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鈴懸の径

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:灰田有紀彦、唄:灰田勝彦

友と語らん
鈴懸(すずかけ)の径(みち)
通いなれたる
学校(まなびや)の街
やさしの小鈴
葉かげに鳴れば
夢はかえるよ
鈴懸の径
  (繰り返す)

《蛇足》 太平洋戦争突入から約10か月後の昭和17年(1942)9月に、ビクターからレコードが発売されました。
 この年の4月、本土初空襲があり、珊瑚海、ミッドウェー、ソロモン、ガダルカナルと敗戦が相次いでいましたが、情報操作されていた国民の多くは、初期の戦勝気分に酔っていました。

 作曲の灰田有紀彦は、明治42年(1909)ハワイ・ホノルルで生まれ、13歳のとき日本へ帰国。慶応大学予科を卒業後、演奏や作曲活動に従事しました。日本におけるハワイ音楽の草分けです。

 灰田勝彦は2歳下の弟で、立教大学に入学し、在学中からバンド活動を行いました。卒業と同時に兄のいるビクターの専属となり、プロ歌手・灰田勝彦が誕生しました。
 『燦めく星座』『森の小径』『新雪』『鈴懸の径』『東京の屋根の下』『野球小僧』など数多くのヒット曲があります。

 鈴懸はプラタナスのことで、通常は篠懸または鈴掛と表記されます。
 日本には明治の初めに渡来し、街路樹として各地で植えられました。立教大学構内にも植えられており、この歌は、それをイメージして作られたと伝えられています。ということになると、これはキャンパスフォークの走りですね。

 戦後スイングジャズに編曲されて大ヒットしました。

(二木紘三)

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コメント

びっくりしました。
お気に入りに登録しておいたのに、クリックしても出ないのです。
失礼ですが、お名前、読めません。二木?三のうたものがたりに移動とありましたが・・・ヤット見つけました。一安心です。
たまに、開いて歌っています。このページ、宝物なんです。

言い送れましたが、いつも、本当にありがとうございます。

プロフィールうぃ見たら、私より、一年お若いです。

何人かの友人にも教えて喜ばれました。

投稿: カリブ | 2007年9月14日 (金) 11時29分

すばらしい抒情歌ですね。ただ一節ですがイメージの広大さが有ります。
灰田勝彦、有紀彦兄弟の歌ですね。初めて知りました。
いつまでも歌い継ぎたい名曲です。二木紘三先生有難う御座いました。
二木紘三先生のイラストもすばらしいです。(寒い朝の挿絵を拝見)

投稿: 波路 | 2007年10月 9日 (火) 22時11分

二木紘三先生
初めてコメントを送らせていただきます。

戦後生まれですが、中学から高校時代に今で言う懐メロブームがあり、
「鈴懸の径」は何回か聞いた記憶がありました。
なぜか心に残っていましたが、残念ながら曲名を記憶していませんでした。
今回、先生のところを訪問させていただき懐かしく、時々聞かせていただいております。メロディ、歌詞共に好きな曲です。なぜか癒されます。

先生が御作りになられた曲の数々と丁寧な説明を、いつも楽しんでおります。
お元気で、更に御活躍されんことを祈っております。


投稿: 馬川 晋 | 2007年11月14日 (水) 18時24分

「日本が太平洋戦争の突入する直前の昭和17年(1942)9月」とありますが「昭和16年9月」でしょうか?

