ち着き、快感ホルモンが体内一杯に溢れるのではないでしょうか。

投稿: 真鍋清 | 2010年3月 2日 (火) 22時35分

この歌のモデルに成った鉄道は、福島県の川桁駅から出ていた沼尻鉄道(後の磐梯急行電鉄→磐梯急行電鉄不動産→現在の紀州鉄道)だと言われています。

この鉄道は軽便鉄道だったので、この曲を聴きつつ、小さな列車が磐梯の美しい自然の中を走る光景を、思い浮かべています…。

ちなみに前記の通り、この鉄道は沼尻鉄道から磐梯急行電鉄と名を変え、軽便鉄道から観光鉄道へと脱皮をしようとしていたのですが、赤字続きで苦しい経営だったため、その夢も儚く廃止に成ってしまいました…。

投稿: 銀座線01系 | 2012年1月13日 (金) 22時13分

丘灯至夫氏も古関裕而氏も、共に福島出身ですので「高原列車…」のモチーフは裏磐梯、五色沼辺りなのでしょうが、私にとってはこの歌の舞台は、八ヶ岳の麓を走る「「小海線」です。清里、野辺山には「アン・ノン族」がまだチラホラで、白樺の林の中を縫うように走って行く高原列車の乗り心地はとても素晴しいものでした。2両編成のディーゼルでした。昭和47年頃の「日帰りスケッチ」。翌年、美濃戸口→硫黄岳→横岳→赤岳登山に挑戦。赤岳泊りを変更して真行寺尾根を下山。八ヶ岳は麓が広大です。迷子になってしまいました。夏とは言え、よく遭難しなかったなぁ、単独行はもうやめよう、と反省しきりでした。 永遠の愛唱歌ですね。

投稿: かせい | 2012年6月16日 (土) 00時53分

  汽車の窓からハンケチ振れば
  牧場の乙女が花束投げる
の歌詞ですが、どうしても解しかねますので、どなたか、教えてください。

走る汽車からハンケチを振る人に、牧場の乙女は、窓から花束を投げ入れたのでしょうか。
そのためには、あらかじめ、線路沿いか、駅に待ちかまえていなければ無理ですね。
なにかキャンペーンガールみたいで、興ざめします。それに疾走する汽車に物を投げ入れるのは危険です。
あるいは投げキッスのように、花束を投げたフリをしたのでしょうか。それなら歌詞も、花束を振る、くらいでよいのではないでしょうか。

これは知人の長年の疑問でしたが、聞いた私も、いくら考えても釈然としないので、投稿しました。

投稿: 屋形船 | 2013年4月29日 (月) 20時55分

屋形船様
失礼ながら笑ってしまいました。走る列車の窓から花束を投げ入れるなんて乙女の力では無理ですね。乙女は手を振る人に牧場で摘んだ花を投げただけなのです。ゆっくり走る列車の窓から持っているハンカチを振った人に返礼の意味で花束を投げたのです。牧歌的な雰囲気が伝わりませんか。昔は汽車の窓から見える人に手を振る子供は珍しくありませんでした。昭和26年ごろ「緑の果てに手を振る天使」という映画がありました。母と観た最後の映画でした。毎日汽車に手を振っていた女の子の話でした。覚えておられる方いらっしゃいませんか。汽車もゆっくり走っていましたが、人間も優しかったですね。

投稿: ハコベの花 | 2013年4月29日 (月) 23時25分

ハコベの花様
コメントを読ませていただき、私も身をよじらせて笑ってしまいました、自分のうかつさにです。
まちがいの原因1、花束を、今風のラッピングされてリボンのついた花束と思ったのです。その花束を(あらかじめ準備して)持っているなんて、おかしいじゃないかと思ったのです。また花をつむ習慣など忘れていました。
原因2、汽車で手を振る人と野外の人との心のつながり、ちょっとした遊び心など想像の他でした。投げキッスに応じるような対応で、こちらもかえすわけですね。

おっしゃるように、牧歌的な雰囲気がわからなかったのが誤解の出発であり、帰結であります。気持ちは、とほほ、ですが、疑問は解けて、今夜はゆっくり眠れそうです。的確なお答え、ありがとうございました。


