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秋止符

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:谷村新司、作曲:堀内孝雄、唄:アリス

1 左ききのあなたの手紙
  右手でなぞって真似てみる
  いくら書いても埋めつくせない
  白紙の行がそこにある
  友情なんて呼べるほど
  きれいごとで済むような
  男と女じゃないことなど
  うすうす感じていたけれど
  あの夏の日がなかったら
  楽しい日々が続いたのに
  今年の秋はいつもの秋より
  長くなりそうな そんな気がして

2 夢を両手に都会(まち)に出て
  何もつかめず帰るけど
  やさしさの扉を開ける鍵は
  眠れない夜がそっと教えた
  心も体も開きあい
  そこからはじまるものがある
  それを愛とは言わないけれど
  それを愛とは言えないけれど
  あの夏の日がなかったら
  楽しい日々が続いたのに
  今年の秋はいつもの秋より
  長くなりそうな そんな気がして

  春の嵐が来る前に
  暖かい風が吹く前に
  重いコートは脱ぎすてなければ
  歩けないような そんな気がして

《蛇足》 昭和54年(1979)のヒット曲。

 「秋止符」というタイトルは、恋が秋に終わったことをひと言で表現して絶妙。「あの夏の日がなかったら」の1行が痛切ですね。なんとなく消えてゆく恋もあれば、「痛恨の1日」を経て終わる恋もあります。それが夏の日とはかぎりませんが。

(二木紘三)

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コメント

1978年、大学1年のとき、「ジョニーの子守唄」でアリスにはまりました。この「秋止符」を含め、アリスの曲は詩だけ読むと演歌っぽいものが多いなと思っていました。「遠くで汽笛を聞きながら」や「それぞれの秋」等の詩は演歌そのもののように思いました。後に堀内孝雄さんが演歌で大成功されたのが分かるような気がします。

投稿: 本田雅生 | 2008年8月25日 (月) 21時00分

  相変わらず「最近のコメント」欄に同じ人が続けて投稿しており、コメント欄10項目の過半数を占めている時もあり、うんざりする。
 宴会等でカラオケマイクを独り占めして自己満足し、
周囲から失笑をかっていることも分からない愚かな輩と同じである。
 せめて「最近のコメント」欄から自分のコメントが消えるのを待って次のコメントを投稿する位のモラルが欲しいものである。
「休止符」も、時には「終止符」も必要なのがこのサイトであると考える。

投稿: かんこどり | 2008年9月14日 (日) 09時56分

 常識・良識・節度のない連続コメント投稿者へ

 「最近のコメント」欄から各人の感想を読みに行くのだが、同一人物が連続でコメントしている為に、短時間で「最近のコメント」欄から消えてしまい、色々な人の貴重な感想を読みはぐってしまう。
 そのことを「秋止符」欄にコメントしたら、2時間たらずで「最近のコメント」欄から押し出されてしまった。
 連続でコメントを投稿する皆さん!
 おそらく豊かな人生経験と社会訓練をしてきた世代であると思われますので、自分の行動を振り返ってみては如何か。
 
 

投稿: かんこどり | 2008年9月15日 (月) 09時06分

かんこどりさん:

いつもこのサイトを愛読させてもらっている者として、中傷的な書き込みには違和感があります。でも、「泥棒にも三分の理」ということわざもありますから、言われたほうも反省すべき点があるかもしれませんね。

投稿: 繁忙人 | 2008年9月15日 (月) 23時43分

 私も以前、連続コメント者へのご忠告文をお出ししました。私は、かんこどり様のご意見に全面的に賛成です。
 2回にわたる御文は、単なる「中傷的書き込み」ではないと思います。最近の『うた物語』の「荒れたコメントの流れ」からして、どなたかが言わなければならなかったことなのです。かんこどり様の勇気に、心より拍手を送りたいと思います。
 どなたかが述べておられましたが、『うた物語』は今や「国民的ブログ」になりつつあります。もはやある特定の者だけで、コメント欄を独占することが許されるはずがありません。
 でも過ぎたことは、『うた物語』大発展のプロセスで起こった良い教訓として…。該当する方々は、これを機会に猛省していただきたいものです。ご同好の皆様が、厳しい眼で見ていることをどうぞお忘れなく。

投稿: 大場光太郎 | 2008年9月16日 (火) 01時04分

大阪では(全国的に)昨晩2/13天気予報の通り、春の嵐が吹きました。夕方出かける時に「春の嵐が吹く前に・・・重いコートを・・・・・」と自然にアリスの歌を口ずさみながら重いコートから軽めのブルゾンに変えました。でなぜ「秋止符」なのに「春の嵐」かな?と疑問に持ち、「秋止」は何か春を表す季語なのかな?なんて調べていたらこのブログに辿り着いた訳です。中々歴史ありそうでふと時間が空いた時に
、又寄せて頂きます。・:~>> ←春の嵐

投稿: りそお | 2009年2月14日 (土) 09時43分

私はロカビリー、プレスリーの世代なので、のちにビートルズが出てきても、あまり好きになりませんでした。同じように演歌で育ったので、のちにフォークソングやニューミュージックが流行っても、あまり乗れませんでした。

ニューミュージックは、フォークの特徴であった政治性や生活感を排した新しい音楽という解釈を取れば、「秋止符」はフォークでなくてニューミュージックですよね?

私は40年くらいたってから、フォークやニューミュージックが好きになりました。ひとつの脱皮だと思います。これからも海老のように死ぬまで脱皮して行けたらいいなと思っています。「不易流行」ですね、ものすごく遅いけど(笑)。この歌はどこか演歌の匂いがしますよね。堀内孝雄がその後その傾向を強めていきましたが、谷村新司の詩がまた、青春の揺れ動く繊細な心を甘く切なく描いて、とても好きな曲になりました。

投稿: 吟二 | 2016年11月24日 (木) 10時04分

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