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東京のバスガール

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:丘灯至夫、作曲:上原げんと、
唄:初代コロムビア・ローズ

1 若い希望も恋もある
  ビルの街から山の手へ
  紺の制服身につけて
  私は東京のバスガール
  発車オーライ 明るく明るく走るのよ

2 昨日心にとめた方
  今日はきれいな人つれて
  夢ははかなく破れても
  くじけちゃいけないバスガール
  発車オーライ 明るく明るく走るのよ

3 酔ったお客の意地悪さ 
  いやな言葉でどなられて
  ほろり落としたひとしずく
  それでも東京のバスガール
  発車オーライ 明るく明るく走るのよ


《蛇足》
昭和32年
(1957)の大ヒット曲。翌年、日活で映画化されました。

 この歌のバスガールは路線バスのバスガールですが、この時代、ニキビ盛りの田舎の中学生が修学旅行で出会う「東京のバスガール」は、実に心ときめく存在でありました。
 昨今、その価値が大幅にインフレ気味のスチュワーデス
(フライトアテンダント、キャビンアテンダント、客室乗務員など、名称までインフレ気味ですが)に匹敵する存在だったといっても過言ではありません。今はどうなんでしょうか。

 初代コロムビア・ローズは本名斉藤まつ江で、群馬県出身。コロムビア・レコードが催した都道府県対抗のど自慢大会の第1回大会で1位になってプロ入りしました。この歌のほか、『渡り鳥いつ帰る』『どうせひろった恋だもの』などのヒット曲があります。
 現在3代目のコロムビア・ローズが活動中です。

(二木紘三)

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コメント

大変懐かしい歌です。昭和31年上京して真っ先に「はとバス」に乗りました。この歌は
32年のヒット曲ですから符合します。
バスガールは憧れの的でしたね。歌詞の「発車オーライ 明るく明るく走るのよ」が脳裏を離れません。メロデーも最高です。
二木紘三先生有難う御座いました。

投稿: 波路 | 2007年8月19日 (日) 20時18分

約50年前の中学生の頃、東京の路線バスに乗っていましたらガイドさんが些細なミスで運転手から怒鳴られていたのを思い出しました。子供ながらに嫌な気分になりガイドさんを見つめていました。でもガイドさんは何事も無かった様に明るく振舞いその仕草に感心を覚えた程でした。世の中で働くことは大変な事なんだと思いその後の私の人生での社会勉強になりました。それにしても何度聴いても心にしみるいいmp3を有難う御座います。

投稿: 62歳としお | 2007年12月 6日 (木) 20時11分

初代は歌と声質が合っていました。2代目は爽やかな声だったので知恵子抄がヒットした。3代目これと言った特徴が無い。

投稿: M.U | 2008年8月 4日 (月) 13時47分

一人になって10年、ここ2,3年偶然このサイトと出会い
淋しい時、いつも一人で声を出して歌っています。どれだけ励みになり、私を慰めてくれました。アメリカに旅行中にPCが壊れてしまい、なきながらHPをさがしました。まだPCに不慣れ時でしたので一生懸命さがしました、それからは、メモをとって保存しています。先生のお陰でどれだけの人がこのサイトで慰められている事でしょう、単なる音ではありません、いついつまでも このサイトが存続しますように、先生のご健康をお祈り致しております。
追伸 先生の説明の蛇足を必ず読み、侍ニッポンなどは、最初、それを読んでから、涙が出て歌えませんでした。

投稿: 要垣内 幸子 | 2009年11月13日 (金) 20時24分

飛行機には乗ることのない時代・・・・・

はとバス・修学旅行などバスガイドさんの制服姿に憧れたものです。
観光案内はもちろん歌謡曲、民謡まで素敵な声で歌ってくれました。
大阪で出会ったガイドさん今でも思い出しますよ・・
ステキな人でした。

投稿: はるちゃん | 2010年5月 3日 (月) 16時53分

はじめまして。鉄道とバスと懐メロが好きな高校生の、銀座線01系と申します。

唐突ですが、僕がこの曲を知ったのも、こちらのブログからです。

それ以来、「バス」というと必ずこの曲が頭の中を、流れるようになり、バスの模型を見ているときは、いつもこの曲を聴きながら見ています…。

それとは別に、去年の大震災の時に流れた、岩手県交通の釜石営業所を取材した映像で、所長さんの話を聞いたとき、この曲の「明るく明るく走るのよ」というフレーズを思い出してしまい、思わず涙が出てしまいました…。

最近は地方のバス会社の経営は苦しいと聞きますが、この歌の通り、いつまでも「明るく明るく走」っていてほしいですね…。

最後に、散文的な下手くそコメントになってしまい、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

そして今後も、懐メロの興味深い記事に期待しています!!

