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あざみの歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:横井弘、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男

1 山には山の愁いあり
  海には海のかなしみや
  ましてこころの花園に
  咲きしあざみの花ならば

2 高嶺(たかね)の百合のそれよりも
  秘めたる夢をひとすじに
  くれない燃ゆるその姿
  あざみに深きわが想い

3 いとしき花よ 汝(な)はあざみ
  こころの花よ 汝はあざみ
  さだめの径(みち)は果てなくも
  香れよ せめてわが胸に
  あああー

《蛇足》 詞は、昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものといわれます。
 八島高原には、この歌の歌碑が建っています。

 八洲秀章が作曲した歌がNHKのラジオ歌謡に採用され、昭和24年(1949)8月8日から放送されました。レコード化は同26年(1951)8月でした。

(二木紘三)

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コメント

何時もお世話なっています。
青春期の歌
特に、あざみの歌と川は流れる/この曲には
私自身の心と身体をともに聡明感に浸し
過去を清め生きる為の献花曲です。

老いて
今なおこの歌(あざみの歌)の曲と同じ
心境にいる自身に人生最後の清き恋を
謳歌させる曲になっています。

これからも良きアドバイザ-として曲をつくり
曲に対するコメントを多く切望します。
二木様より少し年齢が下ですが、二木様の
コメントが大好きな私です。


投稿: 中家 忠夫 | 2007年8月28日 (火) 23時28分

MID歌声喫茶の方にはあったのですが「うた物語」の方に、いつ採録されるかなあ、と首を長くして待っておりました。ありがとうございました。
これは戦後の私の原点を私に突きつける歌なのです。柏崎の在の村で過ごした昭和25年のさまざまを思い出させ触発してくれるのです。予科練帰りの先生、兵隊の雑嚢の通学かばん、襟章をもぎ取った兵隊服の青年、でも何だか空だけは青かった、何かが始まろうとした予感のようなものがありました。書けばきりがありません。また「あざみの歌」を聞きながら、来し方行く末を考えます。

投稿: 菅原 主 | 2007年9月 1日 (土) 16時37分

アザミの歌をWALKMANに落として聞く、などと言うことが許されるのでしょうか?また許されるとしたら、どんな方法がありますか?

投稿: 菅原  主 | 2008年3月27日 (木) 14時09分

 また、涙を流し、自らの過去に関係したこの曲について話させていただきます。
 以前より大好きな曲であり、抒情歌の至極の名品です。格調高く、理想を歌い上げた歌---他に言葉はありません。

 人生多難、生きることの難しさをいやというほど味わっていた時代があります。今も掛け値なく苦しい時期ですが、その時は、小生にとっては地獄に落とされた時、地獄でもがいていた時と表現できるでしょうか??
かれこれ5年になります。とある不祥事の為、以前の診療所を閉鎖せざるを得なくなったのです。しかし、前向きにいこうと決心し、現代医療とは対極にある、四国のとある病院に勉強をかねて勤務することにしたのです。
 とある病院とは
   重症のアトピー患者
   癌の末期患者
   膠原病・神経疾患などの難病の方々のあつまる
        ところでした。

 現代医療ではどうしようもない、また 不信感 をいだいた  また みはなされた  方たち が全国から集まるところでした。

 お分かりのように、最も大変なのは予後を宣告され、幾ばくもない命の延命、万が一の病気の治癒にかけて遠いところをこられる末期癌の方たちです。西洋医学ではありません。癌に関しては、副作用だけが表に出て効果の少ない抗癌剤治療などはしないのです。漢方的アプローチも含めて、少しでも患者さんの結果に満足の得られるよう加療するのです。
 その病棟での話です。愛知から来ておられた初老の奥さんがおられました。みなさん生きれる方法を探しにきておられるのです。  その枕もとに「アザミの歌」と書かれた色紙がありました。興味があり、どうしたのですかとお聞きすると、地元のカラオケクラブの名です。激励でいただいてきました--との返事でした。まだ勤務して直ぐのころ、どうしようと考えたわけです。病院から少しはなれた海岸べりにカラオケボックスがあることはつかんでいましたので、事務長にかけあい、病院の車を動かし、何人かの希望者と歌いに行ったのでした。もちろん、その方もご一緒されました。何曲かずつ歌い、最後に「あざみの歌」を合唱したのを、つい昨日のように覚えています。
 それぞれ延命はされましたが、今はなく--この曲を聴く度、皆さんのことが思われ、不条理な病に対する反発と、われの力のなさ、また人生の悲しさを痛感させられるのです。

 老人医療制度がどんどん後退し、皆さんに医療福祉の分野でも、つらいきびしい時代が続いています。我々のできることは何なのでしょうか??この世知辛い世の中でも、真の心、誠意だけは伝わるものと信じ一歩一歩、歩いていきたいとかんがえています。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年4月 6日 (日) 21時15分

能勢の赤ひげ様。。。
仕事の中でなにげに流れていく事もあれば。。。重大な難事に遭遇してしまうこともあると言うことが、赤ひげ様のお話で頷けました。
仕事に、他の事でもですが。。。前向きになればなるほど悩みと言うか、自分が対処して行かなければならないことが湧き上がってくることがありますねぇ。
今。。。無職の私ですが。。。仕事をしている時は同じように悩みの日々もあったように感じます。
赤ひげ様のコメントの深い所にある意味を考えていつも心打たれるような。。。そんな気がします。

投稿: sunday | 2008年4月 7日 (月) 06時38分

 sunday様

いつも、温かいお返事をいただきありがとうございます。生きること、自分の理想に向かうことは、ほんとうに難しいですね。お返事いただけるだけで、強く励まされます。心から感謝しております。
 大場様とも何度か、コメントでやりとりさせていただきましたが、父の早世という大きな事件がーー何故か共通の考え方、感性につながっているのでしょうか?? いろいろ共鳴できるのですね。皆様とこういう場でいろいろな意見を交換でき、まだ見ぬ方々と「とおりいっぺん」ではない感じのつながりのできること、ほんとうにうれしく思っております。友情あふれた長年の知己のようにーーー
 sunday様は、息子さんと、とりあうかのようにこのサイトを聴いておられるとか。ほほえましい場面が想像され、こちらにまで暖かい風がそよいでくるようです。いいですね。よい親子の関係は。   では、また

 二木先生 いつも有難うございます。私的なことも多いと反省はしております。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年4月 7日 (月) 13時30分

   都会にて野あざみの道たどりをり  (拙句)

 私が生まれた昭和24年そして翌25年には、『さくら貝の歌』『水色のワルツ』など、叙情歌の名曲が数多く発表されました。おそらく「叙情歌」というものは、世の中が安定した時でないと生まれにくいのだろうと思います。
 その頃には、戦後の復興もようやく軌道に乗り始め、菅原主様のコメントのように「何かが始まろうとした予感のようなもの」を、国民誰しもが抱いていた時代だったのではないでしょうか。そんな時代背景の中で生まれた叙情歌の数々…。分けても、この『あざみの歌』と『白い花の咲く頃』は、共に日本的原郷風景を謳い上げた、間違いなく戦後叙情歌の中でも出色の名曲だと思います。
 私が『あざみの歌』を知ったのは、小学5年の頃だったろうと思います。当時お世話になっていた母子寮の40代の男性職員が好んで歌っていた歌らしく、母らがその人から教わり、母からさらに教わって覚えたのです。
 この歌全体の情景そのままが、私の郷里の風景と分かちがたく結びついていて、当時のことが懐かしくよみがえってまいります。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月19日 (土) 19時33分