投稿: 屋形船 | 2013年4月30日 (火) 00時12分

私は、この歌の舞台は小海線であるとずっと思い込んでおりました。今でも小海線に乗ると、ごく自然に口ずさんでしまいます。

投稿: 川口雄二 | 2014年5月21日 (水) 23時59分

 屋形船さん。おもしろい発想でしたね。この歌を聞いたとき思い出したことがあります。小学校5,6年のころ流行ったのでしょうか。同じ県内の温泉宿に行ったとき、そこの若いお兄さんが「この歌はおかしいね。」と僕に話したことを思い出したのです。何となく聞いていたので詳しいことは忘れましたが、貴殿のおっしゃっておられたことのようでした。たしか板前さんだったような気がします。その方がおられたら、氷解するところでした。

投稿: 今でも青春 | 2014年8月21日 (木) 17時52分

かつて蒸気機関車で運転していた当時の小海線では、猛烈な上り勾配のため、15km/hくらいしか速度が出なかったようです。客車には冷房もないため夏は窓が開け放ってあったので、あるいは乙女が花束を投げ入れることも可能だったかも知れません。

投稿: 川口雄二 | 2014年8月21日 (木) 20時25分

 やあ、どうも、お恥ずかしい。
聞くは一時の恥とかいいますが、コメントとして残っていますから、そうはいきません・・(笑)
<乙女が、摘んだ花を空中に放り投げる情景>が、どうしても思い浮かばなかったのです。
乙女チックというか、ロマンチックな情景が・・。
 よくよく考えたら、その時代の空気が読めなかったという気もします。
この歌が世に出た時、私は5歳でした。
ずっと後になって、口ずさんでみても、無理があったように思います。
 歌は世につれ、世は歌につれといいますが、歌が流行ったその時代の人にしかわからない情操というか、心というか、そういうものはあるとおもいます。

投稿: 屋形船 | 2014年8月21日 (木) 22時02分

皆さんは乙女って何歳ぐらいの人を想像していますか。私はおそらく小学校の高学年ぐらいの少女ではないかと思います。野原で花摘みをしているのですからまだ幼いと思います。花も野花ですから、花屋で売っているような花ではなくクローバーや紫カタバミやタンポポなどの地味なものではないでしょうか。15キロで走っている汽車の窓まで届きません。空に散らばってしまいます。そういう風情を今では見ることがなくなりましたね。昔は列車の窓から見える人に子供たちは手を振っていましたよ。素朴で楽しい汽車の旅をしてみたくなりました。

投稿: ハコベの花 | 2014年8月21日 (木) 23時25分

ハコベの花様、先日、交差点で信号待ちをしていましたら、隣で5才くらいの女の子が小さな声で歌っていました。そして歌に合わせて、両手を前に出したり、広げたり、振りつけもしていました。何を歌ってるんだろうと耳を澄ませましたら、いま評判の”アナと雪の女王”でした。「上手ね~」と声をかけましたら、口を尖らして「英語も歌えるのよ」と嬉しそうに応えてくれました。女の子はお母さんと一緒なのでこんな得体の知れない爺さんがそれ以上会話するのもはばかられ、交差点を渡り、離れて歩いていましたら、背中の後ろから追いかけて、もう一度、「英語も歌えるのよ」の声が・・。この年頃の女の子はくったくなく可愛らしいですね。そこで、この歌(高原列車は行く)の乙女は、5才~7才くらいではないかと思いました。アルプスの少女ハイジのようなイメージが浮かびます。きっと摘んだ花を投げキッスのように空に投げ放つのではないでしょうか。8才から10才ですと私にはアルプスの少女のクララとかピーターパンのウエンディ等がイメージされます。この年齢ではもう少しおしとやかになって幼いながらもちょっぴりお母さんとか女性らしい恋人の雰囲気を醸し出す女の子です。列車から手を振る見知らぬ人に花束を投げるようなくったくのなさはもう無いのでは、と思いました。11才から13才になりますと、もう思春期です。花束を渡したくなるような相手もより狭まって、この歌の乙女には相応しくないかもしれない、と思いました。

