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一本刀土俵入り

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:高橋掬太郎、作曲:細川潤一、唄:三橋美智也

1 角力(すもう)名乗りをやくざに代えて
  今じゃ抱寝(だきね)の一本刀
  利根の川風まともに吹けば
  人の情けを
  人の情けを思い出す

2 忘れられよか 十年前を
  胸にきざんだあのあねさんを
  惚れたはれたと言うてはすまぬ
  義理が負目(おいめ)の
  義理が負目の旅合羽(たびがっぱ)

3 見せてあげたい男の夢も
  いつか崩れた一本刀
  悪い奴なら抑えて投げて
  行くがおいらの
  行くがおいらの土俵入り

《蛇足》 長谷川伸の同名の戯曲に基づいた歌で、昭和32年(1957)のヒット曲。この戯曲は、歌舞伎や新派、新国劇として幾度となく上演され、さらに何度も映画化されています。粗筋は次のとおり。

 相撲取りの駒形茂兵衛は、才能がないと親方から見放されて帰郷する途中、水戸街道取手(とりで)の宿にやってきます。
 一文無しで、飢えて途方に暮れている茂兵衛を、宿屋の2階で見ていた酌婦お蔦は、事情を聞いて、櫛
(くし)、簪(かんざし)、巾着(きんちゃく)を与え、もう一度江戸に戻って修業するよう励まします。

 10年後、望みを果たせず、やくざになっていた茂兵衛は、取手に戻り、お蔦を探しますが、なかなか見つかりません。
 お蔦は、船印彫
(だしぼり)師・辰三郎と夫婦になり、娘お君をもうけていました。辰三郎は、土地のやくざ・波一里儀十(なみいちりぎじゅう)一家と悶着を起こしていました。
 偶然のことからお蔦に出会った茂兵衛は、襲ってきた儀十一家のやくざたちを叩きのめし、3人を逃がします。その際、茂兵衛が言った名文句が、次の言葉です。

 「お行きなさんせ。仲よく丈夫でおくらしなさんせ。ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛の、これが、10年前に櫛、簪、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の土俵入りでござんす」

 やくざは、夜寝ているときに襲われてもすぐ戦えるように、布団の中に刀を入れ、抱いて寝るのが常でした。これが1番の「抱寝の一本刀」です。

 写真は歌舞伎『一本刀土俵入』の我孫子屋の場。中村勘三郎(17代目)茂兵衛、中村歌右衛門(6代目)がお蔦を演じています。

(二木紘三)

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コメント

私は20代中ごろ、東京北上野の小さな運送屋で運転手をしておりました。月に2回くらい水戸・勝田方面に配達に走り、6号線を利根川を渡って取手に入り近くになればこの歌が自然と口から出てきました。人の情と言うのは何にも代えることはできません、長谷川神のストーリーが大変好きな一人です。今でもカラオケに行けば必ず出ます。

投稿: トクラテス | 2008年2月17日 (日) 12時54分

 取手の宿我孫子屋の酌婦お蔦は、越中八尾の生まれです。そのお蔦が劇中、故郷を偲んでしみじみ歌うのが「おわら節」。昨年4月、父が他界しました。生涯一肉体労働者として苦労の連続だった父のなによりの楽しみは、一合の晩酌と、このおわら節でした。
おわら節はいつも次の囃子言葉で終わります。
 
♪ 浮いたか瓢箪 軽そうに流れる
    行き先ゃ知らねど あの身になりたや ♪

明日はもう風の盆です。

投稿: くまさん | 2008年8月31日 (日) 10時21分

駒形茂兵衛は助けてくれたお蔦さんのためにも、相撲で成功しなければならなかった。けんめいに頑張ったのでしょう。でもだめだった。相撲取りになれずやくざになった茂兵衛が最後にお蔦さんにしてあげられたことはー。歌を聴きながら、まるで自分のことのように思えて、泣けてしまいます。

投稿: TF | 2009年12月14日 (月) 12時21分

10年たって再会したら、お互いに境遇が激変していた。そんな中で 苦境にある昔の恩人に恩を返すという話。しかも悪を懲らしめる形で。うーん、くさい話です。くさすぎます。
 納豆、塩辛、漬物、くさや、チーズ、、、くさい物ほど癖になる美味さがある。
 くさいワンパターンの話こそ ほっとできる話なんだろう。
 忍従の長い日々の果てに、正体を現わす日が来て、本懐を遂げる。日本人は私もふくめてこのパターンが好きです。水戸黄門、赤穂浪士、唐獅子牡丹、、

