« 再会 | トップページ | 寒い朝 »

さざんかの宿

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:吉岡 治、作曲:市川昭介、唄:大川栄策

1 くもりガラスを手で拭いて
  あなた明日(あした)が見えますか
  愛しても 愛しても
  ああ 他人(ひと)の妻
  赤く咲いても冬の花
  咲いてさびしい さざんかの宿

2 ぬいた指輪の罪のあと
  かんでください 思いきり
  燃えたって 燃えたって
  ああ 他人の妻
  運命(さだめ)かなしい冬の花
  明日(あす)はいらない さざんかの宿

3 せめて朝まで腕の中
  夢を見させてくれますか
  つくしても つくしても
  ああ 他人の妻
  ふたり咲いても冬の花
  春はいつくる さざんかの宿

《蛇足》 昭和57年(1982)のヒット曲。

 昭和39年(1964)にヒットした『おんなの宿』(唄:大下八郎)と同じく不倫の歌で、シチュエーションも似ています。『おんなの宿』が女性の立場から歌っているのに対し、これは男性の立場から歌っているという違いはありますが。

 『おんなの宿』が伊豆の温泉を舞台にしているせいか、この「さざんかの宿」も伊豆のどこかという気がします。しかし、別の温泉地を思い浮かべる人もいるでしょうね(^_-)。
 不倫という言葉も、すっかりインパクトがなくなりました。

 作曲の市川昭介は平成18年(2006)9月26日死去。73歳ではちょっと早かったなァ。
 おもな作品に『アンコ椿は恋の花』『好きになった人』『涙の連絡船』『ふたりの大阪』『大阪しぐれ』など都はるみの歌のほか、舟木一夫の『絶唱』、五木ひろしの『細雪』などがあります。

(二木紘三)

|

« 再会 | トップページ | 寒い朝 »

コメント

不倫ソングでは「つま・妻」という字は男も女もどちらから見ても当てはまるような気がします。「かの人」であり「かの君」も同じじゃないかと感ずるんですが・・。作詞者もどちらから見ても当てはまるように書いておられると思います。さざんかの宿では特にその気がします。二木先生如何でしょうか。

投稿: 昔の女 | 2008年8月17日 (日) 21時18分

昔の女 さま
たしかに、不倫ソングも含めて、恋の歌・失恋の歌には、頭の中でちょっとした言葉の置き換えを行うだけで、男性・女性のいずれにも当てはまるものがいくつもありますね。
「影を慕いて」「酒は涙か溜息か」などは、そのままで女性の歌として歌えます。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年8月18日 (月) 00時06分

この歌は二木先生の仰言るように男の立場から歌っているとばかり思っていました。
でも、昔の女さんのコメントを読んで、女の立場から歌っているのかもしれないと思えてきました。
「他人の妻」という言葉が鍵だと思います。
つまり、『どんなに愛しても、燃えても、尽しても、しょせん私は世間で言うところの「他人の妻」でしかない』
そう考えるとこの歌には、主体としての男は出てこないような気もします。

投稿: 周坊 | 2008年8月18日 (月) 17時08分

私は、これまでこの歌の主体は女性だとばかり思っていました。歌詞全体の語調からして、また、特に3番の「せめて(明日の)朝までは、(あなたの)腕の中で夢を見させてほしい」という言い方からして、一般には男のセリフとは考えにくかったものですから。
しかし、いろいろお説を拝見しているうちに、少々自信がなくなってきました。

投稿: くまさん | 2008年8月18日 (月) 23時02分

私が「男の側から歌った歌」と書いたのは、各聯最初の2行は女の言葉で、そのあとに(と彼女が言った)というフレーズが隠されており、以後の各4行は男の言葉だと感じたからです。そう考えると、全体としては、男の側からの歌詞だということになります。
 しかし、あらためて詞を読んでみると、どうも自信がなくなってきました。結局、昔の女さんがおっしゃるように、男性側・女性側どっちともとれるように書かれたのでは……というのが正解かもしれません。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年8月19日 (火) 01時03分

