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祇園小唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:長田幹彦、作曲:佐々紅華、唄:藤本二三吉

1 月はおぼろに東山
  霞む夜毎のかがり火に
  夢もいざよう紅桜
  しのぶ思いを振袖に
  祇園恋しや だらりの帯よ

2 夏は河原の夕涼み
  白い襟あし ぼんぼりに
  かくす涙の口紅も
  燃えて身を焼く大文字(だいもんじ)
  祇園恋しや だらりの帯よ

3 鴨の河原の水やせて
  咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声
  枯れた柳に秋風が
  泣くよ 今宵も夜もすがら
  祇園恋しや だらりの帯よ

4 雪はしとしとまる窓に
  つもる逢(お)うせの差し向かい
  灯影(ほかげ)つめたく 小夜(さよ)ふけて
  もやい枕に川千鳥
  祇園恋しや だらりの帯よ


《蛇足》 東京生まれの作家・長田幹彦(1887~1964)は、たびたび京都を訪れ、祇園を舞台とした情話小説を数多く執筆しました。
 彼が昭和3年
(1928)、祇園の茶屋「吉(よし)うた」に滞在していたとき作ったのがこの歌詞です。「吉うた」には、その原稿が大切に保存されているそうです。

 昭和5年(1930)、映画プロダクション「マキノ映画」が長田幹彦の小説『絵日傘』を映画化することになり、その主題歌として『祇園小唄』が使われることになりました。作曲は浅草オペラの作曲家として活躍していた佐々紅華(1886~1961)

 主題歌といっても、当時はまだ無声映画の時代ですから、画面から歌が流れるわけではありません。舞妓姿の女優が、字幕に合わせてスクリーン脇で歌うという興行形態がとられました。これが大成功で、『祇園小唄』は、一躍全国で愛唱されるようになりました。
 また、京舞井上流四世・井上八千代が振り付けた舞は、京の花街を代表する舞踊になっています。

 昭和36年(1961)11月23日、「吉うた」の二代目女将が奔走して、東山区の円山公園・瓢箪池西北角に、この歌の歌碑が佐々紅華の譜面銅板とともに設置されました。

 祇園は鴨川から八坂神社に至る四条通沿い一帯の呼び名で、そのうちのかなりの部分が京都を代表する花街を形成しています。八坂神社の旧称「祇園社」から出た呼び方で、平安時代末期~鎌倉時代初期から門前町が形成され始めたといいます。

 4番に出てくる「もやい」は、船をつなぐもやい(舫)ではなく、「ほかの人と共同して物事を行うこと(催合または最合)」です。したがって、「もやい枕」は、2人が1つの枕を使うことを意味し、閨ごとを暗示する比喩表現です。

 これは私の想像ですが、作詞者はもしかしたら原稿に「もやい枕」でなく、「もやい柱」と書いたのかもしれません。「柱」という字は、書きぐせによっては「枕」に見えることがあり、植字工が読みまちがえた可能性があります。
 作詞者が誤植を見て、「もやい枕」のほうが色っぽくていいか、とそのままにしておいたのかもしれない、などと考えています。

 ただし、「吉うた」に遺されている原詞では、この部分が「傘に浮き名の川千鳥」となっています。これがどういういきさつで「もやい枕に川千鳥」になったかは不明です。

(二木紘三)

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コメント

二木先生の名蛇足に頭が下がります。確かに「もやい枕」は色っぽく、想像をかき立てますね。
「川千鳥」も手をつなぎ寄り添い寝ているさまでしょうか。いや参ります。

投稿: 昔の女 | 2008年9月 2日 (火) 23時14分

この作詞者は、「自分の小説は後世には残らないだろうが、作詞なら残せるかもしれない」と言っていたそうですが
歌の力はすごいですね。
また、歌唱の藤本二三吉-藤本二三代〔再婚相手の子とか〕-藤本じゅり〔休止中とか〕と続く家系もなかなかのものと
思ったりしています。

投稿: 山ちゃん | 2008年11月 8日 (土) 22時29分

子供の頃、時代劇やこの歌で京都の祇園を想像し憧れました。高校の修学旅行で周辺を歩き、日本の情緒を感じました。曲がまたいいですね。耽美な吉井 勇の短歌も思い出させてくれます。
 かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる
 女紅場の提燈あかきかなしみか加茂川の水あをき愁か