なんてステキなんでしょう。何度も何度も繰り返し聴いて、今までの無感動の日々にピリオド。ここに辿りついて良かった。有難うございます。何だか涙も出てきます。

投稿: 古都●●美 | 2008年7月30日 (水) 11時14分

昭和17年生れ 7人兄姉の末っ子で小さい頃は姉たちの歌う歌謡曲を聞いて育ったので、この唄も好きな曲でた。
先だって諏訪湖畔の温泉に泊まった翌日に、二木先生のこの歌の紹介文を思い出し、居ても立っても居られず妻がぶつぶつ言うのを無視して、諏訪湖畔からのだらだら登り坂の細い山道を車でいっきに霧ヶ峰高原まで駆け上がり八島湿原の歌碑を見て来ました。もう秋口なので歌碑の周りに伸びたあざみの花は枯れていましたが、湿原を巡る同年配の散策者の多い中、思わず遠い湿原を眺めながらこの歌を口ずさんでいました。  私の一番好きな曲になりました。

投稿: 武田 久信 | 2008年10月25日 (土) 00時32分

作曲者の八洲秀章先生のご子息であり、劇団四季の俳優として数々のミュージカルに出演され、退団後の現在も舞台で活躍されています沢木順さんと、偶然の知己を得、そのリサイタルの場等にて「さくら貝の唄」共々、機会あるごとに拝聴させていただいております。

たまたま沢木さんの四季時代の友人で、同じく俳優の濱畑賢吉さんが、中国戦線に出征した高知出身の兵士と、現地で捕獲した野生の豹の子供との交流を描いた物語
「戦場の天使」という童話を出版されまして、そのプロローグとエピローグに「よさこいと兵隊」(南国土佐を後にして)が用いられておりましたことに、土佐出身者として大変興味を持ち、検索を重ねたところ、こちらにたどり着くことが出来ました。

戦後も二桁(30年代)の生まれですが、育った環境が街中の歓楽街のど真ん中ということでもあり、軍歌、戦時歌謡、及び戦前・戦後の流行歌(所謂ナツメロ)を子守唄代わりに聴かされていたようで、「廣瀬中佐」「水師営の会見」「戦友」から「誰か故郷を想わざる」「街のサンドイッチマン」等々、膨大なレパートリーとして刷り込まれました(笑)。

リズム偏重で、殆ど「騒音」としか認識できない昨今のラップ系などの音楽と違い、叙情歌というものは世代を超えて歌い継がれていって欲しいものです。

また殺伐としたインターネットの書き込みが氾濫する中にあって、温かみのある文章で綴られたこちらのページは、一服の清涼剤としてまさに「高原の清清しさ」を感じる次第でございます。

若輩者の戯言ではございますが、とりあえず感動をご報告まで。

投稿: 連絡船 土佐丸 | 2009年2月 6日 (金) 20時28分

あざみの歌、いいですね♪

この曲は学生時代に覚えました。
しみじみと歌うのも素敵ですが、こちらで音を聴きながら
歌詞を追っていくのも味わいがありますね。

二木様の解説がまたグッと心に沁みました。
八島湿原方面はよく訪ねます。高原に咲いていた鮮やかな
あざみと”理想の人”とを重ねた横井少年の想いー。

”あざみは”復員してきた18歳の少年の揺るぎない
希望だったのでしょうね~。


私はフルートを趣味にしています。
今月、高齢者施設で演奏ボランティアを予定しているの
ですが、この曲をフルート用にアレンジされた楽譜で演
奏します。

歌詞を大きく書いて高齢者の方々にも歌って頂きます。
もちろん二木様の解説もご紹介させていただきますね。

投稿: やまゆり | 2009年5月19日 (火) 23時31分

二木様 いつも心の洗われるような歌と絶妙な解説・コメント ありがとうございます。

小生は何故かこの「あざみの唄」と「青春日記」が心に強く切なく響くのです。

その昔、苦学生だった(今でも貧乏ですが)頃、医学か工学かいづれの道にすすむべきか迷いました。 医科に進学すれば24歳まで結婚生活を迎える資力は不可能だし、一時は工学に進学して、思いを寄せていた女性と・・・とも考えました。医学に進んで、結婚を待ってくれるようにとは到底言い出せなかったのです。 

甲斐性のない小生は、その女性を諦め、医学の道を選び、奨学金とアルバイトをしながらやっと医師になりました。 その時にはすでに彼女は他家に嫁いでいました。 自分の不甲斐無さがいやになったときもありました。

すべてを忘れるために、仕事に勉強に打ち込みました。 でも何故か、「あざみの唄」と「青春日記」を聞くと、目頭が熱くなるのを抑えることが出来ません。 

同時に、
「君に似し 姿を街に 見る時の 心踊りを 哀れと思え」 
「かの時に云いそびれたる 大切の言葉 今も胸に残れど」 
「かの時に 我が行かざりし 分去れの 片への道は いずこに行かん」
の三首が頭をよぎります。(いづれも盗作模倣)

昨年、 50年振りの同窓会で 彼女に会い、 幸せな暮らしぶりを知って、少しは安堵しましたが、 反面、複雑な気持ちになりました。 彼女もそれに気づいてくれたような、詰っているような仕草が見られました。

「あざみに深き 我が想い」
「さだめの途は 果てなくも 香れよせめて 我が胸に」
この世で 所帯を持つことが叶わなくても・・・、

二木様 今後ともよろしく 老体にも青春を送り続けてください。  お元気で


投稿: 還暦医師 | 2009年8月12日 (水) 01時54分

はじめまして。私は、長く合唱を愛好し、以前は音楽教師をしていたこともある者です。現在は、家で細々と、子どもたちにピアノを教えたりしております。
 子育てが一段落した頃、地元の女声合唱団に入れてもらい、合唱を再開しました。その団では、高齢者施設へのボランティアへよく行くのですが、その関係で、この「あざみの歌」を知りました。とても美しい哀愁を帯びたメロディに心惹かれ、すっかりファンになった私...。
 その後、私の実母が入所した、小さなグループホームへは、私が一人で、月一回のペースでボランティアに行くようになりました。そこにあった今時珍しい「足踏みオルガン」を鳴らしながら、皆さんと一緒に歌を歌う時間を過ごしております。
 ちょうどアザミが咲く季節に、この歌を採り上げると、やはり大人気で、必ず涙をこぼされる方もいるようです。
 歌にまつわるエピソードなども、話して差し上げているのですが、手元に資料のない歌の時は、よくこちらの二木先生のサイトを利用させていただいております。わかりやすく、しかも深い内容に、読みふけることがしばしばです。(^^;)これからもお世話になると思いますので、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

投稿: アランフェス | 2009年9月 1日 (火) 13時34分

どのような曲のリクエストが多いのかと月間アクセスランキングの更新も楽しみにしています。

7月18日から12月14日までの全ての月にランクインした曲は12曲で、順位は次の通りでした。

①あざみの歌       ②ああ上野駅
③ああモンテンルパの夜は更けて ④旅の夜風
⑤浜辺の歌        ⑥誰か故郷を想わざる
⑥鐘の鳴る丘       ⑧哀愁列車
⑨青い山脈        ⑩サーカスの歌
⑪赤いハンカチ      ⑫北上夜曲
  
