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2007年8月27日 (月)

白い花の咲く頃

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげる、唄:岡本敦郎

1 白い花が咲いてた
  ふるさとの遠い夢の日
  さよならと云ったら
  黙ってうつむいてたお下げ髪
  悲しかったあの時の
  あの白い花だよ

2 白い雲が浮いてた
  ふるさとの高いあの峰
  さよならと云ったら
  こだまがさよならと呼んでいた
  淋しかったあの時の
  あの白い雲だよ

3 白い月がないてた
  ふるさとの丘の木立に
  さよならと云ったら
  涙の眸(ひとみ)でじっとみつめてた
  悲しかったあの時の
  あの白い月だよ

《蛇足》 昭和25年(1950)発表のNHKラジオ歌謡。

 岡本敦郎はこの歌で世に知られました。作詞の寺尾智沙は作曲の田村しげる夫人。

 昭和25年といえば、敗戦時の混乱がようやく収まり、就職や進学のために田舎から東京などの大都市へ出てくる若者が増え始めた時期です。
 季節は、中学や高校の卒業式が済み、別れが多くなる3月末から4月はじめ。コブシやハナモクレンを先駆けに、白い木の花が次々と咲きます。

 黙って見送る少女の遠景には、白い木の花。田舎から都会へ出てきた多くの人が、春がくるたびに思い出す光景でしょう。

(二木紘三)

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コメント

昨日、近くで倍賞千恵子のコンサートがあり、に行きました。私と同じ年です。顔は少し、老けましたが、声は昔と変わらず、綺麗な声でよかったです。
白い花の咲く頃も歌いました。

最近の歌では、NHKラジオ深夜便の「冬の旅」を歌いました。
昔のラジオ歌謡のように、叙情的な素晴らしい曲で、きっと、ず~っと
残る歌でしょう、と思いました。

投稿: カリブ | 2007年9月14日 (金) 11時53分

この歌は確かに倍賞智恵子の歌にあいます。
後世に何時までも残る歌でしょうね。
高校卒業のころを思い出しています。

投稿: 波路 | 2007年9月14日 (金) 20時05分

姉妹曲で、曲名はたしか「あの日の花かげ」だったと思うが、そんなにヒットはしなかったものの、好きな歌だった。
「幼馴染は垣根越し、棘に刺されて泣いたとき・・・・」70才を過ぎた今でも口ずさめる・・・、ほんとに歌って不思議だ。

投稿: 林 一成 | 2007年9月14日 (金) 21時32分

 この歌を聴いて、『あヽ私の(オレの)故郷と同じだ』と、共感を覚える人は多いのではないでしょうか。「白い花」「白い雲」「白い月」は、全国どこの風土であっても同じなわけで。それによって、この歌の故郷はみごとに、一般化され普遍化されておりますから。
 私のイメージでは今まで、この歌は季節としては初夏の頃かな?と思っておりました。二木先生の解説によりまして、卒業式が終わった3月頃だと初めて知りました。言われてみれば、確かにそうですよね。「3月は別れの季節」。
 この歌の主人公である男性は、中学か高校かを卒業して、就職あるいは進学のために上京。そして「黙ってうつむいてたお下げ髪」のあの娘は、そのまま地元に残って…。それでこそ、この歌の「悲しさ」「淋しさ」が切実なものになりますね。
 余計なことながら、そうして別れた彼と彼女は、その後どうなったのでしょう?

 とにかく、私にとりましても、欠かすことの出来ない「望郷の一曲」です。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月18日 (金) 19時36分

私は月に1~2度、ボランティアで老人ホームを訪ねて歌謡ショウなるものをやっております。8~10人位で1時間「歌と踊りの宅配便」と銘打っておりますが、この歌は私のもち歌で、歌うと必ず一緒に口ずさむお年よりが多いです。人前で歌うのだから、と歌唱指導の先生について勉強しましたが、最後の「あの白い花だよ」の あの、というところの息継ぎが難しく、先生も「この歌を完ぺきに歌えれば他の歌はかんたんよ」といわれたほどでした。一人2曲歌うのですが私のもう1曲は「柿ノ木坂の家」。カラオケとちがって画面があるわけではないので持参したテープを音源に何も見ないで(お客さんの顔を見て)歌うので、
途中で歌詞が出てこなくて伴奏だけがどんどん行って、失敗なんてことがよくあります。1番だけを知らん顔して2回歌うこともありますが、最近はようやく失敗しなくなりました。おかげでボケ防止に良いぞ、と頑張っておりますがいつもこの2曲ではしょうがないのでなつかしい、喜ばれる「新曲」を先生のこのサイトから探しております。有り難うございます。

投稿: 昔の男 | 2008年8月31日 (日) 00時21分

昨夜、NHKの懐メロの番組で83歳の岡本敦郎さんがこの歌を歌いました。往年の美声も無くなったのだから聴きたくないと思っていました。けれども静かに一生懸命に歌う声を聴いていたら涙が溢れてきました。歌は歌を超えていくものだとしみじみと感じました。心が浄化されて清々しくなります。抒情歌の中の抒情歌です。一番好きな歌だと思います。

東京に下宿していた友人の部屋で女学生3人がこの歌を歌いはじめました。すると2階に下宿していた男の大学生がギターで伴奏をしてくれました。顔も知らない何人かの大学生に、ロマンを頂ました。昭和33年の春の事でした。お元気で居られますでしょうか。女学生3人は相変わらず心だけは女学生で暮らしております。

投稿: ハコベの花 | 2008年8月31日 (日) 11時28分

そうでしたね、昨夜の岡本敦郎さん。
いとしいものを守るように、一生懸命歌っておられました。この歌を愛した多くの人々へ感謝の気持ちも込められていたような‥‥。私にはそのように感じられました。

投稿: 高木ひろ子 | 2008年8月31日 (日) 12時28分

そうでしたか、83歳の岡本敦郎さんが歌っておられたとは、残念ながら見られませんでした。お元気でしたら、次の機会に必ず拝見できると思います。
この歌は本当に抒情性豊かで、最も日本的な名曲だと思います。“お下げ髪”・・・僕らが子供の頃にはどこにでも見かける少女の姿でした。お下げ髪のあの女の子に淡い想いを抱いたのはいつ頃だったろうか・・・
素朴なお下げ髪は、大和撫子の原形のようでした。この曲を聴きながら昔のあの少女を偲んでいます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年8月31日 (日) 17時57分

八十歳を超えてなおステージで歌い続けられるのは、それを期待する人が多いということなのでしょう。私もその一人です。
みなさんのコメントを拝見するとこの歌は日本のスタンダードナンバーとして末永く残るとのご意見が多いようです。しかし、私は残念ながら悲観的です。ある歌手によりヒットした歌は、その歌手を知っている人がいなくなると歌も消えていくのではないだろうかと思うからです。倍賞千恵子もこの歌を歌っていてそれを聴いて楽しむ人は多いでしょう。でもそれは岡本敦郎を知っている世代だからではないでしょうか。
DVDというものが作られて、岡本敦郎の音声・画像は半永久的に残る可能性はあります。しかしそれを見たいと思う人は、岡本敦郎とともに生きた人々までではないでしょうか。日本の歌謡曲とは歌った歌手を含めてのものだと思うのですがいかがでしょうか。
 このサイトに人気が集まるのは、複雑な楽譜を手抜きせずに丹念に入力されているからだと思いますが、更に歌手の「声」を意識した楽器の選択にあるのではないかと思っています。