投稿: 吟二 | 2008年12月11日 (木) 10時02分

藤本ニ三吉姐さんの歌を初めて聞きまして、ちょっと驚いたと言いますか、これだけ歌える人が今いるかなあと・・そりゃ、国立劇場まで行けばいるでしょうけど、流行歌手にはいないなと。
端歌の出である姐さんは、当然の事ながらさらっと歌います。
ちょっと聞くと棒歌にも聞こえますが、却ってその方が情感が沸くのです。
芸とは何か、それを思い知らされる歌ですね。

歌詞も良いですね・・・
遊蕩とは決して良い言葉ではないでしょうが、後世に残して頂いた遺産は小さくなかったなと存じます。

投稿: モノ書き | 2009年3月30日 (月) 10時08分

四番の「雪はしとしとまる窓に」という詞が気になります。「しとしと」というオノパトペは雨の場合に使う表現であって雪の場合は「しんしん」だと思うのですが。いかがでしょうか。

投稿: 村 | 2011年8月16日 (火) 08時36分

気温が低い北国の雪はしんしんですが、少し南の京都などでは少し水っぽい・霙に近い雪がぼたぼたと・しとしとと降るときもあります。更に人知れずにしか会えない悲しさ、空しさ・涙が絡んでしとしと降ります。そんな儚い雪でも重なる(積もる)密会?ですが、それでも空しく(灯影冷たく)夜は更けて、もはや枕をもやいに結んで心中でもしようかなどという歌かな?なんて勝手に想像してしまいます。

投稿: ねこ | 2011年8月22日 (月) 21時51分

いまや「京都の民謡」と間違えられるほど「祇園小唄」は浸透していますね。興味ある先生のコメントに頭が下がりました。リンクさせていただきます。昭和5年発行の古い楽譜を見ながらさらに感心しました。ありがとうございました。

投稿: 京亭の番頭 | 2014年7月 9日 (水) 18時39分

 多感な青春時代を京都の大学生として過ごしました。友人達と酒を飲むと酔った勢いで四条に繰り出し、祇園界隈もそぞろ歩きをしました。学生主催のダンスパーティーも確か祇園にあったホールで行われたと記憶していますが、当時でさえ時代を感じさせる様な木造のホールでした。それも京都らしくて良かったのですが、先日出張で関西へ行った際に祇園の辺りを歩いてみましたが、それらしき建物は見つかりませんでした。
 この唄の歌詞には情緒溢れることばが散りばめられていますね。すべて夕べから夜更けの情景であり、京の四季の移り変わりが唄われています。3番の柳は祇園を流れる白川の柳並木でしょう。4番のまる窓とは連子窓のことでしょうか。川千鳥は冬の季語ですが、『小夜ふけてもやい枕に川千鳥』とあります。千鳥は夜目が効かないので、実際には夜間は行動しないそうですが、百人一首『淡路島通ふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守』の句にあるように、また『浜千鳥』の歌詞でも、夜に鳴く鳥とされています。川の畔の京屋の情景が浮かんで来る、秀逸な歌詞だと思います。

投稿: Yoshi | 2014年7月11日 (金) 14時59分

1953年の著「祇園小唄」には、4番…雪はしとしと窓の戸に、とありますが、この辺りは「しとしとまる窓」とは違うようです。

投稿: 紅やの華香 | 2014年8月29日 (金) 12時38分

今日金曜日 嵯峨野の紅葉散策に行って来ました。
毎年11月24~25日の天候を見ながら、京都紅葉散策を楽しみにしていますが、今日は本当に暖かくていい日和でした。嵯峨野はいつも天龍寺の駐車場(ここが一番安く夕方5時まで=1000円)に車を停めて、曹源池~裏門を出て、竹林~常寂光寺~二尊院~祇王寺~厭離庵~宝篋院とのんびり歩きましたが、今年は例年より紅葉が早かったみたいで、色も盛りを少し過ぎていたように思いました。
石段を 曼荼羅もように ちり紅葉 拙作
くたびれて花見小路も祇園白川も散策する元気もなく、そのまま帰りました。 行きも帰りも池田の山越え~亀岡~京都縦貫道~桂川~嵐山が私のドライブコースです。 

投稿: あこがれ | 2016年11月26日 (土) 00時04分

この いかにも京の都の風情をうたう 祇園小唄をききながら あこがれさまの道中をたどっています

 今日の思いは二尊院界隈に集約されました
 
 もちろん 映画撮影にもよく使われる あの幅広のゆったり傾斜の階段状の参道も えもいわれぬ魅力あるところですね
 僕が 好んで腰をおろすのは 本堂脇の向かって左に位置する お庭の縁です  これだという主張をもってつくられた 京のさまざまなお庭と比べると 何の変哲もない普通の??  こんなの書くとしかられるのかもしれないですね  小庭なのですが ここは何時誰と行っても落ち着くことのできるお庭です