不思議なことに12曲全てが、2007年にアップされているんですよね。
2年以上の歳月にかけて上位にリクエストされる歌は、人それぞれの思い出が沢山あるのでしょう。
良い歌ばかりです。

投稿: かんこどり | 2009年12月26日 (土) 10時00分

八州秀章の曲をもし一言で表現するとすれば”清らか”ではないでしょうか。「毬藻の唄」、「さくら貝の唄」「山のけむり」、どの曲を聴いても心が清々しくしくなります。
昭和40年代、長野県の木島平というスキー場に友人達と行きました。当時はどこのスキー場でもフランシス・レイの「白い恋人たち」の音楽が流れていましたが、ここのスキー場では「カヤの平の紅い花」という歌が流れていました。甘く、切ない哀愁に満ちたこの曲が1回聴いただけで好きになり、ソノシートを購入して帰りました。今でもこの曲を聴くと「ハイキング、スキー、キャンプ、海水浴、ダンスパーティ、歌声喫茶」等、友人達と過ごした若きあの日を思い出します。
この曲の作曲は”八州秀章”でした。ご当地ソングをよく作曲されていたのでしょうか。このような素晴らしい曲が世の中に知れられていないのはとても残念です。長野在住あるいは出身の方でお聞きになったことはありませんか?二木先生も長野出身とのことですがお聞きになったことはありませんか?
詩を紹介させて戴きます。

「カヤの平の紅い花」 唄:伊藤あつし
 作曲:八州秀章
 作詞:宮本旅人

1.牧場のみちに よりそうて
  ふれ合う肩の いとしさよ
  ああ~ 幸せにうるむ瞳よ
  ゆれている ゆれている
  カヤの平の紅い花
2.信濃の乙女 初恋の
  キャンプの夢よ 唇(くち)づけよ
  ああ~ 白樺の森のロッジに
  鳴いている鳴いている
  カヤの平の紅い花
3.別れといえば この胸に
  頬うちつけて きみは泣く
  ああ~ 青春の遠い山脈(やまなみ)
  光る雲光る雲
  カヤの平の哀愁よ

私は2番の詩が特に好きです。「水色のワンピースが良く似合う、髪の長い、色白の ほっそりした、麗しき人は今どこにいるのでしょうか?・・・・・・・・・・・・
ゴメンナサイ、私の妻となっています。(でも今は昔の面影は全くありません。)

投稿: 荻原 敏章 | 2010年1月11日 (月) 17時40分

”うた物語”を想いで深く、沢山の曲を聞かせて頂いております。先日、アラウンドセヴンティの仲間と小旅行をしてきました。その折、昔音楽を教えておられた女先生に”あざみの歌”をリクエストしました。人目を憚る事無く、その歌詞と歌声に、今は亡き妻を偲び号泣しました。この歌を何回聞いたことでしょう。聞くたびに涙するのに、また聞きたい。聞きたい衝動に駆られるのです。そしてまた頬を伝わるものがあるのです。これは何なんでしょう。妻と唄った歌を幾曲も聞き、写真を前にし歌っております。二木先生のすばらしい解説文を声を出して聞かせてあげています。

投稿: 妻を恋ふる独居人 | 2010年4月 9日 (金) 16時41分

二木様の素晴らしい解説をいつも楽しく読ませていただいております。地域のデイサービス施設で「歌の出前)を始めて4年、6月29日で60回目となります。隔週火曜日に毎回童謡、唱歌、歌謡曲、民謡などを30曲選曲し、二木様の解説を参考にしながら、認知症、がんの末期症状、脳血管障害等のご利用者と一緒に歌っています。6月29日の第60回目の「歌の出前」では「あざみの歌」も選曲しました。

投稿: 三澤 洸 | 2010年6月27日 (日) 14時07分

昭和17年生まれの私は、子供のころからこの歌を何回も耳にし、心の中の思いを歌ったきれいなメロディーだと感じていました。
定年後に家内の伴で、歌を歌うような会に行き、今でも歌われているのを知りました。
作曲家の八洲さんが、この他にも沢山きれいな曲を作ったこと、私が子供の頃に観た映画「ドレミハ先生」で若い熱心なやさい先生を主演したことも分かりました(さくらが満開の城跡で歌を教えていたシーンと主題歌が、今でも印象に残っています)。
今年は、八洲さんの没後25年ということでコンサートも計画されているようで、私も行こうと思っています。
ファンの方が多いようですので、「さくら貝の歌」のコメントに情報を記入して置きました。

投稿: 鈴木昌国 | 2010年8月17日 (火) 11時18分

初めまして。こんなに時を過ぎてしまったページに申し訳ございません。今日は我が子を思い、この歌が心に響き、どうすることも出来ずにいたらここにたどり着きました。
生き下手で、心の安らぎを求める息子は今、現実の厳しさに一人、立ち向かっています。もう、めげそうな立場を必死に立っています。要領のよい子には何でもないことなんですが、とにかく傷つきやすい子、自分自身でもどうして良いかわからないのです。

底から逃げ出せば何でもないこと、しかし、それは自分の敗北も認めること。生きることも出来ない要領の悪い自分自身が情けなくって仕方無いでしょう。

一人親の私にはどうしてやっていいかわかりません。
この歌が私に語りかけるのです今日は。
♪~
・高嶺のユリのそれよりも 秘めたる夢を 一筋に…

・定めの道は果てなくも 香れやせめて わが胸に…

息子の胸の内にはいつもこんな秘めた思いが一杯。
そんな子が苦しんでいる、、何もしてやれない母親の秘めた思いもこの子の幸せだけ…

どうぞ、どうぞ、、、
この歌のような思いを心に温くめて頑張って欲しいと思います。ここに巡り合えてうれしかったです。

投稿: nago | 2010年9月10日 (金) 17時54分

nago様
私は、あることで苦しんでいた高校3年のとき、もう亡くなってしまった友人から、ゲーテの次の言葉を贈られてずいぶん楽になったことがあります。

「生き続けていけ。今にきっとわかるだろう」

私もこの言葉をご子息に贈りましょう。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年9月10日 (金) 20時09分

二木先生 ご無沙汰しております。時は矢のように過ぎ、 ここ能勢の里には、コスモスが疎らに咲くのが見られる季節となりました。 まだまだ気温は高いですがーーー。

 好きな曲にコメントがあるので、開けさせていただいたのですがーーー途端、涙が噴水??のように出、
  大層、困惑しました。(兎の眼で仕事にはいった次第です)

 nago様の、子を思う親心、強く強くうたれました。
社会にでても、人と上手に処していけない。つらいことですね。でも、また、多くあることです。自分さえよければいい、金さえあれば幸せ、といったような我々団塊の世代から考えると何故だろう、どうしてそうなったのたろうという人たちの増えてしまった社会、どうすれば弱きものに、そっと手をさしのべることができるのでしょうか。
 本来、日本人に備わっていた弱者をいたわり助ける気持ち、惻隠の情はどこへいってしまったのでしょう。

