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女ひとり

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:永 六輔、作曲:いずみたく、唄:デューク・エイセス

1 京都 大原 三千院
  恋に疲れた女がひとり
  結城(ゆうき)に塩瀬(しおぜ)
  素描(すがき)の帯が
  池の水面(みなも)にゆれていた
  京都 大原 三千院
  恋に疲れた女がひとり

2 京都 栂尾(とがのお) 高山寺(こうざんじ)
  恋に疲れた女がひとり
  大島つむぎにつづれの帯が
  影を落とした石だたみ
  京都 栂尾 高山寺
  恋に疲れた女がひとり

       (間奏)

3 京都 嵐山(らんざん) 大覚寺
  恋に疲れた女がひとり
  塩沢がすりに名古屋帯
  耳をすませば滝の音
  京都 嵐山 大覚寺
  恋に疲れた女がひとり

《蛇足》 昭和41年(1966)リリース。

 みごとな歌詞です。京都の地名と和装名の組み合わせから、愁いを秘めた女人(にょにん)の姿が浮かび上がってきます。
 しかし、この歌に奥行きを与えているのは、1番の「池の水面にゆれていた」と、2番の「影を落とした石だたみ」、3番の「耳をすませば滝の音」です。
 京都の地名と和装名を知っている人は、このフレーズ
(1・2番が視覚的、3番が聴覚的)だけで、石畳の上を歩むあえかな女人のイメージが思い浮かべられるでしょう。
 写真は三千院です。

 ほんとうかどうか知りませんが、この歌がはやったころ、京都の古刹では和服の若い女性が増えたそうです。

 1番に出てくる結城、2番の大島、3番の塩沢は、紬(つむぎ)の着物を示しています。
 紬はまゆから紡いだ糸で織った絹織物のことです。全国に名産地がありますが、そのなかでも、茨城県結城市一帯で織られる結城紬、鹿児島県奄美大島や鹿児島市で作られる大島紬、新潟県南魚沼市塩沢あたりの塩沢紬は、日本三大紬と呼ばれ、高級品とされています。

 塩沢がすりのかすりは漢字では絣または飛白と書き、かすれたような部分を規則的に配した模様、またその模様のある織物を指します。塩沢紬に絣の模様を配した織物が塩沢がすりというわけです。

 1番の素描の帯は、糊を入れた染料を筆につけて日本画のように柄を描いた布地で作られた帯です。

 2番のつづれの帯は、つづれ織り、すなわち横糸に数色の色糸を使い、模様部分だけをつづら折りのように織った布地で作られた帯です。

 3番の名古屋帯は、正装用の袋帯よりも簡単に締められる帯です。カジュアルな帯ですが、素材や柄などで使い分けることによって、普段用だけではなく、多少改まった場所でも締められます。

(二木紘三)

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コメント

この素晴らしい歌詞に男の影が全く見えないのが良い。
未練とか別れたとか。必要ありませんね。品のある歌詞
だから。

投稿: M.U | 2008年6月 5日 (木) 15時03分

綺麗で品のある京都がこの唄を聞くだけで浮かんできます。
先生が解説を解りやすくして下さっておられますので、そち
らを御覧下さい。きっと得るものが有るとおもいます。

投稿: 海道 | 2008年11月 2日 (日) 14時39分

この詞を英訳出来ない物でしょうか。「霧の中の少女」だって英訳されたのだから。しかしこの見事な日本語に手をいれる人は居られますかどうか。

投稿: 海道 | 2009年4月19日 (日) 13時16分

二木さん何時も聞かせていただいています。先回のは、ミスです。失礼しました。

よろしければ、「旅の重さ」(徳久広司)、二見情話、別れのワルツ、大阪みなと(砂川京子、(廃盤)]、などの曲も追加のご検討をいただけれな有難いです。よろしくお願いします。 昭和の庶民史を語る会。