 しばらく座り 次には 本堂のお参りはスルーし 沢山の墓所がならんでいる山道にはいっていきます  歴史上有名な方々の墓所が多くみられます   ここにこういう方が眠っておられるのだ と歴史を思い出しながらの逍遥です  何度か歩かせていただいて 愛新覚羅慧生さんの墓のあることに気づいたことがありました  別に誰の墓所があるのかなど 考えずに歩いていたときでした 何気なく 右後ろをみると背の高い墓石があり 愛新覚羅慧生の名前が   驚きました  ここに天城山心中(坂田山心中ーー天国に結ぶ恋ではありません)の慧生さんががおられるのかと   あとで知識を整理すると 公家の嵯峨侯爵家の墓所のあるところですから  おかしくはないのですがーー 

 そのときには 墓に参らずやり過ごしてしまいました

それが気になっており その後 何度か二尊院を訪れる毎  お参りしようと思うのですが そのたび 慧生さんの墓がみつかりません  どういうことでしょうね  この寺院が広い地域を墓地とされているからかな 

 今年も二尊院には行ったのですが 本堂は修理中 また  墓所も見つけること能わず    その代わりと云うと変ですが 山道の細道にまぎれこみ 本堂裏手の山の斜面に 京の中心を遠望できる ベンチのおかれた静かな休憩地にいきあたりました  本堂の屋根ごしに近くは 釈迦堂の伽藍から 遠くは東山まで 一服の清涼を与えられました
 釈迦堂のそばには 足利 義詮 と 好敵 楠木 正行の墓のある宝筐院もありますね

 あこがれさまの行路から いろんな思い出にふれさせていただきました  有り難うございました   

 しかし 歴史には 悲しい史実がいかに多いことか

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年11月26日 (土) 23時26分

能勢のあかひげ さま

およそ12年前までの10年間くらいは「信州大好き人間」で、年に3回くらいのペースで車で走り回っていましたが、不思議に京都を恋しいと思ったことはありませんでした。たまたま京都の友人との縁で仕事をすることになり、京都に関心を持つようになり、それからは例の“ばっかり食い”です。堰を切ったように家内を連れて寺社仏閣や庭園、文化遺産巡りが始まり、京都に関する小説や文学書の類をAmazonで取り寄せては、読みふけりました。ついでに京都検定3級も3年前に受検して
88点(平均点=68点、合格率49.2%ですから、半数の人が合格)でした。
能勢のあかひげ さまは、二院尊がお好きなようですね。
私も大好きで、山門から続く紅葉の馬場、角倉了以、素庵、伊藤仁斎や坂妻と田村高弘らの墓、また小倉山中腹には藤原定家の時雨定の跡など(もっとも、時雨亭跡は常寂光寺や厭離庵も…といわれてますが)と、見所多いですね。実は、私は嵯峨野では常寂光時の見事な紅葉が一番だと思っており、多宝塔あたりからの眺めも最高で遠く比叡の山なみを眺めながら“花も嵐も~踏み越えて~”と口ずさみたくなります。祇王寺や滝口寺に纏わる平家物語哀話の、史跡めぐりも楽しいものです。京都に野のつく名前は10以上はありますが、「野は嵯峨野、さらなり」ほかの野は問題にならない。そういわんばかりの口調で清少納言は「野は嵯峨野」といいきっています。(枕草子169段)ー文学でめぐる京都 高野 澄 著 岩波ジュニア新書 261

祇園に関していえば、「京都の大正文学」河野 仁昭著 白川書院 単行本に吉井 勇の祇園との出会いや当時の文人たちの生活ぶりが窺い知れて興味は尽きませんが、いずれにしても京都は知れば知るほど奥が深く、まだまだ私のばっかり食いは終わりそうにありません。