投稿: 七色仮面 | 2012年11月 6日 (火) 11時28分

一番の歌詞で利根の川風まともに吹けばとありますが
まともではなく真菰(まこも)ではないかと感じました。

投稿: 団塊のおせっかい野郎 | 2013年8月19日 (月) 16時59分

団塊のおせっかい野郎様
私も最初から「真菰に」だと思っていました。「まともに」を「真っ正面から」と取れば意味が通じないわけではありませんが、真菰が川風に鳴る音を聞いて、以前利根河畔の取手である女性に恩を受けたことを思い出した、というほうがドラマチックですよね。
しかし、私が使った『全音歌謡曲大全集』でもネット上の複数の歌詞サイトでも「まともに」となっており、三橋美智也や氷川きよしもそう歌っているので、おかしいと思いつつもそのままにしています。
レコーディングの際、三橋美智也がまちがえて歌ったのが、そのまま定着してしまったのではないでしょうか。歌ではままあることです。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年8月19日 (月) 18時10分

( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 山下輝明 | 2013年8月20日 (火) 12時09分

 浪曲『一本刀土俵入り』には、「吹くな川風、真菰が枯れる」とあります。

投稿: MAEDA | 2013年8月20日 (火) 23時32分

 利根川に関係する時代劇の主役公といえば、平手造酒か、駒形屋茂兵衛でしょうか。「侍ニッポン」の新納鶴千代も「流れ流れて大利根こえて 水戸は二の丸、三の丸」と少し関係あります。
なぜかこの三人とも、落ちぶれてしまった人ばかり。坂東太郎は落魄の身を受け入れるのにふさわしい大河なのでしょうか。

 「大利根無情」では「利根の川風 よしきりの 声がつめたく 身をせめる」と平手造酒登場の場面設定が、なかなか渋い。
「一本刀土俵入り」では「利根の川風 まともに(真菰に)吹けば」です。真菰とは、水辺に群生するイネ科の植物で葉は刈り取ってむしろにするそうです。
「真菰に」か「まともに」か?というお話がありました。
「真菰に」のほうが、たしかに情趣がありますが、言葉が難しい。私も都会育ちゆえ、辞書を引いて上記のことが、わかりました。
 三橋美智也が間違えて「まともに」と歌ったかもしれないとか。けっこうじゃないですか。わかりやすい言葉で伝えたのなら、功績は大です。言葉というのは、広く流布した方が勝ちだと思います。意味がよくわからないのに歌っているのはヘンだし、その歌自体が、だんだん遠ざけられると思うからです。

投稿: 紅孔雀 | 2013年8月22日 (木) 23時41分

真菰は三橋美智也の「おんな船頭唄」にも出てきますね。利根川流域に住む人たちにとっては昔から日常的な言葉で、別に難しい言葉ではないですね。利根川を表すのに不可欠な言葉だと思います。

投稿: 松田貞夫 | 2013年8月23日 (金) 00時04分

歌詞に真菰の出てくる歌をネットで検索してみました。

野口雨情作詞『船頭小唄』(枯れた眞菰に照らしてる)、松島詩子唄『潮来の雨』(潮来出島の真菰の花に)、大月みやこ唄『潮来舟』(真菰がくれに人目をさけて)、三橋美智也唄『おんな船頭唄』(思い出すさえざんざら真菰)、石原裕次郎・浅丘ルリ子唄『夕陽の丘』(眞菰の葦は風にゆれ)、民謡『潮来節』(潮来出島の真菰の中で)、民謡『佐原小唄』(真菰がくれの真帆片帆ホイ)

投稿: 坂東太郎 | 2013年8月23日 (金) 15時54分

 「利根の川風まともに吹けば」は本来「・・真菰に吹けば」ではなかったのかという話から、先のコメントで、真菰は、ほとんど耳にしない難しい言葉だと言いましたが、その後すこし調べたことなどもあり、補足のコメントをいたします。
 私は関西の人間で、淀川、琵琶湖、水郷・近江八幡などへ、何度か行きましたが、実際、真菰という言葉をパンフレットなどで目にしたことがなく、聞いたこともなかったので、そう書きました。

 専門書によると、真菰は全国に分布しているようです。例えば、三重県に菰野町という町があり、昔、真菰の生い茂る原野であったのが町名のいわれだといいます。真菰は、水の浄化能力が高いので最近は、琵琶湖などでも積極的に植えられているそうです。ヨシは水深の浅い所に、真菰は深い所に生える。水深が深いほど根が水中の酸素を取り込むのが困難になるが、真菰は、その力をもっているとのこと。またヨシと真菰がいっしょに生えることもあるが、その場合はヨシは岸辺側に、真菰は沖側に育つそうです。

