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肩たたき

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:中山晋平

1 母さん お肩をたたきましょう
  タントン タントン タントントン
  母さん しらががありますね
  タントン タントン タントントン

2 お縁側(えんがわ)には日がいっぱい
  タントン タントン タントントン
  真赤なけしが笑ってる
  タントン タントン タントントン

  母さん そんなにいい気持ち
  タントン タントン タントントン

《蛇足》 詞は大正12年(1923)5月、子ども雑誌『幼年の友』に掲載され、曲は同じころ、中山晋平の曲集『童謡小曲第五集』に発表されました。

「縁側の世界」は、もう消滅するのでしょうか。田舎に行っても、縁側はごく古い農家でしか見られなくなりました。
 縁側という構造物と、そこで日常的に展開されていたさまざまな光景が過去のものになるにつれて、その光景の核にあった家族や隣人同士の関わり合いが、どんどん希薄化してきたような気がします。

(二木紘三)

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コメント

私は男3人の兄弟ですが、全員田舎を捨てました。働く場所
が無かったから。田舎には縁側が今でもあります。
関わり合いの希薄化どうすれば良いのでしょうか。携帯電話
の世界に行ってしまえば、後戻りが出来ませんですね。

投稿: M.U | 2008年8月27日 (水) 18時57分

昔 といっても大学生のころ 汽車を捨てて歩いた木曾の街道は、素足で歩いても平気でした。道沿いの家には真っ白な障子を背にして縁側が道に向いて張り出してある。老婆が孫と座布団に腰をおろして春の陽をたのしんでいる とても信じてもらえない景色です。 この歌の出来たのが私の生まれる1年 以前です。  きめの細かな砂が道の面てをやさしくかばっていました。 だから藤村の木曾の岨道というのは静かな親切な街道でした。戦争が終わって間もなく、様子がかわりました。    私も安曇野の産です そこの田舎道はこれ程ではありません でもM.Uさんの懐かしんでいられる縁はどこにでも見つかった。やっぱり日向ぼっこの場所でした。             この童謡は素直に私たちの心とつながっていました。 率直に言います 
 大切なものを捨ててしまって時勢が遷っていくのが早速すぎます。心残りで、これからが危ぶまれます

投稿: 久保田甲司 | 2010年6月 1日 (火) 20時30分

今では「肩たたき」と言う言葉も違う意味で使われていますが、信州人としては子供の頃たびたび聞かされた姨捨山伝説を思い浮かべます。この伝説は親孝行をしろと言う(親の知恵が自国を救った)民話ですよね。

投稿: 海道 | 2012年10月29日 (月) 13時38分

 郵便配達のおじさんや近所のお百姓さんに縁側でお茶を出す。なんとものどかな、いい風景ですね。とくに田んぼの泥のついた足、そのままで腰掛けられる縁側は便利です。
 玄関の立ち話では味気ないが、家の中に入ってもらうのもはばかられる。縁側はある意味、他人が家の中へ入るのを上手に拒否している面もあるようで、生活の智慧を感じます。

 関連した話です。外国人と比べて 日本人は 他人を自分の家にあげるのを嫌がるところがあるのではないでしょうか。

証拠1 昔、職場の友人を三人ほど家に呼んでいいかと女房に聞いたら「なんで?!!居酒屋があるでしょ」とすごい勢いで拒否されました。後で友人たちに聞いたら彼らの奥さん皆、同意見でした。居酒屋がはやるわけです。外国は家でのパーティが多いそうです。

証拠2 外国人留学生が言います。「日本人はいくら親しくなっても家に呼んでもらったことはない。なんでだろう。」

証拠3 住所変更すると はがきで新しい住所を知らせて、終わりに「近くに来られた時にはぜひお立ち寄り下さい」と書きますが、受取った一人が アポなしで来たそうです。「ほんとに来ちゃったんだよね。びっくりした」と知人が言ってました。来た人は在日の外国人でした。外国人からすれば「ぜひお立ち寄りください」云々は詐欺的言辞ですね。

