希望
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
唄:フォー・セインツ/岸 洋子
1 希望という名の あなたをたずねて 2 希望という名の あなたをたずねて 3 希望という名の あなたをたずねて (フォー・セインツ版の3番) |
《蛇足》 いずみたくは、本名今泉隆雄。昭和5年(1930)、東京生まれ。鎌倉アカデミア・舞台芸術学院で演劇を学んだのち、昭和27年(1952)からうたごえ運動に参加しました。
『希望』のほか、『見上げてごらん夜の星を』『女ひとり』『夜明けのうた』『世界は二人のために』『いいじゃないの幸せならば』『恋の季節』『夜明けのスキャット』『太陽がくれた季節』『帰らざる日のために』『ふれあい』『手のひらを太陽に』など、数多くのヒット曲があります。
『希望』は、昭和44年(1969)5月1日に、カレッジ・フォークの草分け、フォー・セインツの歌で発表され、かなりヒットしました。
翌昭和45年(1970)4月1日に岸洋子の歌で発売したところ、通算50万枚を超える大ヒットとなり、『夜明けのうた』『恋心』となどと並ぶ岸洋子の代表曲となりました。
なお、岸洋子版は、3番だけフォー・セインツ版と違う歌詞になっています。
(二木紘三)
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コメント
学生の時、中華の店でアルバイトをしてたことがあります。
その店の店員でキクちゃんと呼ばれていた大きな瞳の陽気な娘がいました。
「昨夜もキクちゃんが布団の中で泣いていた」と、同じ宿舎の娘が話していました。恋人を想い泣いているようでした。
「希望」の歌を聴くとキクちゃんのことを思い出します。
当時の若い私には、恋人を想い涙を流すなど、理解できませんでした。
投稿: 時代オクレ | 2008年6月20日 (金) 06時26分
人は一生のうちに何度希望を失うことだろう。大きな希望、小さな希望、諦めてまたほかの希望を見つける。この歌の通りの人生だったと最近自分の人生を振り返っています。それでもまだかすかな希望を持って朝、起きます。汽車はもう身近には走っていませんが、やっぱりポーッと鳴りながら煙を吐いて走る汽車に乗って訪ねてみたいですね。若い日に夢見た希望に!
投稿: ハコベの花 | 2012年2月18日 (土) 20時19分
いい曲ですね・・
ハーモニカが大好きで茂原の演奏会で4人で演奏・・
私はバスの担当で頑張りました。
たしか審査員に褒められて、嬉しかったのを
思い出して・一人でニヤニヤしています。
投稿: 田中 喬二 | 2015年6月11日 (木) 19時56分
この歌は決して甘い恋の歌ではないと思っています。時代背景は東大紛争から70年安保、成田闘争への日本に暴力が吹き荒れる一方東名高速の開通などオイルショックまでの大発展を遂げていた頃です。世の中はすぐ先の好況を感じつつも足元は締めていかなければならない難しい時でした。44年は東大入試がなく卒業も半年遅れになったので内定者の待遇をどうするか大議論だったことを覚えています。確かに希望はありました。なにかを犠牲にしたでしょうが今の日本はいい方じゃないでしょうか。
投稿: しょうちゃん | 2016年8月20日 (土) 15時27分
この歌を最初に聴いたとき暗い、陰気な曲だと思って敬遠していました。ある日、歌詞を読んで気が付きました。本当に私の人生のような歌ではないかと・・・
絶望の後のささやかな希望、何回繰り返したことでしょう。少女の夢はあまりにも大きく、追いつくことは出来ませんでした。汽車はもう去ってしまっています。せめて明日、きれいなハンカチを1枚買いましょう。。夢見るような美しいハンカチを見つけます。ささやかな幸せのために。幼馴染の友人の病気が小康を得られるように送りたいと思います。絶望が希望になりますように。
投稿: ハコベの花 | 2016年12月10日 (土) 00時11分
新人の時に良く聞きました。
今度 ナツメロ会で歌います。
あとは 小椋圭 山河です。
投稿: セレナ | 2017年8月28日 (月) 12時53分
また 書こうとしています
二木先生 お許しください
この曲は 夜明けのうた とともに
岸洋子さんの 言わずもがなの 代表曲ですね
でも 歌手としての 彼女の位置づけ だけだったのでしょうか
夜明けのうた も この 希望 も
実は 彼女の 真の 心の叫びだったのではないかと思えるのです
苦しい 膠原病との 何時果てるともしれない戦いの中での
光をもとめての精一杯の叫び!!!
苦しかったろう わが身をうらんだろう
生病老死 いつまで たっても大命題です
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年2月28日 (水) 22時45分
この歌がテーマソングになっていたミュージカル『希望』というのがあって、主役は割と有名な女優さんだったのですが、どうしても思い出せません。ネットでも探したのですが出てこない…どなたかご存知ないでしょうか?
投稿: やき。 | 2019年6月 5日 (水) 15時05分
早朝 目を覚ましました。
50年前 発表されたこの歌を口ずさんでいます。
希望と仕事との節調で壁にぶつかり、もがいていた自分を懐かしく思い出しました。仕事の合間、「希望」という名を訪ねて土曜日になると夜行寝台列車に乗り上京していました。日曜日の夜 寝台列車で田舎に帰ると難しい仕事が待っていました。
「希望」という名前を 私の方から探し続けたからでしょうか?
その時の希望は、それなりの「心地良さ」と「甘酸っぱさ」を含みながら 今に生きています。「希望」という言葉と「大切な人」がいつも入れ替わります。
投稿: けん | 2019年6月 6日 (木) 05時22分
若くして厳しい病を患い希望を失いかけている時この歌がラジオから流れ大きな勇気と希望をもらいました。楽しかった事も色々ありましたがこの歌に出会った時の感動と岸洋子さんの病の事も後で知り益々忘れられない唄となりました。
投稿: s.t生 | 2020年9月24日 (木) 13時58分