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白い花の咲く頃

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげる、唄:岡本敦郎

1 白い花が咲いてた
  ふるさとの遠い夢の日
  さよならと云ったら
  黙ってうつむいてたお下げ髪
  悲しかったあの時の
  あの白い花だよ

2 白い雲が浮いてた
  ふるさとの高いあの峰
  さよならと云ったら
  こだまがさよならと呼んでいた
  淋しかったあの時の
  あの白い雲だよ

3 白い月がないてた
  ふるさとの丘の木立に
  さよならと云ったら
  涙の眸(ひとみ)でじっとみつめてた
  悲しかったあの時の
  あの白い月だよ

《蛇足》 昭和25年(1950)発表のNHKラジオ歌謡。

 岡本敦郎はこの歌で世に知られました。作詞の寺尾智沙は作曲の田村しげる夫人。

 昭和25年といえば、敗戦時の混乱がようやく収まり、就職や進学のために田舎から東京などの大都市へ出てくる若者が増え始めた時期です。
 季節は、中学や高校の卒業式が終わった3月末。この季節に咲く白い花はいろいろありますが、この歌に歌われているのは、コブシ、ハナミズキ、ニセアカシアなどの木の花だと思われます。

 黙って見送る少女の遠景には、白い木の花。田舎から都会へ出てきた多くの人が、春がくるたびに思い出す光景でしょう。

(二木紘三)

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コメント

昨日、近くで倍賞千恵子のコンサートがあり、に行きました。私と同じ年です。顔は少し、老けましたが、声は昔と変わらず、綺麗な声でよかったです。
白い花の咲く頃も歌いました。

最近の歌では、NHKラジオ深夜便の「冬の旅」を歌いました。
昔のラジオ歌謡のように、叙情的な素晴らしい曲で、きっと、ず~っと
残る歌でしょう、と思いました。

投稿: カリブ | 2007年9月14日 (金) 11時53分

この歌は確かに倍賞智恵子の歌にあいます。
後世に何時までも残る歌でしょうね。
高校卒業のころを思い出しています。

投稿: 波路 | 2007年9月14日 (金) 20時05分

姉妹曲で、曲名はたしか「あの日の花かげ」だったと思うが、そんなにヒットはしなかったものの、好きな歌だった。
「幼馴染は垣根越し、棘に刺されて泣いたとき・・・・」70才を過ぎた今でも口ずさめる・・・、ほんとに歌って不思議だ。

投稿: 林 一成 | 2007年9月14日 (金) 21時32分

 この歌を聴いて、『あヽ私の(オレの)故郷と同じだ』と、共感を覚える人は多いのではないでしょうか。「白い花」「白い雲」「白い月」は、全国どこの風土であっても同じなわけで。それによって、この歌の故郷はみごとに、一般化され普遍化されておりますから。
 私のイメージでは今まで、この歌は季節としては初夏の頃かな?と思っておりました。二木先生の解説によりまして、卒業式が終わった3月頃だと初めて知りました。言われてみれば、確かにそうですよね。「3月は別れの季節」。
 この歌の主人公である男性は、中学か高校かを卒業して、就職あるいは進学のために上京。そして「黙ってうつむいてたお下げ髪」のあの娘は、そのまま地元に残って…。それでこそ、この歌の「悲しさ」「淋しさ」が切実なものになりますね。
 余計なことながら、そうして別れた彼と彼女は、その後どうなったのでしょう?

 とにかく、私にとりましても、欠かすことの出来ない「望郷の一曲」です。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月18日 (金) 19時36分

私は月に1~2度、ボランティアで老人ホームを訪ねて歌謡ショウなるものをやっております。8~10人位で1時間「歌と踊りの宅配便」と銘打っておりますが、この歌は私のもち歌で、歌うと必ず一緒に口ずさむお年よりが多いです。人前で歌うのだから、と歌唱指導の先生について勉強しましたが、最後の「あの白い花だよ」の あの、というところの息継ぎが難しく、先生も「この歌を完ぺきに歌えれば他の歌はかんたんよ」といわれたほどでした。一人2曲歌うのですが私のもう1曲は「柿ノ木坂の家」。カラオケとちがって画面があるわけではないので持参したテープを音源に何も見ないで(お客さんの顔を見て)歌うので、
途中で歌詞が出てこなくて伴奏だけがどんどん行って、失敗なんてことがよくあります。1番だけを知らん顔して2回歌うこともありますが、最近はようやく失敗しなくなりました。おかげでボケ防止に良いぞ、と頑張っておりますがいつもこの2曲ではしょうがないのでなつかしい、喜ばれる「新曲」を先生のこのサイトから探しております。有り難うございます。