投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2012年1月18日 (水) 12時04分

この歌詞からイメージされる女性の姿を『和えかな女人』と表現されたのが良いですね。

投稿: 前田 | 2012年1月19日 (木) 02時18分

昭和の庶民史を語る会さんの投稿の中に、『二見情話』がありますので、『二見情話』に関連して気ずいたことを補足させていだだきます。

『二見情話』は、沖縄には珍しい東北民謡のような、哀調を帯びた「古賀メロディ」と、沖縄民謡が融合したような、たいへんいい歌です。

しかし、ちょっと分からない事が多過ぎて、いろいろ指摘がされています。

この歌は、「古賀メロディ」と酷似したメロディライン〈DNA〉を持つとされる。

特に、「嘆きの夜曲」〈西岡水朗作詞、昭和7年、関種子)とのメロディラインの酷似が指摘され、古賀メロディのアレンジと言われています。

この歌は、「古賀政男」の名がどこにも出てこないのだが、万国共通の著作権ルールに依れば、古賀政男作曲のまさしく『二見情話』((著作権同)
そのものではないでしょうか!?。

(沖縄ウチナ‐の照屋朝敏氏が沖縄戦で収容所で作詞・作曲とされていて平成二年の「二見情話」の「石碑」にそう書いてあるようです。)

でも、古賀メロディのDNAを秘めたこのヤマト調の名曲をきっすいのウチナーの力の遠く及ばないこと。

古賀政男初期の隠れた名曲に『二見情話』〈1932コロムビア〉そのものがあります。

民謡であれ歌謡であれ区別なく著作権は保護されます。二次著作権を含めて創作者である古賀政男以外ないことは明白だと思います。(著作権法51条、20条、27条、28条)

たしかに名曲なのだが、著作者(創作者)・古賀政男の名がでてこず、インヴェードされているような況にあるのは残念な事で違和感をおぼえます。このあたりどうなっているのか、ご存知でしたら教えてください。


(参  考) 
決定盤 古賀政男全集(上) 国民的名曲のすべて ~丘を越えて~ (日本コロムビア COCP-37091-3)
DISC1 06 二見情話* / 知名定男、大城美佐子(ステレオ録音版)
http://store.shopping.yahoo.co.jp/toemifc/88092.html

《二見情話》 (コロムビア 昭和7年)
作 詞   西岡水朗 
補作詞  照屋朝保
作 曲   古賀政男
編 曲   佐々永治
歌  知名定男、大城美佐子(ステレオ録音版 1975)


投稿: メロディ | 2012年7月23日 (月) 11時27分

以下参考までに「著作権」は特許権と違って、届出等を要するものではなく創作時に開始するが、著作権に関してJASRAC信託状況としては、 作品コード 059-0343-2  嘆きの夜曲
として、(嘆きの夜曲、二見夜曲(無断作詞作品名)、二見情話)が、パッケージで信託されている。
これは古賀政男初期の作品。[昭和7年、コロムビア)

よく古賀メロディと酷似していると言われる「嘆きの夜曲」と「二見情話」、それに無断作詞作品名として「二見夜曲」、この三作品が組で入っている。

その他許諾に依らない無断作詞作品があれば権利を有するということだろう。(著作権法20、27,28、51条)。

投稿: メロディ | 2012年7月24日 (火) 16時06分

まだ、著作権法が整備されていなかった旧法の時代と言う事もあるが、照屋朝敏氏個人がひとりで全部作詞・作曲したとするのは、残念ながら単なるフライングでしかないと言えるでしょう。

なお、今年2012年1月5日付け「読売新聞」は、上記「古賀政男全集作品」(CD)の紹介の中で、 《日本のレコード歌謡の草創記に大衆音楽の担い手として活躍した作曲家・古賀政男の名曲を上下計6枚で100曲収録した。「東京ラプソディ」(藤山一郎)、「悲しい酒」(美空ひばり)、「湯の町エレジー」(近江俊郎)など、大ヒット曲はもちろん、「二見情話」(知名定男、大城美佐子)、「乙女鶯」(田端義夫)など隠れた名曲が入っているあたりに、制作側のこだわりも感じられる。》と紹介しています。

しかし、「影を慕いて」と同じ昭和の初めに、まだ誰も見向きさえしなかったであろう80年前に、沖縄の小さな一寒村に過ぎない二見に目を向けていた。こんなすばらしい歌を作っていた、すごいことではないでしょうか。