投稿: 周坊 | 2008年8月31日 (日) 21時07分

 周坊様とは、『三百六十五夜』以来のお付き合いです。気心の知れたお仲間であり、かつご長老格でいらっしゃる周坊様の寛容なお心を踏まえて、以下のことを申し述べさせていただきます。
 私もこの歌にコメントさせていただきました。とても愛着のある一曲です。その私の願望も含めまして、『白い花の咲く頃』はスタンダードナンバーとして、長く残っていってほしいと思います。考えてみますれば、ほんの一例として、日本近代歌謡曲の先駆けとなったと言われる『カチューシャの唄』も、それを歌った松井須磨子の死後も、スタンダードナンバーとして今日まで立派に残っております。
 二木先生が、前身の『MIDI歌声喫茶』を立ち上げられ、今日の『うた物語』に至っている目的の一つとして、そのような優れた数々の歌を出来るだけ永く後世に伝えたい、との熱い想いがおありなのではないでしょうか。私たちもほんの少しだけでも、残す努力をしましょうよ。

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月31日 (日) 23時47分

岡本敦朗ご苦労様でした。高木ひろ子さんのおっしゃる事は
的を得ています。同感です。

投稿: M.U | 2008年9月 9日 (火) 13時34分

こんにちは!
39歳の母親です。
娘が取り急ぎこの歌、「白い花が咲く頃」を歌えるようにならねばならず、ネットで色々調べているうちにこちらに辿り着きました。

娘と息子が3年程前から合氣道を習っています。あるとき、ひょんなことから、娘が「里の秋」を道場の皆の前で歌ったところ、師範が甚く娘の歌を気に入って下さって、以来、時々師範のリクエストの曲を歌ったりしています。そして今回のお題が「白い花が咲く頃」です。師範がいい曲だいい曲だと連発するのですが、正直私には今ひとつピンときませんでした。ところが、こちらの記事を読んで、合点がいきました。師範の生きた時代背景があるのですね。
これで、現代の中学生の娘もきっと気持ちを込めて歌う事ができます。

本当にありがとうございます。

投稿: tiotio | 2009年8月13日 (木) 21時02分

私は本来はクラシックの歌が持ち歌ですが、昔から”白物”の「白いブランコ」と「白い花の咲く頃」がオハコです。10月の教え子の同窓会(65歳くらい)には、じいじの枯れた声を披露しようと、思っています。
実は昨日まで3日間、来年7月に出雲市で行われる「椿姫」の主役、脇役の合同練習を見て(聴いて)きました。中井さん(指揮者)、菅さん(ヴィオレッタ役)、経種さん(アルフレード役)、福島さん(ジェルモン役)が6時間にわたって若手をしごいていました。若い連中は長時間歌っても声が嗄れません。年齢さを改めて感じさせられました^^。

投稿: 三瓶 | 2009年8月14日 (金) 16時05分

涙腺を緩みっぱなしにして聴いています。最近とみに、こうした叙情歌や童謡には弱くなりました。そして、過ぎ去った昔の、何気ない暮らしのひとコマや人との出会を懐かしく思い出すようになりました。そんなときには、こころまで優しくなって、すべてのものを許せる心境になります。それだけ老い先が短くなったってことでしょうか。
 ひとつ引っかかっていることがあります。この歌は昭和25年5月にラジオ歌謡として、初めて放送されたそうですが、その翌月、私たち日本人のみならず、全世界の人々を驚かせ、恐怖させた朝鮮戦争が起こったのです。そのとき、わたしは中学2年生でしたが、直感的に「これは第三次世界大戦になる。日本はどうなるんだろう。」と、背筋が寒くなったことを覚えています。なぜなら朝鮮戦争は、当時冷たく対立していた(冷戦状態)アメリカとソビエト連邦が起こした代理戦争とみなされていたからです。新潟の片田舎の一少年が心配したのですから、まだ先の大戦の記憶もなまなましく、後遺症に苦しんでいた多くの大人の人々は、より一層深刻に受け止めたはずです。そんな危機的状況の中で、この歌が全国に広く愛唱されていったのです。考えられることは、その当時の日本は、まだGHQ(連合国軍最高司令部)の支配下にあったから、「日本人が戦争に駆り出されることはない」と高みの見物を極めこみ、のんびり構えていたか、それとも、朝鮮戦争が始まる前に放送された、この歌がわずか1ヶ月余りの間に、多くの人々に愛唱されるほどの大フィーバーを引き起こしていたか、あるいはそれ以外の要因があったか、と、つまらぬ詮索をしています。お蔭で、涙腺がいくらか締まってきました。

投稿: ひろし | 2009年10月15日 (木) 16時14分

最近twitterをやっていますが、ベランダに白い花が一輪咲いたので、それにちなんで懐メロの「白い花の咲く頃」を思い出し二木先生のページをブログに紹介したことをつぶやきました。関心のあるかたがみてくれて、クリックしてこちらのページも開いて懐かしんでくださるといいな~と思ってます
若い人たちは白い花を見てなにをおもいだすのかしら、、と
懐メロは高齢者?にはとてもいい癒しであり青春です。
やはりいつ聴いてもいいですね。

投稿: 山野旅人 | 2010年6月18日 (金) 19時43分

このラジオ歌謡曲が流れていたのは、昭和25年中学生3年のときでした。
あれから、どれだけのお下髪と別れたでしょう.
おかっぱ頭、みつあみ、ポニーテール、・・・・・
この歌を口ずさむ度に別れの涙でくしゃくしゃになった少女たちの表情を思い浮かべてしまうのです。
もちろん、小学生時代、中学生の時代、そして教員をしていた時代の教え子たちです。
とくに教員時代、運動場で白いシャツ、青いブルマーで元気に走り回っていたお下髪の少女たちの姿が、今も、この歌とオーバーラップします。戦後の混乱時代をともにした、少女たちも今は、つえをついたり、車椅子や私を認識できないお下髪もいますがわたくしには、そんな、老いた少女たちもあの時代共に生きた少女たちと何らかわりはないのです。
70年過ぎて、平成14年子供の日に始めて舞台に立ちこの歌を朗々と歌うことができました。
始めてなんですよ、客席には500人以上の聴衆が聞いていました。もう、聴衆の多くは、この歌を知りません
あの混沌とした食べることも、物もない時代に希望を抱いて故郷との別れ、お下髪とのあと髪を引かれる思いの別れ、同じ時代を共有した人々には悲喜こもごもの思いがあるだろうと舞台上で生まれて始めて歌い、あの旅立ちの日に回帰しようと決心したのです
でも、舞台で歌うことが病みつきになったらどうしようと恐怖におののいてもいました。

投稿: 早崎日出太 | 2012年5月10日 (木) 11時01分

 エリカの花、からたちの花、あざみ、アカシアなど花の名前を聞くだけでそれぞれのイメージが湧きます。ましてリラの花のような、知らない花ならいつか見てみたいなと憧憬の念がおこります。日本人の心理を知りつくしている作詞家は花の名前を使って、我々の心をもてあそぶ言葉の魔術師、いや詐欺師です。(私は良い歌を聞いて思わず泣いたりした後、ああ、ひっかかった、だまされたと思う人間です。ですから言葉の詐欺師です)

