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花かげ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:大村主計、作曲:豊田義一

1 十五夜お月さま ひとりぼち
  桜吹雪の花かげに
  花嫁すがたのおねえさま
  俥(くるま)にゆられてゆきました

2 十五夜お月さま 見てたでしょう
  桜吹雪の花かげに
  花嫁すがたのねえさまと
  お別れおしんで泣きました

3 十五夜お月さま ひとりぼち
  桜吹雪の花かげに
  遠いお里のおねえさま
  わたしはひとりになりました

Hanakage 《蛇足》 大村主計(かずえ)は山梨県東山梨郡牧丘町(現・山梨市)の出身。同地の向嶽寺境内と山梨市花かげホール前庭には、『花かげ』の歌碑が建っています。上の写真は向嶽寺の歌碑。

 豊田義一とのコンビで作った童謡としては、ほかに『絵日傘』があります。

 俥は人力車のことです。夜桜が散る中を人力車に乗って去っていく花嫁と、それを見送る幼い妹――そんな絵が浮かび上がってくるような歌詞ですね。
 上の絵は、2003年の年賀状用にPhotoshopで描いたものです。

(二木紘三)

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コメント

二木様に一言お礼を申し上げたく、コメントを書き込みさせて頂きました。
以前から、このサイトで戦前の名曲の数々を、心ゆくまで、楽しむ機会を頂いております。感性に訴える絶妙な編曲、本当にすばらしいですね。
今回、この『花かげ』に惹かれて、ネットでたまたま『花かげ』の名唱に出会いました。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_0c8a.html
二木様のあたたかな手書きの絵にぴったりの名唱です。
名曲・名唱をMP3配信するブログの限りない可能性を強く感じました。
益々のご活躍を祈っております。

投稿: あいちゃん | 2007年9月11日 (火) 01時10分

「花かげ」いいですね。月明かりの夜桜の中を
花嫁姿のおねえさまが俥に揺られて、遠ざかっていきます。
その後姿を妹の私が見送っている。この絵によって
美しいイメージが、幼い日の実体験とダブッて、
なんだかほろりとさせられます。ありがとうございました。

投稿: アメアガリ | 2007年10月23日 (火) 20時24分

この歌はロシアとポーランドで、同国語で翻訳されて歌われています。特に、樺太豊原のバヤン奏者、ギムロ夫妻の歌うものが最も知られています。日本の歌であることは知られていません。ポーランド人である十五歳の私の娘はこの旋律を聴くと、涙をながします。

投稿: シモン・イサコフスキ | 2007年11月23日 (金) 21時05分

シモン・イサコフスキ 様
 15歳のお嬢様がこの曲を聴くと涙される、というお話に心を打たれました。やはりこの「花かげ」をこよなく愛する者のひとりとして、とてもうれしく、心あたたまる思いがいたします。きっとこころの優しいお嬢さんなのでしょうね。お幸せを祈ってやみません。
 日本人の私は、お国の作曲家ショパンのノクターンが大好きで、とりわけ20番嬰ハ短調が流れるとまぶたが熱くなります。

投稿: くまさん | 2008年2月22日 (金) 12時26分

くまさん様
娘と家内は一月日本で暮らし、「ひなまつり」の日にワルシャワに帰りました。空港で雛壇を見、「あかりをつけましょ…」のメロディーに合わせて歌いながら、セキュリティーを通ってゆきました。係官も微笑んでいました。ショパンはポーランド人の心です。ショパンも泣かせますが、オギンスキーのポロネーズ「さようなら祖国よ」も泣かせます。娘はやっとピアノで弾けるようになりました。

投稿: | 2008年3月 7日 (金) 20時51分

イサコフスキー 様
お便り有難うございました。
オギンスキーの「さようなら祖国よ」というのは、たしか映画「灰とダイヤモンド」の中で使われた曲ですね、泣けます!そういえば、あの愛らしいピアノ曲「乙女の祈り」も、ポーランド女性の作品でしたね。大好きです。
 ところで話は全く違いますが、ポーランドの方と聞いて私が真っ先に思い出すのは、「蟻の町の神父」と呼ばれたゼノ・ゼブロフスキー修道士のことです。自ら長崎で被爆しながら、日本の戦災孤児や恵まれない人々のために、その生涯のほとんどを捧げられたゼノ「神父」を、私は決して忘れません。そして彼の師コルベ神父も。