投稿: メロディ | 2012年8月 6日 (月) 14時50分

1番の歌詞の{水面」をなんと読まれますか?
文系ならば管理人さんが仮名で案内して下さっているように(みなも)ないしは(みのも)
理系ならば(すいめん)あるいは少し気取って(みずも)
体育会系ならば・・・・・存じません

オリジナルのデュークエイセス以外にも多くの錚々たる歌手の皆さんがカバーしておられますが
ごく一部の例外を除いては(みずも)派が圧倒的のように思われます
肝腎のデュークエイセスに(みずも)と(みのも)のふたつのバージョンがあるようなのがはなしを
いささか混乱させます
多分 初期が(みずも)で時代が下るに従って(みなも)に変わってきているのじゃないかと漠然と
そんな気がしていますが確証はとっていません

ここは一番 このうたの作詞者でもあり日本語の泰斗としても一家言をお持ちの
永六輔御大ご自身の見解を承りたいところですがそのあたりの事情に通じていらっしゃる方から
ご教示を賜れば幸甚です

このうた物語には掲載されていませんが高田みずえなどがうたった「秋冬」にもおなじ文言が
あり こちらは(みずも)以外聞いたためしはありません

個人的には(みずも)という訓みが市民権を得ているとは言い難いと考えますし また 詩歌の
詞章としても雅びの響きがある(みなも)か(みのも)を採りたいと思うのですがいかがでしょうか

諸賢のご高説をお聞かせ下さるようお願い申し上げます


投稿: 居候の徳三郎 | 2014年1月13日 (月) 22時25分

「水面」の件は永六輔さんが存命ゆえ決着を見る日がありそうですね。
ところで、作詞者と作曲家が別な場合は詞が先か、曲が先かということになるわけですが、歌謡曲、演歌の世界では昭和40年代迄は歌詞先曲後が大部分だったのに、昭和50年辺りから逆転したようです。最近では詞先の歌は2割位しか無いのでは…。 ちなみに永六輔は中村八大とのコンビ、いずみたくとのコンビがありましたが、中村八大との場合は曲先、いずみたくとの場合は曲後だったそうです。(ラジオ番組にての本人談。)
ですから、この「女ひとり」は詞先・曲後ということです。作曲家って悩ましい仕事だなぁと言ってましたっけ。概して、ヒットするのは曲の力に依る所がおおきいから…、だそうです。

投稿: かせい | 2014年1月16日 (木) 00時19分

かせいさんに触発され書き込みます。
音楽について、論も筋も文脈も何も分からず持たぬ輩に取って、本サイトで扱われる歌は「曲の力」で存在していると思っています。

ふたつぎさん見事なアレンジがどうして出来るのか小生に想像できません。詩(ウタ)を疎かにするつもりは毛頭ありません。しかし、詞の付かぬMP3による旋律=調べ故に、一人の熱心なファンであります。勝手な結論は「まず、メロディー=曲あり」なり。

投稿: minatoya | 2014年1月16日 (木) 08時37分

 着物と帯の組み合わせ、さらに柄と色の組み合わせ、また季節と色の組み合わせ、となると、もはや着物の専門家でないとわかりません。時代劇小説の作家は、例えば、歩いている武家娘の着物を描写する力が求められるので、着物の知識が欠かせません。しかし、読者にも、着物を鑑賞する力がないのが実情です。日本人でありながら、着物は遠くなりにけりです。
 永六輔さん、高齢のため、長年つとめたラジオの番組を終えられたと、最近のニュースで知りました。小沢昭一さんもなくかって、さびしい限りです。
 永さんの自伝風の読み物で、忘れられない話があります。お父さんが住職でしたが、戦後すぐの時期は、檀家も戦災で散り散りになり、お寺の生活が苦しかった。永さんは12,3歳ころで、授業料が払えず、学校に行きづらかったそうです。そんなある日、こんばんは、と戸を叩く音がして、葬儀の依頼があった。それを聞いて(人が亡くなり、不謹慎ながらも)「助かった、授業料が払える」と思ったそうです。お寺に生まれた子どもの複雑な心境がひどく印象に残りました。

