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夏の思い出

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:江間章子、作曲:中田喜直

1 夏がくれば 思い出す
  はるかな尾瀬 遠い空
  霧のなかに うかびくる
  やさしい影 野の小径(こみち)
  水芭蕉の花が 咲いている
  夢見て咲いている 水のほとり
  石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
  はるかな尾瀬 遠い空

2 夏がくれば 思い出す
  はるかな尾瀬 野の旅よ
  花のなかに そよそよと
  ゆれゆれる 浮き島よ
  水芭蕉の花が 匂っている
  夢みて匂っている 水のほとり
  まなこつぶれば なつかしい
  はるかな尾瀬 遠い空

《蛇足》 殺伐とした事件ばかり続くこのごろ、こういう清冽な歌を聴くと、心が安らぎます。

 中田喜直は大正12年(1923)8月1日、東京生まれ。父は『早春賦』の作曲者として知られる中田章。昭和18年(1943)東京音楽学校(現・東京芸大)を卒業して作曲家になりました。
 この曲は、昭和24年(1949)、江間章子の詞に、新進の作曲家だった中田喜直が曲をつけたもので、NHKラジオで放送されました。

 平成12年(2000)5月9日没。生涯に2000以上の曲を作りましたが、とりわけ『めだかの学校』『夏の思い出』『ちいさい秋みつけた』『雪の降る街を』などは、季節の移り変わりに敏感な日本人への贈り物といっていいのではないでしょうか。

 江間章子は平成17年(2005)3月12日没。91歳でした。
 新潟県生まれで、子供時代を岩手県で過ごしました。翻訳本「詩と詩論」の影響を受けて作詞を志し、戦後は少女小説、ラジオ歌謡など幅広く創作に携わりました。

(二木紘三)

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コメント

2年前になりますか、ある曲の歌詞を知りたいと思い曲名で検索をかけたところ、ヒットした多数のサイトの中に「歌声喫茶」を見つけ、それ以来3日にあけずアクセスしております。
二木さんの、決してひけらかすことのない博識ぶり、文章の巧みさ、その文章が表わす人となり、等々、同じ曲に何度アクセスし読み返しても飽きません。
誰しもメロディを聞くだけで涙が滲んでくるような曲というのはあると思います。ジャンルは多岐にわたりますが、私にもたくさんあり、それらが「歌声喫茶」や「うた物語」に多く掲載されているのがとても嬉しいです。
リクエストを受ける必要などなく、掲載曲は二木さんの独断と偏見による選択が好ましいと考えます。
曲の使用についての注意書きにのっとり、私は MIDI 曲を多数ダウンロードして自分の iPOD に入れ運動のためのウォーキングなどで楽しませて頂いております (蛇足ながら iPOD は MIDI 未対応のため WAV に変換するソフトウェアを使用しています)。
良き思い出を誘い辿らせてくれるサイトの管理人さんにお礼を申し上げつつ、今後のこのサイトの発展を心から祈っております。

野村 秀樹 63 才

投稿: 野村 秀樹 | 2007年8月 9日 (木) 04時16分

二木さんご無沙汰してます、菅原洋一さんの"今日でお別れ"リクエストさせて下さい、宜しくお願い致します。

投稿: KOBAです。 | 2007年9月19日 (水) 22時00分

素晴らしい歌詞、美しい旋律・・・尾瀬を一躍有名にした名曲です。私も今夏友人らと尾瀬に行き、この歌を歌いました・・・

投稿: やまだ | 2008年10月 9日 (木) 19時12分

素晴らしい歌詞、美しい旋律(やまださんと同じ)いい歌で心が安らぎますね。

 私が20歳頃からこの歌を聴き挑発され日本ではいちばん尾瀬に憧れて約半世紀・・・所属しております“いきいき歩く会”は月に1回の日帰りハイキング、年一度の2泊3日・・・
‘07.5/31~6/2やっと夢が叶いました。その年は降雪が多く尾瀬沼も尾瀬ヶ原にも残雪があり、谷から流れ込む雪解け水には楚々として水芭蕉が咲き始めていて、残雪が演出する景観は初夏の尾瀬の写真のイメージと全く違い、ある種の神秘的と言える“美”は厳しい遵守事項と東京電力他方の努力の成果とのことで、決して忘れ得ない感動と体験でした。
 
