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うれしいひなまつり

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:サトウハチロー、作曲:河村光陽

1 あかりをつけましょ ぼんぼりに
  お花をあげましょ 桃の花
  五人ばやしの 笛太鼓
  今日はたのしい ひなまつり

2 お内裏様(だいりさま)と おひな様
  二人ならんで すまし顔
  お嫁にいらした 姉様に
  よく似た官女の 白い顔

3 金のびょうぶに うつる灯(ひ)
  かすかにゆする 春の風
  すこし白酒 めされたか
  あかいお顔の 右大臣

4 着物をきかえて 帯しめて
  今日はわたしも はれ姿
  春のやよいの このよき日
  なによりうれしい ひなまつり

《蛇足》 雛の間というのは、薄暗いというイメージがありませんか。薄暗い部屋の奥に雛人形の白い顔がぼぉーと浮かんでいる、というイメージです。
 今はもうなくなってしまった私の生家の雛の間がそうでした。明るい部屋に雛人形はあまり似合わない感じがします。
 黒沢明監督『夢』の「雛祭り」は、そんな感じをよく表していました。

 なお、下記コメントに浜井さんがお書きになっているように、お内裏様とおひな様は男雛と女雛、右大臣は左大臣のまちがいです。サトウハチローはあとでまちがいに気がつきましたが、そのときにはこの歌が全国に流布・定着してしまっていて、どうしようもなかったそうです。
 雛祭りの季節になると、サトウハチローはいつも不機嫌になったと家族は語っています。

(二木紘三)

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コメント

雛人形って、浮世の・・・そして人生の浮き沈みを優しくも
しっかり見つずけてきた証人のような気がします。
 半世紀前の我が家に立派な着物を着たお内裏様とお雛様が
無造作に淋しそうに転がっていたのを子供心に記憶していますが、何があったのかは知る由もありません。
 
 春のやよいの このよき日
  なによりうれしい ひなまつり
 

投稿: 松島 幸男 | 2008年3月 3日 (月) 18時18分

3月3日も過ぎて、デパートやスーパーの売り場からはもうこの曲も聞こえなくなりました。
 老若男女を問わず、この童謡を知らない日本人はまずいない、といっても過言ではないでしょうね。他にも同種の歌がないわけではないと思いますが、やはりこの「うれしいひなまつり」が他を圧倒しています。「なによりうれしいひなまつり」という歌詞とは裏腹に、このようなもの悲しい旋律の童謡が今なお人気があるというのは、
ちょっと不思議な気がしますが、なぜかうれしくもあります。
 今から30年以上も前のことですが、ある高名な作曲家がテレビ番組の中で、日本の子守唄や童謡を痛烈に批判していたのを思い起こします。
明るくのびやかな欧米の子守唄や童謡にくらべ、わが国では短調の陰気くさい歌が多く、幼少期の大切な情操を培う上で有害である、という話でした。
氏の提言が世に受け容れられたのか、その後つくられる子どもの歌は、明るく活発な調子のものが大勢を占めるようになりました。
 しかし当時の私は、氏の主張に一理あることは認めつつも、なにか抵抗感を覚えていました。昔の日本の子守唄・童謡には、たしかに明るさという点では欠けるところがありますが、一方他の民族にはない独特の美しい特性が感じられ、とくに他者へのやさしい思いやりの心や、自然への豊かな感受性に満ちているように思います。昨今の情操教育という点では、むしろ有用ではないのか、その思いは数十年たった今も変わっていません。

投稿: 時代遅れ | 2008年3月 4日 (火) 13時54分

時代遅れ様
私の娘はポーランド人ですが、赤子のころから私が短調の童謡をうたって育てました。ポーランド人の母からみても、この童謡は娘の情操を豊かにしたと言ってくれています。ポーランドの童謡も短調のものが多く、「ある高名な作曲家」の方は、ごく少数の体験から仮説を導き出したのでしょう。ポーランド語で子守唄はコルィサンカといいますが、中でも「イスケレーチカ」(暖炉の火花)というものは、暖炉のはかない火花に託して人生を歌ったもののようにも思え、大人でも感動します。ディスクをもっていますので、貸してさしあげます。シモン・イサコフスキー

