« 白いギター | トップページ | 秋止符 »

白いブランコ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:小平なほみ、作曲:菅原進、唄:ビリー・バンバン

1 君はおぼえているかしら
  あの白いブランコ
  風に吹かれて二人でゆれた
  あの白いブランコ
  日暮はいつも淋しいと
  小さな肩をふるわせた
  君にくちづけしたときに
  優しくゆれた
  白い白いブランコ

2 君はおぼえているかしら
  あの白いブランコ
  寒い夜によりそってゆれた
  あの白いブランコ
  誰でもみんなひとりぼっち
  誰かを愛していたいのと
  つめたいほほをよせたとき
  静かにゆれた
  白い白いブランコ

3 僕の心に今もゆれる
  あの白いブランコ
  幼い恋を見つめてくれた
  あの白いブランコ
  まだこわれずにあるのなら
  君のおもかげ抱きしめて
  ひとりでゆれてみようかしら
  遠いあの日の
  白い白い 白いブランコ

《蛇足》 昭和44年(1969)、菅原孝・進の兄弟デュオ、ビリー・バンバンがキングレコードからデビューし、いきなり大ヒットを飛ばしたのがこの曲です。作曲は弟の進。

 ビリー・バンバンはその後、『ミドリーヌ』『れんげ草』『さよならをするために』など続けてヒットを飛ばしました。

(二木紘三)

|

« 白いギター | トップページ | 秋止符 »

コメント

 昭和40年代半ばから、「白い」というタイトルのフォークソングが続けて発表され、いずれも大ヒットしました。私の記憶では、確か最初は『白いサンゴ礁』ではなかったかと思います。
 ♪ 青い海原 群れとぶかもめ
   心ひかれた 白い珊瑚礁
   いつか愛する人ができたら
   きっとふたりで訪れるだろう
 昭和44年ちょうど20歳の暑い夏の昼過ぎ。たまたまテレビからこの歌が流れてきました。今まで聞いたことのないような鮮烈な詞とメロディに心奪われ、画面に釘づけになりました。(後で知ったことには、歌ったグループはズーニーヴー。)
 それから、この『白いブランコ』そして『白いギター』。過熱する一方だった70年学生運動を冷ますのに、「白」という色が必要とされたのか。それとも単に、『白いサンゴ礁』が大当たりしたことに味をしめたヒットメーカーが、次々に「白い歌」を出しただけだったのか。
 いずれにしても、3曲ともフォークソングの名曲であることに変わりはありません。

投稿: Lemuria | 2009年8月16日 (日) 00時42分

44才の時、入院しました。
入院して二、三日目のことだったと思います。目が覚めた時、体に装着していた心電計が外れているのに気づきました。
通りかかった看護婦さんに「心電計が外れました」と訴えましたら、彼女は、「付けてあげる」と言って私のベッドにやって来ました。
「えっ」と驚きましたが、ひそかに喜びました。

私は上半身裸になりました。彼女は心電計の端子を私の体に丁寧に付けてゆきました。
彼女の顔が私の胸に迫り、彼女の息遣いを胸の肌で感じました。
もちろん”嬉しい感触”ではありますが少しどまどいました。
でも、これは看護婦さんの仕事なんだから・・・、と自分に言い聞かせました。

その後解ったことですが、彼女は看護婦さんではありませんでした。彼女はヘルパー(お手伝い)さんでした。
病棟の6階には看護婦さん達と共に3人のヘルパーさんがいました。二人は日系ブラジル人のおばさんで、一人が二十歳になったばかりの彼女(Nちゃん)でしたブラジル人のおばさんはNちゃんについて、「色が白くて肌がきれいね、若いってうらやましいわね」と話していました。
私もそう思いました。綺麗な娘さんでした。

彼女に話しかけました。「二十歳、おめでとう。成人式、お父さんも喜んだでしょう?」
彼女は答えました、「お父さん死んだの、私が○○才のとき」

「・・・」
そうだったの・・・
「お父さん可哀そうだね、Nちゃんの振り袖姿、見れなかったの」

彼女は答えました、「振り袖、着たのよ、お父さんに見せてあげたのよ。死ぬ前にね」
そう言って彼女は振り袖を着たポーズをとり、おどけて笑いました。

手術後の数日間ICU(集中治療室)に入りました。集中治療室にはガラス窓があり、外から覗くことができました。
彼女がガラス超しに手を振ってくれているのに気付きました。

