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花の街

 (mp3制作:二木紘三)

作詞:江間章子、作曲:團伊玖麿

1 七色の谷を越えて
  流れていく風のリボン
  輪になって 輪になって
  駆けていったよ
  春よ春よと 駆けていったよ

2 美しい海を見たよ
  あふれていた花の街よ
  輪になって 輪になって
  踊っていたよ
  春よ春よと 踊っていたよ

3 すみれ色してた窓で
  泣いていたよ 街の角で
  輪になって 輪になって
  春の夕暮れ
  ひとり寂しく 泣いていたよ

《蛇足》 昭和22年(1947)、NHKのラジオ歌謡として放送されました。現在も、合唱曲として多くの人たちに愛唱されています。

(二木紘三)

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コメント

おはようございます.
毎日高校生の息子と取り合いで聞いています。
この曲は中3の時の音楽の教科書に出ていました。
こういう美しい曲を子供達に残していって欲しいものです。

投稿: sunday | 2008年2月27日 (水) 07時21分

 この歌には、特別の思い出があります。高校三年生の音楽の授業で習いました。

 時あたかも春5月。山形県内の高校でしたから、新緑まぶしい、東北の遅い春の盛りの頃でした。
 まず音楽の先生がピアノ演奏をしてくれて、私たち生徒は教科書の歌詞と、音符をなぞっていったのだったと思います。
    七色の谷を越えて
    流れていく風のリボン
     ………  ………
     ………  ………
    美しい海を見たよ
    あふれていた花の街よ
 突如、彩り豊かな花々が咲き乱れる、とある街のイメージがどっと押し寄せてきました。そしてしばし、何ともいえない幸福感、うっとり感に包まれ浸っておりました…。
 もう記憶にありませんが、おそらくその後授業は、半分うわの空の状態だったのだろうと思います。

 このような現象を、「自己実現」で有名なアメリカの心理学者、W・マズローは「頂上体験(ピーク・エクスピアリアンス)」と名づけました。
 マズローの頂上体験とは、もっと高度な、たとえば「サマーディ(三昧)」のような宗教的法悦をいうのかもしれません。が、私のその時の体験も、いくらかその境地に近づけた体験だったのかな、と思っております。

 (あるいは皆様も、そういう体験をお持ちかもしれませんが)私の場合、10代特に思春期の頃は、これに類した体験をけっこう味わいました。(その代わり、落ち込みも人一倍でしたが。)それが、20代では時折り、30代ではまれに、そして40代以降はさっぱり、です。それと共に、「飛ぶ夢」もとんと見なくなりました。
 もし「若返り」が叶うとしたら、先ずもって、あの頃の至福感を味わいたい。そう思います。

 石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも                                         (志貴皇子)

春分の日に

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月20日 (木) 13時56分

 そうですね。春らしくなってまいりました。
  今度は、大場様の名文の後で続けるのははずかしいのですが---

この「花の街」で学生時代に 何ともいえない幸福感、うっかり感を感じられたとか---

僕には、この曲をきくと ほとんど同じ曲に思えてくる、頭の奥底からよみがえってくる曲があります。

神戸の生まれといいましたが、生まれは北野町です。  
 アンアン、ノンノン に紹介された後は、異人館あたりの様相が変わり、人の多さざわめきがめだっていますが、生まれ育ったころはまだまだ世間に知られておらず、静かな北野だったと記憶しています。母の実家が北野だったのです。

 海からきらめく光 光の中に 起き上がる町 起き上がる町
 ああこの町が好き この町に住んで マドロスのマドロスの
   口笛をきく     
      以下 は 全く記憶から消えました--- 
      題名も??です。
母 叔母 と三宮までお出かけするとき、(昔のことですから、三宮、元町などは徒歩でした。)二人の腕にぶらさがってブランコしながら、坂をくだっていったものです。

 「花の街」をきくと、中学時代に教わったのだろうこの曲が浮かび、母 叔母の暖かさがよみがえってくるのです。 親に恩返しをと思うころには------ほんとうにうまくいかないですね、世の中は !!

