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シーハイルの歌

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作詞:林柾次郎、作曲:鳥取春陽

1 岩木のおろしが 吹くなら吹けよ
  山から山へと われらは走る
  きのうは梵珠嶺(ぼんじゅね)
  今日また阿闍羅(あじゃら)
  けむり立てつつ おおシーハイル

2 ステップターンすりゃ たわむれかかる
  杉のこずえよ みれんの雪よ
  心は残れど エールにとどめ
  屈身滑降で おおシーハイル

3 夕日は赤々 シュプール染めて
  たどる雪道 果てさえ知れず
  町にはチラホラ 灯(ともし)がついた
  ラッセル急げよ おおシーハイル

《蛇足》 大正時代の大ヒット演歌『浮草の旅』のメロディに、第二次大戦後、林柾次郎が新しい歌詞をつけたもの。
 歌声喫茶やスキー宿などで、多くの若者たちに愛唱されました。

 林柾次郎は明治31年(1898)、青森県五所川原の生まれ。東奥日報の記者や役員として働き、歌人・俳人としても、多くの作品を遺しています。

 1番の岩木はいうまでもなく、津軽人の心の山、津軽富士の別称で知られる岩木山のこと。梵珠嶺(梵珠山)、阿闍羅(山)は、いずれも青森県内の山。岩木山・阿闍羅山にはスキー場があります。梵珠山にもありましたが、今はありません。

 シーハイルは「スキー万歳」といった意味のドイツ語で、スキーヤー同士がゲレンデや雪山で交わす挨拶。
 シュプールは同じくドイツ語で、足跡・痕跡という意味ですが、スキー用語としては滑ったあとのスキーの溝のこと。
 ラッセルは英語で、スキー・登山用語としては、雪が深い場所で道を開きながら進むこと。

(二木紘三)

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コメント

 こんばんは、またまた独りよがりのの文章をつづりたくなりました。申し訳ありません。
 山の歌は数多くあり、どれもきらいなものはありません。
  穂高よさらば 山の友よ 山に倒れし君 等など
 若きころを思い出させる、心騒がせる曲ばかりですね。

 この シーハイルの歌 は岩木山を中心に書かれた詩ということは理解しているのですが、僕にとっては、また医学部の同級の七八人の仲間にとってはこの歌は、野沢のゲレンデからきこえてくるのです。牛首 上の平 日影 などのゲレンデから---  一人プロはだしのがいて、頭から、板までヘッドでかため、我々初心者をしごきにしごいてくれました。上の平あたりの人気の少ない場所につれていかれ、もちろんリフトからは離れており5、 60メーター滑り降りれば、歩いてもどるの繰り返しでしごかれたのです。そのかわり上達も早かったですが--感謝感謝でしたね。
 5、6人でストックなしで手をつなぎ滑り降りたり
 春スキーは、上半身裸ですべり周辺を驚かせたり
 温泉は、必ず毎日いくつかの湯をめぐったり
 野沢の宿は、必ず 黒岩荘  
 同世代のかわいい娘さんが二人いて
 野沢菜だけで何杯もおかわりする奴もいて---
思い出すだけで、青春のおもいで 切なく胸苦しくなってきます。 最後の野沢は、国家試験直前。10日ほど前まで野沢にいたのかな?? 野沢からの帰路、車で長野の南部ぐらいで昼食をとりに軽食のできる喫茶店へ---ここで、赤軍派の粛清事件の遺体が発見されたという報道に出くわし、一同唖然、鳥肌がたったのを覚えています。我々も学生運動真っ只中ではあったのですが、我々の大学では、東大、京大とはちがってスト、ボイコットはなし、商都は実利主義だったのか、一時間だけ授業辞退という消極的な対応があったと記憶しています。それまでにも、セクト間の争いでの殺傷はありましたが、これほどの大量の死の粛清があろうとは、我々ノンポリラディカルには想像もつかないことでした。これから、浅間山荘事件へと続いていったのです。
  
 こういう記憶のなかから紆余曲折!!  現在に
この一つの曲が良きこと悪きこと、覚えておかねばならないこと、忘れたいことなど多くのことをよみがえらせるのです。

投稿: 赤ひげ | 2008年3月25日 (火) 00時03分

 青年の頃、皆で集まって、山の歌など良く唄った中で、この歌もその歌集の中にありました。
 きのうはボンジュネ今日またアジャラ、何の事か分からないまま歌詞を辿っていましたが、どうやら峰の名前の様ですね!ここで改めて歌詞を見て答えが出たような気がします。懐かしく青年の頃を思い出しました。