投稿: | 2008年3月 7日 (金) 21時10分

 あかりをつけましょ百ワット
 お花をあげましょ若乃花
 五人ばやしのロカビリー
 きょうは楽しいお○式

というケシカラン替え歌が、
ロカビリーがすたれ、「土俵の鬼」が引退(昭和37年)した
かなり後の昭和40年代初頭まで、
小学校の教室で歌い継がれていたように記憶します。

団塊世代からポスト団塊の「怪獣世代」に至るまでの、
特に男子児童による、
お仕着せの「よいこのうた」への
ささやかなプロテストだったのでしょう。

 松原父ちゃん 消ゆる母ちゃん
 父ちゃんと母ちゃんとケンカして……

というのも、同時代に歌われていました。
今ではいずれも、元歌すら知らない子供が
大半でしょうが。

投稿: 若輩 | 2008年6月 9日 (月) 23時22分

今は40歳近くなる娘が4、5歳の頃、私が幼いとき歌った童謡を覚えさせようとソノシート(これも死語ですか?)やドーナツ盤をせっせと聞かせましたが、あまり興味を示しませんでした。そのくせテレビのコマーシャルの音楽には敏感で、呼びかけても振り向かないほど一心に聞いていました。あのころから私は、日本の行く末に不安を感じていました。その娘が最近ようやく結婚して高齢出産の子どもを育てています。

投稿: 周坊 | 2008年6月10日 (火) 11時39分

日本の情緒の真髄ですよね。この日本の伝統文化と情緒をいつまでも後世に残していかなければ、日本はどこの国かわからなくなってしまいます。イギリスや西欧、東欧の煉瓦づくの建物の情緒と同じように、日本の美しさは生まれてくる日本の子供たちに伝えていく義務が、われわれにはあるんじゃないでしょうか。

でも、日本人だけがこの情緒をわかっているのかと思っていたら、嬉しいことに外国にもこれと同じ曲調があるんですか。やっぱり、日本の文化は諸外国の文化の伝播の影響を受けているんでしょうね。民族主義を唱えて突っ張っている人たちは、考え直すべきですね。

投稿: 吟二 | 2009年5月23日 (土) 23時27分


 あかりをつけましょ百ワット
 お花をあげましょ若乃花
 五人ばやしのロカビリー
 きょうは楽しいお○(お葬式)式

 松原父ちゃん 消ゆる母ちゃん
 父ちゃんと母ちゃんとケンカして……

 私も歌っていた記憶があります。ただいま53歳ですが、この替え歌、懐かしくて、思わず書き込みました(このサイトと、私の日記に)。

投稿: こうちゃん | 2010年2月 7日 (日) 21時34分

私は50代後半ですが 時代背景もありましょうが 幼いころこんな物悲しい童謡をよく聞いていました。それが今も私の精神の根底になっているような気がします。しかし世間にはこのような童謡とは無関係に生きてるような人が増えてる気がします。今の精神の荒廃した時代どちらが良いとは思いませんが 我に帰れる情操豊かな幼少時代を過ごせたことは私にとってはとてもよい財産です。

投稿: alude2500 | 2010年3月 3日 (水) 16時12分

お雛さま、雛祭り─このことばを聞くと、ほろ苦い思い出がよみがえります。
 昭和20年9月、わたし達家族がいた朝鮮の清洲という町に、米軍が進駐して来たときの話です。2つ違いの兄がどこからか、「進駐軍は日本の人形を欲しがっていて、キャンディやチョコと交換してくれる」という情報を得てきました。当時、甘い物に飢えていたわたし達は、妹に内緒で雛人形の内裏様を持ち出して交換してしまったのです。「交換」というと聞こえはいいのですが、実際はジープや兵員輸送車に乗った米兵が、沿道に押し寄せるように並んでいる民衆(圧倒的に朝鮮の大人やこどもが多い)に面白がって投げるキャンディ類や食べ物に群がったというのが真相です。よくテレビのニュースなどで途上国の人たちが救援物資に群がるように。
 二人で必死になって拾ったのですが、わずかばかりの戦利品にありつけるのがやっとでした。わたしと兄は妹に内緒で持ち出したという後ろめたさもあって足取り重く帰還したのですが、救いだったのは何個かのキャンディに妹が喜んでくれたことです。結局引き上げに際しては、妹が大事にしていた雛人形は一体も持ち出す余裕もなく(リュックに詰めるだけの食料と衣類だけで精一杯でした)現地に置いて来たので、気分的には楽になりましたが。
 兄が投げるように渡した内裏様はどうなったか?、ひとりの米兵に受け止められたことまでは確認できましたが、その後は分かりません。無事に海を渡って、今でもアメリカのどこかのお家に大事に飾られているのでしょうか。そうあって欲しいと切に願っています。