 自らの反省とともに、明日からの仕事の一助とさせていただきます。

         能勢の赤ひげ

投稿: 能勢の赤ひげ | 2010年9月12日 (日) 19時56分

nago 様
 
 差し出がましいとは思いますが、わたしが生きる勇気をもらった詩に『心に太陽を持て』(山本有三訳詩 ツェーザル=フライシュレン原詩)があります。確か小学5年か、6年ころに習った国語の教科書にあったものですが、未だによく覚えています。とくに3連目の「くちびるに歌を持て 勇気を失うな。心に太陽を持て」、「そうすりゃなにが来ようと平気じゃないか」の行は当時も、今も心に響きつづけています。全文をここに紹介すればいいのですが、紙幅の関係で割愛しますので、お知りになりたければ「心に太陽を持て」で検索してくだい。
 また、「くちびるに歌を持て」の通り、何百万、何千万の方々が、二木様のこのサイトで心癒され、励まされています。あなたが『あざみの歌』で勇気と癒しをいただいたように、ご子息にも生きる勇気と希望をあたえる歌を、是非プレゼントして上げてください。僭越ですが、わたしがご子息にお贈りしたい歌は『若者たち』です。このサイトにありますので、よかったらアクセスしてみてください。ご子息が一日も早く心やすらかな日を迎えられるといいですね。


能勢の赤ひげ 様

 お久しぶりです。しばらくコメント欄にHNが見受けられなかったので、お身体でも悪くされたのでは、と案じておりました。あるいはお仕事の関係で疎遠にされていたのかも知れませんが、これからまた、心温まる『能勢の赤ひげ節』(失礼!)が拝見できそうですね。心待ちにしております。
  
 

投稿: ひろし | 2010年9月16日 (木) 14時46分

我が子を心配された母親のコメントに未経験の小生が何か申し上げるのは差しで増しいとは思いますが、このお子様には自信をつけてやる事だと思います。その為には
母親が見本を示し、子供のやる事を観察する。
「心のやすらぎ」を求める子とあります。易し過ぎる子
なのですね。失敗を恐れるともあります。母親が失敗して見せたらとも思います(笑ってすます)。自分の敗北を認めることになるとも。これは成し遂げた事がそれ以上の喜びに変われるなら明るく明るく未来は拓ける物と
思えないでしょうか。

投稿: 世世 | 2010年9月17日 (金) 22時18分

 ひろし 様

僕のような、考えのない下手なコメントにも、気にとめていただき、身体のことまで案じていただいてた由
 ---恐縮です。また、感謝しております。
日々いろいろなことがありますが、「患者さんと向き合うに、医師が健康であることがまず第一」の信念のもと、健康には、留意しております。

人生の先達のひろし様の文章に感動し、涙するまま
 月見草の花 に恥ずかしいようなコメントを続けさせていただいたこともございました。

今日も偶然に、あざみの歌のコメント欄の最初の方で書かせていただいた「四国のとある病院」に入院中の方の家族の方とお話しておりました。ほんとうに、不幸な、思い通りにいかない方々は多いです。僕の力など無いに等しいですが、少しでも役にたてるようがんばっていく所存です。  ひろし様 有難うございました。

 また、この場をお借りして

 やはり、月見草の花で
僕のことを過大に褒めていただいたBianca 様、ほんとうに有難うございます。世渡りの下手な自分ですが、
 ---不器用に、がんばっております。

また、考えのない子供のようなコメントをすることもあると思います。そのときは、能勢の泣き虫、また泣いているなーーーと流してください。お願いいたします。
 


投稿: 能勢の赤ひげ | 2010年9月17日 (金) 23時10分

 皆様のブログですので、私信の交換は出来るだけ避けたいのですが、一言コメントさせてください。

 能勢の赤ひげ 様

 あなた様のように患者の気持ちに寄り添い、黙々と現場で「医は仁術」を実践されている医師は多いはずですが、時に医療ミスや「算術医」がメディアによって取り上げられ、医師不信を増幅させている昨今の状況があります。お辛いとは思いますが、どうか逆風に負けず、ご健勝にてご活躍されますよう祈念いたしております。 

投稿: ひろし | 2010年9月20日 (月) 10時50分

初めまして。
あざみの歌の歌詞を検索してここへたどりつきました。
私の拙いブログ記事へこの歌の歌詞や二木さまの文章も掲載させていただきたく思います。
もし、不都合があれば削除致します。
記事はこちらです。
http://blogs.yahoo.co.jp/wafukukoubouhisae/52063360.html

よろしくお願い致します。

投稿: ひさえ | 2011年9月 7日 (水) 11時30分

いつも《蛇足》を拝見して、二木先生の哀愁の漂う、お心の深さに、魅力を感じます。アザミの歌を聴き、遠い日の初恋を思い、はじめてここに書かせていただきました。当時17歳の私は、歌が好きで夜間に音楽学校に友達と通っておりました。生徒だった、4歳ほど?年上の男性が好きになりました。恥ずかしくて、顔も相手が気づかないときにそっと、見るだけ、ましてや、話しかけることなどできません。私の知らない間に、友達は私の思いを彼に伝えて、二人だけで会う機会をつくってくれました。その日、彼から婚約者がいることを知らされました。今なら、4歳ほどの違いなんてなんでもないことですが、学生の私には、社会人の彼とは大きな隔たりを感じていましたので、恋人があって当然だと思いながらも、悲しみから立ち直れませんでした。後日、彼から来たお手紙に、こう書かれていました。恋愛感情はないけれども、野に咲いた清く、可憐な花を、誰もが立ち止り、じっと見る・・・そんな思いで僕も君を見てきた。社会人の僕は、けがれた人間で君には近づくことはできないーー。私は、音楽学校をやめ、修学旅行の船から、何枚かいただいていたお手紙を、瀬戸内海に散らして、絶対に結婚はしないと、心に決めました。けれど、それから3年後ーー生まれ変わることがあったら、再びこの人と、と思えるほどの、夫に恵まれて、幸せな日々を送っております。だからでしょうか、50年も過ぎた今も、アザミの歌を聴いては、初恋の日のことを、もの悲しく追憶してしております。お手紙で、野の花にたとえて、心を伝えてくださった彼によって、きれいな初恋の思い出になりました。あの人は、この歌を静かに、あじわい深く歌っていらっしゃった・・・きのうのように、浮かんできます。

投稿: まゆこ | 2011年10月19日 (水) 02時14分

 子どもの頃からの「歌好き」で、一時は歌手を夢見たこともあった私ですが、その後「合唱」と出会い、やがて中学校の音楽教師を経て、今は自宅でピアノを教えたりしている者です。
 ここ数年は、母がお世話になっている高齢者施設へ、ボランティアで、月1回のペースで「歌の時間」のために行ってるのですが、歌の解説等の資料集めの際は、よくこちらのHPを利用させていただいております。(^^;)ゝ
 そこでの話ですが、毎年「あざみの花」が咲く頃の季節に、この歌を採り上げるのですが、いつも大好評で、「朗々と」歌ってくれる入所者の方もおられる現象に、こちらが驚かされる思いです。
 この曲は、所属している合唱団で知った歌で、私も「なんてステキな歌なんだろう!」とファンになりましたが、リアルタイムで知っていた方々にとっても、大人気の曲だったようですね。

