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学生時代

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:平岡精二、唄:ペギー葉山

1 つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日
  夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
  懐かしい友の顔が 一人一人うかぶ
  重いカバンを抱えて 通ったあの道
  秋の日の図書館の ノートとインクの匂い
  枯葉の散る窓辺 学生時代

2 讃美歌を歌いながら 清い死を夢見た
  何のよそおいもせずに 口数も少なく
  胸の中に秘めていた 恋への憧れは
  いつもはかなく破れて 一人書いた日記
  本棚に目をやれば あの頃読んだ小説
  過ぎし日よわたしの 学生時代

3 ロウソクの灯(ひ)に輝く 十字架をみつめて
  白い指を組みながら うつむいていた友
  その美しい横顔 姉のように慕い
  いつまでもかわらずにと 願った幸せ
  テニスコート キャンプファイヤー
  懐かしい日々は帰らず
  すばらしいあの頃 学生時代
  すばらしいあの頃 学生時代

《蛇足》 昭和39年(1964)レコード発売。

 実際の学生時代は、後悔やら悔しさ、劣等感、不安などがたっぷり詰まっているのが普通だと思いますが、そうしたどろどろしたものを蒸留してすっかり取り去り、夢のようにさわやかな学生時代のイメージを作り上げたのが、この歌です。

 3番はちょっと「S」を感じさせますね。「S」はsisterのSで、女学生同士の同性愛的感情またはその関係のことを、昔はこういいました。

 平岡精二は、ペギー葉山の母校・青山学院のイメージから、この歌を作ったといわれます。
 平岡は実に多才な音楽家で、トランペット、アルトサックス、マリンバなどの名奏者であるうえに、歌も歌い、さらに作詞や作編曲も手掛けました。『爪』『あいつ』といったヒット曲をもっています。

 写真は青山学院の礼拝堂。

(二木紘三)

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コメント

昭和40年に、当時付き合っていた同志社女子大の彼女に教えて貰いました。歌詞も曲も素晴らしい曲です。今の学生諸君がこの曲を知りもしないのが残念です。

投稿: 伊勢英一郎 | 2007年9月24日 (月) 22時06分

私の育った時代は、小学生になった年に支那事変が始まり卒業前に太平洋戦争、そして少年志願兵で明けくれ戦火の後の横浜で食うための労働と続き、学生生活には縁のない人生でしたが、なぜかもし学生だったならこんな感傷的な気持ちを持ったかもしれないと、このメロデーを聞くたびに今も思います。

投稿: 青山獏蔵 | 2008年6月29日 (日) 08時11分

 毎週土曜日に15~6名のおばさんたちのコーラスグループ<豊中さくら草歌おう会>のお世話をしていますが、よくこの曲をリクエストします。 とても歯切れがよく、ウン十年前の島根県立川本高校(旧)時代に、近くの女子専門高校へチィットづつ覗きに行ったり文化祭の招待状の交換に行った等の想い出がこの歌に秘められています。
 
 平岡精二(氏)は、この他に『たばこの煙』『おやすみなさい』も作詞・作曲をして「あいつ」「爪」共に歌ってもおりますが、何といってもビブラフォンは抜群です。
 一度だけライブを観に行きたかった!

投稿: 尾谷 光紀 | 2008年8月29日 (金) 21時54分

〔学生時代〕の歌詞は私が過ごした〔学生時代〕を彷彿とさせます。私は東北のミッションスクールに中学生から入学し6年間過ごしました。とくに3番の歌詞は一人の上級生の顔を思い出します。女ばかりの世界だと初恋も同性になるのは当然でしょうね。今思うと嘘のように美しい時代だったと思います。この歌は当時のミッションスクールのごく一般的なことを歌ったのでしょう。しみじみと懐かしい歌です。

