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リンゴ村から

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:矢野 亮、作曲:林伊佐緒、唄:三橋美智也

1 おぼえているかい 故郷の村を
  便りも途絶えて 幾年(いくとせ)すぎた
  都へ積み出す 真赤なリンゴ
  見るたびつらいよ
  俺らのナ 俺らの胸が

2 おぼえているかい 別れたあの夜
  泣き泣き走った 小雨のホーム
  上りの夜汽車の にじんだ汽笛
  せつなくゆするよ
  俺らのナ 俺らの胸を

3 おぼえているかい 子供の頃に
  二人であそんだ あの山 小川
  昔とちっとも 変わっちゃいない
  帰っておくれよ
  俺らのナ 俺らの胸に


《蛇足》
昭和31年
(1956)5月レコード発売。

 このころ、『早く帰ってコ』『ぼくは泣いちっち』『お月さん今晩は』など、東京へ行ってしまった家族や恋人を思う歌や、『別れの一本杉』『お下げと花と地蔵さんと』『柿の木坂の家』など、故郷に残してきた家族や恋人を東京で偲ぶ歌が続けざまに出ました。

 「リンゴ村」は、私の生まれた信州にも数多くありますが、これはやはり青森のイメージでしょう。青森くらい東京から離れていないと、この歌のムードには合いません。

 ところが、現在では、新幹線で青森・東京間は3時間ほどで結ばれています。その気になれば、すぐ東京に行けるし、東京から帰れる時間です。
 今の子どもたちには、青森・東京間が列車で10数時間もかかった時代は「小暗き古代の話」としか感じられないかもしれませんね。

(二木紘三)

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コメント

三橋美智也さんの曲は春日八郎さんの曲と同様、幼い頃から聴かせて戴いておる訳でございますが、特に三橋さんの♪哀愁列車や♪リンゴ村からは、今の殺伐とした時代を忘れさせてくれます。家の番頭さんが♪夕焼けトンビをよく唄っていたのも、幼かった当時の記憶に残っております。

投稿: 水本爽涼 | 2008年5月25日 (日) 17時31分

11歳で全道民謡大会で優勝したという彼の声はさすがに魅力的でしたね。この曲は、彼のデビュー曲である「女船頭唄」(昭和30年)の翌年リリースされたわけですが、私はこの曲と、翌年出されたアンサーソング的な「リンゴ花咲く故郷へ」が、昔も今も大好きです。この頃が彼の絶頂期でしたね。後年、後妻に「馬乗りになっていじめられるんだ」などとコメントしているのをテレビで見ましたが寂しかったです。

投稿: 吟二 | 2010年1月29日 (金) 20時17分

三橋美智也の代表的なヒット曲。彼にしては比較的低音域で、天性の哀調を帯びた美声で仕上げています。古今東西、誰も真似ることのできない国宝のような存在です。 

投稿: 堺 修介 | 2013年1月 3日 (木) 22時21分

私は幼稚園の頃まで、「リンゴ」を「ジンゴ」と言っておりました。
ですから、「リンゴのひとりごと」で「私は真っ赤なジンゴです」と何のためらいもなく唄っていたものです。小学校に上がって(昭和31年)ラジオから「真っ赤なりーんご」と三橋美智也の歌唱を聴いた時は、自分が一段高い所へステップアッブしたような感覚になったのを憶えています。
覚えようと必死に挑みましたが、1.2.3番最後の行の、難しい節回しにはお手上げでした。 
イントロといい、主旋律といい、林伊佐緒は上手かったですね。軽やかに
唄いこなす三橋美智也は憧憬そのものでした。

投稿: かせい | 2013年9月13日 (金) 00時59分

 この曲の舞台となっている津軽。ここに生まれ育ち暮らしています。
 当時、高校へ進学できるのはわずかで、幼友達のほとんどは中学校を卒業すると東京へ働きに出ました。
 普段一緒に遊んでいる友達が遠くに行ってしまうなんてとても受け入れられないことでした。
 駅で見送るのはあまりにも切なく、線路沿いの木陰に隠れ遠くなるまで見送りました。
 あの娘もすでに齢68。過ぎし遠い思い出です。
 

投稿: 齊藤 弘 | 2015年6月12日 (金) 05時21分

三橋美智也さんののびやかな高音の歌唱に魅せられます。島倉千代子さんとともに日本の抒情歌の宝ですね。

昭和32年、私が小学3生のとき担任の女先生が赴任してこられました。私の家のすぐそばに部屋を借りて移り住まわれました。先生はご主人とは別居され、私より1学年年上のM君と彼の妹さん(小学一年生)と一緒でした。私とM君は遊び友達になりました。

ある日、M君が「今、母と妹がいないから遊びに来ていいよ」と言うので彼の家に行ったら、6畳一間の部屋でした、赴任から一年後、先生はまだ幼稚園の末の息子さんも呼び寄せられました。6畳の間に4人の生活です。

