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花の街

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:江間章子、作曲:團伊玖麿

1 七色の谷を越えて
  流れていく風のリボン
  輪になって 輪になって
  駆けていったよ
  歌いながら 駆けていったよ

2 美しい海を見たよ
  あふれていた花の街よ
  輪になって 輪になって
  踊っていたよ
  春よ春よと 踊っていたよ

3 すみれ色してた窓で
  泣いていたよ 街の角で
  輪になって 輪になって
  春の夕暮れ
  ひとり寂しく 泣いていたよ

《蛇足》 昭和22年(1947)4月16日、NHKラジオ『婦人の時間』の1コーナー「婦人の歌で発表されました。現在も、合唱曲として多くの人たちに愛唱されています。

 1番と2番の歌詞は明るく楽しいのに、3番は寂しい感じの内容になっています。これについて江間章子は中学1年生用の音楽教科書『中学生の音楽 1』(教育芸術社、平成9年〈1997〉)に、次のように書いています(出典:池田小百合『なっとく童謡・唱歌』)

  「花の街」は、私の幻想の街です。戦争が終わり、平和が訪れた地上は、瓦礫の山と一面の焦土に覆われていました。その中に立った私は夢を描いたのです。ハイビスカスなどの花が中空(なかぞら)に浮かんでいる、平和という名から生まれた美しい花の街を。
 詩の中にある「泣いていたよ 街の角で・・・・」の部分は、戦争によってさまざまな苦しみや悲しみを味わった人々の姿を映したものです。
 この詩が曲となっていっそう私の幻想の世界は広がり、果てしなく未来へ続く「花の街」になりました。

(二木紘三)

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コメント

おはようございます.
毎日高校生の息子と取り合いで聞いています。
この曲は中3の時の音楽の教科書に出ていました。
こういう美しい曲を子供達に残していって欲しいものです。

投稿: sunday | 2008年2月27日 (水) 07時21分

 この歌には、特別の思い出があります。高校三年生の音楽の授業で習いました。

 時あたかも春5月。山形県内の高校でしたから、新緑まぶしい、東北の遅い春の盛りの頃でした。
 まず音楽の先生がピアノ演奏をしてくれて、私たち生徒は教科書の歌詞と、音符をなぞっていったのだったと思います。
    七色の谷を越えて
    流れていく風のリボン
     ………  ………
     ………  ………
    美しい海を見たよ
    あふれていた花の街よ
 突如、彩り豊かな花々が咲き乱れる、とある街のイメージがどっと押し寄せてきました。そしてしばし、何ともいえない幸福感、うっとり感に包まれ浸っておりました…。
 もう記憶にありませんが、おそらくその後授業は、半分うわの空の状態だったのだろうと思います。

 このような現象を、「自己実現」で有名なアメリカの心理学者、W・マズローは「頂上体験(ピーク・エクスピアリアンス)」と名づけました。
 マズローの頂上体験とは、もっと高度な、たとえば「サマーディ(三昧)」のような宗教的法悦をいうのかもしれません。が、私のその時の体験も、いくらかその境地に近づけた体験だったのかな、と思っております。

 (あるいは皆様も、そういう体験をお持ちかもしれませんが)私の場合、10代特に思春期の頃は、これに類した体験をけっこう味わいました。(その代わり、落ち込みも人一倍でしたが。)それが、20代では時折り、30代ではまれに、そして40代以降はさっぱり、です。それと共に、「飛ぶ夢」もとんと見なくなりました。
 もし「若返り」が叶うとしたら、先ずもって、あの頃の至福感を味わいたい。そう思います。

 石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも                                         (志貴皇子)

春分の日に

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月20日 (木) 13時56分

 そうですね。春らしくなってまいりました。
  今度は、大場様の名文の後で続けるのははずかしいのですが---

この「花の街」で学生時代に 何ともいえない幸福感、うっかり感を感じられたとか---

僕には、この曲をきくと ほとんど同じ曲に思えてくる、頭の奥底からよみがえってくる曲があります。

神戸の生まれといいましたが、生まれは北野町です。  
 アンアン、ノンノン に紹介された後は、異人館あたりの様相が変わり、人の多さざわめきがめだっていますが、生まれ育ったころはまだまだ世間に知られておらず、静かな北野だったと記憶しています。母の実家が北野だったのです。

