寒い朝
(mp3制作:二木紘三)
1 北風吹きぬく寒い朝も 2 北風吹きぬく寒い朝も |
3 北風吹きぬく寒い朝も |
《蛇足》 昭和37年(1962)リリース。
吉永小百合の歌い方は素人っぽい感じですが、無技巧な分、かえって爽やかさが伝わってきます。ひたむき・健気(けなげ) ・清潔という少女像は、昭和30年代の吉永小百合を最後に、わが国では絶滅しました。
昭和37年(1962)12月のある日、大学から下宿へ帰る途中、「稲穂」という定食屋の前までくると、街頭スピーカーからこの歌が聞こえてきました。
この歌を聞くといつも、そのときのピーンと張った冷たい空気の感覚が蘇ってきます。
佐伯孝夫・吉田正のコンビは、『東京の人』(三浦洸一)、『有楽町で逢いましょう』(フランク永井)、『哀愁の街に霧が降る』(山田真二)、『グッドナイト』(松尾和子・和田弘とマヒナスターズ)、『再会』(松尾和子)、『東京ナイトクラブ』(フランク永井・松尾和子)など、多くの都会派ムード歌謡をヒットさせています。
作曲者の吉田正自身は、1000曲以上に及ぶ自分の作品のなかで、あえて最も好きな曲を挙げるとすれば、この曲だといってます。理由は、彼がシベリア抑留中に味わい続けた極寒の朝と、そのなかでも失わなかったかすかな希望を思い出すからだそうです。
もちろん、伝説のデビュー曲『異国の丘』は別です。
上の絵は、比較的若かったころの配偶者のイメージを描いたものです。こういう時代もありました。
(二木紘三)
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訪問者の感想等

コメント
いつも聞いています。
私が実家にいたときにラジオでよく流れていました。
懐かしいです
投稿: onozaki | 2007年11月18日 (日) 22時08分
~~すばらしいコーナーですね。
>上の絵は、比較的若かったころの配偶者のイメージを描いたものです。こういう時代もありました。
~~奥様の絵に込められた愛情を拝見し「こういう時代もありました」の一言で切なさにおそわれました。胸が苦しいです。
投稿: 春平太 | 2007年11月18日 (日) 22時35分
吉永小百合さんのファン(サユリスト)として、この歌は大好きです。「冬来たりなば春遠からじ」ですね。「ひたむき・健気(けなげ)・清潔という少女像は、昭和30年代の吉永小百合を最後に、わが国では絶滅しました」という二木さんのコメントには、思わず笑みがこぼれます。
“大和撫子”が絶滅したとは思いませんが(どこかに必ずいると思います)、昨今の世の中を見ていると、大和撫子は消えてしまったのかと心配になります。
そうは言っても、男らしい日本男児の益荒男(ますらお)も影をひそめたかもしれません。優しい男はずいぶん増えましたが。
つい最近、たまたまインターネットを散策していたら、吉田正氏と小百合さんがこの曲をデュエットで歌っているビデオに出会いました(NHKのBS2のようですね)。懐かしいので何度も見ました。
小百合さんは歌は決して上手とは言えないようですが、その爽やかさで正に「やまとなでしこ」といった感じでした。
昭和37年・・・我々の青春時代を思い出します。
投稿: 矢嶋武弘 | 2007年11月23日 (金) 19時41分
ひさしぶりにウクレレを持ち、今冬は「寒い朝」が弾けるようにと練習していました折、明治一代女のキーワードから貴ホームページに出会うことができました。
mp3の曲をカラオケにして、合奏できますので大変うれしくおもいます。
「稲穂」の近くに湯麺のおいしい「一楽」という店があったように記憶しています。そのころの小生は中学三年生で、北風の中を通学していた想い出はいまでも新鮮です。
投稿: 小泉 茂 | 2007年12月 9日 (日) 22時16分
二木先生のおっしゃる通り、吉永小百合は品のある美人です
よね。歌い方は素朴ですがなぜか、聞いていると引き込まれてしまいます。泥だらけの純情、伊豆の踊り子、若い二人の心斎橋皆良い歌ですよね。
投稿: M.U | 2008年5月22日 (木) 07時23分
小百合は奈良光枝の後を追っかけた、女優として、歌手として。潮騒という映画が有りましたが、この映画を無難にこなしてやっと一人前。
投稿: M.U | 2008年8月17日 (日) 07時30分
上記のコメントから、”男らしい日本男児の益荒男(ますらお)も影をひそめたかもしれません。優しい男はずいぶん増えましたが。”
大和撫子激減はあっも、女の立ちションは聞いた事が有ませんが、住宅事情があるにしろ、座りション男が増えた話にはガッカリです。
投稿: Hikoさん | 2008年8月17日 (日) 14時43分