 「家がせまいから」とか「ちらかってるから」とか言い訳は様々ですが、日本人は他人を家によぶのが苦手のように思います。最近人間関係が希薄になったとよく聞きますが、家族親戚は別として、他人との関係は あいさつていどで、もともと希薄だったような気もします。縁側はその「希薄な社交場」ではなかったのか。(ここが越村、渾身の新説です!)
 ボランティアも最近になってようやく根づきつつあるといわれますが、逆に日本の長期にわたる「自他の関係の希薄さ」を裏づけているようにも思います。

投稿: 越村 南 | 2012年10月31日 (水) 13時04分

越村 様
 縁側=「希薄な社交場」説は、新しい発見で面白い見方ですね。ただわたしは、あなた様の言われる「縁側」を他人を上手に拒否している「希薄な社交場」とは思っていません。むしろ積極的に他人と関係を持とうとする中間領域(居住空間)のように思うのですが、これについては詳述を避けます。

 関連して述べられた、「日本人は、他人を自分の家にあげるのを嫌がる」というコメントの方に興味をもちました。確かに、戦後はとくにこの傾向が都市といわず、農村にもみられるように思います。これについての社会学的研究はなされているのでしょうが、不勉強のわたしは全く知りません。
 わたしの家内も、他人を家に呼ぶことを嫌がります。理由を聞いてみると、①家の中を見られるのが嫌だ ②接待をするのが嫌だ ③外(街中のこと)に接待する場がたくさんある と。他にも、まだいくつか理由を言いましたが、この中には個人的なことが含まれていますので割愛します。言われてみると、理路整然として、一見反論の余地がないようにも思われますが、「外国では、家に呼ぶのが最高の接待だよ」と言うと、「日本には日本の作法があります。郷に入れば、郷に従ってもいいのでは」と嘯きます。もっとも他人様を自宅に招かないのが、いつから本邦の作法になったのか、わたしは寡聞にして知りませんが。
 亡父は知人・同僚を家に呼ぶのが好きで、夜中でも友人などを連れて来たものですが、時代が変わったということでしょうか。もっとも、当時もおふくろは、よくこぼしてはいましたが。
 越村様はベトナムにお住まいか、過去に住まわれたことがあるように伺いましたが、ベトナムでも最高のおもてなしは、客人を自宅に招くことでしょうか。

投稿: ひろし | 2012年11月 2日 (金) 12時11分

 ひろし様
 私のコメントをていねいにお読みいただき、ありがとうございます。縁側に関する考えは、新説、珍説、お遊びの類です。真面目にうけとられないように。(笑)
 四国に「お接待」というお遍路さんをもてなす風習があります。みかん、もち、うどんを縁側などでふるまいます。これなどは積極的な社交だとおもいます。

 ひろし様のお父さんの時代はよく自宅にお客を招いていたとか。私の父もお客を自宅によんでました。それがなぜ居酒屋接待に代わっていったのか?
 昔、私自身、上司の家に呼ばれたことがありますが、仏壇などが目に入り、浄土宗、法華宗、新興宗教などがわかりますね。トイレにいくと この家、きれい好きだなとかわかります。奥さんはいやでしょうね。 
 <自宅にお客をよべなくなった理由その1 プライバシーの権利意識がめばえてきたから。>
 そして もしお客を自宅に呼ぶとなれば 妻子の了解が要ります。妻子ともが「やめてよ。うっとうしいよ」と本気で拒否します。昔の父親は文句を言わせない威厳があった。(もしくは恐ろしかった)
 <自宅にお客をよべなくなった理由その2 父親の専制支配が通らなくなった。>
プライバシー意識のめばえとか妻子の主張の強まりとかそれもこれも経済的なゆとりがあればこその話でしょう。
 <自宅にお客をよべなくなった理由その3 高度経済成長を通してみんな豊かになったから。>
、妻も子どもも、勉強部屋をはじめ、快適な空間が与えられ、その快適さを守ろうとします。また外で飲めば高くつくが、金銭的な余裕もあり、それでもいいと思っているんでしょうね。

 ベトナムも、ハノイの町では会社員が上司の家によばれたという話はよく聞きます。私の住んでいる農村でも仕事(田植え、稲刈り、ため池の魚の捕獲、家の建築など)が一段落した時に、家族(核家族ではない兄弟縁者)とともに手伝ってくれた人を自宅に呼びます。自宅なら料理も酒も実費で安くあがるという考えです。女の人は大変ですが、兄弟縁者総出だから人数は足りている。仕事を手伝った人というのは お金を出して雇った人のことで同じ地区の人です。他人とはよそ者でありこの村には存在しません。私も今や他人ではありません。