投稿: あこがれ | 2016年11月27日 (日) 16時43分

たまたま病院の貸出図書で「祇園の教訓」岩崎峰子 著に目がとまり借りてきました。著者は祇園甲部の芸子置屋「岩崎」の女将に見初められ、5才から祇園に住み10才で岩崎の跡取りになり、15才で舞子デビュー21才で襟替えをして芸子になり、29才で引退するまでの間1966~1971年まで売上NO1として人気を博した方だそうですが、祇園の厳しいしきたりやお稽古事、政財界や芸能界のちょっとした裏話などが窺い知れて病院の診察待ちの間退屈しませんでした。京都の花街は、上七軒(花柳流)祇園甲部(井上流)先斗町(尾上流)宮川町(若柳流)祇園東(藤間流)とありますが、花柳界の「花」の意味は牡丹や芍薬のように主役にもなれば、かすみ草や庭の片隅に咲いているような名もない花、どんな花にでもなれるということで、女性を花にたとえています。「柳」はどんな過酷な条件にも屈しない強い精神力を意味しており、また通とは花柳界における男女間の清潔感のことであり、粋とは美意識的生活理念なのだと述べられていました。
祇園花見小路の御茶屋さんも最近は一見さんでも、わりに気楽に楽しめるようになったようです。勿論私は体験したことはありませんが…。
祇園白川も、またこじんまりしていますが、辰巳神社、石畳に柳や桜、吉井勇の歌碑(かにかくに祇園は恋し…)新町通りのお茶屋さん等など、格好の散策コースです。もう1週間もすれば、北野神社の梅花祭と、春は目の前に来ています。
“そうだ!京都行こう!”と、皆さん頑張って出掛けてみませんか…。


投稿: あこがれ | 2017年2月19日 (日) 15時26分

京都の友人の会社を辞めてもう5年にもなるのに、例年のように祇園祭りが始まる頃になるといち早くお中元に「小倉山荘のおかき」を送ってくれる。気を遣うべきはむしろ私の方なのに…と、感謝しながら、早速とっておきの美味しいお茶をいれて妻と二人で味わっています。
今迄あまり話したことはありませんが、今から25年前 家内の日本舞踊・新舞踊の家元に無理やり誘われて日舞は無理だけど新舞踊ならと、週に2回づつ豊中市桜塚のお稽古場に通うようになりました。
10年前に腰の手術をするまでの15年間に、いろんな舞台にたたせてもらいましたが(豊中市民会館:現文化
芸術センター、京都会館:現京都ロームシアター、産経ホール、中座:廃業、国立文楽劇場、京都南座、その他
等々)京都会館(現:京都ロームシアター)は、私の初舞台で生涯忘れられない思い出の場所です。
祇園まつりのクライマックス宵山の1週間前で、京都の町中が活気に満ちており、舞台がはねた後も束の間の舞台俳優?の気分を味わったものです。曲は鳥羽一郎の「寿太鼓」でしたが、夢中で所作台を思い切りバン!と踏み鳴らし、いかにも素人らしい肩肘はった踊りでした。

妻に言わせると、踊りを踊れるようになるには、まだまだ10年は掛かりますね!とのことでした。
それから10年後に北島三郎の「竹」を2枚扇で、市民会館、中座、産経ホールで躍らせて頂きましたが、家元快心の振り付けで一度も扇を落とすことなく、なんとか踊りこなすことができました。主催者のT舞踊評論家、家元の嬉しそうな顔に、ほっと肩の荷がおりた気がしました。

祇園まつりの頃になると、いつも踊りのことを思い出しますが、毎年 箕面市の老人ホーム「永寿園」に慰問に
行ったことも、若かったな~あの頃は…と感慨深く思いだします。
10年前に腰の手術をしてから、舞踊は引退しました。踊りの会の新年宴会(豊中市アイボリーホテル)で毎年
250人の弟子、評論家、議員さん 達を集めての司会も10年間勤めさせて頂きましたが、6年前に引退させて
頂きました。
今は、大阪市でも一番規模の大きい介護施設の山荘の管理人を、箕面市の社会福祉協議会の担当者から紹介されて、老体に鞭打って頑張っていますが、家で粗大ごみ扱いされるよりは…と、いう心境です。

山鉾巡行の時は、山荘も研修会や交流会の団体さんでおそらくてんてこ舞い状態が予想され、残念ながら行けそうにありません。毎年、祭りのあとのちょっと寂しい京都をのんびりと散策です。京都を舞台にした文学小説は、今書棚に36冊くらいありますが、時々思い出しては読み返しています。京都は奥が深い!2級検定ボチボチ本気で勉強しなくちゃ!