 白い花という、ぼかした言葉をつかった作詞家は、巧妙な大詐欺師です。白い花とは何の花だろうと、みんな悩みます。それも余韻のひとつとして計算したんですね。じらし作戦であり、考えた人は知能犯です。

 もうひとつ別件ですが、、。
 周坊さんの「その歌手を知っている人がいなくなるとその歌も消えていくのではないか」のご意見、深いものを感じます。と同時に、口にするのがはばかられることをあえていってのけたという勇気も感じますね。
 「風化させたくない」という理想と「風化していく」現実の間には大きなへだたりがあります。残していこう、伝えていこうという主張はわかりますが、現実の壁はそんな甘いものではないと思います。

 しかし絶望することもない事実もあります。いってみれば「時代を超えて良いものは良い」です。
 私自身、元歌は知らない世代です。「白い花の咲く頃」は倍賞千恵子や由紀さおりの歌で、「三百六十五夜」は本間千代子の歌を通じて、その歌の魅力をはじめて知りました。 そして日本の戦後すぐの歌謡曲や童謡のレベルがたいへん高いことを再認識しました。それはこのサイトのおかげです。
 戦後の歌の良さが多くの人に理解される日は必ず来ると思います。いや、来なくてもいい、われわれ知っているもので楽しめば上等、ですね。楽しむに如かずと孔子かだれかも言ってました。


投稿: 秋山 小兵衛 | 2012年11月 4日 (日) 18時02分

今は亡き往年の名歌手の名曲を現在の歌手が唄い継いではいるが世の中にそんなに広まって行かない。アルバムに入れたりしてはいるが。もっと工夫が欲しい。時代は変われど日本人の心に沁みる歌は不滅だと思われます。

投稿: 海道 | 2012年11月 5日 (月) 10時37分

白い花の咲く頃を聴くと懐かしくて会いたいと思う人がいます。すれ違うたびに見つめてくれた人です。まだ恋というものすら知らなかった頃でした。話をしたこともありませんでした。ところがよく考えてみると、その人に会いたいのではく、その時の自分に会いたいのではないかと気がつきました。そのあとで恋をした人もそうです。若くてまっすぐな心の自分に一番会いたいのです。ひたすら自分を高めようと本を読んだり、手紙を書いたりした時の私に会ってみたいのです。思い出せば少しはその時の自分に戻っているような気もするのですが、この歌が若返りのお薬になれば嬉しいですね。

投稿: ハコベの花 | 2012年11月 5日 (月) 22時31分

 この歌は、一定の年齢層に絶大な支持があることを、最近知らされました。私の尊敬する74歳の知人と話をした時に、この歌が話題になって、いい歌だな、田舎の空気、土の香りがすると絶賛して言いました。歌手は岡本敦郎以外聞きたくもない、なんといっても元祖には勝てないとも言ってました。
 やはり元祖は強い。道理で元祖00そば、元祖00まんじゅう、とか多いわけです。名乗るだけで集客力があるんですね。
 自分も映画よりも、断然、原作のほうが良いと言ったり、リメイクされた映画はダメ、元の映画のほうが良いと言ってます。
 最初の感動はなかなか越えられるものじゃないということですね。

投稿: 浮舟 | 2012年12月 2日 (日) 12時03分

世の中に大好きな歌は沢山ありますが、岡本敦郎が歌う「白い花の咲く頃」は別格なのです。私にとっては神聖なものの様に思われます。

投稿: ハコベの花 | 2012年12月 2日 (日) 16時28分

「白 い 花 の 咲 く 頃」で知られた大好きな歌手の岡本敦郎氏死去。12月28日、脳梗塞のため東京都西東京市の病院で死去88歳。北海道出身。作詩寺尾智沙作曲田村しげる昭和25年~白い花が咲いてたふるさとの遠い夢の日さよならと言ったら黙ってうつむいてたお下髪~ご冥福をお祈りします。昭和の庶民史を語る会13・01.08

2白い雲が浮いてたふるさとの高いあの峰さよならと言ったらこだまがさよならと呼んでいた淋しかっあの時のあの白い雲だよ3白い月が泣いてたふるさとの丘の木立ちにさよならと言ったら涙の眸でじっとみつめてた悲しかったあの時のあの白い月だよ。~初恋を想いだす懐かしい歌、歌手を偲んで歌いたい!。昭和の庶民史を語る会13・01.08

「ふるさとのはなしをしよう」、「白 い 花 の 咲 く 頃」などは、青春時代を想いだす、懐かしい歌です。新しいいい歌が次次に創られてゆきますが、この時代の歌も心を打つものばかりです。老人会のカラオケでは、新曲ばかりですが、涙ぐみながら、あえてナツメロを歌い続けています。

投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2013年1月 8日 (火) 14時50分

最近は、カラオケが発達して好きな歌が気楽に歌えるのは、有難い。しかし、名曲だと言われ、昔親しまれていたと思われる流行歌が、どの店にもなく唄えないので寂しい。
昭和の名曲、素晴らしい歌を一人でも多くの人に知ってほしいと思うが、唄えないのが残念です。
 こころにしみると思われる名曲が、忘れられ、唄われないのが悲しい。旅の重さ(徳久広司)、流浪歌(たびうた、徳久広司)大阪みなと(砂川京子)、爪をかむ少女(日野てる子)、潮風が吹く町(森田由美恵)北風の十字路(布施明)などを唄えれば嬉しい。ここで、紹介してくだされば、幸いです。ご検討下さればありがたいです。昭和の庶民史を語る会13・04・22

大好きな、故日野てる子の懐かしい、忘れられようとしている「爪をかむ少女」の歌を聞きながら、隣家に咲いている美しいピンクの花見月の花を見る。早朝のニュースで、政治の大混乱、テロ事件、地震などを心配しながらも嘘のような朝を迎える。厳しく、不安な社会だが、好きな歌を聴き、口づさめる事は、こころも晴れ、有難い。今日も元気で前進、活動を!昭和の庶民史を語る会13・04・22


投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2013年4月22日 (月) 11時35分

偶然このページを拝読させていただきました。この曲を聞くと、アッと言う間に半世紀前の中学生に戻ります。甘酸っぱい、フォークダンスで握った初恋の感触が、今でも残っている様な気がしました。あとは、涙で何も読めませんでした。素晴らしい思い出の曲を、本当にありがとう御座いました。

投稿: 赤城山 | 2013年4月23日 (火) 16時13分

なぜかしら、突然にこの曲が無性に聴きたくなった。 
突然に、無性にである。
2014.31.21 過ぎである。

投稿: 齋藤三郎 | 2014年10月31日 (金) 21時21分

斎藤さんの投稿を読んで私も何回も何回もこの歌を聴いて心を和ませました。この歌が流行ったころは日本中が貧乏でしたが戦争でひどい目にあった人たちが忘れていた清らかで美しいこの歌に気持ちを癒されたのだと思います。
ひろしさんの投稿も再読させていただきました。昭和29年頃だったと思いましたが、堀田善衛が『広場の孤独』で芥川賞をとりました。私は中学3年生だったのですが、これは朝鮮戦争が始まった時の新聞社の様子や記者の心情が書かれていて「ああ、こんな知的な職業があるのだ」とすっかり新聞記者に憧れるようになりました。子供でしたので書かれている内容はよく理解出来ませんでしたが、世界の動きをしっかり考えると言うことが記者にとって大切なことだと学びました。今でも私にとっては大切な一冊になっております。ひろしさんはお読みになったことありますか。
実は戦争未亡人になった遠縁の小母が食べるのに困って幼子を反物と一緒に乳母車に載せて行商をし、稼いだお金を株に変えて貯めていたら朝鮮戦争で株が上がりお金持ちになり、親戚の人たちに色んなものを買ってくれました。私も買って貰いました。不思議な世の中だと思いました。小母は儲けたお金はみんなの為に使い自分は質素な生活を続けて亡くなりました。