 この歌を聴くたびにまたいつか機会があれば、薩摩切子に尾瀬の雪と某焼酎を入れて、この景観と成果に<乾杯!>したい・・・と思っています。

投稿: 尾谷 光紀 | 2009年1月 9日 (金) 21時33分

 若い頃は気安いものです。昭和44年の満20歳直前、私は一人で1泊の奥多摩への山歩きに行きました。翌日夕方下山して、ひなびたバス停でバスを待っていると、一人の男性が山の方からやってきました。長いバス待ちの間いろいろ話をしました。その人は八王子の私より3歳ほど年上の人で、私とは別の山に登っての帰りとのことでした。話しているうちすっかり意気投合し、「次は一緒に山に登ろうか」「どこがいい?」ということになり、私が「尾瀬はどうですか?」と言うと「じゃあ、そうしよう」と決まりました。
 こうして6月下旬、二人で2泊3日の尾瀬旅行に向いました。早朝尾瀬沼の方から入りました。その時はガスがかかった曇りでしたが、徐々に雲が切れて以後3日間奇跡的に大快晴に恵まれました。
 二人はというより、私はその人に引っ張られる格好で、普段の尾瀬のコースからいとも簡単にすいすい逸れて、付近の地図になさそうな湿原に入り込んだり、隠れた滝に出くわしたりしました。特に圧巻だったのは、燧ケ岳、至仏山という2つの高峰の山頂まで登ったことです。
 まだニッコウキスゲには早い季節でした。水芭蕉は盛りを過ぎたものの、所々の湿原に隠れるように咲いていました。遠くで白樺が風にそよぐさまに、高原の旅情を感じました。
 40年前のあの頃でも、行き交うハイカーはけっこう多く、心温まる交流もありました。1泊目は尾瀬沼の長蔵小屋、2泊目は尾瀬が原ロッジでした。写真もどっさり撮り、たまに今でもアルバムを取り出しては、その時のことを懐かしんでおります。(にわかにまとめ、長文になりました。お詫び申し上げます。)

投稿: Lemuria | 2009年7月22日 (水) 01時01分

この歌を聴くと思い出すのは、尾瀬の風景とともに、尾瀬ヶ原に乗り入れる自動車道建設阻止の活動の最中に遭難死した平野長靖です。長靖は尾瀬を代表する山小屋、長蔵小屋の三代目の主人でした。私は学生時代に尾瀬を歩いたことがありますが、尾瀬の自然の破壊を身を挺して守った、私と同じ大学の出身の人間がいたことを知ったのは随分後のことでした。平野長靖の祖父、長蔵小屋を建てた長蔵も、かつて発電の目的によるダム建設の計画に反対して尾瀬の自然を守りました。東京電力は現在も尾瀬の土地の約4割を不動産として所有しており、福島第一原発事故の補償の一環として、尾瀬の土地が売却される可能性が取沙汰されています。長靖の死から40年を経て、また尾瀬の自然の危機が訪れようとしています。

投稿: Yoshi | 2011年9月 8日 (木) 08時37分

お世話になっています。過去にいろいろな曲をきかせていただいていますが、久し振りに立ち上げましたら 「夏の思い出」「あのすばらしい愛をもう一度」ともに
タイトルの下のスピーカーマークが真っ黒な帯で見えなくなっており 結果 クリックが出来ず 聞けませんでした! 対策がお分かりでしたら 教えていただきたいのですが・・・! 本日 再挑戦しましたが 同様で 過去に聞いたものまで聞けませんでした。どうもすべてが聞けないようです。

投稿: 窪 武彦 | 2011年12月17日 (土) 00時28分

窪武彦様 そのほか曲が聞こえなくなったという方
「このブログのについて」の(3)(4)(5)をお読み下さい。

投稿: 管理人 | 2011年12月17日 (土) 02時28分

「夏の嫌な思い出」
一昨年の夏あるスポーツをやっていて熱中症で倒れてしまいました。救急車で病院に運ばれましたが2週間気がつきませんでした。しかしそこで得たものが二つありました。一つは毎晩吉永小百合のロケの夢を見られた(砂丘が出てきました)。二つ目はどうやっても止めれなかったタバコと縁が切れました。前者の件は誰も信じてくれませんが。

