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雪の降る街を

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:内村直也、作曲:中田喜直、唄:高 英男

1 雪の降る街を 雪の降る街を
  想い出だけが通りすぎてゆく
  雪の降る街を
  遠い国から落ちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日かつつまん
  温かき幸せのほほえみ

2 雪の降る街を 雪の降る街を
  足音だけが追いかけてゆく
  雪の降る街を
  ひとり心に充(み)ちてくる
  この哀しみを この哀しみを
  いつの日かほぐさん
  緑なす春の日のそよ風

3 雪の降る街を 雪の降る街を
  息吹(いぶき)とともにこみあげてくる
  雪の降る街を
  誰もわからぬわが心
  このむなしさを このむなしさを
  いつの日か祈らん
  新しき光降る鐘の音(ね)

 《蛇足》 昭和24年(1949)から昭和27年(1952)まで3年間放送されたNHKラジオ連続放送劇『えり子とともに』の挿入歌。

 ただし、この歌が入ったのは昭和26年(1951)12月26日です。このときの放送台本が短すぎて、時間が余ってしまうため、脚本家の内村直也が急遽1番だけ作詞し、中田喜直が曲をつけ、南美江が歌ったのです。
 この歌が好評だったので、2番と3番を追加し、昭和28年
(1953)2月2日からNHKラジオ歌謡として、フランス帰りのシャンソン歌手・高英男が歌いました。長い間、冬の定番曲でした。

 私は、長野県の松本で高校生活を送りました。高校時代は、よく映画を見ました。授業をさぼって見にいくこともあれば、下校後、街を少しばかりさまよったあと見ることもありました。

 高校2年の1月(昭和35年)のある日、帰宅前に街を歩いているうちに、急に映画が見たくなって、ある映画館に入りました。そのころ、映画は3本立て上映が普通でしたから、最終回が終わると、夜9時くらいになっていました。

 最終回を見終わって外に出ると、入るときには降っていなかった雪が降りしきっていました。
 人通りの絶えた道を駅に向かって歩いていると、3、40メートル先の横町から、私と同年輩かと思われる少女が出てきて、十字路の街灯の下に数秒間たたずんだのち、その先の横町に消えていきました。
 街灯の下を通ったとき、私は、オレンジか何か柑橘系の匂いが漂っているように感じました。匂いは、しばらく私についてきたあと、消えました。そこから駅まで歩く私の頭の中で響き続けていたのが、『雪の降る街を』でした。

 少女を見た場所は、上土町(あげつちまち)から縄手(なわて)通りに出るどこかだったと思います。映画館がいくつか、かたまってあったのは、そのあたりでしたから。

 上の絵は2012年の年賀状用にPhotoshopで描いたものです。

(二木紘三)

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コメント

前身の「midi歌声喫茶」時代からのファンです。
降りしきる雪の中での少女との一瞬のすれ違いが、一幅の絵画のように目の前に浮かびあがります。
わが街に雪が降るたびに、この光景が浮かんできます。私の経験ではないのに。

投稿: 札幌育ち | 2009年3月12日 (木) 02時33分

この感覚のみずみずしさは、どうしたって十代後半のものです。失礼ながら、お年が七十近い方とわかってビックリいたしました。

投稿: kawamoto | 2009年6月15日 (月) 22時41分

先生は1学年上ではなく2学年上でしたね。私も松本に
下宿していて、縄手通りはよく歩きました。但し残念ながら女性の匂いはいつも有りませんでした。「美ヶ原賛歌」と言う歌をこのサイトで教えて戴き練習中です。

投稿: 街道 | 2009年6月16日 (火) 06時49分

17歳の高校生です。親や学校で教わったいくつか以外は知らない歌ばかりなので、蛇足を読んでいます。とてもおもしろいです。映画が好きで好きで、よく授業をさぼって近くのシネマコンプレックスに行っています。
 映画を見ているときは夢中ですが、終わって外に出ると、こんな所を親が見たらどう思うかと苦しいし、自分は引きこもりみたいなものになるかもしれない、と辛かったです。でも、先生が授業をさぼって映画に行ったり、野山を歩いたりしていたと書いてあるのを見て、そういう人でも、こんなにいろいろなことができるようになるんだと、ずいぶん気が楽になりました。
 でもこれからはあまりさぼらないようにしようと思います。