投稿: ひろし | 2010年3月 4日 (木) 15時00分

時節をはずしてのネタは恥ずかしいのですが、知らないこと、勘違いしていたこと、それらが分かり納得できると嬉しいものです。そのため思わずメールすることになってしまいました。
こうちゃん様、若輩様の替え歌は聴いたことがありませんし、おひな様の替え歌が有ることさえ知りませんでした。ところが、妻に聞いてみると

明かりをつけたら消えちゃった
お花をあげたら枯れちゃった
五人ばやしの首取れて
今日は悲しいひな祭り

などと歌っていたと・・・。><
実にけしからん話です。

まあ、それはさて置きこの『うれしいひなまつり』の歌詞には明らかな間違いが2つあり、それを日本中に広めてしまった責任があるようです。
ほとんどの人が『お内裏様』を雄雛、『おひな様』を女雛と解釈していますが、『お内裏様』とは天皇と皇后の姿をかたどった一対の人形を指し、『おひな様』は雛人形(雛飾り)の愛称で複数体を表すわけですから雄雛、女雛の解釈は全然違います。

好意的に強弁を認め、歌詞を正しく解釈するなら、お内裏様(二人)でも、おひな様(二人以上)でも、共に雄雛と女雛だけは一つの段で二人だけで並んでいてすまし顔なのであり、雄雛と女雛だと勘違いしたのは読解力が足りないのだと言う事になるのでしょうが・・・。

もう一つの間違いは、『赤いお顔の右大臣』の部分です。実は、白いひげを生やし赤い顔の年長者の人形は左大臣なのです。そもそも、大臣としていますが、もともとは随身で警護の者なのだから酒など飲んでは警護は勤まらない。だからこそ赤い顔を揶揄して「白酒でも飲んだのか」としているわけですが右大臣と左大臣を取り違えていることに変わりはありません。

サトウハチローでもこんな間違いを犯すのですねえ・・・。
もっとも、この作品に関しては山野三郎名義で発表しているので別人との強弁もありかも。

ついでながら、左近の桜、右近の橘、右大臣、左大臣はいずれもお内裏様から見ての右左ですから、向かって右に桜と左大臣、左に橘と右大臣を配置するのが正当とされています。
雄雛と女雛の配置については、従前は向かって右に雄雛だったのですが(異説あり)、大正天皇即位以降混乱中です。管理人様の挿絵は実質四段飾りであることと随身が三人官女と同じ段なので違和感があるのですが(都合上そこしか空いていなかったからと推測)、桜と橘は描き分けられていて流石だなと思います。

蛇足
このメールの元となったのは、彼の右に出る者はいない、彼の右腕、左遷、左前など、右を尊び左を卑下する言葉が多数あるのに左大臣の方が右大臣より上位者であることの疑問を調べていてのことです。が、『うれしいひなまつり』とは内容が離れ長くなるためこれ以上は書かない方が良さそうですね・・・。

投稿: 浜井 | 2010年5月30日 (日) 10時58分

老人ホームの78歳、インターネットからはなれない日常になりました。私が生まれた昭和7年に父が日本橋三越で購入、金参円と箱書きのある5段飾りのお雛様(当時田舎では小さな家が建ったと言われた)があり、結婚時に持ってきて、マンションで毎年飾って楽しんだが夫が介護ベッドをいれるようになって手狭になったため、新潟県村上市の雛祭りに知人を通して寄付をしました。幼児から毎年飾り、戦中戦後と疎開で助かったひな壇ですが今多くの人の目に触れることで人形たちはどんな思いでいるかと、ホームでお琴とピアノの合奏を楽しんでいます。子供のころの白酒はおいしく、隠れて飲んでしかられた思い出も遠く、今はシルバーでもワインで一杯!です。