投稿: yoko | 2014年8月24日 (日) 22時05分

景色を想像するととても楽しい歌になりますね。少女は年齢区分で言うと4歳から16歳だそうです。人それぞれの感覚がありますから自分の好きな可憐な少女でよいのでしょうね。ただ牧場に咲いている花がよくわかりません。ご存知の方、お教え下されば嬉しいのですが・・・

投稿: ハコベの花 | 2014年8月25日 (月) 15時12分

ハコベの花様
私も屋形船さんの様な疑問をずっと思って居ました。ハコベの花様のお答えで良く解りました、有難うございました。
[月がとっても青いから] の投稿で
[ 教養とは言葉の裏に多くの意味があることを知っていることなのですね]と書かれているのを見てなんと知性に溢れるている方だろうと感服の至りです。

投稿: 君恋し | 2014年11月28日 (金) 14時21分

君恋し様 私は教養がないのでよく恥を搔きます。このプログで皆様からの色々な知識を吸収して恥を搔かないように楽しみながら努力しようと思っています。高校3年の時、国語の先生が黒板に「似非」と書き「読める人」と訊ねました。読めませんでした。それが頭にこびりついていて離れません。失言も多く、消え入りたいこともあります。恥を搔いていることすらわからないこともあります。幾つになっても覚える事は楽しいことです。お互いに頑張って教養人に近づいていきましょう。この歌の様な爽やかな心の大人になりたいですね。

投稿: ハコベの花 | 2014年11月28日 (金) 20時23分

ハコベの花様

早速の謙虚なお返事頂き 恐縮至極でございます。二木紘三のうた物語へ投稿されておられる方々は、皆さん物知りで文章もうまく私など足下にも及びません。自己紹介をさせて下さい、来年傘寿を迎える女性です。
毎週水曜日 近のデーサービスに通っています。来月のクリスマスに[高原列車は行く]をみんなで踊ります。本当のメインはカラオケです。みんなで合唱です。曲目は青い山脈・・・雪山賛歌・・・南国土佐を後にして・・・星影ノワルツ等10曲ぐらいです。伴奏は私が大正琴で、応援にハーモニカの方が半分位吹いてくれます。こんな年寄りの話を聞いて下さってありがとうございました。もしよろしければ、又お付き合いください。

投稿: 君恋し | 2014年11月28日 (金) 23時23分

高原列車は行く

何回聞いても乗りの良い曲ですね、今日は水曜日なので張り切りてデイ

サービスに行きました。リーダーのMさん振り付けがむずかしいので、

簡単のに替えて教えてくれました。めいめいハンカチを手に持ち最初

左右に振り次両手を右斜め前に出し次左斜め前前次にまっすぐ前に出しす

この繰り返しとの説明だったのですが、どんな風だったのかは、私は 下を

向いて演奏していたのでわかりません。まだみんなの踊りを見る余裕が、

ありません。でも皆さん満足していたようです。そのあと作業療法士さん

Yさんに( 二木鉱三のうた物語)のブログを見るように勧めました。Yさんは

まだ30代始めなので昔のうたには、興味ないかもしれませんが、、良い曲

ばかりで、きっとファンになるとおもいます。つくずく パソコン習っとい

て良かったと思う此の頃です。二木鉱三さん有り難う。

投稿: 君恋し | 2014年12月 3日 (水) 23時37分

曲への投稿は初めてですが、先日河原の乙女のお話を自身の歌謡ライブでお披露目をしてよろしいかという問い合わせを致したものです。歌謡ライブは和気あいあいのうちに終了し、乙女のお話もこのサイトのご紹介もさせて頂きました。トークがよかったと言われ先生のおかげ様、とお礼の投稿です。有難うございました。この時代の歌謡曲が好きです。歌詞に品があり各歌い手さんの歌声も素晴らしいと思います。私はギターソロを弾きながら歌い、また歌って頂く活動をしています。このサイトを楽しませて頂いております。今後ともよろしくお願いします。有難うございました。