投稿: アッキー | 2009年7月 8日 (水) 18時53分

アッキー様 
 おじさん、おばさん(いやおじいさん、おばあさんかな)の歌仲間によくぞ入ってくれました。あなたが高校生と知って最初は驚きましたが、どなたかが言っていましたが、このサイトは今や‘国民的’人気を得ていますから(アクセス数を見てご覧なさい!)、高校生はもちろん、小・中学生がアクセスしても驚くことはないのかも知れませんね。
 ところで、あなたは大切な授業をサボって、よく映画館通いをしているとか。誰でも自分が望まない状況下にあるとき、そこから逃げ出したい、脱出したいという願望があるものです。まして青春真っ只中の高校生では、つまらない授業など受けたくないという、その思いは一層強いでしょう。あなたの心情は理解できます。しかし、行為にはすべて結果が伴います。その結果を甘んじて受ける覚悟があるなら、今の行為を続けてもいいでしょう。ただ、今のあなたは縛られた不自由な生活から、ただちょっとだけ自由を求めて緊急避難をしているように見えます。「これからはあまりさぼらないようにしようと思います」という、あなたのコメントからそれは伺え、わたしもホッとしています。これから、あなたの周辺に面白くないことが起こったら、このブログにコメントしてください。二木様をはじめ、それこそ人生の大先輩が多数あなたを応援し、叱咤激励してくれると思いますよ。お説教調になってごめんなさい。

投稿: ひろし | 2009年7月12日 (日) 17時08分

アッキーくんへ
元高校教師の立場からは授業をサボってよいとはいえませんが、親の気持ちを気にかけているような人は、まず心配いりませんよ。
二木先生も教室より街や野に青春を見出した方のようで、そういう青春の姿もありかと思います。私の学生時代(1970年代)にはやった寺山修司の「書を捨てよ、街に出よう」をちょっと思い出しました。

投稿: Kawamoto | 2009年7月12日 (日) 18時59分

ひろし様/Kawamoto様
ありがとうございました。ぼくはだいじょうぶです。
少しオーバーにいいすぎてご心配かけました。
そろそろ受験勉強に没頭します。

投稿: アッキー | 2009年7月14日 (火) 23時46分

アッキー様
 よくぞ言ってくれました。わたしの心配も少々オーバーでしたね。あなたのコメントから心配しなくても大丈夫だとは思いましたが。
 これから受験勉強に拍車をかける訳ですね。多分、あなたは来年大学受験をするんでしょうから、競馬に例えると、第4コーナーに差し掛かる頃ですね。これからが勝負です。この夏休みの過ごし方で結果が分かれますよ。頑張ってください。志望校合格を祈っています。
 受験勉強に疲れたら、ときどきこのサイトを覗いてくださいね。受験に必要な知識は得られないでしょうが、これからの人生を生きて行く上でのヒントやアドバイスは、数々の歌やコメントから得られると思います。

投稿: ひろし | 2009年7月15日 (水) 17時03分

昨年の夏、授業をサボって映画ばかり見ていると書いたアッキーです。ご心配かけましたが、東大文3になんとか滑り込むことができました。これも二木先生の「蛇足」で「Take it,easy!」をいただいたおかげと思っています。将来は映像関係の仕事をしたいと思っていますが、どうなりますか。
このサイトで自然に覚えた歌を友達に歌って聴かせて「昭和20年代の歌だ」というと、「お前はシーラカンスか」と言われています。