投稿: ハコベの花 | 2014年11月 2日 (日) 17時11分

白い花とは木に咲く花?
隣接の町(最上川舟歌発祥の地として有名)でひなまつりコンサートがありました。私のピアノの先生は混声合唱団を担当。それとは異なる歌声サークル的な「愛唱会」のメンバーが「白い花の咲く頃」「あざみの歌」ほかをうたいました。やはりこの二曲は胸に沁み、心洗われる思いが致しました。帰宅してすぐにフォレスタを聴きました。愛唱会の皆さま許せ!
進行係が「この白い花は、辛夷、ハナミズキ、ニセアカシアなどではないかと思っています」と。今日まで「白い花の咲く頃」に突っ込みを入れずにきたのが我ながら可笑しくもあります。それ程に特別な情感を誘い雑念とは無縁の気高い歌との思いを強く致しました。しかし司会の方に違和感、ハナミズキは当時はなかったのでは?里山でよく見かけるヤマボウシのほうがしっくりときます。とあれ「白い花」がこの歌の抒情性を高めていることは間違いないと確信致します。

高齢者、後期高齢者と思しきメンバーで構成された
愛唱会の歌声は巧拙を超えて胸に訴える力がありました。

投稿: りんご | 2015年3月22日 (日) 17時50分

ハコベの花様
最高の幸せは施しにあるというが素敵な天晴な叔母様ですね。以前、朝日新聞で読んだタマゴボーロ製菓の社長を連想致しました。日本で最高の個人投資家である彼は、得た利益金の寄付を趣味としている。記憶違いの折は許されよ。そんな生き方をしたいものよと憧れたものです。

投稿: りんご | 2015年3月22日 (日) 17時58分

たまに、早朝、目が覚めることがあります。その時は決まって枕元のラジオで深夜便を聞きます。昨夜から今朝にかけてのご担当は宮川泰夫アンカー。「白い花の咲く頃」をかけてくれました。今日が誕生日のアンカー氏はこの唄の白い花は今日、4月14日の誕生日の花だと信じていると繰り返し繰り返し言っておいででした。この唄の「白い花」は人それぞれに咲く白くて淡い花ですね。・・・遠い昔?NHKのど自慢でこの唄を歌い、ゲストの岡本敦男さんに握手をもらったという人がいま信州で蕎麦屋を営んでおられます。ご本人は白い花は初秋に咲くそばの花と信じておられる様子です。信州はこぶしがいま満開です。高い峰(浅間連峰)にぼっかり白い雲が浮かぶのも、もう少し先のリンゴの花が咲く頃です。藤村の「初恋」が脳裏をよぎります。長い冬を乗り越えて春を迎え「白い花の咲く頃」が聞けてこよなく幸せを感じます。

投稿: 亜浪沙 | 2015年4月14日 (火) 16時28分

間をおかずのコメントをご容赦ください。鮮度の落ちないうちにと敢えてのコメントにご理解を賜りたくお願い申し上げます。
亜浪沙様
今日の誕生花はマーガレットでしたね。
私も同じ時刻に聞きました。
宮川アンカーは白いマーガレットに拘ってましたね。
人柄の良さが伝わって来る宮川さんに頬笑ましさを感じました。白い花~人其々の胸に咲く白い花があるのですね。
しみじみと胸に沁みるいい歌ですね。歌詞が美しい。

投稿: りんご | 2015年4月14日 (火) 17時37分

この曲を歌われた方も、旅立たれたのですね。83歳で歌われたと書かれていましたが、ご立派ですね。歌と言うのは必ずしも豊かな声量があれば良いのでなく、人の心に響く曲は言うに言われない【味】とか【節廻しとか】【人柄が醸し出す】とか、色々な要素が合わさって深く人の心に染みいるのだと思います。我が家にはラジオが戦争中も聞かれていましたが、形態やデザインとか大きさとか、何一つ記憶にないのです。【ラジオ】があるばかりに【空襲警報発令】となると、養子娘である祖母以外の全員が防空壕へと避難しました。
9歳と7歳の兄がいるのに、数え年4歳の私がラジオの内容を憶えられるだけの内容を、皆に知らせる役目でした。
十代の最後の年、積年の恨みを込めて母親を追求すると、母は「あっけらかん」とあの時代は男子を死なすと周囲から攻められて私の立場が悪くなるから、仕方なかった・・・・と。がっくりしました。
【ラジオ】がなければ・・・・と悔やまれますが、ラジオのお陰で、TVの時代が来るまで夕方放送される『子供むけのラジオドラマ』や流行歌がいつも身近に流れていて、流れるターマ音楽を耳にして、「また明日ね」と幼友達としばしの別れを惜しみながら我が家へと・・・・。
あの頃は男性歌手の歌声は多かったですが、女性歌手の記憶が少ないのは、時代のせいでしょうか?

投稿: 伊藤 光子 | 2015年4月22日 (水) 03時57分

白い花の季節がめぐってきましたね。思春期から何回目の季節になるのでしょうか。この歌があるお陰で心は16歳に戻ることができます。会いたい人に会えるかもなどと想像するだけで胸が一杯になります。自分が年を取ったことも忘れて18歳の美しい青年にぱったり出会って「お久しぶりです」と言えたらと思います。見つめるだけだった恋は永遠に美しいまま残っています。木にも草にも白い花が咲いています。黒い瞳と白い花、私の青春の始まりでした。

投稿: ハコベの花 | 2015年4月22日 (水) 16時18分

管理人様
逡巡の末のコメントをご容赦下さい。
過去、コメントで大場光太郎様も同調のお説に疑問を抱きました。卒業の時期の3月には、ハナミズキもニセアカシアも咲くことはありません。
ハナミズキは4月の季語であり、ニセアカシアは5月の季語です。とあれ、ハナミズキ、ニセアカシア人其々のイメージで構わないが卒業期、3月に限定するのは無理があると思います。

投稿: りんご | 2015年4月22日 (水) 21時44分

りんご様
確かに。ハナミズキやニセアカシアは花期が違いますね。
3月~4月に咲く白い木の花はコブシぐらいでしょうか。
3月に咲く白い花というと、ほとんどが草花ですが、この歌から私がイメージするのは木の花なのです。
もう少し考えてみましょう。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年4月22日 (水) 23時03分

