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エルベ河

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:ドルマトフスキー、作曲:ショスタコーヴィッチ
日本語詞:楽団カチューシャ

1 ふるさとの声が聞こえる
  自由の大地から
  何よりもわれら慕う
  なつかしふるさとの地
  (*)世界にたぐいなき国
     うるわし明るき国
     われらの母なるロシア
     子どもらは育ちゆく

2 遠くふるさと離れても
  いつも夢に描く
  あかき星の下に眠る
  わが山河広き野辺
  (* 繰り返す)

3 エルベのほとりで歌わん
  広きロシアの心
  大いなる祖国の前に
  ファシストは影もなし
  (* 繰り返す)

《蛇足》 ナチス・ドイツの制圧を目指して東西から進撃してきたソ連軍とアメリカ軍は、1945年4月25日、エルベ河畔の町トルガウで出会いました。
 エルベ川は、チェコ・ポーランド国境のリーゼン山地に源を発し、ドイツを貫流して北海に注ぐドイツ第2の大河です。

 両軍の兵士たちは、夜更けまでアコーディオンを鳴らし、ウイスキーやウオツカで祝杯をあげ、「青年は二度と戦場で相まみえない」と誓いあったといいます。下の映像は、両軍兵士の交歓、握手、記念撮影などを記録したものです。

  動画「エルベの邂逅(出典:IPA「教育用画像素材集」

 1949年、エルベの誓いをテーマとしたソ連映画『エルベ河の邂逅』が作られました。その主題歌がこの『エルベ河』です。作曲者は著名な作曲家のドミトリ・ショスタコーヴィッチ。

 上記の日本語詞は昭和39年(1964)6月発行の矢沢保編『世界歌謡集』(社会思想社)に基づいています。
 このヴァージョンでは、1番の4行目は「なつかしふるさとの地」となっていますが、当初は「なつかしソヴェートの地」と歌われていました。

 これが上記のように変えられたのは、共産主義国ソ連を賛美するような歌詞はけしからんという圧力があったためか、あるいは、多くの労働者・学生が理想の国と信じていたソ連が馬脚を露わし始めたことに対応したものかはわかりません。 

 上の写真はトルガウのエルベ河畔に建つハルテンフェルス城。

(二木紘三)

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コメント

この曲から映画[戦争と貞操][誓いの休暇]という映画を思いだします。女の人の瞳のきれいさにひきつけられたものです。カラー映画でなく白黒映画でしたが、深みがあり映像のきれいさを今も心にとめております。ロシアの歌は、ラジオをつけるとどこかで流れていました。テレビにないラジオのよさがあると思っています。

投稿: 昔の少女 | 2008年6月20日 (金) 22時06分

この歌をリストに載せて下さってありか等御座いました。
学生時代のサークルではいつも歌っていました。
涙が出るほどに懐かしい歌です。そしてあの時の友人達に無性に会いたいこの頃です。
あれから50余年カナダに住む者にはあの時の友の消息を知る術もなく寂しく思います。

投稿: すずきゆみこ | 2008年10月15日 (水) 17時23分

私も「懐かしきソヴェートの地」で記憶しています。
「戦争と貞操」(今は「鶴は飛んでいく」と改名)のタチアナ・サモロイワ、
本当に光の強く、美しい瞳の女優でしたね。

投稿: Bianca | 2008年10月17日 (金) 19時50分

 ほんとうに美しいメロディーです。さすがショスタコーヴィッチ作曲、特にそうとは意識せずに歌っていましたが、青春の懐かしい歌です。私も「懐かしソヴェートの地」と覚えました。この昭和39年のバージョン『世界歌謡集』編者の矢沢保(「黒い瞳の」の訳者)が勤務していた飯塚書店から『緑の歌集』シリーズが出されていました。「エルベ川」もその第1集にあり、まだ「なつかしソヴェートの地」でした。発行は2年前の昭和37年です。訳詩は同じ楽団カチューシャですが、2年後の『世界歌謡集』で「ソヴェートの地」から「ふるさとの地」に変わったのですね。昭和39年というと、「部分的核実験停止条約」をきっかけに、日本共産党がそれまで服従してきたソ連共産党と対立し、敵対関係に向かう年ですが、歌集は同年といっても早く6月の発行ですから、そういう党の方針に影響されたとまで考えるのは無理なようです。
 私の場合、ストレートなソビエト賛美のあれこれの歌詞にはときどき抵抗を感じていました。「うたごえ運動」の流れの中にもそれはあったのではないでしょうか。特に昭和31年に公表されたフルシチョフの「スターリン批判」のころからは。しかし、このブログでも見るとおり、「ソビエト歌曲」の多くは政治性には無縁で、曲も歌詞も抒情的な美しい歌が多いので、今も愛唱します。

投稿: dorule | 2014年2月15日 (土) 21時16分

二木先生

エルベ河 久し振りにこの懐かしい歌とめぐりあえました。 かって私が名古屋で勤務時代(24~27才)に
グリーンエコーという混声合唱団(パート=バス)に在籍して、歌うことに熱中していた頃のことを思い出します。
愛知文化講堂と名古屋市公会堂のステージでショスタコビッチの「森の歌」を、労音コーラスや名大合唱団のメンバーも加えて総勢150名位で歌ったことは、今でも私の青春の軌跡として、舞台写真とSPレコードを大事に持っています。舞台で譜面を持ちながらちらちらと客席の前の方を眺め、3年間も相思相愛の仲(だと思っていた)、別れたばかりの彼女の姿を見つけた時は、頭が真っ白になりました。その時は、まだ断ち切れない未練心を仕事とコーラスに没頭することで断ち切らんと頑張っていましたので、勿論、彼女に招待状など渡すなど男としてできませんでしたから…。
その当時、グリーンエコーのメンバー数名と練習の帰りに名古屋の御園座の近くのコーラス喫茶「コーラス」に立ち寄っては、ピアノ伴奏のもとでロシア民謡などを思い切り声張り上げて歌いまくりました。
「心さわぐ青春の歌」を、狭い店内の小さなステージに5名の仲間と上がり、ピアノ伴奏のもとで、いきなり混声4部合唱で歌いだした時は、一瞬店内が静まり返り我々の歌だけが、一杯に響きわたりました。
司会者や店内の客全員の、感動の拍手の嵐の中、思い切りスター気分を味わって青春を満喫しました。
“われらの想いは それはただ一つ~…この後から混声4部”に入った時の客席の驚いたような顔々々… 今想い出しても血潮が沸きあがるような青春のエネルギーを感じす。 
その後、数年して今の(素敵な?)奥様とめぐり合い、密かな青春の足跡を胸に秘めて、幸せに教会通いをしております。

投稿: あこがれ | 2016年11月 8日 (火) 10時25分

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