投稿: 昔の男 | 2008年8月31日 (日) 00時21分

昨夜、NHKの懐メロの番組で83歳の岡本敦郎さんがこの歌を歌いました。往年の美声も無くなったのだから聴きたくないと思っていました。けれども静かに一生懸命に歌う声を聴いていたら涙が溢れてきました。歌は歌を超えていくものだとしみじみと感じました。心が浄化されて清々しくなります。抒情歌の中の抒情歌です。一番好きな歌だと思います。

東京に下宿していた友人の部屋で女学生3人がこの歌を歌いはじめました。すると2階に下宿していた男の大学生がギターで伴奏をしてくれました。顔も知らない何人かの大学生に、ロマンを頂ました。昭和33年の春の事でした。お元気で居られますでしょうか。女学生3人は相変わらず心だけは女学生で暮らしております。

投稿: ハコベの花 | 2008年8月31日 (日) 11時28分

そうでしたね、昨夜の岡本敦郎さん。
いとしいものを守るように、一生懸命歌っておられました。この歌を愛した多くの人々へ感謝の気持ちも込められていたような‥‥。私にはそのように感じられました。

投稿: 高木ひろ子 | 2008年8月31日 (日) 12時28分

そうでしたか、83歳の岡本敦郎さんが歌っておられたとは、残念ながら見られませんでした。お元気でしたら、次の機会に必ず拝見できると思います。
この歌は本当に抒情性豊かで、最も日本的な名曲だと思います。“お下げ髪”・・・僕らが子供の頃にはどこにでも見かける少女の姿でした。お下げ髪のあの女の子に淡い想いを抱いたのはいつ頃だったろうか・・・
素朴なお下げ髪は、大和撫子の原形のようでした。この曲を聴きながら昔のあの少女を偲んでいます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年8月31日 (日) 17時57分

八十歳を超えてなおステージで歌い続けられるのは、それを期待する人が多いということなのでしょう。私もその一人です。
みなさんのコメントを拝見するとこの歌は日本のスタンダードナンバーとして末永く残るとのご意見が多いようです。しかし、私は残念ながら悲観的です。ある歌手によりヒットした歌は、その歌手を知っている人がいなくなると歌も消えていくのではないだろうかと思うからです。倍賞千恵子もこの歌を歌っていてそれを聴いて楽しむ人は多いでしょう。でもそれは岡本敦郎を知っている世代だからではないでしょうか。
DVDというものが作られて、岡本敦郎の音声・画像は半永久的に残る可能性はあります。しかしそれを見たいと思う人は、岡本敦郎とともに生きた人々までではないでしょうか。日本の歌謡曲とは歌った歌手を含めてのものだと思うのですがいかがでしょうか。
 このサイトに人気が集まるのは、複雑な楽譜を手抜きせずに丹念に入力されているからだと思いますが、更に歌手の「声」を意識した楽器の選択にあるのではないかと思っています。

投稿: 周坊 | 2008年8月31日 (日) 21時07分

 周坊様とは、『三百六十五夜』以来のお付き合いです。気心の知れたお仲間であり、かつご長老格でいらっしゃる周坊様の寛容なお心を踏まえて、以下のことを申し述べさせていただきます。
 私もこの歌にコメントさせていただきました。とても愛着のある一曲です。その私の願望も含めまして、『白い花の咲く頃』はスタンダードナンバーとして、長く残っていってほしいと思います。考えてみますれば、ほんの一例として、日本近代歌謡曲の先駆けとなったと言われる『カチューシャの唄』も、それを歌った松井須磨子の死後も、スタンダードナンバーとして今日まで立派に残っております。
 二木先生が、前身の『MIDI歌声喫茶』を立ち上げられ、今日の『うた物語』に至っている目的の一つとして、そのような優れた数々の歌を出来るだけ永く後世に伝えたい、との熱い想いがおありなのではないでしょうか。私たちもほんの少しだけでも、残す努力をしましょうよ。

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月31日 (日) 23時47分

岡本敦朗ご苦労様でした。高木ひろ子さんのおっしゃる事は
的を得ています。同感です。

投稿: M.U | 2008年9月 9日 (火) 13時34分

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