管理人様
誠実なコメントを嬉しく存じます。
これはやはり野山に一斉に白い花が咲く初夏が相応しいと思われます。思い出の人は過去の人。故郷を遠く離れて思われるのは白い花の咲く頃。雪が溶けて、辛夷が咲き、山桜が咲き
やがて薄緑に山は煙り、ヤマボウシ、ウツギ、ウワミズザクラ、ハクウンボク、ニセアカシア、高く大きく朴の花、足元には野薔薇と白い花が咲き満ちてきます。おさげ髪の少女へ告げたのは大学への進学やも知れません。少女は貧しい農家の弟妹の為に大きな農家へ嫁ぐ運命かも知れません。折に触れて青年は都会の片隅でおさげ髪の少女を偲んだのでしょう。小町娘と言われた美人の長姉と重なります。都会から帰省した際の先輩に見初められ文通も、元地主の農家から働きぶりを見込まれて、泣く泣く二十歳で嫁ぎ、牛馬の如く働かされました。今も積年の恨みを吐露するのには閉口、哀れです。そんな時代がありました。白い花の咲く頃美しくも哀切です。

投稿: りんご | 2015年4月23日 (木) 07時51分

白い花は人それぞれの思い出の花で良いのではないでしょうか。地域によって咲く花も時期も違います。胸の中に秘めた花、初恋の切ない思い出にふさわしい花がその人の白い花だと思います。極めようとするのは無粋というものではないでしょうか。ちなみに私の住んでいる所はハナミズキは3月の終わりに咲き始めていましたし、白木蓮はもっと早く咲いていました。でも私の白い花はこれらの花ではありません。心にある白い花です。

投稿: ハコベの花 | 2015年4月23日 (木) 08時24分

家から30メートルほど離れたところに雑貨屋があり、そのお店におない年の女の子が住んでいました。保育園から小学校、中学、高校、と同じ道、同じ列車で通ったのですが、肩を並べて歩いたことも、顔を合わせて話したこともありませんでした。

あるとき高校でフォークダンスが催され、男女の生徒が輪になって順々に手を取り合って、ステップを踏みました。やがて彼女と手を取ることになりました。当時、学校でも隠れるように息を殺していた貧相な私に華やかなフォークダンスなんて柄でもありません。
学校の行事ですから逃げ出すこともできず参加しているのです。彼女の手に申し訳なくそっと触りました。すると彼女は私の手をグッと強く握り返したのです。驚いて彼女の目をみると、「しっかりしなさい!」とでも言うかのように私を睨めつけていました。体育の教師は後で私の動作をまね、「へっぴり腰のダンス、するな!」、と嘲りました。

高校の卒業式から数日経った頃かと思います。通りがかりで出会った彼女が突然つかつかと私に近寄り、しゃがみ込んで話し始めました。女性と二人でこんなこと初めてです。何を話したのか覚えておりません。「さようなら」と言ったのかどうかも思い出せません。

”だまってうつむいていた”のは彼女ではなく僕だったんですね。

あれから50年、遠い街に嫁いだと聞いている彼女。いつか会いたいなぁ、喫茶店でコーヒーを飲んで、話したいなぁ。と思います。

投稿: yoko | 2015年4月24日 (金) 19時04分

ハコベの花 様
 わたし宛のコメントを見落としていました。と言うよりも、パソコンの具合が悪くなったのを潮に、家事都合もあってしばらくパソコンから遠ざかっていました。その後機種を買い替え、家事の合間にこのサイトにもお邪魔していたのですが、あなた様のわたし宛私信を見落としていました。迂闊でした。申し訳ありません。私信ですので、手短に申し上げます。堀田善衛の「広場の孤独」は読んでいません。かれの評論や紀行文はよく読んでいた記憶はあるのですが。とくに「インドで考えたこと」はよかったですね。わたしが記者を志したのは、長谷川如是閑(朝日新聞記者、白虹事件で退社)の生き方や著作に影響を受けたからのようです。残念ながら初心は貫徹出来ませんでしたが、所詮、体力、気力、才能に劣るわたしには、記者稼業は向いていなかったと思っています。

投稿: ひろし | 2015年4月25日 (土) 10時10分

白い花の咲くころを聴きながら、思いは高校生に戻っています。ひろしさんの愛読書の長谷川如是閑は名前しか知りませんでしたが、ただ当時、大内兵衛が総長をしていた、法政大学に兄が在学していましたので、毎月『法政』と言う冊子が送られてきていました。如是閑に影響された経済学者、社会学者、文学者などが寄稿した文章を一生懸命楽しみに読みました。それが今の私を作ってくれていると思います。吸い取り紙のように知識を吸収しようとしていました。ただ、根性、努力、我慢が大嫌いな人間なので夢はあきらめてしまいました。後悔ばかりの人生です。
りんごさんのお姉様、私の15歳上の姉と同じです。もう亡くなっておりますが、甥や姪たちがお金に不自由なく安楽に暮らしています。姉の犠牲と引き換えです。昔はそんな女性が多かったのではないでしょうか。
yokoさん素敵な初恋ですね。私は白い花の咲く径を遠い彼の人と歩いてみたいと思っています。元気で生きていて欲しいですね。青春万歳!です。

投稿: ハコベの花 | 2015年4月29日 (水) 10時56分

(連投で失礼します。)もう少し彼女のことを話したくなりました。

この歌を知ったのは大学生になった時です。いい歌だなぁ、と思いました。ですが私の風景に合う歌詞は2番(白い雲、故郷、さようなら)だけです。1番と、3番は羨ましいけどありえない。僕にはこんなことなかった、将来もありえない、と思っていました。

しかし年月が経つと見えてくるものがありますね。皆様のコメントを拝読していて、この白い花って’リっちゃん’のことだ、と思えるようになりました。彼女とは小さい時から高校を卒業するまで同じ村で過ごしました。でも、互いに無関心であったように思います。恋心を抱いたこともありません。

彼女については思い出すこともほんのわずかです。彼女は駆けっこが速かった。片や僕はクラス一番の鈍足で・・・、○○亀と呼ばれていました・・・。

ある日、風変わりなテストがありました。問題は数十ページも束になっていて、隣の席で彼女が勢いよくページを繰って解答しているのを感じました。そして問題集をパタンと閉じて解答し終えた気配が・・・。速いなぁと思いました。僕は時間内に終えることができませんでした。点数が戻されるのが心配でした。母は、「知能テストだよ、結果は教えてくれないよ」、と言いました。

高校生になって彼女を意識し初めました。遠くの彼女に気付くと歩みを止めて近付かないようにしました。また、道を迂回して出会はないようにしました。彼女が嫌いだったわけではありません。劣等感にさいなまれていて、彼女の目の前に自分の姿をさらすのが嫌だったのです。

高校を卒業して数日後、彼女が私の家の前を通りかかり、目があいました。彼女は私の方へ進んできました。私は戸惑いました。私はいつも彼女から逃げ回っていたのに・・・。

彼女は私の家の小さな池の側にしゃがんで話しました。何を話したのか全く思い出しません。きっと話の内容は無かったのだと思います。彼女をこんなに近く見たのは前述のフォークダンス(高校一年)以来のことです。リっちゃん綺麗になったなぁ、と思いました。

それが彼女に会った最後です。きっと彼女もふるさとを去り都会へ出て行ったのでしょう。その後、時々彼女のことを思い出していました。なぜ僕のところに話に来たのだろう・・・僕はいつも逃げていたのに・・・。