投稿: アッキー | 2010年3月12日 (金) 21時51分

わたしは新潟の高田平野のド真ん中に生まれ、一時期を除いて少年期、青年期をこの地で過ごしました。今は温暖化の影響でしょうか、降雪量がぐんと減ったようですが、わたしのこどもの頃は2~3mの積雪は普通でした。12月頃から根雪になると、雪国に住む人々はそれを宿命と諦め、春の雪解けが来るまでじっと耐え忍ぶ生活を余儀なくされていました。近年は小雪のせいもあるのでしょうが、冬季の生活は快適とは言えないまでも、大分楽になったようです。
 この歌が流行り出したのは、わたしが高校生の頃でした。生真面目で少々片意地をはっていたわたしは、当初この歌に反発を覚えたものです。多分、この作詞家は雪国の生活の厳しさを知らないんだろう。だから、こんなロマンチックな、甘い詩が書けるんだ。何が「温かき幸せのほほえみ」だよ、と。内村直也氏が新潟出身だと知ったのは、ずっと後のことです。今では、わたしも老境に入ったせいか、好々爺になったせいか、こういう歌もありかと、突っ張っていた頃を懐かしく思い出しています。
 
アッキー様
 やりましたね。東京のサクラが咲く前に、一足早く「サクラサク」になりましたね。東大合格おめでとうございます。去年、このブログで愚痴をこぼしていた頃が心理的には最低の状態だったのかな。でも、それからのあなたは心機一転、受験勉強に猛進して栄冠を獲得したのだから、このサイトも意味があったんだろうね。これからもこのサイトに寄り道をしてくださいね。お友達に「シーラカンス」と言われようともね。

投稿: ひろし | 2010年3月16日 (火) 00時00分

どうでもいいことかもしれませんが、タイトルの「まち」は、最初、街ではなく、町ではなかったのかな。「街」と「町」を、私はうまく使い分けられませんがw

投稿: nemukin | 2012年1月 1日 (日) 18時27分

やはりこれは街灯の灯る街ではないかと思います。街は商店などが並ぶ賑やかな所、町は一区画を区切る呼び名ではないでしょうか。50数年前、恋した美しい青年の進路が全く私の想定外の所でしたので、哀しみと虚しさと怒りをぶつけた事があります。青い街灯の光に粉雪が舞い彼の顔も怒っていました。商店の並んだ大通りの舗道を歩くと今でも高校3年生の時の哀しみが胸を過ぎります。彼は防衛省で偉くなったと聞きました。まだ一緒に歩いた時の夢をみます。たったの300メートルでしたけれど・・・私は街が好きです。

投稿: ハコベの花 | 2012年1月 1日 (日) 23時24分

町と街の違い、Numukinさん仰るように私にも不明。単なる家並び/家の集まる場所を町として、小説や話に仕立てられる/情緒あるのを街とする個人的勝手な使い分けをしております。これですと、遠い昔に二木さんが少女をご覧になられた場所は街にふさわしい。ですからお話も、真の味わいが迫って感じられます。

小さな区画を町と言うのは都市部の"町名"で納得です。偶然HNと同じTango町と言う行政区があります。○○郡○○町アザ○○の場合の町ですね。こうした町はかなり広域だと思われます。都市部の町が田舎に適用された結果の不整合なのでしょうか?

ハコベの花さんの哀しみにつられ… 40年ほど前、雪の降る松本に三度降り立ちました。いずれもスキーの帰りで、三度目の松本は白馬で知り合った女性と粋なレストランに。厚いレバーステーキを彼女が薦めてくれたのを覚えています。紬の街・結城から八方の上までこられるスキー達者な素敵な女性でした。なぜ、それきりになったのでしょう? 今も元気な彼女がどこかに… 雪の降る街の淡い思い出。

投稿: TangoMInato | 2012年1月 2日 (月) 07時19分

半世紀以上もたつのに、街灯と少女に雪の降る絵を見ていたら何故かロマンティックな感傷が胸にあふれて涙がこぼれました。彼は兄の友人でしたので、喧嘩の後も大学が休みになると我が家に遊びにきました。思想的には合わない人でしたが、じっと見つめられると身のすくむ思いがしました。純粋で真っ直ぐだった17歳の私がこの絵の中にいる様な気がします。二木様、思い出の絵有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2012年1月 2日 (月) 23時42分