投稿: ライス | 2011年2月17日 (木) 18時56分

ライス 様
昭和22年九州小倉生まれ育ち、なぜか今茨城県で定年農業をしています。
幼い頃、今は亡き母は時節の祭りは色々やってくれまして、ひな祭りにはひな人形ではありませんでしたが人形や桃の花などを飾ってくれていました。遠い昔の思い出です。
お持ちのひな人形を市に寄付なされたとのこと、大勢の市民に見られて人形も喜んでいることでしょう。
78歳でインターネットを楽しんで折られる様子、敬服します。若輩ものですが、アップアップしています。
二木先生のお陰でこのサイトを楽しませていただいている訳ですが(りっぱな社会貢献だと思います)、ライス様もいつまでもお元気で。

投稿: 竹永尚義 | 2011年2月18日 (金) 16時55分

作曲の河村光陽さんは、私の生まれ故郷の近く(福岡県田川郡福智町)のご出身だということを最近しりました。

投稿: 竹永尚義 | 2011年2月18日 (金) 17時02分

九州縦貫道福智山トンネルで有名な福岡県福智町のご出身の竹永様ならば、川端康成ご推奨でもあった近くの上野焼(あがのやき)窯元もそのそばの渓流・白糸の滝もご存知かと思います。近くに天郷(てんごう)青年の家という簡易宿泊所がありました。宿泊所の庭に歌碑が建っており、『かもめの水兵さん』音符とともに作曲者の河村光陽は当地の出身ですと説明板が掛かっていました。私もその説明板で河村光陽のことを知りました。今から43年前の昭和44年のことです。

投稿: 乙女座男 | 2012年7月29日 (日) 17時41分

2008年「時代遅れさん」の投稿。ある高名な作曲家さんがテレビ番組で放送されていたとか・・・「日本の子守歌や童謡は短調で陰気くさい歌が多くて情操教育に悪い云々」とか・・・・この高名な作曲家さんが事情があまりおわかりになっていらっしゃらないのかと思い投稿します。
そもそも日本の子守歌はお母さんが歌った歌よりも貧しい家の子守さんが歌った歌の方がより多く残っているからではないか。貧しい家の子が5・6歳になると口減らしのために金持ちさんの家へ奉公に出され親元を離れ寂しい思いを子守歌として歌った子守歌が多いという当時の日本の厳しい差別事情が現れている。「ねんねこさっしゃりませ、寝た子の可愛いさ、起きて泣く子のねんころろ、つら憎くさ~~~」(中国地方の子守歌)さっしゃりませ〔敬語)寝る子は可愛いが起きて泣く子は憎い。母親としての愛情が感じられない。「おどまかんじんかんじん(私らは貧乏)、あん人たちゃよかしゅ、よかしゃよか帯よか着物」(五木の子守歌)「この子よう泣く守りをばいじる,守りも一日痩せるやら、はよも行きたやこの在所越えて向こうに見えるは親の家」(竹田の子守歌)しかし最も有名な日本の子守歌「ねんねんころりよおころりよ坊やはよい子だねんねしな」これを陰旋律(ミファソラドレ)で歌うと暗くなるけど陽旋律(レミソラドレ)で歌えばのどかで素朴な歌になる。確かに西洋の子守歌は母親が歌っている歌が多いから愛情に包まれているものが多い。「眠れ眠れ母の胸に,眠れ眠れ母の手に・・」(シューベルトの子守歌)
だからといって日本は陰気と決めつけるのはどうかと思う。日本の子守歌に込められている深い意味も思いながら、これも大切にして欲しいと思います。「他の民族にない独特の美しい特性が感じられ他者への思いやりの心や自然の豊かな感受性に満ちていると思う」と結んでおられる「時代遅れさん」に心から賛同し敬意を表してまだ書き足りないけど長文の投稿ごめんなさい。