今、彼女がこの歌の白い花だったんだ、と思えます。彼女が僕に話しに来た時、彼女がいちばん綺麗に咲いていた時期だったんだ、と思います。

風の便りでは彼女の実家のお店も閉じたようです。私の実家ももう永く空き家になっています。みんなみんないなくなりました。遠き日の夢ですね。

投稿: yoko | 2015年5月 1日 (金) 13時29分

yoko様 ほのぼのとした素敵なお話で、心が少女に戻ってきました。皆さんの初恋のお話を集めて本が1冊出来そうですね。実年齢は高齢者ですが、心はいつも少年、少女のままの様な気がします。『初恋物語 白い花の咲くころ』というエッセイ集を出したら楽しいでしょうね。皆様の初恋物語をもっと聞いてみたくなりました。尾谷様の白い月見草の花が表紙になるといいですね。

投稿: ハコベの花 | 2015年5月 4日 (月) 00時21分

2011年のジブリ作品「コクリコ坂の家」にこの歌が使われています。時代設定は東京オリンピック前年の1963年、ちなみにコクリコとはフランス語でひなげし、晶子の歌でも知られています。カルチェラタンという名の文化部室の館を壊そうとする学校側に対して、生徒たちが反対集会を持ちます。そこに何ごとかと先生がやってくると、機転を利かした男子生徒がこの歌を歌い、まわりも合わせたので、先生は安心して帰っていくという場面です。
 一応は子供向けの作品なのに、こんな古い歌が受け入れられるのだろうか?という疑問が残りましたが、一方でとても新鮮に感じました。TV放送があった日からここ数日口ずさんでいます。二木先生の蛇足や皆さんのコメントを読み、遅まきながらジブリの選曲に拍手を送りました。

投稿: omuraisu | 2016年8月17日 (水) 18時19分

yoko様の2015,5,1のコメント。いいですね。
私はそういう経験は一つか 二つです。高校2年でした。学校帰りに普段と違う道を通っていました。気がつくと、Tさんはお母さんらしき人と反対側を通っていました。私は何かつぶやきながらでしたが、Tさんは恥ずかしそうに下を向いていたように思います。後一つはこれも高校2年ぐらい、廊下を歩いていて突然頭を下げられたのです。私の目の前を抜けるようにして外に出て行きました。どうも私の早とちりだったようです。

投稿: 今でも青春 | 2016年8月18日 (木) 18時12分

今でも青春さま、ハコベの花さま、
コメントありがとうございます。
青春って今でも昨日の事のように思い浮かべられますね。

一昨年、都内で高校の同期会があったとき、彼女と同じクラスになったらしき男性に、「○○○子さん、知ってる?」と聞いてみました。「知ってる、知ってる、リっちゃんだろ、あの美人で有名な・・・」と彼は答えました。「へ~、そうなのか、彼女、美人で有名だったのか、僕はちっとも知らなかった、保育園時代からいつも近所で見慣れていた彼女が美人だなんて思ったこともなかった。美人なんて映画の世界か、手の届かない、遠い世界にいるものと思っていました。もったいないことをしました。」

お互い元気なうちにお会いして思い出を語り合いたいものです。

投稿: yoko | 2016年8月19日 (金) 14時23分

心中事件のような重い傷を残すような恋は本当の恋ではないような気がします。相手を傷つける無理心中などは論外ですね。美しい思い出に心が清らかになる様な恋ほど人生を豊かにするものは無いと思っています。そんな恋に一番ふさわしい歌はやっぱり「白い花の咲くころ」でした。高校1年の世界史の授業中にノートの片隅にそっと書いた彼の名前、思い出すと今でも切ない気持ちがあふれてきます。彼は全くそのことを知りません。出合う度にじっと見つめてくれた黒い瞳、生きていてくださいと願うばかりです。遠い夢の日に返って見たいですね。

投稿: ハコベの花 | 2017年6月 4日 (日) 23時21分

いつ聞いても胸に染みるいい歌ですが、この季節には特に
深く染みてきます。
ハコベの花様に共感しきりのりんごです。
昨日 デイケアの方々に「愛染かつら」ほかの紙芝居を演じました。30名ほどの女性に男性は3名ほどでした。
「恋した頃の気持ちを思い出すと気持ちも若返るそうですよ」と付け加えました。
一人の女性が「愛染かつらのとりこになった」と上気した顔でおっしゃいました。それぞれの胸に恋した頃の気持ちが甦ったのではと自己満足したりんごなのでした。

投稿: りんご | 2017年6月 5日 (月) 21時33分

りんごさま お元気で紙芝居活動ご活躍の由、コメントを拝読いたしました。ご活躍感服いたします。
この曲「白い花の咲く頃」が流行った頃は、私は小学4年生の頃でしたが、岡本敦郎という歌手が持ち味の美声で朗々と唄っていたのが脳裏に焼き付いています。
いい唄は、いつ聴いても心に沁みこみ癒されますね。
ところで、先日のデイケアでの紙芝居で「愛染かつら」を演じられたそうですが、ご高齢の方には大うけだと思います。
私も、十数年前に、公立の公民館での高齢者学級・出前講座・福祉施設等で、ハーモニカ・蓄音機によるSP盤による懐メロを演奏しましたが、一番受けたのは、やはり、りんごさまの演じられた「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」でした。
ある日のステージでの終演後、参加された方の感想では、「上原謙・田中絹代の名演技が忘れられない」「若いころの初恋の想い出が胸に迫りました。」などと若き日のことが懐かしく想い出されたようです。
りんごさまにも、今後ともお身体にはくれぐれもご自愛なされご活躍をお祈りいたしております。

投稿: 一章 | 2017年6月 6日 (火) 22時11分

一章さま
一章さまのコメントを拝読してすぐに又
二木先生の演奏を聴き涙が込み上げてきました。
私自身も高齢者のホヤホヤですが、後期高齢者の方々にとっては初恋の思い出は何物にも代えがたい宝物ではないでしょうか。何人の胸にもハコベの花様同様の思いが潜んでおり、「白い花の咲くころ」や「愛染かつら」のストーリーに実らななかった恋を重ねるのでしょうね。
その思いを忖度しては切なさに涙が込み上げます。
美しい夕映えに私自身が染まっていく思いがするのです。
紙芝居「愛染かつら」は遠い日の記憶を呼び起こし感傷に浸る
皆様の熱気が伝わりました。哀切でもありました。

あこがれ様
過分な評価「時雨の記のヒロイン」とは恐れ多い。
嬉しい誤解に胸がときめきました。
奥様によろしくお伝えください。

他の方々には私信と思われましょうが。
普遍的な内容をくみ取ってお許しいただければ幸いです。

投稿: りんご | 2017年6月 7日 (水) 19時36分

コメントの多さにも感激します。メロディーも素晴らしい。高校1年生の頃今から70年も前のことです。
遠くの山並みが青く澄んでいました。通学路から路傍の野薔薇が咲き乱れるのを眺めながら駅まで通ったことを思い出します。あと幾ばくもない今を大事に生きたいと震い立たせてくれました。感謝。

投稿: 波路 | 2017年11月29日 (水) 15時46分

波路様
いつ聞いても遠い夢の世界に誘われるような特別な抒情歌ですね。私の高校1年は55年前です。NHKラジオで岡本敦朗さんがこの歌を歌われると何とも言えない格調の高さに聞きほれたものです。この曲に寄せるコメントの多さも格別ですね。こうして居ながらにして二木先生の演奏に聞きほれ皆様ののコメントに親しみ、又ユーチューブでは倍賞千恵子さんやフォレスタを聴いて情感に浸り心洗われ至福の思いです。
波路様 どうぞご自愛なされて他の懐かしい曲のコメントもお聞かせください。