投稿: 浮舟 | 2014年1月16日 (木) 11時03分

「水面」の唄い方、動画サイトを見ますと圧倒的に「みずも」が多いようですね。もう永六輔氏も「それで良し」としているのでしょうか。私の希望としては「みなも」で唄って欲しいのですが…。
minatoya様  歌謡曲にしろ、ポップスにしろ、メロディーのすばらしい曲がこれから後々にも歌い継がれて残って行く事でしょう。童謡・唱歌、然りです。 「歌」のファクトには、メロディー、歌詞、編曲、歌唱等がありますが、私の重要視するのはメロディーです。歌詞の良さは唄い込んだのちにジワーッと出てくるような気がします。私もメロディー派です。敬愛する作曲家は古関裕而、米山正夫、八州秀章、遠藤実、吉田正、…です。
minatyaさまはご自分の事を音痴だと言われてましたが、「灯台守」や「みなと」が胸に焼き付いてる方に音痴の人はいないと思います。どうぞこれからも「灯台守」・「みなと」口ずさんでくださいますよう…。

投稿: かせい | 2014年1月19日 (日) 01時12分

「水面」を「みなも」と唄ってほしいというかせいさんに同感です。
そもそも、「みずも」という読み方があるとは知りませんでした。
動画サイトでは「みずも」が圧倒的に多いのですか。驚きました。勉強になります。普通の国語辞書には出てこない言葉だと思います。

投稿: dorule | 2014年1月21日 (火) 21時08分

doruleさん、かせいさんと同じです。水面→ミナモ、日本語彙と読み方に疎い輩ながら、ミナモ読みしか知らないので、一筆啓上。

投稿: minatoya | 2014年1月25日 (土) 02時44分

そろそろ この名曲 女ひとり が思い浮かぶ季節に近づいてきたようです   

 三千院 高山寺 大覚寺  どうして この三つのお寺が えらばれたのでしょうね
 作詞された 永 六輔 さんのメモ ノートでも のぞかせていただきたい気がします
 どの お寺も有名で もちろん甲乙つけるようなことはできませんが 僕の根拠なき私見として 許していただきたいと思います  

 リリースされた昭和41年ごろ 三千院はすでに観光ルートにとりこまれるほど有名だったと記憶しています
 それにくらべると 高山寺はまだまだ 神護寺とともに世には知られていなかったのでは -- 

 なぜ 高山寺がうたわれるのだろうと頭をよぎったこともありました  
 僕にとっては 京の神社仏閣に興味をもち 自分の意志で 足で 通いだした最初のお寺でした  高校二 三年生のころです   交通の都合からは 裏の急な石段をのぼり石水院へ至るのが早道でした  石水院では 鳥獣戯画(もちろん本物は 東京です)を少しながめ 縁にすわり借景を楽しむ  おうすもいただけました  一服して寺院内を散策 本堂 仏足石も頭にのこし 最後に 表参道の石畳を 十二分に楽しみながら逆行して帰ってくる  懐かしい五十年余り前の思い出です  石の並べ方が特異で  高山寺ワールドここにあり その時々の心 思いに何かしら趣きをあたえていただける良き所でした  

 大覚寺は なかなか一人では行きにくい寺院という感じだったでしょうか  桂離宮 修学院離宮のように宮内庁まで申し込まねばならないほど ではありませんが
 若者が 気儘によらせてもらうには --という感じでした

 何故 今 京都のことを思い出しているのか  わかりません  今日は 911 の悲しい日から 15年 
 先ほどまでは 911 の記録 証言をみながら 涙がでていました  ほんとうに15年前から 世界は大きくかわったのですね  この激しいうねりのなかで 正直に正しい道は 何か を考え続けていきたいですね  わけへだてのない 人にやさしい社会
 嘘はいけません 政治家 官僚 公務員 襟を正さなくてはいけないでしょう!!