投稿: おキヨ | 2008年10月 1日 (水) 01時10分

場違いかもしれませんが。
昭和44年 1月中旬 東大安田講堂

数日後と予想される機動隊突入を前に、安田講堂内では各派の活動家により徹底したバリケード作りが行われました。机、イス、スチール棚はもとより事務機器に至るまで重量物はすべてドア、窓など開放口に積み上げられ、最後には教官室かどこの部屋から運び込まれたのか書棚もバリケードの機材に使用されました。
あたり一面に書籍がまるで路面に敷かれた煉瓦のようにうずたかく積み上げられたのです。
ふと床を見ると、敷きしめられた書籍はまさに垂涎の書籍で私ども学生には見たこともないまさに希書、貴重書の類です。こんなに素晴らしい書籍があるのか!、心のそこからじっくり読みたい、学習したいとの気持ちが湧き上がりました。すると一緒に作業を進めていた赤いヘルメット、グレーのコートの学生が、「読みてーなー」と天を仰いで嘆声をあげました。その気持ちはわかる気がします。でもそのような状況ではありません。目も合わさずに私どもは散乱する書籍を踏みつけ、ひたすらバリケードの構築に勤しみました。

あれからはや数十年経過しました。私は運動も大学もやめ、今は外国で会社を経営しています。
当時の仲間とは数十年間、一切連絡もありません。嘆声を上げた学生さんはその後どうしたのでしょう。当時私は18歳で、本気で信じきっていました。各国の若い方々の自爆とかのニュースを見るたびに胸が疼きます。この歌を聴くと、当時心に秘めていた向学心、キャンバスなど物思いに耽ります。上段の青山さん、お疲れ様でした。私も志願兵、少年兵でした。

投稿: 回顧者 | 2009年1月24日 (土) 18時35分

私が通ったのは、大阪下町の、古く狭いキャンパスでした。駅から大学まではトルコ風呂、パチンコ、麻雀店が連なっていました。暖冷房も乏しくて、教授は分厚い外套のまま教壇に立ち、女子寮が無いため、汚い部屋での貧乏生活を強いられました。文部省の国立大学敵視政策をもろに受けたのです。母校は今郊外に引っ越して、後輩は素敵な環境を享受しているとか。しかし、青春と言うものは、環境の如何に拘らず、燃えたぎるものと思います。

投稿: Bianca | 2009年1月25日 (日) 15時31分

回顧者様へ
あなたの一文を読んで寄稿したくなりました。あなたの「学生時代」は70年安保の狂瀾怒濤の時代でしたね。
安田講堂の中で貴重な書物が床に敷き詰められた時、赤ヘルの学生が「読みて~な~」と叫んだのでした。それがあなた方の学生時代でした。何と知的な欲望に満ちていたことか! でも、あなた方はバリケードを築くために夢中だったのです。
私はその時、テレビ局の記者として東大の近くの旅館に泊まり込み、丸2日間、火炎ビンと石が降り注ぐ中 ヘルメットを被って取材をしていました。その時、あなたと私は同じ場所にいたのですね。
今からちょうど40年前、私はあなたの「学生時代」に立ち会っていたのです。感無量です。どうぞお元気でいて下さい。

投稿: 矢嶋武弘 | 2009年1月26日 (月) 21時09分

 ペギー葉山さんの母校をイメージして作られた歌の話は私も本人のインタビューで知りました、しかし、チャペルで祈り、賛美歌を唄い、十字架を見つめる、クリスチャンの大学と思っていました。
 ところがそこに私の娘が入学する事になり、クリスチャンにされるのかと焦りました。 しかし心配有りませんでした、奨励すれども、強制はなし。    卒業式に出席しました、新築の教会が、青山キャンパスの中央に有りましたが、蔦の絡まるような風情はありません、この歌の流行った頃とは様変わりしているようです。

投稿: 月の輪熊 | 2009年10月23日 (金) 18時30分

こちらのページを楽しみ始めてから1年ぐらい過ぎましたが
最近少し授業を担当している看護学院の先生から、嬉しい話を聞きました。この歌のページ等を紹介したせいか、学生達が実習の時など高齢の患者さんが懐かしがる歌を探すことが出来て「これだこれだ1」と役に立つことが多いとのことです。自分の楽しみだけでなく、そういった大事な仕事にも役に立つなんてすばらしいですね。改めて感謝しています。
私のページにももちろんかなり前に学生時代を載せてリンクさせていただいてます。http://www7b.biglobe.ne.jp/~arimamina/