投稿: 海道 | 2012年8月10日 (金) 16時07分

梅雨明け宣言が四国地方に出て、日本列島はいよいよ夏本番ですね。この歌は「夏が来れば思い出す・・」という歌詞の冒頭がつい口をついて出てきます。
しかし、知名度のわりには、この歌のコメント数は少ないのではないでしょうか。なぜだろうと考えました。
いい歌だと認めていても、いざ投稿するとなれば、尾瀬に行った経験のない人には、コメントが書きづらいんですね。尾瀬に行った思い出もないのに何を書くのでしょう。さりとて「いつか行ってみたいです」で文章をしめるのも、少年少女じゃあるまいし、恥ずかしい。
やはり地名が入ると、一部の縁ある人を強く惹きつける一方で、多くの人を遠ざけるということになります。いわばご当地ソングの宿命を帯びてしまうのです。それがコメントにも反映しているのではないでしょうか。

「みかんの花咲く丘」という歌は、伊豆を舞台にして作られたようですが、歌詞に静岡や伊豆などの地名がいっさい出てきません。それゆえ、みかんの花咲く全国の丘からコメントが集まりそうです。個別の風景でいくか普遍の風景で行くか、それぞれ一長一短で、歌詞を作るのも難しい。作詞家の心配などする必要の全くない私が、今日はそんなことを考えながら、この歌を聞いていました。

私は、今日このブログの魅力を発見しました。おそらく誰も、まだ指摘されていないと思います。このページでいうなら、2007年のコメントからきちんと時系列にしたがってすべてのコメントが保存されていて、誰でも見ることができます。書いた本人からすれば「あんな駄文、いつまでもさらさないでー」というところでしょうが、こういう文章をていねいに保存しつづけるのは、なかなか意義のある仕事(文化事業)のように思いました。

投稿: 越村 南 | 2013年7月 9日 (火) 15時13分

昭和40年頃と記憶しています。学生時代に男女2組のペアで尾瀬に行きました。私は初めてでしたが、他の3人は
何度か訪れているようでした。
鳩待峠から入山したと思います。6月の梅雨のシーズンでしたが快晴で、新緑と澄んだ水面に可憐に咲く水芭蕉が感動でした。尾瀬沼まで行くと、キラキラ光る水面に観光船が浮かんでいました。この当時は観光船が運航してたのですね。
銀山湖あたりから尾瀬沼に入ったのでしょうか。この歌を聴くと当時の爽やかな尾瀬沼の記憶がよみがえります。

投稿: タケオ | 2015年1月30日 (金) 22時26分

「…きちんと時系列にしたがってすべてのコメントが保存され…書いた本人からすれば「あんな駄文、いつまでもさらさないでー」
南さんコメントにコクリと頷き、しばしば教えられ、感謝。仰る通り、私に限れば駄文をダブダブさせる塩梅で、間違いも後悔も致します。時に事実関係が混乱し、削除お願いしたり…、ふたつぎさんに迷惑をお掛けしています。

‘‘駄文なくして、人は進歩せぬ‘‘説に励まされつつも、書きながらそれを直ぐに忘れ(がち世代として)ないと、次に進め無いようになりました、嗚呼~。 ところで‘時系列過去ログ‘をどうして見るのか、教えて下されば幸です。

投稿: minatoya | 2015年1月30日 (金) 23時21分

タケオ様
薀蓄を傾けるつもりではありませんが、尾瀬ヶ原の自然を守る活動の最中に遭難死した平野長靖の生前の意思を継いで、"機械船" は焼却されたと記憶しています。

投稿: Yoshi | 2015年1月31日 (土) 04時06分

Yoshi 様、投稿を早速ご覧いただき、ありがとうございます。
確かに、尾瀬の自然を守るためには観光船等必要はありません。私も尾瀬は大好きで、その後何度も訪れています。
でも、初めての尾瀬沼で、キラキラ光る水面を走る観光船の思い出は、今でも青春の記憶として瞼に焼きついています。近くにいる尾瀬の愛好者も尾瀬沼にボートがあったり、観光船が運航したりの風景は記憶にない方が多いですね。先人が遺してくれた、富士山・上高地等数多くの大自然の景観を保護し、後世に伝えるのは私達の責務と思います。

投稿: タケオ | 2015年1月31日 (土) 10時09分

minatoya様
>‘時系列過去ログ‘をどうして見るのか、教えて下されば幸です。が気にかかりました。
「どうして」とは「なぜ」と言う意味でしょうか。それとも「どのようにして」と言う意味でしょうか?

