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夜霧のブルース

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作詞:島田磬也、作曲:大久保徳二郎、唄:ディック・ミネ

1 青い夜霧に灯影(ほかげ)が赤い
  どうせおいらは独り者
  夢の四馬路(スマロ)か ホンキュの街か
  ああ 波の音にも血が騒ぐ

2 可愛いあの子が夜霧の中へ
  投げた涙のリラの花
  何も言わぬが 笑ってみせる
  ああ これが男というものさ

3 花のホールで踊っちゃいても
  春を持たないエトランゼ
  男同士の相合傘で
  ああ 嵐呼ぶよな夜が更ける

《蛇足》 島田磬也(きんや)、大久保徳二郎、ディック・ミネのトリオによる上海ものの1つ。昭和22年(1947)の松竹映画『地獄の顔』の主題歌として作られました。
 島田也は北村雄三という名前で『
上海ブルース』を作詞しています。

 映画は大曾根辰夫監督で、水島道太郎(みちたろう)、木暮実千代、月丘夢路、月丘千秋などが出演しました。水島道太郎は、晩年に至るまで背筋のピンと伸びたダンディな役者でした。
 内容は、ごく簡単にいうと、上海でギャングだった男が、彼を悪の道に引き戻そうとする元の仲間と戦う、といった物語です。
 この映画では、『夜霧のブルース』のほかに、『長崎エレジー』『夜更けの街』『雨のオランダ坂』と計4つの挿入歌が作られ、いずれもヒットしました。

 四馬路(スマロ)は戦前の上海にあった歓楽街で、虹口(ホンキュ)は川を挟んでその対岸にあった日本人街。

(二木紘三)

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コメント

小学校の校庭に映写幕を張った映画会で「地獄の顔」を観ました。風でスクリーンが揺れました。定時制高校の宿直室で、先生がポータブル蓄音器で、「長崎エレジー」を聴かせてくれました。いまでも私は「雨のオランダ坂」や「夜霧のブル-ス」よりむしろ「長崎エレジー」のほうが好きです。

投稿: 林 一成 | 2008年6月30日 (月) 09時28分

今、手もとに「ディックミネメモリアル大全集」という2枚組のCDがあります。この中でも最も人口に膾炙された曲のひとつだと思います。「男」の哀愁を感じさせますね。だから「男らしさ」が売り物の鶴田浩二や石原裕次郎などもCDなどでカバーしておりますね。私も子供の頃から大好きです。

数年前に、一ヶ月ほど上海に滞在した事がありまして、何回かバンド(わいたん)に行きました。人ごみの中、旧租開だったこの地で、新旧入り混じった華麗なな夜景をバックに佇んでいると、私の胸の中に聞こえてくるのは、やはりこの曲でした。

投稿: 吟二 | 2008年12月14日 (日) 14時00分

フランク永井、石原裕次郎がカバー。どちらにしても渋くていい歌ですね。
菊田一夫原作の映画「地獄の顔」は、日活で「夜霧のブルース」で再映画化。1963/6/30公開、石原裕次郎・浅丘ルリ子。ストーリーは同じかどうかは知りませんが。。
石原プロの公式HPを見ると、レコードは1966/4と1966/7にリリースされているようなので、映画の歌がよかったので、後でリリースされたのでしょうか?

投稿: victor | 2009年5月 4日 (月) 18時33分

victor様
このころ(S37年)になると、さすがの"ロカビリー旋風"も勢力を弱め始めていたが、依然として歌謡曲の力は絶対的なものではなく、大健闘しているのは裕ちゃんのみ。その裕ちゃんでさえ「銀座の恋の物語」以外は、ロカビリーの流れから台頭したポップスに押され気味の時代。
決定的打開策もないまま、少し前の時代の名曲を石原裕次郎で復活させてみようと企画された。同じテイチク・レコードの先輩歌手ディック・ミネの承諾を取り付け、「旅姿三人男」「上海ブルース」(S37.1)、「夜霧のブルース」「雨の酒場で」(S37.7)などをレコーディング。なかでも「夜霧のブルース」は、石原裕次郎の雰囲気と馴染みヒットしたため、日活は翌S38年、同名の映画を製作した。――――「石原裕次郎 過ぎ去りし日々」中島賢治(角川文庫)p86-88

投稿: 考古学者  | 2009年8月23日 (日) 16時40分

「夜霧のブルース」の歌詞は1930年代上海の不穏な空気の中で、たくさんのロマンが花開き、うたかたのように散っていったエピソードを彷彿させます。最高にのめりこんだ唄の一つです。私も水島道太郎の映画『地獄の顔』のビデオまで買ってみましたが、この唄はバックにちょっと流れてくるだけで、ストーリーも罪悪感に悩む青年の話で、少々がっかりしたことを覚えています。唄も大した役は果たしてない。だのに、唄そのものは、他の3つと共に、ものすごくいいわけです。唄が可哀想だと思った作品でした。
 私はもちろん元四馬路やホンキュを憑かれたように歩き回り、ゾルゲ事件の内山書店の辺りから、「花のホール」に該当する古風なダンスホールへと足を延ばしましたが、みなさんご存知のように、上海は昔の上海から変わりに変わった。もちろん、当時、ロマンを作ったダンディな男たちもいないし、眼に涙を浮かべて別れを惜しむ中国女性もいないわけで、私の書斎には、そのイメージを彷彿させる当時の仁丹のポスターを貼っています。この時代にタイムスリップしたい人たち何人かと上海へ行きたい!そんな思いでおります。

投稿: 濱野成秋 | 2009年10月 2日 (金) 11時16分

二木先生

丁度旧制専門学校の二年でした。通学の帰り横須賀の夜霧の長い坂を空腹を抱えながら、この歌を歌いながら帰宅したものです。空腹をおぼえる歌です。

投稿: 遠藤雅夫 | 2010年5月21日 (金) 10時00分

「地獄の顔」は小学六年生の頃信州の田舎の映画館でみました。水島道太郎が渋くファンになりました。また月丘夢路も好きになりました。
この曲は少年の耳にも強く焼き付き今でも口に出ます。
あれから六十数年早いものです。

投稿: そうびん | 2014年2月18日 (火) 15時20分

夜霧のブルースは学生時代の友人が特にこの歌が好きだと言っては口ずさんでいました。「四馬路」「ホンキュ」という言葉がいい、と言っていました。詩作が得意で若いころ新聞でよく見かけましたが、最近音信不通です。どうしているのだろうか。

投稿: 今でも青春 | 2014年9月18日 (木) 10時48分

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