ある日、彼女は言いました、「奥さん、お見舞いに来ないの?」
私は答えました、「家のことが忙しいんだと思う・・・」
彼女は突っ込みました、「あら、奥さん、仕事してないの?」

私の家内は病院に来ても、私と10分も話せば帰ります。それを見て彼女は、「あら、奥さん、もう帰っちゃったの?」と意地悪っぽく私に笑いかけました。

退院に近い日、彼女が公衆電話で話している姿を見かけました。
ブラジル人のヘルパーさんが私に話しました。「あの娘の電話、長いのよね、いつも恋人と話してるのよ。」
そうか・・・Nちゃん、恋人がいるのか・・・
なんだか寂しく感じました。

退院後も薬の処方で月に一度は通院していました。
必ず会えるわけではありませんが彼女に会うのが楽しみでした。
ある日、彼女は私のカバンを奪って笑って駆け出しました。
私は、「おい、こら、待て、返せよ、」と言って追っかけました。

ある日、廊下の遠くに彼女がベッドを移動させているのを見かけました。
じっと彼女を見つめていましたら、彼女もこちらの方向に顔を向けました。
彼女が私に気付いたのかどうか分かりません。おそらく気付いてなかったと思います。
なぜなら、こちらは待合室で、たくさんの人がいて、私はその中の一人でしたから。

それが彼女を見た最後です。聞いたところでは、彼女は看護師の資格を取るべく、看護学校に通い始めたとのことでした。

あれから二十年。この広い空の下、彼女はどこかで元気に暮らしているのだろうか・・・

心電計の端子を僕の体にくっつけていたときの彼女の真剣な眼差し・・・

ひょっとして彼女は僕を亡くなった彼女のお父さんの身代わりとでも感じていたんじゃなかろうか・・・
僕と彼女の年齢差から考えても、僕は彼女のお父さんに近いんだろうと思います。

今でも同じ病院に通院しています。もう、当時のお医者さんにも、看護婦さんにも、ヘルパーさんにも会うことはありません。

3か月毎に薬を受け取るための通院ですが、その都度、彼女のことを思い出し、かって私が療養していた6階の病室まで自然に足が向かいます。

♪ 君はおぼえているかしら
  あの白いブランコ ♪

彼女が身に着けていた白の帽子、白の作業着から白をキーワードとしてこの曲に辿り着きました。

投稿: yoko | 2014年10月 7日 (火) 02時42分

 この曲に対するコメントが投稿されましたので、ビリーバンバンとこの曲に関するエピソードをお話しします。
 今年の6月下旬に出張で大阪に向かった際に、全日空の機内で、いつもの斎藤安弘(アンコー)さんのオールナイトニッポン-クラシックスを聴きました。この機内放送は月替わりで、毎回ゲストを迎えますが、6月のゲストがビリーバンバンでした。その時私は初めて、『白いブランコ』が、音楽家浜口庫之助氏の渋谷の自宅にあったブランコをモチーフにして作曲されたことを知りました。菅原進さんはそのブランコに座ってこの曲を作ったそうです。レコーディングの際に曲のイントロのトランペットは彼の意思に反して入れられたそうで、当時彼は制作スタッフに抗議をしたそうです。
 オールナイトニッポン-クラシックスの放送収録時、兄の孝さんは69歳で、まだまだ音楽活動を続けると話しておられましたが、アンコーさんが70歳の声を聞くと体力的にも衰えるので自愛をというようなことを話していました。それから2週間余り、孝さんが脳出血で入院されたというニュースが飛び込んで来て驚きました。その後の経過は不明ですが、早く元気になってまたあの兄弟デュオのハーモニーを聴かせて欲しいと願っています。

投稿: Yoshi | 2014年10月 7日 (火) 05時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 白いギター | トップページ | 秋止符 »