投稿: くまさん | 2008年3月 9日 (日) 21時25分

くまさん様
ゼノ修道士もコルベ神父も多くのポーランド人は知っています。ポーランドの古い子守唄に「イスケレーチカ」(暖炉の薪の火花)というものがあります。哀愁あふれる旋律です。CDがありますので、お貸しできます。
シモン・イサコフスキー

投稿: | 2008年3月16日 (日) 07時54分

イサコフスキー様
 遅ればせながら、ご親切なお申し出に心からお礼申し上げます。お話のCDを拝借したい気持ちは重々ですが、大切なお品に万一の事があってはいけません。そこでいかがでしょう、「イスケレーチカ」などの子守唄を聴けるインターネットサイトをご存知でしたら教えていただけないでしょうか?有料、無料を問いません。そうすれば私以外の多くの方にも、ポーランドの美しい子守唄に触れる機会が生まれると思うのですが。
 いずれにせよ、ご厚意ほんとうに有難うございます。
                       

投稿: くまさん | 2008年3月30日 (日) 22時10分

くまさん様
ご連絡遅れました。留守にしておりました。残念ながら Iskiereczka イスケレーチカの聴けるサイトを知りません。複製をつくることは禁じられていますので、オリジナルをお貸しいたします。原盤は Kolysanki コウイサンキ (正しくはlの文字は、字の中ほどの高さに短い横棒がついてウの発音)というものです。十五年前ですが、ワルシャワのテレビ放送では、「おやすみ」の合図にこの旋律が流されていました。本居長世風の旋律ですね。

投稿: イサコフスキー | 2008年4月 5日 (土) 08時26分

くまさんへ
You Tubeに動画として、iskiereczkaの語を含むものを発見し、見てみましたら、私の好きなイスケレーチカがありました。子守唄ですよ。私はもうじきポーランドへ帰ります。向こうからこのサイトに接続できるといいのですが。シモン イサコフスキー

投稿: | 2008年7月11日 (金) 21時04分

イサコフスキー 様
私ごとき者のためにこれほどまでのお心遣い、ほんとうに嬉しく感謝の言葉が見当たりません。早速you tubeでいくつかの曲を鑑賞する事が出来ました。おっしゃる通り、日本人の感性にも素直に溶け込んできますね。特にbajka iskierekiという曲に魅かれます。
このサイトのおかげで、ポーランドにも私の好きな「花かげ」を愛する方がおられることを知り、ポーランドの素敵な子守唄とその親切な心を知ることが出来ました。
イサコフスキー様そして二木先生、本当に有難うございました。
   紫陽花も ひとの情けに 濡れにけり (拙句)
また日本に帰ってきてくださいね。

投稿: くまさん | 2008年7月12日 (土) 22時29分

昔の子供の歌は、ご両親に対して敬語を使った歌が多いですね。何時のころからか、日本はその美風が廃れて友達言葉になってしまいました。やはり、昔の方が教養を感じさせますね。

韓国・北朝鮮では、今でも儒教の思想が色濃く残っています。儒教と言ってもその中の「孝経」が殆どだと私は思いますが。他人に自分の両親のことを話すとき、日本なら、家の中では「お父様・お母様」と言っている家庭でも、他人に話すときは「うちの父が」とか「うちの母が」とか言いますね。これは相対敬語です。韓国・北朝鮮では、その場合でも「お父様」「お母様」と言います。いわゆる絶対敬語ですね。

私は子供の頃から、この「花かげ」が大好きです。泣きたいような気分にさせてくれます。日本人特有の感情かと思っていましたら、ポーランドやロシアでも同じ感情を抱かれるなんて…。とても親しい気持になりました。みんな仲良い世界でありたいですね。

投稿: 吟二 | 2008年9月25日 (木) 23時15分

 メロディを聴きながら二木先生の挿絵を見ているとどうしてだか目頭が熱くなってきます。
 絵心の全くない私でも、この気品あふれる色彩と調和のとれた構図に見とれてしまいます。
 背中で演技ができるようになったら役者も一人前というようなことを聞いたことがありますが、この絵もみんな背中です。
 特に手前の幼い妹の姿はその視線をすら想像させて見事というほかありません。