投稿: りんごも | 2017年11月29日 (水) 16時45分

 昭和25年の歌だとのこと。その年は私が小学校入学の年です。もっともその頃はラジオはあったと思いますが、祖父母の家にいたので歌は知りませんでした。後年聞いたと思います。多くの方のコメントを読んで心が洗われるような気がします。

投稿: 今でも青春 | 2017年11月29日 (水) 19時58分

この歌も随分長く、10年以上にもわたって続いていますね。

私の愛唱曲の一つです。

白い花とは何の花か?
色々な説が出ていますが、作詞者、作曲者、歌い手、聞き手それぞれ自分の心の中、思い出の中にある「白い花」で良いのではないかと私は思います。

ところで、手元に10年くらい前のNHKラジオで放送された「歌謡大全集」の録音テープがあります。
”岡本敦郎特集”で、司会の加賀美幸子さんと岡本敦郎氏が歌を交えながら対談している番組で、当然白い花の咲く頃の話題も入っています。

その中で、岡本敦郎氏の心の中にある「白い花」とは;
ずばり出身地北海道に咲く"すずらん"とのことでした。

戦時中、北海道の山の中で山砲兵として兵役についていたころ、6月になると、辺り一面に咲き詰めるすずらんのイメージが第一に浮かぶと話しておられました。

戦後、自分の持ち歌となるこの曲の楽譜を見せてもらったとき、白い花=すずらんのイメージがすぐに浮かんだと言います。

明日、某童謡の会(と言っても参加者の大部分は半世紀前の子供達)で何曲かアコ伴奏する予定がありますが白い花の咲く頃も入っています。 皆さんお好きな曲ですね。

録音をお聞かせし、すずらんの話もしようと思っています。

投稿: atsuo | 2018年7月21日 (土) 22時36分

岡本敦郎さんにとっては白い花はスズランだったのですか。スズランは繁殖力が強くて小さな花壇を占領し始めましたので、昨年全部抜いてしまいました。見た目は可愛いのですが毒を持っています。野にあってこその花なのでしょうね。yoko様のお話のように白い花は美しい人でもありますね。たびたびここに書かせて頂いている上級生の美しい人は、私にとっては白い花でした。抜けるような白い肌、静かににっこりと笑顔を返してくれる品の良い姿、もう一度あの笑顔に出会いたいと思います。花より美しいかったような気がします。最も私はそのころ、今までに出会ったことが無いほどの美しい兄の友人に恋をしておりました。夏雲に思い出を誘われます。

投稿: ハコベの花 | 2018年7月22日 (日) 10時51分

「コクリコ坂から」でこの歌を知り、好きでよく口ずさんでいます。
歌うたびに歌詞の意味が気になっています。

この歌は出征を歌ったものでしょうか?

「悲しかったあの時」とはすなわち戦時中であり、赤紙をもらって出征しなくてはならず、恋人に別れを告げようとしているように思えます。

それともこの歌は、平和な時代の上京を歌ったものでしょうか。

この歌詞が作られ歌われた時代背景など関係すると思いますが、私はこの時代に生まれておりません。

皆さまの解釈をお聞かせください。

投稿: K | 2019年5月23日 (木) 21時25分

懐かしい歌ですね。
この歌を聴くと亡き母のことを思い出します。
昭和25年、やっと山奥の一軒家の我が家にも電気が来て、同時にラジオも入りました。 私はまだ3~4歳でしたが、それまで毎日鳥の声か虫の声、木々を渡る風の声しか聞こえない我が家に、NHK東京第一放送のラジオ歌謡が入ったのです。 母は岡本敦夫さんのこの歌が大好きで、畑仕事をしながらよく口ずさんでいました。

さて「悲しかったあの時」ですが、作詞の寺尾智沙さんが12歳頃のご自身の思い出として、ご結婚後に御主人の田村しげるさんとの共作だった と、どなたかのブログで拝見したような気がします。 間違っていたらごめんなさい。
 
私も青年のころ、近所の少女に「さよなら 元気でね」と言って故郷を出たことがありますが、 その時その子は 何んにも言わずに横を向いて去っていったことが、この頃妙に思い出されます。 これが 老いというものでしょうか。

投稿: すもも | 2019年6月15日 (土) 22時30分

すもも様 「さようなら 元気でね」と言われた少女はきっと恥ずかしくて物が言えなかったのだと思います。昔は男の子と口をきくのはとても勇気がいりました。貴方が嫌いだったわけではありません。「貴方もお元気で」と言いたかったと思います。好意をもっている少年に声を掛けられると頭がパニックになるほど身体が硬直しました。数十年経った今でもその少女は貴方の事を思い出して涙ぐんでいるかもしれません。その時、ひらりと白い花びらが舞い落ちていたかも知れませんね。思い出は美しいものです。

投稿: ハコベの花 | 2019年6月17日 (月) 19時28分

ハコベの花様 なんとも嬉しいコメント、ありがとうございます。

コメントをいただいてから、改めてこの歌の皆様のコメントを読ませていただきました。 
こうやって皆様のコメントを読みながら聴いていると、今まですっかり忘れていたふるさとのあの日の情景が蘇ってきて、私も皆様に触発されて何か書いてみたくなりました。

 白い花の時期ではなかったのですが、ふるさとから遠ざかる汽車の中から、進行方向に背を向けて、
白い雲が浮いているふるさとの遠い山をぼんやりと見ながら座っていました。

雲の切れ目からひっきりなしに陽が射したり翳ったりするのを見ながら、 さっきの別れのことを考えていたのです。
一言も発しないで去っていった少女に、「何だい 失礼な奴だな」「俺、何か悪いことを言ったかな」と考えているうち、
夕暮れ近い雲は、少しピンクの縁取りが増してきました。

「そうだよな べつに親しかったわけでもないし・・・」
「まあいいか」

そうしてずっと忘れていたのに、歌というものは罪なものです。
特にハコベの花様のコメントがいけません。

だめですよ。 そんなことを言っちゃ。

きっとあいつは今頃やさしい旦那様と、(ひょっとして)高校生ぐらいの女の子のお孫さんと静かに暮らしているに
決まっているのですから。
 
白い花は人それぞれの胸の中にあると私も思います。
私の「白い花」はなぜか「スモモの花」です。
私のふるさとの農家の庭先には、たいてい一本か二本、スモモがありました。

実は酸っぱくて硬くて、あまり食べる人はいませんでしたが、私は好きでした。
農家の庭には「ハシドイ」を植えている家もありました。 ハシドイは「白いライラック」という人もいて、
これも私は好きでした。