こんにちは、昔の女さん「よい話題提供」ありがとうございました。私も、これを機会に歌詞を何度も読み返して、どこが「男の心情」を表す部分かを探ってみました。
 管理人さんの仰られるように「各聯最初の2行は女の言葉で、」は、女性の気持ちを表している言葉以外には読み取れないと思います。
 三行目の、愛しても、燃えたって、つくしてもの繰り返しは、女が不倫相手の男に対してのその場限りの情交を弁明しているようにも感じられます。「他人(ひと)」というのは、夫のことを指すわけで、駆け落ちしてまで一緒になりたいほどの「男」ではないという諦めもあるのかもしれません。
 【山茶花の宿】の場所も、北陸の辺鄙な温泉地では?

投稿: 巴茶寮 | 2008年8月19日 (火) 12時13分

さざんかの宿は、私のたった1回の体験として、男のほうから見る相手「女」の立場からのものでした。場所も北陸の宿でした。切ない彼女のことが忘れられません。
                      昔の男

投稿: S6年生まれ | 2008年8月28日 (木) 21時16分

 私も女の側からの詞と思っていましたが,皆様のご意見を伺うとぐらついてきました。
 ところで多少私事(?)にわたりますが,管理人さんには多分おめにかかったことはないと思いますが,2007年夏にS氏の会社の軽井沢の別荘に伺った折,「来週は二木さんたちが見える」とS氏が言われましたので,ごくわずかご縁があります。

投稿: みなかみ | 2009年11月22日 (日) 21時34分

不倫ソングと一緒にして申し訳ありませんが、あの「あざみの歌」もあざみの花が女性を表す言葉なら別ですが、男性を歌ったのだと思えてもきます。どちらからも
歌えるのが、名曲?(理想の女性像を重ねた作詞だとは
先生の解説で存じています。)

投稿: 海道 | 2009年11月24日 (火) 16時41分

私には女性が自分の哀れな立場を強調する為に「他人の妻」と言っているのではないかと思われます。
それにしても気持ちが悪い歌です。恥知らずな品性のない歌ですねぇ。昔は他人の妻になってしまった人には「ああ 相見ても 晴れて語れぬこの思い せめて届けよ流し歌」どまりでした。愛の深さは相手を傷つけない事です。女性としてこの歌は聴くに堪えられません。

投稿: ハコベの花 | 2009年11月24日 (火) 21時23分

いろいろなご意見が出ましたがやはり結論は女の立場からの歌でしょう。二番、三番は男の言葉ではないし、過去男の立場から歌った不倫の歌はあまりなかったのでは?男が不倫で悩む事は女より少ないだろうし、例えあったとしても、歌になるようなドラマ性はないのでは?
全てに出てくる「他人の妻」はやはり皆さんがおっしゃるように自分は人妻だからという意味ではないでしょうか。

投稿: 名無しの演歌好き | 2010年1月 4日 (月) 00時18分

 大川栄策最大のヒット曲ですよね。やっぱり演歌史上名曲のひとつだと思います。今でもカラオケでこの曲がかかると、みんな嬉しそうな顔をします。
 内容が不倫だからよくないという方も居られるようですが、男も女も本音ではそんな恋に憧れを持つ人が多いんじゃないでしょうか。中里恒子の「時雨の記」にしても、アメリカ映画「マディソン郡の橋」にしても、言ってしまえば不倫ですが、胸が締め付けられるような純粋な愛がわれわれの胸を打つ大人のメルヘンですね。してはいけないとわかっていても、好きになったらどうしようもないのが「こころ」。だからこそ古今、流行歌の主流のひとつになっているのだと思います。

投稿: いっちゃん | 2010年11月19日 (金) 00時16分

男女の会話(心の中の)ではないでしょうか?最初の二行が女性であとは男性、もしくは男女。そのように解すると奥が深いように思いますが、いかがでしょう?
逃避行、寒い季節に二人が電車に乗った。男が所在なげに曇ガラスを手で拭っている。女はそれを見て、「二人の行く末に明日なんてみえないでしょう」と。一夜の逢瀬で十分ではないですか、と。別の見方をすれば、男に覚悟を促している、そのようにボクはには思えます。良く出来た詩だな、と。