投稿: 景道 | 2016年2月15日 (月) 15時38分

時代遅れ様、景道様、お二人様のご意見に賛同いたします。日本の子守唄が哀しいのは事実です。私は「竹田の子守唄」「中国地方の子守唄」「五木の子守唄」等これらを最後まで歌い切れません。切なくて胸が詰まり哀しすぎます。それでも日本の子守唄が大好きです。誇りに思っています。哀しい運命の子供たちがよその子供を背負って歌い継がれていったこれらの詩。それは日本人の背負ってきた歴史だとおもいます。現在は外国では子どもをお金でベビーシッターを雇い、預けて夫婦で外出する習慣がある国々。同じではありません。それでも幼い少女たちに背負われた赤ちゃんの方が、ずっと幸せだったと思います。背中に背負って子育てする光景はアジアや後進国だけの風習でしょうか?明治初期に日本に来た女流の記者が書いています。日本人ほど子どもを可愛がる人種を見たことがないと・・・・。田畑に出る時も子どもを入れる【籠のようなもの】にいれ、そばにおいて働くすがたをほめています。
日本のこれらの子守唄にうたわれている少女たちのすがた、想像するだけで切ないですね。でも忘れたくない日本の子守唄、大好きです。大家と言われる人が何とおっしゃろうと好きです!!

投稿: mitsuko | 2016年2月17日 (水) 06時00分

戦災で雛飾りを焼いてしまったので、戦後すぐに縁日で30センチぐらいの市松人形を母が買いました。私の為ではなく、私が生まれる前に女学校2年で亡くなった私の姉の思い出に買ったのだと思います。成績優秀、器量よしだったと姉と比較いつも私に嫌味を言いました。「私は私だ」と反発していました。今、我が家は男ばかりで、雑然としています。小さな市松人形を私の形見として買っておこうかと思いましたが、お人形の顔を息子たちが怖がったことがあり買うのをやめました。それにしても、あの無頼の八チローにこんなにやさしい詞が書ける事が不思議です。心の中は優しい人だったのでしょうね。良い歌だと思い聴いています。

投稿: ハコベの花 | 2016年2月18日 (木) 00時15分

姉も妹もいず、娘にも恵まれなかった私はひな祭りの雰囲気を知りません。雛祭りが近付くと小学校では女の子たちが互いに誘いあっている気配を感じました。お菓子も御馳走もあるだろう、僕も誘って欲しいなァ・・・といつも思っていたのですがなりません。女の子のお祭りですですからね。

小学校では女の子は女の子同士、男の子は男の子同士で固まりますので何事についても奥手の私は抜け駆けして女の子と話すチャンスなんて皆無でした。雛祭りという女の子の秘密の場を覗いてみたかったのですが・・・

そこで、お父さんもお母さんもいない、雛祭りもしてもらえない薄幸の少女もいるだろう。皆が寝静まった夜、そんな少女の枕元にサンタクロースのごとく降り立って、お雛様をプレゼントして帰りたい。空に帰る前に可愛い少女の寝顔のほっぺにチュッとキスしたい。・・・などと妄想をしたりしたのですが、実行したらやはり罪ですね。

童謡『赤とんぼ』も物悲しい曲ですね。最近のお母さんは赤ちゃんを背中におんぶでではなく、胸に密着させた抱っこスタイルです。これでは赤ちゃんは赤とんぼも観れないですね。抱っこスタイル反対です。

少女が赤ちゃんを負んぶしている昔の写真がありました。仕事をしているお婆ちゃん、少女と赤ちゃん、貧しくとも懐かしい幸せな情景です。↓

http://www.gekiyaku.com/archives/47738141.html


投稿: yoko | 2016年2月18日 (木) 08時35分

 数々の「蛇足」と「コメント」は心に沁みてきたり、考えさせられたりします。順にクリックしてきたら「ひなまつり」に出会いました。

 皆様のコメントにありますように、オーバーに表現しますと、わらべ歌や子守唄は日本人が歩んだきた歴史ですね。広い意味での文化遺産だと思っております。「おしん」があれほど世界中の人々に宗教、国柄を越えて受け入れられ、また語り継がれているのは、人間の心情として万国共通のものが心底にあるからなのでしょうね。

 小学生の孫が時々歌っている歌は私たちの子供の頃の曲だったりします。また、私が昔の童謡を歌っていると「知っている」と言います。孫たちのそういう様子をみていると、一部だけかも知れませんが引き継がれているんだなと思う時があり、うれしくなります。世代を越えて一緒に歌えることはいいものですね。

 妹と私のお雛様は高さ10センチ幅15センチ位のガラスケースに入った今戸焼き風の小さな物でした。それでも嬉しく妹と歌いながら「ひなあられ」を食べました。母はいつの間にか飾り、いつの間にか仕舞っていました。今考えても何処に仕舞っていたのか分かりません。
 


 

投稿: konoha | 2017年3月10日 (金) 12時14分

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