 海からきらめく光 光の中に 起き上がる町 起き上がる町
 ああこの町が好き この町に住んで マドロスのマドロスの
   口笛をきく     
      以下 は 全く記憶から消えました--- 
      題名も??です。
母 叔母 と三宮までお出かけするとき、(昔のことですから、三宮、元町などは徒歩でした。)二人の腕にぶらさがってブランコしながら、坂をくだっていったものです。

 「花の街」をきくと、中学時代に教わったのだろうこの曲が浮かび、母 叔母の暖かさがよみがえってくるのです。 親に恩返しをと思うころには------ほんとうにうまくいかないですね、世の中は !!

 石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも                                       (志貴皇子)
    時期にあった よい御歌ありがとうございます。
 天智天皇の皇子で、天武天皇系全盛の時代のなかでどのような生き方だったのでしょうね。政治権力からは無縁の方だったのでしょうか。大津皇子の謀反等のあった、すさまじく権力闘争のあった時ですね。自然を楽しみながらの人生だったのでしょうか。しかし、志貴皇子がなくなられてから、子(光仁天皇) 孫(桓武天皇)が皇位につかれていますので、いろいろな政治運動もやられていたのでしょうか??  
  いろいろ 思いめぐらしながら、身の回りのちっぽけなことごとで 如何に誠意ある対応をするかに追われる日々です。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年3月20日 (木) 18時09分

作曲の團伊玖磨は、私が今住んでいる北九州市のために合唱組曲「北九州」を作曲されました。「北九州」を歌う会という合唱団が毎年演奏会を催しています。
江間章子は、「夏の思い出」や「花のまわりで」など女声合唱の名曲を作詞されました。夏の思い出の、“霧の中に浮かびくるやさしい影野の小道”というフレーズが好きです。
お二人とも近年相次いで他界されたのは淋しいことです。

投稿: 周坊 | 2008年3月20日 (木) 23時02分

能勢の赤ひげ 様
 『花の街』の私のコメントに早速お便り賜り、まことにありがとうございます。また過分なお褒めのお言葉を頂戴致し、恐縮に存じます。
 私の前のsundayさん、そして同世代の先生も、この歌を習ったのは中学の時とか。これはただ単に世代の違いというだけでなく、地域的な文化度の違いということもありそうですね。
 先生お生まれは神戸市北野ですか。私は寡聞にして、北野といえばやはり有名な異人館しか知りませんけれども。神戸市自体が、横浜と共に早くから諸外国に門戸を開いた、歴史的な、センスのある、洒落た港町というイメージです。
 ところで、あの大震災ではどうだったのでしょう?お生まれの北野、そして現在お住まいの所は。被害はそんなに大きくなかったのでしょうか。(この次また何かの折に、コメントをやり取りする機会がありましたら、その時のエピソードなど是非お聞かせ下さい。)
 志貴皇子。たまたまこれからの季節にぴったりの歌かなと思って、私のお気に入りの歌を提供させていただいただけで、その事跡は先生以上に知るものではありません。ただ私の感じでは、「壬申の乱(672年。古代最大の内乱)」覚めやらず…しかも皇子は敗れた「天智系」ですから、お立場的には微妙なものがあったでしょうが、政治的野心などはあまりなく、どちらかといえば(ずっと後代の源実朝のような)文人タイプの御方だったのではないでしょうか。
   采女(うねめ)の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
この歌もいいですね。千数百年前の明日香美人が、明るい陽光の下で、雅びな飛鳥宮をバックに立っている姿が、くっきり目に浮かびますね。
 『万葉集』はいいですよね。おおらかで、のびやかで、健康的で。『古今和歌集』以降は、仏教の無常観が色濃くなって…。その分「もののあはれ」という別の魅力が加わりましたけれども。
 先生は神戸にお住まい。私は神奈川県厚木市。距離にして数百キロ。以前なら、互いに知り合うことなどまず無かったと思いますが。ついこの前は赤の他人だったのに、まるで長い間の知己のように、先生と私がこうしてお互いの心情を吐露しあえる。ネットの良さであり、強みですね。このような場を提供して下さっている、二木先生には、本当に感謝ですね。