投稿: 第三の男 | 2012年3月21日 (水) 16時10分

歌謡曲の世界にはこの歌のように、これでもかといった不倫ソングとサーカスのMr.サマータイムのような曲がありますが私の好みは後者です。後5年したら前者になるのでしょうね。

投稿: 海道 | 2012年3月22日 (木) 14時50分

「ひとのつま」とは、他人の夫という意味で、
夫を「つま」と読むのです。最初の頃、カラオケでも
「夫」の文字に「つま」と、かなを振っていたものですが、いつの間にか、「妻」一色になってしまいました。思うに妻と読むことを知らぬ人たちが大勢いらして、吉岡さんの間違いだとして、勝手に直してしまったのではないでしょうか。私は、カラオケで、「妻」の文字が出るたびに、どうして作詩者は黙っているのだろうと心穏やかではありません。そろそろ会社は、原詩に当って訂正していただけないものでしょうか。

投稿: 近藤承神子 | 2012年8月10日 (金) 17時42分

なるほど。そう言われてみると、主語は一番から三番まで「女性」のようなので、「妻」は「夫(つま)」の方が、しっくりきますね。

投稿: MAEDA | 2012年8月12日 (日) 23時47分

前文投稿の後、遡って読んでみると、この歌が男性の側からのものか、女性側かについて、たくさんご意見が寄せられているんですね。しかし全て「ひとの妻」の一文をそのまま前提として語られているので、「妻」が「夫(つま)」であれば、おのずと結果は明らかです。
 ただ近藤さんのご指摘が正しいとして、作詞家が訂正を求めていないのは、どちらでもよいと言う考えかもしれませんね。
 いずれにしても、近藤さんのご意見は大いに興味をひかれました。

投稿: MAEDA | 2012年8月18日 (土) 00時26分

他人の妻は夫ではないと私は思います。大体夫をつまと読むことは半数ぐらいの人は知っていると思いますし、不倫で逢瀬を楽しむ時に指輪を抜くのは女性でしょう。男性は女性に尽くしても、つくしてもなんて言わないと思います。(経験はありませんが・)良く考えて読まれれば他人の妻は女性自身を言っているのがわかると思います。

投稿: ハコベの花 | 2012年8月18日 (土) 00時56分

貴方は他人の夫であり、私は他人の妻だとしても詞はどちらでも通じますね。しかし世の中には男が独身説もありますね。

投稿: 海道 | 2012年8月18日 (土) 07時48分

>「ひとのつま」とは、他人の夫という意味で,
>>「夫」の文字に「つま」と、かなを振っていた...
昭和42年上梓・長澤規短也(ナガサワ・キクヤ)編の三省堂・新漢和中辞典によると、「夫」を「つま」と読む記述はありません。作詞者・吉岡が彼のイメージに従いt勝手に振ったかなでは...。一般に無い仮名振りをしたいがために、わざわざ漢字「夫」を持ちいた、とうがった解釈をしてみます。

仮名振りに無限の(私にはとても読めない)自由があるように見えますね。特に人名に至ってはナンデモ許される印象を受けます。希臘(ギリシャ)や露西亜(ロシア)文字をラテン文字(≒ローマ字)にする場合に、やはり一種の裁量巾のある翻訳があるとロシア語専門家から聞きました。

管理人さん始め皆さんの推敲・探索議論に、この歌詞の場合、より人生の実相を感じます。詩的真実と言う受容者(聞き手)の積極面を採るなら、作詞者の勝手はそっと置き去りにして良いのではないでしょうか。

投稿: TangoMinato | 2012年8月19日 (日) 10時06分

近藤さんの言うように、最初の頃のカラオケでは、夫と書いてつまとルビが振ってあったのなら、この歌は1番から3番まで女性の気持ちを詠んだものとしてすっきり理解できます。ということは、この女性の恋人の男性には妻がいるということですね。おそらく女性はひとり者なのでしょう。いつからか夫を妻と書くようになったのでいろんな誤解が生じるようになったのでしょう。