投稿: 周坊 | 2008年9月26日 (金) 16時35分

リンクさせて頂きました。
ありがとうございました。
聴きながら泪がこぼれて仕方ありません。

投稿: 藻川亭河童 | 2008年10月20日 (月) 10時08分

3番の歌詞…私は一人になりましたが
意味深ですね。。。

投稿: chanday | 2008年10月20日 (月) 14時07分

くまさん様 お変わりございませんか。私は今ポーランドにおります。「花影」を娘がピアノで弾いてくれました。「山の煙」もいいですね。南の東カルパチア山地では、炭焼きの煙が見られますよ。歌詞の煙は、火山の煙ではなく、炭焼きの煙のことなのですね。山地の頂上は、ポロニーナと呼ばれる高地草原になっていて、騎乗で縦断することもできます。日本の皆様どうぞツーリズムにきてください。
 二木先生感謝申し上げます。
シモン イサコフスキー

投稿: シモン イサコフスキー | 2008年11月18日 (火) 00時39分

イサコフスキー 様
 はるばるポーランドからのお便りありがとうございます。おかげさまで当方は元気に過ごしております。私の住む富山県は昨日から雪が降っておりまして、山も野原も綿帽子をかぶり、枯れ木には残らず真っ白の花が咲き、猫は炬燵で丸くなっております。
 お嬢様がピアノで私の好きな『花かげ』を弾いて下さったとのこと。うれしいですね。もしできれば、やはり同じ大村主計の作品でこれも私の大好きな『絵日傘』もレパートリーに加えて下さるとなお嬉しいですね。
 そうですか、シモン様も伊藤久男の『山のけむり』がお好きですか。これはしみじみと詩情を誘われる実に素敵な歌です。この歌をくちずさみながらカルパチアの山路を旅すれば、興趣もまたひとしおでしょうね。
 二木先生のこの「うた物語」を通して、より多くの日本の素敵な歌がポーランドの皆様にも愛されることを願っています。    

投稿: くまさん | 2008年11月20日 (木) 13時43分

翻訳された『花かげ』がロシアとポーランドで歌われていること、ゼノ修道士、コルベ神父(お名前とお亡くなりになった経緯は知っておりました)、塩野雅子の歌声・・・初耳のことが多く、大変参考になりました。皆様、有難う御座いました。

投稿: 乙女座男 | 2009年1月 4日 (日) 16時33分


 こんばんは。

 「花かげ」は、永岡志津子が、昭和6年、ポリドールレコードで吹き込んだのが最初です。「絵日傘」「ニャンニャン踊り」も、永岡志津子が、ポリドールレコードで吹き込んでいます。

投稿: こうちゃん | 2010年2月 6日 (土) 22時37分

「花かげ」は、私が幼い頃、毎日のように連れて遊び
可愛がってくれた隣のお姉ちゃんが、突然嫁いでいった時の情景に重なります。
 花嫁衣装のお姉ちゃんは、綺麗でした、手を引かれ、緊張し、伏せ目で、見送りの近所の人達に一礼し、黒のハイヤーに乗る時、一瞬、幼い私に視線を向け、微笑んでくれたお姉ちゃんが、現在60歳を過ぎた私の脳裏に刻み込まれて忘れられません。              イサコフスキー様の投稿のにれば、遠い異国の地でのこの唄が愛されている事を知り、時間、空間を超えて、愛され、心に残る唄なんですね。

投稿: 月の輪熊 | 2010年8月15日 (日) 10時19分

 正に今の季節にぴったりな歌と二木先生のファンタチックな挿絵には、心が和み忘れかけていた生物への思いが湧いてきました。

 16日・大阪城のこの歌のような染井吉野の花吹雪の下で独りワンカップとたこ焼きの昼食後、源八橋真下の平成20年№337・30名の名前のあるプレートの桜の木に会いに行きました。
この木は平成18年に建築家の安藤忠雄氏の主導の下、1千本の桜を植えて皆で育もうとの呼びかけに1口だけ参加(1万円×30口で1本)し、当初幹回り20センチほどのものが両手で回しても4~5cm足らないくらいになっていました。

 今日から造幣局の『桜の通り抜け(129品種)』が始まりました。2年前にご主人を亡くされた近所のおばあさんに、4~5日中の天気の良くない日(良い日は遠方から沢山こられ身動き出来ないほど)に今年も行きましょうと家内が誘っていました。
幼少の頃母親に先立たれ写真でしか知らない母親の面影をおばあさんにオーバーラップしているのかも知れません。