投稿: Bianca | 2015年1月31日 (土) 14時58分

Biancaさん、仰るとおり、いずれにも取れます。「どのようにして」ならば単純な技術的質問ながら、「なぜ」ならば、やや僭越と言うか相手の‘人生観‘を尋ねているような感じです。コクリと頷いていますので、後者の‘さらに突っ込む‘質問もありそうですが、ここは前者の積りです。あやふやな一行を注視して下さり、Biancaさん、勉強になりました。

この数週ときどき、霰が草原を転がり覆い、雪が小枝を飾ります。‘夏の思いで‘を聴くのは、寒々しい心が和み、逆に相応しいのかも知れません。 

投稿: minatoya | 2015年1月31日 (土) 21時06分

minatoyaさま
 いやどうも、おそれいります。
 ひとつの歌のページを開くと、時系列の順序にしたがって、コメントが並んでいるという意味で、全曲のコメントをシャッフルして、時系列で並びかえるということではありません。
そんな技術は持っていません・・
 「夏の思い出を聴くのは寒々しい心が和み・・」
そうですね。
私も、冬のビールを楽しんだり、今住んでいるベトナムで、美空ひばりの『越後獅子』を聴いたりしています。
そのミスマッチというか、倒錯感がたまらないのです。

投稿: 越村 南 | 2015年1月31日 (土) 22時25分

「何故」ではなく「如何にして」と言う意味だろうと98%位は思いましたが……。何年も前からのコメントが順番に並んでいるのを見られるのは楽しいという意味なんですよね。ご本人からお答があり、私が何も言う必要もないのですが、差出口をした責任から一言を。
「夏の思い出」を聴きつつ、この山陰の地も粉雪混りで時々陽がさす寒々しい日でした。でも明日からは二月、越村南さんのおられる越南やminatoyaさんのいらっしゃるところ(外国のように感じますが)にも春が近づいていることでしょう。御機嫌よう、good night.

投稿: Bianca | 2015年1月31日 (土) 23時29分

連続演奏Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ.のような重宝な(検索可能な)機能だろうかと思ったんです。(連続演奏は掲載曲一覧のA~G頁にあり、他雑用中のBMとして…)。南さんはお住まいが連想され、Biancaさんは露西亜の民謡が浮かびます。ご本名の方々(管理人殿しかり)けじめ良さから遠いのですが、アザナHNを伺い想像するのも一興デス。私は無骨♂なので、女性アザナが少なく残念。横文字だとビアンカに並びアニタやシルビアは一昔前の欧米ベスト5、世代がわかりますね。‘名前も世につれ歌につれ‘

投稿: minatoya | 2015年1月31日 (土) 23時43分

 「夏の思い出」の江間章子さんの思いにも触れたく、‘07.5/31~6/2念願の尾瀬を訪れました。 残雪と流れの中に楚々と咲き始めた水芭蕉・尾瀬沼・木道・大江湿原等を遠く雪に覆われた至仏山や燧ケ岳が見守っているような風景、あの感動はパソコンや携帯電話の壁紙に保存しています。
 当時は東京電力の管理や地域のボランティアの方々の支援でこれらの景観を保持されているとのDVDも貰いましたが、福島の原発事故以来もそれまでと同じように保持されていることを心から願っています。

投稿: 尾谷光紀 | 2015年2月 2日 (月) 12時38分

この曲は昭和24年に作曲されたということですが、当時中学2年生だったわたしは、本屋で「科学朝日」という通俗科学雑誌を立ち読みしました。尾瀬という秘境の2ページほどのカラー写真に目が釘づけになりました。こんなに美しい自然が世にあるのだろうかと。その後、尾瀬は一大ブームになり、私も大学生のとき尾瀬観光の行列に加わったのですが、中学生のとき抱いたあこがれにくらべると、人の多さに一寸幻滅でした。しかしこの歌は純粋に中学生の時に想像した尾瀬を思わせてくれるようです。

投稿: 昭和老人 | 2015年10月17日 (土) 01時17分

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