 石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも                                       (志貴皇子)
    時期にあった よい御歌ありがとうございます。
 天智天皇の皇子で、天武天皇系全盛の時代のなかでどのような生き方だったのでしょうね。政治権力からは無縁の方だったのでしょうか。大津皇子の謀反等のあった、すさまじく権力闘争のあった時ですね。自然を楽しみながらの人生だったのでしょうか。しかし、志貴皇子がなくなられてから、子(光仁天皇) 孫(桓武天皇)が皇位につかれていますので、いろいろな政治運動もやられていたのでしょうか??  
  いろいろ 思いめぐらしながら、身の回りのちっぽけなことごとで 如何に誠意ある対応をするかに追われる日々です。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年3月20日 (木) 18時09分

作曲の團伊玖磨は、私が今住んでいる北九州市のために合唱組曲「北九州」を作曲されました。「北九州」を歌う会という合唱団が毎年演奏会を催しています。
江間章子は、「夏の思い出」や「花のまわりで」など女声合唱の名曲を作詞されました。夏の思い出の、“霧の中に浮かびくるやさしい影野の小道”というフレーズが好きです。
お二人とも近年相次いで他界されたのは淋しいことです。

投稿: 周坊 | 2008年3月20日 (木) 23時02分

能勢の赤ひげ 様
 『花の街』の私のコメントに早速お便り賜り、まことにありがとうございます。また過分なお褒めのお言葉を頂戴致し、恐縮に存じます。
 私の前のsundayさん、そして同世代の先生も、この歌を習ったのは中学の時とか。これはただ単に世代の違いというだけでなく、地域的な文化度の違いということもありそうですね。
 先生お生まれは神戸市北野ですか。私は寡聞にして、北野といえばやはり有名な異人館しか知りませんけれども。神戸市自体が、横浜と共に早くから諸外国に門戸を開いた、歴史的な、センスのある、洒落た港町というイメージです。
 ところで、あの大震災ではどうだったのでしょう?お生まれの北野、そして現在お住まいの所は。被害はそんなに大きくなかったのでしょうか。(この次また何かの折に、コメントをやり取りする機会がありましたら、その時のエピソードなど是非お聞かせ下さい。)
 志貴皇子。たまたまこれからの季節にぴったりの歌かなと思って、私のお気に入りの歌を提供させていただいただけで、その事跡は先生以上に知るものではありません。ただ私の感じでは、「壬申の乱(672年。古代最大の内乱)」覚めやらず…しかも皇子は敗れた「天智系」ですから、お立場的には微妙なものがあったでしょうが、政治的野心などはあまりなく、どちらかといえば(ずっと後代の源実朝のような)文人タイプの御方だったのではないでしょうか。
   采女(うねめ)の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
この歌もいいですね。千数百年前の明日香美人が、明るい陽光の下で、雅びな飛鳥宮をバックに立っている姿が、くっきり目に浮かびますね。
 『万葉集』はいいですよね。おおらかで、のびやかで、健康的で。『古今和歌集』以降は、仏教の無常観が色濃くなって…。その分「もののあはれ」という別の魅力が加わりましたけれども。
 先生は神戸にお住まい。私は神奈川県厚木市。距離にして数百キロ。以前なら、互いに知り合うことなどまず無かったと思いますが。ついこの前は赤の他人だったのに、まるで長い間の知己のように、先生と私がこうしてお互いの心情を吐露しあえる。ネットの良さであり、強みですね。このような場を提供して下さっている、二木先生には、本当に感謝ですね。

 先生。「至誠の一分」などと申しましても、何もしゃちこばった、大げさなものではないのですね。先生のおっしゃるとおり「身の回りのちっぽけなことごとで、如何に誠意ある対応をするか」ですよね。肝に銘じます。
 またお便り交わしたいですね。それでは失礼致します。

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月20日 (木) 23時58分

とってもいい歌ですね。 しかし・・・。
 江間章子さんは憧れていた神戸を終戦後に訪れて、焼き爛れてあまりにも変わり果てた街を目にし、再び美しい街へとの願いを込めて作詩されたと聞いております。
1番;七色の谷=7人の敵・7ヵ国・7つの海・七転び八起き、リボン=軍国主義からの解放・英語解禁と自由へのシンボル、2番;未来の神戸のイメージ、3番;すみれ色=戦争中は明かりが外へ漏れないようにガラス窓に墨を塗ったり黒いカーテン等で遮っていた:焼けた街の夕暮れのイメージ、泣いていたよ(江間さん自身かも、でもなぜ?)=家族・知人・戦争で亡くなった人たちをきっと悲しんで、等々。
そして、背景にある二度と戦争をしてはならないとの強いメッセージを、皆でかみ締めながら歌い続けましょう。

投稿: 尾谷 光紀 | 2008年8月18日 (月) 16時33分

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