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京都慕情

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:林 春生、
作曲:D.Wilson, M.Taylor, G.McGee & J.Durrill、
唄:渚ゆう子

1 あの人の姿懐かしい
  黄昏の河原町
  恋は 恋は弱い女を
  どうして泣かせるの
  苦しめないで ああ責めないで
  別れのつらさ知りながら
  あの人の言葉想い出す
  夕焼の高瀬川

2 遠い日の愛の残り火が
  燃えてる嵐山
  すべて すべてあなたのことが
  どうして消せないの
  苦しめないで ああ責めないで
  別れのつらさ知りながら
  遠い日は二度と帰らない
  夕やみの東山

  苦しめないで ああ責めないで
  別れのつらさ知りながら
  遠い日は二度と帰らない
  夕やみの桂川

《蛇足》 昭和45年(1970)のヒット曲。原題は“Reflections in a Palace Lake”で、エレキバンド「ベンチャーズ」の曲。

 京都の地名は、それ自体が「詩の言葉」であり、いくつかの言葉のなかに適当に散りばめただけでも、「詩」が感じられるという不思議な魅力をたたえています。その点、パリと似ていますね。

(二木紘三)

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コメント

ネットで二木先生のHPを発見してからは、これの虜になっています。この歌は小生30代半ばのもの。当時よく京都を訪れていた淡い想い出が今でも懐かしく胸を締めつけきす。素晴らしいHPをありがとうございました。今後もこのページが充実することを心から願い期待しております。と同時に先生が益々ご健勝でご活躍されることを心から祈っております。

投稿: 松井 啓 | 2008年11月12日 (水) 10時09分

ベンチャーズのこの曲も7年前の初出から訪問客がたった一人ということで、あまりにも淋しいので線香の1本ではなく駄文を投稿したような次第です。
二木先生の《蛇足》「京都の地名はそれ自体が詩の言葉であり、いくつかの言葉のなかに適当に散りばめただけでも詩が感じられるという不思議な魅力をたたえています」とあった通り、『京都慕情』は舞台が京都かつ軽快な曲調という点で、以外にも青江三奈『木屋町の女』(花礼二作曲)と雰囲気が似ているのではないかと独断と偏見で思う今日この頃です。

投稿: 焼酎百代 | 2014年10月13日 (月) 18時29分

確かにコメントが少なく、少し寂しい気がします。京都は学生時代に行きその後何度か訪れています。紅葉の古都は言いようがありません。京都は地名にも俳句の季語に相当するいろいろなイメージがあるようです。
 三千院に去年行き長年の願いが叶いました。まだ行っていない名所も多く、時期をみて京都行きを実行に移したいと思っています。

投稿: 今でも青春 | 2014年10月13日 (月) 18時51分

 1960年代から1970年代には若者を中心に京都ブームがありました。(ポピュラーカルチャーにおける模倣と流用 http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/0012.pdf)
『京都慕情』も『京都の恋』も1970年のヒットです。この時期は他にチェリッシュ『なのにあなたは京都へ行くの』(1971)、『古いお寺にただひとり』(1972)など、京都をテーマにした曲がヒットしています。
 今や京都は世界で最も人気のある観光地で、国内外から旅行客が押し寄せます。私は京都の大学を出たこともあって、関西方面へ出張の際は成るべく京都で1日を過ごすようにして友人と旧交を温めています。今年の5月には仁和寺の御室桜を鑑賞し、仏教に帰依したというオランダ人と話したりしました。ところが来年(2016年)の4月の上旬に京都へ行く予定でホテルを探しましたが、手頃の価格のホテルを予約することが出来ませんでした。今後手軽に京都旅行が出来なくなるのではと、危惧しています。

投稿: Yoshi | 2015年10月22日 (木) 13時26分

Yoshi様
大阪のホテルを利用するのも一考と思われます。
交通網が充実しており行く先によって、大阪らJR,京阪、阪急、近鉄乗り
継ぎと選択肢も多様ですです。(おせっかいでしょうが)私は自称古都憧憬病です。
その折々の目的によって、京都、奈良、滋賀、神戸、大阪と巡るのを生きがいとしております。今春の京都、大阪の観光施設では居ながらにして海外旅行との錯覚したほどでした。行き交う人の言葉が悉く日本語ではなく驚きました。(清水参道、大阪城などなど)

投稿: りんご | 2015年10月23日 (金) 08時08分

軽快なリズムとメロディで50年近く経っても新鮮ですね。先日京都国立博物館で琳派展をみてから車折神社にある京都嵯峨芸術大学でさる宮様ご出席の日本美術シンポジュウムなるものを聴講しました。京都にはいろいろな種類の美術修復師の方がいて伝統を維持しているのですね。三条から50分、230円の路線バスで京都を横断しましたが東の繁華に比べ西大路を過ぎると狭い曲がった道が多く、右京の衰退を実感しました。地名では「女ひとり」が勉強になりますが、この曲の2番「東山」は違和感がありますね。繰り返しで「桂川」とフォローしてますが。

投稿: しょうちゃん | 2015年10月26日 (月) 22時47分

40数年前大学生として京都で4年過ごした。京都の町は県外からの下宿生であふれ銭湯に行けば長髪の学生達で芋の子を洗うようだった。風呂上がりの近くの安い食堂も貧乏学生たちであふれていた。昨今は地元の学生が増えて下宿屋や食堂が減ったと聞く。就職してからもちょくちょく仕事で訪れたが京都を偲ぶ余裕はなかった。定年した今それこそ青春時代を過ごした京都慕情を感じるはずなのだが実はあまり記憶が定かではない。勉強と部活で忙しかったとはいえあんなにいっぱいある京都の名所旧跡をなぜもっと見ておかなかったのかと後悔している。

投稿: SK2 | 2015年12月30日 (水) 17時41分

SK2様
 学生時代には訪ねて来た友人を連れてそれなりに観光地を廻りましたが、私の記憶の中に色濃く残っているのは寧ろ読書と夕涼みの場所にさせていただいた当時の下宿の近所の寺(真如堂と法然院)の境内です。
 私は京都には年齢相応の楽しみ方があると思います。私のアメリカの友人は半年京都に滞在して寺社を巡りたいと話していましたが、私もまだまだ京都への憧れは尽きません。

投稿: Yoshi | 2016年1月 1日 (金) 19時44分

いつ聴いてもいい歌ですね。
年末の10日余りを京都で過ごしました。
何時の頃よりか高速バスが八条口に差し掛かると「ああ、京都へ帰って来た」とばかりに懐かしさが込み上げるようになりました。今回は美術館、博物館めぐりを主な目的とし、奈良、神戸、大阪と足を延ばしました。
知恩院では27日午後2時からの除夜の鐘の試し撞きを見ました。河村能舞台での観能(演目は俊寛、熊坂、狂言の栗焼き)でした。
未だ少年の面影を宿した能楽師の凛とした佇まいにも胸を打たれました。(謡曲を独詠)
外人も複数おりました。その為演目の解説は日本語の後に英語でもあり感銘致しました。
赤レンガの歴史的建造物が群立する同志社大学キャンパスも見応え充分でした。
もういいかなと思いつつも、ふっと又京都が恋しくなるりんごです。文字通りの京都慕情です。

投稿: りんご | 2016年1月 5日 (火) 18時02分

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