投稿: Hikoさん | 2008年7月31日 (木) 15時58分

すばらしいHPを作っていただき、ありがとうございます。毎週「ともしび」に通っている歌声ファンです。さて、シーハイルの中で、二番の「エールにとどめ」が分かりません。ヤフーの知恵袋にたずねましたが、回答がありませんでした。エールを送るやエールの交換は理解できますが、この場合のエールの意味を教えてください。

投稿: エターナリー | 2008年12月 8日 (月) 12時42分

エターナリー様
滑るのにちょうどよい雪の斜面があったが、ヤッホーとかなんとか呼び声を発するだけにして先に進んだ、という意味ではないでしょうか。エール(米語yell)は呼び声・叫び声・わめき声といった意味ですが、現代ではもっぱら「応援の叫び」という意味に使われているようです。

投稿: 管理人 | 2008年12月 8日 (月) 16時26分

『あぱよ、次回は、きっと滑ってやるからなー』ですか? 納得です。小生、趣味は山歩きで山頂から周辺の山を眺めるのが大好きです。惚れぼれする形の山を見つけた時は、『いつかきっと登るから待っててくれー』との想いを込めてその山に向かって『ヤッホー』と叫ぶことがあります。今後は、この気持ちを込めて歌います。ありがとうございました。さて、ついでと言ってはなんですが、「ペチカ」の二番 ♪雪のふる夜はたのしいペチカ ペチカ燃えろよ おもては寒い くりやくりやと 呼びますペチカ♪ の『くりや くりや』の意味をご存知でしたら教えてください。『栗や 栗や』と書き換えた歌詞を見かけますが、意味がよく分かりません。

投稿: エターナリー | 2008年12月 9日 (火) 00時07分

 今は亡き「林先生」も天国でこの曲を聞いておられることと思います。広島県立御調(みつぎ)高校は田舎の小さな高校、スキーとは縁の無い地域ですが、毎朝のホームルームでいつもこの曲を林先生の指導で歌いました。
 今年の同窓会で逝去を知りました。恩師の冥福を祈りつつ、懐かしく聞き入っています。
                   

投稿: 裏町ギター | 2009年3月 1日 (日) 19時44分

ある山行きの帰りの車中で聞いてすばらしいメロディーにいっぺんで夢中になりましたが、今まで昔の曲とは気がつきませんでした。大正演歌は私たちの胸の奥で絶えることなく湧き続ける感動の泉みたいですね。そのときの車中で覚えた文句1番3行は「昨日はボンジュール 今日またアデュー」で、私はしばらくそう歌っていました。だれが変えた文句なのか、「梵珠嶺・阿闍羅」は耳慣れないのでそう聴き取ってしまったのか、それとも初めは語呂合わせのだじゃれだったのか。山渓文庫「山のうたごえ」(土橋茂子編著・山と渓谷社昭和37年)にはそう印刷されていたのです。この本、楽譜の方は音楽家らしく歌いやすく変調され、多くは二部合唱に編曲されていてありがたいのですが、文字の方は、編集部の仕事でしょう、相当に無責任なものでした。作曲者名作詞者名翻訳者名は大半が入っていません。「シーハイルの歌」の場合も、「林正次郎 詞曲」という始末で、作曲の鳥取春陽はなく、しかも柾次郎が正次郎になっているのでした。

投稿: dorule | 2012年9月 8日 (土) 12時37分

懐かしい歌に出会いました。60年ほど前、南国の四国にも
小さなスキー場ができよく通ったものです。
その際、先輩から教わったのがこの「シーハイルの歌」でした。
   2番の歌詞の最後の部分は
    屈伸滑降ではなく、身体を屈めた「屈身滑降」と
    記憶しています。
道後温泉近くに住んでいる80歳の老人です。

投稿: 道後温泉の昔青年 | 2016年3月29日 (火) 21時35分

道後温泉の昔青年様
屈伸滑降――>屈身滑降。
訂正しました。ありがとうございました。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2016年3月29日 (火) 22時46分

屈身滑降
「梵珠嶺ぼんじゅね」を「ボンジュール」、「阿闍羅あじゃら』を「アデュー」と覚えていたと前に書きましたが、いま思い出すと、そのころは「屈身滑降」を「クリスチャニア」と歌っていましたね。そう間違えていた人はかなり多かったと思います。

投稿: dourly | 2016年7月22日 (金) 22時51分

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