投稿: 越村 南 | 2012年11月 2日 (金) 15時46分

越村 様
 本道から外れてのコメントで申し訳ありませんが、ここにアクセスした多くの方々も関心がおありだと思うので、もう少し「接待談義」をつづけます。
 あなた様の仰る通りで、さして異論を述べるつもりはありませんが、プライバシーや父権低下(裏を返せば、妻の権利伸長)の問題以外にも、いくつか考えられますね。
 たとえば、高度成長期頃から「共働き」家庭が多くなったり、こどもをさまざまな塾に行かせたり、と家庭生活が忙しくなって来たたこと。また、忙しいことが食生活にまで影響して外食が盛んになり、伝統的な家庭料理がだんだん廃れていったこと。客人を接待するのに、外食とほぼ同じものを提供することへのこだわり。それなら、「外で食べたらいいじゃない」(プロが作る方が美味しい)ってことになるのでは?
 また、招かれる方の変化もありますね。訪問する場合、手土産を用意します。かつては、手土産は大体決まりきった物が多かったでしょう?今はどうでしょう。訪問先の方に喜んでもらえる手土産を考えるだけでも、面倒になります。また、今は若い人に限らず、全般にKY(空気を読む)的傾向が強く、人間関係を壊すような話題や話し方はできるだけ避けますね(他者には、その分鈍感なことになるが)。気を遣い過ぎて疲れます。こんなに苦労するくらいなら、止めよう、ということになるのでは?
 まだ他にも、いろいろ理由はあるでしょうが、戦後から高度成長期にかけて、日本社会に劇的な変化がおこり、それが制度や文化、人様の価値観にまで影響を与えていることが分かります。長々の「接待談義」はこれにてお開きにします。お付き合いいただきありがとうございました。
 ベトナムのお話は、かつての日本でもありましたね。よき醇風が廃れて来たのは寂しいです。

投稿: ひろし | 2012年11月 3日 (土) 12時03分

 ひろし様
 「なぜ自宅接待は衰退していったのか」の原因は おっしゃる通り、たくさんあるとおもいます。本格的な社会学的考察をすれば1本の論文になるテーマかもしれませんね。貴重なまた楽しいご意見、感謝いたします。
 「肩たたき」のお題を「お年寄りへのおもいやり」というひろげたテーマにして、もうすこし余談を書きます。

 ベトナムにはお年寄りを敬う気風が厳然としてあります。私の村では、お正月には年とった親に子どもたちが話し合って、お金を出し合い、長寿の祝いもこめてお年玉をあげます。小さなこどもには教育上悪い(一度やったら来年ももらえるとあてにする、くせになるなどの理由)と言ってお金をあげません。(貧しいからそんな余裕がないという事情もありますが、、)
 また家族(兄弟縁者全員集合です)で食事をする時には、最年長者が食べ物に箸をつけるのを見届けてから、皆が食べ始めます。(私は知らずにフライングして叱られたことがあります)

 込み合ったバスの中では、立っている老人を見ると 若い人がすすんで立ちます。またヘッドホンを聞いて、立っている老人に気づかない学生に対して「オイ、席をゆずってやれよ。なにぼんやりしてるんだよ」とそばの若者が促すのを見たことがあります。

 しかし私が見て、一番うれしいのは 老人が あまり面白くもない話をダラダラとするのを 若い人たちがいやな顔もせず、きちんと最後まで聞いているところですね。そこに老人への敬意を最も感じます。
 
 田舎は核家族じゃないので、お年寄りは死ぬその日まで、若い人や子どもや赤ちゃんに囲まれて生きています。それがお年寄りにとっては一番の喜びではないでしょうか。
 (ベトナムでは養老院入所や老人の長期病院入院などは一部の裕福な人だけが可能です。この村ではほとんど皆、自宅で亡くなります。)


投稿: 越村 南 | 2012年11月 3日 (土) 16時05分

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