 二木先生の辰年の年賀状のメルヘンチックでしかもレッド・フィールドの『クリスマスの朝』を彷彿とさせるような絵に、遠い日を思い出して微笑んでいるのは私だけではないかと思います。
先生や皆さんは美しい影絵のような少女が思い出されるようですが、食堂も喫茶店も理髪店もない山陰の山奥での冬は暗いものでした。
 しかし、この歌がラジオから流れていた中学生の頃ある雑誌で知り合った静岡県駿東郡湯川の同学年のK.Wさん(女性)と文通が始まり高校時代に1度だけ写真を交換したのみ、以後は年賀状と暑中見舞いハガキで現在はお中元・お歳暮は受け取ったほうが電話して2~3分の会話だけの交際(?)、まだ1度も会っていないので夫婦共々で会いましょうと言っているうちに現在に至っています。
 皆さん、このような交際もアリですね。

投稿: 尾谷光紀 | 2012年1月 3日 (火) 16時04分

50年も前の思い出です。曇り空で底冷えのする、風花の舞う日になるといつも思い出す。中学校の教室は寒く、風花の舞う窓の外を「雪じゃ。積もったらええのになあ」などと思いながらながめていた。理科の授業だった。そんな教室の生徒の空気を見て先生は、ぱっと授業をやめた。怒られるのかなと、一瞬緊張したが「よし歌を歌ってあげる」と言って「雪の降る町を」を歌ってくれた。背が高くハンサムだった先生は、伴奏などなかったが教室に響くような声で歌って下さった。
理科の先生とともに必ずもう一人、音楽の、女の先生のことが浮かんでくる。授業中に英語の単語カ-ドで“内職”をしていたのがいた。それを見つけた先生は、「そんなに英語がしたければ教えてあげる」と毅然として言った。五線譜の黒板にささっと英語で歌を書いて教えて下さった。それは初めて英語で歌う「ジングルベル」だった。先生の迫力と機転に圧倒された。その歌は今も歌える。
恩師の目に私達生徒はどのように映っていたのだろうか。教育者の使命と誇りの中に教育の根幹となる師弟のぬくもり、すべてを包み込む大きな大きな慈愛があったに違いない。「歌謡曲」「英語の歌」。大人になりかけた青臭さの残る中学生の私達に残してくれた感動はいつまでも新鮮で消えない。そんな先生に巡り会い、本当に幸せだったと感謝している。思い出すたび胸が熱くなります。

投稿: 遠木 道程 | 2012年1月29日 (日) 00時04分

寒波襲来ですね。寒い日の夕方はこの歌が口をついてでてきます。この歌は1番は幸せのほほえみ、2番3番は哀しみとむなしさ、矛盾しているようですが、なぜかすんなりと理解できます。甘やかな哀しみ、初恋の感覚でしょうか。心に満ちてくる春の日の優しさ、遠いあの日のロマンティックな哀しみに浸ることができます。17歳のほっそりした私が懐かしい・・・ああ 無情!

投稿: ハコベの花 | 2012年12月11日 (火) 23時14分

 内村直也と雪の降る街―――実業家の御曹司として東京に生まれ、小学校から大学まで16年間、青山通りを経て学校の在る三田まで徒歩通学をしたと伺いました。大正時代のことですから、今よりは積雪も多かったでしょうが、鈴木牧之の「北越雪譜」に描かれた世界では有り得ないロマンチックな雪道の描写ですね。「雪の降る街を通り過ぎて行く想い出」失恋か片思いの想い出でしょうか、直也40歳頃の作詞ですから、甘い懐旧の情が雪の上に漂っているように受け取れます。

投稿: 槃特の呟き | 2012年12月12日 (水) 23時07分

[えり子とともに」の うた がどうして世の中に懐かしくでてこないのかと、、思っていますので 「雪の降る街」を懐かしくうれしく拝見しました 中学生のころラジオで毎週?たのしみに イメージをひろげ聴きました あのイントロのメロデイーが心に残っています
歌詞がないので 世に想い出されないのでしょうか
             北島 ひろ子    

