« 泣かないで | トップページ | なごり雪 »

啼くな小鳩よ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:高橋掬太郎、作曲:飯田三郎、唄:岡 晴夫

1 啼くな小鳩よ 心の妻よ
  なまじ啼かれりゃ 未練がからむ
  たとえ別りょうと 互いの胸に
  抱いていようよ おもかげを

2 旅ははるばる 涯(はて)ないとても
  呼べば届くよ 夜毎の夢に
  思い出したら 祈ろじゃないか
  つきぬえにしを 身の幸を

3 さらば小鳩よ 心の妻よ
  瞳曇るな また逢う日まで
  帽子振り振り あとふり向けば
  暁(あけ)の野風が ただ寒い

《蛇足》 昭和22年(1947)の大ヒット曲。

 岡晴夫は大正5年(1916)生まれで、本名は佐々木辰夫。上原げんと(のちに作曲家)と「流し」生活を送ったのち、昭和13年キングレコードからデビュー、たちまち人気歌手となりました。

 その明るい歌声は、戦前戦後にわたって大衆に夢と希望を与え、彼自身も明るい人柄のため、「岡ッ晴(オカッパル)」と呼ばれて多くの人に親しまれました。
 おもなヒット曲に『上海の花売娘』『東京の花売娘』『啼くな小鳩よ』『憧れのハワイ航路』『逢いたかったぜ』などがあります。

(二木紘三)

|

« 泣かないで | トップページ | なごり雪 »

コメント

戦後間もない頃の歌ですね。岡晴夫の明るい歌声が何時までも聞こえて来るようです。当時流行ったアコーデオンやハーモニカを演奏しながら、口ずさんだ思い出の曲です。

投稿: 波路 | 2008年8月14日 (木) 21時06分

このメロディを聴くと、爽やかな、少し鼻にかかった岡晴夫の声が耳の奥でリフレインしている錯覚を覚えます。子どもの頃、覚えたてのこの歌を歌詞の意味も分からずに唄っていたら親父にこっぴどく叱られました。当時、普通の家庭では、躾として子どもに流行歌は歌わせなかったんですね。長じてわたしのカラオケでの十八番は“憧れのハワイ航路”です。

投稿: ひろし | 2008年10月25日 (土) 23時44分

戦後間もない頃の歌は、例えば高原の旅愁、悲しき竹笛、さくら貝の歌。皆女(男)をいたわる気持ちで書かれた詞ですね。それでいて(それだから)ひとを引き込んでしまう魔力を感じます。現在の歌手がリバイバルしてもヒットするような気がして来るのですが甘いでしょうか?

投稿: 海道 | 2008年12月31日 (水) 14時09分

二木先生の曲、いつも楽しませてもらっております。
“啼くな小鳩よ”は、小学校の3年生の時に流行しており、おじ達がよく歌っていたので、いつの間にか覚えてしまい、今でもとても好きな曲です。
大人になって、ずっと想ってきた女性に、喫茶店に出てきてもらい、想いを伝えているとき、バックグランドミュージックでこの曲が静かに流れていました。この想いは受け入れてもらえなかったのですが、このメロディーを聴くと”思い出したら祈ろうじゃないか、つきぬえにしを身の幸を”という歌詞とともに、今どこに住んでいるか知れないあの人が幸せに暮らしているだろうかと、あの頃のことを懐かしく思い出してしまいます。
二木先生が制作された曲はもちろんのこと、曲の背景の説明を控えめに蛇足として記載されていますがこの説明もとても素晴らしいと思います。これからもどんどんすばらしい曲を加えてくださることを希望します。

投稿: 下谷深田 | 2009年1月30日 (金) 23時30分

その昔スキーの夜行バスの中で、ある男性がある女性に
向かって「君は話のつま になっても心の妻にゃならないよ」と言っていたが確かにお喋りでした。

投稿: 海道 | 2009年5月 9日 (土) 15時42分

 オカッパルファンは広く根強くいましたね。花見といったら上野が有名ですね。最近はよく知りませんが、数年前までは、毎年必ずオカッパルの歌専門のグループが一人ずつ歌っていました。「こんなに愛される歌手ってめったにいないよなあ」なんて、缶ビール片手に、私も毎年酔った頭で聞いていました。

投稿: こぎつね | 2010年7月 6日 (火) 23時20分

自分も「岡ツ晴」仲間の一人です。我がハーモニカCでも今迄、数曲を歌っています。憧れのハワイ航路、逢いたかったぜ等です。今は、KハーモニカCで月2回「歌う会」開催しており、会員数は40名を超えています。次回の歌う会で「啼くな小鳩よ」演奏しますが、会員の方も喜んでくれるでしょうか?
頑張って吹くつもりです。
さくらんぼより。

投稿: さくらんぼ | 2015年9月26日 (土) 10時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 泣かないで | トップページ | なごり雪 »