 このような思いが湧きあがるのもこのブログのお陰で心から感謝しております。
 

投稿: 尾谷光紀 | 2012年4月17日 (火) 12時00分

いつも二木先生の「うた物語」にリンクさせて頂き楽しく拝見拝聴しています。ありがとう御座います。
さて、この歌詞から考えれば先生の絵の様に考えられます。小生もそうイメージしました。小生の大手出版会社出データによれば少々異なります。作詞の大村主計(かずえ、山梨塩山明治37生まれ)は3人姉弟の末っ子で次女(多分)である姉の花嫁姿を彼が(主計)小学生の頃見を送った時の事と書かれています。その時村の人達は「おめでとう、おめでとう」言ったが僕はただ淋しいだけだった。と回想してこれを作詞したと、述べています。ですからこの歌詞の中で「私は一人になりました」となるのです。尚曲は当時日本舞踊の練習曲としてよく用いられたそうでう。

投稿: 高橋 良完 | 2014年1月30日 (木) 16時39分

 高橋良完様の考証に感心いたしました。作詩者の幼時の回想に結びついているので、心を打つ詩になっているのですね、
 それでも「蛇足」の解説と絵はこのままがよいと思います。大村主計は、自分の悲しみを回想して作ったとのことですが、詩ではそのような妹の悲しみに仮託したのでしょう。全体の調子、特に最後の「わたしはひとりになりました」などの言い方は、男の子の言葉として書いたとは感じられません。
 中島みゆきの傑作「まつりばやし」の由来を連想します。「去年の今ごろ二人で二階の窓にもたれてまつりばやしを見ていたね。・・・信じられないおまえの最期を知る。・・・眠り続けるおまえよわたしのところへはまつりばやしは二度とは来ないような気がする」などの詩句は疑いもなく恋人を看取っている男性の言葉です。そうして中島みゆきは、父親を失った悲しみの中でこの歌を作ったと語っているそうです。

投稿: dorule | 2014年2月 2日 (日) 20時18分

同じく高橋良完様のコメントに。大村主計は明治37年生れで姉が2人、偶然にも、わたしの父と同じです。姉を慕っていた父も、姉のお嫁入りできっとこう感じたと思います。もうひとつ、日本舞踊の練習曲として使われたとのことですが、そういえば、この歌に合わせて3姉妹で踊ったことがあります。(うちの中でですが)

投稿: Bianca | 2014年2月 6日 (木) 10時23分

私が年賀状用に作った稚拙な絵は、いずれも歌から私が受けたイメージに従って描いています。曲の制作経緯を表したものではありません。念のため。子どもが二人とも女の子(もうオバサンですが)ですので、どうしても女の子への思い入れが出てしまいます。
 作詞の経緯については「蛇足」に付記しておきます。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年2月 6日 (木) 22時38分

谷内六郎の絵にそっくりだなあと思っていましたが、これも管理人様の絵だったんですね。スッキリとした絵柄に切々とした思いがあふれて素晴らしいと思います。確かに、この歌詞からは妹が姉を思っているように見えますし、私たちもそうだと思って踊ったり、歌ったりしておりました。一方で、作詞家は自分の寄る辺ないさみしさを、そのまま弟が姉を慕うという風に書けなかったのでしょうね。日本の伝統と言いますか、女性に託して悲しみを語る……。男性の本当の悲しさはそこにあるかと思います。女性自身は意外とさっぱりしたもので、私は姉がお嫁に行くのに悲しくはありませんでしたが、日頃から仲の良い姉妹だとそうなんでしょうね。

投稿: Bianca | 2014年2月 9日 (日) 19時23分

妹が学芸会で、この曲を踊ってから70年近く経ちました。敗戦数年後のことで、食べ物も、着る物も乏しい時代でしたから、踊の衣装(着物)を工面するのに悩んでいた母を思い出します。

 二木様の詩情あふれる絵について、何人かの方からコメントがありました。絵の中で、嫁ぐ姉を見送っているのは、男の子(この場合は作詞者)か、女の子(この場合は妹)かというのですが、わたしは、この詞から受けるイメージでどちらでもいいように思います。童謡に限らず、歌の出来た背景を知ることは、確かに必要なときもありましょうが、この詞は作詞者21歳のときのもので、作詞者自身が10歳くらい年齢を落とし、こどもの心で作ったそうです(池田小百合「なっとく童謡・唱歌」)。したがって、わたしたちも、この歌に接するときには、事実関係にとらわれず、めいめいが童心に還って、詩情豊かにイメージをふくらませていただければいいように思います。
 この詞から受けるイメージでは、わたしは女の子です。