 先生。「至誠の一分」などと申しましても、何もしゃちこばった、大げさなものではないのですね。先生のおっしゃるとおり「身の回りのちっぽけなことごとで、如何に誠意ある対応をするか」ですよね。肝に銘じます。
 またお便り交わしたいですね。それでは失礼致します。

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月20日 (木) 23時58分

とってもいい歌ですね。 しかし・・・。
 江間章子さんは憧れていた神戸を終戦後に訪れて、焼き爛れてあまりにも変わり果てた街を目にし、再び美しい街へとの願いを込めて作詩されたと聞いております。
1番;七色の谷=7人の敵・7ヵ国・7つの海・七転び八起き、リボン=軍国主義からの解放・英語解禁と自由へのシンボル、2番;未来の神戸のイメージ、3番;すみれ色=戦争中は明かりが外へ漏れないようにガラス窓に墨を塗ったり黒いカーテン等で遮っていた:焼けた街の夕暮れのイメージ、泣いていたよ(江間さん自身かも、でもなぜ?)=家族・知人・戦争で亡くなった人たちをきっと悲しんで、等々。
そして、背景にある二度と戦争をしてはならないとの強いメッセージを、皆でかみ締めながら歌い続けましょう。

投稿: 尾谷 光紀 | 2008年8月18日 (月) 16時33分

6434人が犠牲となった阪神大震災は16年目を迎え、心から悔恨の念と月日の経過に驚かされるのは私だけでしょうか?
その時家族はケガも無く無事でしたが、建売の瓦がずれて開き戸の食器5~6個が落ちて各部屋の壁に亀裂が入った程度で済んだのは、不幸中の幸いだったと今は言えます。
2年後現在の所へ引っ越しましたが、崩れ落ちた阪神の街を今でもまざまざと思い出します。

江間章子さんは、もっとひどい爆撃で焼け爛れた神戸の街を訪れて涙を流して「花の街」の3番にその状況を、そして1.2番に未来へのメッセージを託されたのだと思考します。

戦争は勿論震災の悲惨をものりこえられるのはやはり人と人、そして月日という無形の空間が癒してくれるのだと思う1日でした。

投稿: 尾谷 光紀 | 2011年1月17日 (月) 23時11分

この歌はとても美しいです。
歌詞やメロディーに込められた気持ちや感情が、
時代が変わっても人々の心を動かすのだと思います

この曲を中学校の校内合唱コンクールで歌います。
素晴らしい歌ですので、アレンジは加えますが、
作詞・作曲者の思いを大切にして、歌いたいと思います。

このような歌を伝えてくださりとても嬉しく思います。

投稿: っっつ | 2011年10月23日 (日) 02時32分

私もこの歌にまつわる思い出があります。
小学校5,6年の頃だったと思いますが、学校から家に
帰り着いたた頃、ラジオからいつもこの曲の女声ハミングコーラスが流れていました。
多分、NHKの婦人の時間のテーマソングだったと思いますが、それを聴きながら母が針仕事や編み物をしていました。
母は二十数年前亡くなりましたが、その光景は今も心に
強く残っています。
子供たちの着物の繕い物をしているだけなのに、なぜか
優しさに満ち溢れて楽しそうだった母の様子が、遠い遠い日のことなのに、この曲を聴くといつも鮮明に思い出されます。
戦後のあの頃、日本中の母親がそうであったように、一日中働きづめだった母にとって、あの時間は唯一の寛ぎの心楽しいひと時だったのかも知れません。
今となっては確かめる術もありませんが・・。