投稿: なとりがおか | 2008年2月19日 (火) 23時25分

なとりがおか様
1年まちがえていました。さっそく修正しました。
ありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2008年2月20日 (水) 00時41分

島根から上阪したウン十年前の私の青春時代は“大阪労音”と“歌声喫茶”が唯二の楽しみで特に<鈴木章治とリズム・エース>の大フアンでした。
そんな或る日、レコード店から今までに聞いたこともない「鈴懸の径」のアド・リブのフレーズに超感激しすぐそのレコードを買いました。直径17.4cmの33回転のレコードは、1957年にピーナッツ・ハッコー来日時にリズム・エースと収録したもので「Platanasu Road」と英訳されてもいました。
2cl.とvib.・g・p・b・dsの掛け合いはきわめて沈着冷静のようで、しかし秘めた情熱をぶつけ合ったネルギッシュでテーマのメロディを超越した懐かしいフレーズに、心が震えたのを今でも憶えています。
レコードは擦り切れたのでvictorへCDの問い合わせをしましたが、残念ながら廃盤とのこと...がっかり...トホホ...。
しかし佐伯孝夫氏と灰田有紀彦(晴彦)氏作で日本の叙情歌であるのこの名曲を、P.ハッコーとS.鈴木&リズム・エースによりスイング・ジャズとして確立した超名演奏は、もし<日本ジャズの殿堂>があるならば、最中央に保管すべきだと思います。
 私事、リタイア後の3年前から、年甲斐もなく(?)S.サックス・T.サックスそれにエレクトンのレッスンに通い始め、月2回程度フルートグループや二胡・楊琴グループとたまにソロで老人ホーム・地域のコンサート等に、そして5年前から昔のお嬢さんたち15名程で「童謡・叙情歌・青春歌謡・世界の歌等約700曲を順次歌おう会」を結成しお世話をして毎日がHappyで、加えて40年近く平和に暮らせた豊中市へ少しでも役に立てばと地域ボランティア9団体に所属し、今<それなりの青春>をしています。
 そして「二木紘三うた物語」から歌(曲)の背景や奥深さを知り、よりいっそう愛着を深め心から感動をしています。

投稿: 尾谷 光紀 | 2008年4月28日 (月) 23時12分

最近ヨーデルを聞いた事がない。この方はヨーデルを唄われた歌手だと思います。裏声とは違う独特の唄い方であり魅力
がありました。

投稿: M.U | 2008年6月17日 (火) 07時31分

M.U 様
 この歌を歌われた灰田勝彦氏のヨーデルは、「アルプスの牧場」という曲です。他には「煌めく星座」「新雪」「水色のスーツケース」「野球小僧」「バタビアの夜は更けて」「東京の屋根の下」「森の小径」「お玉杓子は蛙の子」等、懐かしく思い出されてきました。

 確か『歌の明星?』という服部富子が共演した主演の映画
の中で、佐伯孝夫作詞・灰田晴彦作曲「森の小径」という歌を歌っていたような遠い記憶がありますが、スイングジャズの演奏でもよく取り上げられていてベリーグッドの曲ですので、二木先生是非この曲をお願い致します。

投稿: | 2008年7月17日 (木) 15時54分

二木先生
いつも聞かせていただいております。
私は昭和44年生まれですが
いつもこの歌をカラオケで歌わせていただいております。
奥が深く、難しいこの歌は、心を震わせるものがあります。
(偉そうですね。すみません)
他の曲も先生のこのサイトでおぼえて歌わせていただいていますが(先生の音楽をカラオケの練習代わりにして失礼とは思いますが)、私はこの歌が一番好きなのです。
これからも素晴しい作品をよろしくお願いします。

投稿: 中村 光伸 | 2008年9月22日 (月) 22時44分

いつも心休まる思いで聴かせて頂いてります。
この鈴懸の径は特別の思いがあります。太平洋戦争時、
特別攻撃隊の隊員たちの、愛唱歌の第一番であった歌で、毎夜歌ったものです。
そして仲間数人が征きました。因みに二番はふるさと
三位が たれか故郷を思わざる でした。

投稿: 古代人 | 2010年2月21日 (日) 18時17分

 この歌が出たほぼ1年後、昭和18年10月に明治神宮外苑競技場で学徒出陣の壮行会が挙行されています。学生はどんな気持ちで出陣して行ったことでしょう。ハワイ出身の灰田兄弟の心境は?
 古代人さんのおっしゃるように、この歌が特攻の出陣学徒に人気のあったのが分かる気がします。
 私は昭和17年生まれ。私には、研究生で通っていた昭和40年代初めの催涙弾の煙にけむっていた、神田駿河台、御茶ノ水、本郷に至る学舎の街が目に浮かびます。 当時の活動家が、現政権に何人かいます。特攻の学徒も生きていれば、活躍された人もいたでしょう。
 戦争は・・・
 学園歌がいつでも心から歌えるようにあってほしい。それはいつまでも青春そのものなのですから。