投稿: あこがれ | 2017年7月 4日 (火) 17時11分

  出町柳の好きな店で食事をしていました   大文字のときには 超満員になるスポットです
 東大文字を直視できるお店で 16日には一年前からの予約がいるのでしょうね  昨日は驚くほど店の廻りは明かりがなく静かでした  ほとんどの商店が盆休みをとっているための静寂  なるほど 京の人たちの生活の知恵なのかな  毎日 その場にいるわけではないのでこういう京都に遭遇するとは思っていなかったです  静かな明るくない時間  この趣  これはこれで なるほど 楽しめました
 どうも 今年の送り火は LSDを使ったとの報道もあり
それがほんとうなら 日本のごく有名な伝統行事にも 近代化?? ( 金 金 のグローバル主義のような  差別分断主義につながるのではないか とも心配させられる) の波が押し寄せているのでは  と暗い気持ちにもさせられました
 現在 行われている甲子園に目を向けると 春夏連覇を目指していた 大阪桐蔭が予想もしない逆転負けを喫しました  人のやること 完全はありません   17 18歳の子達  これからの長い人生   失敗は痛い経験です
 しかし 若いうちの失敗は いいことですよ
 甲子園にでてこれるだけの 努力と鍛錬に堪えれた子達
 たかが ボール遊び 人生とは大違いです
 これからの社会人としての生活に生かしていただきたいと考えました    
 以前の 星陵ー箕島 の一戦での   いつまでも 語り継がれる 一塁手のファールフライゲームセットのはずが 転倒   直後の箕島 森川君の同点ホームランをよび  結局 箕島勝利 春夏連覇をなしとげた  その 星陵の 加藤一塁手が 何年も人前にたてず こそこそ自信のない日々を送っていた との話もあり(現在は 立ち直り 少年野球の指導をしておられる由)
 今回の件でも 早く 立ち直れるよう 周囲の協力も必要ですね
 でも 自分のつたない経験から考えると
 大切なのは 自分を見失わないことと 時間に堪える事ですね  がんばれ!!!

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年8月20日 (日) 16時01分

あこがれさん、能勢の赤ひげさん、
「なのにあなたは京都へゆくの」…ふっと思います。世界で訪ねたい度top3を維持するのは、延暦13年から明治2年まで1075年間’みかどのみやこ’だった故でしょうか。

嵯峨野3~5才、室町6~8才、あと24才まで'井戸の中の蛙’京住まい。この4半世紀おおかたの友と親戚は先祖から今日の今日まで苔むすようにそこにいます。先月、親しい叔父が永眠。98才の旅立ちを偲ぶ会が催される由。五月に会ったばかりなのに、また行きます。わたしの場合、帰郷は即ち京参り。さような塩梅で「なのにあなたは京都にゆくの」チェリッシュせつない情感がこれっぽっちもないのが残念ヤワ~。

p.s. 数年続いたnet不具合による投稿不許可が最近resetされ、投稿可能になりました。不具合前のHNはtangominatoから変更したminatoya(湊屋)。右往左往を深謝。

投稿: minatoya | 2017年8月20日 (日) 20時48分

京都生まれ 京都育ちの minatoya 様
古都逍遥派の リンゴ 様
吉田山麓の大学で学ばれた Yoshi 様
能勢の赤ひげ 様(お元気ですか?)

昨日、風もなく穏やかな日差しの中、嵯峨野の紅葉散策に出かけてきました。この時季の嵯峨野は、正に「燃える秋」で、決して私たちの期待を裏切らないから大好きな散策コースです。例年に比べて寒冷化が早く紅葉の開花時期が少し早まったような感じはありましたが、それでも目を見張るような見事な濃赤や黄色の楓や紅葉は圧巻でした。常寂光寺では、山門をくぐり石段を上がった小倉山中腹の本堂から多宝塔あたりまでの鮮やかな色彩は、例えようもないくらい見事なもので、樹々の間に遥か比叡の山並みもすっきりと見えて満足でした。
ひと時、定家の和歌や時雨の記に想いをいたした後、人込みを避けて二尊院からほど近く いかにも静寂な佇まいの厭離庵(尼僧)の縁側にのんびりと腰を下ろして しばしの休息、こじんまりとした庭園に紅葉が生い茂り、定家の墓石にはらはらと散り紅葉・・・癒されました。
その後、嵯峨野の釈迦堂(清凉寺)の霊宝殿で光源氏(源融)や重文 五臓六腑等を見て、帰路のんびりとお茶してから京都縦貫道~亀岡~池田の山越えで無事帰ってきました。 それにしても、年々足腰がね~。妻は、片時もトレッキング用のステッキが手放せない状態の上、20~30分毎に腰掛け休憩ですから、先が思いやられますわ!

