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牧場の朝

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:杉村楚人冠、作曲:船橋栄吉

1 ただ一面に立ちこめた
  牧場の朝の霧の海
  ポプラ並木のうっすりと
  黒い底から勇ましく
  鐘が鳴る鳴る かんかんと

2 もう起き出した小舎小舎(こやごや)
  あたりに高い人の声
  霧に包まれ あちこちに
  動く羊の幾群(いくむれ)
  鈴が鳴る鳴る りんりんと

3 今さし昇る日の影に
  夢からさめた森や山
  あかい光に染められた
  遠い野末に牧童の
  笛が鳴る鳴る ぴいぴいと

《蛇足》 昭和8年(1933)、『新訂尋常小学唱歌(四)』に発表。

 作詞者は長い間不詳とされてきましたが、現在は、朝日新聞出身の文人で名随筆家として知られた杉村楚人冠(そじんかん)というのが定説になっています。
 船橋栄吉は声楽家。

 明治40年(1907)、福島県の元御料牧場・岩瀬牧場がオランダからホルスタイン13頭を輸入した際、友好の印として鐘が贈られてきました。その鐘が鳴る牧場の朝を杉村楚人冠がエッセイに書き、また詩に表現したものとされています。

 その鐘は毎日数度、昼食や休憩などの合図に使われてきましたが、ひびが入ったため引退し、現在は町の文化財として同牧場の資料室に展示されています。

 写真は現在の岩瀬牧場。

(二木紘三)

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コメント

今でもメロディーを覚えているのは、ラジオ歌謡だったのでしょうか?。明るくてよい歌ですね。

投稿: 三瓶 | 2009年5月31日 (日) 16時25分

三瓶様  この歌はラジオ歌謡ではありません。二木様の解説にあるように、戦前・戦中に使用された音楽教科書(国定)「尋常小学唱歌四」(4年生用)に載っていた文部省唱歌です。この唱歌のほかには、「春の小川」や「村の鍛冶屋」などもありましたよ。戦後も暫くはほとんどの教科書に取り上げられ、やはり文部省唱歌として歌われていたと思います。わたしも4年生で習った記憶があります。現在も2種類の音楽教科書(4年生)には取り上げられているようです。軽快なリズムと明るいメロディが爽やかな牧場の朝の情景にぴったりで、これが今でも多くの人々に愛唱されている理由でしょうね。
 二木様の解説で初めて知ったのですが、この唱歌の牧場は福島県にあったのですね。わたしは「ポプラ並木のうっすりと」とありますから、てっきり北海道にある牧場だとばかり思っていました。教えていただきありがとうございました。
 

投稿: ひろし | 2009年6月 2日 (火) 23時24分

ひろし様 東北線の鈍行列車で上野から郡山まで行ったとき、福島県の小さい駅の壁が白く塗ってあり黒い字で「モデルの牧場はこの近くにある」といったことが書いてありました。が、その駅の名前を思い出すことができません。確か郡山付近の小さな駅だったと思いますが・・・ 福島県に住んでいる方、どなたかその駅名を教えてください。

投稿: なとりがおか | 2009年6月 4日 (木) 00時42分

「牧場の朝」のふるさとhttp://www.iwasefarm.com/
JR鏡石駅より車で5分 須賀川I.C.より車で15分

蛇足に元御料牧場・岩瀬牧場と書いてありますよ。東北線

投稿: なち | 2009年6月 4日 (木) 07時16分

なとりがおか様
なち様     ご親切にありがとうございます。岩瀬牧場がこの歌の舞台なのですね。10万坪もあるんですか。その広い牧場に、今でも乳牛やひつじたちがのんびりと草を食んでいるのですね。だんだんイメージがふくらんできます。ぜひ一度訪れてみようと思います。重ねて御礼申します。

投稿: ひろし | 2009年6月 4日 (木) 12時46分

ひろし様、「牧場の朝」についていろいろ教えて頂き、有難うございます。合唱の盛んな福島県の牧場でしたか。一度行ってみたいですね。
私は島根に住む後期高齢者ですが、4月から出雲市の混声合唱団(入団条件は55歳以上)に入りました。
今練習している曲は、「聞こえる」・・・平成3年のNHK
合唱コンクールの高校の部・課題曲、「この星に生まれて」、「いのちの歌」・・・だんだんの挿入曲などです。
聴力、音程の正確さ、肺活量など大分落ちていますが、なんとか頑張ろうと思っています^^。