投稿: 北島 洋子 | 2014年5月23日 (金) 00時01分

また12月の28日が巡ってきます。その人から電話が掛かってきた時、家族と夕ご飯を食べて居ました。ご飯を食べかけで、急いで仕立ておろしのツイードのコートを羽織り外に飛び出し電車の駅に行きました。その人が待っていました。「歩きましょう」と言われましたが何を話していいのかわかりませんでした。防衛大に進学した彼を非難した小説を書いて、彼に読ませた後でした。17歳の私は21歳の彼を不愉快にしたことだけはわかりました。10分ほど歩いて別れ、私は家に帰りました。家人は誰も何にも言いませんでした。寒い夜でした。あれからもうす60年になります。思い出を捨てるには彼は美し過ぎました。あの歩道には今夜も青い街灯が灯り私たちの影が歩いているように思います。淡い悲しみが空から降っています。

投稿: ハコベの花 | 2016年12月25日 (日) 23時03分

ハコベの花さん

17歳と言えば高校2年生ですか
高校生で小説を書かれるハコベの花さんって素晴らしいです。私の高校の同級生にも高校2年で小説を書き、同級生のみんなから尊敬されていました。
美しい思い出を60年間も秘めていらっしゃるお話素敵だと思います。その時「家人は私に何も言わない」のはご家族の方が察知されていた気がします。
21歳と言えば防衛大学の上級生の方でしょう。年下の下級生の恋の悩みの相談に乗っている頼りがいのある方だったかもしれませんね。ハコベの花さんの気持ちを優しく掴める爽やかな青年だったかもしれませんね。

12月28日、冬休みが始まってすぐ帰省し、真っ先にハコベの花さんにお会いされたのでしょうか。たくさんお話をする機会があったらお互いの気持ちがわかり合えるような気もします。その防衛大学生も今は 人生の成熟期をすごされていらっしゃるでしょう。
お二人に雪の降りつもった街で 「温かき幸せのほほえみ」が訪れることを祈っています。

投稿: けん | 2016年12月26日 (月) 16時00分

けん様 優しいお言葉ありがとうございます。私も何回か恋をしましたが、こんな強烈な印象を残してくれた人はありませんでした。彼が防大に入った年の夏休みにまっすぐ白い制服姿のまま我が家にやってきた時は本当に驚きました。その頃、60年安保の初め頃で私もあの運動の仲間に入りたいと思っていましたからちょっと思想的に合わない人だとは思っていました。ですから私は思い出だけで充分だと思っていました。でも恋心とは複雑でぱっと断ち切れるものではないのですね。歩いた歩道を見るたびに元気をもらい、まっすぐだった青春の入り口に返ることができます。彼に出会って良かったと思っています。人との出会いには無駄なものはないのですね。ここで出会う人達にもどれほどの恩恵を受けている事かと思います。今年も良い年でした。

投稿: ハコベの花 | 2016年12月26日 (月) 21時41分

2016年12月のハコベ様
 「真っ白な制服姿の防衛大の彼・・・」のコメントで蘇ってきたものがあります。少し時代が下がりますが、私も17歳のときに同じ思いをしました。56年前、同じ高校の一年先輩バスケット部員で防衛大に行った彼です。背が高く、いまでいうイケメンで女子生徒たちにもてていました。私もその一人で、友達からもらった「出雲大社の縁結びの赤い糸」をセーラー服の上着の目立たない場所に5センチほど縫い付けていました。
 夏休みのある日、地元の商店街でばったり彼と出会い、まさか同じ地元に住んでいるとは思いもしませんでしたので、とてもびっくりしました。