出会いがあれば別れもあります。赴任して2年で先生は異動になり、M君ともどもご主人のもとに帰られました。

私は寂しくて、もう開かなくなったM君の部屋の窓にむかって、「M君・・・」と呼びかけていたものです。もう応答はありませんでした。

先生は数年前お亡くなりになりました。その少し前にいただいたお葉書には、「○○小学校が一番良かった、もう一度○○町に行きたい、懐かしい」と書かれていました。

M君とは定年後賀状を交換しています。私はもう何もしていないのですが、彼はまだ勤められているようです。wikiediaなどでもご活躍の様子をうかがっています。再会したいです。

 ♪ おぼえているかい 子供の頃に
  二人であそんだ あの山 小川 ♪

自動車も電気製品もなく、下駄や足袋を履いて、雨の日は和傘をさして、蒸気機関車がボーと汽笛を鳴らしてが走っていた。昭和30年代の初めの頃がこの歌と共に思い出されます。

投稿: yoko | 2016年1月17日 (日) 22時05分

三橋美智也のデビュー当時からのフアンの一人です。
音域の広い低音から澄み切った高温まで明瞭な発声に魅了されるばかりでした。
今朝のNHKラジオ深夜便で、彼の22回目にあたる命日での特集放送を聴きました。
最初に流れてきたのが、昭和31年の「リンゴ村から」でした。
この年は、高校に入学した年でもあり、時折流れてくるこの曲が今でも耳元に残っていて懐かしく想い出されます。
これまでの民謡調の唄い方から低音を生かした曲想が印象的でした。
改めて、このブログ「うた物語」での二木楽団の心温まる名演奏にも心が和み明日への活力が湧いてきたところです。
ありがとうございました。


投稿: 一章 | 2017年1月 8日 (日) 20時17分

前のコメントの続きになります、正月の賀状にM君から「妹が今年関西に転居する予定だ」とあったのです。

彼女が私に近いところ(関東)に住んでいらっしゃることは先生からの便りで知っていました。でもお会いしたことはありません。私が小学3年、4年の時、彼女は小学1年、2年でした。家の近くや学校で見かけたことはありましたが話したことはなく、特別な感情もありませんでした。

今、無性にお会いしたいなぁ、と思うのです。彼女に先生の面影が見受けられるだろうか、などど思います。

彼女と私との接点はただひとつ、
♪おぼえているかい、故郷の村を♪です。
会ってそんなことを話してみたい。

M君に便りを出して関西に転居する前に彼女に会えるかどうか聞いてみようと思います。

投稿: yoko | 2017年1月10日 (火) 19時55分

「リンゴ村から」「別れの一本杉」
村に映画が近づくと風に乗って2キロ離れた家まで聞こえて来ました。
30・31年の歌、その後もこの2曲以外は聴いた覚えはありませんが、
それ迄は何の歌を流していたのか記憶にありません。
小学校と中学校は映画館の近くで小学校は映画館と反対側にありました。
5年の時、授業中に急に大きなボリュームで流れて来たので、
先生が「勉強中は流さないように」と生徒を映画館に行かせました。
学校や家から観に行った映画は沢山ありますが、村にも巡回映画が来ました。

焼酎さんの「哀愁列車」の投稿から、昔の色んな映画を思い出しました。

投稿: なち | 2018年6月16日 (土) 08時06分

昨日から相次ぐ皆様からのコメントを拝読していて、懐かしさもあったので、今日は久しぶりに一日中、三橋美智也のアルバムを聴いていました!
そしてさすがに民謡家でもあり、「新相馬節」をはじめとする全盛期の声で歌唱する三橋美智也の民謡の数々は、どれも素晴らしく、圧倒されるものがありました。

特に「りんご村から」この歌は、私が生まれて初めて憶えた流行歌で、昔、母から聞いたのですが、私が3才の頃、ラジオからこの歌が流れると、一緒になって3番まで少しも間違えずに歌っていたそうで、童謡を歌うより先だったそうです。
その後少し大きくなってから、「おんな船頭唄」「哀愁列車」「母恋吹雪」「一本刀土俵入り」そして「古城」など、どんどん憶えて行きました。
三橋美智也の「リンゴ村から」を聴く度に、リンゴ産地の本場、津軽地方を旅してみたくなります。

焼酎様が「哀愁列車」でupして頂いた動画、近畿日本鉄道おもてなし列車・観光特急「しまかぜ」賢島行、二度も観てしまいました。
「特急しまかぜ」は、車両も豪華で、以前私が利用していた、近鉄特急「ビスタカー」にはなかった、コインロッカー・自動式ブラインド操作・サロン席・カフェ車両など、サービス内容が随分とグレードアップしていました。
私も永年にわたり、人と接する職業に就いておりましたが、何と言っても、乗務していた専属アテンダントの女性が一際目に留まりました。素敵な笑みを見せ、素都のないあの真心のこもった応対、そして降車口での笑顔での見送りは、きっと乗客を満足させ、その評判を呼び、新規利用者を増やし、リピート客も必ず掴めると確信しました。


投稿: 芳勝 | 2018年6月18日 (月) 00時50分

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