投稿: あぜたろう | 2012年2月11日 (土) 16時53分

“神戸の歌”「好きな町」唄 岡本敦郎

能勢の赤ひげさんの習われた歌、
動画サイトにアップされてますよ。

投稿: なち | 2012年10月 2日 (火) 13時35分

 
 なち 様

 禍福はあざなえる繩の如し

 人間万事 塞翁が馬

 といわれます

 今日も 暗い話題があり 昼休みに自室にあがり
   どうしたものかと考えながら 何気なく久しぶり に二木先生のうた物語をひらいていました

 すると なち様の 花の街へのコメントがあり

  そうだ 僕も大分前に 書いたことのある好きな曲だなーーーどんなこと書いてたのだろう と曲を聞きながら自分のと大場様のやり取りを見ておりました

 そののち なち様のコメントに到った次第 

 今 ひとしきり涙を流しました

 懐かしきふるさと 過ぎていった人々 

 自身の原点に引き戻していただき 感謝の他 
   伝える言葉はありません  有難うございました
   神戸で 小中高 の同窓会があるたびに
   この曲が いかなるものだつたのかと いつも
   頭をよぎり 誰かに訊こう訊こうと思っていたの   ですが 今日にいたっておりました

 何年も前のコメントの 質問に素晴らしい心配りを
   いただき 感無量です

   本当に なち様 有り難うございました

 先ほどまでの暗い気分が一掃され 沢山の福 福 福
   をいただけた気がします 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2012年10月 3日 (水) 14時23分

能勢の赤ひげ様

「海からきらめく光 光の中に おきあがる町、、」私もこの曲をさがしていました。見つかってうれしいです。今は神戸祭りですが、この歌が歌われた当時は、みなと祭りとよばれて市電道を電飾された花電車が走りましたね。ミス神戸たちが大勢の見物客に手を振って。ああなつかしい。当時はポートアイランドの埋め立ても始まっておらず、神戸は山と海と坂の調和する落ち着いた町でしたね。私は西の垂水に住んでいましたが高校は摩耶山の麓にあり、阪急王子公園駅まで通っていました。毎日神戸の町を東西に横断していました。車窓から3年間神戸の町並みをながめました。失われた曲を求める旅は失われた時を求める旅でもありました。(ちょっとキザですか。でも訂正いたしません。本当にそんな気持ちですから)能勢の赤ひげさんの涙を流した気持ちはよくわかります。それにしても赤ひげさんは素直な気持ちの持ち主ですね、そのことにも感動しました。最後に見つけていただいたなち様に大感謝です。

投稿: 越村 南 | 2012年10月 3日 (水) 20時02分

越村 南様

コメント有り難うございます  

また過分に お褒めいただいた様子  
 恐縮するやら そわそわするやらーーー

また 南様とも ごく近い存在だったようで
 僕は 西宮から越境で摩耶山の麓の高校まで通っておりました  中学も海洋気象台の前のーー中学までいっていましたので 長い間 阪急電車のお世話になっていた訳です   
 みなと祭り なつかしいです
 市電道まで出て 花電車に手をふったり ミス神戸 忘れていた言葉を思い起こさせていただきました
 同級生でミス神戸になった方もいましたね

 “神戸の歌”「好きな町」唄 岡本敦郎さん も聞かせていただき 画面も見せていただき 感動一杯の一日でした  なち様の温かい心遣いから 南様のコメントまで  世の中 一人だけで生きているんじゃないよ
 つながりあっている人たちが 助け合って生きているんだよーーーっと強く気づかせていただきました

 有り難うございました  昨今 個人のことに限らず
国単位の大きな問題が発生していますが 虚心坦懐に大きな視野をもって対処していきたいと 思えました

 二木先生 申し訳ありませんでした

久しぶりに出てきて 私的なことばかり綴ってしまいました  感動のあまりです  お詫びいたします
 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2012年10月 3日 (水) 21時40分

なつかしや神戸。
復興後、一度行きました。
随分きれいになっていましたが、冷たい他人の顔でした。

投稿: MAEDA | 2012年10月 3日 (水) 23時42分

NHKから、「たくさんの人に夢を与えるような詩を…」と依頼された江間章子さんは、見たことのない神戸の街を花のあふれる街として想像で書いたようです。この歌の誕生秘話は『日本の美しい歌』(新潮社、2007年)に載っているそうです。