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年9月11日 (日) 21時43分

この素晴らしい歌を残した永六輔さんが亡くなられ、残念です。
かせいさんが2年あまり前に「水面」の読みは作詩者が存命ゆえ決着を見る日がありそうとお書きでしたが。合掌。

投稿: dorule | 2016年9月11日 (日) 23時57分

今朝の新聞の別刷りに、京都大覚寺地内にある名古曾滝(なこそのたき)跡の記事が出ていました。記事には、「名古曾滝」は嵯峨天皇の離宮(大覚寺の前身)庭園に造られた人工の滝だったが、まもなく流れが止まり、のちに作られた小倉百人一首の「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」(藤原公任)と詠われるように“幻の滝”となって今に伝えられている、とありました。これを読んで、ハッと気が付きました。この歌の3番の「耳をすませば滝の音」のフレーズです。わたしは、大覚寺には行ったことがなかったので、藤原公任の歌は知っていましたが、かれが名古曾の滝跡を詠んだものとは気が付きませんでした。永六輔は現実には聞こえない“幻の滝”の音を、あたかも聞こえるように作詞したのですね。わたしは、実際に滝の音が聞こえたというように解釈していましたので、大覚寺付近の滝とはどこだろうと思いめぐらせていたところでした。疑問が解けてすっきりしました。
 この歌は永六輔、いずみたく、デューク・エイセスがチームを組んで作った「にほんのうた」シリーズ(全都道府県に因んだ歌53曲)の京都編だそうです。
 これからの京都は紅葉シーズンを迎え、三千院の在る大原や高山寺の在る栂ノ尾周辺は、錦繍の装いになるのでしょうね。「恋に疲れた女性」だけでなく、わたしのような老境に入った者にも、京都や奈良の古刹・古仏めぐりは魅力的です。

投稿: ひろし | 2016年9月19日 (月) 13時13分

ひろしさま 
 
「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」(藤原公任)の和歌と   耳をすませば滝の音
 
 の歌詞との関係を 正しく指し示していただき                   
 目からうろこ の感がいたしました    有り難うございました

 京の散策は ほんとうに歴史好きにとっては たまらなく魅力的なものです

 また どの史跡をとりあげても いろいろ考えさせられる材料に行き当たるのですね

 今年の 春から梅雨時の短い間に 偶然 法金剛院という寺院を訪れる機会がありました  何も考えず 時間と場所の都合で行かせていただいたのですが 待賢門院が創られたお寺でした  現存する浄土式庭園の一隅に 青女の瀧があり日本最古の人工滝とのことです
 それから 数日後に中学の同窓会が はじめて京都であり 会場は 白河院でした  また おかしい偶然があり
 そのとき 読んでいた本が 西行家伝  その 少し前に読んだのが 天上紅蓮 (渡辺淳一 著)
 
 どうして どうして 人と時代と場所が 一画面にすくいあげられてきたような 奇妙な感覚にゆきあたりました

 また 待賢門院の数奇な運命 その受動的な行為が 保元 平治の乱のきっかけとなったことを思うと 人の世の残酷さを再認識させられた次第です 

 まだまだ 知らないことは多いですが 歴史からまなび 日々の行動にいかせていきたい と思うこの頃です 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年9月23日 (金) 23時37分

「水面」の読みが(みなも)なのか、(みずも)なのか、確認をとれぬまま永六輔さんは逝去されました。
『土曜ワイド・ラジオ東京』に出演しておられるころに、電話等で問いただす事ができたらよかったのになぁ…と悔いています。 しかし創唱グループである「デューク・エイセス」が
2014年のステージなどで(みなも)と歌っていますから、「水面」は(みなも)とよみ、そのように歌う事にする方向にしたほうがいいのではと、私は思っています。 歌手によってまだまだ
バラツキがあることは、致し方ない事でしょう。
美しい日本語を探求し、愛し続けた永六輔さんのご冥福をお祈り申し上げます。

投稿: かせい | 2016年9月25日 (日) 00時56分

能勢の赤ひげ 様
 拙文に過分なお言葉をいただき恐縮しています。名古曾の滝(址)については、この滝が大覚寺にあることを知りませんでした。ただ、小倉百人一首の「滝の音はたえて久しく……」は覚えていましたので、朝刊の記事を読んで、永六輔は「この滝を詠んだんだ」と直感した次第です。この滝址は、埋もれていた遣水跡が復元され、今は大沢池につづいているようです。
 あなた様が参詣された法金剛院は、待賢門院璋子の寺とは知りませんでした。彼女が白河院に溺愛された絶世の美女で、保元の乱で敵対する崇徳上皇と後白河天皇の母親であることは知っていましたが。崇徳上皇が白河院の子であることは、最近の研究で有力になってきているようですね。この寺は、待賢門院の桜で有名ですね。浄土式庭園と「青女の滝」は最近復元されたようですが、さくらの咲く時期に一度訪れたいものです。