投稿: 山下 | 2012年8月19日 (日) 22時00分

ハコベの花さんに一言
おっしゃるとおり、「ひとの妻」であれば、女性が自分のことを言ってることになります。しかし「ひとの夫(つま)」だと こんなに愛しているのに、あなたには奥さんがいらしゃるのね となるでしょう。
 どっちが、しっくりくるかは受け手次第でしょうが、私は「夫」説をとります。上記歌詞では、「他人の妻」と、「他人」という漢字を使っているところが味噌で、自分のことを人妻という場合、「ひと」に「他人」という漢字を当てるのは不自然におもえるからです。しかしこれも受け取り方しだい、となりましょうか。

投稿: MAEDA | 2012年8月19日 (日) 23時32分

MAEDA様 そうですね、私は男性を誤解しているのかも知れません。不倫をした人を何人か見てきましたが、不実な男性が多く、女性につくした男性を見たことがないのです。ですからもし尽くしたのが男性なら嘘だと思ってしまったのです。どっちにしてもこの歌は気持ちが悪くて嫌いな歌なので、ここに関わったのを後悔していたのです。余分な事を言って失礼しました。残り少ない人生をピュアに生きていきたいとつくづく思いました。

投稿: ハコベの花 | 2012年8月20日 (月) 00時27分

さざんかの宿は昭和57年のヒットなんですね。戦前から戦後長くまで支那文学・泰斗による`長澤漢和`に決してない振り仮名をつける度胸に寒心する。どうやら巷に流布していた解釈だからではないでしょうかね。如何でしょう、皆さん? 同時に古色を帯びた語彙`おとこおんな`のどっちつかずの二重カラクリを隠している、と勘ぐったりも出来る。

作詞者の勝手(夫のつま振り仮名)には意図があった。それは:
>結局、昔の女さんがおっしゃるように、男性側・女性側どっちともとれるように書かれたのでは……というのが正解かもしれません。(二木紘三)
>>どっちが、しっくりくるかは受け手次第でしょう… しかしこれも受け取り方しだい、となりましょうか。(前投稿のMAEDAさん) 

人類生まれて以来、常に存在しつつ、公に語られぬ世界が21世紀に日常化してきた。前世紀の歌舞伎・宝塚世界は言うまでもなく、女装歌手が女の立場で歌う現象など。
ややこしくて行けませんが、ぱらぱらと花びらを落とす妖しくも美しいサザンカの咲く宿ならば、男と女の間を行ったり来たりする先駆的歌詞の一つかも知れないと言う気がしてきたんです。

投稿: TangoMinato | 2012年8月20日 (月) 01時40分

TangoMinatoさん 
この歌のような経験はありませんし、歌詞も嫌です。
ですから何も言う資格は私にはなく僭越ですが、「夫(つま)」のことで一言。

万葉集には言うまでもないことですが・・・辞書を引くなら古語辞典か広辞苑のような辞書をどうぞ。載っていますよ。

歌詞だけを見ると全部女性の心情のように私には思われますので、近藤さんが書いていらっしゃるように「夫(つま)」ならば納得できます。(あなたは)人の夫(つま)という意味で。

投稿: 眠り草 | 2012年8月20日 (月) 08時49分

 再びハコベの花さんへ
この歌が嫌い、もしくは毛嫌いされているのは分かります。(これまでの発言から察して)。私は、歌の好悪に関係なく、おもしろい指摘がなされたので、発言しました。男女の関わりに背をむけて、一人老い来たりし者のささやかな気晴らしです。
 「ここに関わったのを後悔している」なんて言わないで下さい。硬派のコメントで際立っているハコベの花さんと、僅かながらもやりとりできたことを、光栄に思っておりますので。(すみません、ちょっとスリました。)

投稿: MAEDA | 2012年8月21日 (火) 22時28分

言い訳をさせていただきますが・・・。私のパソコンは最新のコメントが表示されないことがあり、TangoMinatoさんの一回目のコメントを読んでそれに対して投稿しました。カラオケには縁のない身なので、近藤さんの発言を裏付ける何かを持たず、原詞の漢字が「妻」か「夫」かを確かめることも私にはできません。そこが大切ですのに、言葉への関心に勝てなくて、つい軽率な発言をしてしまいます。嫌いな歌のところで・・・私も自己嫌悪に苦しんでいます。