投稿: 笹竜胆 | 2010年7月 2日 (金) 14時31分

尾谷光紀様

2008年、貴殿ご投稿の「鈴木章治+P.ハッコー競演のプラタナス・ロード」は3年ほど前から、原盤がYouTubeにアップされて、毎日と言ってよいほど鑑賞しておりましたが、一昨日お気に入りをクリックしましたら「著作権侵害のため削除」が出てしまいました。残念無念。他の鈴木章治とリズムエースの演奏動画はまだ見られますが、若い頃から何百回となく聴いて、長年探し続けた原盤への思い入れが強く、それらを聴く気が起こりません。この二木先生の「鈴懸の径」との二頭立ての馬車に乗っていたのですが、昨日から一頭立て馬車となってしまいました。

投稿: 飯田 | 2014年3月 6日 (木) 15時59分

飯田様

 本当に削除されていますね。気が付きませんでした。
CD『THE BEST OF SHOJI SUZUKI』は1600円で販売されているようですので如何ですか?このCDにはピーナッツ・ハッコーとの共演が入っています。もしこのP.ハッコー共演のこの曲だけでしたらカセットテープかMDにダビングしてお送りしますが・・・。
 Jazzが好きになったのもこの演奏のお陰で、数年前P.ハッコーのフレーズを数ヶ月がかりで譜面にしました。
何度聴いても全メンバーのすばらしいフレーズには心が震えます。
 千葉柏高校の女子生徒2名のソロにも感心しますし、何よりもこの曲を選んだ先生の思いは私たちと共通していると嬉しくなっている昨今です。(検索して見てください。)

投稿: 尾谷光紀 | 2014年3月 8日 (土) 22時02分

尾谷光紀様

早速の情報ありがとうございます。YouTubeにアップされましたので原盤CD探しもせず、安心しておりました。御紹介の「THE BEST OF SHOUJI SUZUKI」は早速入手しようと思います。ダビングのお申し出誠にありがたく存じますが、著作権の問題がありそうですので、お心だけ頂いておきたいと存じます。
二木先生も「ジャズ版」も作られたというのは、この鈴木章治+P.ハッコー盤がお好きだったのではないか、と想像しています。

投稿: 飯田 | 2014年3月 9日 (日) 00時42分

協同音楽出版社から1962年出版された「ウクレレ・コーナー」のなかで英語の歌詞がありました。
なぜかと思い検索し二木様の解説を読んで了解できました、出征していく学徒から人気があったのも。
愛し合っているのに離れ行く2人、淡いキャンパスラブ,有紀彦氏が学生であった1920年ころの作詞なのかなーと勝手に想像しています。オカリナとウクレレで演奏を楽しみたいと思っています。

投稿: 小林 弘 | 2015年6月11日 (木) 20時46分

鈴懸の径 昭和17年9月大東亜戦争の真っただ中の、軍歌一色の時代に、ハワイアン調の3拍子ワルツさわやかな灰田勝彦の歌が遠く、国民学校2年生な2学期で覚えている。戦後30年代にベニー・グットマン(ピーナッッ・ハッコウと鈴木章治の競演)スイングで一世を風靡した。81歳の終活人生において、コンサート・ライヴで、この曲をリクエストし、カラオケやライブ唄っている。これからも終活人生で「鈴懸の径」を歩き、友と語り、忘れかけられたた名曲を唄い続けて行きたい。東京 立教大学の歌碑と鈴懸の並木道を歩いて見たい。

投稿: 山口幸雄 | 2016年4月11日 (月) 12時24分

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