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女の園

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:木下忠司

1 古き都に咲きし 花の命は
  祇王(ぎおう)の夢ならずや
  常磐(ときわ)ならずや
  さらば吹けよ 峰吹く風よ
  吹きて悲しみの 歴史ぞかえん

2 友よ香りゆかしき 乙女ならずや
  我もまた真(まこと)もつ
  乙女ならずや
  さらば恋せよ 自由の園に
  希望と喜びの 花ぞ開かん

3 我ら今誰(た)がために 学ぶにあらず
  この小(ち)さき手の中に
  平和の花摘むを
  さらば行かん 青い空の下(もと)
  一すじにかけてゆく 誇りぞつよし

《蛇足》 この歌を知っている人は、非常に少ないと思います。昭和29年(1954)の木下恵介監督作品『女の園』の挿入歌です。
 作詞・作曲は、木下監督の弟・木下忠司。木下忠司には、『喜びも悲しみも幾歳月』などのヒット曲があります。

 女の園といっても、キャバレーやナイトクラブの映画ではありません。良妻賢母教育を行う全寮制の名門女子大に学ぶ女子学生が、補導監や寮母による極端な干渉のなかで苦悩した挙げ句、大学の教室で自殺してしまうというストリーです。写真はその1シーンで、右端に立っているいるのが主演の高峰秀子。

 原作は、『群像』(講談社)昭和28年(1953)8月号に発表された阿部知二の短編小説『人工庭園』。
 阿部知二の評伝『道は晴れてあり 阿部知二』
(竹松良明著1993年/神戸新聞総合出版センター)に、「これは京都女子大で起こった事件をモデルに関係者の話を取材して書いたものだが……」とあります。

 木下忠司の印象的なメロディが、女声合唱で何度も画面に流れます。
 私は、この映画を昭和33年
(1958)4月に、高校の映画会(於:松本市上土町の開明座)で見ただけなので、この歌も、その後聞くことはありませんでした。たまたま古いポケット歌集の中に簡単な楽譜を見つけたので、mp3にしてみました。

 ほぼ半世紀経ても、高峰秀子演ずるところの女子学生が教室の自分の机にうつ伏して死んでいる衝撃のラストシーンが忘れられません。

 なお、詞の中の祇王(妓王とも)と常磐は平清盛の愛人です。祇王は、自分が紹介した白拍子(踊り子)の仏御前(ほとけのごぜん)に清盛の寵を奪われたため、母・妹ともに嵯峨に隠棲しました。
 仏御前ものちに尼になって祇王の庵を訪れ、ともに念仏を唱えながら生涯を送ったといいます。

 常磐は、清盛にうち破られた源義朝の妻でしたが、子どもたち(義経など)の命を助けるために、清盛の愛人になりました。

(二木紘三)

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コメント

むかしむかし新宿のカチューシャでよく歌われていました。数年前?にTVでこの歌の映画を観ました。良い映画でした。

投稿: totoro | 2007年9月16日 (日) 02時18分

今、先生のページを放浪しています。「ア」からすべての曲の蛇足とコメントを読みながら---
何度も涙しながら

全く、聞いたこともない曲に出会いました。歌詞をみながらメロディーを聞いています。まるで行進曲のような力もあり、ロシアの労働歌のようでもあり、何だろう??
歌詞からは、源平の頃の諸行無常も読み取られ
また、旧制女学校の乙女達の誇りと希望が歌われているのかと思いつつ

蛇足を読ませていただいて、はたと気がついた次第です。そうですか、京都女子大で実際にあったことなのですね。母の時代の女学生であった方々の凛とした清々しさにいつも敬服させられていた小生にとり、最高にインパクトのある曲にめぐりあえたものです。
また、映画の主演が高峰秀子(愛称 デコちゃん)さんだったとも知り、もっと驚いた次第です。  私事ながら、母は県一のデコちゃんといわれていたそうです。確かに似ていて、額が広く、眼と眼の間が少し広かったです。
 初めての曲でいろいろ連想させられ、気持ちも落ち着き、浄化されたようです。

  いつも  有難うございます。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年3月20日 (木) 21時35分

二木先生
「女の園」蛇足を読ませていただき感激しています。
私も封切り直後に見ました。木下恵介は大好きな監督でしたから。
私の覚えているシーンは田村高広が山陽本線で上京する中、姫路を過ぎるとき、姫路城が見えます。恋人役の高峰秀子が城の天守閣で手を振っているシーンです。この天守閣から列車の貴方は見えないけれど、列車の貴方から天守閣は見えても私は見えない、しかし天守閣を見るたびに私を思ってください。というような意味だったと思います。ストーリでは高峰秀子は姫路出身ということになっていたのでは・・・。この辺うろ覚えですが。
四国に在住し、生まれた京都へ行くことが多かった私。今は「新幹線のぞみ」であっという間の通過です。
楽しませていただいてありがとうございます。