さて、神戸の木はサザンカ、花はアジサイとか。越南ではブーゲンビリア?それともハス?
MAEDAさんと多分同じ不思議なものを私も見ました。
「蛇の如く慧(さと)く、鳩のごとく素直なれ」(マタイ10章16節より)しかし、この二つをあわせ持つ羊は希だと思います。悲しいことに私はどちらも持っていません……。

投稿: 眠り草 | 2012年10月 9日 (火) 14時54分

Xin chao
シン チャオ        こんにちは
Dung roi         
ドゥン ゾーイ       その通りです
Chi tong minh the!
チイ トン ミン テー    あなた賢いですねえ

いきなりですみません。ベトナム語の紹介でした。

神戸の歌で「こーべみなとーはまちからまちへー (ヨイサッ)、、、みなとまつりーの、、、」というのがありました。歌詞もメロディーもこの断片しか覚えていません。どなたかご存知でしたら教えてください。おねがいします。

投稿: 越村 南 | 2012年10月10日 (水) 16時24分

「みなと音頭」唄 幾松
動画サイトで曲名を入れてください。

知りませんが、歌詞で検索すると「みなと音頭」のようです。
http://95470818.at.webry.info/201201/article_5.html

投稿: なち | 2012年10月10日 (水) 19時22分

 なち 様
 たしかに「みなと音頭」でした。私が 小学校に上がる前ですが、みなと祭りの時に 大人たちが歌うのを聴きました。昭和8年のレコードで 歌手が幾松とは、古すぎる!!と笑ってしまいました。しかしこの歌を聴くと、みんな貧しいながらも 人と人のつながりの確かだった、高度経済成長前の あの時代を 思い出します。さがしていた歌を2つも見つけていただきありがとうございました。またご紹介していただいたサイトもたいへん興味深いものでした。感謝いたします。

投稿: 越村 南 | 2012年10月11日 (木) 00時46分

やわらかで清潔感のある、この曲をききながら、眠り草さんの「不思議なもの」って何だろう、と考えています。
 越村さんの回想の風景を懐かしんでいたので、眠り草さんも、同じ感想を持たれたのかなと思いましたが、どうもそうではないような...。
 「他人の顔」とは、新しい街の表情、全体的な雰囲気に対する単純な印象ですが、「不思議なもの」は、具体的なもの、事柄を指してるようで、考えてみましたが、さっぱりです。
 「~越南では~」の一文は、この「不思議なもの」との関連で理解した方がよいのでしょうか?
 そのあと、越村南さんが、ベトナム語の紹介という形で受けていますが、軽く火花がちりましたね。
これから面白くなるのかなと思いましたが、そうでもなさそうで。なんだか訳が分からなくなってきたので、もう寝ます。

投稿: MAEDA | 2012年10月12日 (金) 00時16分

 MAEDA 様 
 悩ませてしまって すみません。「不思議なものを見た」とは「全く別の装いに驚いた」ということでしょうね。「しかし 別の装いをして 変わったように見えても 神戸は神戸、同じ町のはずだ。町もそうだが 人もそうだろう」

 眠り草さんは そういいたいのではないでしょうか?(私の想像ですが)まだ難しいようなら、すみません、考えないようにしてください。

投稿: 越村 南 | 2012年10月13日 (土) 01時56分

普通なら「越南」さんのおっしゃる通りで良いんでしょうが、眠り草さんは、知識もさることながら、鋭い洞察力や感性をお持ちなので、何か深い意味が込められているに違いない、と私などは、考えるのです。
 しかし凡愚の悲しさ、何も思い浮かばず、さじをなげた、ということでありました。