六甲山荘の仕事も、11月末で閉館。
京都検定試験(2級)は、12月10日受験。1月28日結果発表。
受験会場は、多分、同志社大学今出川キャンパスになるかと? 満点をねらってますので楽しみです(?)。

投稿: あこがれ | 2017年11月22日 (水) 17時39分

あこがれ さま
「祇園小唄」・・・過ぎ去った日々を懐かしく想い出しております。
京都といえば、高校の時の就学旅行での「嵐山」の美景が特に印象に残っております。
また、私の妹が、小学生の頃、日本舞踊を習っておりましたので、自宅の八畳間で蓄音機をかけ練習をしていたのが目に浮かびます。
あこがれさまにおかれましては、六甲山荘のお仕事は、11月末で閉館との由、これまで忘れられない数々の思い出とともに、ひと際の寂しさも胸の内に感じておられるのではないでしょうか。
来月の京都検定試験・・・満点を狙っておられるとのことですが、これまでのお仕事でのご苦労なされた経験と実績が満点へと導かれるものとお祈りいたしております。

投稿: 一章 | 2017年11月22日 (水) 21時07分

一章 様

いつも、どなたに対しても変わらない優しい心をお持ちの方だな~と、ほのぼのとした気持ちになります。

私の表現がまずくてすみません。六甲山荘の仕事が今年度で終了して閉館するのではなくて、山荘が冬期に入るため毎年4月~11月までの営業という意味の今年度の終了閉館という意味です。今のところ、来年度も又続けてくれるようと、依頼が入ってます。有り難いようなしんどいような気持ち半々ですが、頑張れるだけ頑張ってみようと思っています。一章様も、朝早くから宅配のお仕事、本当にご苦労様です。一章様のお優しい気持ちの詰まった美味しいお弁当を心待ちにしておられる方々の為にも、まだまだ頑張って下さい。
今回の京都検定は、私のような高齢者が1級までチャレンジできるか?の、自分に対する問いかけみたいなもので、可能性の追求だと思っています。さて、どこまでやれるものやら・・・?と、いった心境です。

投稿: あこがれ | 2017年11月22日 (水) 21時47分

 
一昨日、12月10日 京都検定の受検に行ってきました。
地下鉄 今出川の階段を上がると、そこはもう完全に同志社大学の町、昭和33年~34年頃にかけて広島で同志社と関学のグリークラブの演奏会によく行きました。
同志社カレッジソングは、大好きで今でもあの力強い男性コーラスに憧れます。私の息子は二人共、 同志社大学に合格しましたが、入学金半分だけ納めて一次志望の国立に入学しました。私の高校時代は母親が保険の外交員(あの当時はセールスなんて洒落た言い方はしなかった)をしながら四苦八苦しながら学費を払い続けるような状態で、ろくにアルバイトも無いような時代でしたので、大学進学も諦めざるを得ず、大学生活は夢のまた夢でした。
新町キャンパスの校門に立って、半世紀以上も前に憧れたその夢の何十分の一かでも味わうことが出来るという思いで感慨深いものがあり感謝の気持ちで校門を入る時、思わず立ち止まって軽く頭をさげてから試験に臨みました。

それにしても、受験者の殆どが私とそんなに変わらないであろうと思われるような高齢者ばかりでびっくりしました。因みに、この日の最高齢者は90才だったそうです。
大好きな京都をもっと深く知りたいという思いでチャレンジし始めた京都検定ですが、息子達に言わせると程の良い「ぼけ防止」で、どんどんチャレンジして下さい!とのメッセージで・・・そうかも?と、納得してます。

今回は、かなり頑張ったつもりでしたが、敵もさるもの!そう簡単に満点はとらせてくれません。
えー!こんな問題!・・なんで こんなことが必要なの?と、思わせるような意地の悪い問題も3~4問、過去13年間(1300問)の傾向と今年は少し違うな!と、感じさせられました。自己採点は、あまり胸をはって言えるような点数ではありませんので、発表は控えます。妻に言わせると、“合格できればそれで十分!”とのことですが、なんだか気抜けした感じで、さて、これからなにをしよう?と、いう感じです。
まあ~とりあえず、祇園小唄でも聞きながら、のんびりと時を過ごすとしましょうか・・・。


投稿: あこがれ | 2017年12月12日 (火) 08時42分

あこがれさま
京都検定受験・・・これまでの受験勉強を含め大変お疲れさまでした。
とりあえずホットされておられると思います。
次回も是非、再挑戦に頑張ってほしいと思います。
あこがれさまの自分に対する可能性の追求・・・私も全く同感です。
私も、定年退職後、現在、五つ目の仕事(宅配業務)に挑戦中ですが、願えれば80歳を目途にと思っておりますが・・・?
これからも健康第一・特に車の安全運転には気をつきけたいと思っています。
私の好きな「祇園小唄」ありがとうございました。