投稿: みな | 2010年4月15日 (木) 13時47分

いい歌ですね。jazzを聞いていてふと平岡精二の事を想い出し、検索してみました。まだご存命だと思っていたのですが、残念です。素晴らしいビブラホンを想い出します。

投稿: 八馬敦義 | 2010年12月21日 (火) 21時35分

高校3年の秋から冬へと向かう頃、校舎の表側にある運動場では野球部の後輩たちが若い声を張り上げて白球を追っている。校舎の裏側の片隅にある図書館で数ヶ月前に野球部を引退した私は受験勉強にいそしんでいる。部屋はしーんとしていて時折友のページをめくる音が聞こえる。勉強に飽いて、ふと窓の外を見るといつの間にか日が暮れて枯葉が散っている。その時は、学生時代という歌をよくは知らなかった。後年、この歌の「秋の日の図書館の ノートとインクの匂い 枯葉の散る窓辺」を聞くと、大人になることへの期待と不安に満ちていた50年前のあの頃を思いだします。「懐かしい日々は帰らず すばらしいあの頃 学生時代」

投稿: SK2 | 2011年6月25日 (土) 16時36分

大学2年の冬、池袋「西武デパート」でバイトしていた私は、職場のバイト仲間の立教生たちと池袋にある立教大学キャンパスのクリスマスイブのミサ(っていうんですか?)に参加しました。初めてのキャンドルライトは若い私にはちょっと夢のような気がしました。厳かな式典と合唱した賛美歌に「付和雷同しない」を密かにモットーとしていた私も、ちょっと感動してしまいました。この歌を聞くとあのときのシーンを思い出します。50年前の話です。

投稿: 吟 | 2011年6月29日 (水) 21時33分

 平岡精二の「作詞作曲の『あいつ』『爪』、それに『学生時代』などは時代を風靡した傑作だった。」『学生時代』は、当時彼の恋人だったペギー葉山に、「二人の青春の思い出に捧げたものだそうだが、ペギーが在学中から歌手として売れ出して卒業出来なかったために、原題の『大学時代』を『学生時代』に変えたそうな。」「その精ちゃんも極めてわがままなボーイフレンドで、ペギーはしばしば泣かされ、とうとう一緒になることはなく・・・」
-----石原慎太郎「オンリー・イエスタデイ」第14章輝かしきジャズマンたち(幻冬社文庫)より

投稿: Dr.unchiku | 2011年9月14日 (水) 21時10分

久しぶりに書かせていただきます。

三番の歌詞で、「ろうそくの灯に輝く十字架を見つめて白い指を組みながらうつむいていた」との一節があります。

今まで気にもしていなかったのですが、「見つめて…うつむいていた」というのは、少しおかしいかなと思いました。屁理屈ではありますが。

投稿: 林 藤孝 | 2013年5月14日 (火) 20時49分

林さま
さらりとコメントされていますので、よく読まないと、ご意見の内容が理解しづらいのですが、私はなるほどと思いました。
「十字架をみつめる」なら顔は正面、視線はまっすぐ十字架に向かいます。「うつむいていた」なら顔も視線も下向きです。この二つの行為を同時にはできません。
そこで「十字架をみつめ(たり)」「うつむい(たり)」という、少し時間差のある行為であるという説明もできそう。しかし、歌詞を読む限り、時間差のある行為と考えるのは、ちょっと苦しい感じ。やはり同時の行為です。
くりかえしですが、「みつめる」と「うつむく」は同時には無理です。