投稿: アランフェス | 2012年6月21日 (木) 03時55分

私の好きな詩です。
しかし、
こんな詩が作られる環境に
自分の身を置きたいとは思いません。
山には山...海には海...大仰な文句...
こんな言葉が出て来る心境...
現代からすればバカです。アホとしか言い様がない。
もし、今の時代にこの詩が発表されたなら...袋叩きでしょう。
時代が作る詩とは言え、余りにも悲しすぎる。
一生に一度はこんな詩を作りたいと思う反面、
作らなくてもいい、我が身の幸せを感謝したい...
by 疾風

投稿: 疾風 | 2013年1月 3日 (木) 23時48分

疾風様
 この歌詞をよく読めばそんなに強い不幸を感じることが無いように思います。心に秘めた濃紫の美しい薊の花のような女性に深く思いを寄せています。その切なさは山の愁い、海の愁いにも匹敵する程だと言っているのではないでしょうか。俳句には山笑う(春の季語)山眠る(冬の季語)があります。貴方流に言わせると大げさなと思われるかも知れませんが日本独特の文化です。山の愁い、海の悲しさがわかるほどの深い恋をしてください。今の時代の様な軽い恋は本物の恋ではありません。一生を通して愛すること、深さが違います。言葉の裏にあるものを感じ取る心が豊かに生きる糧になるのです。私に言わせれば昨今の歌の歌詞の方が中身がなくバカかアホに近いと思います。

投稿: ハコベの花 | 2013年1月 4日 (金) 11時16分

 
疾風さま
 私は推理小説、サスペンス小説好きの男です、昨日『八点鐘がなる時』を読み終え、このブログであなたの文章を見つけました。失礼ながらあなたの文章は、どこか分裂していますね。
というのは「あざみの詩」を
>私の好きな詩です。
>一生に一度くらいはこんな詩を作りたいと思う
とこの詩をみとめながら、一転してマイナスの評価、「不幸な時代が作り出した悲しい詩」といっています。しかし、そこでやめておけば、私も「そんな受けとめ方をする人もいるのかな、人生いろいろ、人間もいろいろ(島倉千代子)」と思ったでしょう。
しかるに
>山には山、海には海、大仰な表現、
>現代からすればバカです、アホです、、、今なら袋叩きです。
とこっけいなほどのけなし文句が続きます。それで私はあなたのことを、文章の作り方がおかしい人というよりも、作詞家横井 弘のおそらく最高傑作の一つともいえるこの歌を貶して、読者皆さんの反応を見ようとしているのではないのかなと思いました。
「一生に一度くらいはこんな詩を作りたい」と思う人から、こんなけなし文句がでるはずがないというのがを私の論拠です。「大仰な」「袋叩き」ということばも、今の若い人はあまり使わないからあなたは50~60代の方でしょうか。
 もし私の推理が外れていたら、反省してシャーロックホームズからまた読み直します。

投稿: 越村 南 | 2013年1月 4日 (金) 14時38分

このサイトで花を唄った曲は多々ありますが、「エリカの花散るとき」「からたち日記」「くちなしの花」「黒百合の歌」「恋のアマリリス」「秋桜」「さざんかの宿」「シクラメンのかほり」「鈴懸の径」「マロニエの木陰」「リラの花咲く頃」皆選んだ木や草も良いが詞も綺麗ですね。先生が「りんどうの花咲けば」の解説に書いておられる「身辺から自然が遠のくにつれて、草の花や木の花に託す人の思いも希薄になったのでしょうか」その通りだと感じています。

投稿: 海道 | 2013年1月 7日 (月) 20時21分

この詩を作った横井弘氏は18歳の復員兵なんですね。「海ゆかば、水漬く屍、山ゆかば、草生す屍」とや、若山牧水の「山を見よ、山に日は照る、海を見よ、海に日は照る、いざ唇を君」とか佐藤春夫の「野ゆき山ゆき海辺ゆき・・・・」とかの詩歌世界に親しんでいたのではと思います。わが胸の思いを述べるとき、海とか山とかを例にあげることはごく自然で、ここは先人の感受性の豊かさに思いをはせる場合ではないでしょうか。

投稿: Bianca | 2013年1月13日 (日) 19時37分

「あざみの歌」は伊藤久男の歌唱で幼少の頃よりラジオなどでよく聴いてました。ただ私の故郷には「オイランアザミ」という、葉がやたら厚く、そしてトゲも太く、刺されたら半端な痛さでないアザミが多かったのです。その頃は山地に植生する「ノアザミ」類を知らなかったのです。「オイランアザミ」の花も赤紫色で美しいのですが、痛いトゲの恐怖感から、「あざみの歌」にしっくり馴染めなかった想いがあります。
葉を「ツクダニ」として食用にします。当時は美味しいとは思わなかったのですけど、貴重な食材でした。
(蛇足)のところのイラストが「あざみの歌」のモチーフなんですね。ノアザミ、ノハララアアザミ…etc.
多感な青年期の叙情詩は、本当に素晴しいです。
横井弘は後年は、人々の、その日その日の暮らしを愛情をもって詞を創作してますね。ご存命です、お元気で。

投稿: かせい | 2013年1月14日 (月) 00時40分

私が「あざみの歌」を口遊み始めたのは、大学のサブゼミでグリークラブに所属していたゼミナリステンが愛唱し、感動を覚えてからです。萩の町は、昨日・今日と素晴らしい天気でした。自宅から維新ロードまでの20mの畦道に今、あざみとタンポポの花が競って咲いています。二木先生の棚田を背景とした、あざみも素晴らしいですね!季節に聴く「あざみの歌」は、また心を清らかにします。

投稿: 夏橙 | 2014年4月15日 (火) 20時48分

二木先生
間をおかずの投稿をお許しください。
この歌に対するコメントの多さは群を抜いております。
一定の年齢以上にとっては心の歌、国民的愛唱歌とも言えますね。美しい日本語と哀愁のメロディーに涙が込み上げてまいります。29年前42歳で他界したすぐ上の姉もこの歌をこよなく愛しておりました。楚々とした可憐な容貌を羨ましく思っていたりんごです。美人薄命を痛感。
姉は就学前に子のない叔母の養女となり姉妹の実感のないままに成長。従妹以上、姉妹未満の距離感を埋められないままに他界。老境の今、存命なら距離感も消えていたと思うにつけ寂しさが募ります。

ハコベの花様
コメントに共感致しました。

投稿: りんごちゃん | 2015年1月27日 (火) 17時03分

二木先生 いつもありがとうございます。
昭和34年ころ高校の友人が歌声喫茶でうたわれているよと、この曲を教えてくれました。 友人の兄弟は五人で、両親とともに合唱しているといいました。当時そのような明るい家庭もあるものだとうらやましく感じました。
それ以来持ち歌として口ずさんでいます。 近時歌のコンクールがあるので出場予定です。 しばらく途絶えていた年賀状がとどきました。 