投稿: 一章 | 2017年12月12日 (火) 23時53分

江戸時代後期の戯作者:滝沢馬琴が、自身36才で 生涯一度きりの京阪旅行をした際の、随筆 「羇旅曼録」(きりょまんろく)の中で、京に良きもの3つとして、「寺社・女子・加茂川の水」と述べています。

確かに、加茂川といえば、誰しも憧れる京都の代名詞みたいなもので、ゆったりと流れる岸辺で涼風に吹かれながら、浴衣姿で歩いてみたいもの・・・と、思うはずです。

しかし、その流れも一旦牙をむくと、先日のTVでのリアルタイムの放映のように、堤防を崩し氾濫寸前の濁流と化してしまいます。

今から、940年前、日本で初めての院政を敷き、治天の君と呼ばれた:白河天皇〔第72代〕は、この世で思い通りにならざるものとして、「賽の目・加茂川の水・山法師」と, 慨嘆したと言われてます。

京の豪商:角倉了以によって桂川・高瀬川の治水工事がなされる以前の平安京時代から、加茂川の治水工事が開始され、秀吉の時代にも積極的に手が加えられたお陰で、平安京時代の暴れ川から、人命が守られて現在に至っています。

加茂川にせり出すように設営された川床は、これから夏を迎える京都の一大風物詩として、欠かせないものですが、何とか時間と○をつくって行きたいものと思っていますが・・・。

久しぶりに、祇園小唄 聞いてます。・・この時期は、ことに京都が懐かしい! 

みんな揃って、『そうだ!京都行こう!』  

鱧も鮎も 美味しいよ!

かせい様、りんご様 今度は、ゆったりとした京都を味わって下さいね!

投稿: あこがれ | 2018年7月10日 (火) 16時06分

あこがれさま
久し振りでこの曲を聴きました。リクエストありがとうございます。
この度の、西日本地方での豪雨では、報道を知る度に心が痛み胸が締めつけられる思いがします。
この曲を聴いて、現職のころに数度京都出張をし、時間の許す範囲で観光地を訪れたことを懐かしく想い出しております。
特に、嵐山観光・・・散策ではその絶景が今でも目に焼き付いています。
当佐賀地方でも梅雨が明け、連日35度を超える真夏日が続いております。
毎日、早朝からの仕事は大変だと思う時もありますが、お客様のことを考えると、元気が蘇ってきます。
この「うた物語」の仲間の皆さんの心温まるコメントに後押しされながら頑張っております。
今後ともよろしきお願いいたします。


投稿: 一章 | 2018年7月10日 (火) 21時21分

2018・7・10付 祇園小唄 コメントの最後の箇所・・ 

ゆったりした京都 への誘いの箇所で、かせい様・りんご様 は、yoko様・りんご様 の勘違いでした。

かせい様 申し訳ありません。

それにしても、なんでこんなに コメントが少ないの??。

投稿: あこがれ | 2018年7月12日 (木) 11時21分

京都は以前、親戚の結婚式出席のため北関東から訪れ、式終了後にカミさんと銀閣寺・祇園・清水寺巡りをした後、京料理を堪能し、京都駅ビルの蕎麦屋では定番の?にしん蕎麦でした。
昔読んだ司馬遼太郎著「新選組血風録」(昭和40年NETでドラマ化)に出てくる壬生の新選組屯所跡も見物したかったですが、時間がなく残念でした。
(参考)http://www.youtube.com/watch?v=_E6NWCWG2NY

投稿: 焼酎 | 2018年7月14日 (土) 17時14分

あこがれさま
先月の京都の旅は駆け足でした。

朝6時に夜行バスが京都駅に着き、真っ先に向かったのは半世紀前、受験浪人時代の下宿先です。当時お世話になったお父さんもお母さんもお婆さんもお亡くなりになって永いですからもうそのお宅は無くなっているのではないかと心配でした。でもありました。50年前と変わらぬ住宅地の一角にまだありました。