まあ、この歌はもう定着どころか、名曲として確立していますから、アラさがしをするつもりは毛頭ありませんが、林さんのご指摘もけっして屁理屈ではないと思います。

投稿: 浮舟 | 2013年5月15日 (水) 17時02分

 じっと十字架をみつめて、そして頭をたれる、
そんな祈りの光景が、鮮やかに浮かんできませんか?
 散文ではないですから。

投稿: 博多んもん | 2013年5月16日 (木) 12時59分

浮舟様

久しぶりに浮舟様のコメント拝見しました。
けれど今度ばかりは浮舟様のご意見に賛同致しかねます。
『博多んもん』様の前段、中断の2行の御意見の方が、素朴であり、自然です。
浮舟様は、「歌詞を読む限り、時間差のある行為と考えるのはちょっと苦しい感じ。やはり同時の行為である」と捉えられました。
私もこの歌詞を幾度も読み直しましたが「行為としてかぶっていません」「かぶっていない」から一個人の同時の複数行為という矛盾はありません。行為として自然に流れています。
 
 惧れ多くも浮舟様に「想像力が不足しています」というだけの度胸は持ち合わせていませんが、『流れの意識』で捉えられなかったとは言えると思います。

 私も劇画作家のはしくれですから、『文章の流れ』は常に意識しています。しかも我々は、文字表現で作画家のイメージするであろう「画面」を意識して書いてます。

 ちなみに私も中高一貫の「カトリック系ミッションスクール」の出身です。カトリックですから大本をたどれば、バチカンに行きつきます。校長も派遣されて来て見えました。
その経験からひとつ。
教会へいくと、ずっと十字架を見つめ続ける、ということはありません。なぜなら十字架はイエス様のお姿ですから、まず御挨拶をし、祈願なり懺悔なりをし、その次は、自分の内面でのイエス様との対話となります。
プロテスタントの教会は知りませんが、わが校の教会には
祈願、懺悔をするための、両手を握りしめ、肘をたてる台が各席の前に一枚板でずっと並んでいた記憶です。
だからこの少女は「白い指を組みながらうつむいてた」のです。

最後は「博多んもん」様に質問。散文を書く私には最終行の「散文ではないのですから」の意味がいくつも考えられて、判定しづらいです。

投稿: 高原勉 | 2013年5月20日 (月) 22時37分

高原 勉様
 
ご自身のミッションスクール時代の体験を通して「教会へ行くとずっと十字架を見つめ続けるということはありません。・・まず御挨拶をし、祈願なり懺悔なりをし、その次は、自分の内面でのイエス様との対話となります」という説明に、素直になるほどと思いました。
また「わが校の教会では、祈祷懺悔をするための、両手を握りしめ、肘を立てる台が各席の前に一枚板でずっとならんでいた」という詳細にして親切な説明には、まいりました。私はこういうディテールに深く感じ入る性質です。

実はコメントを投稿した後、「詩とか俳句、和歌などは、ギリギリの文字数で勝負している芸術だから、言語上の理屈もさることながら、感じるということもそれ以上に大切ではないか?」と考えていました。私は品詞の働き、接続の仕方などにこだわってしまい、答えもその延長上で求めるという傾向があります。
高原さんのおっしゃる通り、この場合は「みつめる」、「うつむく」は「行為の流れ」としてとらえ、歌詞として不都合はないと感じました。

その後、さらに考えていくうちに、大分、前に、このブログで『月の沙漠』で「の」をめぐって、いろいろやりとりしたことを思い出しました。(当時のHNは違ってましたが)あの時もやはり、感じるということをおろそかにしていました。人間は同じことをやらかしてしまうんですね。ははは、です。

高原さんのコメントを読んで、人を説得するとは、どういうふうに話をもっていくのか、それを教わったような気がしました。

最後に私信めいた言葉ですが、二木先生、お許しください。「キャンディキャンディ事件」の続報を見るたびに、高原さんに教えてもらったなあ、今どうしているかなあと思っていました。いい作品、どんどん書いてくださいね。


投稿: 浮船 | 2013年5月21日 (火) 05時23分

浮舟様

早速の返信メールありがとうございます。
浮舟様はいつも反応が早いですから気持ちいいです。

今回のメールで一番笑えたのは『月の砂漠』の
遣り取りの件です。
きっと、「ラクダが月の砂漠を歩いとるのか、誰が
連れて行ったのだ!」
なんて遣り取りもあったのでしょうか?