投稿: 河嶋 国盈 | 2015年7月 3日 (金) 20時51分

「あざみの歌」、叙情性豊かな歌詞を作った横井弘が先日他界されましたね。 三橋美智也の「哀愁列車」「達者でナ」「赤い夕陽の故郷」や仲宗根美樹の「川は流れる」、倍賞千恵子の
「下町の太陽」「おはなはん」などetc……。たくさんの素晴しい作品をありがとう…と改めて感謝したいと思います。
 好いた惚れたを前面には出さない、けど心に充分沁み入るような温かい歌詞が好きでした。…合掌。

投稿: かせい | 2015年7月 4日 (土) 00時41分

「あざみの歌」は何度聞いても心が打たれる名曲ですね。しかし私にはこの歌にまつわるほろ苦い思い出があります。
この歌が世に出たころは私は8歳だったと記憶しています。
当時私は茨城県の山里にある小学校に通っていました。小学校時代、何の変哲も無く、これといった楽しみも無かったのですが、一年に一度の秋の遠足が唯一の楽しみでした。
 遠足と云っても今のように乗り物に乗って旅行するといったものではなく、ひたすら歩く、文字通り遠足でした。
ある遠足の時のこと、私は道端に咲くあざみを見ながらラジオで覚えたばかりの「あざみの歌」を口ずさみなら歩いていました。覚えたといってもメロディ、歌詞を全部知っていたわけでなく、何小節かを繰り返し唄ったのですが、周りの級友たちの感嘆の気配を感じながら得意満面でした。
ここまでは楽しい思い出として残ったでしょう。しかし・・。
 次の登校日の昼休みの時、担任で遠足を引率した教師(眼鏡をかけた美人の先生で子供ながらあこがれていました)に音楽室に来るよう呼び出されました。
 不安に駆られながら音楽室に入るとオルガンの手を止め私に、「遠足で唄っていたあざみの歌を教えてほしい」というのです。
 困惑と嬉しさで複雑な思いで、無言の間が過ぎましたが無実は知らないとついに言えず熱心に教えを乞う先生に対し、「いやだ!」とはねつけ音楽室を飛び出してしまいました。
今になって思えば教師はプライドを捨て年はかない教え子に教えを乞うのは余程この歌が好きで早く覚えたかったに違いありません。
今でも、確実に覚えて教えてあげることができなかった悔しさと、どうしてあの時素直に「実は知らないので教えられない」と云えなかったのかーほろ苦いの残る思い出です。

投稿: 蜩の啼く里 | 2015年7月 9日 (木) 02時25分

久しぶりにこの歌のコメント欄を再読して改めて胸を打たれました。二木先生の「nogo」様に対してのご助言に思わず胸が熱くなり涙が込み上げました。当節のどんな小説によりも感動的です。先生の悩める者への優しいまなざし、お心に共鳴致死ました。
nago様

「 私は、あることで苦しんでいた高校3年のとき、もう亡くなってしまった友人から、ゲーテの次の言葉を贈られてずいぶん楽になったことがあります。

「生き続けていけ。今にきっとわかるだろう」

私もこの言葉をご子息に贈りましょう。(二木紘三)」

このサイトを知ってから一度もお会いできない
能勢の赤ひげ様にも思いをめぐらすりんごです。

投稿: りんご | 2015年7月17日 (金) 06時00分

アザミの花は思い出の花ですし、大好きな花なので何回も花壇に植えてみたのですが棘の痛さに耐えかねて植える事を断念しました。棘があってこそのアザミなのかもしれません。棘は私の性格に似ているようで棘を取ったら私ではなくなるかも知れません。夫に言わせれば「お前は花まで棘だ」と言うかも。ところでりんごさん「あざみの歌」の朝日新聞への投稿、すぐ貴女だと気が付きました。良かったですね。おめでとうございます。

投稿: ハコベの花 | 2015年7月19日 (日) 11時36分

このサイトで二木先生はじめ人生の先輩方や同輩のコメントを読ませていただくのが何よりの癒しとなっております。自分の知らなかった歌も知ることができました。
皆さま、ご自分の人生を歌に重ねておられ心に響きます。
当節の薄っぺらな小説を読むよりも得難いものが得られます。
ハコベの花様
あざみの花は山野の花ゆえに庭には根付かないのでしょう。私も姫小百合やショウジョウバカマなどを幼少より裏山から移植したが成功しませんでした。常に山野の土の状態を保てば可能でしょうが。園芸店で腐葉土や鹿沼土を調達して。
刺に関しては私も同類です。
我家にとげなし薔薇のモッコウ薔薇があります。
クリーム色の小花が盛り上がるように咲いて可憐です。
何時かの年賀状にはこの花の写真をアップして、
わざわざ「写真は私同様のとげのないバラです」などと品格に欠ける添え書きをしたものです。私を刺ある人間と認知している相手にのみ通じる挨拶なので、級友以外には敢えて別の文面~!ひとときの拙文を心にとめていただいて光栄です。

投稿: りんご | 2015年7月19日 (日) 12時14分

深山にありて、あざみの思い、嗚呼今一度。

投稿: 後期高齢者 | 2016年5月 9日 (月) 08時15分

昭和22年生まれです。この歌は高校一年のとき、遠足で担任の先生が披露していたので覚えました。メロディが素朴なのですぐ覚えられました。長く記憶から消えていたのですが、この年になり、こちらも十分老人なのですが、老人ホームに訪問演奏でチェロを弾いています。この老人ホームは、重篤な方が多く、このホームを終の棲家にしていらしゃる方ばかりです。演奏を始めたころは、全員が無反応で、石仏を相手に演奏している感じでしたが、施設の方が言うには、反応できないだけで聞いてくれて入るとうことでした。それに力を得て、この曲を思い出し好んで演奏しています。中には涙を流される方もいて、こちらも熱い思いにかられます。いろいろな思いが詰まった名曲なのだなと、しみじみ感じられます。

投稿: mercitanq | 2016年11月28日 (月) 20時26分

nago様
 私は最近二木先生の「うた物語」のサイトを知った者ですが、「あざみの歌」が大好きなので開いてみました。naga様のご心情が痛いほど伝わってきました。私の息子もとても大変な時期がありました。資質が私に似ていて、彼の心の動きが分かってしまい、この子の為には私はいないほうがよいのではと思う時期もありました。でも彼は15歳の時、このままでは駄目だと自分で留学先を見つけてきてきました。英会話は全く出来ないのにカナダへ行きました。UBCを卒業して帰国したのですが、彼の資質は当時の日本の企業の体質に合わなく、また不器用で合わすこともできず、10年近くもバイトの繰り返しが続きました。その期間は彼にとって社会に取り残された思いで、いらついた日々でした。現在は外国人の多い会社でそれなりに満足して働いています。
 その彼が「これまでの時間は決して無駄ではなかった。基礎がしっかりと身のついていてよかった。ずいぶん回り道したけれど、自分には必要な時間だったと思う」と言っていました。私自身も彼と同じ時間、いらいらもしたり、彼と言い争いもしました。長々と息子の事を書いてしまいました。こんな男子もいたんだとお思いください。
 大丈夫です。naga様のご子息も大丈夫です。高校時代の恩師が「男の子はどん底までいっても必ずはいあがってくる」といっていました。
 naga様の投稿文は7年前のものですが、この「あざみの歌」は母親の哀しい気持ちに応呼してきますね。