投稿: 三瓶 | 2009年6月20日 (土) 09時58分

三瓶様  東北線は学生時代によく利用していましたが、ほとんどが急行列車だったので、鏡石駅は通過していました。「牧場の朝」の看板が目に入ることもなかった訳です。この忙しい時代には、新幹線で一直線に目的地に向かうことが当然のように思われますが、ときには時間に余裕がある場合には、各駅停車の旅も大切なことなんですね。普段見えないものも見えて来るということでしょうか。人生教訓にもなりますね。
 三瓶様は後期高齢者に入られても合唱団で頑張っておられるとか。今後のご活躍を祈念しております。わたしは後期一歩手前ですが、あなた様を見習って何とかつつがなく余生を送りたいものと念願しております。 
 
  

投稿: ひろし | 2009年6月20日 (土) 21時49分

意外なことに、常磐線の北小金駅(松戸市)に電車が発射するときにこのメロディーが流れます。江戸時代、この付近一帯は幕府直轄の小金原の広大な馬の飼育場でした。その支配者は代々代官・綿貫夏右衛門(わたぬき かえもん)といいました。陸前浜街道の小金宿の北の端に私邸の土地を持っていましたが、明治の終わり頃、馬橋と柏にしか駅がなかった常磐鉄道に無償で土地を提供して、ここに新たに北小金駅が作られました。なお、この土地から幕末に、名落語家が出まして、芸名を金原亭馬生(きんげんてい ばしょう)と名乗りました。小金原で馬が生まれるという、この土地にふさわしいおめでたい名前だったのです。この人以来、落語家の芸名に、金馬、新駒、小円馬、伯楽、馬風、馬之助など馬に縁のある名前がしばしば付けられるようになりました。
 今は、東京の通勤圏として大きな団地があちこちにでき、全く牧場の面影はありませんが、通勤の人の波を送り出しながら、今朝もプラットホームにはこのメロディーが流れます。

投稿: 江戸 | 2012年10月29日 (月) 04時39分

 江戸さん
 地方史の好きな私には、じつに興味あるコメントでした。松戸にはかつて徳川幕府直轄領である広大な「小金の牧」があり、襲名代官、綿貫夏衛門が配置されていた。鉄道の時代になると、その子孫が広い土地を寄付したという。さらに金原亭馬生という名落語がでてきたという話。牧場つながりのいい話ばかりですね。勉強不足の私は どれも知らない話でした。 

 触発されて私も少し調べました。初代夏衛が家康に会った時、あまりに貧乏で 夏なのに袷(あわせ)がない、綿入れから綿をぬいたものを着ていた。家康は聡明な夏衛門を気に入って牧の支配をまかせることにしたが、その時にこれからは綿貫(綿をぬいた綿入れだから)と名乗るようにと命じたとか。そんなあほな~~と思いましたが、おもしろいエピソードとして聞くことにします。

 文章が凝っていますね。始めと終わりに電車から流れる「牧場の歌」のメロディを置いて、その間に郷土の歴史を紹介する。感心しました。


投稿: 秋山 小兵衛 | 2012年10月30日 (火) 10時21分

今から、20年ほど前、近くの公民館で、あくまでもアマチュアの立場を通して、「思い出の愛唱歌を歌う会」を主宰しておりました。
千葉県内の歌碑など尋ねる日帰りバスの旅なども、度々、計画いたしました。「宵待ち草」の歌碑や、「月の砂漠」のラクダ像など……。
集団疎開先の信州・山田温泉・風景館への2泊の旅なども。10名程のご参加でした。
風景館のご主人のマイクロバスで、山奥の山田牧場に連れて行っていただきました。
電池で弾けるキーボードの伴奏で、この「牧場の朝」を、皆で、歌いました。
すぐ近くに乳牛が数頭、のんびりと、寝そべっており、アッという間に、霧が立ち込め、あたりが真っ白になったり!!まさに、この歌詞通りの世界でした!!
連れて行ってくださった、風景館の同年齢のご主人も、その時、参加した内の数名の方々も、すでに、鬼籍に入られました。
皆さんにとって、一生の思い出になったことと、自負しております。
            千葉市 井尻 賤子 80才

投稿: 井尻 賤子 | 2014年4月 9日 (水) 00時05分

小さな頃、3つ上の姉がよく歌っていました。
私はこの歌の舞台を、なんとなく山梨県の清里であると思っておりましたが、ずっと後に福島県の岩瀬牧場であると知り、わざわざ行ってみましたところ、やはり自分のイメージとしては清里のほうがふさわしいように思いました。

投稿: 川口雄二 | 2014年5月21日 (水) 23時35分

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