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赤いランプの終列車

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:大倉芳郎、作曲:江口夜詩、唄:春日八郎

1 白い夜霧の灯りに濡れて
  別れ切ないプラットホーム
  ベルが鳴る ベルが鳴る
  さらばと告げて手を振る君は
  赤いランプの終列車

2 涙かくして 微笑み合(お)うて
  窓に残した心の温(ぬく)
  あの人は あの人は
  いつまた逢える旅路の人か
  赤いランプの終列車

3 遠い汽笛に うすれる影に
  一人たたずむプラットホーム
  さようなら さようなら
  瞼の奥に哀しく消える
  赤いランプの終列車

《蛇足》 春日八郎は大正13年(1924)、福島県会津に生まれ、敗戦後間もないころ、歌手を目指して上京しました。
 昭和27年
(1952)のデビュー作『赤いランプの終列車』が大ヒット、以後『お富さん』『別れの一本杉』『あん時ゃどしゃ降り』『長崎の女』と立て続けに大ヒットを放ちました。

 暗い照明のプラットフォームで別れを告げる。あの人が乗った列車はゆっくり走り出し、終列車を示す最後尾の赤いランプがしだいに遠ざかっていく……。このイメージは、現代ではほとんど理解されないかもしれません。

 ホームは昼間のように明るく、新幹線はあっという間に視界から消えてしまうので、その場にたたずむこともなく帰宅する、というのが現実でしょう。
 駅での別れの情趣はなくなりました。

(二木紘三)

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コメント

 別れといえば上野駅を思い出します
よく 上野駅経由で通勤してた
女性を送りに行きました
赤いランプの終列車とは 意味が違いますが
昔は 別れにはピタリの駅で御座いました
…… 涙して聞いています……

投稿: 翠雪 | 2008年5月 2日 (金) 13時18分

今ほど車の時代でない昭和38年ごろ、岐阜と富山を結ぶ高山線(高山本線)で岐阜から帰郷しました。
当時はまだ汽車(SL)でした。黒光りする車両と、直角の木質の背もたれを懐かしく思い出します。

投稿: グ・グロリア | 2008年5月25日 (日) 00時52分

この歌こそ僕が始めて意味不明のまま覚えた歌謡曲でした。戦後まだものも十分ないころ、母が当時の「日めくり」の裏にひらがなで歌詞を書いてくれました。
やがて大学生になり、帰省して新幹線で大阪に戻るとき、僕はGFに頼みました。『赤いランプの終列車』をやってくれと。
同世代だからそれが何を意味するかはわかってくれました。でも、白い夜霧もベルもありません、窓も開きません。
故あって彼女と結婚できませんでしたが、青春のいい思い出です。

投稿: ハイバチュン | 2008年7月22日 (火) 01時17分

列車の轟音のようなリズミカルな出だし。悲しく暗いプラットフォームで動き出した恋人との別れ。映画のシーを見るような劇的な音楽ですね。あまり歌いすぎたため、最近でこそあまり歌いませんが、私は、この歌が長いこと私の18番であり、私のラストソングでした。大好きです。

春日八郎は天才的にうまいし、難しい曲でもらくらくと歌いますね。「春日八郎昭和の名曲を歌う」というCDを持っていますが、本家顔負けに歌いこなし、春日八郎の曲みたいです。

「春日八郎記念館」に行った事があります。バスガイドさんが「どなたかここで春日さんの曲をカラオケで歌ってください」と言われました。歌いたいと思いましたが、つい恥ずかしくて歌えなかった。あの時、歌っておけばよかったなあ。

投稿: 吟二 | 2008年9月10日 (水) 19時49分

なつかしいリズム感のある曲です・・・
春日八郎さんが滑りだすような歌声を聴きながら少年時代をすごしました。

いつも思い出します。

投稿: はるちゃん | 2009年10月24日 (土) 15時50分

私はこの歌の1番の歌詞しか知らなかったのですが、ずっと男どうしの別れの歌だと思っていました。「さらばと告げて手を振る君は」のさらばという言葉が男性相手に言った言葉だと思ってしまったのです。女性の側の心情を歌にしたとしたら、ずいぶん男っぽい歌になっていると思います。いっその事、友情に結ばれた男同士の別れにした方がロマンと悲しみが深まるような気がします。50年前は浜松から東京までもずいぶん遠い所だと思いました。鈍行で6時間でした。10円の入場券を買って見送った彼女や彼たちが今、生きているのかと訊ねてみたくなってきました。