 越南さんには、少年時代の神戸を思い出させてもらいました。ありがとうございます。
 元町駅のすぐ上、ちいさな中学校も今は統合されて、名前もかわったそうな。

投稿: MAEDA | 2012年10月14日 (日) 00時25分

はじめてこの「二木紘三うた物語」を開いて聞きました。実に素晴らしい!
輪になって輪になって・・本当に懐かしいメロディ!
その時代に生きてきた者しかわからないこの音楽、いつまでもこのネットで残していただきたいと願っています。

投稿: 芦田喜朗 | 2013年2月23日 (土) 23時40分

この「花の街」は、二木先生の当「うた物語」にある歌詞で確定しているはずでした。ところが最近、BS日テレの「フォレスタ こころの歌」で、一番の終わりの部分が、♪歌いながら 駆けていったよ♪、であるところを、♪春よ春よと 駆けていったよ♪、と歌っているのを発見。この問題は何年も前に解決したはずなのに、と思いつつサイトを調べて見ました。
You Tube では、倍賞千恵子のものを除いて、フォレスタ、日本の歌合唱団、トワエモアなどほとんどが、♪春よ春よと ~~♪、と歌っていました。倍賞千恵子の場合、2曲のうち片方が♪春よ春よと ~~♪で、もう一方が♪歌いながら ~~♪、でした。後者の場合はもっと面妖で、倍賞千恵子は♪歌いながら ~~♪、と歌っているのに、バックコーラスは明らかに♪春よ春よと ~~♪、と歌っているのです。これは?と、ネットの歌詞サイトを出来る限り検索して見ましたが、検索した限りでは全て♪春よ春よと ~~♪、じゃありませんか。検索の過程で、三番の二段目♪泣いていたよ 街の角で♪、であるべきところ、♪~~ 街の窓で♪、とあるものも発見しました。
この問題は、かつて作曲の團伊玖磨が、一番も♪春よ春よと~♪と書いてあるのを見た、と証言したことから、一時はそちらが正しいとなったものが、江間章子の、♪歌いながら~♪が正しい、との証言があり、決着したと思っていました。しかし、その間隙でこうした事態が起こったのでしょうか。
この歌は「日本の歌百選」にも選定されており、2005年没の江間章子にも同一性保持権があることから、このままで済むわけもありません。

投稿: 飯田 | 2014年7月 4日 (金) 14時13分

飯田様

 おっしゃる通りで私は6年間当ブログの「歌いながら・・・」に全く気が付きませんでした。
2002年に立ち上げた『みんなで700曲歌おう会“豊中さくら草”』も何の疑いも無く「春よ春よと・・・」と歌っていました。
<最終目標は1日で100曲歌おう>を目指して今年から立ち上げた『日本の歌百選を歌おう会』で各自使用しているN社の「日本のうた101プラス6曲」には、1番「春よ春よと」は「歌いながら」、3番「街の角で」は「街の窓で」と本来は歌われていましたと注意書きがありましたので、それらも理解して世代を超えて今後とも歌い繋ごうと歌っていきます。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年7月 4日 (金) 17時13分

 少し前、YouTubeでフォレスタの「花の街」を視聴しようと思いましたら、削除されていました、これは?と思い、他のものを検索しましたが状況は全く変りはありません。作詞者没後時を経て、現在の著作権者が「春よ春よと」を容認しているのかと思い、JASRACに確認を求めましたところ、下記のような回答がありました。

●お問合せ件名
  同一性保持権について
●お問合せ番号
78007
お世話になります。JASRACネットワーク課です。お問い合わせいただいた楽曲「花のまち」(作品コード067-0219-8)の歌詞について、ご質問いただいた箇所の正しい歌詞は「うたいながらかけていったよ」が正しいと著作者に確認させていただいております。以上、ご確認よろしくお願いいたします。

とのことで、現在も従来の「うたいながら」(登録は平仮名らしいです)が登録歌詞だそうです。この楽曲利用について、「春よ春よと」のまま楽譜、CDなど商用利用する場合は、著作権法第二十条著作者人格権の同一性保持権に抵触する虞があるようです。尤も、川内広範氏のように激怒する著作権者もいないでしょうが。

投稿: 飯田 | 2014年11月 8日 (土) 12時22分

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