三宅正瞭

投稿: 三宅正瞭 | 2008年4月 9日 (水) 16時24分

そういえば、当時私も映画を見たのでした。
主役の高峰秀子も忘れるなど、ほとんど覚えていませんが、先輩役に三宅邦子がいたような…
三宅さんの書き込みで図らずも思い出しました。

見たことが確実なのは、この映画だけで「女の園」の歌を覚えたからです。深い意味も分からず、妓王の夢ならずや常盤ならずや…と歌っていました。

投稿: ika-chan | 2008年8月15日 (金) 19時17分

映画は映画館やTVで5回くらい見ました。封切りから30年以上してですが・・・。張りつめた空気に息苦しくなるのですが、何故か心惹かれるのです。戦後の若者の気負いが感じられます。原作も、古本屋で見つけて読みました。たまたま、姉がこの女子大の出身です。

投稿: Bianca | 2008年8月16日 (土) 09時19分

この歌を聴いたのは昭和36年頃と記憶する。以来この歌のレコードを探したが見付からず、ビデオを買って聴いていた。ところが音が悪く3番に至っては歌詞が全く分からなかった。このサイトでやっと分かりました。木下作品には珍しくレコード化されていないのですね。それだけに貴重です。
なお私ども70過ぎの年代の者は結構知っておりますよ。女性コーラスでどこかで出さないかなー。

投稿: goichan | 2008年10月17日 (金) 02時09分

私がこの本を読んだのは高校生の時でした。映画はかなり後になって観たと思います。田村高広がスクリーンに写った途端、あまりに坊や坊やしているので、観客席から笑い声があがりましたから。田村高広が初めて出た映画だったのですね。ラストシーンでこの歌が女子学生たちから湧き上がってくるところは、自由への未来を感じさせる感動的なシーンでした。
藍川由美の木下忠司作品集というCDを持っていますが、この歌は入っていません。女性にとっては歌詞が素晴らしいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2008年10月18日 (土) 00時30分

 実は先月か先々月CATVで「女の園」を観るチャンスがあったのをつい逃してしまいました。も少し早く「蛇足」の衝撃のラストシーンを読んでいたら、きっと見逃さなかったろうにと悔やまれました。
 そこで、図書館から全集を借りてきて「人工庭園」を読みました。感想は省きますが原作には、映画のラストシーンはなく自殺は近くの山中ということになっています。また、どなたか仰言っていた姫路城と列車のシーンもありません。しかし、ますます映画が観たくなりました。
 このテーマミュジックはやや重苦しい感じの原作にもよくマッチしていると思いました。

投稿: 周坊 | 2008年10月31日 (金) 15時01分

前回コメントを書かせていただいて丁度1年経った11月1日にひょんなことで、この映画を観る機会を得ました。みなさんはご記憶にあるかどうか、天本英世という性格俳優がおりました。長身痩躯で悪役が多かったと思います。晩年にはテレビのバラエティ番組にも出ていました。彼は私が住む北九州市は若松区の出身だそうで、同区の熱心な映画ファンが彼のデビュウ作である「女の園」の映写会を開いたわけです。
主催者の解説によりますと、彼はこの映画で木下監督に気に入られ、同じ昭和29年の映画「二十四の瞳」で高峰秀子の夫役に抜擢されたそうです。
ちなみに、同年のキネマ旬報の邦画ベストテンは「二十四の瞳」「女の園」の木下作品が1位、2位 を占め、3位黒澤明「七人の侍」のほか溝口健二「近松物語」、成瀬巳喜男「山の音」などが入っています。
「女の園」は、三界に家なしといわれ差別された女性の苦悩を描いた映画で、ジェンダーが社会的に論議される現代においても決して古いテーマではないと思いました。

投稿: 周坊 | 2009年11月 3日 (火) 11時52分

周坊様 私は「二十四の瞳」を見た時から、高峰秀子の夫役は誰なのだろうと思っていました。きれいで優しそうな素敵な人でした。それが天本英世でしたか。変われば変わるものですね。驚きました。