投稿: ハコベの花 | 2012年7月 8日 (日) 22時14分

「赤いランプの終列車」ナツメロの名曲ですねぇ~
この歌を三橋美智也さんが歌っているのをご存知でしょうか?
you tube に、投稿されています。

http://www.youtube.com/watch?v=oWCd18-HNrk&feature=related

当時、同じキングレコード所属だったお二人が、互いにカバーしあっているレコードが、残っているそうです。

投稿: のんた | 2012年7月11日 (水) 12時52分

>終列車を示す最後尾の赤いランプがしだいに遠ざかっていく……。このイメージは、現代ではほとんど理解されないかもしれません。

本当にそうですね。古き良き時代が懐かしく思い出されます。

ちなみにこの曲は、私が生まれた年(昭和27年)に発表されました。そのことを今日になって初めて知りました。

投稿: クレーマー&クレーマー | 2012年11月 7日 (水) 08時49分

この歌の思い出は、多分小学生の頃の祭りの夜店で聞いたものだと思いますが、後年、彼女を見送った、大阪駅の夜汽車の赤いテールランプを思い出しては、この頃カラオケで歌っております。

投稿: とうろう | 2013年10月27日 (日) 01時47分

演歌とはなんだろう

二時間にわたって 故郷を恋うる歌
都会の中に漂う哀愁
こうしたテーマのもとに

演歌とはなんだろうということを
追いかけてみました

ご満足 ご理解頂けましたでしょうか

では 春日八郎ショー フィナーレです

闇黒の帳のかなたに
運命のわだちが去りました
その人気なき深夜の上野ターミナルをテーマに

春日八郎の忘れえぬ思い出の曲

二十年の風雪を超えて
なお その哀愁は
戦慄に胸をうちます

さよならの言葉にかえて

赤いランプの終列車

※春日八郎二十周年記念コンサートアルバム
 から、名調子(女性)、
 キングレコードオーケストラ
 港区メルパルホールライブ

投稿: neko | 2014年9月13日 (土) 09時09分

♪惚れていながら行く俺に…

三橋美智也の「哀愁列車」は、
送る者から往く者へと視点を逆転した歌だったんですね。
歌詞を文字で読んでみて初めて気づきました。

投稿: 十勝富雄 | 2016年7月25日 (月) 18時15分

隣県の会津坂下(ばんげ)町出身春日八郎は下積み時代、江口夜詩の家に毎日のように通って土砂降りの中で発声練習など必死の努力が実り、ようやく作曲してもらった『赤いランプの終列車』が50万枚ヒットとなったそうです(Wikipedia)。
国鉄が運行していた客車列車(SLやELが牽引)の最後尾には、赤色レンズ内側に白熱電球を収納した尾灯(赤ランプ)が装備されていたものです。詳細は下記をコピペ参照願います。
shinano7gou.at.webry.info/201505/article_6.html

投稿: 焼酎百代 | 2016年11月24日 (木) 22時00分

この曲のアップを拝見して、今から55年前の出来事を回想しております、
 時はpm9時過ぎ薄暗い三田尻駅(防府駅)転職で大阪へ
向かう為数人の見送ってくれる人達と別れを惜しんでいた、故郷を後にする事、新しい職場に対しての不安感、
そして、薄暗い構内と場面は哀愁に満ち満ちていた。
 もうすぐ列車が来ると言いう時に少し離れた柱の陰に人影を目にした、それは、か細い女性の影だった、彼女は二十歳前の未だ思春期を終えてい居ない清純で、大人の雰囲気を少し漂わせた、それは美しい女性であった。
 彼女とは、2・3度付き合って3か月前に防府天満宮に二人で初詣してそれっきりだった、恋人にするにはレベルが違い過ぎた為、その気はなかった。
 その彼女がこの時間帯に一人でここに佇んでいる、私は目を疑った、間違いなく彼女だった、私はとっさに駆け寄って何故君がここへと問いかけた、だが蒼白な顔でうつ向き声を発しなかった、その蒼白な顔は暗い構内のせいだけではなかった、私の予定を知らせる程の付き合いではなかったが、しかし此処にいる、初詣であれだけ燥いでいた
彼女からとうとう一言も声を発しなかった、どこへ行くの、さようならさえも。
 私は列車が入って来たので一方的に別れを告げて車上の人となった、私は割り切れない気持ちで車窓より遠くで揺れる漁火をぼんやり眺めながら、いつしか眠りについていた。
 赤いランプの終列車はカラオケ喫茶で哀愁を込めて必ず歌っております。

投稿: 石田茂 | 2017年8月 2日 (水) 15時39分

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