投稿: ひろし | 2016年9月26日 (月) 11時25分

三千院に行ってきました。紅葉の日曜日で大混雑を覚悟していましたが冷たい雨でほどほどの観光客でした。それでも門前の料理旅館は予約時間まで入れてくれないほどの盛況でした。かつて宇治に一年京都に三年通っただけですが千二百年を生き抜いた人々のお人柄には馴染めないものの京都の自然は素晴らしい。大原から花背を越えればしゃくなげの大悲山峰定寺、西に向かえば九重桜の常照皇寺、周山街道に突きあったって京の途中に三尾の高山寺、嵯峨野を巡って大沢池の大覚寺。やっと車を持てたころのドライブコースですがこの歌にぴったり。やはり疲れた恋には「北」が似合うのですね。

投稿: しょうちゃん | 2016年11月28日 (月) 10時05分

能勢の赤ひげ 様
私が高山寺の裏側の駐車場から急な石段を上り、能勢の赤ひげ様と同じルートを辿ったのは10年前のことで、あなた様から遅れること40年の新米京都好き人間です。ついでに西明寺、神護寺とまわってきましたが、さすがに神護寺への階段と山道はへばりました。神護寺の階段の奥の吊橋のところに大きな格子扉があり、そこから東映の撮影隊が車ですいすいと上っていくのには、ちょっと腹がたちましたけど…。

ひろし 様
大覚寺は、私の京都散策ルートで一番寄りやすいところです。大沢池の周囲をのんびりと散策しながら、四季それぞれに癒されます。このあたりは京野菜の畑がひろがり、周山街道を横切り宇田野から仁和寺~竜安寺~金閣寺(衣掛けの道)への道筋は京都っていいな~と、感じられるところだと思います。
 
しょうちゃん 様
9月の終わり頃に家内と二人で急に思いついて大原まで車を飛ばしました。特に三千院がお目当てであったわけでなく、何故か大原の野や畑、風景が懐かしくなりぶら~っと出かけましたので、三千院はスルーして寂光院により、途中 土井しば漬店で食事して帰りました。三千院のこけ庭に点在するわらべ地蔵が可愛らしくて癒されますね。

三千院、高山寺、大覚寺~二木バンドの名演奏を聞きながら、想いをめぐらせています。

投稿: あこがれ | 2016年11月30日 (水) 02時24分

あこがれさま
 
 京の便りは うれしいものです   平日にまわられたり ばっかり食い でいろいろ賞味されたり 試験まで受けて合格されているとかーー うらやましい限りです

 僕の場合には 神社仏閣 史跡めぐりは 木曜日の午後か日曜日か祝祭日しかいけません  いわゆる観光シーズンで 景色を見ず 人をみる というのは  どうも苦手なので 人の少ない季節に訪れることになります

 このお寺は 桜 もみじ といわれても  想像しながら あるいは 写真で知っている景色を頭にうかべながらの逍遥です  夢心地かもしれません  歴史上の方たちと 話しながらーー  おかしいですね

 あまり 私的なことをながく 書くのは 遠慮しなくてはと思っておりますが   僕の 三つの好きな心落ち着くお庭は  常照皇寺 実相院 二尊院 となります

 あこがれさまの指摘された 三千院のわらべ地蔵さんは ほんと癒されますね  携帯の待ち受け画面に使っていたこともあります  ちなみに 今の画面は 常照皇寺の主たる参道ではなく 山国御陵から下ってくる細い苔むした(季節にもよりますが)石畳??の道を写したものです 自然ののこる この寺域の いろんな種類の木々の間の 木漏れ日 とても印象深い景色です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年11月30日 (水) 21時29分

能勢の赤ひげ 様

立て続けの投稿をお許し下さい。
「常照皇寺」とは…! さすが!と、感服させられ益々能勢の赤ひげ様の心の奥底にある〈赤ひげ精神〉を垣間見るような思いがいたします。周山街道の奥深く、花背や美山にもほど近い深山にひっそりと…しかし、知る人ぞ知る紅葉や桜の名所…!