ライラック・・・ そういえば寺尾智沙・田村しげる・岡本敦郎の曲には「リラの花咲く頃」という曲も
ありますね。
これも好きな曲です。

リラはフランス語。 日本の標準和名では ムラサキハシドイ でしたね。

ごめんなさい 調子に乗って書きすぎました。

投稿: すもも | 2019年6月23日 (日) 21時58分

この歳79になって初めて、私は歌唱に感動を覚えました。
それは、Hiroshi Mizuhara(水原弘)による「白い花の咲く頃」です。
この歌唱に巡りあった喜びの記録として、僭越ながら、YouTube の共有URLを以下に付記させていただきます。
https://youtu.be/eVxEB3VCLg0
澄みきった空間の広がりを感じさせる伴奏をバックに、まさに絶唱だと思います。ご感想をお聞かせ下さい。
NHK歌謡曲1950年放送/作詞・寺尾智沙33歳/歌手・岡本敦夫26歳。
レコード発売(1961年)歌手・水原弘26歳。

投稿: josame | 2019年12月 9日 (月) 16時42分

水原弘の絶唱を聞きながら、この歌詞「白い花の咲く頃」の真意を測りました。作詞者・寺尾智沙(本名・寺尾登美子)、広島県出身、意外と薄命(1917年3月6日-1967年11月14日)、父は日本画家の寺尾通夫に基づく結果を以下に記載します。原歌詞に(例示の注釈)が付記されています。ご高批をいただければ幸いです。

白い(ヤマユリの)花が咲いていた
ふるさと(広島)の遠い夢の日(1945年8月6日)
(やがて白い花は「黒い雨」にうたれて黒く染まり)
(その姿に私は思わず)「さよなら」と云ったら
(うなだれたヤマユリの黒い花はまるで)
黙ってうつむいていた(黒い)おさげ髪(のようであった)
(・・・)悲しかったあの時の(1945年8月6日と同じ)
白い花だよ(それが今ここに健やかに咲いている)
(白い花よ!いつまでも白く輝けと合掌する)

白い雲が浮いていた
ふるさと(広島)の高いあの峰
(その白い雲はやがて黒くなり)
(思わず)「さよなら」と云ったら
(その雲の彼方から)こだまが「さよなら」と(わびしく)呼んでいた
(・・・)淋しかったあの時の(1945年8月6日と同じ)
白い雲だよ(その雲が今この空に悠然と浮かんでいる)
(白い雲よ!いつまでも白く光れと心から祈る)

(真昼の)白い(はずの)月が(黒ずんで)泣いていた
ふるさと(広島)の丘の木立に
(思わず)「さよなら」と云ったら
(その月が)涙の眸でじっと(私を)みつめていた
(・・・)悲しかったあの時の(1945年8月6日と同じ)
白い月だよ(その月が今この大空をゆっくりと廻っている)
(昼の白い月よ!いつまでも白く映えよと胸深く祈る)

投稿: josame | 2020年1月31日 (金) 23時45分

今日2020年8月6日、上段の拙文コメント、(1)投稿josame 2019/12/9、と(2)josame 2020/1/31を読み返しながら、水原弘の絶唱を聞きました。
聞いていて無量の「悲しみと救い」を感じました。
なお、上記(2)について
(a)作詞者・寺尾智沙の本名・寺尾登美子(誤記)を、「寺尾富子」に訂正します。
(b)作詞者の1945年8月6日当時の居住地(広島か否か)につき、コメントを戴ければ幸いです。私が調べた限りでは不明です。
この歌詞を創作した作詞者の動機or情況につき知りたいところです。
以上

投稿: josame | 2020年8月 6日 (木) 17時13分

この記事が見つかりました
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https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/
2009/05/09 22:03:04
エムズの片割れ

初めまして私さくらと申します。
「白い花の咲く頃」について悲恋の歌のように書かれていることに異論を、と

-- 中略 --
田村しげるさんの家は北丹後地震で被災し苦学して武蔵野音大を卒業されております。
 当時寺尾智紗さん一家は広島に住んでいて父(通夫氏)は日本画家だそうです。その父の処へ苦学していた田村しげるさんが仕事のことで時折来られ、帰られるときには必ず智紗さんが途中まで送っていくことになっていたようです。
 田村しげるさん21歳の頃、智紗さん12歳の頃、のことです。
 その後智紗さん一家は上京されたそうです。
ラジオ放送で聞きましたことをお話しいたします。智紗さんが番組に出られたのか、インタビューして来たものを放送したのかは解りません。
 司会の方が「白い花の咲く頃」の作詞された
経緯を尋ねられると、
 『夫の田村しげるさんから故郷広島での思い出を書いてみたらと進められて出来たのが「白い花の咲く頃」の詩です。
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10年前のブログ記事ですから、お調べ済みかもしれませんが、何か参考になれば幸いです

ps:私は広島在住です

投稿: 崇 | 2020年8月 7日 (金) 07時58分

嵩 様 貴重な情報を戴き、まことに有難うございました。
ご教示下さったブログ「エムズの片割れ」HPの歌謡曲ページの歌「白い花の咲く頃」記事に対するコメント「投稿: さくら | 2018年5月 5日 (土) 13:57」の全文を拝見しました。
~~以下、通常のコメント拙文を記載します~~
上記のさくら氏・コメントはコメントとして尊重します。
ただ、本人・寺尾富子氏(作詞者・寺尾智沙)の故郷(広島)への思いは、ご母堂様への心情を含め、更に「黒い雨」の調査(1950年代)と共に、複雑かつ深層にあったと察する次第です。
その心理は、次の歌詞の詩情に現れているようです。

たそがれの故郷(ふるさと)

寺尾智沙・作詞 | 寺尾しげる・作曲 | 森岡真彦・唱


山すその 村はくれゆき
ともる灯も 数をましつつ
遠き日の 母のおもかげ
なつかしく 思えば
今更に 湧く涙

いく年(とせ)を 遠くはなれて
いく度か 夢見しふるさと
住む人の 姿移れど
想い出は いまなお
あの山に あの川に

流れゆく 時も忘れて
さまよえば 風はつめたく
仰ぎ見る 空に夕月(ゆうづき)
ひそやかに かかりて
ほのゆらぐ わがこころ

出典:「ラジオ歌謡名曲集」(昭和21年~37年)
(以上)

投稿: josame | 2020年8月 7日 (金) 22時21分

「白い花の咲く頃」昭和25年にNHKラジオ歌謡で発表されたというこの綺麗な詩とそのメロディ、私は今この曲を聴く度に自分の心が洗われていくようなそんな気がします!

さよならと云ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪

さよならと云ったら 涙の眸でじっと みつめてた・・・

上記の詩のように、愛する女性のそんな姿・仕草をもしも私が眼にしてしまったら、多分きっと別れることなどできなかっただろうとさえ考えてしまいます。

絵空事のように思われてしまいますが、私にも大切な事情があり、一度だけ上記の詩が思い浮かぶようなそんな体験がありました。それはあれこれ思い悩んだ末に、昔の名古屋駅のホームのベンチで彼女に断腸の思いで別れを告げた時、そんな私を少し震えながら涙の眸で私のことをみつめる彼女のそんな表情を真近で眼にした時、思わず決心が崩れてしまい結局私は別れることができませんでした。この唄を聴くと若かりし自分自身のことを今も想い出してしまいます。

「白い花の咲く頃」この唄には愛する二人の清らかさがとても強く感じられそして心に響きます。この素晴らしい詩とその素晴らしいメロディ、多分この曲は時代が移り変わったとしても歌を愛する人達から人達へと、きっと歌い継がれていくであろう、まさに人々の心にいつまでも残る名曲そのもののような気がします。

投稿: 芳勝 | 2020年8月 8日 (土) 14時55分

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