投稿: ハコベの花 | 2009年11月 3日 (火) 19時53分

ハコベの花様
映画「女の園」の冒頭の配役の画面には、私の見落としでなければ彼の名前は見当たりませんでした。
しかし、映写会の方が天本英世は哲学の教師で講義の場面に出ます、と教えてくれていたので分かりました。セリフは講義だけで、会話はありませんでした。
You-Tubeの『「二十四の瞳」教え子の出征』で天本を見ることができます。

投稿: 周坊 | 2009年11月 5日 (木) 15時15分

私がコーラス仲間と青年時代良く歌った歌です。当時「歌声運動」が盛んな時、しかも京都女子学園の近くに住み、この話の「下書き」になっている「寮長の生徒」の衝突も知っており、外部から「学園と寮長を批判するビラ」を撒く支援をしました。
学園側は信者さんの娘さんを預かっている意識が強く、過剰に生徒さんたちの自由を束縛したのだとおもいます。
映画とは別に「京都大学の演芸部の人が参加して
「劇団:風波」(大島渚さん:戸浦六光さん参加)が題名を変えて舞台劇を幾度か上演されたと記憶してます。
戦後8年の荒々しい時代のころでした。

投稿: 酒谷義郎 | 2011年9月12日 (月) 14時02分

このURLがあってよかったぁ~~~!
一番の歌詞は覚えていたのですが、題が中々出て来ずにいらいらしていました。
有り難う御座います!
昭和42年東京の大学に入り、五月、今は亡き兄に連れられて新宿の歌声喫茶「カチューシャ」に連れて行ってくれました。様々な国の歌を歌い、日本各地の民謡を歌い・・・、歌う事により故郷を想う寂しさがまぎれました。「女の園」はその頃に覚えました。
平清盛の寵愛を受けた祇王が暮らしたという祇王寺を観光した時を思い出させる一番の歌詞が好きでした。

投稿: 萩原紳介 | 2012年2月24日 (金) 09時30分

昨夜、パソコンで田浦正巳を検索したら、昨年の1月に亡くなって居られたのを知りました。「女の園」のなかで、岸恵子をナンパする学生の役で出ていましたね。私はあの当時、少し陰のある青年の役にぴったりの俳優だと思っていました。沢山の映画にでていましたが、最後に観たのが阿川弘之の『雲の墓標』を映画化した「空ゆかば」でした。ニヒルな役どころが合っている素敵な俳優だと思いました。女の園の俳優さんも殆どの人が黄泉の国へと旅立ってしまいましたね。昭和がますます遠くなってしまいました。この歌を聴きながら青春時代に読んだ本を思い返しています。

投稿: ハコベの花 | 2012年9月 1日 (土) 16時01分

映画「女の園」を見た頃は、この歌をよく毎日のように歌っていました。
今も、この歌を何気なく口ずさむことがあります。
だが、1番は全て間違いなく歌えるのに、2番3番となると、歌詞の一部が欠落してしまいます。
正しい歌詞を知りたくて検索して、このページに出会いました。
昭和29年でしたか、当時私は中学2年生でした。
高校生になっていたら、映画の詳細をもっとよく覚えていたろうに、と残念です。

投稿: 新田 八千江 | 2012年11月24日 (土) 23時57分

私は、いつも、「女の園」をくちづさんでいます。

投稿: 森勇二 | 2012年11月25日 (日) 20時35分

昭和29年、私は中学3年生でした。堀田善衛が芥川賞をとった『広場の孤独』を読んですっかり社会を見る目が変わりました。新聞社に憧れたのはこの時からです。そのあと、『女の園』の原作『人工庭園』を読み、周りに流されない自分を作っていきたいと思うようになりました。野上弥生子の『迷路』などの一連の小説からも大きな影響を受けました。高校時代が人間形成に一番重要だったような気がします。しかし、努力することと根性が全くなかったので後悔する人生を送る事になってしまいました。今ここで心の奥底に青い焔を燃やしつづけている人たちに出会うのはとても嬉しいのです。皆様に感謝しています。

投稿: ハコベの花 | 2012年11月25日 (日) 21時12分

昭和48年K女子大学に入学し、映画「女の園」が大学近くで上映され見ました。女子大学の寮に入っていたのですが、先輩から後輩へとこの歌を受け継いでいました。もう卒業して40年近くたった今も歌を覚えていました。一番だけですが・・。
当時寮監だった先生がご退職されるとき、私たちの前で泣きながらこの歌を歌われたのが今でも心に残っています。職務に忠実で厳しい先生でしたが、先生自身も葛藤されながら苦しい思いをされたようでした。

投稿: レラ | 2016年5月26日 (木) 20時07分

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