投稿: ひろし | 2014年2月11日 (火) 12時44分

八年ほど前でしたか、山梨・牧丘町の著名桜「天王桜」を見に行きました。県道沿いの桜を見て、覚えずこの「花かげ」を口ずさんで、童謡の世界に浸っている自分を発見。歌から想像した光景は、車に乗った花嫁姿の姉が天王桜の下を遠く小さく消えて行く、それを呆然と佇んで見送る幼い妹の姿でした。後、このサイトの前身「歌声喫茶」の挿絵に遭遇、「車」と「俥」こそ違え同じイメージだったのに驚きました。おまけに作詞者が牧丘町の出身と知り、詩作の背後に天王桜の花影があったのか、と何か因縁めいたものを感じました。詩作の経緯を知ったからといって、イメージを変えたくないですね。
野口雨情の童謡にはいわく付きのものが多いですが、よくこの「花かげ」と間違われる「十五夜お月さん」も「私」は特定されていないにもかかわらず、全体のイメージから「姉」に間違いないと思います。また、いくら経緯を知っても、「しゃぼん玉」を涙ながらに歌いたくはありません。

投稿: 飯田 | 2014年2月13日 (木) 20時41分

追記(良完)
この花嫁(次女)は嫁ぐ時15歳だったそうで、それでも晩婚だったそうです。江戸や明治時代は随分早婚だったので驚きです。早く嫁ぎ、嫁入り先で家風になじむ様に養育される時代でもあったようです。当時は一度嫁ぐと祖父や両親の祭礼など以外は実家には今のように度々帰れることはなく顔を見れません。ですからこの婚礼の別れは嬉しくもあり又悲しくも淋しくもあったのでしょう。この時代元服(成人)は11-17歳だったそうです。因みに主計は18歳で教師になりました。
ところで、作詞の主計(かずえ)は小生読めませんでした。今は経理の主計課(しゅけいか)位ですからね。でも”かずえ”の名前の人今もいるのでしょうか?
この主計(かずえ)は江戸時代武士の名前に良く使われたようです。小生幕末時代の小説が好きで読みますとかなり出てきますが、必ずルビがふってあります。この大村家は農家ですがこの時代を経験した名付け親の祖父母や両親が武士に憧れてたいたのでしょうね。尤も江戸時代”名前”は武士や特定の帯刀を許された庄屋や豪商しか付ける事が許されませんでしたから、子供につけて嬉しかったでしょうね。

投稿: 高橋 良完 | 2014年2月20日 (木) 15時55分

高橋良完様
主計 かずえの名前は今もあります。
近所の年上の知人がこの名でしたが、私も読み方は知りませんでした。今、奥様に聞いてみましたら、「かずえ」だそうです。結婚2年くらいまで「しゅけい」だと思っていたそうです。

昭和35年くらい、読売巨人軍の社長は品川主計という人でした。

投稿: 時代オクレ | 2014年2月23日 (日) 09時14分

高橋良完 様
 下記のコメントをするについて、一度は、この歌のイメージを損なうのではないかと躊躇しましたが、あなた様が事実を誤認されているようですので、以下、ご参考までに申し述べます。疑問がありましたら遠慮なくどうぞ。
①大村主計のきょうだいは3人で、兄、姉(花嫁のモデル)、主計本人の構成です。お説のとおり、主計は末っ子で、姉とは3歳違いです。
②姉が15歳で嫁いだ(2月20日付)とのことですが、わたしの調べでは違っています。15歳くらいの若さで嫁いだ姉さんの花嫁姿を、小学生の主計(作詞者)が泣きながら見送った、と言えば、この歌のイメージにぴったりなのでしょうが、事実は姉(1901年生まれ)は1925年4月に嫁いでいますから、24歳です。この時、主計は21歳です。「21歳の青年が、お別れ惜しんで泣くのは、いささか大人げないので、自分の年を10歳くらい落して、子ども心の感情を」書いた(池田小百合「なっとく童謡・唱歌〈主計のことば〉」で検索)のが、真相のように、わたしには思われます。
 多くの童謡ファンのイメージを壊すようなコメントになったことをお詫び申し上げます。

投稿: ひろし | 2014年2月24日 (月) 14時17分

ひろし様
小生宛てのコメント拝見しました。
あなた様ののご指摘の通りと思います。情報のサイト検索しました。これ程詳しいサイト知りませんでした。作詞の年月が経っていますのでデータが入り組んでいますね。これからはこのサイト利用させてもらいます。有り難うございました。

投稿: 高橋 良完 | 2014年2月27日 (木) 14時22分

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