 全国に分布しながら、真菰が民謡などで唄われる所と、そうでない所がある。真菰が、人口に膾炙しているか否かの、地域文化のちがいがあるように思います。
 坂東太郎様のお調べになった曲、7曲の内、『夕陽の丘』は、単に北の町と歌詞にあるので外すとして、他の6曲は、利根川は2曲、潮来は3曲.佐原は1曲とすべて利根川流域の地名が出てきます。利根川は、真菰の文化といえるようなものを感じます。
千葉、茨城両県にはいまだ足を踏み入れたことのない私、大利根の風景を一度は見たいとおもったしだいです。

松田貞夫様の「真菰は利根川を表すのに不可欠の言葉」は至言であると思います。
坂東太郎様の、わざわざ歌詞を書き出しての曲の紹介、本当に歌を愛しているお方だと敬服いたしました。

投稿: 紅孔雀 | 2013年8月27日 (火) 14時48分

長谷川伸『一本刀土俵入り』とくれば駒形茂兵衛ですが、早くから横綱候補と期待されながら苦節?○年、待望の19年ぶり日本人横綱となった茨城県牛久市出身(出生は兵庫県芦屋市)稀勢の里には、“蚤の心臓”を克服して頑張ってもらいものです。
>紅孔雀様 「千葉、茨城両県にはいまだ足を踏み入れたことのない私、大利根の風景を一度は見たいとおもったしだいです」とのことですが、「利根川は別名坂東太郎と呼ばれ…“大利根”や“坂東太郎”の名称を冠したゴルフ場や食事処まであり、まさに“利根づくし”の土地柄」(『大利根無情』への焼酎百代投稿)なので、ぜひ北関東まで足を延ばして頂きたいと思います。

投稿: 焼酎百代 | 2017年2月18日 (土) 23時46分

焼酎百代様(ハンドルネームから百年孤独の味が浮かんできます。)
 1月27日の稀勢の里の明治神宮での奉納土俵入りを見に行きました。見たと言っても境内には入れませんでしたが、社殿出入り口正面に居ることができました。1時間ほど待ちましたが、やがて袴姿の稀勢の里が社殿から登場しました。まあその姿の立派なこと、凛々しいこと、惚れ惚れしてしまいました。来て善かったと真からおもいました。というもの夫から無理だよと言われていましたし、私自身も3時からと言われているところを1時半に家をでたのですから、駄目もとでもと思いながら出かけていましたから。
 稀勢の里を目にして、気持ちはもうキャーキャー、それをぐっと我慢して大人の分別を持って「稀勢の里、おめでとう」とさけびました。それから、2回程の稀勢の里の社殿の出入りがあってから、化粧回し姿の緊張した稀勢の里が境内に入って行きました。そして人々の「よいしょ、よいしょ」の掛け声が聞こえ拍手が響きました・・・
 大任を果たした稀勢の里が「紅顔の美少年」さながらに戻ってきました。
私は「横綱ー、おめでとうございまーす。」一段と声を張り上げて叫びました。その日は本当に至福の一日でした。夜のNHK7時のニュースの映像に身を乗り出して境内を覗こうとしている私の顔が瞬間映っていました。(笑っちゃいますね。)
 一年間「あーあー」と見ていた私でしたが、今度はハラハラしてしまって指の間から見てしまいそうです。長くなってしまいましたが本当に嬉しかったです。

投稿: konoha | 2017年2月19日 (日) 10時26分

 行って分かってのですが、土俵入りを行なう前にまず、神殿での儀礼がありました。稀勢の里、理事長はじめ理事の親方たち、稀勢の里の親方、後援会の方たちが一列になって境内に入りました。デイモン閣下や名前がちょっとでてきませんが、あの漫画家はいませんでした。

 ずいぶん待ちましたが、皆さん揃って境内から帰ってきてから、稀勢の里も来ました。稀勢の里の後から横綱の真っ白な綱をあの結んだ形で、付き人かどうか分かりませんが、相撲取りが恭しく胸の位置まで上げてついてきました。見物の人たちはそれを見て一斉に「おー」と声をあげました。

 横綱の綱はお祓いをしていただいてから身につけるものなのですね。綱の大きいこと素晴らしかったです。

投稿: konoha | 2017年2月19日 (日) 12時16分

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