投稿: キムコ | 2016年7月25日 (月) 21時48分

「明るい青空 白樺林……」。              この高原の爽やかさが、列車の若者にハンケチを振らせ、牧場の乙女に花束を放らせるのでしょうね。 私の頭の中では、「牧場の乙女」は15・16歳で髪はお下げ、デニムのサロペット、牧場で働く地元の少女です。
色んな空想の世界へ誘い込んでくれる歌は素晴しいですね。
 私は港のある町で育ちましたが、用もないのによく定期船の出港を見に行きました。船が岸壁から50m程離れるとデッキにいる見知らぬ人に手を振りました。そうすると、必ず手を振り返してくれました。 そういう優しい時代が確かにありましたね。 現在はジェットフォイルでビューッと出港してしまいます。

投稿: かせい | 2016年7月26日 (火) 00時44分

この歌が、かつて会津磐梯山の麓を走っていた、沼尻軽便鉄道が舞台であることを知っていたら、一度は乗って見たかったな、と今でも残念に思っています。
 わたしは大学が仙台でしたから、帰省の折に、よく磐越西線を利用していました。この軽便鉄道の起点である川桁駅に列車が停まると、ちょっと離れたホームに、可愛い「沼尻行」の車両が見えました。この歌では「汽車の窓からハンケチ振れば」のフレーズが出てきますから、まだSLの時代だったのでしょうか。2番には「歌声響くよ観光バスよ」とありますから、そろそろ「観光バス」が軽便鉄道にとって代わる頃なのかもしれません。表面的には、明るい牧歌的雰囲気のただよう、そしてちょっぴりロマンの香りもする愛唱歌ですが、この舞台(沼尻軽便鉄道)の内実は、歌のような牧歌的な雰囲気ではなかったのです。
 この路線は、大正初期に、沼尻鉱山の硫黄採掘のために敷設されたのですが、戦後、安価な硫黄が出回ると太刀打ちできません。鉱山は閉鎖され、経営の主力財源は観光客の収入に移ります。しかし、それも観光バスや乗用車に押されて苦しくなります。そういう危機的状況の最中、この会社の株を買い占め、裏磐梯に「東洋一の大レジャーセンター」を建設するという大風呂敷を広げて、会社経営に乗り出した実業家がいました。会社名も「磐梯急行電鉄」と改称されましたが、社外の人からは「急行列車も電車もない”急行電鉄”」と皮肉られました。「大風呂敷」を広げた会社は、資金繰りの目途もたたないまま、倒産しました(昭和43年)。しかし、従業員や沿線住民にはまったく知らされませんでしたから、地元では「計画倒産」と言われています。スキャンダルとしてマスコミを賑わしたのは、この頃です。昭和44年3月、半世紀以上にわたって日本の経済を支え、地元民や観光客の足として愛された「沼尻軽便鉄道」は、その生命を終えました。
 わたしが、初めて廃線の事実を知ったのは、昭和46年に沼尻スキー場に行く機会があった時でした。歌の余韻に浸っていたファンのみなさんの気分を害してしまったようです。お許しください。

投稿: ひろし | 2016年7月26日 (火) 16時22分

私は、てっきりこの高原は八ヶ岳山麓を走る小海線だとばっかり思い込んでいましたので、会津磐梯山麓の沼尻軽便鉄道だとは知りませんでした。
でも、かせい様や川口雄二様も、この歌の背景が八ヶ岳山麓をのんびりと走る小海線の高原列車そのものと感じられておられるように、私の中でも同じです。
甲斐大泉~清里~野辺山~辺りは、まさにぴったりの風景で、20年くらい前までは年に2~3回は信州通いをしてましたが(のべ20回位)この高原列車に乗ったのは3年前の同窓会を友人のペンションでやった時が初めてで、列車の旅も素敵だな~と改めて感じました。
但し、海道様のコメント(高原の旅愁:2009.2:23日)にあるように、“よく他人に信州はいいところですね、といわれます。冬の信州を知らないから。”
私も殆ど車でしたから、冬はさすがに知りません。

投稿: あこがれ | 2017年3月 9日 (木) 17時14分

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