私の子供時代に流行りました”月がとっても青いから
遠回りして帰ろ”という出だしの歌謡曲がありました。
曲名は今、思い出せません。

両親の自転車の荷台に乗せられて、町の銭湯に行く時に
空を見上げても「青い月」など絶対にみられません。

けれど少し大人になってきますと、煌煌と輝く満月の
夜などには、月の光にその周りが青く照らしだされている
光景をみて、「ああ、月がとっても青いから」とは
こうゆう状態をいうのだなと得心しました。

歌謡曲の詞の妙味ですね。

なんとなく本人も、趣旨のはっきりしない文章だなと
感じつつ、納筆とさせていただきます。

投稿: 高原勉 | 2013年5月21日 (火) 20時42分

 「学生時代」…… 将に、私の学生時代そのものです!
  青山学院中等部での3年間は、小鷹狩繁子さん(=ペギー葉山さん)と、同級でした。
 中等部3年の時の音楽の時間で、「追憶」を、夫々、独唱するテストがありました。未だ、大人になりきっていない為、地声を張り上げて何とか歌う方が多かったのです。でも、彼女は、既に声楽を習っていらしたので、大人っぽく歌われました。
 声楽を習いたくて仕方なかった私の事、(継母に実子との家庭内差別を受けていて、習い事など、一切、させては貰えませんでした。)大変に羨ましく感じられたものです。
 歌詞の内容は、其れこそ、青山学院での生活そのものです!(終戦後すぐに試験を受けて入学致しました。当時は、未だ、6・3・3制度ではなく、男子部と女子部は分かれており、5年制度の青山女学院で受験致しました。校舎は、蔦に覆われておりました。
 中等部2年生の時に、6・3・3・制度が開始になり、中等部3年間、高等部3年間、都合、6年間通いました。
 ミッション・スクールの為、毎日、礼拝がありました。また、週に1時間は「聖書」の授業を受けました。でも、信じる信じないは、本人の自由で、強制されることは全くありませんでした。本当に良い学校だったと思います!
 私は現在、無宗教ですが、聖書の教えは、道徳として大いに指針となっております。(なお、当時の聖書は、文語体でした。ならざるべけんや……。など、肯定文だか否定文だか、よく判らない感じでした!)
 ボランティア精神も、敬虔なクリスチャンの方々の影響を受けているのだと思われます。
 各種高齢者施設で、全くの個人ボランティアとして、愛唱歌を皆様と御一緒に歌う事を、60歳で、思い立ち、月に1回ですが、現在まで満20年、通っております。(高校を出てから、すぐに憧れの声楽や、ピアノを習いましたので、其れを活かしているという訳です。)
 作曲者の平岡精二さんは、男子部の2級上でしたが、大講堂の舞台で、詰襟の学生服姿で、軽やかに左右に動いて、素晴らしいビブラフォンの演奏を披露してくださり、憧れの気持ちを抱きました!
 当時、柳沢真一さんも、素晴らしい甘い歌声を聴かせて下さいました!
 ペギー葉山さんは、高校2年生の時に、当時、一流だった、「渡辺弘とスター ダスターズ」の専属歌手になられました。
 有名なジャズ歌手のナンシー梅木さんが引退されて、其の後釜になられたという訳です。
 当時、たまには、講堂などで、「ドミノ」、「ケ・セラ・セラ」など、披露していただきました。
 彼女が現役を続けている間は、私も頑張って、愛唱歌のボランティアを続けて行こうと思っております。
             千葉市 井尻 賤子 80歳

投稿: 井尻 賤子 | 2014年5月 2日 (金) 04時46分

学生時代はさまざまなものを感じてそれらを脱却したのが、この学生時代という曲だという蛇足には思わずそうだと思いました。
 また、何人かの話に作詞のことも出てきますが、私は高校時代の友人にこの歌の「替え歌」を作り、送った事があります。友人はこれをおもしろいと言ってくれました。
 自分の不甲斐なさが歌になっているので、歌詞もどこかにいってしまいました。

投稿: 今でも青春 | 2014年7月14日 (月) 17時43分

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