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思い出のブルース

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:松村又一、作曲:服部良一、唄:淡谷のり子

1 誰が捨てたバラやら
  濡れた舗道に踏まれて
  更けゆく今宵の狭霧のつめたさ
  なんとなく好きなあの歌よ
  思い出のブルースよ
  忘られぬあの日よ

2 君と別れ とぼとぼ
  霧の舗道を歩めば
  見知らぬ他国の旅ゆく心よ
  なんとなく好きなあの歌よ
  思い出のブルースよ
  忘られぬあの日よ

3 なぜか今宵しきりに
  過ぎたあの日の旅路が
  心に浮かびて懐かしの思い出よ
  なんとなく好きなあの歌よ
  思い出のブルースよ
  忘られぬあの日よ

《蛇足》 昭和12年(1937)の『別れのブルース』に続いて、昭和13年(1938)には『雨のブルース』とこの『思い出のブルース』が発表されました。いずれも、作曲:服部良一、唄:淡谷のり子のコンビによるヒット曲です。

 淡谷のり子はこのあと、昭和14年(1939)に『東京ブルース』(服部良一作曲)、昭和23年(1948)に『嘆きのブルース』(大久保徳二郎作曲)と『君忘れじのブルース(長津義司作曲)など、次々とブルースをヒットさせ、「ブルースの女王」と讃えられました。

 ブルースは、アメリカ南部の黒人たちが歌っていた歌が始まりです。彼らは、奴隷解放ののちも続く抑圧のなかで、日常生活の辛さや、ときには楽しさを3行詩にして歌っていました。
 詩はたいてい、AABというパターンを踏んでいました。すなわち、A=あるフレーズ、A=同じフレーズの繰り返し、B=別のフレーズという構成で、それに各4小節、合計12小節のメロディがつけられていました。

 米西戦争(1898)のころから、アメリカ南部ではギターが普及し、黒人たちも、ブルースを歌う際、それを使うようになりました。その使い方は独特で、AAB各行の後半でギターが歌に割り込んで即興的な伴奏をつけるのが普通でした。
 この即興的な伴奏法からジャズが生まれたとされています。

 ブルースには、もう1つ重要な特徴があります。音階の第3音=ミ、第7音=シのほぼ半音下げた音を多用するということです。ときには第5音=ソも、同じような使われ方をしました。
 こうした音を使うと、曲に憂鬱そうなムードが出てくることから、これらの音は「ブルー
(憂鬱)な音符」、すなわちブルーノートと呼ばれるようになりました。ブルースの語源は、どうやら、このあたりにありそうです。

 工業化の進展に伴って、多くの黒人たちが南部の農業地帯から東部・北部・西部の工業都市へと移動し、それに伴ってブルースの基盤も大都市の黒人居住区へと重点が移りました。

 1930年代から、ギターのほか、ピアノやドラムスなどを使ってバンドの形で演奏されるようになり、ほぼ現在のブルースの形が固まりました。
 第二次大戦の頃から電気ギターが使われるようになると、リズム・アンド・ブルースという新しい分流が生じ、それがロックへとつながります。
 また、ダンス音楽として使われるようになったブルースからは、ブギー
(ブギウギ)が生まれました。

 なお、社交ダンスの世界にもブルースという曲形式がありますが、それはテンポの遅いフォックストロットのことで、本来のブルースとは関係がありません。

 日本歌謡界におけるブルースの草分けは服部良一です。彼が『別れのブルース』を書くに至ったいきさつを、ジャズ評論家の瀬川昌久は次のように書いています(『オリジナル原盤による日本のジャズ・ソング 戦前編』コロムビアレコード)

 服部が、日本物ブルースを書いた動機は、帝都ダンスホールで、中沢寿士のバンドが、彼がアレンジしたものをやっていたときに始まる。きいていると、『セントルイス・ブルース』をやると皆踊り出すが、日本の曲をやると、踊りにくそうだ。ダンス・マニアに、あちらのブルースは魅力がある、と判ったので、日本でブルースを書いていけないわけはない、日本のブルースを書こう、と決心した。ブルースの感じを出すためには、当時の新宿では駄目なので、バンドメンが皆行く本牧(ほんもく)に行って書いたのが、昭和12年7月新譜の『別れのブルース』である。

(二木紘三)

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