投稿: 銀座線01系 | 2012年1月 8日 (日) 22時36分

バスガールは路線バスでバスガイドは観光バスだったと思いますが、今では運転手一人の対応になってしまいました。田舎でも車社会になってバスの運行が成り立たないので廃止され、自治体自身で年寄り向けマイクロバスを赤字で運行せざるを得ないとの事。この歌の頃は田舎にも活気があった。

投稿: 海道 | 2012年1月 9日 (月) 17時00分

 バスガール~なつかしい言葉です。

 紺の制服~りりしいですね。思わず見とれます。

 酔ったお客の意地悪さ~酒飲みの風上に置けない奴。セクハラという味気ない言葉もなかった時代ですね。

 いやな言葉でどなられて~いたいたしいです。目にするほうもつらい。負けるなよ!

 最後に これは仕事の歌、職業へのプライドを感じる歌。いいですね。
 亡くなった女房と楽しんだはとバス半日コースを思い出します。二人とも50を過ぎていたが、お上りさん丸出しで喜んだなあ。

投稿: 越村 南 | 2012年11月 9日 (金) 13時11分

東京がとても遠かった(今でも)ころ、小学校6年のころでした。私たちの地域にも流行ったんです。
 機会があって近くの観光バスに乗りました。ガイドさんが「何か歌ってほしい歌はないですか。」と言われて、子どもながら流行り始めのこの曲を言ったら「最近のことなので、まだ覚えていません。」と言われたことを覚えています。
 なまいきな子どもに見えたことでしょう。コロンビア・ローズという人はよく覚えています。いい歌です。

投稿: 今でも青春 | 2014年7月 5日 (土) 17時48分

小学校一年生のとき、汽車やバスを利用して離れた学校に通っていました。ある日、家まで歩いて帰ってみようと思い立ち、田舎の山道をてくてく歩いていたら、後ろから来たいつものバスが「乗りなさい」って止まってくれたことがありました。また、時間に遅れて一列車逃してしまい、次の列車を待合室で待っていたら、駅員さんが後続の貨物列車と交渉してくださり、その蒸気機関車に乗せてもらったこともありました。一瞬の夢のような日々だったと思えます。バスの運転手さんも、車掌さんも、駅員さんも、乗客一人一人の顔を知っていた時代ではなかったかと思えます。

ある日バスの車掌さんが男の人から女の人に変わったのにも驚きました。そして、中学生になった頃には「ワンマンバス」と表示されているバスが走るようになりましたが、最初はその言葉の意味もわかりませんでした。

「運転手は君だ、車掌は僕だ♪」なんて童謡もありましたが、もうずいぶん昔ですね。

投稿: yoko | 2014年7月 6日 (日) 00時23分

 この歌は、すばらしい仕事の歌です。「喜びも悲しみも幾年月」「若いおまわりさん」「北の漁場」「ヨイトマケの歌」、みんな仕事の歌です。「唐獅子牡丹」も、極道という名の仕事の歌といえるでしょう。恋の歌は多すぎて、食傷ぎみ。仕事の歌は少ないが、特有の味わいがあります。

 上の写真のバスガール、清楚な美しさがありますね。高峰秀子に似ているような、そうでないような・・今では絶滅してしまった美人のように思います。
 最近は、ほとんどがワンマンバスで、じつに味気ない。こんなバスガールに会えると、なんとなく人生が楽しくなり、長生きできそうな気がする。いや、おばさんでもいい、ぜいたくは言いますまい。

投稿: 越村 南 | 2014年7月 6日 (日) 07時11分

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