投稿: 眠り草 | 2012年8月22日 (水) 00時34分

MAEDA様「ここに関わったというのは、さざん花の宿にかかわったと言うことで、このサイトにという意味ではありません。ここでお知り合いになれた皆様と別れるなんて絶対にしたくありません。こんなに素晴らしい人たちとこうしてお話ができる事は喜び以外の何物でもありません。これからもどうぞ仲良くしてください。
特に眠り草さんは数少ない女性同士で何かとても親しみを感じています。長生きしてずっとお付き合いくださいますようお願いいたします。

投稿: ハコベの花 | 2012年8月22日 (水) 12時45分

しつこく「三たび」。
もとより「ここに」を「このサイトに」と誤解して申し上げたわけではありません。
しかし、私がそのように誤解していると受け取られたのは、「再び....」の文章が紛らわしい表現だったからなんでしょうね。以後、気をつけます。

投稿: MAEDA | 2012年8月22日 (水) 22時27分

この歌の持つ性格について皆さんのご意見、とても面白く読ませて頂きました。
正しい歌詞が「他人の妻か(夫)」かはさておいて、私は当初から女性の気持ちを歌ったものだということには疑いを持ちませんでした。しかし管理人さんはじめ皆様のご意見を拝見してそういう見方もあるなぁとも思います。
あえて再度、この問題にコメントしますが、この歌詞1、2、3番とも最初の二行は女性の言葉(気持)として書かれています。しかし後に続く行は少し引いて、女性自身が二人の関係を外から眺めたかたちで書かれていると思うのですが・・。
しかもその後の歌詞は「愛しても 愛しても・・」「燃えたって 燃えたって・・」「つくしても つくしても・・」と女性的表現で?続きますので、従い歌詞が「他人の妻」でも、万葉の使い方の「他人の夫」であっても、女性が自身の身の上を「他人の妻」と表現し、あるいは相手の男性を所詮「他人の夫(つま)」だから・・と表現しても、結局女性がやるせない気持を歌っているのではと解釈しますがいかがでしょうか?

投稿: うずらのたまご | 2012年8月22日 (水) 23時30分

吉岡治の原詞が「他人の夫」として昭和57年にリリースされていたのであれば、その時の歌詞カードで確認できる訳ですよね。「夫」に(つま)というルビを振ってたという期間が、はたしてどのくらいだったのか。 しかしリリースから30年近くもカラオケの歌詞テロップでも、歌番組においての歌詞テロップでも「他人の妻」と表記されています。その間吉岡さんは異議を唱えて修正等できたと思うのです。それをしなかったのは、「妻」でよかったからでしょう。カラオケの「夫」表記がどうやら「勇み足」だったのかもしれません。
どんなにあなたの事を愛しても、つくしても、所詮わたしは夫の有る身、あなたの知らない他人の「妻」。赤く咲いてるさざんかの花みたいなもの。 で、この歌が男側から歌ったのか、それとも女側から歌ったものととるかは、夫々本人の自由と裁量にゆだねることにしてはどうでしょう。
吉岡治氏には失礼ですけど、「天座越え」、この「さざんかの宿」どちらも好きになれない作品ですね……。

投稿: かせい | 2012年8月23日 (木) 00時23分

私が蛇足にツマらぬことを書いたばかりに、ツマ論争が起きてしまいました。ツマるところ、私たちはどっちにもとれるように書いた作詞者の手ヅマ(手品)にはまったのだということでけりをつけませんか。まだ主張したいことがおありの方もいらっしゃるでしょうが、勝手ながら、管理人として、以後この件についてのコメントは削除しますので、悪しからずご了解願います。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2012年8月23日 (木) 00時40分

 先日NHKで古賀メロディの特集があり、大川栄策さんがとても緊張してこの歌を歌っておられるのを見て、間違わないようにという重いが見られました。私見ですが。
 確かに詞に忠実に歌わなければ論争の元になってしましますね。このサイトでよくわかりました。
 管理人さま適切な判断をされたと感服しています。

投稿: 今でも青春 | 2014年11月20日 (木) 11時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 再会 | トップページ | 寒い朝 »