私はこの家の6畳間をお借りして予備校に通っていました。今でも立派なお家なのですが、庭も家の手入れもされてなく空き家の寂しさがありました。

ある夏の日のことが思い出されます。6畳間を仕切っている襖が突然開いてそこに小学校3~4年生くらいの少女が立っていました。彼女も私もビックリしてお互いを見つめ合いました。とても可愛らしい少女でした。お孫さんが夏休みで遊びに来たのでしょうか。私は嬉しくなって何かお話したいなぁと思ったのですが、おばさんがあたふたとやってきて「アレ、アレ、だめよ、だめ、お兄ちゃんのお勉強の邪魔しちゃだめよ!」と言って、襖をぴしゃりと閉めて彼女を連れて行ってしまったのです。

彼女も今ではもう還暦を過ぎた頃なのでしょうか。可愛らしい少女でした。勉強の邪魔なんかじゃなかったのに・・・残念です。邪魔なのはおばさんでした。

その日の午後は、バス観光で大原三千院に行く道すがら賀茂川の川床が設定されているのを見物しました。バスガイドさんから説明をうけて楽しみました。

京都は機会と〇があれば何度でも遊びに行ってみたいですね。また何人かで集まって川床で美味しいものも食べてみたいですね。

曲と離れたコメントで申し訳ありません。京都賛歌ということでお許しを。


投稿: yoko | 2018年7月14日 (土) 22時51分

yoko様
京都は〇があれば何度でも行きたい場所ですね。
駆け足ながら楽しい旅行は良い思でとなりましたね。
真っすぐに大原三千院とは流石参加者の年輪が偲ばれます。いつ訪れても風情のある場所ですものね。
何時の日かあこがれ様をガイドにyoko様の素敵な京都紀行が実現するといいですね。
この度の豪雨で床も流されたのは残念でしたね。

私は〇には恵まれない身分ですが、長女が京都で働いているので交通費だけ工面すればいつでも行けるのは幸いです。ただ、8月の大文字焼きに合わせて行った折クマゼミの歓迎に遭い仰天。奈良の国立博物館周辺でもクマゼミのパワーに圧倒された思い出があります。
以来、真夏は避けています。
yoko様も健康にご留意されて又の京都行きが実現できますようお祈りしております。

投稿: りんご | 2018年7月15日 (日) 09時55分

うだるような暑さの中、明日、7月17日は祇園祭のメインイベントである(前祭)の山鉾巡行が行われます。

「京都祇園祭の山鉾巡行」は、1979年に国の重要無形民族文化財として、又 2009年には、ユネスコの無形文化遺産として認定され、その煌びやかな飾り付けは、それぞれに貴重な故事来歴に因んだものや、伊藤若冲、今尾景年らによる天井絵等々、生で見ると目を奪われる程の美しさです。

祇園祭の山鉾巡行の経緯は、
八坂神社の祭りで、今から1100年前の清和天皇貞観11年(869年)に、京洛に疫病が流行し、牛頭天皇(素戔嗚尊)のたたり、そのご機嫌をとる為の祭りとして、全国の国の数66本の鉾を作らせ、神泉苑に御霊会を行ったのが、始まりと言われてます。

途中、応仁の乱(1467年)の為、中断するも、それから30年後(1500年)に再巡行され始め、今のような飾り付けは、桃山時代後期から江戸時代に入ってからといまれます。

この暑さと人混みを おしてまで行く気力、体力は、いつの間にやら失せてしまいましたが、生で見る長刀鉾の辻回しは迫力満点で、最大の見せ場です。
太鼓・笛・鉦による、コンチキチンの祇園囃子も真夏の京都の風情として忘れられません。

浴衣・打ち水・うちわ・金魚が「夏の京都」のイメージでしたが、最近では、海外からの観光客であふれかえり、しっとりとした古都の風情も失われていくのでは?と、懸念します。

大正時代に長田幹彦や吉井勇などの文学により、メジャーになった祇園の情緒・風情に未練を感じながら、祇園小唄を懐かしんでいます。

一章様・焼酎様・yoko様・りんご様 それぞれの京都の夏を楽しんで下さい。

久しぶりに、能勢の赤ひげ様の京都に寄せる想いも伺ってみたいですね。

14日~15日と、六甲山荘で、54名の宿泊研修会の対応業務を終え、へとへとになりながら、山を下りてきました。標高930mの山頂は、木陰に入ると爽やかな風と、庭園や林の中から聞こえてくる鶯の鳴き声に癒されますが、一旦、仕事に掛かると睡眠時間も殆ど無い状態の激務で、ダウン寸前です。
施設管理や清掃美化業務よりも、調理師としての業務に気を遣い、心身共に疲れます。

今日は朝から、歌ものがたり で癒されています。
二木先生、皆様 有り難うございます。

投稿: あこがれ | 2018年7月16日 (月) 12時43分

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