投稿: konoha | 2017年1月30日 (月) 17時16分

あざみの歌を何気なく聞いてた自分に恥ずかしくなりました。何度も 耳にしながら漠然と聞いていた歌でした。

2008年4月6日 能勢の赤ひげさんや 2013年1月4日ハコベの花さんなどのコメントに感動しました。

昨年初めて諏訪を訪ねもう一度訪ねたいと思っています。
本日この歌を二木紘三先生は「昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものといわれます。」と解説されました。

この歌を私自身の人生と重ねわせながら草笛で吹けるように練習します。いつかお年寄りの棲む遠くの老人ホームで演奏できることを目標にしたいと思います。
(平成28年秋には東京から釧路、名寄、千歳などの特養を訪ね友人とボランティア演奏をしました。)
 有難うございます。

投稿: けん | 2017年1月30日 (月) 20時21分

辛抱堪らなくなって コメントを書き始めたところです。
昨年10月に「山のけむり」で初めてのコメントを投稿させて頂いた時からずっと「あざみの歌」に対する想いをひきずったままで今日まで来ました。
2007年8月28日の中家忠夫様のコメントを皮切りに、あまりに多くの先輩方の情感溢れる素晴らしいコメントに尻込みしながらも、本当は一番好きで人生の琴線に触れるような歌でありながら、実は最愛の妻につらい思いをさせながら信州を旅した時のことが忘れられず、今までひかえていましたが、あれからもう20年近い年月を経て、つらく苦しかった一時期のことも やっと二人でむしろ懐かしみながら話し合えるようになった今、「あざみの歌」を声高らかに歌うことが出来るようになりました。

車で茅野市から大門街道を上り、白樺湖で休憩~ビーナスラインを車山まで~リフトで山頂の円形レストランから白樺湖を眺めながら食事をし、霧が峰でグライダー滑空を見て目的地の八島湿原へ、憧れの「あざみの歌」に想いを寄せながら辺りを散策~諏訪湖温泉で宿泊と、今では考えられぬくらいの強行スケジュールでした。

横井ひろし 八州秀章 伊藤久男のゴールデンコンビによるこの抒情歌の背景にある三人三様の切ない人生物語りは、先刻 緒先輩方のコメントにもあり、今さらの言を待ちませんが、華麗でも高貴でもないが、素朴に、ひたむきに咲いているアザミの姿に理想の女性像を重ねてみたという横井ひろしの名作に、初恋の人を18才で失い、生涯かけて想い続けた八州秀章の哀切極まる名曲、かてて加えてあの 魂の鳴動のような伊藤久男の歌声…
珠玉の名曲にまつわる思いを抑えきれずに夢中で書き連ねました。 これで今夜はぐっすり眠れそうです。


投稿: あこがれ | 2017年1月31日 (火) 01時25分

続けてのコメントをお許し下さい。

八島湿原への旅の前夜、宿泊先の宿で妻の母親から入院中の義親父の容態があまりよくない旨の連絡があり、このまま旅を続けるのもなんだか…と、気がとがめましたが、折角の楽しみにしていた旅だから…と、あまり浮かない顔の妻を無理に励ますように翌朝早くから車ででかけました。
下界を離れて白樺湖~車山とドライブするうちに、妻の顔も段々晴れてき始め 嬉しくなった私は八島湿原への道中、車の中で「あざみの歌」を気持ちよく口ずさんでいました。………“こんな時に、よくそんな楽しそうに歌えますね!”と、覚めた顔の妻の一言で、一瞬 私は凍りついたような気持になり、それからのことは、あまり記憶にありません。ひとまず諏訪湖畔の宿に落ち着き、今後の対応を話し合いました。帰宅後、すぐ妻を実家に見舞わせましたが、義父の死はそれから間もなくのことでした。
爾来、当分の間 妻の前で「あざみの歌」は、口ずさめませんでした。

投稿: あこがれ | 2017年1月31日 (火) 08時40分

二木先生の演奏に耳を傾けては
諸々のことが去来して涙が込み上げます。
抒情豊かで哀愁深いこの歌に胸打たれない人はいないと思います。皆様のコメントを読むにつけてもその思いを強くしております。娘のような若い先生にピアノを習って間もなく2年。やっと「あざみの歌」にはいりました。二木先生のように流麗な演奏は夢のまた夢ながら、幸福感が満ちてきます。この曲をこよなく愛した姉(享年42才)に捧げる思いで弾いております。ある日の里山のあぜ道に凛と咲くアザミの濃紫に心惹かれた独身の頃。傍らにいたのは21歳の青年だった亡夫、初夏のに空浮かんでいた雲の形さえもが甦ります。
世代の違うピアノの先生は、コーラスの伴奏もなさっていても当初「あざみの歌」を知りませんでした。いまでは「哀愁のあるとてもいい曲ねえ」と共感しております。でも私たちシニアは曲同様に美しい歌詞も琴線に触れるのですね。

投稿: りんご | 2017年1月31日 (火) 09時37分

認知症介護施設(グループホーム)でボランティアをさせていただいています。ほとんどが80才から上の方々です。週1回訪問しています。
不思議に思いますが、若かりし頃の流行歌は、歌詞さえあれば皆さん歌うことができます。「二木紘三のうた物語」の曲を流しながら、一緒に歌う時間は至福の時間のように見えます。とても楽しそうに生き生きと歌っています。
ちなみに私は80才、これからも貴HPを使わせていただき、認知症の方々の楽しい時間作りのお手伝いを続けていくつもりです。
認知症の方々に役立たせていただいているご報告とお礼をかねての一言(平より)

投稿: 平爺さん | 2017年2月 1日 (水) 08時38分

あざみの歌は多くの人が歌っているが
(伊藤久雄、倍賞千恵子、ダークダックス、鮫嶋有美子、フォレスタ、など)
二木先生の演奏に最も胸を打たれます。
心を無にして聴き入ることができるのです。
今年も又アザミの花の咲く季節が巡ってきました。
一昨日、少し山手の眺望の良い公園にひと際鮮やかな
アザミの花を見つけました。
まるで 若くして亡くなった姉が会いに来てくれたような
感傷に浸り思わず涙が込み上げました。
来週  24日のピアノ教室の発表会で
念願の「あざみの歌、山のけむり」を弾きます。
欲張って「エリーゼのために」とも思ったが後半のアップテンポでもたつき諦めました。
拍子を体感するため 連夜  二木先生の「あざみの歌、山のけむり」を聴いています。
とりわけ あざみの歌が身に沁みるりんごです。

投稿: りんご | 2017年6月17日 (土) 22時46分

今朝、玄関に飾る色紙を取り換えました。「好きな花あざみと答えし六月のその思い出のあるは楽しき」と書き、下にアザミの花が群れて咲く貼り絵をしました。人様に見てもらう出来ではありませんが、55年前の昔の彼との思い出に毎年飾っています。
アザミにはもう一つ思い出があります。中学1年の時母を亡くした私に父がアザミの花模様の浴衣を買ってくれたのです。高校の修学旅行にはそれを持っていきました。私の高校2年の時父は亡くなってしまいました。兄夫婦が親代わりだったので困ることはなかったのですが、父は私が15歳になった時には、呉服屋を呼んで和服一揃いを買ってくれました。この年になってしみじみと父の愛を噛みしめています。気にいらないと怒鳴ったり殴ったりする父でしたが、私のお婿さんまで考えていたようでした。山よりも海よりも親の愛は大きいのですね。親孝行は、時々父を思い出すことです。