 それからお付き合いがはじまりました。彼はパイロットになりたくて防衛大に入学しました。その頃の私は文学部に入っていて、部員の一人がプロレタリア文学を好んで小林多喜二を取り上げたり、また関連の集まりにも部員を誘ったりしていました。その時代は60年安保があり、都立大付属高校に入学したS君からデモの話を聞いたりしている時に、樺美智子さんが犠牲になったニュースが流れてきました。また社会党の浅沼委員長が壇上で刺されて亡くなる事件もありました。
 いつの間にか私の中に反体制、反権力が芽生え始めていました。ですから彼が防衛大に入学したのには少なからずショックを受けました。優しい人柄の彼が「どうして?」と強く思いましたが、家庭の事情で防衛大を選んだそうです。
 
 防衛大に入ってからも文通は続きました。夏休みには横須賀の防衛大の広い敷地内を案内してくれ、秋の体育祭にも呼んでくれました。その中に「匍匐前進」の競技がありました。防衛大だったら当たり前のことかも知れませんが、私は「なんで今時匍匐前進なの?」と強く思ってしまいました。
 それから私の中で少しずつ気持ちが、彼にというより「防衛大」というものに離れていきました。私が留守のとき彼から電話があり、電話をかけてほしいとの言付けを聞きましたが、しませんでした。またまた私が留守のときに再度電話があり、「奈良へいくので電話ほしい」との伝言がありました。でもしませんでした。このまま彼と交際を続けていくと、自分自身を押さえ込んでいくような気がしたからです。彼とはそれっきりになりました。
 
 テレビで横須賀の映像を観たり、防衛大の名を聞いたりすると懐かしさとともに、あの真っ白な制服が似合う彼を甘酸っぱく思い出します。そして彼のモットーである「為せば成る、為さねば成らぬな何事も」を折にふれ新しくして私の机の前に貼っています。
 

投稿: konoha | 2017年2月10日 (金) 12時33分

konoha様、思い出は沢山あったほうが老後が豊かに暮らせますね。思い出すと甘酸っぱい花の香りに心が満ちてきます。悲しい時も思い出が癒してくれます。少女だった日々が何と美しかったことか。私は子供ながら戦争の悲惨を知っています。父母の苦労、父親が戦死した知り合いの家庭、それを思うとこの70年戦争がなかったことは何と幸せだったことか。恋した人も81歳、まだお元気で活躍されて居られるようです。偶然にパソコンの中で彼の今の写真を見ることが出来ました。本当に偶然でした。まだ昔と変わらず美しくて嬉しかったです。青春万歳と友人がメールをくれました。青春は素敵です!あの世に逝くまで心は青春です。

投稿: ハコベの花 | 2017年2月10日 (金) 15時18分

この歌は小学校六年生の時、学芸会の練習で遅くなった帰りの大雪の日にラジオから流れてきたこの歌を聞いていい歌だなと今も思い続けています。
コメントに初恋のひとがたまたま防衛大生であり離れていったお二人の思い出がありますが、安保騒動にも関係がありそうです。
私は早稲田の一年生の時、六月十五日の女子大生が亡くなったその日に国会前のデモに参加していました。あのデモに参加して、学生が長い竹竿を持ったり、小石を拾いながら警官隊に向かっていく様を見て、これが学生のやることかと疑問に思い途中で抜けて帰宅しました。楽しそうに運動会でもやっているように思えました。
後日学校で安保のクラス討論があり、挙手をして皆さんデモに参加しているがこの条約を読んだものがいるか質問したら誰もいませんでした。私はざっと読んだ程度でしたが、良い方向ではないかと考えました。
それ以来安保騒動は左翼思想家、マスコミの焚き付けに多くの学生がだまされていたと思っています。
後年出勤途中で早朝にも関わらず元気に行進してくる若者たちがいて、尋ねたところ防衛大の学生で学校から靖国神社まで行くところだと聞きました。まだ半分程度の所でもあり思わず頑張れよと声をかけました。
以来私は防衛大生が好きになりました。

投稿: 栗さん | 2017年2月10日 (金) 16時53分

美しい歌です。美しい思い出です。雪のひとひらは美しいのです。konoha様大切にしまって置きましょうね。

投稿: ハコベの花 | 2017年2月10日 (金) 20時52分

ハコベの花様、涙が止まりません。

投稿: konoha | 2017年2月10日 (金) 21時22分

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