村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ  寂連法師 百人一首 第87番

藤原定家の従兄弟として生まれ、晩年は西行法師や藤原定家同様 嵯峨に暮らしましたが、あたかも水墨画のような味わいをたたえた一首で晩秋を迎えた深山の静けさが漂ってきますね。 晩秋の常照皇寺の静けさを懐かしく思い浮かべておられることと拝察いたします。


投稿: あこがれ | 2016年12月 1日 (木) 12時58分

あこがれ様
 拙文にお目を通していただき光栄です。あなた様のコメントを拝読しながら、ハンドルネームそのままに「あこがれ」の地にお住まいだなと、羨望にも似た気持ちを持っています。
 京都には、修学旅行を含めて5度ほど訪れたことがありますが、常に何人かとのグループ旅行でしたので、自分の我儘を通すわけにもいかず、不本意なものになっています。
 最近知ったのですが、「きぬかけの道」と呼ぶ金閣寺から仁和寺までの観光ルートが出来たようですね。このルートで、わたしの、まだ訪れていないのは法金剛院ですが、足腰のしっかりしているうちに、訪れたいと思っています。そのときには、仁和寺に近い長泉寺にも足を延ばすつもりです。吉田兼好と関係がある寺と聞いていますので。

投稿: ひろし | 2016年12月 1日 (木) 16時37分

ひろしさまのお便りで「法金剛院」の文字を見つけまして、とても嬉しかったです。50代の時親友と【法金剛院】を急遽訪ねた昔を思い出しました。その日は嵯峨野で「ゆとうふ」でもと、出発しましたが、車中の会話で昨夜「待賢門院」に関する記事の話から「法金剛院」へ。思いがけず質素なこじんまりとした寺だったせいか、ひっそりとした寺で好感が持てたのです。当時は「寺院」の空き地と池のすべてに「蓮」の花が咲き誇っておりました。確か「門院」と蓮の関連についての説明も、すっかりきえうせております。ひろしさまのご説明にありました桜に関しても、桜の樹の存在も記憶にありません。
その日親友と、「門院」についての説明には【好感度】が上がると同時に、自分に正直に生き抜いたかたと、勝手に想像したり・・・・。後々にわが息子二人が争うなど、思いもよらなかったでしょうね。
あの寺を訪ねるまで、「蓮」が池の上だけでなく地上でも見事に花を咲かせることを、みることが出来ました。もう一度行ってみたいと切実におもっています。

投稿: mitsuko | 2016年12月 1日 (木) 18時03分

  もう京都の紅葉は盛りを過ぎたかな~と思いながら、久しぶりにこの歌を聴きました。ほっとするいい歌です。三千院、高山寺、大覚寺、いずれも紅葉が立派なところ。ところでこの歌に、春夏秋冬の季節感は、はっきりとはでていない。今日、初めて気づきました。
 まあ池とか滝の音といえばふつうは夏を思わせる。石畳の影がくっきりと浮かぶのも夏だ。ここでは俳句の季語という約束事にとらわれず考えたい。くっきり浮かばなくても石畳の影は一年中ある。池も「名月や池をめぐりて夜もすがら」の句もあり、秋の池もあるということ。「伝え聞く 鼓が滝にきてみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」の歌(上方落語『西行鼓ヶ滝』)も、あるていど人口に膾炙している。この場合は春の滝だ。
 ということで、この歌は春、夏、秋に通じるのではないでしょうか。さすがにお寺を彷徨する冬の着物姿は、いかにも寒そうでかわいそうですから、冬は外します。と言えば、夏の着物も汗で難儀するはずという理屈もありますが「暑くても 見た目涼やかに着物を着こなすのがプロだ」とお茶の先生から聞いたことがありますので夏の着物は問題なしということで・・。

投稿: 越村 南 | 2017年12月 5日 (火) 08時16分

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