投稿: ハコベの花 | 2017年6月18日 (日) 00時28分

 いま、再び歌詞を読み、万感胸に迫る思いがします。
 
 18歳の若者が初恋(?))の気持ちをこめて詩(よ)んだものとしても、人々の個々に内蔵している普遍的な心情があふれているとおもいました。私は「初恋の詩」より「人間の生まれもった悲しみ、また秘めたる熱き気持ちの詩」として感じ取りました。

 「復員してきた横井弘」が書いたこれだけの短い詩の中に、本人自身も気づいていたか気づかなかったか解りませんが、「人間の心の奥底に持つ、真っ白な悲しみと真っ当さが流れている」と私は思うのですが・・・

 この歳になってさらに「あざみの歌」が呼応して自然と胸が熱くなってきます。

 

投稿: konoha | 2017年6月18日 (日) 08時23分

この歌を聞くと中学時代の英語の先生を思い出します。当時すでに老齢になっておられましたが、それはネイティブの英語とは多少異なるとは思いますが見事な発音でした。戦争で右腕をなくされ英語を左手で黒板に書く姿が懐かしいです。深く聞いておりませんが捕虜生活がかなりの期間あったらしくその時米兵との会話から発音も身についたのだと考えます。勉強の出来ない私でいつも発音を直されてばかりでしたがこの授業だけは楽しかった記憶が残っております。2月の卒業間際に君たちは好きな食べ物は何かとか、好きな歌は何かとか英語で聞いてくれました。私もしどろもどろの英語で伊藤久男さんのこの歌が好きだと回答したら自分もあざみの歌が好きだといってなんと余興でこの歌を歌ってくださったのです。もちろん日本語です。今存命しておられたら何故好きなのか聞いてみたいと思います。軽薄な私には想像もつかない熱い、深い想いがあるのだと思います。もうとっくに鬼籍に入っていられましょう。

投稿: 林 滋 | 2017年6月18日 (日) 17時34分

二木先生の「あざみの歌」の名演奏に誘われ、10年ほど前に、ある公立の総合病院(ホスピス)にボランティア活動で慰問に伺ったことが懐かしく想い出されます。
私の出し物は、入所の皆さんと家族の方々と一緒に、想い出の童謡・唱歌をハーモニカ伴奏で楽しく歌うひと時でした。
ある日、皆さんと一緒に約20分ほど歌い終わったところで、大型ベットに横たわって同席されておられたご老人が、私に一曲歌わせてほしいとマイクを握られました。
歌われたのが「あざみの歌」の3番の歌詞でした。
「いとしき花よ 汝(な)はあざみ こころの花よ   
 汝はあざみさだめの径(みち)は果てなくも香れよ
せめてわが胸に あああー」
ご老人は,若いころ某放送局の混声合唱団に所属されていたそうで物静かに切々と歌われていたのが印象的で、今でも私の耳元にその歌声が残っています。
ご老人が青春時代に心を寄せた女性への想いが切々と伝わり胸が熱くなった記憶があります。
改めて、二木先生の名演奏を聴きながら更に胸が熱くなり涙がこみ上げてきました。

投稿: 一章 | 2017年6月18日 (日) 23時19分

皆様のコメントを拝見するにつけ、この名曲に寄せる熱い想いや胸にしみいるような思い出が切々と伝わってきます。

私がまだまだ充分若かった頃、私達のサークルにA・百合子さんという色白のすらーとしたフレアスカートにロウヒールの似合う一際素敵な女性がおられ、みんなの憧れの的でした。あまりに高貴な感じで誰も手をだせませんでしたが、あざみの歌を歌う時、いつもその頃のことを思い出します。

“高嶺の百合のそれよりも
秘めたる夢をひとすじに
 くれない燃ゆるその姿~
あざみに深きわが想い”

3年前のN市での同窓会で何十年ぶりにお会いしましたが、相変わらず美しい方でした。
懐かしさは先様も同様な感じで親しく長話をし その際 当時の私の別れた人のことをしつこく聞かれて大弱りしましたが、風のたよりに障害のある子供さんを抱えてご苦労されている旨 お聞きして切なくなったことがあります。

はこべの花 様 
“あざみなぜなぜ 棘もつ花か たとえささりょうと ああ 誰か夢なき”
鬼あざみでも、刺されてみたいと思っている男性もたくさんおられますよ。

りんご 様
24日の発表会 想いを込めて しっかり弾いて下さい。祈ってます。

Konoha 様
いつもコメント拝見してます。あざみの歌は「人間の生まれもった悲しみと秘めたる熱き気持の詩」本当にその通りだと思います。

一章 様
いつもロマンチックな素敵なコメント 有難うございます。
これからもよろしくお願いいたします。

投稿: あこがれ | 2017年6月19日 (月) 17時20分

一章さま
切ないエピソードですね。
思わず胸が熱くなり涙が込み上げました。
又一章さまの優しい人柄も偲ばれました。
人の世の悲しみが切々と伝わります。

konoha様のコメントにも共感致しました。

あこがれ様
励ましの言葉ありがとうございます。
京都の旅で 憂い深いご婦人に一瞬心を奪われた由
微笑ましい限りです。たまゆらのときめきが若さの秘訣です。私も京都はよく訪れているが、直指庵の机上にはノートが置かれており 何かしら書き残していく女性が結構多いようです。
10数年前 未だ50代の私は永観堂の境内で高齢の紳士と立ち話。「とても50代とは見えませんよ。お若くていいですね」との言葉。今しみじみと胸に染みてきます。
今の私を超えていたであろう彼は天下りで京都の会社に週何度か出勤(大阪の住人)加齢の寂しさを頭では理解していたが今はよくわかります。当時の彼の年齢に少し近くなり、哀愁が実感できます。
トータルで1年間暮らした程の京都通いで最も記憶に
遺っています。konoha様のおっしゃる人の世の寂しさですね。
人の世の寂しさを想起させるこの曲はどれほど多くの人に愛されていることか!!

投稿: リンゴ | 2017年6月19日 (月) 18時50分

このサイト、「二木紘三のうた物語」と出会い早や3年近くなります。
その間、先輩諸氏の抒情性溢れるコメントに感動・感動の連続でした。
小生、パソコンに向かうのは、昼間の仕事の性格上、午後以降になってしまいますが、この時が私の至福の時間です。

あこがれさま には、過分なる励ましのコメントをいただき恐縮いたしております。こちらこそ、私の「つたないコメント」ですがよろしくお願いいたします。

りんごさま この度は、私のコメントにご共感いただき有難うございます。
これから先の人生への明るい日差しが差し込めたように思います。
ありがとうございました。
24日のピアノ発表会、ご成功をお祈りいたしております。

投稿: 一章 | 2017年6月19日 (月) 20時49分

あこがれさま、リンゴさま
 感じたままを書いたものでしたが、共感してくださいましてありがとうございます。本当にこの「あざみの歌」は歌詞といい、メロディといい、また二木先生の飾りを施さない演奏によって、これほどまで聴く方に切々と迫ってくるものはないと思っています。

 演奏とともに名曲中の名曲だと思っております。

投稿: konoha | 2017年6月19日 (月) 22時08分

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